ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~ 作:兵隊
――――どうしてこうなったのか。
何てことはない、何てことはない。簡単な事であった、と“彼”は記憶している。
“彼”は世間一般的に言うと、不良という枠に収まる部類の人間であった。学生の身分であるものの、学校には真面目に行っておらず、飲酒もするし喫煙もする。気に入らないという理由で喧嘩もするし、目障りという理不尽で一般人を殴ったことだってある。そうやって“彼”は自分が赴くまま、本能のまま、理性など働かせることなく、拳を振り回してきた。
そしていつの間にか、この辺りを縄張りとする不良グループの頂点に君臨していた。
今思えばそれも約束された結末だったのかもしれない。何せ“彼”は幼い頃から、小学生の頃からそうだった。
気に入らない女がいた。――――人を殺したことがあるらしい、物静かな女がいた。人を殺した、その真偽など実のところ“彼”にとっては重要ではなかった。要は“彼”は気に入らない存在を貶める大義名分が欲しかったのだ。
“彼”にとって幸運だったのは、人を殺めた気に入らない女を悪に陥れて、それを討伐する自分が正義の味方という図式を簡単に描けたこと。不幸なことは――――。
――どうして、昔の頃を思い出す……?
そうだ、似ているのだ。
昔、“彼”が見た景色と、今の惨状が、とても酷似している。
何てことはなかった。
“彼”はこの辺りでは有名な部類の不良。となれば、付き合ってくる連中も人の道を踏み外している人間なのは必然だろう。
行動を共にする連中も、“彼”と負けず劣らずの性根がねじ曲がっている者達。女性に乱暴した男がいた、酒が入ると暴れ回る男がいた、人のものを直ぐに盗む手癖の悪い男がいて、金のためなら誰とでも一夜を過ごす貞操観念が壊れている女がいた。
そんな連中を纏めるのは、腕っぷしだけで上り詰めた“彼”に他ならない。
“彼”の耳には様々な声が入ってくる。その中でも興味を引いたのが、遠藤という女からの電話であった。前置きはなく、彼女は単刀直入に問う。
――――『あんたさぁ。朝田詩乃ってヤツ知ってるよねぇ?』――――
知ってるも何も、その名前は自分が初めて、他人を陥れた者の名前と同姓同名のモノであり、遠藤の話しを聞いてみると明らかにそれはあの人殺しの名前であった。顔写真も見てみれば、昔の面影が有り――――“彼”好みの女性へと成長を遂げていた。
思わず野卑な笑みを浮かべて、舌舐めずりしてしまう。何せ昔、何度も陥れた女だ。歯向かうこともせず、ただ黙って罵詈雑言を受け入れ、不当な暴力にも立ち向かわなかった弱い女だ。
ならば此度も、今度こそ、邪魔は入らない。あの時とは違い、邪魔者はいない。本当の意味で、朝田詩乃は独りだ。ならば今度こそ屈服させればいい。自分という男の奴隷にして、好き放題蹂躙し、飽きたら捨てればいい。
“彼”はその程度の事しか考えていなかった。
遠藤は脅すだけでいいと言ったが、冗談ではない。組み伏せ、蹂躙し、嬲リ尽くし、今度こそあの人殺しを好きにする。そんなことを、“彼”は考えていた。
そう、なんてことはなく、簡単なことだ。
何せ今回は、生意気に朝田詩乃を守っていた“アイツ”はいない。
目障りな金髪で、それは真っ直ぐに“彼”という敵をにらみつける。どれだけ痛めつけても膝を屈さずに、袋叩きにしても、自分に屈服しなかった。何度も何度も邪魔をしてきた“アイツ”。自分に勝てもしないくせに、歯向かってきた。今はもういない。
だというのに――――。
――何故、俺は“アイツ”を、思い出す……?
“彼”が不幸だったのは、昔と同じように、行く手を阻む――――敵が現れてしまったということ。
遠藤から聞き出したマンション、それはつまり朝田詩乃が住まう住居に他ならない。
そこに向かい、自分の手下と一緒に楽しむ。もちろん、自分が最初で手下にも味あわせてやるのは二回目からだ、と“彼”は勝手に今後の宴の構想を練っていた。
そして、今夜。それを実行するために近所にある廃工場へと“彼”と他五名は集った。後は朝田詩乃のマンションに向かうだけ、であったのだが。
「やぁ、君が――くんかな?」
それは突然現れた。
それも正面から、堂々と、気負う様子もなく、“それ”は“彼”名を確かに呼んだ。
柔和な笑み。自分を含めて、周りには明らかにアウトローな出で立ちをしている中で、“それ”は明らかに浮いている存在と言えた。
長い金髪。後ろに縛り、蒼い瞳はまっすぐと“彼”を射抜いている。
口元には笑みを張り付かせている、だが眼はちっとも笑っていない。そしてどういうわけか――――“それ”を見ていると昔に歯向かってきた名前すら忘れてしまった“アイツ”を想い出す。
「テメェ、何の用だ!? ――さんに何の用だ!」
血気盛んで考えなしに、“彼”の取り巻きの一人が“それ”に近付いて行き、胸倉を掴み上げる。
普通ならば冷静ではいられない。入れ墨をし、体躯が恵まれている男に掴み上げられたのだ。普通ならば慌てふためく状況だ。だがどういうわけか――――。
「ってことは、――くんで合ってるのか。情報通り、さすが寮母さん。蛇の道は蛇って奴だな」
冷静そのもの。むしろ、至ってい平静である。
自身の胸倉を掴んでいる男も、それを見ているだけの“彼”と他四名も、一般人とは違う迫力を放っているというのに、臆することなど微塵もない。
むしろ――――。
「って、これはあの人に失礼か。テメェらみたいなクソと比べるのは」
剣呑な雰囲気を一瞬で纏い、意識を敵対者に向けるモノへと変貌していく。
“彼”が身体を強張らせるのも無理はない。今まで喧嘩してきた者たちに、“それ”のような人間はいなかった。まるで人間と対峙している気になれない。“彼”とて何度も修羅場を潜ってきた。その経験が告げている、何よりも“彼”という人間の本能が警報を鳴らす。アレはヒトではなく――――化物の類であると。
「ここでテメェらが居るってことはよぉ、これから朝田んちに行くってことで合ってるよな?」
ここで“彼”を含めた六人から冷や汗を流す。
どうして知っているのか、などと言った簡単な問いすらも投げる事もできない。下手に返答したが最後、眼の前の化物がどのような行動するか全く読めないからだ。ある者は落ち着きなく、ある者は冷やせを流し、ある者は蛇に睨まれたカエルのように動けない。
しかし化物にはそれだけで充分。千差万別の反応、それだけで把握して口を開く。
「わかった、もういい」
一言。退屈そうに一言だけ呟いて、掴まれていた胸倉をいとも容易く振りほどく。万力で握りしめられていたそれを振りほどき、“彼”の子分の首元を右の片手で握りしめ、本当の意味で片手で持ち上げて。
「ゴミ掃除だ。ちょっとは根性見せろよ?」
人知を超えた膂力。
限界を超えた憤怒が火事場の馬鹿力を引き出しのたのか、右腕の筋肉が悲鳴を上げるのも聞かずに、胸倉をつかんでいた取り巻きの一人を野球ボールのように投げ放つ。
それから巻き上がるのは惨劇にも等しい。
“彼”と他四名も抵抗はした。必死に、拳を握り、中には恐怖で泣きながら、立ち向かう取り巻きもいた。だが全ては無駄。化物にはその抵抗も虚しく、一個の強大な力は何もかもを蹂躙し尽くす。
鉄パイプで殴られようと、角材を振り下ろされようと、化物は止まらない。必ず先手を譲り、正当防衛と言わんばかりに力任せにぶん殴り、蹴り飛ばし、捻り潰していく。実にシンプル、シンプル過ぎる。技などない。格闘ゲームでいうところの、ボタン一つで必殺技が放てる。小難しいコマンドは必要ないと言わんばかりに、化物は殴られては殴り返し、蹴られれば蹴り返していく。
化物から手を出すことはなかった。
必ず先手を譲り、その返しと殴り返していく。その様子は――――恐怖でしかない。
何をやっても無駄であるというかのように、殴るのだから殴り返される覚悟はあるんだろうな、と言わんばかりに。化物は倒れることなく、一撃で殴り蹴り投げ飛ばしていく。
殴られて数十メートル吹き飛ばされた男がいた、蹴られて空高く宙を舞った男がいた、片手で地面に叩きつけられる男がいた。そしていつの間にか――――立っているのは“彼”だけになっていた。
一歩後ろに下がる――――化物は一歩距離を縮める。
悪い夢だと首を振っても――――化物は数メートル先に居て。
立ち向かう気力さえ沸かずに――――いつの間にか“彼”の目の前に化物が立っていた。
そして思い浮かべる。
――――どうしてこうなったのか、と。
「おい」
「ヒィ……」
ここで、化物は口を開いた。
いつの間にか自身の目の前に立っていた。思わず“彼”は短く悲鳴を上げて、たたらを踏みながら後退するも地に尻餅を着いてしまう。
先程まで辺りに響いていた鈍い打撃音は聞こえない。モノを投げる際に聞こえる風切り音も聞こえない。決して弱くなかった連中だ。自分という喧嘩屋には劣るものの、腕っぷしの強さで言えば自分に次いで強いはずの五人だ、と“彼”は思う。
しかし、辺りを支配するのは無音。聞こえると言えば呻き声と、ガチガチと震えて歯を鳴らす“彼”くらいのもの。
結論だけ告げる。
彼らは余すことなく叩きのめされた。目の前で君臨している怪物に、容赦なく、徹底して、執拗なまでに、叩き潰された。
“彼”が悲鳴を上げるのも無理はない。
取り巻きが誰一人逃れることなく地面に転がっている。となると、次の標的など決まっている。この場で意識があり、最低限の戦力である、“彼”自身に他ならない。
戦意などとうの昔に消失している。
それでも意識を保ち、怯えながらも化物を見つめているのは、“彼”の絶対強者だった頃の矜持の名残り。
対して怪物はそれすらもどうでもいい、と。
極めて億劫そうな口調で、苛立ちを隠すことなく、絶対強者だった“彼”に命じた。
「おい、テメェがゴミクズ共の頭だろ? 遠藤って女、知ってるよな?」
「し、知ってる」
「じゃ、呼べ。今すぐ、ここに。ブチ転がされたくなかったらな」
“彼”は迅速だった。
これ以上得体の知れない存在の標的になどなりたくもないし、この場にいるのも御免被る。
だが、何か引っかかる。
懐にしまった携帯電話に手をかけて、ピタリと止まってしまった。
そもそもこの化物の目的は何なのか。どこぞのチームの鉄砲玉というわけでもない。何よりもそんな存在を“彼”が知らない筈がない。ならば何が目的なのか。
――そういえばコイツ、俺達に向かってなんて聞いてきた?
――そう、そうだ。
――朝田、って確かに言ってた。
――それは、つまり……。
化物は朝田詩乃の関係者であり、自分達の行為を止めに来たということになる。
――なんだ、そりゃ。
――そんなつまらない事のために。
――あんな女のせいで。
――俺は存在が傷つけられたってことか……?
傷つけられたとは物理的な意味ではない。もっと抽象的で、曖昧なモノを指している。“彼”は腕っぷしだけで、この辺りの不良達を黙らせてきた。それは逆に言うと、腕っぷしがなければ誰も従えれなかったということに繋がり、一人に臆し、残らず叩きのめされた事実は拭い難い事実だ。
それが世間に露呈したものなら、“彼”は侮られ、今まで築き上げてきたものが瓦解に繋がる。
――ふざけるな。
――ふざけんな……!
――なんで俺が、俺が、朝田なんぞのせいで!
――俺がこんな目に合わなきゃなんねぇんだ……っ!
溢れ出した感情は怒りだ。
恐怖を感じていた心は憤怒で誤魔化され、憤怒が原動力へと繋がり、“彼”を奮い立たせるに至る。
「何だよ、テメェ……!」
「あ?」
ピタリと。
化物の蒼く光る双眸が“彼”を射抜いた。
それはまるで照準だ。的に銃口を合わせるように、ただ引き金を引いて終わるだけの状態。“彼”はその程度の戦力でしかない。それこそ、赤子の手を捻るかの如く、今の化物には造作もなく鏖殺出来る。
しかしその事実に、“彼”本人が気付いてない。
怒りに酔って“彼”は絶望的な状況で奮い立った。それと同時に人として最低限持ち合わせている筈の危機感も怒りによって曇らせる。
「何でテメェはアイツを庇うんだ! アイツは人殺しだぞ!?」
「だから?」
「人を殺したんだ、俺が痛めつけても文句はねぇだろ!」
「だから?」
「お前は知ってんのかよ。アイツは生きてても仕方ねぇことしたんだ。だったら俺が好きにしても――――」
「あぁ――――」
一言だけそう言うと、退屈そうな口調で、感情も込めていない、あくまで平坦な声色で繰り返す。
「――――だから?」
ここで漸く、“彼”の背筋に良くないものが流れた。
寒気にもにた悪寒。予知めいた予感。
“彼”の恐怖は怒りによって誤魔化されたものであるのなら、それ以上の憤怒をぶつけられて恐怖がぶり返すのは必然と言える。
現に“彼”は固まりながら、化物から眼を逸らさない。いいや、逸らせないでいた。目を離したが最後、喉笛を噛み千切られ、見るも無残な姿に変えられる。そんな決定的な連想を“彼”の胸中にはあった。
化物の眼は明らかに異常だった。
辛うじて人間であることが分かっていた蒼い眼は今となっては、全ての闇を食らい尽くすかのような色に変貌し、目を合わせた者の魂を噛み千切るとでも言うかのよう。
先刻まで明らかに違う、化物が本性を表したように。
「確かに、アイツは人を殺した。どんな経緯があろうとどんな事情があろうと、人を殺したが最後、オレ達は碌な死に方をしねぇだろう。穏やかに死ぬにしろ、無様に死に様を晒すにしろ、行き着く先は地獄に決まってる」
そして“彼”は大きな勘違いをしていた。
化物は『朝田を守るために立ち上がった偽善者』であると思っていた。事情も知らない、朝田詩乃という女に気があるだけの、甘い人間だとこの時まで本気で思っていた。
真実――――。
「だが、それが何だ? オマエと何が関係がある? アイツがオマエに何をした?」
朝田詩乃は人殺し。
その事実は曲がらず、誤魔化すことなど出来るわけがない。人として醜悪とも言える罪の一つを犯したと認識した上で、化物は朝田詩乃を見限ることがなかった。
人を殺したのなら、必ず地獄に堕ちる。そう断言した上で、化物は更に続けて言う。
「オレがイラついてんのはそこだ。テメェ一人が憤ってんなら構わねぇ。ンなもん個人の自由、オレがとやかく言う資格はない。だがなぁ、徒党を組んで一人のアイツを扱き下ろすのはどういう了見だ?」
目的が違う。
“彼”の目の前に君臨している化物は聖人君子ではない。女の子が痛い目に合いそうになっている、だから止める。なんて生易しいモノではなかった。
そう。化物がここに君臨したのは、朝田詩乃を守るためでも、“彼”やその取り巻きを止めるためでもない。
「テメェみたいなクソが、どっちにもつかない薄い悪を気取っているゴミが――――今を必死に生きているアイツの邪魔をしてんじゃねぇよ」
化物はただ、気に入らなかっただけだ。
自分の癇に障るゴミを叩き潰しに来ただけ。それだけに過ぎなかった――――。
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2025年6月10日 PM18:15
ダイシーカフェ
「ふぁ、ぁっ……!」
開店準備前のダイシーカフェにて、ギャルソン姿の店員――――茅場優希は小さく欠伸を漏らした。
同時に眼から滲み出るのは涙だ。彼からしてみたら、それは不快な生理現象。気怠そうにあ手のひらで乱暴に拭っていると、横からウェイター姿の幼女――――レベッカが呆れた声で声をかけてくる。
「遅くまでゲームやってるからですよ」
どうやら少女は、優希の寝不足の原因はゲームであると判断したようだ。
それも当然の連想と言えるのかもしれない。何せ数年間、茅場優希という人間は仮想現実に囚われていた。にも関わらず、性懲りもなくVRMMOに興じている現状。現実で待ち続けていたレベッカにして見たら、それこそありえない。どうして死にそうな目に合っておきながら、未だにVRMMOをプレイできるというのか。少女には全く、これっぽっちも、理解が出来なかった。
優希はゲームに夢中。少なくともレベッカからはそういう認識であり、今回の寝不足だってゲームが原因であると思ったのだろう。
対する優希は否定しない。いいや、否定できないと言ったほうが正しいのかもしれない。
夜にかけて深夜、深夜にかけて朝に至るまで、優希は“話し合い”を行っていた。その内容はとてもではないが、小学校低学年であるレベッカに聞かせていい代物ではない。
優希が不良グループを単身で壊滅させて一日も経っていなかった。
朝田詩乃が乱暴される可能性がある。それは聞けば耳を疑う報告であるが、優希はさして驚くモノでもなかった。むしろやっぱりな、と。確信染みたものを感じていた。
確かに、彼は数日前に詩乃に絡んでいた遠藤という女子生徒と数名を脅した。これ以上、朝田に手を出すな、と直に恐怖を叩きつけた。
しかし、その程度で人間の悪意が挫けることがないことを、優希は一番良く理解している。かつて、
だらこそ先手を打った。新川と連絡先を交換したのもそのためだ。いつでも動けるように、逐一情報が耳に入ってくるように、詩乃に危害が及ぶ前に行動出来るように、優希は態勢を整えていた。
そして今、案の定というべきか、遠藤は他の手駒を使い動こうとしていた。
そこからは簡単だ。他人を蹴落としのし上がってきた連中の行動を読み取るなど造作もない。それこそ殺人鬼の思考を読み取るよりも、簡単であった。
縄張りとしている地域を調べ、拠点としている場所を虱潰しに足を運び、いとも簡単に連中を補足することが出来た。
叩き潰し、意志を折り、力の差を見せつけた。あとは話し合うのみ。
男連中は『朝田詩乃』という名を聞くだけで悲鳴を上げるように教育した。それこそ詩乃本人を見たら、気絶する程度にはなっている。
遠藤には詩乃に完全服従を誓わせた。破ったら最後、どうなるのか。それは遠藤が一番良く理解しているだろう。
優希の欠伸は安堵といったニュアンスもある。
保留にしていた雑事がやっと片付いた、といった肩の荷が下りた心境から溢れ出したモノでもある。
――朝田が襲われそうだったから、オレが叩き潰してた。
――なんてコイツには言えないわな。
無論、誰にも言うつもりはなかった。
別に感謝されるためにやったわけでも、尊敬されるためにやったわけでもない。むしろその真逆、誰のためでもなく見ていて目障りだからという理由で優希は行動したに過ぎない。
――しかし、妙だ。
――やけに身体が軽かった。
――もっとボコボコにされると思ったのに、余裕で叩き潰す事が出来た。
――何度も経験がある。
――あの世界で、何度も経験した。
――オレがキレると、それが出来るようになる。
それこそが、心意。
人間の限界を超えた意志が現実を塗り替えるように、不屈の意志が今度は優希という肉体を塗り替えていた。
火事場の馬鹿力。
人間は常に、自身の筋肉にセーブをかけ、本来よりも大幅に小さな力を『全力』と認識させている。しかし、火事などと言った危機的状況に陥ると、脳が肉体の制御を解除され、持てなかった物を持ち上げたり、疲れ知らずの持久力を手に入れることが出来る。
しかしそれは偶発的なもので、危機に陥れば誰もが解除できる代物でもない。
そう、意識的に解除できるものではない。なのにも関わらず、茅場優希という途方もなく強大な意志は、それを無意識でいとも容易く肉体のリミッターを解除させてしまった。
強固な鉄の扉を無理やりこじ開けるように、意識的には絶対開くはずのない扉を、優希はありえない意志の力でこじ開ける。
その結果が、先の戦力差。
人一人を殴り飛ばし、蹴り飛ばし、投げ飛ばす。人知を超えた肉体を手に入れることができた――――ということでもない。
常にリミッターを解除出来ることもなく、今では年相応の平均的な身体能力しか持ち合わせておらず、何よりも――――。
――身体中が、めちゃくちゃ痛い。
指先一つ動かすだけで激痛が走り、歩いただけで冷や汗が流れる。回路が焼き切れているかのような、質の悪い筋肉痛に悩まされていた。
――数分、暴れ回っただけでこのザマだ。
――アレ以上続けてたら、全身の骨が折れてたかもしんねぇ。
――確かに、痛みには耐性がある。
――だがそれはそれ、これはこれ。
――我慢は出来るが、痛くないというわけでは……ないっ!
クワッ、と目を見開いて優希は心の中で断じる。
痛いものは痛いし、キツイものはキツイ。仮想世界でも現実世界でも、全力を出すのは考えものであるらしい。
「……どうかしました?」
怪訝そうな顔でレベッカは優希の顔色を伺いながら問いを投げる。
とはいえ、レベッカは知らない。人知れず、冷や汗をかきながら、黙って痛みと戦っている優希を不審に思うのも無理はないというもの。
筋肉痛が酷くて喋るのも辛い。
なんて些細な事実を優希は口にできなかった。
些細な矜持、小さなプライド。それがあるのなら、どれだけ痛かろうが耐えられると言うかのようには優希は誤魔化しながら。
「……別に。ゲームで寝不足になんてならねぇよ」
「そうですか? ダディは頻繁になってますけど」
「何となく想像つくわ。夢中になったらとことんって感じする。オレの妹も似たようなもんだ」
「木綿季ちゃん、ですか……」
どこか神妙そうな顔で、ポツリとレベッカは呟いた。
迂闊だった。レベッカと木綿季、そこまで仲が良くなかったことを思い出しながら。
「あーっと。オマエら仲悪いんだっけ?」
「別に仲は普通です。木綿季ちゃんは良い子ですし、可愛いですし、私に意地悪する人じゃないです」
「そうなんか? でもその割に、オマエら結構張り合ってるじゃん」
「私が一方的に競争意識を向けているだけです」
それだけ言うとムスッとレベッカはむくれた態度をとった。
実に子供のような態度。小学生とは思えない大人びた考え方をしているものの、実際レベッカはまだ小学校低学年だ。そう考えれば、年相応の反応と言える。
まるで今の少女は以前のように、SAO事件に巻き込まれる前に出会った頃のようで、不思議と懐かしい感覚を優希は抱く。
同時に興味が湧いた。歳不相応であるが、レベッカは大人な考え方を出来るようになった。だがそれでも、木綿季と対峙すると、以前のレベッカに近い状態へと戻ってしまう事実。どうして木綿季にだけ特別なのか。
「何が気に食わない?」
「……」
言うべきか言わないべきか。
レベッカは少しだけ考えて口を開いた。
「ズルいです」
「ズル?」
イマイチ要領を得ないのか優希は首を傾げ、レベッカは小さく頷くと。
「木綿季ちゃんは、ズルいです」
「どういう意味だ?」
「だって、明日奈お姉さんと最初に仲良くなったのは私なのに。いきなりゆーきをお兄ちゃんって呼ぶとか、そんなのズルっ子です……」
むーっ、と頬を膨らませたと思いきや、直ぐにどこか優希の顔色を伺ってレベッカは尋ねた。
「ゆーきはやっぱり、私と木綿季ちゃんが喧嘩したら木綿季ちゃんの味方するんですか?」
「オレはどっちの味方にならねぇよ。オマエらで勝手にしろ」
「妹なのに、ですか?」
「関係ねぇよ。オマエにはオマエの言い分があるんだろ? そこにオレが口を挟む道理はない。木綿季が気に入らねぇのなら、とことんやり合うべきだ」
何も喧嘩して悪いことばかりではない、というのが優希の結論だった。
確かに辛いこともあるし、傷つくこともある。だが本気でぶつかりあった先に、必ず何かが生まれる筈なのだ。かつて、暴走した優希を止めるために、本気で向き合ってくれた明日奈達のように。レベッカにとっても、木綿季にとっても大きな財産となるに違いない。
人として成長する機会があるというのに、見す見す摘み取る理由もなければ、個人の主義主張を押し潰すのは筋が通らない。
だからこそ、優希は中立を保つ。それにレベッカにしろ、木綿季にしろ、自分以外の人間を尊重できる性格だ。最悪なことになどならないだろう、という口にしないもののそういった信頼もある。
優希は後押しするように、レベッカの頭をポンポンと軽く叩いて。
「顔色なんて伺うな。そんな高等技術、オマエには十三年と五ヶ月早い」
「十三年……。長くないですか?」
「ばか。それまでガキらしくワガママ言えってことだよ。今日は明日奈達が遊びに来る。ワガママの練習でもしてろよ」
「明日奈お姉さんが来るってことは、里香お姉さんも来ますか?」
「来るんじゃねぇの? よくわからねぇけど」
「里香お姉さんのお話は為になるので好きです。特に恋愛とか」
「オマエ、そんな話し聞いてんのか?」
はい、とレベッカは力強く頷いて。
「意中の男の子を落とすには外堀から埋めるのが定石、ってお話を前に聞きました。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、ってやつです」
「随分と遠回りな手を使う。将を射んと欲するのなら纏めて馬ごと射っちまえば良くね?」
ズドン、と。
大砲を打ち出すようなジェスチャーをしている優希に、わざとらしくため息をついてレベッカは生暖かい目を向けて。
「ゆーき、そういうところですよ?」
「……ンだその目は。めちゃくちゃムカつくんですけど」
生意気な先輩にどうやって報復してやろうか考えていると、ダイシーカフェの入り口が開いた。
堂々としたものではなく、どこか恐る恐ると言ったように。店内の状況を伺うように、一人の女性が扉を開ける。
メガネを装着し、学校帰りなのだろうか制服を身に纏い、学生鞄を持って現れたのは。
「いらっしゃい。よく来たな」
――――朝田詩乃――――。
~次回~
修羅場(?)