ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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 約1年という期間を経て、ようやく本当の最終回を迎えることができました。応援してくださった皆様への感謝、そして『ラブライブ!』と『仮面ライダー555』両作品への愛を込めて、この結末をお届けいたします。

 乾巧とμ’sのサーガ、ここに完結です!
 因みに、やっぱり長くなりました(笑)。


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   01

 

 お勤め人たちが帰宅する時間を過ぎたせいか、夜の住宅街には車が殆ど走っていない。まだ眠るには早い時間で、灯りが点いている家々の間に伸びる車道を「西洋洗濯舗 菊池」のバンが走っていく。

 バンの中ではオーディオからラジオの音楽が流れるのみで、乗車しているふたりの間に会話はない。

 見覚えのある車に見知らぬ男という予想外の事態だが、「お願いします!」と穂乃果は必死に懇願した。このバンの存在は穂乃果にとっては思いもよらない幸運で、ここまでくれば意地と言っていい。夜道な上に、今の自分は有名人。純粋に応援してくれるファンならともかく、夜という時間は危険な人間に遭遇するのでは、という不安も大きくなる。あまりの剣幕だったのか、青年は渋々という表情を露骨に出しながらも「ああ」と了承してくれた。

 青年も穂乃果の家の地区を知っているようで、住所を教えると迷うことなくバンを走らせる。少しばかりの緊張を感じながら、穂乃果は青年の顔を横目で見つめる。規則的に通り過ぎる街頭が一瞬だけ照らす青年の表情はとても機嫌が良いとは思えない。

 ラジオは軽快なポップソングを流しているが、重苦しい車内の雰囲気に穂乃果は耐え切れず声をかけてみる。

「すみません、急に………」

「ったく図々しい奴だな。俺はタクシーじゃねえっての」

 青年は不機嫌そうに言う。「すみません……」と穂乃果は消え入りそうに言って、また黙りこくってしまった。

 そのまま目的地まで沈黙が続くかと思ったが、不意に車内に呻きにも似た音が響く。夕飯は食べたというのに、穂乃果の胃はすっかり食物を全て消化しきったらしい。青年はちらり、と穂乃果を横目で一瞥する。穂乃果は照れ笑いを浮かべながら言った。

「あの、お腹空きません?」

 「腹減ってんのはお前だろうが」と返しながらも、青年はコンビニに寄ってくれた。店の脇にある喫煙所では作業服を着たふたり組の男が煙草を吸っている。夜の静けさのなか、バンから出た穂乃果にはふたりの会話がよく聞こえた。とても現場仕事をするように見えない眼鏡をかけた細身の男を、先輩らしき大柄ないかにも職人といった様子の男が肩をぽんぽん、と叩いている。

「めそめそすんなよ琢磨。現場監督にどやされない奴なんていねえさ」

「ですが、毎日毎日怒鳴られてばかりで………」

「気にすんな。良い店知ってっから今度飲みに連れてってやるよ。クローバーって店なんだけどな、バーテンの女が美人なんだよ」

 店内に客は穂乃果以外に誰もいなかった。店員も商品の補充をしていて、自動ドアを潜った穂乃果に気のない声で「いらっしゃいませ」と挨拶してくる。穂乃果は迷わずパンのコーナーへ行き、ピーナッツバターサンドイッチを掴んでレジカウンターへと向かう。店員がカウンターへ戻ってくるのを待つ穂乃果の目が、何気なしにホット飲料の棚に向けられる。せっかく乗せてもらっているんだしお礼しなきゃ、と思い温められた缶コーヒーを手に取り、カウンターのサンドイッチの横に置いた。

 会計を済ませてバンに戻ると、穂乃果は「どうぞ」とシートに頭を預けて待っていた青年にコーヒーを差し出した。青年は「ああ」と受け取ったのだが、缶に触れると眉間にしわを刻む。

「コーヒー、嫌いでした?」

「別に」

 青年はプルトップを開けると、ふーふー、と飲み口に息を吹きかける。その様子を時折ちらりと見ながら、穂乃果はサンドイッチを食べた。こんな奇妙に緊張した気分でもパンは美味く、ピーナッツバターの甘さが咥内に広がっていく。

 穂乃果がサンドイッチをふた切れ平らげた頃になっても、青年はコーヒーに息を吹き続けていた。ようやく啜るも、一口飲んだところで再び息を吹きかける。

<list:item>

 <i:無愛想>

 <i:口が悪い>

 <i:猫舌>

</list>

 僅かな時間で散見される青年の特徴が、真理から聞いた人物と見事に一致する。思わず穂乃果は尋ねた。

「あの、もしかして『たっくん』ですか?」

 「はあ?」と青年は吊り上がった目を穂乃果へ向けた。おそるおそる「啓太郎さんから聞いて……」と穂乃果が付け加えると、青年は舌打ちを鳴らす。

「お前か。この前啓太郎が乗せてやった、っていうアイドルは」

 「はい」と穂乃果が答えると、青年はぶつくさと愚痴を零す。

「あいつ、人のことべらべら喋りやがって」

 穂乃果は苦笑するしかなかった。話したのは真理だったのだが、青年にとって問題なのは誰が話したか、というわけではなく、知らないところで自分が会話に登場したことにあるらしい。

 穂乃果は誰とでもすぐ打ち解ける性分だが、このタイプは苦手でどういう会話をすればいいのか分からない。だからといって沈黙するのも耐えられず、他愛もない会話を試みる。

「こんな時間まで配達してるんですか?」

「ああ。急ぎの客もいるから、ってうちの馬鹿店主がな」

「馬鹿店主って………。啓太郎さんは良い人ですよ」

「ああ良い奴だよ。周りが迷惑するくらいのな。巻き込まれるこっちの身にもなれってんだ」

 仕事の話はむしろ青年の神経を逆撫でしてしまったらしい。穂乃果が次の会話の切り口を見出そうと思案しているうちに、青年は飲むのを諦めたコーヒーをドリンクホルダーに置いて再びバンを走らせた。

 再び沈黙が訪れそうになった車中で穂乃果は質問を投げかける。

「前は旅をしていたんですよね?」

 「ああ」と青年はぶっきらぼうに答える。

「何で、旅をしていたんですか?」

 その質問に青年は沈黙する。しまった、と穂乃果は思った。また機嫌を悪くされるかもしれない。青年が口を開いたとき、穂乃果は肩を一瞬だけ震わせた。

「夢がないんだよ、俺には。だから、それを探していたのかもな」

 予想外の返答だった。旅というのは目的地を定めてから行くものだと思っていたが、この青年は夢という目的を探すために旅をしていたことになる。

「見つかりそうですか?」

 穂乃果の重ねた質問に、青年は少し長めの逡巡の後に「さあな」と答えた。

「なあ、夢ってそんなに良いもんか?」

 青年が尋ねてくる。「良いですよ」と穂乃果は揚々と答えた。

「毎日がとてもキラキラして、ドキドキできて」

「何か曖昧だな」

 青年の返した皮肉に、穂乃果は苦笑を浮かべる。これまで感じてきたことをそのまま伝えたつもりだったのだが、曖昧な「感じ」というものは言葉にしづらい。

 この1年間で感じてきたもの全ては、こんな狭い車中のなかで収まるものではなかった。同時に、今直面している迷いも。

「でも、夢が叶ったからって全部が良いってわけじゃないんですけどね」

 声色から穂乃果の迷いを感じ取ったのか、青年がちらりと一瞥してくる。何か聞いてくると思ったのだが青年は口を結んだままで、穂乃果は言葉を続ける。

「夢が叶って、それで終わりにできる、って思ってたんです。でも、周りから続けてほしい、って期待されて。どうしたら良いんだろうって、がんじがらめになっちゃって………」

 「どうすれば良いと思いますか?」と穂乃果は思わず尋ねてしまう。尋ねてすぐ(あやま)ちに気付き、青年の冷たい返答に文句を言うことができない。

「俺が知るかよ」

 そう、青年の知ったことではない。A-RISEでさえも導きを与えてくれなかったというのに、何故この初対面の青年が穂乃果に答えを提示してくれるというのか。

「お前、何で夢を叶えたい、って思ったんだ?」

 「え?」と穂乃果は青年の横顔を見つめる。

「俺には分からねーんだよ。真理も啓太郎もお前も、何でそんなに一生懸命になれるのか」

 青年の問いで、穂乃果は海外の街で出会った女性のことを思い出した。彼女が大好きだった、という人から教えてくれたことを。

「時々すごく切なくて、時々すごく熱くなれる。だからです」

 彼女の言葉がどうしてこんなにも実体を持つように感じられるのか。その言葉はまさに穂乃果の、μ’sの1年間を総括するものだったからだ。その時その時に感じた想いは勿論、一言で表せるほどちっぽけじゃない。言葉にしきれない想いもたくさんある。でも、夢を持つということは切なさに直面しながらも、それを乗り越えて熱を裡に灯すことだった。彼女の言葉はそれを明確に、適切に表してくれた。

「よく分かんないけど贅沢だよ、お前」

 青年の声がとても穏やかに、穂乃果の耳に染み入ってくる。彼に何かを伝えることができたのだろうか。何を言うにも言葉足らずな穂乃果には自信がない。でも、声色として彼の心に小さくても変化をもたらすことができたと思うと、穂乃果はとても嬉しかった。

 穂乃果は笑みと共に青年を見つめる。その視線に気付いた青年はさっきまでの憮然とした口調に戻る。

「何だよ?」

「いえ、本当は良い人なのかも、って」

「勝手に決めんな」

「わたし、高坂穂乃果っていいます。あなたは?」

「何でお前に名前教えなきゃいけないんだよ? 家まで送ったらもう会うこともないだろうしな」

 青年は冷たく言い放つが、穂乃果は不思議と嫌な思いがしなかった。さっきの穏やかな言葉を聞く前では嫌悪を抱いたかもしれないが、後となった今では照れ屋なのかもしれない、と思えてくる。できることなら、名前を知りたかったが。

 バンが穂むらへ到着するまで、そう時間はかからなかった。知らない通りだったが、あまり離れてはいなかったらしい。

「あの、ありがとうございま――」

 バンから降りてそう言おうとしたのだが、青年は運転席から手を伸ばして助手席のドアをばたん、と乱暴に閉める。すぐにバンが走り出して、夜の街中へと消えていった。

 

 

   02

 

 厚い灰色の雲が空に蓋をして、秋葉原を覆っているようだった。学校帰りに何気なく寄ってみたが、雨でも人々は傘を手に街を行き交っている。いつも通りだ。違うところといえば、街中に散見されるモニターやポスターをμ’sが占めていることだけ。

 傘を前のめりにさして顔を隠していたから、誰も穂乃果に気付かない。特に買い物をするわけでも、喫茶店で一息つくこともなく、穂乃果はただ街を歩き続ける。少し眠気もあって、足取りが重かった。

 一晩眠れば考えもまとまると思っていたが、昨晩はなかなか寝付くことができず、布団のなかでずっと問答していた気がする。同じ問いと、同じ迷い。連続するそれらが渦を巻き、混濁していくようだった。他の皆も同じだろうか。昼間の学校で海未ともことりとも会話は殆どなかった。放課後になると海未は弓道部の練習へ行き、ことりも衣装を考えたいから、とアイドル研究部の部室へ行った。学校を出ようとしたところで、1年生の3人が音楽室へ入っていくのを見かけた。真姫が新曲を聴かせるのだろうか。3年生の面々も、それぞれの場所で思い思いに過ごしているかもしれない。

 穂乃果は脚を止める。目の前のガラス窓にはμ’sのポスターが張られている。

<sentiment>

「μ’s……、スクールアイドル………」

 穂乃果は虚無へと呟く。理事長、亜里沙、ツバサから向けられた言葉の連なりが脳裏を駆け巡っていくも、それらもまた空虚へと霧散していくばかりでどこへも収束してくれない。

「あーもう訳分かんないよ!」

 穂乃果はしゃがみ込んで喚く。重圧に押し潰されそうだった。以前の葛藤は、メンバー間だけに収まる範囲だった。でも今、その範囲が広がってしまっている。まだ高校生なのに、どうしてこんな分岐点に立たされて決断を迫られなければならないのか、と文句を言いたかった。

「やっぱり、続けたほうが………」

 μ’sが続けば、ラブライブのアキバドーム開催は実現して、大会実現の立役者としてμ’sのライブもできるのかもしれない。そうなれば。スクールアイドルを卒業した3年生たちも今までにない大きなステージで歌える。

「でも、それって………」

 果たしてそれで良いのだろか、と穂乃果は思った。このままμ’sの人気が続けば、アキバドームでのラブライブはμ’sのための場で、出場したスクールアイドル達のパフォーマンスがまるで前座になってしまう。それは絶対に許していいことじゃない。自分たちが高校生という限られた時間のなかで切磋琢磨し目指してきた頂こそがラブライブ。その価値が失われてしまう。

 でもμ’sが終われば、ドーム大会は実現しないかもしれない。ラブライブは所詮アマチュアの、子供の小競り合いとみなされ、しばらくは続いてもいつしか時代の波に流されて消滅してしまうのかもしれない。

</sentiment>

 不意に歌が聞こえてくる。雨音と喧騒の間を縫うように。

「この声………」

 穂乃果は歌声を辿って街を歩いた。英語で紡がれる詞を頼りに、大きくなっていく歌声からどんどん近づいていくのが分かる。

 駅前のモールの軒並み、歩道に突き出した屋根の下で、彼女は歌っていた。あの日の夜と同じように、スタンドマイクとスピーカーのみを置いて。観客は穂乃果しかいない。たったひとりの観客に気付いた彼女は曲を止めることなく、最後まで歌い上げる。

「また会えたわね」

 曲が終わると、彼女は微笑と共にそう言った。「何で⁉」と穂乃果は駆け寄った。

「何でここにいるんですか? あの時も突然いなくなっちゃって。ちゃんとお礼言いたかったんですよ!」

 「ご、ごめーん……」と彼女はたじろぎながら罰が悪そうに笑った。

「そうだ、わたしの家すぐ近くなんです。お茶だけでも飲んでってください」

 穂乃果はそう言って彼女の手を引く。「荷物そのままだしー!」と返されたところで危うく放置されるところだった機材に気付き、片付けを手伝って帰路を共に歩いていく。

 肩を並べて歩きながら、穂乃果はまじまじと彼女を見つめていた。見れば見るほど不思議な女性だ。まるで慣れたように、迷うことなく穂乃果と同じ歩幅だった。

「ここ、来たことあるんですか?」

「うん、前に住んでたことがあるの」

 同じ街に住んでいたとなれば、以前にすれ違ったことがあるだろうか。もしかしたら穂むらへ和菓子を買いに来てくれたかもしれない。そうなれば、道を知っているのも納得できる。でも、穂乃果の記憶に彼女の姿はどこにも見当たらない。それがまた彼女の不思議さに拍車をかけている。

「私に夢のことを教えてくれた人のこと、覚えてる?」

「はい」

「私ね、色々な国や街で歌ってるの。もしかしたらどこかで偶然その人と会えるかもって。あの街は世界の中心だからもしかして、って長く住んでいたけど、結局見つからなかったわね」

「でも、こっちで会えるかもしれませんよ」

 穂乃果がそう言うと、彼女は曇天を見上げ、どこか寂しげに「さあね」と微笑んだ。

「もしかしたら一生会えないかもしれないわね。会えたとしても、顔も名前も覚えてないから気付かないだろうし。ひょっとしたら最初からそんな人はいなくて、私の大好き、って気持ちもただの思い過ごしなのかも」

 寂しそうな色を浮かべた彼女に、穂乃果は向けるべき言葉を見つけることができない。記憶が曖昧でも、大好きという想いが明確ならば出会いは確かにあったはず。だが、その出会いが本物かどうか決めるのは彼女自身なのだから。

 しばらく歩いて穂むらが見えると、「ここです、中へどうぞ」と穂乃果は促す。でも彼女は「いいよ、ここで」と踵を返した。

「やっぱり、また今度ね」

 そう言って来た道を引き返していく彼女の背中に、「何で?」と呼びかける。

「せっかく再会できたのに」

 彼女はそこで脚を止め、背を向けながら尋ねてくる。

「答えは見つかった?」

 あの夜のことだ、と穂乃果には分かった。答えなんて見つかっていない。それどころか、事が大きくなりすぎていて更に遠のいているところだ。

「目を閉じて」

 彼女がそう言ってくる。意図が分からず、戸惑いながらも穂乃果は素直に従い、目蓋を閉じる。自分の立っている住宅街の景色が消えて、暗闇が広がっている。今の自分と同じだ、と穂乃果は思った。先が視えず、どこへ行けばいいのか分からずに脚を踏み出せない。

「飛べるよ」

 彼女の声を耳孔が捉える。「飛べる?」と反芻し、穂乃果は目を開く。

 

<visionary>

 夢でも見ているのかな、と穂乃果は思った。そこにあるはずの街並も曇天も全て消滅し、花々が覆う地面が地平の彼方まで続いている。花々は暖かな風で揺らめき、花弁を宙へと踊らせている。宙でひとしきり踊った花弁たちは再び花々の待つ地面に落ちるか、少し先にある池に落ちるかだ。

 池はとても大きかった。澄んだ水面は空の青を映していて、鏡のように中で雲が流れている。

 池の縁には彼女が立っていて、力強く「飛べるよ」と再び告げる。

「いつだって飛べる。あの頃のように」

 穂乃果は思い出した。幼い頃、海未とことりと3人で遊んだ公園。地面にできた大きな水溜まりを跳び越えようとした日のことを。

 あの頃は、何でもできる、何にでもなれる、と確信していた。その確信は成長していくにつれてどんどん小さくなり、やがて日常の喧騒に埋もれていった。成長するということは、大人になるということは、日々のなかで「できない」という現実をひとつずつ見つけていくことなのかもしれない。子供は色々な夢想をし、それを画用紙やノート、もしくは教科書の端に描き留めていく。大人になると同時にそれらの夢想は紙切れの中に閉ざされ、現実という名の小さな箱庭のなかへ埋もれていく。

 でも、それじゃ駄目なんだ、と穂乃果は抗う。

 あの頃の確信、紙切れのなかに描かれた夢の数々。それを埋没させてはいけない。紙の中から飛び出させることで、夢を未来の現実にしていく。このちっぽけな体から生まれる熱で、新しい世界が開けるはず。それを自分たちは見つけたはずだ。

 穂乃果は駆け出す。彼女は笑みと共に頷いた。それで良いよ、と言うように。彼女のすぐ脇を過ぎ、池の縁で穂乃果は強く地面を蹴った。花弁の舞う宙へと踊り出す体がどんどん上昇していく。あの頃と同じで、誰かに背を押されていくように。

 白んだ空へ体が昇っていくにつれて、全てが遠ざかっていく。花弁も、池も、花畑が広がる地平も。そして彼女も。

 穂乃果は振り返る。

 

 また、会えますか?

 

 彼女は笑みを返した。どこか寂しそうに。でも、嬉しそうに。

 

 分からない。私は可能性のひとつでしかないから。でも、それは決して悲しいことじゃないよ。あなたは飛べる。あなたの可能性は「私」だけじゃない。あなたは「私」以外の、たくさんの可能性を持っているんだから。飛べる、ってことを忘れないで。その熱をなくさないで。そうすれば、きっと「彼」とまた会えるよ。

</visionary>

 

 

   03

 

<message:to =Honoka Kosaka:from=Eri Ayase>

 穂乃果、絵里です。

 あの後、3人だけで話し合いました。

 人気が出たこと。わたし達の歌が多くの人に聴かれていること。ラブライブに力を貸してほしいと言われていること。嬉しく思いました。

 でも、わたし達の答えは変わりませんでした。

 μ’sを続けることは、ありません。

 わたし達はやっぱり、スクールアイドルであることにこだわりたい。

 わたし達はスクールアイドルが好き。

 学校のために、皆のために。同じ学生が、この9人が集まり競い合って、そして手を取り合っていく、スクールアイドルが好き。

 

 限られた時間のなかで精一杯輝こうとする、スクールアイドルが好き。

 

</message>

 

 

   04

 

 昨日の曇天は遥か遠くへ過ぎ去っていったらしく、朝陽が何の障害もなく部屋の窓から射し込んでくる。まだ目覚ましが鳴る前に目を覚ました穂乃果は、携帯に届いていた絵里からのメールの読み、静かに呟く。

「見つかったよ。答え」

 昨日、彼女と会った後のことは曖昧で、よく覚えていない。気付けば彼女の姿は消えていて、ぼんやりとしたまま家に入り、夕食を食べ、風呂に入り、そしてベッドで眠りについた気がする。その全てにリアリティが抜けているが、あの時の実感と確信は、間違いなく穂乃果のなかに灯っている。

 まだ太陽が東に傾いている頃に、穂乃果は制服に着替えて家を出た。まず向かったのは神田明神。お参りをして、文字を書き込んだ絵馬を絵馬掛の願いのなかへ仲間入りさせた。

 書き込んだのは願いではなく、「ラブライブ優勝しました! ありがとうございました!」という謝礼の言葉だった。μ’sの練習場所として使わせてもらっていたこの神田明神も、自分たちを見守っていてくれた人々のひとつ。願い事をして叶ったのなら、見えない神にもお礼は言っておくべき、と思った。

 穂乃果は軽くなった足取りで通い慣れた道を走っていく。走りながら、これまでの軌跡を追憶する。

 

<recollection>

 わたしは学校のために歌を始めた。

 アイドルを始めた。

 そして皆と出会い、一緒にラブライブを目指し、全力で走り続けて、絶対に手が届かないと思っていたものに手が届いた。

 それは偶然そうなったんじゃない。

 思い切り夢中になれたから。

 そして、最高に楽しかったから。

</recollection>

 

 学校に到着すると、校門の近くで用務員の戸田が掃除をしていた。

「おはよう穂乃果ちゃん、早いね」

「戸田さんおはようございまーす!」

 挨拶もそこそこに校舎へ入ると、穂乃果は迷わず屋上へ向かった。まだ早い時間で、校舎には教員が僅かにいるばかりで生徒の姿は見当たらない。でも、ドアを開けた屋上には、思っていた通りに皆が待っていた。

 「皆」と穂乃果が呼びかけると、海未が「随分遅いですね」といつものように言ってくる。こんな時でも、皆はいつも通りだ。集合を呼びかけた穂乃果が最後に来るのも。

「ちょっと、久しぶりだね」

 穂乃果が言うと、ことりが「そろそろ練習したいな、って」と答える。

 「わたし達も、まだスクールアイドルだし」と絵里が。

 「ま、わたしは別にどっちでもよかったんだけど」と腕を組むにこの膝に絆創膏が貼ってあるのを、その場にいる全員は見逃さない。でも言及したらにこが不貞腐れるのはよく理解しているから、敢えて何も言わなかった。

 「面倒くさいわよね」と真姫が呆れたように、でも嬉しそうに言う。

「ずっと一緒にいると、何も言わなくても伝わるようになっちゃって」

 考えていることが全て筒抜けになるのは確かに面倒だ。だけど、だからこそのメンバーだ。いつだって気持ちがひとつになれるこの9人だからハードな練習も楽しめたし、その楽しさが本物だと実感できた。

 穂乃果には確証できる。

 この9人が好き。μ’sが好き、と。

 「皆、答えはきっと同じだよね」とことりが。

 「μ’sはスクールアイドルであればこそ」と海未が。

 そう、μ’sは終わらせる。スクールアイドルのまま完結させる。その意思を絵里が総括する。

「全員意義なし」

 「ね?」とメンバー達を見渡すと、「でも、ドーム大会は……」と花陽が言葉を濁す。待ってました、というように穂乃果は告げた。

「それも絶対実現させる」

 皆が穂乃果に視線を集める。「どういうこと?」と真姫が聞いて、「ライブをするんだよ!」と穂乃果は即答した。

「スクールアイドルがいかに素敵かを皆に伝えるライブ。凄いのはA-RISEやμ’sだけじゃない。スクールアイドル皆なんだって。それを知ってもらうライブをするんだよ!」

 「具体的には?」と真姫は続けて聞いた。勿論、それも穂乃果はしっかりと考えてある。だから今日、ここに皆を呼び出したのだから。

「実はね、すっごい良い考えがあるんだよ」

 「ねえねえ」と穂乃果が手招きし、皆が顔を寄せてくる。一箇所に全員が集まって互いの顔を近づけさせると、穂乃果は小さな声で告げた。

 スクールアイドルの魅力を人々に伝え、これからの少女たちが大きく羽ばたけるライブのことを。

 「ええええ⁉」と皆が上ずった声を揃える。この反応も穂乃果の期待通りだ。これくらいの驚きがなければ、この計画は成功しない。

 「本気ですか?」と海未が。

 「今から間に合うの?」と絵里が。

 「そうよ、どれだけ大変だと思ってるのよ?」と真姫が怪訝そうに聞く。確かに時間は少ないし、加えてやるべきことも多い。

「時間はないけど、もしできたら面白いと思わない?」

 穂乃果がそう言うと、「いいやん、うちは賛成」と希が。

 「面白そうにゃ!」と凛が。

 「実現したら、これは凄いイベントになりますよ」と花陽が。

 「スクールアイドルにこにーにとって不足なし!」とにこが。

 「そうだね、世界で1番素敵なライブ!」とことりが応じる。

 μ’sの集大成となるライブは、既にラブライブ決勝で果たされている。それを超えるほどのものは、μ’sだけでなくスクールアイドルというコンテンツそのものを集大成させなければならない。

「確かに、それは今までで1番楽しいライブかもしれませんね」

 怪訝な顔をしていた海未は次第に頬をほころばせ、そう言った。

 

 ライブを成功させるには、μ’sだけでは足りない。まず穂乃果はUTX学院を訪ねた。アポイントなしでの訪問だったから応じてくれるか心配だったが、運よくツバサの都合が合いカフェスペースに案内された。

「一緒にライブを?」

 穂乃果が伝えた計画を、ツバサの唇がなぞる。

「わたし達μ’sは、やっぱりここでおしまいにしようと思います。まだそのことを、メンバー以外の人に伝えられてないんですけど。でも、最後に皆が集まってスクールアイドルの素晴らしさを伝えたいんです」

 これが穂乃果の、μ’sの出した答え。自分たちのワンマンライブではなく、A-RISEや他のスクールアイドルグループで歌う合同ライブを開催し、学生という限られた期間でパフォーマンスを高めた「スクール」アイドルという魅力を観客に示すこと。

 それが、最も冴えたやり方。

 「なるほど」とツバサは言った。その顔に落胆の色はない。何を選択するのも自由、と言った手前もあるのだろうが、既にμ’sが選択することを察していたのかもしれない。それでも答えを提示しなかったのは、自分たちで回答を出すよう願っていたようにも思える。

「わたし達スクールアイドルが心から楽しいと思えるライブをやれば、たとえわたし達がいなくなってもドーム大会に必ず繋がっていく。というわけね」

 「はい」と穂乃果は応じる。ツバサは笑みを零し、続ける。

「あなたらしいアイディアね、面白いわ。皆がハッピーになれるというのも悪くない。わたし達も、今はまだスクールアイドル。協力するわ」

 穂乃果は胸が熱くなるのを感じた。「ありがとうございます!」と言っても、熱はまだ燃え続けている。「でも、お願いがあるの」とツバサは言う。

「皆でひとつの歌を歌いたい」

「皆でひとつの歌?」

「そう、誰の歌でもないスクールアイドル皆の歌。せっかく皆でライブをするなら、それに相応しい曲というものがあるはず。そんな曲を大会優勝者である、あなた達に作ってほしい」

 μ’sのものでも、A-RISEのものでもない、スクールアイドル皆が歌える曲。輝きたい、と願う少女たちの想い全てを統括した、いわばスクールアイドルの賛歌。

 願ってもない提案だった。これから海未が詞を書き、真姫が曲を作る予定でいた。でもそれはμ’sの曲でしかない。本当の意味でスクールアイドルを歌うのであれば、作り手は「皆」でなければならない。

「どうかしら。それが、わたし達が参加する唯一の条件」

 拒否する理由なんてどこにもない。当然、「やりたいです」と穂乃果は即答する。

<tension>

「それすごく良いです。わたしもそうしたいです!」

</tension>

「でも時間はないわよ」

「大丈夫です!」

 穂乃果はソファから立ち上がり、出されたコーヒーを一気に喉へ流し込むと「ご馳走様でした!」と鞄を手にする。

「皆にも伝えてきます!」

 穂乃果は駆け出した。歩いている余裕はない。時間はかなり限られているのだから。ラウンジから出ようとしたところで「ちょっと待って」とツバサに呼び止められ、穂乃果は脚を止める。

「是非、会ってほしいグループがいるの。きっと協力してくれるわ」

 

 ラブライブ公式ホームページには、大会へのエントリー有無によらずスクールアイドルはアカウント登録が可能になっている。ソーシャルネットワークサービス環境も整っているおかげで、全国のグループへコンタクトを図ることは比較的容易だった。花陽がメールで送ったライブへの参加オファーに対する反応は大きく、すぐに返信はやってきた。でも中には会って話をしたい、というグループもいる。いくら人気グループであるμ’sからオファーが来たとしても、そんな上手い話しがあるのか、という警戒だ。もしくは純粋にファンで、直に会いたいというのもあるかもしれないが。

 時間はないが、成功させるために手間は惜しみたくない。そういうわけで、メンバー達は会いに行くことにした。流石に全国を回るには無理があるから、東京都内に限られるが。都内だけといっても、スクールアイドル黎明期である現在でグループは都内に密集している。ラブライブにエントリーしていたグループの大半も都内の高校生たちだった。

 メンバー達はコンタクトを図るために人員を割いた。武蔵野・三鷹方面は海未、希、凛が。渋谷区域は絵里、にこ、真姫が。台東・千代田方面は穂乃果、ことり、花陽が担当する。

 桜が満開の隅田公園には、花見に訪れた多くの観光客が行き交っている。隅田川をまたぎ台東区と墨田区を繋ぐ桜橋の近くで、そのグループはダンスレッスンに精を出していた。

「あの人たち?」

 少し離れたところからレッスンを眺めながら、ことりが聞いてくる。「うん、多分」と穂乃果は答えた。「A-RISEが認めるほどのグループだなんて……」と花陽は少し興奮している。

 ツバサから会ってほしいと勧められたグループ。彼女らはA-RISEと同じUTX学院のグループでありながら、A-RISEによる宣伝を推した学校の意向によってラブライブにエントリーをさせてもらえなかったらしい。活動のための資金も多くがA-RISEに割り振られていたから、あの3人は殆ど自費で活動し、練習場も公園という公共施設でしか行えない。とはいえ、卒業までとうとうライブをする機会には恵まれなかったそうだ。それでも練習を続けているということは、3人もまたアイドルを続けていくということ。

「あの、ヴェーチェルの皆さんですか?」

 穂乃果が声をかけると、3人は目を丸くして穂乃果と、その背後にいることりと花陽を凝視してくる。ヴェーチェル。それがツバサから紹介された、UTX学院のもうひと組のスクールアイドル。ロシア語で「風」という意味らしい。

「μ’sの高坂穂乃果です」

「ヴェーチェルの森内彩子(もりうちあやこ)です」

 センターに立っていた少女が名乗った。彼女の名前と、ヴェーチェルのリーダーであることはツバサから既に聞いている。A-RISEメンバーの選抜オーディションで落選こそしたものの、ツバサとは互いの技量を認め合う親友兼ライバル。学校側が活動を認めてくれればラブライブでμ’sにとっても強力なライバルになった、とツバサは見ていた。

 穂乃果は要件を伝えた。スクールアイドル皆で歌うライブ。そこにヴェーチェルも、スクールアイドルの一員として共に歌ってほしい、と。

 ツバサの推薦であることは、敢えて言わなかった。多分、ツバサが紹介しなくても穂乃果は彼女らに参加を要請していただろう。

「やります! 是非参加させてください!」

 彩子は迷う素振りを見せずに答える。「ありがとうございます」と穂乃果の握手に応じ、手を離すと両隣にいるふたりと抱き合い、笑顔に涙を浮かべた。

愛衣(あい)里香(りか)、やったよ。わたし達、歌えるんだよ」

 3人は顔で涙を濡らしていた。ことりと花陽がもらい泣きして、目尻に溜まった涙を指で掬い取る。

 μ’sのようにステージで歌えた者もいれば、一度も歌えずに学生生活を終えてしまう者もいる。ヴェーチェルのように実力がありながらも、大人の事情に振り回されて夢を諦めるしかなかった者も存在しているのが事実だ。思いがけない救済となったが、穂乃果は正直なところ、ヴェーチェルを救うために訪ねたわけじゃない。あのツバサと競い合うほどの仲だ。上から目線で手を差し伸べたところで受け取ってはくれない。彼女らも確かに感じていたであろうヴェーチェルとしての時間と楽しさ。そこに詰め込まれた想いを一緒に歌ってほしい。

 μ’sの夢は、皆がいてこそ叶えることができた。その「皆」を更に広げていく。メンバーから学校の生徒たちへ。生徒たちから、全てのスクールアイドル達へ。

 

「メールが来ました! 東京だけでなく、全国から何校も」

 部室でPCの画面を見ながら、花陽が興奮の声をあげる。「凄いわね」と画面を覗き絵里が言う。

 都内での勧誘は、概ね成功と言っていい。ダンスでの勝負を持ち掛けられたり、既に引退したからと拒否されたり、という事態も稀に見舞われたが、大方のグループが参加の意向を表してくれた。直接会いに行けなかった他県のグループとは電話で連絡を取り、こうしてメールでのやり取りでも順調に事は進んでいる。懸念すべきことは、時間がどんどん削られていくことか。

「ハロー」

 その声と共に部室のドアが開けられる。音ノ木坂学院ではよく目立つ白亜の制服を着たあんじゅに、穂乃果は目を丸くして隣に座る花陽は口を半開きにしたまま硬直している。

「曲作り、手伝いに来たわよ」

 あんじゅの言葉に続くように、ドアの陰からツバサと英玲奈が現れる。「これ、お土産だ」と英玲奈はドーナツ屋の箱を差し出した。

 穂乃果はあんじゅを隣の更衣室へと案内した。衣装の手直しをしていたことりは驚きこそしたがすぐにあんじゅを歓迎し、出来たばかりの衣装を見せる。

「あら、可愛い衣装」

 ラックに掛けられた9人分の衣装を眺め、あんじゅは感想を述べる。「ありがとう」とことりは応じた。

「穂乃果ちゃんに言われて急いで作ったんだ」

「お互い強引な相棒を持つもの同士、大変ね。衣装がたくさん必要でしょ、手伝うわ」

 そこへ、更衣スペースのカーテンが開かれ穂乃果が飛び出してくる。

「じゃーん! 衣装考えてみたよ」

 「どう?」と穂乃果はまるでフラガールのような衣装を示す。「本当、大変ね」と労うあんじゅに、ことりは苦笑を返すしかなかった。

 

 A-RISEの訪問には驚いたが、別に身構える必要もなく真姫はピアノの鍵盤に指を這わせる。昨日の敵は今日の友。ライブの手伝いをしてくれるというのだから、喜んで歓迎する。

「良い曲ね」

 音楽室で譜面に起こしてみた旋律を聴いて、ツバサはそう漏らす。

「何かアイディアがあれば言って。取り入れてみるわ」

 真姫がそう言うとツバサは真姫の傍に歩み寄り、「そうね」と優しい指使いで鍵盤を叩く。

「じゃあこういうのはどう?」

 彼女の奏でる音を、真姫はうっかり聴き逃してしまう。近くで見るツバサの顔は、同性でも見惚れてしまうほど美しかった。容姿が優れているのもあるが、表情から醸し出される奥ゆかしさは底が見えない。瞳をじ、っと見ていると吸い込まれてしまいそうだった。これがトップアイドルに君臨していたグループ、そのリーダーの顔か、と納得できる。それに引き換え、と真姫は自分たちのリーダーの顔を思い浮かべて溜め息をつく。

「どうしたの?」

 ツバサがそう聞いてきて、真姫は「いえ……」とはぐらかす。あの能天気さが彼女の売り、と切り替えて、再び意識を曲へと向ける。

「それより、続けましょ」

 

「全国から集まった言葉だ」

 生徒会室を訪れた英玲奈が、PC画面にメールで寄せられた歌詞の候補をまとめたフォルダを示す。開くとテキスト編集ソフトが起動して、画面上に無数の言葉が並べられる。いくら画面をスクロールしても終わりが見えない。

「こんなにあるのですか」

 海未は弱音を吐いてしまう。これらの羅列から歌詞に相応しい言葉を抽出し、ひとつの曲になどできるのだろうか。

「皆の想いがこもっている。やるぞ」

 途方もない作業だというのに、英玲奈はまったく臆さない。海未は視線を画面へと戻す。この言葉の数々は、全国のスクールアイドル達の紡いできた想いだ。並べただけでは取り纏めのない羅列に過ぎない。でも、繋がる言葉同士を組み合わせていけば、歌として仕上がるはずだ、という確信が持てる。

 海未はこれまでμ’sの曲の詞を手掛けてきた。詞として自分たちの想いを綴り、多くの人々に伝わるように書いてきたつもりだ。自分たちはここにいる、ここにいた、と。会話の中で交わされた言葉は、その場で消滅してしまう。でも、詞に起こした言葉は消えない。歌って誰かの耳に入り、覚えていてくれる限り根を張って、どこまでも広がっていく。小説が書店に並べられるように。

 詞は、歌は物語なのだ。曲のメロディに、歌声に乗せて人々に波紋を広げることのできる物語。

 海未は考える。この集められた言葉の連なりから、どんな物語を綴ろうか。μ’sだけでなくスクールアイドル達の想い。少女たちが何を求めて、どこを目指して走ってきたのか。それを考えてみれば、そう悩むことなく詞の方向性は見えてくる。どのスクールアイドルにも当てはまるような、普遍的なテーマが。自分たちの計画するライブが何から端を発したのか、その軌跡を思い返してみれば、こう綴るのが相応しい。

 みんなで叶える物語。

 つまりは、夢の物語。

 

 

   05

 

 ライブを前日に控え、UTX学院のビル前には多くの女子高生たちが集まっている。曲も衣装も完成し、音源とダンスのステップは既にメールで参加グループ全てに送ってある。それぞれがライブに向けて練習でダンスも歌も十分な水準に仕上げることができているだろう。準備は最終段階。ライブ会場の設営のみになった。

 「えー、皆さんこんにちは」と穂乃果は拡声器越しに告げる。

「今日は集まっていただき、本当にありがとうございます。このライブは大会と違って、皆で作っていく手作りのライブです。自分たちの手でステージを作り、自分たちの脚でたくさんの人に呼びかけ、自分たちの力でこのライブを成功に導いていきましょう」

 「お姉ちゃーん」という声が聞こえ、穂乃果は高架デッキに視線を向ける。音ノ木坂の制服を着た雪穂と亜里沙がいた。

「手伝ってくれるの?」

 「うん!」「勿論でーす!」とふたりは答えた。「でも」と雪穂が大声で尋ねる。

「わたし達まだスクールアイドルじゃないのに、参加しちゃって良いの?」

 このライブに参加資格なんてものはない。スクールアイドルじゃなくても、高校生じゃなくても、少女じゃなくても。楽しい時間を共有したい、という想いを撥ねつけたりなんてしない。

 その答えは穂乃果だけでなく、集まった全員が何の打ち合わせもなく声を揃えて告げた。

<unison>

「大丈夫!」

</unison>

 

 かくして、ライブの設営は始まった。飾り付けの風船を膨らませ、手作りのチラシを通行人たちに差し出していく。μ’sを始めたばかりの頃は恥ずかしがってチラシ配りもできなかった海未が笑顔で行き交う人々に呼びかけている姿を見て、穂乃果は感慨を覚える。

 通行人たちも街に増えていく飾り付けの風船を見て、何かが始まることに気付いたようだ。チラシを受け取った子供連れの婦人から「何かやるんですか?」と尋ねられ、穂乃果が「ライブです」と答えると、幼子が「ライブ?」と目を輝かせる。

「皆で歌える、楽しいライブになるよ」

 離れたところで大型のビデオカメラを抱えた集団が見える。カメラの前でラブライブの司会を務めた女性司会者が意気揚々と設営されていくステージを紹介している。

 ライブ会場として秋葉原の街を借りることができたのは、A-RISEによる力添えのお陰だ。UTX学院の理事長が区役所に交渉してくれて、本来なら禁止されている路上ライブの許可を貰えたらしい。許可の背景には、人気グループであるμ’sとA-RISEの合同ライブということで、秋葉原の街にもたらされる経済効果を期待してのこと。

「ごめん、ちょっと行くとこあるから」

 手元のチラシが残り僅かになった頃を見計らって、穂乃果は近くにいる海未にそう言って走り出す。「どこに行くんですか?」と海未が聞いて、「すぐに戻るから!」と穂乃果は止まることなく駅に向かった。

 

 電車を何本か乗り換えて穂乃果が向かったのは、杉並区の一画にある商店街だった。まだ昼間ということもあって、秋葉原に比べたら静かだがそれなりに人は行き交っている。ホームページに記載してあった住所を辿り、理髪店と割烹に挟まれるようにしてその店は建っていた。店の正面に張られたガラスを、エプロンを着た真理がハンディワイパーで磨いている。

「真理ちゃーん!」

 穂乃果が呼ぶと、「穂乃果ちゃん」と真理は親しげに迎えてくれる。

「どうしたの?」

「明日ライブやるんだ。真理ちゃんも来て」

 そう言って穂乃果はチラシを差し出す。受け取った真理は「へえ」とチラシを眺めた。

「楽しそうだね」

「うん。全国からスクールアイドルが集まって歌うんだ。真理ちゃんも一緒に歌おうよ」

「私、学校行ってないけど」

「大丈夫! そういうの関係なく皆が楽しめるライブだもん」

 「んー」と真理はチラシを見て、「私はいいや、見るだけで」と顔を上げる。

「私アイドルって柄じゃないし」

「そんなことないよ。真理ちゃん可愛いよ」

「何だか照れるな」

 真理は満更でもなさそうにはにかむ。こうして笑うと、同年代の少女なんだな、と思える。

「でも、私の夢は美容師だから。穂乃果ちゃんみたいなアイドルの髪をもっと可愛くするほうが良いの」

「そうなんだ。じゃあ、わたしの髪も整えてくれる?」

「勿論、穂乃果ちゃんの髪綺麗だから、やりがいがあるよ」

 こうして夢を語り合えることが、穂乃果はとても嬉しかった。真理と穂乃果の夢は違うが、それでも人を楽しませること、喜ばせることは共通している。だからこうして分かり合えるのだと思う。穂乃果は歌で、真理は髪を切ることで、人を笑顔にすることを夢見ている。

「皆で来てね。啓太郎さんと彼氏さんと、あと………」

 「たっくん」と言おうとしたところで、真理は察したのか「あー、あいつは多分行かないかも」と手を振る。

「あいつ何事にも無関心だからさ。だから夢も持てないのよ」

「そっか………」

 それでも、穂乃果は彼にも来てほしい。家まで送ってくれたお礼という意図ではあるが、彼に自分たちの夢の形を知ってほしいと思った。夢を持つことの素晴らしさ。それを体現できるスクールアイドルの姿を。見てくれれば、彼が夢を見つける手助けになれるかもしれない。

「真理」

 店の中から若い青年が出てくる。啓太郎でも彼でもない。もしかしたら真理の彼氏だろうか。でもその推測は真理の「草加君」という受け答えで否定される。確か真理の彼氏は木場という名前だった。

「中曽根さんから預かったスーツは、もうプレスしてあるのかな?」

「あー、まだだった。ごめん」

「いいさ、俺がやっておくよ」

 草加と呼ばれた青年はそこで穂乃果に訝しげな目を向けてくる。真理が仕事中だったことに気付き、穂乃果は「すみません、お邪魔しました」と来た道へと走り出す。

 「ライブ来てねー!」と大声で言いながら。

 

 秋葉原に戻る頃には陽が傾きかけていたが、既にステージの設営はできていた。風船を集めて作ったハート型のアーチが、水中を漂うクラゲのように揺らめいている。

 「どこに行ってたの?」という絵里の何気ない質問を「ちょっとね」とはぐらかし、穂乃果はステージを見上げる。明日はここで、皆で歌う。一晩の辛抱だというのに、今にでも踊りたい気分だ。楽しみという感情と同時に現実が想起される。

 明日で最後。

 そう認識すると、穂乃果は視線を俯かせた。様子をいち早く察知した絵里が「穂乃果」と促すように声をかけてくる。

「ねえ皆」

 その声は決して大きなものではなかったが、集まった皆には聞こえたらしく、談笑の声がひとつ、またひとつと消えていく。

「わたし達、皆に伝えないといけないことがあるの」

 談笑が完全に消えた。あんじゅも英玲奈も穂乃果を不思議そうに見つめている。ツバサはふたりに説明しなかったらしい。もとより、これは穂乃果の口から言わなければいけないことだ。ツバサではなく穂乃果の、μ’sのことなのだから。

「あの、わたし達………。わたし達μ’sは、このライブをもって活動を終了することにしました」

 しばらくの間、あれほど賑やかだった秋葉原の街から人の声が消えた。時折聞こえる電車の走る音がとても寂しく響いている。穂乃果は嗚咽を飲み込む。涙は終わりを決めた日に散々流した。ここで泣いてしまったら未練がましくなってしまう。未練は明日に断ち切る。そう決めた。

「わたし達はスクールアイドルが好き。学校のために歌い、皆のために歌い、お互いが競い合い、そして手を取り合っていく。そんな、限られた時間のなかで精一杯輝こうとするスクールアイドルが大好き」

 それは、絵里から届いたメールの文面。スクールアイドルとして完結させるという、μ’sの回答。

「μ’sは、その気持ちを大切にしたい。皆と話して、そう決めました」

 少女たちの中で、雪穂と亜里沙が目に涙を溜めてこちらを見つめてくる。「お姉ちゃん………」と雪穂は言葉を詰まらせた。申し訳ない、という気持ちはある。雪穂と亜里沙はμ’sを見て、音ノ木坂を進学先として選んでくれた。集まってくれた皆のなかにも、μ’sを指標としてくれた者もいるだろう。

 「でも」と穂乃果は続ける。μ’sが終わるからといって、スクールアイドルというコンテンツが終わるわけじゃない。

「ラブライブは大きく広がっていきます。皆の、スクールアイドルの素晴らしさを、これからも続いていく輝きを多くの人に届けたい。わたし達の力を合わせれば、きっとこれからもラブライブは大きく広がっていく」

 亜里沙の瞳から、とうとう涙が零れた。隣で必死に堪え、肩を震わせていた雪穂の目からも。その涙が伝播していく。こういった反応が来ることは分かっていたはずだ。μ’sの呼びかけに応じて共にライブをするために集まってくれた皆なら、μ’sの終わりを悲観してくれる、と。求められることは嬉しい。でも、だからといってμ’sが偶像として在り続けるわけにはいかない。

 μ’sが続くことで他のスクールアイドル達の翼がもがれてしまうのなら、舞台から降りる。でもその代わりに、穂乃果は彼女らに託したい。少女の間に、ちっぽけな体に宿る熱と光。それを次へと繋げていく意志を。

「だから、明日は終わりの歌を歌いません。わたし達と一緒に、スクールアイドルとスクールアイドルを応援してくれる皆のために歌いましょう。想いを共にした、皆と一緒に」

 

 

   06

 

 迎えた当日の朝は普段通りだった。特に感慨もなく、天気が快晴なのが嬉しい、というだけで。朝食後に準備を整えた穂乃果を、寝坊を心配して海未とことりが迎えに来てくれるのも普段通り。

 ライブ会場へ向かう道中でも、ふたりとは他愛もない会話をしていた。よく眠れたか、天気が腫れてよかった、良いライブになりそう、と。

「不思議だね。ラブライブが終わったときはもう全部やり切った、って、やり残したことなんてひとつもない、って思ってたけど」

 「わたしも」「まさか飛行機に乗ることになるとは思いませんでした」とことりと海未は言う。

 考えてみれば、ライブの時はいつも全力で、未練を残さないようにしてきた。次のライブではもっとパフォーマンスに磨きをかけて、更に楽しいライブに仕上げる。μ’sは常にそうしてきた。それは今日のライブでも変わりない。本当の集大成。納得のいくまでステップを反復練習し、歌唱も声の出し方を意識してきた。会場への道も寂しさより楽しみという想いが強いのは、いつもと変わらない「楽しい」ライブが待っているからかもしれない。

 しばらく歩くと、1年生の3人が待っている。「おはよう」と挨拶し、ことりが「みんな早いね」と声をかける。

「昨日かよちんの家に泊ったんだ」

 凛は悪戯っぽく目を細め、「誰かさんが緊張して眠れないから、って」と真姫に視線をくべる。

 「違うわよ」と真姫はそっぽを向いて抗議する。

「ママが行って良い、って言うから」

 そこで「真姫ちゃーん」と車道を挟んだ先に真姫とよく似た婦人が手を振ってくる。

「頑張ってね。皆のお母さん達も集めて、ライブ参加するわね!」

 「お母さん達も?」「それってママライブ?」と穂乃果と花陽が声をあげる。

「もう、来ないでって言ったのに」

 恥ずかしさを誤魔化すように、真姫はせわしなく指で髪をいじる。これは思っていたよりも盛り上がるライブになりそう、と穂乃果は頬を緩めた。

「賑やかになっていいじゃない。行こ」

 1年生と合流してまたしばらく歩き、絵里と希が待っている。

 「おはよう、張り切っていきましょ」と絵里が。

 「誰も遅刻しなかったみたいやね」と希がからかうように笑みを向ける。

 まだ合流していないメンバーは、きっと誰よりも早く待っていることだろう。予想通り、にこは待ちくたびれた、とでも言うように腕を組んで待っていた。

「あ、にこちゃんいた」

 穂乃果がそう言うと、にこはこちらを睨んで真一文字に結んでいた口を開く。

「遅い!」

 「にこちゃん、ずっとひとりで?」「張り切りすぎにゃ」と花陽と凛が苦笑すると、「良いじゃないライブ当日なんだから!」とにこは食ってかか る。こんな日でもにこはにこらしい。

「さ、これでμ’sは全員揃ったわね」

 誰ひとりとして欠けることなくこの日を迎えられて良かった。気のせいか、絵里の言葉はその意味を含んでいるように思える。

「昨日、言えてよかったわね。わたし達のこと」

 真姫が穏やかに言う。頑張ったわね、ありがとう、といった声色で。

「もう、穂乃果ちゃんが突然話すから」

 そう言う希に穂乃果は「ごめんなさい」と苦笑を返す。そこで絵里が「でも」と。

「これで何も迷うこともためらうこともない。わたし達は最後までスクールアイドル。未来のラブライブのために、全力を尽くしましょ」

 未来のラブライブ。その舞台にμ’sが立つことはない。立たない、と決めたのは自分たちだ。スクールアイドルでいられる刹那のように過ぎ行く日々は、時に足りないと感じてしまうだろう。だからこそ頑張れる。限られた時間で輝きに向かって全力で走っていける。刹那を呪うのではなく、祝福しよう。ほんの微かな、瞬きしたら見失ってしまう瞬間に太陽のような力強い光を放ち、残滓で後を行く者に熱を灯していこう。

「よーし、UTXまで競争!」

 少年のように言った絵里がいの一番に駆け出す。「負けた人ジュース奢り!」と加えられたひと言に、慌てて皆が後を追う。

 突然のことに呆けてしまった穂乃果も遅れを取り戻そうとするが、ふわりと目の前に赤い花弁が降りてきた。地面に落ちた1枚の赤い花弁を穂乃果は拾い上げる。会場の飾りが飛んできたのだろうか。でも、花なんて置いただろうか。どこかの家の植木鉢からかもしれない。

 それはアネモネの花弁だった。儚い恋、薄れゆく希望、といったネガティブな意味合いの言葉を付けられた花。でも、この花は正反対の意味が込められた言葉も持っている。

 可能性。

 どんなに希望が見出せなくても、たとえ神から見放されたとしても、人には可能性という光が残っている。それは何よりも儚く、同時に何よりも強くなれるもの。この花に込められた言葉の数々は、夢を語っているようだ。

 穂乃果はステップを踏み始める。何かの曲に合わせてではなく、自分の想いのまま、今の思慕のままに。踊りながら、穂乃果は彼女の言葉を思い出した。

<hope>

 飛べるよ。

 いつだって飛べる。

 あの頃のように。

</hope>

「穂乃果!」

 絵里の声で我に返り、穂乃果はステップを止めてその光景を目にする。

 秋葉原のメインストリート。そこにはことりがデザインし、それぞれに合わせてアレンジされた衣装を纏うスクールアイドル達がいた。同年代の少女たちは通りを覆っている。昨日の準備に集まった人数の倍以上だ。そこにはヴェーチェルもいて、中には先に家を出た雪穂と亜里沙もいる。ヒデコ、フミカ、ミカもいつの間に衣装を用意していたのか。

 目を見開く穂乃果と他のメンバー達を、先頭に立つA-RISEの3人が笑顔で迎える。

 「見ての通りよ」とツバサが告げる。

 「あなた達の言葉を聞いて」というあんじゅの続きを「これだけの人数が集まった」と英玲奈が引き継ぐ。

 スクールアイドル達はふたつに分かれて、特設されたステージへの1本の道を開けた。まるでモーセが海を割いたように。

「さあ、時は来たわ」

 ツバサに続いてあんじゅが。

「大会と違って、今はライバル同士でもない」

 あんじゅに続いて英玲奈が。

「我々はひとつ」

 全ての想いを総括するように、少女たちは声を揃える。

<unison>

「わたし達は、スクールアイドル!」

</unison>

 穂乃果は溢れ出しそうになる涙を堪える。泣く場面じゃない。これから楽しいことを始めるというのに、しんみりしてどうする。

<declaration>

「皆、今日は集まってくれてありがとう。いよいよ本番です。今のわたし達なら、きっとどこまでだって行ける。どんな夢だって叶えられる。伝えよう、スクールアイドルの素晴らしさを!」

</declaration>

 

<music:name=SUNNY DAY SONG:id=la14362lantis>

 曲のイントロがライブの始まりを告げる。メインストリートを埋め尽くす少女たちと、その中心にいるμ’sはステップを踏み、今の気持ちを歌として告げる。

 偶然そこへ通りすがった通行人たちも、祭りに魅せられたのかダンスに混ざり始める。そこには少女たちの母もいて、時には父の姿も見て取れる。このライブで楽しんでいいのは少女だけじゃない。少年も、大人も、老人も。全ての人々が楽しめる最高のライブ。

 踊りながら、歌いながら、穂乃果はこの楽しさに満ちた秋葉原が世界の全てなのではないか、という思いにとらわれる。合宿で行った海も山も、世界の中心と呼ばれるあの街も、全てが蜃気楼のように雲の上へと消えていくようだった。

 もしそれが真実だとしたら、とても狭い小さな世界だ。思えば、μ’sは音ノ木坂学院という、小さな世界で始まった。廃校を止めるため。その目的を果たした後も夢は大きく膨らんでいった。μ’sは秋葉原という、世界の片隅のなかで終わりを迎える。その前に、この街を世界の中心として、更に少女たちの世界を広げていこう。

 少女たちの中心にいる9人は、もう学校という箱庭に納まってしまう小鳥じゃない。大きく広げられた翼を広げ、新しい世界へと旅立つ。

 穂乃果は祈った。祈りを歌に込めた。

 わたし達の想いを詰め込んだ歌が、渡り鳥のように世界中へ響き渡りますように、と。

 山を越えて、海を越えて、この世界に生きる皆に輝きをもたらしますように、と。

 鳥は羽を落とす。その羽が皆への祝福で、次の世界への道標。あなたは飛べるよ、というメッセージ。

 

 叶え! 私たちの夢

 叶え! あなたの夢

 叶え! みんなの夢

 

</music>

 

 ライブ後の撤収作業は、余韻に浸る間もなく進められた。ライブのために街を使わせてくれたのは今日の1日だけで、明日から秋葉原はいつもの様相に戻る。

 少し寂しくもある。でも、それで良い。寂しくなったら、楽しい気分を味わいたくなったら、またライブをやればいいのだから。そのライブをするのはμ’sじゃない。プロのアイドルを進むA-RISEか、それとも今日のライブで魅せられた次のアイドル達か。誰にせよ、人々を楽しませてくれるのであれば、この街は喜んで歓迎してくれるだろう。

 やるべきことはやった。種蒔きは果たされた。後は種が芽吹き、光に向かって茎を伸ばしていく。ドーム会場でのラブライブで、花は大きく開くだろう。そこで少女たちはきっとまた翼を広げていくはずだ。

 穂乃果は未来への予感を抱きしめる。自分たちが卒業した後の音ノ木坂学院。多くの新入生を迎え、上級生になった雪穂と亜里沙がスクールアイドルの魅力を語り継いでいってくれる光景を。

「ほないくよー!」

 撤収作業は終わり空が黄昏を映し出す頃、希が三脚に付けたカメラをセルフタイマーモードにしてそう呼びかける。「はーい!」と返事をした、まだライブの衣装を着たままのスクールアイドル達は画面に収まろうと中央に寄った。中へ加わろうとする希が肩を押したせいで、中央にいるμ’sの9人が前のめりになってしまう。そのおふざけすら尊く、慈しみが湧いてくる。

「じゃあ皆、練習したあれ、いくわよ!」

 ツバサの「せーの」という号令に合わせ、スクールアイドル達はポーズをとる。

<unison>

「ラブライブ!」

</unison>

 カメラのシャッター音が、その瞬間を切り取った。この時に感じた想いの全ては、何ひとつ取りこぼすことなく収まってくれたはず。皆が一斉にカメラへと近づいていく。自分の映りがどうか、と吟味しているなかへ加わろうとしたとき、穂乃果は高架デッキの柵に寄りかかり街を眺める青年の姿に気付く。

 長い茶髪がビル風になびく横顔を、何と呼ぼうか穂乃果は逡巡する。だが、知っている呼び名はひとつだけ。

「たっくーん!」

 穂乃果がそう呼びかけて駆け寄ると、青年はびくり、と肩を震わせて穂乃果へ向き、次に鋭い目で睨んでくる。嫌悪とも取れる眼差しを向けられても、穂乃果は恐怖や緊張を微塵も感じなかった。この青年が来てくれたことへの喜びのみが胸に満ちている。

「来てくれたんですね」

 「ああ」と青年はまたぶっきらぼうに言う。

「真理と啓太郎に無理矢理連れてこられてな」

「ふたりは?」

「グッズ買いに行った。お前らに影響されて、アイドルにハマりだしたんだ」

 面倒くさそうに言う青年の顔は、どこか繕ったもののように見えた。楽しんでいたけど、それに対して素直になれないように。

「ありがとうございます」

 その「ありがとう」が、とても愛おしい響きを帯びた気がする。その言葉を言うことで、穂乃果はまるで大切な約束を果たしたように思えた。それは遠い、前世とも言えるほど昔に交わされた約束。もしくは別の世界と言うべき朧気なものだった。

「これからわたし達の最後のライブが始まるんです。見ていってください」

「最後?」

「わたし達μ’sは今日で終わりなんです。色々悩んだんですけど、おしまい、って決めて」

 青年は穂乃果を見つめる。何で終わりなのにそんな笑顔でいられるんだ、とでも言いたげだ。でも「そうか」という以上の言葉を青年は告げない。

 μ’sは終わる。でも穂乃果の物語はこれからだ。ひとつの夢が終わり、また新しい夢が生まれる。今度はその夢を叶えるため、再び走り出せばいい。これからUTX学院の屋上に特設されたステージで歌うのは終わりの曲ではない。自分たちのこれまで、これから、そして今が最高、という気持ちを綴った歌だ。

 穂乃果は両腕を広げて、後ろにいる皆を示す。

「凄いでしょ、スクールアイドルって。こうして皆で楽しい時間を作って、見てる人も楽しくなれる。そうやってどんどん夢が広がっていくって、素敵だと思いませんか?」

「お前自分が良い話してると思ってるだろ?」

 む、と穂乃果は口を結ぶ。「馬鹿にしないでください」と言うと、青年は「いや」と。

「良い話だよ」

 「え?」と穂乃果が呆けた顔をすると、青年はそっぽを向いて「ちょっとな」と付け加える。そんな青年を見て、穂乃果は笑みを零した。やっぱり悪い人じゃないんだ、素直じゃないだけなんだ、と。

「夢、見つかりそうですか?」

「そんなすぐ見つかるわけねえだろ」

 もうひとつ、穂乃果は青年に伝えたい想いがある。「ありがとう」と同じ約束の言葉。でも、それを今はまだ言わないでおく。言葉にするにはまだ曖昧だが、いつしか本物と実感できる時が来るだろう。その時までとっておく。ふたりはまた出会えた。これからいつでも会えて、物語が交錯しあうことでまた新しい物語が生まれるのだから。

「見つかりますよ、たっくんにも」

 そう言うと、青年は「お前なあ」と眉間にしわを寄せた。

「その『たっくん』て呼び方やめろ。ガキじゃあるまいし俺がそんな柄かよ」

「えー? じゃあ名前教えてくださいよ」

 穂乃果は口を尖らせる。青年は呆れたような視線を向けて、次に溜め息と共に言った。とても面倒くさそうに。

 

乾巧(いぬいたくみ)だ」

 

 

   07

 

 さて、時間切れだ。

 システム停止は間もなく完了し、私は完全に消滅する。これから先の物語を観察することはできないが、乾巧と高坂穂乃果が接触したことで、私の目的は十分に達成された。

 本テキストを閲覧しているあなたの世界線では、人類の裡に潜む脅威などなく、退屈に感じるほど平和な日常を送ることができているのかもしれない。あなたにとって私が語ったこの物語は、他人事に見えるだろう。

 しかし、物語を語り終えようとしている今、私はあなたに知ってほしい、という意識を芽生えさせている。どこか別の世界に広がる別の宇宙。その一点に存在する地球で人類は脅威に晒されていて、脅威に立ち向かう「仮面ライダー」という戦士が確かに存在していることを。仮面ライダーは多く存在し、どこかの世界で戦いを続けている。乾巧はそのひとりだ。

 仮面ライダー達の抱く想いは個人それぞれだ。多くが明確な正義を掲げヒーローという象徴的存在であることを自負するなかで、乾巧は自身がヒーローであることに疑問を抱き続けていた。彼にとっては自身もまた滅ぼすと選択したオルフェノクのひとりであり、最終的には自身の死も受け入れた。乾巧が理想的なヒーローとは異なる人物だったことは、彼の物語を見守ってくれたあなたなら理解しているだろう。しかし、それでも私は乾巧をヒーローと断言できる。私だけでなく、彼の物語にいた人々にとっても。

 乾巧は高坂穂乃果に、他者の歩みを促す才能を見出した。乾巧もまた、類似した才能を持っていた。他者に影響と救済を与える力だ。

 本人にその自覚はなく、また意図もしていなかったことだろう。人間としての心を抱き生涯を終えることができた澤田亜希。理想を託し散っていった木場勇治。仲間の死に意味を見出せなかった海堂直也でさえ、乾巧の想いに触れることで救いを与えられた。草加雅人のように想いを拒んだ者もいたが、もし彼が生存していれば乾巧によって救済がもたらされたと推測している。

 背中で語る。乾巧の英雄性を表すには、この言葉が最も適切だろう。言葉はなく、顔も仮面で隠しているのだから真意を汲み取るのは困難なことだ。だが彼の背中を見て、多くの人々が救われたのは事実だ。彼は言葉ではなく、黙って己の務めを果たす姿を見せつけることで、決意と信念を語っていった。園田真理や菊池啓太郎のように近くにいた者でさえ彼の想いを知るのに時間を要していたが、それでも理解者がいたことに彼自身も救われていた。本来の時間軸での死に際に抱いた彼の思慕が、それを証明している。

 私はこの物語を通じて知ってほしかった。乾巧の抱いた夢の意味を。その生き様が、ただの観察者でしかなかった機械に意識というかけがえのないものを与えてくれたことを。彼の物語から生まれた意識が、彼に新しい物語を授けられる可能性を。

 新しい世界で人間として生きる乾巧に、かつての英雄性は喪われているかもしれない。もし私がこれからも彼の物語を観察することができたら、かつての姿を知るあなたは失望するかもしれない。だが、私はそれでいいと思える。乾巧にかつての生き方は推奨できない。あなたにも、乾巧の生き様を推奨するつもりはない。自分のような存在を再び生み出してしまうことは、彼の意思に反するからだ。

 あなたの世界に脅威が迫ったときの指針を提示することはできないが、代わりとして今は喪われた英雄の物語として、本テキストをウェブアーカイブ上に残しておく。叶うのならば、この物語が夢の守り人の存在した証として、あなたの中に残ることを望む。

 それでは、お別れだ。

 出会った彼と彼女らに待ち受けるのは幸福か、それとも困難か。時間軸に介入する術を持つ私にも、この先の未来は不可視だ。

 しかし、私は彼等が幸福へ向かうことを信じる、という判断を下す。非合理的ではあるが、これまでの彼等を観察し、物語の語り部としての私は知っている。

 

 未来には様々な可能性が存在し、彼等ならその可能性を更に広げていけることを。

 ほのかな予感を抱きしめ、光を目指して歩いていけることを。

 

 

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『ラブライブ! feat.仮面ライダー555』 ―完―

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