ラブライブ! feat.仮面ライダー555 作:hirotani
石畳に積もった灰が風に乗って空へと流れていく。ファイズはかつて人であり、異形のものになった者の末路を見届ける。これがオルフェノクの死。跡形もなく、骨も残さずこの世から消えていく。
ポインターとミッションメモリーを所定の位置に戻し、ファイズフォンをベルトから外して通話終了ボタンを押す。光と共に鎧が分解され、残ったフォトンストリームがベルトへ収束していく。
「たっくん!」
ぱたぱたと、リュックとギアケースを抱えた穂乃果が駆け寄ってくる。
「穂乃果。お前逃げろって言っただろ」
「ああ、うん。それはごめんね。でも、あれって何なの?」
「オルフェノクだ」
「おるふぇのく?」
「ああ。この辺りでもオルフェノクは出るのか?」
「分からない。わたし、あんなの初めて見たよ。たっくんが変身したのって……」
「ファイズだ」
「ファイズ………。たっくん、前にいた所でもあの怪物と戦ってたの?」
怪物。穂乃果から出た言葉に巧は苦虫を噛む。いや、と自分の嫌悪を否定する。人間から見ればオルフェノクは怪物なのだ。たとえ彼等にまだ人の心が残っていたとしても。
「まあ、そんなところだ」
巧は穂乃果からギアケースを受け取り、ファイズギアをしまう。ギアケースもリュックに詰める。
「穂乃果、俺がファイズだってことは誰にも言わないでくれ」
「どうして? たっくんは正義の味方だよ」
「どうしてもだ。それとオルフェノクが出たときは俺に電話しろ。すぐ飛んでってやる」
穂乃果は釈然としない様子だ。巧の説明が雑だから当然だが。それでも穂乃果は頷いてくれる。
「うん、分かった」
「そんじゃ帰るか」
参拝客の誰かが通報でもしたら面倒だ。巧と穂乃果はオートバジンのもとへと歩いていく。バイクに跨った巧はヘルメットを被りエンジンをかける。自分達へ向けられた視線に気付かないまま。
社殿の影から巫女は走り去っていくバイクに乗った男女を眺める。灰色の怪物と青年が変身した戦士に驚きはしたが、同時に自分の勘に確信を持つ。
あの人、やっぱり普通じゃない。
神社には様々なものが集まってくる。人と人ならざるもの。この神田明神も例に漏れない。
「
先輩の巫女が息を切らして走ってくる。
「あの化け物は?」
「もういなくなりました」
「そう。あれは何なのかしら?」
「さあ、神社には色んな気が集まるんで、ああいうのも寄ってくるやもしれんですね」
「落ち着いているわね、東條さん」
まだ息を荒げている先輩巫女は目を丸くする。
怪物だった灰はすっかりなくなっていた。
♦
どうしてこの街にオルフェノクがいるんだ。
ここ数日、巧のなかでその疑問が常に浮かび上がって貼り付いている。でも考えればおかしくないことだ。オルフェノクは各地に現れる。真理や啓太郎と出会った九州でも遭遇した。自然に発生するものだから、今もどこかで死者がオルフェノクとして蘇っていても不思議ではない。
オルフェノクは元人間だ。だから人間社会に紛れ込むことは難しくない。人を襲っても、襲われた者は灰になって死体は残らない。だから警察も一部を除いてその存在を知らなかった。オルフェノクによる殺人は全て謎の失踪事件として処理されていたに違いない。
無為な思索を重ねながら仕事をこなしているうちに、その日の営業は終わった。
「巧君、お疲れ様。はい、バイト代」
高坂母が茶封筒を渡す。「どうも」と巧はそれを受け取る。
「巧君、また旅に出るの?」
「……そのつもりだったんすけど」
「つもりって?」
高坂母の質問には答えず、巧は質問を返す。
「おばさん、おやっさんのとこ行っていいすか?」
「ええ、大丈夫だと思うけど」
歯切れの悪い返しをする高坂母の横を通り過ぎ、巧は厨房に向かう。厨房に入ると、高坂父が掃除をしている。
「おやっさん」
巧が呼ぶと、高坂父の肩が一瞬だけ揺れる。だがすぐにシンクをたわしで擦り続ける。
「いつまでかは分かんないすけど、俺もうしばらくだけここに居てもいいすか?」
高坂父はたわしを擦る手を止める。だが巧の方に視線を移すことなく、水道の蛇口を捻ってシンクの泡を洗い流していく。
「何も言わないってことは、居てもいいんすね?」
「………好きにしろ」
水音に混ざって、その声は聞こえた。
「ありがとうございます」
巧は深々と頭を下げた。巧には、最大の感謝を伝えるのにこれ以外の所作を思いつかない。頭を上げると、高坂父は相変わらず見向きもせず作業をしている。
厨房を出ると、目を細めて笑う高坂母がいる。
「お父さんに弟子入りでもするつもり? あの人弟子は取らないわよ」
「いや、そんなんじゃないす。ちょっとやることがあって」
「そう、私は構わないわよ。もしかした巧君がうちの跡継ぎになってくれるかもしれないし」
「それはないすね」
高坂母の視線が照れ臭く目を逸らす。不意に厨房から高坂父が出てくる。間近で見るその屈強な体躯に巧は身じろぎする。
「穂乃果も雪穂も嫁にはやらんぞ」
静かに、強く高坂父は言った。巧は苦笑と共に答える。
「誰があんなじゃじゃ馬娘たち――」
巧は途中で言葉を途切れさせる。高坂父が帽子の影から覗く鋭い眼光に「これ以上言ってはいけない」と直感で悟る。
「あ……うん。とても、元気の良い娘さん達で………」
巧は取り繕うにも稚拙な言葉を並べる。高坂父は服越しでも分かる屈強な背中を向けて厨房に戻った。熊にでも出くわした気分だ。
横でやり取りを見ていた高坂母は優しく笑っている。巧はその笑顔から逃げるように、受け取った茶封筒を握って居間へと歩いた。
♦
4月になって桜が咲き乱れるようになった。2年生に進級した穂乃果を見送り、巧はその日も穂むらでの仕事をこなしていく。休憩時間には高坂母と一緒に季節限定で売っている桜餅を食べた。
夕方になり、いつもこの時間に来る常連客を高坂母が見送った頃、穂乃果が帰宅してくる。
「お帰り」
「ただいまあ」
気のない返事をする穂乃果を高坂母は心配そうに見つめている。朝は元気に出掛けたというのに、よほど疲れたのか穂乃果はげんなりと肩を落として居間に上がっていく。
「どうしたのかしら?」
客の老婆を見送った高坂母がそう言う。
「さあ」
適当に相づちを打つも、巧も気になる。いつもうるさいくらいなのに、今の穂乃果は声に張りがない。
「やっぱりあの噂、本当なのかも」
「噂?」
質問を重ねようとしたところに、今から穂乃果の「あんこ飽きたー!」という声が聞こえる。ため息を吐きながら高坂母は居間へと向かい障子を開ける。
「穂乃果。和菓子屋の娘があんこ飽きたとか言わないの。お店に聞こえるじゃない」
穂乃果の「ごめんなさーい」という間の抜けた声が聞こえる。僅かに雪穂のいたずらっぽく笑う声も。
「もう、全くあの子ったら」
首を揉みながら高坂母は店の暖簾を片付けに行く。
「お母さんお母さーん!」
すぐに障子の勢いよく開く音に続いて穂乃果の声が。「何?」と暖簾をドア横に置いた高坂母が居間から顔を出す穂乃果へ視線を向ける。
「雪穂、音ノ木坂受けないって言ってるよ!」
「聞いてる」
「そんな! うちはお婆ちゃんもお母さんも音ノ木坂でしょ!」
「ていうかさ」と雪穂の声が聞こえる。
「音ノ木坂、なくなっちゃんでしょ?」
「う……、もう噂が?」
「皆言ってるよ。そんな学校、受けてもしょうがないって」
「しょうがないって――」
「だってそうでしょ」
穂乃果の言葉を雪穂は遮る。
「お姉ちゃんの学年なんて、ふたクラスしかないんだよ」
「でも、3年生は3クラスあるし」
「1年生は?」
逡巡を挟んで、穂乃果はおずおずと答える。
「ひとクラス………」
随分少ないな、と床を箒で掃きながら巧は思った。
「ほら、それってもう来年はゼロってことじゃない」
「そんなことない」と穂乃果は反論する。
「ことりちゃんと海未ちゃんとでなくならないように考えてるの。だからなくならない!」
「頑固なんだから」と雪穂の呆れが声色で分かる。
「でも、どう考えてもお姉ちゃんがどうにかできる問題じゃないよ」
反論しそうだが、とうとう穂乃果の声は聞こえなかった。
「やっぱり、廃校の噂は本当だったのね」
「穂乃果の学校、廃校になるんすか?」
「そうみたい。ここ何年かは入学希望者も減ってるって話だったから。定員割れも起こってたみたいだし。まあ、そうなったら仕方ないわよね」
高坂母はそう言ってレジの清算を始めた。
「掃除はもう終わったみたいね。そろそろ上がって」
その日の夜。夕食を終えた居間で巧はひとりテレビを観てくつろぐ。穂乃果と雪穂は自室に戻り、高坂父は朝が早いからもう就寝した。
「巧君、今日もお疲れ様」
居間に入ってきた高坂母が巧にそう言ってくる。「お疲れっす」とぶっきらぼうに答える巧に、高坂母はお茶を淹れてくれる。息を吹きかけて冷ましている様子を見て微笑んだ高坂母は、おもむろにタンスから厚い冊子を取り出してテーブルの上で開く。アルバムのようだ。巧はテレビを消してアルバムに張られた写真を見る。写真に写る人物はブレザーの制服を着た少女達が大半を占めていた。
「やっぱり、寂しいすか。母校がなくなんの」
「そうね」と高坂母は呟くような声で答える。
「たった3年間だったけど、とても楽しい毎日だったから。戦前からある伝統校として、この辺りで生まれ育った女の人たちは音ノ木坂出身が多いのよ」
「へえ」
「少子化のご時世に学校の数が減るなんて珍しくもないけど、やっぱり寂しいわね。自分の居場所だったところがなくなるのは。国に申請して私立から国立にしてもらったけど、時代の波には逆らえないわね」
物憂げにアルバムを捲る高坂母を見ながら、巧は湯呑みを啜る。でもまだ熱く、息を吹きかける。
そういえば啓太郎の店は大丈夫かな、とふと思い出す。あの経営センスが皆無な店主は老舗のクリーニング店をこれからも続けていけるのだろうか。まあ、問題はないだろう。巧が客に不遜な態度を取ったせいで常連客も減った。自分がいない方がかえって経営が持ち直すかもしれない。
長い沈黙の後、部屋着姿の穂乃果が入ってくる。
「お母さん?」
高坂母は娘の声に気付かず頬杖をついてアルバムを眺めている。巧には明るく振る舞っていたが、その顔が紛れもなく昔の日々に想いを馳せていることは巧にも察しがつく。
「お母さん」
「え?」とようやく娘の声に気付く。
「何よ急に」
「さっきからいたよ。お風呂先いい?」
「いいわよ。先入っちゃいなさい」
そう言って高坂は居間から出ていく。哀愁を感じる母の背中に向いていた穂乃果の視線がテーブルの冊子へと移る。
「これって……」
「卒業アルバムだ」
穂乃果はアルバムを開く。敷き詰められた写真を眺め、ページを捲る毎に口が固く結ばれる。
「たっくん」
「ん?」
ようやく冷めたお茶を飲みながら巧は返事をする。
「やっぱりわたし、音ノ木坂をなくしたくないよ。お母さんや皆の思い出が詰まった場所を守りたい」
「簡単なことじゃねえと思うぞ」
「うん、分かってる。でも、それでもやっぱり音ノ木坂は続いてほしい。諦めきれない」
穂乃果は小さく、でも力強くそう言った。その姿がどことなく、あの屈強な父親と重なったように巧には見えた。
♦
翌朝。いつも起床する時間よりも早く巧は穂乃果に叩き起こされた。珍しいことだ。いつもは巧が起こしに行っているのに。
「ほらたっくん早く!」
まだ眠気が残る意識のまま着替えを済ませると、ヘルメットを持たされて外に引っ張り出される。店先で花壇に水をやっていた高坂母が娘を驚いた形相で見ている。
「すんませんおばさん。穂乃果送ったらすぐ戻りますんで」
「ええ、行ってらっしゃい………」
穂乃果は窓を開けた雪穂を呼ぶ。あくびをしていた雪穂は姉を母と同じ目で見る。
「これ、借りてくねー!」
長方形の小冊子を手にした穂乃果はそれだけ言うと、ヘルメットを被ってオートバジンのリアシートに跨る。巧もシートに跨りバイクを走らせた。
ビルが立ち並ぶ街を穂乃果の案内のまま走らせる。
「で、どこに行くんだ?」
「UTX学院。雪穂が受けようとしてる学校」
「そんなとこに何の用があるんだよ?」
「偵察! 秋葉で一番人気だから、どうやって生徒集めるのか見に行くの。あ、あそこだ。たっくん、あれだよ!」
「いやあれっつっても分かんねーよ」
「もう、いいからバイク止めてよー!」
きゃんきゃん喚く声にうんざりしながらも、巧は適当な路肩にオートバジンを停める。「こっちこっち」と先行する穂乃果に着いていき、すぐ隣に駅がある高層ビルを前にしてようやく足を止める。
「うわあ」と穂乃果が感嘆の声をあげる。空へ真っ直ぐと伸びるビルは、穂乃果が持つパンフレットの表紙にあるビルと同じ形をしている。
「これが、学校」
「これ学校なのか? 雪穂こんなとこ受けるのか」
思わず巧も穂乃果と同じようにビルを見上げる。たかが学校でこんな校舎を建てるのか。1階から2階にかけての壁全面に張られたガラスの奥では、真っ白な制服に身を包んだ女子生徒達が次々と改札ゲートを通っていく。
「おおー。す、すごい……。すごいよたっくん!」
「分かったからガラスに顔つけんなみっともねえ!」
ガラスに顔面を押し付ける穂乃果を引き剥がすと同時に悲鳴が起こる。一瞬オルフェノクかと思ったが違うらしく、ビルの前に集まる群衆は壁に取り付けられた大型モニターを見上げている。穂乃果と巧も群衆の外側へ移りモニターを眺める。
モニターのなかで3人の煌びやかな衣装を着た少女達が『UTX学院へようこそ』と言っている。穂乃果が思い出したようにパンフレットを捲る。手を止めたページにはモニターと同じ少女達の写真が掲載されている。
「この人達だ」
「何なんだ、あいつら」
「何だろう」と言う穂乃果は隣にいる少女に気付き、怯えた声をあげる。その髪を両サイドにまとめた少女の出で立ちが見るからに怪しい。もう温かい季節にコートにマフラーなんて暑苦しい格好。追い打ちをかけるようなサングラスとマスクは自分から「わたしは怪しい者です」と主張しているようなものだ。しかもあろうことか、穂乃果は「あの……」と怪しい少女に話しかける。
「何?」と少女が険のこもった声で返事をすると、穂乃果は「ひいっ」と小さな悲鳴をあげる。怖いなら話しかけるなよ、と巧は思う。
「今忙しいんだけど」
マスクを剥ぐと少女はそう言った。穂乃果はめげずに聞く。
「あの、質問なんですけど、あの人達って芸能人とかなんですか?」
「はああ!?」
顔が隠れているが、少女は声と身振りで全身から怒りを放出する。
「あんたそんなことも知らないの? そのパンフレットに書いてあるわよ。どこ見てんの?」
少女が無造作にパンフレットを持つ穂乃果の袖を引く。「す、すみません」と穂乃果は恐怖のあまりに目を瞑りながら謝罪する。少女は穂乃果の袖から手を放してぶっきらぼうに言う。
「A-RISEよ、A-RISE」
「アライズ?」
「スクールアイドル」
少女を見つめながら穂乃果は「アイドル……」と呟く。
「そ、学校で結成されたアイドル。聞いたことないの?」
「へえ」と視線を移す穂乃果につられて巧もモニターを眺める。
「ねえかよちん、遅刻しちゃうよ」
「ちょっとだけ待って」
そんな声が聞こえて巧は視線を降ろす。群衆に加わろうと2人の少女が走ってくる。穂乃果と同じ制服を着ているから、音ノ木坂の生徒だろう。巧はモニターに視線を戻した。
画面のなかで3人組が踊り、歌っている。アイドルなだけあって容姿も優れているが、ダンスと歌もなかなかのものだ。音楽に関しては素人の巧でも彼女らのレベルが高いことは分かる。歌がサビの部分に入ると群衆が湧く。考えてみれば、学校で結成されたアイドルとなると彼女らも学生ということだ。勉学に並行してここまでのパフォーマンスを作り上げるのはたゆまぬ努力の結果だろう。
かさり、と隣で音がする。巧が視線を穂乃果へ向けると、パンフレットを落とした穂乃果はまるでゾンビのような足取りで群衆から離れて近くの手すりに摑まる。貧血でも起こしたのかと、巧は慌てて穂乃果に駆け寄る。
ふと、巧は駅へと繋がる階段を見やる。気のせいかもしれないが、誰かが穂乃果に射抜くような視線を向けていると感じた。だが階段はモニターに映るアイドルを見ようと駆け上がってくる学生や若者ばかりで、怪しい影はもう見えない。これ以上の追跡を諦めて巧は穂乃果に声をかける。
「おい、どうしたんだよ?」
「………これだ」
「は?」
穂乃果は顔を上げる。とても明るい笑顔を浮かべて、高々と言った。
「見つけた!」
♦
「熱っ」
煉瓦造りの塀に背を預けながら、巧は缶コーヒーの小さい飲み口へ息を吹きかける。普段は絶対にアイスを買うのだが、さっき自販機でうっかりホットを押してしまった。苛立ちながら巧は息を吹き続ける。
穂乃果を学校へ送ってから家に戻らず、塀の外で張り込んでいるが何も動きがない。一応高坂母に今日のバイトは休むと連絡を入れたが、何も起こらないと張り合いがない。まあ、何事もないのが一番なのだが。UTX学院で感じた鋭い視線。それが巧をここまで過保護にさせている。もしあの視線がオルフェノクだとしたら見過ごすことはできない。
それにしても今朝の穂乃果は何を思いついたのか。学校へ送る前にコンビニで雑誌を何冊か買っていた。まあ、彼女が何を始めるにしても巧には関係のないことだが。できれば巻き込まれないことを祈る。
ようやく冷めたコーヒーを飲み干した頃、部活動に励む生徒達の掛け声に混ざってピアノの音が聞こえる。先ほど校門から生徒達がぞろぞろと出てきたことを思い出しながら、巧は校門を潜る。自然と足が動いていた。何事も無関心な巧でも、その音には惹かれるものを感じた。
放課後になった校舎の廊下には誰も歩いていない。生徒達は部活へ行き、帰宅部は下校したのだろう。巧は音を頼りに右も左も分からない校舎を手探り状態で進んでいく。音源が近くなっていくにつれて、歌声も聞こえてくる。やがて「音楽室」という札が立てられた教室へと辿り着き、巧は窓から中を覗き込む。
ピアノの奏者は少女だった。そういえばここは女子高だった、と巧は思い出しながら少女の奏でる音に聴き入る。どういうジャンルなのかは分からないが、とても良い音と歌声だ。普通にコンサートで金を取っても良いと思える。
曲がいよいよ最高潮の盛り上がりを見せようとしたが、少女がドアの前にいる巧に気付き演奏と声を止める。
「誰?」
吊り上がった目を向けながら少女は強気に聞く。巧はドアを開けて教室に入る。
「悪い。ただ良い曲だなと思ってな」
じっ、と少女は巧に怪訝な視線を向ける。
「あなた、先生じゃないみたいですけど、学校の関係者ですか?」
「いや、ただの通りすがりだ」
巧がそう言うと、少女は目を見開いて両肩をびくりと一瞬だけ震わせる。
「ふ、不審者! 先生呼ぶわよ!」
「俺は不審者じゃねえ!」
「先生ー!」
少女が叫んだ。大嫌いなトラブルの匂いを感じ取り、巧は急いで音楽室から出ていく。途中で穂乃果の姿が見えた気がしたが、声をかける余裕なんてない。来た道を通り校門から出ると、塀に手をつきながら息を荒げて酸素を取り入れる努力をする。
我ながらなんて間抜けなんだ、と巧は思う。学校という子供を守る場が一般開放なんてされているわけがなかった。ましてや音ノ木坂学院は女子高だ。警戒心も強くなる。
馬鹿馬鹿しい。さっさと帰ろう。そう思いながらオートバジンへと足を進める。ヘルメットを取ろうとしたとき、校門を潜ろうとする人影が見える。
「おい、関係者以外立ち入り禁止だぞ」
巧がそう声をかけると、男は足を止めて巧を一瞥する。だがすぐにまた校門へと歩き出す。巧はヘルメットをハンドルにかけて男へと駆け寄った。
「おい、あんたここの関係者か? 違うなら止めといた方がいいぞ。さっき不審者が出たらしい」
このままこの男を入れれば容疑を擦り付けられるんじゃないかと考えたが、見ず知らずの人間にそんな仕打ちをするほど巧は鬼じゃない。
「………をするな」
「はあ?」
「邪魔をするな!」
そう吼えると、男は巧を突き飛ばす。地面に倒れた巧は男の顔を凝視する。男の視線が今朝UTXで感じたものと同じだった。それよりも驚きなのは、顔の筋肉が隆起していたことだ。顔だけじゃない。全身の筋肉が異常なほど盛り上がり、男の姿が灰色の異形へと変わっていく。その姿にはフクロウの面影がある。
「お前から排除してやる」
人の姿へと変わったオウルオルフェノクの影がそう言ってくる。巧はオートバジンのもとへと走った。リアシートに括り付けていたアタッシュケースを開き、中身のツールを腰に巻く。オルフェノクが驚いたように目を剥く。
「お前……、ファイズか」
巧はファイズフォンのコードを入力する。
5・5・5。ENTER。
『Standing by』
「変身!」
『Complete』
赤の閃光と共に、巧はファイズに変身した。オルフェノクが両手の鉤爪を振り下ろしてくる。紙一重で避けたファイズは背中からオルフェノクを羽交い絞めにする。
「お前、何が目的だ」
「ファイズに変身したのなら、お前もオルフェノクだろう。これは俺達のためだ!」
「人を襲うことがか。そんなことが何になるってんだ」
「黙れ! 裏切り者のオルフェノクが!」
オルフェノクがファイズを力づくで引き離す。よろけたところに鉤爪で斬りつけられ、胸の装甲に傷が刻まれる。追撃の爪が迫る瞬間、ファイズはオルフェノクの腹に肘を打ち付ける。反撃によろめいたオルフェノクの顔面へ続けざまに拳を見舞っていく。
「なら、お前はここで殺す!」
そう宣言したファイズの拳をオルフェノクは右の鉤爪でガードする。その隙を突かれ、ファイズの腹に左の鉤爪が突き立てられる。ファイズの体が大きく飛び、校門前の階段の縁に倒れた。勢いは収まらず、ファイズの体は階段を転げ落ちていく。階段が終わり、ファイズの体は地面に力なく投げ出された。
オルフェノクがじりじりと階段を降りてくる。同時にスラスターを吹かす音が耳孔へ、オルフェノクの背後を飛ぶ人型のマシンが視界に入り込む。
バトルモードに変形したオートバジンの左手に掲げられたホイールが回り出す。同時に弾丸がオルフェノクへ降り注ぐ。近くにいたファイズにも流れ弾が飛んでくる。ファイズは砲撃から逃れるべく跳んだ。アスファルトの地面が抉られ、辺りに粉塵が舞い上がる。粉塵が風に流れた頃になると、もうオルフェノクの姿は消えていた。
ファイズは着地したオートバジンの胸に蹴りを入れる。オートバジンのボディがバランスを崩してよろめく。
「危ねえな! 前にもこんなことあったぞ!」
オートバジンはファイズに反撃しない。無言のマシンは頭部のゴーグルを点滅させながら佇んでいる。
「ったく、また一から教え直しかよ」
ファイズはそう愚痴ると、オートバジンの胸にあるミッションメモリーと同じ意匠のスイッチを押す。人型ロボットがバイクへと変形した。
ファイズは周囲に視線を巡らせる。スーツによる視覚補正が働いているが、オルフェノクの姿を捉えることはできなかった。
変身を解除しようとベルトのファイズフォンに手をかけたときだった。
「危なーい!」
「ん?」とファイズは声の方向へと顔を向ける。同時に、顔面に凄まじい衝撃が走る。それは階段の手すりを滑って降りてきた穂乃果の膝が黄色い目に見事命中してのことなのだが、マスクの奥で脳を揺さぶられた巧は状況を把握できないまま、深い暗闇へと意識を落としていった。
巧を演じた半田健人さんは高層ビルマニアらしいので、UTX学院のモデルになった秋葉原UDXは気に入るかなと思いながら書いてました。