ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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 予約していた映画『虐殺器官』のBlu-rayが届きました!

 『虐殺器官』の原作者である伊藤計劃(いとうけいかく)先生は私が崇拝と言えるほど敬愛する作家さんです。伊藤先生の作品に触れて「言葉」や「物語」というものを意識し始めて読書を嗜み、本サイトでの投稿へと至ります。
 本作にも伊藤先生の著作をオマージュした場面を散りばめているので、興味のある方は是非伊藤先生の作品を読んでみてください。ただし、戦闘描写が生々しいので耐性のない方はご注意を(笑)。


第11話 私たちが決めたこと / 青薔薇の花言葉

 校舎の前に立て掛けられた掲示板の前にたくさんの人々が集まっている。多くがあどけなさの残る少女達で、時折見かける壮年の女性は母親だろうか。掲示板に並ぶ数字の羅列を群衆が睨みつける様子を外縁から眺めながら、巧は不思議な感慨を覚える。

「懐かしいですね、高校の合格発表って」

 巧の隣に立つ絵里がぽつんと言う。絵里の視線は掲示板に集まる受験生のひとりである亜里沙に向けられている。亜里沙の隣には雪穂もいて、2人は肩を並べて自分の受験番号が書かれた紙を手に掲示板を見上げている。音ノ木坂学院はインターネットでの合否判定通知もあるのだが、こうしてわざわざ足を運んで結果を見に来るのはある種の伝統なのかもしれない。

「巧さんは覚えてますか? 合格発表の日のこと」

 「さあな」と巧は素っ気なく答えた。巧の学歴は中卒止まりで、受験なんてものは無縁だった。中学生活が終わる頃、同級生達が張り詰めた雰囲気にいるなか、巧はただぼんやりと過ごしてきた記憶しかない。こうして爆睡していた穂乃果の代わりとして付き添いに来なければ、受験特有の雰囲気を見ることはなかっただろう。

 そういえば、と巧は思い出す。真理が専門学校に進学するとき、合格発表は真理ひとりで行った。啓太郎が付き添いに行くと言ったが真理はこっそりと家を出て、満面の笑みで帰ってきた。多分、彼女のことだから不合格だったときに落ち込んだ顔を見られたくなかったのだろう。あれだけ熱心に勉強と練習を重ねていた真理が不合格になるなんて、啓太郎も巧も微塵も思っていなかったが。

「お前の方は大丈夫なのかよ。大学」

「わたしはもうAOで合格したので、もう受験は終わりなんです」

 AOとは何ぞや、と思ったが深く追求することはせず「そうか」と巧は言う。説明を受けたところで、今更高校にも大学にも行こうだなんて思えない。

「希とにこもセンター試験で無事に合格できましたし、後は卒業を待つだけですね」

 寂しさを帯びた声色で絵里は言った。顔を見ると笑みを浮かべているが、どこか寂しげに見える。このところ、絵里はよくこんな顔をするようになった。絵里だけじゃなく、μ’sのメンバー全員がそうだ。時折寂しそうに俯いて、すぐに何事もなかったかのようにいつもの顔つきに戻る。

 皆、既に理解しているのだ。学校に入る者がいれば、去る者もいるということに。

 「あった!」という雪穂の声が聞こえてくる。続けて「わたしもあった!」という亜里沙の声も。視線をくべると、2人は抱き合っていた。その顔に笑みを浮かべているところを見ると吉報らしい。

 「やったよ。これで音ノ木坂だよ」とわめく亜里沙はまるで子犬のようだ。

「わたし達、音ノ木坂の生徒だよ。μ’sだ! わたし、μ’sだ!」

 亜里沙はとても喜んでいるが、雪穂のほうは至極冷静だ。今くらいは浮かれてもいいはずだが。

「受かったみたいですね」

 絵里はまた寂しげに笑う。

「嬉しくないのか?」

「嬉しいですよ。でも正直、あまり心配はしてなかったんです。模試でも合格圏内に入ってましたし、わたしも勉強見てあげてましたから」

「そうか」

 「お姉ちゃーん!」と亜里沙が人だかりを抜けてこちらに走ってくる。

「μ’sだよ! わたし、μ’sに入る!」

「合格したのね。おめでとう亜里沙」

 絵里は優しい微笑を妹に向けた。亜里沙の興奮はまだ冷め止まず、そんな親友をこちらへ歩いてくる雪穂は絵里と似た寂しげな顔で見つめている。

「受かったのか?」

 巧が聞くと、はっと雪穂は我に返ったように巧を見上げ、「はい」と控え目に笑いながら答える。

「良かったな」

「そこは『おめでとう』って言うところですよ」

「ああ、おめでとう」

「何か嬉しくない言い方ですね」

 雪穂は口を尖らせた。大人ぶっているが、こういったところはまだ子供だ。

 校門前で絢瀬姉妹と別れて帰路につく間も、雪穂は合格の喜びを噛みしめる様子がない。ただぼんやりと宙を見つめたまま、巧の横を歩いている。だからといって何か言ってやることもせず、巧も沈黙を保つ。

「乾さん」

 何の脈絡もなく雪穂は切り出す。

「μ’sって3年生が卒業したら、どうするつもりなんですか?」

 その質問に巧はすぐに答えることができない。μ’sの方針について、巧が意見することはなかった。だから今グループが抱えている問題も、巧が口を出すことはない。

「さあな。穂乃果に聞けよ」

 巧は素っ気なく答えるしかなかった。

 

 ♦

 グラウンドのレーンをただひたすらに走る。ペースを上げ過ぎず下げ過ぎず、一定を保ちながら。これくらいのウォーミングアップで息を切らすことはない。走りながらも脳に酸素は十分に行き渡っていて、考え事をする余裕が持てる。

 ラブライブ本戦まで残り1ヶ月。海未の作成した練習メニューは負荷の少ないものになり、時間も短くなった。完全に休みの日もある。あまり根を詰めすぎるのは良くないと、本戦までは体調管理が最優先という方針だ。パフォーマンスは既に納得がいくまで仕上げてある。後は本番を待つだけ。

 走りながら、穂乃果は呼吸のリズムを意識する。今は練習に集中しよう、と努めながら。それでも、ずっと脳裏には昨日合格発表から帰ってきた雪穂の言葉が貼り付いて離れてくれない。

 

「μ’sって3年生が卒業したら、どうするつもりなの?」

 

 どこか寂しそうな雪穂の質問に、穂乃果は答えることができなかった。巧も何も言わずに店の仕事に入ってしまって、完全に不干渉を貫いた。

「何かあったんですか?」

 ストレッチをしているとき、海未が尋ねてくる。「え?」と返すと、ことりが「顔見たら分かるよ」と。隠していたつもりだったが、幼い頃から一緒にいる2人にはお見通しらしい。穂乃果は正直に言うことにした。

「雪穂にね、3年生卒業したらどうするの、って聞かれちゃって」

 「そっか」とことりはストレッチをするメンバー達を眺める。穂乃果もメンバー達と、グラウンドを囲むように植えられた桜の樹々へと視線をくべる。今は葉が全て落ちているあの枝に花が咲く頃になると、雪穂と亜里沙は音ノ木坂学院に入学する。2人と入れ違いに、絵里と希とにこは卒業する。

 「穂乃果はどう思うんですか?」と海未は尋ねた。

「スクールアイドルは続けていくよ。歌は好きだし、ライブも続けたい」

 「でも………」と詰まる穂乃果の言葉をことりが繋げてくれる。

「μ’sのままで良いかってことだよね?」

 「うん……」と穂乃果は消え入りそうに答えた。「わたしも同じです」と海未が。

「3人が抜けたμ’sをμ’sと言って良いものなのか」

 「そうだよね」とことりも同意する。穂乃果は願う。ずっと9人一緒でいたい。大人になっても、どれだけ歳を重ねても、このメンバーで歌って踊り続けたい。でも時間はそれを許してはくれない。

「何で卒業なんてあるんだろう?」

 今更ながら穂乃果はそんな疑問を抱く。卒業なんて穂乃果も小学校と中学校で経験している。大好きだった先輩を見送るときも、自分が後輩に見送られるときも、寂しいと感じた。でも高校に入ると新しい生活にすっかり慣れてしまって、寂しさも忘れていった。3人がいなくなった後も、そうやって何事もなかったかのように忘却してしまうのだろうか。9人で切磋琢磨し合った日々は過去のものとなって、時間の流れのなかでかつて感じてきた気持ちを少しずつ零しながら生きていくのだろうか。

「続けなさいよ」

 はっきりと、にこが歩み寄りながらそう言ってくる。

「メンバーの卒業や脱退があっても、名前は変えずに続けていく。それがアイドルよ」

 「アイドル……」とことりが反芻する。確かに10年以上も活動を続けているグループなんて、結成当時のメンバーは殆ど残っていない。メンバーがいなくなっても名前を残して活動を続けることは、μ’sにも必要なのか。穂乃果はそんなことを考えてしまう。

「そうやって名前を残してもらうほうが、卒業していくわたし達だって嬉しいの。だから――」

 「その話はラブライブが終わるまでしない約束よ」と希がにこの言葉を遮る。「分かってるわよ」とにこは罰が悪そうに言った。こんなやり取りも何度目だろう。メンバーの間で漂う憂いは頻繁に表面化し、その度にラブライブが終わるまでと蓋をしてきた。希の言う通り、今は本戦に向けてコンディションを整えるべきだ。

 そう思ったところで、花陽がおそるそろる言う。

「本当に、それで良いのかな?」

 気付けば、皆はストレッチを止めて集まっている。ああ、もう目を背けちゃ駄目なんだ、と穂乃果は悟る。

 花陽は続ける。

「だって、亜里沙ちゃんも雪穂ちゃんもμ’sに入るつもりでいるんでしょ。ちゃんと、応えてあげなくて良いのかな? もしわたしが同じ立場なら辛いと思う」

 「かよちんはどう思ってるの?」と凛が尋ねた。

「μ’s続けていきたいの?」

「それは………」

 「何遠慮してるのよ」とにこが口を挟む。

「続けなさいよ。メンバー全員入れ替わるならともかく、あなた達6人は残るんだから」

 にこの言葉が力強く突き刺さってくるようだった。ずっとアイドルになることを夢見て、それを掴んだμ’sはにこにとって特別なグループのはずだ。だから続けてほしいという望みも頷ける。自分がアイドルでいられた居場所を残してほしい。にこはそう言っているのだ。

 「遠慮してるわけじゃないよ」と花陽は返す。

「ただわたしにとってのμ’sってこの9人で、ひとり欠けても違うんじゃないかって」

 なら、終わりにするべきだろうか。その答えが出かけたところで、黙っていた真姫が穏やかに言う。

「わたしも花陽と同じ。でもにこちゃんの言うことも分かる。μ’sという名前を消すのは辛い。だったら、続けていったほうが良いんじゃないかって」

 「でしょ。それで良いのよ」とにこは鼻を鳴らす。

 真姫のジレンマは穂乃果と全く同じだった。廃校を阻止するために結成された9人。音ノ木坂学院の存続という目標を果たし、次なる夢はラブライブで多くの観客に歌を聴いてもらうことへ昇華した。この9人でないと駄目だったのだと思える。同時に、大好きなμ’sという名前を過去の彼方へと放り捨てることは酷だ。この9人だけのためじゃない。

 μ’sに入りたがっている亜里沙と雪穂。応援してくれた音ノ木坂学院の生徒と保護者達。ファンになってくれた観客。ラブライブ優勝を託したA-RISE。そして巧。

 巧はμ’sを、穂乃果達の夢を守るために戦うことを決意してくれた。穂乃果の想像を遥かに超えるであろう苦悩を抱えた末に。巧の守ってくれたμ’sを終わらせてしまって良いものか。

 巧が用事のためにこの場にいなくて良かったと思う。彼なら「お前らで決めろ」と突き放すだろうけど、きっと真剣に考えてくれると穂乃果には分かる。巧に依存してはいけないのだ。μ’sの問題は、μ’sで解決しなければならない。

 「エリちは?」と希は離れたところで佇む絵里へと向く。絵里はしばらく俯き、逡巡の後に穂乃果をじっと見据える。

「わたしは決められない。それを決めるのは穂乃果達なんじゃないかって。わたし達は必ず卒業するの。スクールアイドルを続けることはできない。だから、その後のことを言ってはいけない。わたしはそう思ってる」

 絵里の言葉はまるで針のように鋭かった。突きつけられて、ああ、本当に卒業しちゃうんだ、と穂乃果は遅れた感慨を覚える。そんな寂しいこと言わないでよ、と言いたくなる。でも事実は変わらない。あと1ヶ月もすれば、あの丸裸の樹々が桜の花弁に満ちたら、3人はいなくなる。

 絵里は淡々と告げた。

「決めるのは穂乃果達。それがわたしの考え」

 

 ♦

「スマートブレインは1ヶ月後、ラブライブの会場を襲撃します」

 琢磨は声に何の感情も込めずに言う。ソファに腰掛ける巧も海堂も、特に驚きはしなかった。目的は何となくだが読めている。海堂がそれを告げる。

「客達をオルフェノクにするっちゅーことか」

「ええ。使徒再生で覚醒したオルフェノクを『王』への供物として捧げます」

「用意した餌はもう食い切っちまったからな、王様は。とんだ大飯ぐらいだ」

 海堂がつまらない冗談を飛ばすものだから、まだそれくらいの余裕があると錯覚してしまいそうになる。琢磨はそれを戒めるように、少しだけ神妙な面持ちになる。

「あなたも候補だということを忘れないでください。『王』はあと数体分の補給を受ければ復活するのですから。今生かされている面々も、必要とあれば問答無用で『王』に捧げられるでしょうね」

「なら今すぐにでも倒すべきじゃないのか?」

 巧が言うと、琢磨は明け透けに肩を落とす。またか、と子供の我儘を聞いてやっているように。

「焦りは禁物です。まず先に処理しなければならないこともあるんですよ」

 琢磨はそう言って鞄から出したものをテーブルに置く。紙で簡単に包装されたそれは一輪の、花弁を青く染まらせた薔薇だった。

 「何だこれは?」と巧が尋ねる。「まあ、野郎に花なんざ贈られても気持ちわりーわな」と海堂がにやにやと下品に笑っている。琢磨は呆れを表情に出しながら言う。

「これはオルフェノクのDNAを組み込んだ薔薇です。この薔薇の花粉にはオルフェノク因子が含まれていて、人間の体内に侵入し使徒再生を施します」

 「これが、か?」と巧は青い薔薇を凝視する。一見すれば普通の薔薇だ。青薔薇は自然界には存在しないはずだが、近年に遺伝子組み換えによって開花に成功した、とテレビで観たことがある。

 遺伝子を捻じ曲げられて生まれた花。それは人類の英知の象徴なのか、それとも自然に反旗を翻した罪の象徴なのか。大仰なことを考えてみるも、薔薇が青くなったからといって誰かが迷惑を被ったわけじゃない。愛好家は喜ぶし、薔薇自身は青くされたなんて泣きはしない。

 もっとも、いま巧の目の前にある薔薇は罪へと傾いているだろう。オルフェノクの力と人類の英知が融合してしまった、怪物を生み出す子種だ。

「使徒再生の際、処置を施された人間はオルフェノク因子、即ちオルフェノクの幹細胞を注入されます。しかし成功率は4.17パーセントと低く、スマートブレインは以前から成功率を高めるための研究を続けていました。かつて流星塾生を被験者とした実験もその一環です」

 流星塾生達の体に埋め込まれたオルフェノクの因子。澤田以外はオルフェノクに覚醒しなかったものの、それはベルトの認証を誤魔化すくらいの効力を発揮した。しかし完全ではなく、大半の塾生達はベルトの力に蝕まれ、命を落としてきた。

「実験の結果、村上さんのDNAを組み込んだこの薔薇での使徒再生は10.86パーセントの確率で成功します」

 それでも低いと感じるが、かなりの進歩だ、と巧は思い至る。単純計算で10人にひとりは、この薔薇によってオルフェノクになるのだ。

「奴はまだスマートブレインにいるのか?」

「いえ、村上さんは3年前に亡くなっています。『王』の手によって」

 琢磨が語る事実に、巧は何の感慨も湧かなかった。

 村上峡児(むらかみきょうじ)。もうひとつの姿は薔薇の力を持ったローズオルフェノク。

 スマートブレインを、ひいてはオルフェノクを率いていた男。海堂の言葉を借りるのなら、彼もまたオルフェノクと人間の共存という夢に呪われていたのかもしれない。その呪いはオルフェノクの繁栄という夢へと転化した。

 その最期は目撃していないが、彼ならば喜んで「王」に命を捧げたことだろう。オルフェノクの繁栄を願いながら。村上の願いも虚しく「王」は巧が倒した。でも「王」はまだ生きていて、村上の遺伝子がこうして青い薔薇として怨念を撒き散らそうと花を咲かせている。

 彼の人生はまさに花のようだ。美しい時間は短く、枯れて朽ち果てた後に種を落とす。

「これは厄介な代物です。近いうちに、これの栽培施設を破壊します」

 ソファにもたれ掛かっていた海堂は身を起こし、「そうかい」とテーブルに広げた照り焼きチキンピザを一切れ掴んで食べる。巧も琢磨も手を付ける素振りを見せていないのに、海堂はがっつくようにピザを咀嚼している。巧も真似をするように、大口を開けて一切れの半分を口に詰め込む。甘めに味付けされた照り焼きチキンとチーズ代わりのマヨネーズの香りを噛みしめて飲み込むと、重く沈んだ鉛も噛み砕いたような気分になれる。それはまやかしに過ぎない。ただジャンクフードをつまみに酒を飲んで、怠惰な時間を過ごすことで誤魔化しているだけだ。ピザを飲み込んだ後の咥内には、ただ空虚が広がるばかり。

「それともうひとつ。冴子さんを倒す方法が見つかりました」

 「何?」と巧と海堂は同時に声をあげる。皮肉なものだ。胸の奥に詰まった懊悩を吹き飛ばしてくれたのがピザではなく琢磨の言葉だなんて。

「冴子さんの体内にテロメアを復元させる器官が存在する可能性は、以前お話しましたね」

 遺伝子に刻まれた死へのメソッドを、巧は思い返してみる。細胞の遺伝子情報を内包した染色体。その紐状の組織の末端を保護する役割を持ったテロメアという部位が、細胞分裂の回数を決定する。細胞分裂が繰り返されるうちにテロメアは擦り減っていき、それが消滅して染色体を保護するものがなくなれば、細胞は分裂を止める。損傷した染色体の複製を防止するためだ。完全な遺伝子を守るために、引き換えとして老化が、死がもたらされる。

 これが、巧がインターネットで調べ、学が無いなりに咀嚼したテロメアについてだ。もっとも老化についてはまだ研究途中で、サイトに掲載された情報が誰の研究なのかは目を通していない。だから本当かどうかは曖昧だ。でも複数のサイトで共通している観点は、テロメアを維持することで不死化が実現する可能性を記述していたこと。

 琢磨は自分の左胸を指差す。

「心臓から、テロメアを復元させる酵素の分泌が確認されました。途方もない研究でしたよ。胸を切り開こうにも心臓周辺の再生が優先され、いくら切り進めてもすぐに傷が修復されました」

 「心臓……」と巧は呟く。

「奴の心臓を狙えば、倒せるってことか?」

「ええ。ですが先ほども言ったように、心臓周辺の組織は優先的、瞬時的に再生します。それに、冴子さんにその器官を与えた『王』も、同じ器官を持っているでしょう」

 巧は思い出す。3年前、「王」がロブスターオルフェノクに永遠の命を与える瞬間を。まるで男女の情事のような光景だった。「王」からロブスターオルフェノクへの股へと命がつき入れられ、ロブスターオルフェノクはどこか官能的な叫びをあげていた。胎に注がれた命は胸へと達し、ロブスターオルフェノクは死を超越した完全な生命体への進化を果たした。

 ごとり、と控え目な音で我に返り、巧はテーブルに青薔薇と入れ違いに置かれたトランクボックス型のツールに目を向ける。

「これは切り札です。ブラスターのファイズなら、冴子さんの体にダメージを与えられるでしょう。勝率は五分ですが、『王』を倒すために設計されたこれなら」

 最後の言葉に引っかかりを感じ、「どういうことだ?」と巧は尋ねる。琢磨はじっと巧を見据え、淡々とした口調を変えることなく答える。

「残された資料によるとブラスターは、元々は『王』を倒すために花形さんの派閥が開発したものです。考えてみてください。本来は『王』を守るために開発されたベルトなのに、『王』を倒せるほどの性能を持たせてしまっては本末転倒です」

 琢磨の言う通りだ。3本のベルトは「王」を守護するために開発された。思えば、花形の行方も分かっていない。会う約束をしていた真理はとても楽しみにしていたが、待ち合わせの場所で真理が誘拐され、助けに行った草加が死んでしまったことで有耶無耶になってしまった。あれからも真理は里奈と三原と共に義父を探し続けていたが、とうとう見つからなかった。

 巧は試しに質問してみる。

「花形は今どこにいるんだ?」

「行方不明です。恐らく、既に亡くなっているかと」

 ある程度は予想していた答えだった。命の短いオルフェノクが行方不明になったら死んだと考えるのが妥当だ。思えば、木場がスマートブレインの社長に就任したのも、花形が死期を悟ってのことだったのかもしれない。

 琢磨は力強く言った。

「施設の襲撃は近日中に決行します。詳しい日程は後日に」

 

 ♦

 穂むらに帰ると、居間で雪穂が「お帰りなさい」と、亜里沙が「お邪魔してます」と迎えてくれる。巧は「ああ」とだけ言って部屋へ行こうとしたのだが、亜里沙に「あ、ちょっと良いですか?」と呼び止められる。

「ねえ雪穂、乾さんに昨日練習したとこ見てもらおうよ」

 腕を引く亜里沙に「駄目だよ」と雪穂は言う。

「家のなかだし、お父さんだってまだ仕事中なんだから」

 「あ、ごめん」と亜里沙はおどけたように笑う。「練習?」と巧が聞くと、亜里沙は「はい」と元気よく。

「μ’sに入って、早くライブに出られるように今から練習してるんです」

 巧はちらりとこたつの上に置かれたノートPCの画面に視線をくべる。画面のなかでμ’sが歌っている曲は、最終予選で披露した『Snow halation』だった。

「何で乾さんに見てもらわなきゃいけないの?」

 訝しげに尋ねる雪穂に、「だって」と亜里沙は胸の前で両拳を強く握る。

「乾さんマネージャーだもん。わたし達がμ’sに入ったらお世話になるんだから」

 熱弁する友人を雪穂はどこか憂うように見つめる。その視線が巧へと向けられる。何とか言ってあげてください、と助けを求められているような気がして、ため息と共に巧は言う。

「俺に歌やダンスなんて分かりやしないさ。それにお前らが入る頃もマネージャーやるかは分からないしな」

 「どうしてですか?」と亜里沙が聞いてくる。これには雪穂も驚いているようで。

「乾さん、マネージャー辞めちゃうんですか?」

 余計な事を言ったと遅れて気付いた。理事長との取り決めでは、巧のマネージャーとしての任期を特に決めていない。オルフェノクの脅威に晒されている間だとしたら、巧のこの街での役目は近いうち、「王」を倒したら終わる。もっとも、それも確実ではないから期限を設けることはできないが。

 丁度そこへ「ただいま」と穂乃果が帰宅してくる。「あ、穂乃果さん」と亜里沙の興味が移ってくれて、巧は内心で胸を撫でおろす。

「いらっしゃい」

 穂乃果の声色がいつもと違うことに気付き、巧はその顔を眺める。亜里沙に向ける穂乃果はいつもの顔をしている。真っ直ぐと、これからの目標へ向かって努力している顔を。でも雑念を帯びているように感じる。ラブライブ本戦という確固な目標があるにも関わらず、いつもの猪突猛進な彼女じゃない。

「あの、穂乃果さんちょっと良いですか?」

 亜里沙は雪穂に「これなら良いよね?」とピースサインを示す。「うん」と雪穂が頷くと、亜里沙はピースした手を下へと向ける。

「μ’s、ミュージックスタート!」

 まだ照れの残る声色と共に、亜里沙はピースした手を上へと掲げる。ライブ前にμ’sが舞台裏で行うコールだった。穂乃果の顔から覆いが外れるのを巧は見逃さなかった。まるでそれが遠い昔の思い出の哀愁を隠すように、穂乃果は笑顔を浮かべる。

「どうですか? 練習したんです」

「うん、ばっちりだったよ」

「本当ですか? 嬉しいです」

 亜里沙はそこで俯き、恥ずかしそうに上目遣いで「わたし……」と。

「μ’sに入っても、問題ないですか?」

 穂乃果は一瞬驚いた表情を浮かべ、次にはただ曖昧に笑うだけだった。そこへ「亜里沙」と雪穂が助け船を出してくれる。

「お姉ちゃんは本番直前なんだから、あんまり邪魔しないの」

 亜里沙が申し訳なさそうに表情を曇らせたところで、「ごめんね、ゆっくりしてって」と穂乃果はそそくさと階段を上っていく。その背中を亜里沙は名残惜しそうに見送る。彼女の背中から隠しきれない寂しさが漂っていることなど、この無垢な少女にはまだ分かりそうにない。

 ノートPCから流れる『Snow halation』はサビの部分に入った。亜里沙は雪穂の傍へと移動し、画面に見入り「おお、ハラショー」と感嘆の声をあげる。

「雪穂、明日ここのところ練習しよう」

 「うん」と雪穂は気のない返事をする。時間は止めることも遡ることもできない。亜里沙にとって時間の流れは新しい生活へ向かう期待に満ちたものだが、さっきの穂乃果の様子からμ’sにとっては正反対のものなのだろう。雪穂はそれを敏感に感じ取っている。

 「あのね、亜里沙」と雪穂はぽつりと画面を見たまま尋ねる。

「亜里沙はμ’sのどこが好きなの?」

 今度は亜里沙の目を見据えて、質問を重ねる。

「どこが1番好きなところ?」

 「雪穂……?」と呟く亜里沙は、事の一端に気付いたようだった。皆、それぞれが現状に直面している。本当の解決策なんてものがあって、全てが上手く運ぶ答えを出せる事象なんてどこにも無いのかもしれない。上手く折り合いをつけていくしかないのだ。少女達はそれを知る。

 気付いておきながら何の手助けもせず傍観する巧は、敢えてとぼけながら自室へと向かった。

 

 ♦

「行ってきまーす」

 店先の掃除をしている母と巧にそう言って、穂乃果は歩き出す。足取りが重いのは昨晩あまり眠れなかったせいだろうか。

 結局、考えても答えは出なかった。何が正しいのか、何を選択すれば皆が納得できるのか全く分からない。

「お姉ちゃん」

 不意に呼ばれ、穂乃果は俯いていた顔を上げる。少し離れた前方に雪穂が、亜里沙と並んで立っている。

「ちょっと話があるんだけど、良いかな?」

 すると亜里沙が雪穂に目配せし、1歩進み出て「あの、わたし」と。

「わたし、μ’sに入らないことにしました」

 穂乃果はか細く「え?」と息を呑む。昨日に練習したコールサインを見せてくれたのに。

 亜里沙は続ける。どこか寂しそうに。でも、嬉しそうに。

「昨日、雪穂に言われて分かったの。わたしμ’sが好き。9人が大好き。『みんな』と一緒に、1歩ずつ進むその姿が大好きなんだって」

 「亜里沙ちゃん……」と穂乃果は呟くも、続きの言葉を見つけることができない。きっと、亜里沙にとっては辛い選択だろう。亜里沙がμ’sをどれほど応援してくれたかは、姉である絵里から聞いている。ライブにも足を運んでくれた。

「わたしが大好きなスクールアイドル、μ’sにわたしはいない。だから、わたしはわたしのいるハラショーなスクールアイドルを目指します」

 亜里沙は隣にいる親友へ目を向け、「雪穂と一緒に」と付け加える。雪穂は照れ臭そうに笑った。

「だから、色々教えてね。先輩」

 「なんてね」と雪穂はおどける。目の前のふたりがとても愛おしくなり、穂乃果は駆け寄り両手を広げて近い未来の後輩達を抱きしめる。

「そうだよね。当たり前のことなのに。分かってたはずなのに」

 そう、答えなんてものは既に出ている。今なら確信できる。この先どれほど悩んでも、意識の奥底に鎮座する答えは決して揺るがなかっただろう、と。これが最善だ。万人が納得できるものじゃないのかもしれない。反発もあるかもしれない。でも、穂乃果はこの選択を変えはしない。

「頑張ってね」

 腕を放した穂乃果がそう言うと、2人は「うん!」、「はい!」と返事をする。

 亜里沙はμ’sに入らないと選択した。誰かから強制されたものではなく、亜里沙自身の選択として選び取った。ならば穂乃果も応えなければならない。

 穂乃果の、μ’sの選択として。

 

 ♦

  

 この空の向こうに、ファイズの鎧が浮かんでいる。ぼんやりと空を眺めながら、巧はそんなことを考えていた。

 大気圏を越えた宇宙空間。冷戦時代に打ち上げられた偵察衛星たち。役目を終えても回収されず、冷たい真空を漂う宇宙ゴミの中に、スマートブレイン製の人工衛星が紛れている。地球の引力に引き寄せられて落下することも、軌道上から離れることもなく無言で漂う金属の衛星には極微小にまで分解されたスーツが収納されている。ベルトを装着し、コードを入力すれば衛星に信号が送られ、スーツがベルトのもとへと電送・形成することでベルトの戦士は変身する。

 スマートブレインが表向きの処遇として倒産しても、既に地上との通信を切った衛星を遠隔操作で停止させる術はない。琢磨によると、万が一スマートブレイン本社が襲撃を受けても、変身システムに支障をきたさないようにするための措置だったらしい。製造元が消滅しても稼働し続ける人工衛星は、ベルトのシステムが起動したと信号を受ければ誰彼構わずスーツを送り込む。不適合者なら話は別だが。

 これから重要な戦いへ赴くというのに、どこか懐かしい気分にとらわれながらオートバジンを走らせる。空がよく晴れていて、ツーリングには絶好の日和だ。

 他県にあるスマートブレインの青薔薇生産施設への移動として、長距離ツーリングは必然的になった。全てが始まる前――いや、巧が全ての渦中に飛び込む以前――の日々も、こうしてバイクを走らせていた。

 ふと横を見やると、海堂が並走させるサイドバッシャーのサイドカーに三原が腰掛けている。この日のために呼び出したのだ。もう真理と啓太郎に隠すこともないから、堂々と三原は家を離れることができたに違いない。もっとも、巧と合流した際は何とも気まずそうにしていたが。

 高速道路を抜けて街路に入ると、そこには華やかさよりも機能性を重視した無機質な建物が立ち並んでいる。巨大な箱が幾重も並んだ工業団地だ。高くそびえ立つ煙突からは白い煙がもくもくと排出されている。厳密に言うとあれは煙ではなく水蒸気らしい。排気ガスだったとしても、大気汚染を防ぐために工場内で無害化され、清浄にしてから外へと排出される。

 指定された団地の一角に、琢磨は既に到着していた。富裕層のステータスと言わんばかりのスポーツカーを横に、バイクを駆る巧達を出迎える。三原は警戒心を露骨に出した眼差しを琢磨へ送った。かつて敵として対峙した者がさも当然のように行動を共にしているのだから、違和感はあるだろう。巧も再会した時は同じ反応を示した。

 「場所は?」とヘルメットを脱いだ巧が聞くと、三原の視線を特に気にも留めていない琢磨は「ここです」と目の前にある工場を指差す。

「え? でもここは………」

 戸惑った三原が立て掛けられたスマートブレインではない社名を記した看板へと視線を移した。無理もない。この工場は街の名産品であるかまぼこの生産工場のはずなのだから。

 「偽装(フェイク)です」と琢磨が。

「スマートブレインが買い取った地上の工場はそのままで、地下に設備を整えています」

 「さ、行きましょう」という琢磨の先導のもと、巧と三原、そして海堂が腰にそれぞれのベルトを巻いて、箱型の建物へと歩き出す。

 ドアの鍵を開けて中へ入ると、かつてあったはずの設備全てが撤去された工場の空虚が広がっている。稼働していると見せかけるためにしっかりと壁の塗装がされた外観とは打って変わり、内部の各所には用済みとして放置された機械が赤茶色の錆に覆われている。

 琢磨は打ち捨てられた産業の残骸たちには目もくれず、事務所へと繋がっているであろう両扉へと歩き出す。金属製の扉もまた錆びついていて、微かに白い錆止めの塗装がこびり付いているのだが、ノブには看過できない違和感が残っている。真新しいとは言わないまでも、それでも錆が付いていない鈍色を保ったノブを琢磨は回す。扉が開かれるとそこには一面の壁があって、何もしらなければうっかり顔をぶつけてしまいそうだ。

 琢磨は壁の右端にあるパネルのボタンを押す。壁が中心から左右に開いた。

 10人程度しか入れない容量の部屋がエレベーターと気付いたのは、先に入った琢磨が「早く」と手招きしたときだった。パネルにある階層は「地上」と「地下」のふたつしかない。ふわりと一瞬だけ体が浮き上がる感覚の後に、エレベーターは下降を始める。

「ここの研究員は全てオルフェノクです。注意を怠らず、設備全てを破壊してください。最優先すべきは薔薇であることを忘れないように」

 ベルトを腰に巻いた琢磨がそう言うと、「そんな気難しく構えなさんな」と海堂が自分のベルトをぽんぽんと叩きながら言う。

「ちゅーか、暴れまくりゃ良いんだろ。奴さんが襲ってきたらぶっ倒して、そんで花園を丸焼きにすりゃいい」

 この緊張感すら楽しんでしまう男とは正反対に、三原は顔を強張らせている。考えてみれば、この場にいる4人のなかで三原は唯一の人間だ。オルフェノクの中で起こる内輪揉めに三原は参戦している。戦うことが自分の運命と突き付けられ、怖れながらも彼は戦いから逃げない。その勇気を巧は尊敬する。本当の勇気というものは、怖れながらも逃げないことにあるのかもしれない。

 エレベーターが目的の階層に到着した。足元にGを感じた後に、ゆっくりと鉄製の扉が滑らかに開かれる。

 

 ♦

「よーし、遊ぶぞー!」

 集合場所にメンバー全員が集まると、穂乃果は意気揚々と拳を掲げる。

「いきなり日曜に呼び出してきたから何かと思えば」

「休養するんじゃなかったん?」

 絵里と希が立て続けに言う。貴重な休日を使わせてしまったことは申し訳ないとは思うが、穂乃果にとってこれは必要なこと。しっかりとした理由がある。

「それはそうだけど、気分転換も必要でしょ。楽しいって気持ちをたくさん持ってステージに立ったほうが良いし」

 「そ、そうですよ」と海未がぎこちなく言う。続けて他のメンバーも。

 「今日、暖かいし」とことりが。

 「遊ぶのは精神的休養だって本で読んだことあるし」と花陽が。

 「そうそう。家に籠っててもしょうがないでしょ」と真姫が。

 「にゃー!」と凛が。

「何よ、今日はやけに強引ね」

 にこが後輩達へと訝しげな視線を向ける。悟られる前に、すかさず穂乃果は「ほらそれに」と。

「μ’s結成してから皆揃ってちゃんと遊んだことないでしょ。1度くらい良いかなって」

 「でも遊ぶって何するつもり?」とにこが聞いてくる。そういえば、遊ぶと言ってもどこへ行くか決めていなかったことに穂乃果は気付く。

「遊園地いくにゃ」

 挙手する凛に「子供ね」と皮肉を飛ばしながら、真姫は美術館という希望を出す。「えっと」と花陽も行き先の希望を主張する。

「わたしはまずアイドルショップに」

 「バラバラじゃない!」とにこは言った。「どうするつもりなん?」と希が聞いて、穂乃果はしばし唸った後に閃く。

「じゃあ、全部」

 「はあ!?」と3年生組が驚愕の声をあげる。

「行きたいところ、全部行こう」

 「本気?」とにこが尋ね、「うん」と穂乃果は即答する。

「皆行きたいところを1個ずつ挙げて、全部遊びに行こう。良いでしょ?」

 「何よそれ」とにこは呆れるが、希は「でもちょっと面白そうやね」と好感触だ。「しょうがないわね」と絵里も同意を示す。まだ府に落ちないといった顔で、にこは周囲を見渡しながら尋ねる。

「巧さんは?」

「用事あるから来られないって」

 できることなら巧も来てほしかったのだが、用事なら仕方ない。それに、今日の時間はこの9人で共有したいという気持ちだ。9人で共有し、9人で見つけなければいけないことがある。帰ったら、それを巧に伝えよう。きっと、巧なら何を告げても止めはしないと、穂乃果には確信できる。

「しゅっぱーつ!」

 

 ♦

 エレベーターから1歩踏み出したところで、轟音が耳をついた。エレベーターが吹き飛び、爆風で瓦礫と共にコンクリートの床に叩きつけられる。

 咄嗟にウルフオルフェノクに変身したのは良い判断だった。爆心地のすぐ近くにいては、人間の体など木端微塵になっていることだろう。ウルフオルフェノクの腕のなかで、三原は咳き込みながら粉塵が舞い上がる周囲を血走った目で見渡す。

「三原!」

 元の姿に戻って呼び掛けると、三原は巧へと向いた。鼓膜は破れていないらしい。巧にしても頑丈なオルフェノクだから無事というわけにはいかず、キーンという音が耳孔に反響している。

「乾さん!」

 砂埃の中から朧気な影がふたつ見える。視線をくべると、床に琢磨と海堂の姿が浮かび上がっている。2人もオルフェノクに変身して爆圧をやり過ごしたらしい。琢磨が入場用のIDを持っているから堂々と入れると聞いていたのに、この仕打ちは何だという文句は言える状況じゃない。

「二手に別れます。私達は機器類を、乾さんと三原さんは薔薇園をお願いします」

 「ああ」と叫ぶように応える。難聴のせいで自分の声すら聞き取り辛い。ウルフオルフェノクへの変身時、体格の変化で外れてしまったファイズギアを拾って腰に巻き、フォンにコードを入力する。

 5・5・5。ENTER。

『Standing by』

「変身!」

『Complete』

 三原もパニックから脱却したのか、デルタフォンを耳元に掲げて「変身!」と叫ぶ。『Standing by』と電子音の鳴るフォンをベルト右側面にあるムーバーに装填し、『Complete』とフォトンストリームが体を覆いデルタに変身する。

 地下にビープ音が響いた。不意打ちするはずが出鼻をくじかれたものだから、こっそりと移動する必要もなくなった。ファイズとデルタは足音を大きく響かせながら地下の回廊を駆けていく。この施設の構造なんて知らないため、とにかく空間を照らす光を目指して走っていく。回廊を照らす照明は弱く、取り敢えず光の強い場所に重要な設備があるだろうという、何とも頭の悪い算段だ。

 曲がり角から白衣を着た研究者然とした男が飛び出し、こちらに向かってサブマシンガンを腰だめで発砲してくる。対人用の武器などでファイズとデルタのスーツに傷が付くことはなく、その衝撃に多少おののきはするが進み続ける。男が銃を捨てた。その体がフジツボのような鎧に覆われたバーナクルオルフェノクに変貌する。

 ファイズとデルタは速度を緩めず、勢いを乗せたままバーナクルオルフェノクの顔面に拳を見舞う。ふたり分のパンチは堪えたのか、バーナクルオルフェノクは飛び出してきた角の奥へと飛ばされる。後を追うと開けた空間に出て、バーナクルオルフェノクは青い絨毯に身を伏している。

 それが絨毯でないことに気付く。青い薔薇だった。天井には強い照明が太陽の真似事をしていて、青薔薇を照らしている。人工的な空間の人工的な光に向かって伸びる薔薇たち。その青もまた人工的な色で、どこまでも「自然」という要素が排されている。

 立ち上がったバーナクルオルフェノクの手にボールが握られている。デルタはすかさずベルトからムーバーを取り、「ファイア」と音声コードを入力する。

『Burst Mode』

 ムーバーの銃口からビームが放たれる。光線はボールに突き刺さり、バーナクルオルフェノクの手の中で爆炎へと変わる。ファイズはミッションメモリーを装填したポインターを右脚に装着し、フォンのENTERキーを押すと同時にデルタもミッションメモリーを装填したムーバーに「チェック」と音声入力した。

『Exceed Charge』

 ファイズポインターから、デルタムーバーの銃口からフォトンブラッドのエネルギーが発射され、目標の手前で傘を開く。ふたりは跳躍し、捕捉された敵へクリムゾンスマッシュとルシファーズハンマーを叩き込んだ。体を貫かれたバーナクルオルフェノクの体から青と赤の炎が噴き出し、細胞の一片も残さずに焼き尽くされる。

 灰になった残骸が青薔薇に降り注いだ。ふたりが着地したせいか、青い花弁が舞い上がっていてどこか美しさを演出している。

 彩子がヴェーチェルの由来について話してくれた時のことを思い出す。風に散る花弁の美しさ。花弁と共に自分達の歌を風が運んでくれるように、という祈り。もし彩子がオルフェノクのアイドルとしてステージに立ったら、こんな演出をするのだろうか。感傷に浸ったとしても今更だ。もう彩子は死んだ。

 裡の悲愴をかなぐり捨て、ファイズはベルトから抜いたフォンを開く。

 1・0・6。ENTER。

『Burst Mode』

 フォンバスターモードに変形させたフォンのアンテナを青の花畑に向け、引き金を引く。赤い光線が薔薇を穿ち、敷き詰められた土を焦がす。エネルギーから生じたスパークが花々を焼いて燃え広がっていると気付いたのは、弾切れを起こしたときだった。薔薇は花弁と同じ青い炎を燃やしていて園と同化している。

 青から灰へ。花が全て灰の山になるまで、ほんの数秒だった。オルフェノクと同じだ。短い時間で焼き尽くされる。

 雄々しい咆哮と銃声が聞こえてくる。「行くぞ」と駆け出すファイズにデルタは付いていき、戦いの音を目指す。

 そう遠く離れていない空間で乱戦が繰り広げられていた。無数のオルフェノク達がカイザとサイガを囲み、それぞれの武器で襲いかかる。カイザはブレイガンでの剣戟、サイガは飛行装置を兼ねたフライングアタッカーでの銃撃で迎え撃っている。苦戦とまではいかないようだが、何せ敵の数が多すぎて手が回り切っていない。デルタが果敢にその渦へと飛び込むなか、ファイズはショットにミッションメモリーを装填し、アクセル専用のメモリーをフォンに移す。

『Complete』

 電子音に気付いたオルフェノクの1体がこちらに走ってくる。形態を変えたファイズはアクセルのスイッチを押す。

『Start Up』

 向かってきたオルフェノクの体がくの字に折れ曲がった。自分の身に何が起きたのか分からないようで、オルフェノクはうわずった悲鳴をあげて青く燃え始める。それが伝播するように、そこにいるオルフェノク全てに青の炎が灯っていく。まるでガス灯を点火して回るように彼等の間を通り過ぎたファイズが動きを止めると同時、オルフェノク達は灰になった。

『Time Out』

 『Reformation』とメモリーをフォンから抜くと響く電子音の後には静寂が訪れる。聞こえるのは空調と、ひび割れたPC類の電線がショートしたばちばち、という音だけ。

 「薔薇は?」とサイガが尋ね、「もう済ませた」と通常形態に戻ったファイズが答える。4人が変身を解除しようとベルトに手をかけた時だった。

 暗闇の中から青い光球が飛んできた。運悪く直撃してしまったデルタの体が吹き飛び、コンクリートの壁に激突する。腰からベルトが離れたせいで、エネルギー供給を失ったスーツが分解される。3人は丸腰になった三原を庇うように彼の前に立ち、闇からひっそりと歩いてくる襲撃者を迎える。

 灰色の足が止まった。すぐ目の前には主の腰から弾き飛ばされたデルタギアが佇んでいる。細い華奢な脚で、それはデルタギアを踏み潰した。金属のベルトがひしゃげ、内部のコードや配電盤がむき出しになる。

「冴子さん……」

 弱い照明が照らすその姿に、サイガが震えた声を絞り出す。「琢磨君」と呼ぶロブスターオルフェノクは、まだ人間の姿を持っていた影山冴子だった頃と同じ声だ。人間としての姿を完全に失っても、声だけは以前のまま。

「私を欺いていたつもり? あなたは賢い子だと思っていたのに。お仕置きが必要のようね」

 サイガはフライングアタッカーの操縦桿にミッションメモリーを装填した。『Ready』という音声と共にバックパックが背中から落ちて、両手に残った操縦桿をトンファーのように構える。

「私はもう、あなたに怯えていた頃の私じゃない!」

 トンファーエッジを握り締めて、サイガはロブスターオルフェノクの胸に青々とした刀身を突き刺す。ロブスターオルフェノクは避けなかった。それは自信だと分かる。自分は決して死なないという確固たる自信が、死への恐怖から生じる回避という選択肢を消滅させているのだ。

 ロブスターオルフェノクは胸に刺さったトンファーエッジの刃を握る。じゅ、と手が焼ける音がするものの、灰色の手は形を保っている。

「馬鹿な子。なら死ぬ? 長田結花のように虚しく」

 ファイズとカイザは愕然と動きを止める。結花は警察の機動隊に、人間に殺されたと思っていた。だから木場は人間を憎悪した。もしそれが勘違いだとしたら、なんて考えもしなかった。ロブスターオルフェノクの言葉が真実ならば、木場の憎悪は全て勘違いから発したことになる。

 木場は人間を憎む必要なんてなかった。

 彼が人間を滅ぼそうとした因果として死ぬ必要もなかった。

「てめえが……、てめえが結花をやったのか!」

 叫んだのはカイザだった。ブレイガンを構えてロブスターオルフェノクへと飛び込んでいく。黄色の刀身を突き刺されても、ロブスターオルフェノクは平然としている。2本の刃はほんの数センチ灰色の肉に食い込んだ程度で、それ以上深く潜り込めそうにない。

 ロブスターオルフェノクの右手から細身の剣が伸びた。剣先がカイザの胸部装甲に当たり、火花を散らして仰け反らせる。左手でサイガのトンファーエッジを払い落とし、その首を掴んで華奢な体躯には見合わない剛力で持ち上げる。

「死ぬのは怖い?」

 サイガは答えない。というよりも答えられない。喉元を握られて、弱い唸り声をあげているだけだ。ロブスターオルフェノクは慈しみに満ちた声で言う。心なしか微笑んでいるように見える。

「私の傍にいれば大丈夫。もう怖いものなんてなくなるわ」

 「琢磨!」とファイズが駆け出す。ロブスターオルフェノクが剣を向けてきて、細身の剣先から青い炎が球形を成して飛んでくる。不意打ちに対応しきれず、光球がファイズに直撃した。剣先からは続けざまに光球が飛び出してきて、地下を固めるコンクリートの壁や柱を砕いていく。

 重低音が地下に響き、空間を揺らし始める。天井と壁に亀裂が走り、石の破片が降り注いでくる。ファイズとカイザは三原の肩を支え、揺れる回廊を走り出す。ファイズが振り返ると、落下してきた瓦礫がサイガとロブスターオルフェノクの姿を隠してしまう。

 天井の割れ目から光が見えた。カイザが跳躍し、割れ目の縁へと到達する。

「おい、こっちだ!」

 カイザが手招きし、ファイズは三原の体を持ち上げてスーツの補助を受けた筋力で彼を投げ飛ばす。カイザが三原を受け止め、ファイズも割れ目へと跳ぶ。地上へ出たと同時、地下の床がぱっくりと割れて奈落のように口を開いた。少しでも遅れていたら、あの闇の中へ閉じ込められていただろう。いくらファイズのスーツでも脱出できるかは分からない。

 ヘリのローター音が聞こえ、3人は空を見上げる。ダミーとして残された工場の陰からヘリが上昇し、デッキから吊り下げられた梯子にロブスターオルフェノクが捕まっているのが見えた。追跡しようにも体力を消耗していた。オートバジンなら飛行で追うこともできるが、ロブスターオルフェノクの攻撃を受けたら3年前に大破した1号機と同じ末路を辿ることになる。

「くっそ……」

 カイザが独りごちり、フォンを抜いて変身を解除する。ファイズも変身を解いた。まだ手に握ったままのファイズフォンが着信音を鳴らし、巧は通話モードにして端末を耳に当てる。

『乾さん……』

 「琢磨!」と巧は叫んだ。

「お前無事なのか?」

『ええ、何とか脱出できました。ですが、あまり動ける状態ではありません』

 弱々しい琢磨の声を聞きながら、巧は視線を横へ流す。海堂と三原も顔を近付け、フォンから出力される声に耳を傾けている。

「どうすればいい?」

『私と海堂さんの裏切りがばれたことで、「王」の警備は固められるでしょう。ラブライブの本大会で、「王」が会場へ輸送されるところに奇襲を仕掛けるしかありません』

「………分かった、気を付けろよ」

『あなた方も』

 通話が切れた。フォンを折りたたみ、巧は無言のまま2人へ目配せする。

「ごめん……。俺はもう、戦えない」

 三原がか細く言う。3年前のような、戦いを拒絶するものではなく、自分が戦力になれないことへの謝罪と分かる。

「俺は無力だ。ベルトが無いと俺は何もできないじゃないか」

三原の目尻から涙が零れた。デルタギアが失われた今、三原は完全にこの戦いから離脱する以外にない。だが、それで良いのだと巧は思える。三原は戦いの宿命から解き放たれた。これからは人間として、平穏な日常を過ごしていける。

 巧は泣き崩れる三原の肩に手を添えた。

「後は俺達がやる。これは俺達の、オルフェノクの戦いだ」

 

 ♦

 とても楽しい1日だった。楽し過ぎて疲れるほどに。

 アイドルショップ、ゲームセンター、動物園、ボーリング場、美術館、ボート場、浅草寺、遊園地とメンバー達が行きたい場所を全て回った。とても密なスケジュールだったし、一ヵ所に1時間も留まっていなかった。

「誰もいない海に行って、9人しかいない場所で、9人だけの景色が見たい」

 行きたい場所を絵里から尋ねられ、穂乃果はそう言った。夕刻に近付いている頃で、絵里からは「今から行くの?」と怪訝な顔をされたが、他の面々の後押しもあって賛成してくれた。

「心の準備、できてる?」

 海岸へ向かう電車の中で、真姫がひっそりと尋ねた。穂乃果は「うん」とだけ応え、2人の会話はそれ以上広がることはなかった。隠してはいたけど、真姫には分かっていたようだ。きっと、真姫だけでなく3年生を除く皆が勘付いていたのかもしれない。

 電車に揺られる中で、穂乃果はささやかに恐怖していた。これが最善、と決めたことがある。でも、それが本当に最善なのだろうか。他にもっと良い選択があったのではないか。そんな想いが頭蓋から離れなかった。

 海岸に着く頃には、夕陽が水平の彼方へ隠れようとしていた。9人以外、誰もいない。海水浴の季節じゃないから当然だ。空と同じ茜色の波と、波打ち際ではしゃぐメンバー達を眺めながら、穂乃果はとうとう来ちゃった、と感慨を抱きしめる。

 こんな時間が、こんな日々がずっと続けばいいのに。そうすれば皆が幸せなままなのに。

 込み上げてくる寂しさを誤魔化すように笑い、穂乃果は海未とことりの間に入って2人の手を握る。2人も笑みを返して穂乃果の手を握り返す。すると他の6人も集まってきて、全員が手を取り合い横1列になって海に沈もうとする太陽へ目を向ける。

 そういえば、夏の合宿もこうして皆で朝陽を見たっけ、と穂乃果は思い出す。あの時は直後にオルフェノクに襲われて、巧もオルフェノクと知った。もし穂乃果が、ここにいる9人が巧を拒絶したままだったら、こうして皆が揃ってこの時間を過ごすことはできなかったかもしれない。

 「あのね」と穂乃果の声が、波間からすり抜けるようにメンバー達へ告げる。

「わたし達話したの。あれから6人で集まって、これからどうしていくか。希ちゃんとにこちゃんと絵里ちゃんが卒業したら、μ’sをどうするか。ひとりひとりで答えを出した。そしたらね、全員一緒だった。皆同じ答えだった。だから……、だから決めたの。そうしよう、って」

 亜里沙は言ってくれた。「みんな」と一緒に1歩ずつ進むその姿が大好き、と。穂乃果も同じだ。全員が同じ答えなのだとしたら、きっと皆も同じ気持ちだったのだと思える。大好きを共有できて嬉しい。そして同時に寂しい。大好きだから出したその選択が。

 「言うよ、せーの――」と穂乃果が促し、3年生を除くメンバー6人で海に叫ぶ。

 

「大会が終わったら、μ’sはおしまいにします!」

 

 再び波の音が聞こえてくる。

 言っちゃった、と穂乃果は思った。本当は続けたい。もっと9人で歌いたい。

 μ’sは今、9人で駆け抜けたものとして、巧が守ったものとしてここにある。μ’sで過ごした日々は辛いこともあったし、練習漬けで疲労に苛まれた。でも、それ以上に楽しかった。ライブで歌とダンスを披露すること。どんなライブにしたいかメンバー達で話し合うこと。観客が楽しんでくれたらいいな、と思いながら過ごした日々で、大きなものを得た。それは突然手にしたものではなく、この9人と一緒にいることで少しずつ、小さな弱い光をひとつひとつ拾うようにして成った。

 そう、9人で。

「やっぱりこの9人なんだよ。この9人がμ’sなんだよ」

 穂乃果はそう言って歩み出る。皆の顔を見るのが怖かった。特に3年生の顔が。起こっているだろうか。悲しんでいるだろうか。喜んでいる、とは考え辛い。

 後ろから海未の声が聞こえてくる。

「誰かが抜けて、誰かが入って。それが普通なのかは分かっています」

 「でも」と真姫が続く。

「わたし達はそうじゃない」

 花陽が言う。

「μ’sはこの9人」

 凛が言う。

「誰かが欠けるなんて、考えられない」

 ことりが言う。

「ひとりでも欠けたら、μ’sじゃないの」

 この9人じゃないと駄目だったのだ、と明言できる。穂乃果がいて、海未がいて、ことりがいて、真姫がいて、凛がいて、花陽がいて、にこがいて、希がいて、絵里がいる。代わりなんていない。だから終わりにしよう。

 それが、来年も学校に残る6人で出した答え。

 とても辛い決断だった。でも、この決断は背負わなければならないのだと穂乃果は思う。巧が苦しみを背負いながらもμ’sを守ると決断してくれたように。

 「そう」と絵里は穏やかに言った。「絵里!?」とにこの驚愕の声が聞こえてくる。「うちも賛成だよ」という希の声も。

 「希……」と呟くにこに、「当たり前やん、そんなの」と希は返す。声が震えていた。

「うちがどんな思いで見てきたか、名前を付けたか。9人しかいないんよ。うちにとって、μ’sはこの9人だけ」

 「そんなの……、そんなの分かってるわよ」というにこの声で、穂乃果は胸が張り裂けそうになる。ごめんね、という言葉は言うべきではない。誰よりもグループ存続を願っていたにこの想いを汲んだうえでの決断だ。ここで覆すわけにはいかない。にこがスクールアイドルでいられたμ’sを、μ’sのままにするために。

「わたしだってそう思ってるわよ。でも……、でもだって」

 砂利を踏む音が聞こえる。自分と同じだ、と穂乃果には分かる。あの強がりなにこが、メンバー達に涙を見せたがらないのは。

「わたしがどんな想いでスクールアイドルをやってきたか、分かるでしょ? 3年生になって諦めかけて、それがこんな奇跡に巡り会えたのよ。こんな素晴らしいアイドルに、仲間に巡り会えたのよ! 終わっちゃらもう2度と――」

 「だからアイドルは続けるわよ!」という真姫の声が聞こえる。

「絶対約束する。何があっても続けるわよ」

「真姫………」

「でも、μ’sはわたし達だけのものにしたい。にこちゃん達のいないμ’sなんて嫌なの。わたしが嫌なの!」

 真姫の言葉を聞いて、穂乃果のなかで寂しさと嬉しさが同時に湧き出てくる。不思議なものだ。対極の感情が同時に現れるなんて。

 ああ、そうだ、と穂乃果はこの気持ちが初めてのものでなかったことを思い出す。講堂でファーストライブをやった日も、こんな気持ちだった。

「かよちん泣かない約束なのに………。凛頑張ってるんだよ。なのに、もう………」

 この場で誰が泣いていて、誰が涙を堪えているのか、皆の顔を見られない穂乃果には分からない。気のせいだろうか。波の音がすすり泣く声に聞こえる。海も寂しがってくれているのかな。寂しげな雰囲気をかき消すために、穂乃果はいつもの調子で「あー‼」と叫ぶ。

「時間! 早くしないと帰りの電車なくなっちゃう!」

 メンバー達の間を縫って穂乃果は駆け出す。泣いちゃ駄目だ。まだ終わってないんだから、と自分に言い聞かせながら。

 

 ♦

 神田明神の駐車場にオートバジンを停めると、巧は深いため息と共にヘルメットを脱いだ。とても疲れてゆっくり休もうと思っていたのに、電話で穂乃果から呼び出されて急行する羽目になったのだ。

 メンバー全員で遊びに行くと言っていたが、すっかり日も暮れているというのにまだ遊び足りないのか。もしかしたら、せっかく集まったんだから練習しようとか言い出したのかもしれない。

 憂鬱な気分のままいつもの練習場所である拝殿前に着くと、彼女らはいた。巧に気付いたにこが「あ、来たわね」と生意気に言う。提灯が朧げに照らす9人の顔を見て、巧は漠然とだが悟る。きっと、大切なことを彼女らは告げようとしているのだろう。

 「たっくん」と穂乃果がメンバー達の中から歩み出て、巧の前に立つ。

「皆で話して、μ’sはラブライブが終わったらおしまいにすることにしたんだ」

 巧は驚愕のあまりに声を詰まらせる。確かにここ最近、穂乃果はどこか上の空だった。3年生の卒業を控えてのことだとは分かっていた。

「スクールアイドル、やめるのか?」

 巧の問いに穂乃果は「ううん」とかぶりを振る。

「やめないよ。ただ、やっぱりμ’sはこの9人なんだ」

 穂乃果は笑った。彼女の後ろにいる8人も笑っている。笑顔なのに、それを見て巧はやるせない気分にとらわれる。ベルトを失った三原の気持ちが理解できた。事の渦中にいながらも自分が介入できないことの無力感。彼女らが慰めを求めて巧に答えを告げたわけじゃないことは重々承知している。

 ただ、もうすぐμ’sは終わる。それを見届けて欲しい。それが彼女らの、これまでの軌跡を傍観してきた巧に対する報酬なのだ。

 「ごめんね」と穂乃果は俯いた。

「たっくんは守ってくれたのに、相談もなしにいきなり………」

「別に良いさ。お前らのμ’sだからな」

 唇を結ぶ穂乃果に巧は憮然と、でも穏やかに言う。きっと皆で決めたことなのだろう。彼女らの決断に、巧が口を挟む余地はない。とても辛い決断のはずだ。ずっとμ’sのことばかり考えていた穂乃果の青春そのものだったμ’sが、あと1ヶ月もなく終わってしまうのだから。

 終わりの時を自分で決めるとき、人はどれだけの勇気を必要とするのだろう。叶うのかも分からない夢を持つ巧には分からない。

「そうそう、皆で写真撮ったんです。巧さんも見てください」

 絵里がそう言って歩み寄り、鞄から出した写真を見せてくれる。一瞬プリクラかと思ったのだが証明写真で、9人が無理矢理入っているから誰も彼もが窮屈そうにしている。

 集まったメンバー達が写真を見て笑った。変な写り方をしている様をからかい合っている。笑い過ぎたのか、花陽の目尻に浮かぶ涙が薄暗いなかで光を反射する。花陽が指で掬い取っても涙は止まらず頬を伝う。花陽は顔を両手で覆い、嗚咽を漏らした。

「かよちん泣いてるにゃ」

 そう言う凛の目にも涙が浮かんでいる。

「だって、おかしすぎて涙が………」

「泣かないでよ。泣いちゃやだよ。せっかく笑ってたのに………」

 凛も顔を手で覆う。それを見て真姫が「もう」と呆れた顔をする。

「やめてよ。やめてって言ってるのに………」

 言葉を詰まらせ、真姫は俯く。影に覆われた目元から滴が落ちた。

 花陽から凛へ。凛から真姫へ。まるで波紋が水面に広がっていくように、それは伝播した。

 泣きじゃくる海未を抱き留めながら絵里も泣いている。穂乃果の肩に寄り添ったことりの涙が、穂乃果のコートを濡らしている。

「もう、めそめそしないでよ。何で泣いてるのよ」

 上級生というプライドからか、にこが文句を飛ばす。「にこっち」と目尻の涙を零すまいとしている希に、にこは「泣かない! わたしは泣かないわよ」と強く言う。そんなにこを希は強く抱きしめる。下を向いたせいか、希の涙が頬を伝った。

「やめてよ……。そういうのやめてよ………」

 震える声の後に、にこの赤ん坊のような泣き声が響き渡る。

「何で泣いてるの?」

 こんな時でも穂乃果は笑っている。笑いながらその瞳から涙が溢れ出ている。

「もう、変だよ。そんなの………」

 穂乃果は空を仰いで泣いた。歯を食いしばり、抑えきれないものを吐き出し続ける。

 9人分の涙に囲まれながらも巧はそれを止める言葉を知らないし、止めるつもりもなかった。これは、彼女らのせめてもの抵抗なのだ。いつまでも一緒にいられないという現実。時間という概念によって辛い現実をもたらす世界への、何の損傷も与えることのできない抵抗。

 巧は星が散りばめられた夜空を見上げる。どれほど巧が足掻こうとも、どれほど戦おうとも、世界は少女たちに残酷さを提示する。それに目を背けず決断した彼女らがどれ程たくましいのか、そして自分がどれ程ちっぽけなのか、巧は突き付けられた気がした。神がいるのなら、勘違いしていた自分に大笑いしていることだろう。そんなことを思いながら巧は皆を見渡し、その涙を見届ける。

 μ’sは夢の終わりを自分たちで決めた。ならば巧も決めなければならない。

 オルフェノクという、悪夢の終わりを。

 

 




 以前文字数が多くなる原因が戦闘に注力しすぎたと分析したのですが、相談に乗ってくれた友人からこう言われました。

「そこじゃねーよ。日常パートが長いんだよ」

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