ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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第11話 茅場優希の悪癖

 

 

 彼はヒーローではない。

 彼は万能ではない。

 彼は聖人でもない。

 ましてや彼は、完成された人間ではない。

 

 彼を良く知る人物であれば、何を今更と訝しみだろう。もしくは反論の余地がない故に困った笑みを浮かべるだろう。

 反論の余地などどこにもない。本当の意味で、彼は英雄ではない。どこにでもいる――――というには少々語弊があるかもしれないが、とにかく彼は特別な存在ではなかった。

 

 それは事実だ。

 現に彼が特別な存在であれば、ありとあらゆる悲劇は回避出来たことだろう。

 目の前で死に逝く命を救えただろうし、彼の叔父を狂気から助け出すことが出来ただろうし、ましてや――――己の両親がその身を犠牲にすることなどなかった。

 

 彼は特別な存在ではない。ましてやヒーローなどといった者である筈がない。

 当の本人からして見たら、それは当たり前のことだ。彼がそんな賞賛の言葉を聴いたものなら、鼻で笑いそれは違うと吐き捨てることだろう。もちろん謙遜などではない。彼は本当の意味で、自分はそんな存在ではないと思っている。

 

 だがそれは、視点を変えたら違って見える。

 それはどのような視点か。言うまでもなく、彼に救われた側から見たら違ってくる。

 

 当の本人が否定しようにも、救われた側からしてみたら謙遜に見えることだろ。

 当たり前だ。いくら否定しようが、事実は変わらない。特別な存在ではないと自身を否定している者に、彼ら彼女らは救われているのだから。

 

 彼女もその中の一人である。

 特別な存在ではないという彼――――先輩なる存在に救われた者の一人。

 彼に親愛、愛情、恋慕、傾慕を抱き、自分もいつか彼の隣に並び立ちたいと思い至る。

 

 そのために研鑽を重ね、努力を積み上げて、自己を磨き上げてきた。

 心のどこかで、間違った方法であるかもしれないという疑念を振り払い、彼女は前だけを見て走り続けてきた。

 

 だからこそだろうか。

 彼女は焦燥感に駆られていた。

 自分の今までしてきたことは無駄で、彼を振り向かせるに至る代物ではないのかもしれない。

 それは疑念となり、心を蝕んでいき、やがては焦りとなって心象に残滓となって住み着いていく。故に彼女は焦っていた。早く結果を残そうと、早急に自分でも彼の役に立てることを証明し、彼の隣に並び立ち、彼を――――先輩を振り向かせようと彼女は必死であった。

 

 そして焦りは、人の目を曇らせる。

 彼女は気付かなかったのだ。彼の様子がどこか、剣呑な雰囲気になっていくことに。

 いつもの彼女であれば気付けただろう。一言二言口にし、彼の様子がおかしいことに気付き、理由はわからずとも察して口を閉ざすに違いない。

 しかし今の彼女は、いつもの彼女とは違う。余裕のない彼女に彼の様子を察しろというのは、無茶な注文でもあった。

 

 彼女は続ける。

 どれだけ自身がこの世界――――ガンゲイル・オンラインを理解しているか。どれだけ自身が有能であるか、どれだけ自身が彼の役に立てるか力説を始める。

 対して返ってくるのは無言。彼は静かに、恐ろしいほど静かに、静寂すぎるくらい無感情に、彼女の話に黙って耳を傾けていた。

 

 ここで漸く、彼女も気付き始める。

 彼の様子が今までとは違うものであると。

 しかし、気付いた頃には遅かった。冷ややかに視線で、冷淡に彼はため息を吐いて、彼女が耳を疑うほど冷徹な声色を伴い口を開く。

 

 聞いた事がない。

 耳にしたことがない。

 見たことがない表情を張り付かせて。

 容赦なく未練なく彼は呟いた。

 

 

「オマエの手を借りるまでもねぇ。役立たずが一人増えたところで何も変わらない」

                  「失せろよ。前々から思っていたが、鬱陶しいよオマエ」

 

 

 

 上手く言葉が纏まらない。

 思うように声にならない。

 その眼はまるで、彼の敵に向けられているそれであり、そんな感情をぶつけられたことが、彼女にはなかったから――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 ガンゲイル・オンライン BoB予選

 数分後

 

 

「――――なんのつもりだ?」

「質問の意図が読めねぇな」

 

 

 現在、テーブルを挟んで座っている人物に眼を向けてキリトの問いに、件の人物であるユーキ――――この世界ではモブという少年とも少女とも見た目な彼が答えた。

 明らかに白を切る彼に、キリトは呆れた口調で続けて言う。

 

 

「なんであんなことを言ったんだ?」

「事実だろうが。命のやり取りを知らねぇ女とある程度は経験のあるオレ達。物の優劣なんぞ分かり切ったことだ」

 

 

 だからこそ足手まといである、と彼は断じていた。

 いくらガンゲイル・オンラインを自分達よりも先にプレイしているとはいえ、知識では埋めることの出来ない経験がある。それが身につかないようでは、自分達の足を引っ張ることになると。彼は結論付けていた。

 つまりそれは、先程言ったように命のやり取りに他ならない。

 

 ゲームでの死が現実の死に直結するデスゲーム。

 そんな極限状態に身を置いていたからこそ、必要とし重要視する要素の一つ。

 

 確かに、と。キリトも彼の言い分にも理解を示した。

 普段であればそんな経験など必要がない。命のやり取りなど、平和に過ごす者達にとっては最も必要のない要素の一つといえるだろう。

 

 今回ばかりは違う。

 どういう方法なのか、どのようなトリックを使ったのか、キリト達にはわからないものの、問題の人物――――死銃(デス・ガン)は確実に現実世界に干渉する力を持っている。最悪殺すことも可能としている。

 だからこそ必要になってくる命のやり取りの経験。自分が殺されるかもしれない、という恐怖に打ち勝てる心の強さが必要になってくるのだ。

 

 なるほど。

 そういう意味では、彼が足手まといであると断じた彼女――――シノンを遠ざけた気持もわからないでもない。

 

 

 しかし――――。 

 

 

「本当にそれだけか?」

 

 

 それだけの理由ではないと、キリトは結論付ける。長い付き合いだ、キリトはその程度で彼がシノンを突き放すと思えなかった。

 真っ直ぐに見つめて問い質す。

 

 彼の言い放った言葉の数々は効果が絶大であったようで、シノンは心が折れてしまったのかこの場に既にいない。背を向けてどこかへ走り去ってしまった。ユウキもその後を追ってこの場にはいない。

 

 だからこそ今であった。

 何者もいないこの場だからこそ、彼の本音が引き出せると思った。

 

 モブ(ユーキ)もその辺り察しているのか、足を組み不機嫌そうにキリトをにらみつけて吐き捨ているように。

 

 

「……何が言いてぇんだオマエ?」

「ムキになっているように見えたからな」

 

 

 それでもキリトは譲らない。眼を離すことなくモブ(ユーキ)を見つめて言うも、本人は小馬鹿にするように鼻で笑いキリトの問いを吐き捨てるように。

 

 

「節穴極まったか? オレがムキになって何の得がある?」

「知らないよ。俺にはシノンを巻き込まないように、ムキになっていたようにしか見えなかったよ」

「…………」

 

 

 そこまで言うとキリトは立ち上がる。

 話は終わった。図星を突かれ押し黙った沈黙、それが答えだった。モブ(ユーキ)の真偽を理解した今となっては、座して留まる必要はない。力になれるかわからないが、キリトには放って置けない。何せ彼はそれを経験している。一方的に突き放される痛みを、キリトは既に経験している。

 

 オイ、とモブ(ユーキ)は声をかけて。

 

 

「余計な事をするな」

「余計な事って?」

「……今、オマエがやろうとしていることだ」

「お前の自分勝手な言い分を見逃したんだ。俺のやることも見逃せよ」

 

 

 キリトが二人のやり取りを止めなかったのはそれが理由であった。

 止めることも出来た。口を挟むことも出来た。落ち着くように促すことも出来た。しかし敢えて彼はそれをしなかった。頭を冷やしたところで、時間を置いたところで、モブ(ユーキ)の意見が曲がらないのをわかっているから。

 

 時間を置くことが根本的な解決にならないのなら、違う方法で解決させるしかない。

 そのために、キリトは敢えて傍観者の立場になっていた。こうなった茅場優希は手強い。自分自身がどうなろうが、絶対に歩みを止めることはなく、自分から曲げる事はないだろう。

 ならばどうするか。それは実は至極簡単な事である。シノンが本当に彼に認められたいのなら、彼女自身がそんな簡単なことを実行しなければならない。

 

 故にキリトの最初にやることは、今までモブ(ユーキ)が行ったことを台無しにすること。

 

 つまりはシノンの心を折り、初めて敵意を向け、正体不明な敵がいるBoBから遠ざけるために突き放し作り上げた舞台を――――完膚なきまでに台無しにすることだった。

 

 モブ(ユーキ)もその辺り察している。

 だからこその先の「余計なことをするな」であった。

 

 

「オレが素直に頷くと思っているのか?」

「他のやつなら応じないだろう。でも相手は無駄に律儀なお前だ、自分は好き勝手して、相手のは許さないのは、それこそ筋が通らないんじゃないか?」

「そんなこと知るかよ。ふざけてんのかオマエ?」

「だったら邪魔しろよ。俺だって今回ばかりは納得出来ない」

 

 

 キリトは静かであるが確かに、言葉の節々に怒気を含んでいた。

 今回のモブ(ユーキ)の行動には納得が出来ない。あまりにも自分勝手で、相手のことなど考えていない。それは以前のように、自分達を置いて独りで攻略した彼に被って見えたから。置いてかれる人物の気持など考えなく、勝手に前に進み続けた彼の姿そのものだった。

 だからこそキリトは苛立ちを隠せなかった。偽悪的に振舞うのもいい加減にしろ、と怒鳴りつけたくなるのをグッと堪え、彼が整えた状況をひっくり返すことを選ぶ。

 

 それはモブ(ユーキ)も同じであった。

 自分達と関わらせたことで、シノンが狙われないとも限らない。そうなっては遅いのだ。シノンを守れる保証などなく、どうなるかなど予想もつかない。

 ならば関わらせない方がいい。それが最短で出したモブ(ユーキ)の結論であった。

 

 故に同じであった。

 キリトはモブ(ユーキ)に苛立ちを覚え、モブ(ユーキ)もキリトに憤りを感じる。

 

 だとしても、キリトを止めることは出来なかった。

 キリトの言うとおり、自分が勝手を許されて、自分以外が勝手を許さないのは、確かに筋が通らない。

 

 だからこその舌打ち。

 そっぽを向いてモブ(ユーキ)は忌々しげに。

 

 

「……勝手にしろ。お前が何をしようが無駄なことだ」

「あぁ、助かるよ。精々吠え面かけよ」

「ハッ」

 

 

 引き裂いた笑みを口元に浮かべて、背を向けて遠ざかるキリトを見送る。

 そして口の中で一言。

 

 

 ――無駄だ。

 

 

 そう、無駄である。

 これからのキリトが起こす行動を理解した上で、無駄であると評した。

 確かにキリト達は立ち上がり、諦めずに自分に追いつくことが出来た。それは元々備わっていたから。根底にある強さを、彼や彼女達は持っていたからに他ならない。

 

 しかしシノンは、朝田詩乃は持っているだろうか。答えはNO。確実に彼女には持っていない。

 だからこそ、キリトの言葉では響かない。へし折れた心はそう簡単に戻るものではない。付き合いの長い自分だからこそ断言できる。朝田詩乃が立ち上がり、再び自分の前に現れることは決してありえない。

 

 

 ――丁寧に叩き潰した。

 ――立ち上がれないようにへし折った。

 ――言葉を選んで確実に傷つけるように。

 

 

 反吐が出る。

 自分で選び選択した結末とはいえ、湧き出る嫌悪感。

 一人の女を傷つけて、何が最善の選択なのか、と腸が煮えくり返るほどの怒りを煮えたぎらせていった。

 

 そもそも、巻き込ませて不安であるのなら、彼女を守りながら死銃(デス・ガン)をどうにかすればいい。それで万事解決するのだが、それこそありえなかった。

 キリト達のような“強さ”を持っていれば、それは可能なのかもしれない。だが自分にはそんなものはない、というのが彼の結論であった。低い自己評価で出された結論は最悪なもの、嫌われてもいいから突き放し、無理矢理安全圏に非難させるというもの。

 

 

 ――ユウキは大丈夫だろう。

 ――いざとなればキリトと行動させる。

 ――死銃(デス・ガン)も問題はねぇ。

 ――アイツが処理するのを待っていればいい。

 ――後はオレに出来ることは……。

 

 

 眼を瞑り、見落としがないか、思考の海へと沈んでいく。一手でも読み間違えれば、取り返しのつかないことになる。

 だが浮かぶのは先程のシノンの顔。怯えるように、ありえない物を見るような、否定し縋るような、今にも泣き出しそうな後輩の顔。もう言葉を交わすことのない後輩の顔を見て、胸に突き刺すような痛みを覚えるも。

 

 

「馬鹿が」

 

 

 吐き捨てるように呟くと同時に、握り拳を造り出し、その頬を打ち抜く。

 ゴッ、と鈍い音が予選会場に響き、その大きな音に何事かBoB参加者はモブ(ユーキ)の方へと視線を向けた。

 

 頭が急激に揺れ脳震盪が起きたように、気分が悪くなるのを感じ、視界が狭まり意識が遠のいていく。

 本来ではありえない現象だ。自身を思いっきり殴ったところで、気分が悪くなるなどありえず、アミュスフィアの構造を考えても決して起きない現象だ。仮に万に一つ起きたとしても身体の不調を検知し強制ログアウトされる。

 

 しかしモブ(ユーキ)の身に起きている。

 遅れて痛みが走り、脳震盪が起きたような症状となり、脳が揺れているかのような気持悪さを身体が訴えている。意識を遠のきかけるも歯を食いしばり耐える。

 この程度の苦しみがどうしたのかと。朝田が感じた意味はもっと鋭く抉るものであった筈だ、と。

 

 

「……ッ!」

 

 

 自己から生まれ出る嫌悪感から、彼は再び握り拳を作り、先程とは一際強く己の頬を殴りつける――――。

 

 

 


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