ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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 『ラブライブ! サンシャイン‼』第2期が始まりました!

 『サンシャイン‼』の方は挫折や再起に焦点を当てている印象が強く、前作でやれなかったことをやろう、という制作陣の意気込みが見えてきます。Aqoursのこれからに目が離せません。
 にしても、『ラブライブ!』ってのはああいう明るい作品のはずですよね。友情・努力・勝利という、観ると元気が出るような。本作も『ラブライブ!』サイドのストーリーは改変していないはずなのに、どうしてこんなに重い作風になってしまったのでしょうか。

 ああそうか、乾巧って奴の仕業ですな。
 ネタではなく割と本当に巧の仕業です(笑)。



第10話 μ’s / Φ’s

 雪が降っている。

 いや、空から降っているのは雪じゃない。手に取ると分かる。よく目を凝らしても結晶なんてものはなく、冷たくもない。かといって温かくもない。

 それは灰だ。地面に積もる灰が風で舞い上がって、地面に戻っている様子が空から降ってきたように見えるだけだ。アスファルトの感触を隠すほどに積もった灰を踏むと、街には多くの人間が住んでいたんだなと実感できる。

 俺は灰に埋もれた街を歩いた。背の高いビルがにょきにょきと突き出していて、窓から誰かがこちらを見ているんじゃないかと見上げてみる。灰とすすに覆われた窓からは誰の視線もなく、街に虚構のみが漂っている。空も灰色の雲が覆っていて、陽光なんて射し込んでこない。

 歩いている間、俺はぼんやりとしていて何も考えなかった。街の人間は全て燃やし尽くされてしまったらしく、無人の街にそびえ立つビルの残骸が、かつて文明が存在したと無言のまま主張していた。

 しばらく歩いているうちに、街が過ぎていく。そう分かったのは、かろうじて頭を出していたビルが見えなくなったから。郊外に出ると海が広がっている。灰色の世界のなかで、海だけは青く波を立たせている。海岸の遠くに風車がいくつか並んでいた。電気を作っても使うものがいないのに、風車は回ることに忙しい。

「やあ、久し振り」

 風車を眺めていると、不意にその声は聞こえた。俺は波打ち際に立つその背中を見つめる。ウエットティッシュで手を拭くと、そいつは俺の方へ振り向き、にんまりと笑った。口角を上げながらも、俺に向けたその瞳は憎悪を剥き出しにしていて、思わず俺は怖気づいてしまう。

「君がいま生きていられるのは、誰のお陰かな? ま、分かってると思うけど」

「草加………」

 俺は奴の名前を呼ぶ。草加は俺に近付き、不自然なほどに顔を近付けてくる。

「君は言ったよな。いつか必ず借りは返すって。いつになったら、返してくれるのかな?」

「草加、俺は――」

「俺を助けたかったとでも言うつもりか? 君はいつもそうだ。迷ってばかりで、ようやく決意したのは手遅れになってから」

 草加は肩をすくめて続ける。

「君のせいでたくさん死んでったよな。俺も、長田も、木場も。あれから3年経っても何も変わらないじゃないか。森内彩子も死んでしまったし、霧江往人も君なんかを生かすために自分を犠牲にした。本当に、君がいると皆が死んでいく」

 「もう一度聞くよ」と草加は俺の目から視線を離さない。

「君は、誰のお陰で生きてる? 犠牲のもとで成り立ったその薄汚い命で、何をしたいのかな?」

 その答えを俺は既に見つけている。とっくに分かりきっていることだ。

「あいつらの夢を守る」

 俺が答えると草加は空を仰いで笑った。波の音をかき消すぐらい、大きな笑い声だった。まだ治まらない笑いを懸命に堪えながら、草加は言う。

「夢、夢か。そんなもの守って何になる? 夢なんて叶ってしまえば過去のものだ。あって無いようなもの。君に守るものなんて、無いも同然なんだよ」

 「違う」と俺は震える声で言う。でもすかさず草加に「違わないさ」と断じられる。

「オルフェノクにも人間の心を持つ者がいることは、君自身がよく知っている。君にとってオルフェノクを殺すことは人間を殺すのと同じで、その罪に耐えられなくなった。だからお題目が必要だったんだよ。夢だなんて虚しいものを守ることを建前にして、罪の重みから逃れてきた」

 草加の声が恐ろしく、残酷なものへと変わっていく。俺は後ずさり、狂ったように首を振り続ける。草加はそんな俺を指差す。

「でもね、君も所詮はオルフェノクなんだよ。いくら仲間を殺そうと、君が人間のなかに入れることなんてない。それは君も分かっているはずだ。虚しいよなあ。人間のために戦ってきたのに、結局化け物は化け物のままなんて」

 草加が胸倉を掴んできた。じっと俺を睨みつけ、オルフェノクよりも恐ろしい形相で冷たく言い放つ。

「エゴなんだよ。君はただ、自分がオルフェノクであることを否定したいだけだ」

 「やめろ、やめてくれ」と俺は懇願する。それでも草加は俺を面白そうに見つめ、笑みを浮かべ続ける。

 海岸の彼方から獣のような呻きが聞こえてくる。俺の胸倉から手を放した草加は振り返り、群れを成して行進してくるオルフェノク達を見据える。

「君は何もせず見ていればいいさ。空っぽな君に、戦う資格なんて無いからな」

 草加はそう言って、いつの間にか持っていたカイザのベルトを腰に巻く。

『Standing by』

「変身」

『Complete』

 コード入力した携帯電話をバックルに挿し込み、草加はカイザに変身した。カイザは黄色く輝く剣を逆手に携えて、オルフェノクの群れへと向かっていく。オルフェノク達は一斉にカイザへ襲いかかった。まるで狼の群れが1頭の得物を貪ろうとしているようだった。カイザの剣が光の軌跡を描くと、オルフェノクは次々と断末魔の叫びをあげて灰になり、灰に覆われた砂浜へ還っていく。

 カイザの太刀筋には迷いが無かった。迫ってくるオルフェノクにも、丸腰になったオルフェノクにも、容赦なく剣を刺していく。戦士として完璧だった。人間である草加にとって、オルフェノクは世界に巣食う害虫でしかなく、駆除の対象でしかない。彼らにたとえ人間の心があったとしても、彼らよりも力の弱い人間にとっては怖れ、圧倒的偏見と憎悪をもって殺さなければならない。

 俺の加勢なんて必要なかった。カイザは襲ってきたオルフェノクを1体も残さずに葬った。カイザの周囲にはまだ青い炎がちらついていて、かろうじて残っていた死体も灰になっていく。

 佇んでいたカイザに、青い光球が飛んできた。直撃は免れたが、地面に触れた光球は爆発を起こして灰を撒き散らす。飛んできた方向を見ると、2体のオルフェノクが歩いてくる。

 「王」と、主を守る騎士のように半歩前を歩くホースオルフェノクが。

 「王」は地面に落ちている剣を拾い上げる。ワニのようなオルフェノクが遺した剣だ。ホースオルフェノクの右手からは黒い1本の筋が伸びて、それが剣の形を成していく。

「この化け物が!」

 カイザは勇敢に立ち向かっていく。2体の剣をかわしながら、敵に創傷を刻み込んでいく。カイザの剣がホースオルフェノクの魔剣を真っ二つにへし折った。丸腰になったと思ったのだが、ホースオルフェノクは堅牢な鎧で覆われた拳をカイザの顔面に打ち付け、よろけたところを「王」が背中に剣を滑らせる。

 気付けば、俺は走っていた。持っていなかったはずのベルトが腰に巻かれていて、変身システムが俺の意思に答えるように何の操作もなく起動する。

『Complete』

 俺はファイズに変身し、手に持っていたエッジを「王」に振り下ろす。「王」は幅の広い剣でエッジを受け止め、新しい標的として俺に灰色の目を向けてくる。

 鍔迫り合いに持ち込み、力が拮抗するなかで俺はカイザを見やる。あれほど多くのオルフェノクを圧倒していたカイザを、ホースオルフェノクはたった1体でいたぶっている。カイザが突き出した剣を掴み、手が焼かれるのも意に介さずにカイザの腹に蹴りを入れて武器をもぎ取る。奪った剣でホースオルフェノクはカイザの鎧を切りつけた。シルバーの装甲に焦げた傷が付き、スーツの節々から真っ赤な血が飛び散る。

 剣がカイザのベルトを掠めた。地面に力なく倒れたカイザの近くに、外れたベルトが金属の擦れる音を鳴らして落ちる。光と共に、カイザは草加の姿に戻った。草加は灰の地面を這って、ベルトに手を伸ばす。

 そこで、俺の剣が弾かれた。「王」の剣をまともに受けてしまい、よろけた俺は追撃しようとする奴よりも早く、その顔面に剣先を突き出す。エッジは「王」の顔面を焼きながら頭蓋を貫いていく。

『Exceed Charge』

 フォンのENETRキーを押して、より強いエネルギーが充填された刀身を俺は真下へと滑らせる。頭頂部以外を真っ二つにされた「王」の体が青い炎をあげて、仰向けに倒れると脆い陶器のように砕け、崩れていく。

 後方から爆音が聞こえてくる。咄嗟に振り返ると赤く燃える炎のなかで、草加が青い炎に燃やされている。

「草加!」

 草加を見下ろしていたホースオルフェノクの体が崩れた。まるで草加を殺したことで、役目を果たしたようだった。俺は剣を無造作に投げ捨てて草加に駆け寄る。もう手遅れだと、医学の知識なんて無い俺にも分かった。たとえこの世界にまだ医者がいたとしても、下半身が消し炭になり、上半身も青く燃えている草加を助けてくれそうにない。

「何故だ………」

 血に濡れた手を伸ばしながら、草加は問う。

「守るべきもののない空っぽの貴様が生き残り、なぜ俺が死ななきゃいけない!」

 俺の肩を掴んだ草加の手が崩れた。草加は苦悶に顔を歪ませるも、懸命に顔を上げて俺を睨む。その顔から血色が失せていく。ぽろぽろと灰が零れ、ささくれた唇を動かし「嫌だ……」と抗う。

「俺は生きる……。生きて――」

 見開いた草加の目が、眼窩からさらさらと落ちた。収まるべきものを失い、ぽっかりと顔面に空いた穴の奥には虚無が広がっている。顔面に亀裂が入り、崩れた草加の灰が俺に降りかかる。

 波の音だけが聞こえた。俺の掌に乗っている灰が、波風に吹かれて空へと飛んでいく。あの時と同じ怒りが体の内から燃え盛ってくる。

 俺は空に叫んだ。

「オルフェノクなんて滅べばいいんだよひとり残らず! この俺も、木場も、みんな………、みんな‼」

 俺は訳もわからずに叫び続ける。散々叫ぶと体の力が一気に抜けて、俺は地面に突っ伏した。そこでファイズのスーツが消えていて、自分が泣いていることに気付く。

 俺は枯れた喉で呟いた。誰に向けてなのか分からないまま。

「俺を、罰してくれ………」

 

 ♦

 この悪夢からは、いつになったら抜け出せるのだろう。まだぼんやりとした目を擦りながら、巧はそう思った。夢の中では泣いていたのに、現実では一滴の涙も流れていない。

 忌々しい過去と、優しかった過去。それらの記憶を夢に見る度に、どうにもやるせない気分になる。きわめつけは死者が登場人物として現れる夢だ。自分の脳が見せる風景で、死者の姿をした自分自身と分かっていても、そのディテールは本物と遜色ない。

 巧には何となくだが分かるのだ。もし草加の死に立ち会っていたら、あのような言葉を吐き呪縛されることを。そうなると、草加は夢の中だが呪詛の言霊で一杯食わせることができたのかもしれない。

 これが罰なのだろうか。誰からも罰も赦しも与えられず、罪の意識を抱えたまま無力感に苛まれながら生き続けることが。

 何だか悲劇のヒーローを気取っているような感じになってくる。本当の悲劇に見舞われたのは巧ではなく、巧の周りにいた死者達だ。助けようとして手を伸ばしても届かなかった憐れな悲劇の犠牲者達。そもそも、オルフェノクと戦う力を持っているから助けられるだなんて思った時点で傲慢だったのだ。守ることはできても、助けることはできない。

 ごおん、と遠くから鐘を撞く音が聞こえる。もうすぐ年が明ける頃だろうか。年末年始だからといって浮かれる気分になれないから、紅白歌合戦も大晦日お笑い特番も観ずにいつも通りの時間に床についた。まだ深夜だが、すっかり目が冴えてしまって二度寝はできそうにない。

「たっくん、明けましておめでとう!」

 勢いよく襖が開いて、穂乃果がそう言ってくる。

「ってあれ、起きてたんだ。皆で初詣行こうよ」

 普段なら怒鳴り散らすのだが、そんな気力もなく巧は穂乃果を一瞥してため息をつく。穂乃果は巧の横にちょこんと座り、「どうしたの?」と顔を覗き込んでくる。

「怖い夢でも見たの?」

「まあ、そうだな」

 逃れるように巧は顔を背けた。今、自分がとても情けない顔をしていることが分かる。

「たっくん。嫌なら、もう戦わなくていいよ」

 ぽつりとその声が聞こえて、巧は背けていた顔を穂乃果へと向ける。穂乃果は悲しげに巧を見つめた。

「お前何言ってんだよ?」

「だってあの時、たっくんとても辛そうな顔してたもん。霧江君もいるし、あのライブの時に助けてくれた人だっているんだから、たっくんが戦わなくても大丈夫だよ」

 穂乃果の口から出た往人の名前が、巧に胸やけなような症状をもたらしてくる。ごめん、と喉まで出そうになるのを堪えた。言ってしまえば、穂乃果は知ってしまう。

「そういうわけにはいかねえだろ」

 巧が憮然と言うと、穂乃果は「ごめん……」と俯く。

「わたし、勝手すぎるよね。守ってもらってるのに」

「お前、頑張ったのに何にも残んないのは悲しいとか言ってたじゃねえか。オルフェノクのせいで夢が壊れるかもしれないんだぞ」

「それはもちろん嫌だよ。でも、たっくんが苦しむのはもっと嫌だよ」

 その言葉に巧は息を呑み、次に歯を食いしばる。自分の情けなさを突き付けられた気がした。子供は夢を見ていればいい。叶えるための代償なんて世界は求めてこないし、たとえ求められたとしてもその領域には踏み込ませない。そのために戦っているはずだった。でも、彩子の姿を見た穂乃果は、おぞましい世界の残酷さの一端を目撃してしまったのだ。

「たっくんの夢、皆が幸せになることだよね。今のままじゃ、皆のなかにたっくんがいなくなっちゃうよ」

「別に良いんだよ。俺はオルフェノクで――」

 「関係ないよ、そんなの」と穂乃果は優しく遮る。

「わたしだって、皆に幸せになってほしいもん。たっくんも霧江君も。オルフェノクとか人間とか関係なく、皆が幸せに」

 穂乃果は巧の肩に頭を預けてくる。

「わたし何もできないけど、たっくんが苦しい時は一緒にいる。一緒に苦しんで、悲しかったら一緒に泣くから。きっと皆もそうしてくれる。たっくんはひとりじゃないよ」

 そう言われて、巧は救われたような気分にとらわれる。同時にひどい罪悪感が。罰を求めているというのに救いの言葉を向けられて、それを受け入れたいと思ってしまった。それは赦されないことだ。幸福を求めるには傲慢と言える程に罪を重ねてきたし、贖罪を果たし穢れを削ぎ落とす前に幸福を得てしまうのは不条理というものだ。

 巧はごめん、という謝罪を胸に秘めた。

 穂乃果、お前にそうして欲しかったのは霧江の方だ。

 あいつは死んだんだ。最期までお前のことを気にかけてた。

 俺はあいつの気持ちを知っていたのに、オルフェノクだからってずっとお前に隠してた。

 今だってお前を悲しませたくないからって、あいつが死んだことを隠してる。

 「乾さん、お姉ちゃんは――」と襖を開けた雪穂が、言葉を詰まらせてこちらを凝視する。頬が紅潮していて、わなわなと指をさしてくる。

「ふ、ふたりともそういう関係だったの!?」

 そこでようやく穂乃果はこの状況に気付いたようで、慌てて巧から離れる。本人達にその気がなくても、男女が肩を寄せ合っていたら恋人と思ってしまうのは仕方ない。

「ち、違うよ! それより何?」

「海未さん達いつまで待たせるの? 新年早々乾さんと………」

 ちらりと雪穂は巧を一瞥するも、すぐ恥ずかしそうに顔を背ける。そんな妹に穂乃果は「だから違うよー!」と喚きたてた。

 

 ♦

 年月が経って街の様子が変わっても、年越しに神社が多くの人々を迎える様子は変わらないだろうな、と巧は思った。無宗教を気取っていても、習慣というものに宗教行事が組み込まれていると人は自然と神を祀る光のもとに集まっていく。

「着替え中に年が明けちゃうなんて………」

 寒さに身を悶えさせながら発する穂乃果の未練がましさに、海未は呆れた様子で眉を潜める。

「ちゃんと出掛ける準備をしてこないからです」

「新年早々怒らないで」

 別に怒ってもないだろ、と3人組の後ろを歩く巧は呆れのため息を漏らす。ことりも見慣れた光景なのか、どこか安心したとも取れる苦笑を浮かべている。このやり取りが3人にとっては毎年の恒例なのだろう。去年も一昨年もこんな様子だったのだろうな、と思える。もしかしたら、来年も再来年もこんなやり取りが繰り返されるのかもしれない。

 それでも、3人にとって今年の初詣は去年とは決定的に異なった様相のはずだ。その変化はすぐ訪れる。神田明神へと続く階段の麓にいる、花陽と凛によって。

 「みんな」とこちらを振り返る花陽に続き、凛も嬉しそうな顔を振り向かせる。

「明けましておめでとう」

「おめでとうにゃ」

 「今年もよろしくね!」と穂乃果は元気よく返す。ふと、ことりが凛を見て目を輝かせる。

「凛ちゃんその服可愛い」

 「そう?」と言いながらも凛は得意げに胸を張り、スカートの裾を指でつまんでみせる。

「クリスマスに買ってもらったんだ」

 「似合ってるよ、凛ちゃん」と花陽が嬉しそうに言う。凛も満面の笑みで「ありがとう」と応えた。

「真姫ちゃんもさっきまでいたんだけど………」

「恥ずかしいからって、向こうに行っちゃったにゃ」

 凛が家屋の陰を指差す。視線で追うと、陰から顔を半分だけ出した真姫がおずおずとこちらを見返している。

「真姫ちゃん?」

 穂乃果が呼ぶと、観念したようで真姫は朧げな街頭の下にその姿を晒した。彼女が歩くと、草履の音が小気味よくアスファルトに響く。「おお!」と皆が感嘆の声をあげた。

 赤い生地に花模様の刺繍が入った振袖に身を包んだ真姫は気恥ずかしそうに、でもぎこちなさはなく立っている。こうして絢爛な姿を見ると、改めて良家の令嬢なのだと納得できる。性格はともかく。

「わ、わたしは普通の格好でいいって言ったのに、ママが着ていきなさいって。ていうか、何で誰も着てこないのよ?」

 正月だからって誰もが振袖を着るわけでもないだろうに。皆も巧と考えは似ているようで、きょとんと目を丸くしている。

「あら、あなた達」

 不意にその声が聞こえて、全員が階段へと視線を移す。階段の中腹に、こちらを見下ろす3人の少女が立っている。見慣れない私服の出で立ちだが、その堂々とした佇まいはA-RISEと認識するに十分な効果を持つ。

「やっぱり」

 微笑を浮かべたツバサは巧を一瞥する。ほんの一瞬だが、ツバサの射抜くような視線が巧の背筋を凍てつかせる。わたしは彩子の夢を受け継いでいます。それなのにあなたは何を迷っているんですか、と言うように。

 そんな冷たいものに気付かず、穂乃果は彼女らに駆け寄り「明けましておめでとうございます」と頭を下げる。「おめでとう」とツバサは落ち着いた口調で返した。

 「初詣?」とあんじゅが聞く。「はい。A-RISEの皆さんも?」と海未は質問を返すと、「ええ、地元の神社だしね」と英玲奈が返す。

「ですよね」

 穂乃果の言葉の後、何とも言えない沈黙が漂う。奇妙なものだった。女子高生らしくそれ以上の会話に華を咲かせることもなく、互いに優越も劣等もない視線を交わしている。

 ツバサはふっ、と笑った。その顔に陰りが帯びたような気がした。

「じゃあ、行くわね」

 横を通り過ぎるツバサを穂乃果は意外そうに見つめる。何か言葉があっても良いのではと思えるが、そんな追い打ちをかけるほど底意地の悪さは見当たらない。

 階段を下り切ったところで3人は足を止め、振り返ると晴れ晴れとした顔で言う。

「優勝しなさいよ、ラブライブ」

 激励であり、祝福でもあるその言葉にμ’sの皆は表情を明るくさせる。両者の関係はライバルから勝者と敗者に変わった。μ’sが勝者で、A-RISEは敗者。インターネット上ではμ’sがA-RISEを打ち破るのではないか、と囁かれていたが、それが現実になることはどれほどの観客が予想していただろうか。

 この結果にμ’sの面々は互いに抱き合い、喜びを分かち合っていた。A-RISEは何を分かち合っていたのだろう。悲しみや悔しさと第一に予想するが、もしかしたら全力を出し切ったという達成感かもしれない。いや、多分前者だと巧には分かる。彩子の夢を継ぐことを決めたツバサが、負けて「やり切った」なんて無責任に片付けるとは思えない。A-RISEの3人が神社に訪れた目的が、呪いへと変わった彩子の夢を祓うことでないと願う。もっとも、彼女らがそう簡単に夢を捨てる性分とは思えないが。

 祝福される夢。呪縛される夢。

 この神田明神に集まった人の数だけ、夢や願いがある。敷地内にすし詰め状態だから途方もない数だが、それでもこれは一端でしかない。今この瞬間、他の神社で人々は神に願っているのだ。叶いますように。どうか叶えてください、と。

 拝殿前でメンバー達は両手を合わせて祈りを捧げる。巧も真似事をして、ヴェーチェルの3人と往人の冥福でも祈ろうかと思いかける。本来なら墓参りで祈るべきだが、オルフェノクと、オルフェノクに襲われた者の死は世間に認知されない。死体が残らないから、大抵が行方不明扱いだ。彼等の冥福を祈るのならば、これまで死んでいったオルフェノクとその犠牲者達の分も祈らねばならずきりがない。

 それにオルフェノクを屠ってきた巧が祈ったところで、死者は決して巧を赦しはしないだろう。

「かよちんは何をお願いしたの?」

 凛の質問に、「秘密だよ」と花陽は恥ずかしそうに答える。凛は次に「ことりちゃんは?」と。

「もちろん、ラブライブ優勝だよ」

「だよね」

 「さ、後もつかえていますから次の人に」と促す海未の視線が横へと流れる。視線の先にいる穂乃果は、まだ両手を合わせたままだ。

「穂乃果?」

 海未が呼ぶと、穂乃果は閉じていた目をゆっくりと開く。

「わたし達9人で最後まで楽しく歌えるようにって」

 「そうだね」とことりがしみじみと言う。「でも長すぎにゃ」と凛が何気なしに。

 「だって」と穂乃果は応える。

「一番大切なことだもん。だから念入りに」

 再び手を合わせる穂乃果は、先ほどツバサから向けられた言葉の意味を分かっているのだろうか。巧はそんな思いにとらわれる。

 A-RISEはμ’sにラブライブ優勝という夢を託した。自分達だけでなく、受け継いだヴェーチェルの夢も。一度は呪いになった夢は、μ’sへと受け継がれたことで祝福へと変わるのだろうか。もしμ’sの夢が潰えたら、受け継がれた者達の夢はどこへ向かっていくのか。

 拝殿の裏へ回ると、年始の行事で大忙しの巫女達が行き交っている。「あ、いたいた」と穂乃果が巫女の中から見慣れた背中に呼び掛ける。

「希ちゃーん!」

 段ボールを抱える巫女装束を着た希は振り返り、「あら」と落ち着いた口調で。

「明けましておめでとう」

 「おめでとう」と穂乃果が返し、「忙しそうだね」とことりが言うと希は微笑を浮かべる。

「毎年いつもこんな感じよ。でも今年はお手伝いさんがいるから」

 そこへ「希、これそっちー?」と段ボールを重そうに抱えた小柄な巫女がふらつきながら歩いてくる。「にこちゃん!」と凛が呼ぶと、上ずった声をあげてにこは段ボールを落としてしまう。

「何よ、来てたの?」

 「巫女姿、似合いますね」という海未の言葉に、段ボールを持ち上げたにこは「そ、そう?」と困惑しながらも満更でもない顔をする。

「何か真姫ちゃんと和風ユニットが作れそうにゃ」

 凛がそう言って真姫の背中をずい、と押す。「それだ!」と穂乃果は手を叩くが、すかさず「それだ、じゃないわよ!」と真姫が遮る。

「そうよ色物じゃない!」

 にこの声に呼び寄せられたのか、またひとり巫女が歩いてくる。

「あら、皆」

 「絵里ちゃん!」と穂乃果が巫女を呼ぶ。日本人離れした外見だが、絵里は見事に巫女装束を着こなしていた。

「惚れ惚れしますね」

 普段から和装の弓道着に袖を通す海未が言うのだから、本当に似合っているのだろう。

 「絵里ちゃん、一緒に写真撮って」と言う凛を「駄目よ」と絵里は優しく窘める。

「いま忙しいんだから。希も早く」

 「はいはい」と希は笑い、にこと絵里と並んで奥へと歩いていく。3人の背中を見送りながら、「仲良しだね」と穂乃果が呟いた。穂乃果と他のメンバー達と同様、巧もまたこの瞬間に安らぎ感じていることに気付く。

「でも、もうあと3ヶ月も無いんだよね。3年生」

 花陽の言葉は、その場にいる全員の意識を現実へと引き戻す。日々に安らぎを感じるのならば、それが変わらずに毎日が過ぎていけば良いと願うのは当然のことなのかもしれない。でも、時間というものは容赦なく変化をもたらす。特に、高校生という短いスパンは刹那的に短い。

 「花陽」と海未が慰めるように。

「その話はラブライブが終わるまでしないと、この前約束したはずですよ」

「分かってる。でも………」

 花陽の感じる寂しさは、メンバーの全員が同じだろう。それを今まで敢えて口にしなかったのは、寂しさをリアルに感じてしまうから。

 寂しい沈黙を破ったのは穂乃果だった。

「3年生のためにもラブライブで優勝しようって言って、ここまで来たんだもん。頑張ろう、最後まで」

 

 ♦

 本戦での選曲は自由。既存の曲でも新曲でも構わない。

 曲だけでなく、衣装もダンスもパフォーマンスの時間にも制限がない。それぞれのグループがそれぞれの特徴を活かし、思い思いのパフォーマンスを観客に見せることができる。制限があるとすれば、歌えるのは1曲ということだけ。

 各区最終予選を突破した約50のグループが曲を披露し、会場とインターネット投票で優勝グループを決める。実にシンプルな形で大会は進められる。

 運営委員会からそのルールが提示されてから、本戦への出場が決まったグループの間ではある空気が流れている。

 大会までに、いかに観客に自分達を印象づけておけるかが重要。

 50近くものグループが歌うとなると、観客全員に全グループ全曲観ろ、だなんて要求するのは酷だ。熱心に会場へ訪れる観客は全グループのパフォーマンスを見届けるかもしれないが、インターネットで視聴する場合はお目当てのグループだけ見て、そこに投票という形になるだろう。μ’sは優勝候補だったA-RISEを破ったということで注目されてはいるが、その雰囲気を本戦が行われる3月までに保てる確証はない。

 本戦は既に始まっている。ただ日々を練習に費やし、本番に全力で歌えば良いと言えるほど、事は単純ではない。

 ならば、観客に印象づける方法は何があるというのか。

「キャッチフレーズ?」

 穂乃果の発する単語に花陽は「はい」と応じ、部室のPCでラブライブの大会ホームページにアクセスする。

「出場チームはこのチーム紹介ページにキャッチフレーズを付けられるんです」

 「例えば――」と花陽はとある出場グループの紹介ページを開く。グループ名は「KTお使い娘」で、画面を凝視するメンバー達の中から穂乃果が掲載されたフレーズを読み上げる。

「恋の小悪魔」

 他のグループも、「はんなりアイドル」や「With 優」といったフレーズが掲載されている。

 「なるほど、みんな考えてるわね」と絵里が唸る。

「当然、うちらも付けておいた方がええってわけやね」

 希の言葉に「はい」と花陽が同意する。

「μ’sをひと言で言い表すような」

「μ’sをひと言で、か………。たっくんだったら何て言うかな?」

 そう言って穂乃果は宙を見上げる。

「巧さんだったら『歌って踊れる』とか言いそうね」

 呆れ顔を浮かべる真姫の言葉に、凛と希が苦笑する。

「それ言われたにゃ」

 

 ♦

 オルフェノクには墓がない。

 人間は死ねば死体になる。死体は焼けば骨が残る。残った骨は墓に納められる。骨はその主が確かに生きていた、という証だ。誰のものか分からなくても骨さえあれば墓標は作れるし、刻む名前が無くても納めて祈りを捧げることができる。

 オルフェノクは死ねば何も残らない。人間のようにゆっくり時間をかけて朽ちていくことなく、あっという間に灰になって風が虚無の彼方へと運んでいってしまう。だからオルフェノクは生きていたという証が残らず、死んでも誰からも知られることがない。記録上は行方不明。オルフェノクになったことを身内が知らなければ、残された者は永久に家族の帰りを待つことになる。

 だから、オルフェノクには墓を作りようがないのだ。人間社会では生死が曖昧で、無名の共同墓地にすらも行き場がない。そもそも、墓に行くべき骸が無いのだから。

「あいつ、どんな最期だった?」

 煙が立ち昇る煙草を咥えながら、海堂が尋ねてくる。足元には花屋で適当に繕ってもらった花束とコーラの缶を置いてある。ここがあいつの死んだ場所だ、と巧は海堂にこの路地裏を案内したのだが、正直なところ本当にこの地点で往人が消滅したのかは記憶が曖昧になっている。当然、灰はもう残っていない。

「笑ってた」

 巧は簡潔に答える。「そうか」と海堂は奇妙なほど静かに呟いて、新しい煙草を1本取り出すと火を点けて花束の傍に置く。まるで線香をあげているようだった。もっとも花に燃え移ってぼや騒ぎを起こしたら面倒だから、立ち去る際にはしっかりと火を消さなければいけないが。

「ガキが大人より先に逝くもんじゃねえよ」

 海堂がぽつんと漏らす。巧は往人の言葉を思い出した。なぜオルフェノクが生まれたのか、という巧の問いへ返した往人の答えを。

「あいつ、人が命に意味を付けようとするのは無意味なことに耐えられないから、とか言ってたんだ」

「なかなかポエマーだったんだな」

「霧江は、自分の命も無意味って思ってたのか?」

「んなもん俺が知るかよ。ちゅーかまあ、なかなか的を射たこと言ってたんだな、往人のやつ」

 どういうことだ。巧がそう思っていると、海堂は察したようで言葉を続ける。探っているようにも見えた。

「俺達オルフェノクが滅んでも、人は夢を持って、ほんで殆どの奴が諦めちまう。何も変わりゃしねえさ。琢磨も言ってたろ。生物の進化に意味はねえってよ」

 何だか虚しくなってくる。このまま物事を突き詰めたら突き詰めるほど、最後に行きつくのは「無意味」という言葉になってしまうような気がしてならない。

「ちゅーか何にせよ、お前は往人の愛した穂乃果ちゃんを守らにゃいかんということだ。近々またスマートブレインが襲いに行くみたいだから、用心しとけ」

 巧の肩をぽん、と叩いた海堂は花束に両手を合わせる。巧は往人の冥福を祈らなかった。祈るのが怖かった。自分に与えられた往人の命を背負うという事実を突きつけられるような気がした。夢で草加に言われた通りだ。結局は罪の重みから逃れたかったに過ぎない。

 

 ――夢なんて叶ってしまえば過去のものだ――

 

 夢で告げられた草加の言葉が蘇ってくる。そう、夢は叶えば終わってしまう。終わってしまったら、巧がμ’sの傍にいる理由は無くなる。

 いや、と巧はかぶりを振る。巧はかつて誓った。人間を守るために、元は人間だったオルフェノクを倒すと。それに伴う罪も責任も被るつもりだった。でも、あの時の巧はそれを放棄してしまった。ファイズとして戦い穂乃果達を守った往人こそ、人々にまことしやかに囁かれる「仮面ライダー」という存在だったのだ。

 その往人は死んでしまった。

 英雄は喪われた。

 往人の遺志を受け継ぐのは、彼の命を与えられた巧が最優先にすべきだろう。でも、巧にはその資格がない。なぜ俺が英雄を押し付けられなければならないのか、と苛立つ自分にまた苛立ちが募ってくる。

 巧は晴れた空を見上げる。あの日、夜空へ昇っていった往人を探すように。

 

 俺は、お前みたいなヒーローになれない。

 

 

 ♦

「μ’s、μ’s………」

 校門前の信号が青に変わるのを待ちながら、もはや何度反芻したかも分からない単語を穂乃果は繰り返す。練習の時から数時間は考え続けているが、的確なフレーズが全く見当たらない。

「あ、石鹸じゃない!」

 「当たり前です」と隣にいる海未が鋭く言う。

「9人」

「それも当たり前です」

「海未ちゃんもちょっとは考えてよ」

 穂乃果が口を尖らせると、海未は「分かってます」とため息を交じる。

 「なかなか難しいよね」とことりが。

「9人性格は違うし、一度に集まったわけでもないし」

「でも、優勝したいって気持ちはみんな一緒だよ」

 穂乃果の言葉を受けて、「となると……」と海未はおもむろに。

「キャッチフレーズは、ラブライブ優勝………」

 しばしの逡巡を挟んで、自分の言葉に呆れた様子の海未は「何様ですか……」と眉を潜める。

 「あれ?」ということりの声に、穂乃果と海未は俯いていた顔を上げる。横断歩道をゆっくりと、ひとりの少女がこちらへと歩いてくる。穂乃果はその少女の名前を呼ぶ。

「ツバサさん」

 ツバサは3人の、その真ん中にいる穂乃果の前で足を止めて告げる。

「話があるの」

 

 ♦

 穂乃果と2人で話がしたい。

 ツバサからの要求に海未とことりは心配そうにしていたが、穂乃果はそれを呑んだ。負けたからといって仕返しをするような人物とは思えないし、向こうもあんじゅと英玲奈を同行させずひとりで来た。ならばこちらもひとり、リーダー同士で話すことが筋だろう。

 ツバサの案内で河辺の公園まで歩く間、2人の間で会話は一言もなかった。公園に到着する頃になると陽は傾き始めて、河面は空と同じ茜と藍が混ざった紫色のグラデーションを映し出している。毒々しいが、奇妙な美しさがあった。

 河のほとりに置かれたベンチに腰掛けた穂乃果は途中で買ってきた缶コーヒーを啜り、その苦さに顔をしかめる。ツバサがブラックを買ったから負けじと同じものを買ったが、やはりココアにしておけばよかったと後悔した。隣に座るツバサは何食わぬ顔でコーヒーを飲んでいて、巧もコーヒーはブラック派だったことを思い出す。

「ごめんなさいね。でもどうしてもリーダー同士、ふたりきりで話したくて」

「いえ。海未ちゃんもことりちゃんも分かっていると思いますから」

 ツバサは穂乃果には一瞥もくれず、せせらぎを鳴らす河を眺めながら尋ねる。

「練習は頑張ってる?」

「はい。本戦でA-RISEに恥ずかしくないライブをしなきゃって、みんな気合入ってます」

「そう」

 穂乃果はツバサの顔を見つめる。表情からも、声からも羨望や怨恨といった色がまったく感じられない。恨みの言葉を吐きに来たようには思えないし、かといって激励に来てくれたとも思えない。

 穂乃果はおそるおそる尋ねる。

「あの、A-RISEは?」

「心配しないで。ちゃんと練習してるわ。ラブライブって目標がなくなってどうなるかって思ったけど。やっぱりわたし達、歌うのが好きなのよ」

「良かった」

「ただやっぱり、どうしてもちゃんと聞いておきたくて。わたし達は最終予選で全てをぶつけて歌った。そして潔く負けた。そのことに何のわだかまりもない」

 やっぱり凄いな、と穂乃果は思った。勝ったけど、A-RISEは上手だ。歌もダンスもだけど、アイドルとしての心構えが。

「と、思っていたんだけどね」

 ツバサから発せられた言葉に、穂乃果は「え?」と漏らす。

「ちょっとだけ引っかかってるの。何で負けたんだろう、って」

「そう、なんですか………」

 穂乃果はそれしか言えない。正直、どうしてμ’sが勝ったのかは穂乃果にも分からない。自分達の歌に込めた想いがA-RISEよりも上だった、という答えは抽象的で、とりまとめが無い。

 「理由が分からないのよ」とツバサは言う。

「確かにあの時、μ’sはわたし達よりもファンの心を掴んでいたし、パフォーマンスも素晴らしいライブだった。結果が出る前にわたし達は確信したわ。

 最終予選のライブは自分達でも納得のいくパフォーマンスに仕上がったけど、それを面と向かって言われるのは認められて嬉しいと同時に気恥ずかしい。

 そんな穂乃果に「でも何故それができたの?」とツバサは鋭く問う。

「確かに努力はしたんだろうし、練習も積んできたのは分かる。チームワークだって良い。でもそれは、わたし達も一緒。むしろわたし達は、あなた達よりも強くあろうとしてきた。それがA-RISEの誇り。スタイル。だから負けるはずがない。そう思ってた。でも負けた」

 ツバサの顔が次第に寂しさを帯びていくような気がした。こうして彼女の想いを聞いていくうちに、穂乃果はツバサへの親近感を感じ始めていく。手の届かない浮世離れした存在と思っていたけど、本質は自分達と同じまだ高校生なんだ、と思った。

「その理由を知りたいの」

 そこでツバサは、ようやく穂乃果へ顔を向ける。何かを探るように。

「μ’sを突き動かしているものって何? あなた達を支えているもの、原動力となる想い。それは何なの?」

 ツバサの視線に穂乃果は怖気づく。ツバサは本気で疑問を感じているのだと分かる。

「それを聞いておきたくて」

 穂乃果は「えっと……」と言葉を詰まらせる。本当に分からないし、ここで無理矢理言葉を捻り出したとしても、それは本物じゃない。じっと穂乃果を見つめてくるツバサは更に疑問を投じてくる。

「あの人………、乾さんなの?」

 ツバサの口から出てきたことに、「え?」と間の抜けた声を出してしまう。

「乾さんが、あなた達をここまで導いたの?」

 「あー」と穂乃果は宙を見つめ、「ちょっと違うかも」と。ツバサは意外そうに穂乃果を見つめた。自分が笑みを浮かべていることに気付く。

「たっくんはここまで連れてきてくれたんじゃなくて、守ってきてくれたんです」

「守ってきてくれたって……、それだけ? それだけであの人を信じられるの?」

「はい」

 穂乃果は即答する。ぽかんとツバサは口を開けて穂乃果を見つめる。そのまなじりが僅かに吊り上がった。

「オルフェノクなのに?」

「たっくんはたっくんですから」

 穂乃果は笑ってそう言う。オルフェノクを恐れているのは本心だ。でも、穂乃果にとって巧はオルフェノクである以上に、自分達を守り、傍にいてくれる巧なのだ。

 「でも……」と穂乃果は憂いを声に出す。

「いつまでも守られてばかりじゃいけないかなって、思い始めたんです。たっくん、辛そうなので」

 巧が誰よりも優しいことを穂乃果は知っている。自分と同じオルフェノクに対して、何も思うことなく戦っているはずがなかったのだと思い至る。巧がオルフェノクだと知らなければ、彼の苦悩を知ることもなかっただろう。

 そこで穂乃果は悟る。

 巧が戦っていたのはオルフェノクではなく、同族と戦わなければならない運命だった、と。

 ふ、とツバサは笑みを零した。

「何となく分かった気がする。あの人が人間でいられる理由が」

 「え?」という穂乃果の疑問には答えず、ツバサは手を差し出す。穂乃果はその手を取った。

「今日はありがとう」

「ごめんなさい。何かちゃんと答えられなくて」

「気にしないで」

「でもA-RISEがいてくれたからこそ、ここまで来られた気がします」

 ツバサは微笑を返した。相変わらず綺麗だな、と穂乃果は思った。綺麗で誰もが憧れるA-RISEのリーダー。その綺羅ツバサですら分からないのに、穂乃果に答えが出せるのだろうか。

 でも、その答えがキャッチフレーズになる気がする。

 

 ♦

 気温が低くなると、アイロンから発せられる蒸気がはっきりと目に映ってくる。巧は熱を十分に帯びた鉄板を台に広げたシャツに押し当て、丁寧にしわを伸ばしていく。

「あ、それ慎重にやってくださいよ。お気に入りなんですから」

 こたつで勉強している雪穂がそう言ってきて、「はいはい」と巧は答える。

 障子が開けられる。高坂母がお茶でも淹れてくれたと思ったが、穂乃果だった。

「こっちで勉強?」

「うん、部屋寒くて」

「お風呂、先入っちゃうよ」

 「どうぞ」と雪穂は姉に目もくれずにペンをノートに走らせている。穂乃果は障子を閉めるが、閉め切る途中で再び開ける。

「ねえ雪穂。雪穂から見てμ’sってどう思う?」

 「え?」と雪穂は姉を見上げる。

「何で急にそんなこと?」

 そう言いながらも雪穂はペンを止め、しばし考えて「そうだな……」と。

「心配」

「はあ?」

「あとは、危なっかしい。頼りない。ハラハラする」

「一応地区代表だよ………」

 さすが妹。まさにその通りだ。練習を見ながら巧が何度グループの先に不安を覚えたものか。

「分かってるよ。でも何か心配になっちゃうんだよね。乾さんがマネージャーやってるにしても」

「そうかな? じゃあ何で勝てたんだと思う?」

「さあ」

「さあ、って………」

 雪穂は苦笑を浮かべた。

「ただ応援しなきゃって気持ちには不思議となるんだよね、どんなグループよりも。それはお姉ちゃんだから、地元だからとか関係なく」

「応援しなきゃ、か………」

 そのまま同じ質問をしてくるか、と巧は思ったが、タイミングよく穂乃果の携帯電話が鳴ってくれる。穂乃果は画面を見て微笑み、次に「あー!」と大声をあげる。その不意打ちに手元が狂いそうになり、巧は寸止めしたアイロンを立て掛ける。

「何だうるせえな」

「そうだよ、大事なこと忘れてたよ。お母さんは?」

 「台所、だけど」と雪穂が困惑気味に答えると、穂乃果は「お母さーん!」と台所へと走っていく。

 姉が放置した障子を閉めて、雪穂は呟く。

「な、何なの一体?」

「また変なこと思いつかなきゃいいけどな」

「絶対に乾さんは巻き込まれますよ」

 また疲れる出来事に見舞われるのか、と憂鬱になりながら巧はアイロンがけを再開する。そんな巧を雪穂は見つめながら、笑って言った。

「お姉ちゃんのこと、お願いしますね」

 

 ♦

 木臼の中で、炊き立ての白米が湯気をくゆらせている。臼の中身を見て、穂むらの店先に集まったメンバー達は「おお」と感嘆の声をあげる。特に花陽は嬉しそうだった。

「ちゃんと出来るのかよ?」

 半被を着て(きね)を持ち上げる穂乃果に、巧は訝しげに言う。

「お父さんに教わったもん」

 そう言って穂乃果は杵を臼に入ったもち米に押し当て、目標地点を定めると思い切り振り上げる。「はい」と海未がもち米を水で濡らした手でひっくり返し、すかさず手を退けたところで穂乃果は杵を振り下ろしもち米を叩く。

 「よっ」と海未がひっくり返し、「ほっ」と穂乃果が叩く。この応酬が繰り返されると、臼のもち米はひとつの塊になっていく。

 巧は去年の正月を思い出す。餅を冷まして食べようとしたら固くなっていて、「こんなもん食えっか」と文句をつけたものだから真理と啓太郎に呆れられた。

「ご飯キラキラしてたね。お餅だね」

 皿と箸を持って待機している花陽が涎を垂らしながら言う。花陽だったらこれだけの餅でもひとりで食べてしまいそうだ。

「凛ちゃんやってみる?」

「やるにゃ!」

 凛に杵を渡した穂乃果は「真姫ちゃんも」と言うが、真姫は「いいわよ」と手を振る。

「それより何で急に餅つきなの?」

 「在庫処分?」と希が続く。「違うよ」と穂乃果は言った。

「何か考えてみたら、学校の皆に何のお礼もしてないなって」

 「お礼?」と絵里が聞くと、「うん」と穂乃果は応じる。

「最終予選突破できたのって、皆のお陰でしょ。でもあのまま冬休み入っちゃって、お正月になって」

 「だからってお餅にする必要ないじゃない」とにこが口を尖らせる。巧もそれは思ったのだが、止めたところで無駄であることを知っている。

「だって他に浮かばなかったんだもん。それに学校の皆に会えば、キャッチフレーズが思いつきそうだなって」

 本当にそれで思いつくのだろうか、と巧は思った。「お餅つく」だけに、なんて寒いギャグが理由ではなさそうだが。

 餅つきを再開しようと凛が杵を振り上げる。すると「危なーい!」と亜里沙が走ってきて、臼の傍で待機していた海未へ飛びつく。

「μ’sが怪我したら大変!」

 そういえば、絵里が遅れて亜里沙も来ると言っていたのを思い出す。その必死な剣幕に思わずメンバー達は吹き出してしまう。亜里沙はまだ日本の文化に疎いから、凛が海未を杵で叩こうとしたように見えたのだろう。

 気を取り直して再開すると、何度も叩かれた臼の中で餅は完成した。メンバー達でそれを適当な大きさに分けて丸めていく。

 皿に置かれた餅はまだ湯気を昇らせている。亜里沙はそれを物珍しそうにまじまじと見つめている。

「お餅……、スライム?」

 「食べてみて。ほっぺた落ちるから」と花陽が促す。「ほっぺた落ちちゃんですか!?」と亜里沙が驚くと、またメンバー達は笑った。こうして見ると、日本語の比喩は奇妙なものだと分かる。

 亜里沙は噛んだ餅が伸びることにも仰天し、おそるおそる咀嚼すると「美味しい」と笑みを零した。

 そこへ、ぞろぞろと群衆が歩いてくる。穂乃果は「へいらっしゃい!」と江戸っ子店主のごとく、訪れた来客達を出迎えた。

 店先で始まったのはパーティと呼ぶべきか、試食会と呼ぶべきか。訪れた音ノ木坂学院の生徒達は配られた餅を楽しげに堪能しているから、どちらでも良いだろう。μ’sメンバー達が来客に箸と皿を配り、味付けはきな粉か醤油かと聞いている。たわしで臼の餅を落としながら巧がふと視線を巡らせると、「お餅ー!」と喚く花陽を凛が止めている。さっき食べたのにまだ食べるつもりなのか。呆れながら巧は臼をホースの水で洗い流した。

 役目を終えた臼を裏手の物置に置いて戻ろうとした時だった。背後から口元を覆われる。続けて腕を後ろへと回されてがっちりと動きを封じられる。だが襲撃者はこの手の誘拐に慣れていないようで、巧が踵で思い切り足を踏むと腕に込められた力が緩む。するりと拘束から腕を抜いた巧は、当てる場所などろくに確認もしないまま肘打ちを見舞った。ごほっ、と咳き込んだ襲撃者に、振り向きざまに今度は裏拳を繰り出す。今度は頬に当たったらしく、襲撃者は情けなく尻もちをつく。

「待って巧!」

 その声と共に、横から巧の腕を誰かが掴んでくる。声を聞いた瞬間、巧は全身の筋肉が硬直したような錯覚にとらわれる。巧の目の前に声の主は立ち塞がった。息を荒げる女の顔を巧は呆然と見つめる。

「たっくん、やっと見つけた………」

 襲撃者の男がそう言いながらゆっくりと立ち上がる。

 巧は2人の名前を呼ぶ。離れてまだ1年も経っていないのに、すっかり懐かしさを感じるようになったその名前を。

「真理、啓太郎………」

 

 ♦

「初めまして、菊池啓太郎です。あ、うちクリーニング屋やってるので、洗濯物あれば是非」

 手書きのチラシを差し出そうとした啓太郎の手を掴み、じろりと睨んだ真理はテーブルの向かいに笑顔を向ける。

「園田真理です。うちの巧がご迷惑おかけして」

 頭を下げる真理に、「そんなことないわよ」と上機嫌に高坂母は言う。

「お店手伝ってもらってるし、巧君アイロンがけ上手だから大助かりよ」

 「え、たっくんが?」と啓太郎は意外そうに巧を見つめてくる。知らんぷりを決め込み、巧はお茶に息を吹きかける。どうにもこの雰囲気は耐えかねる。間の悪いことに、何でメンバー達が全員揃っているこの日なのか。しかもメンバー達も居間に集まってしまっていて、真理と啓太郎を興味深そうに見ている。既に餅を捌き切って、生徒達は帰らせたらしい。

 「さて」と高坂母は腰を上げる。

「お店の仕事あるから。2人ともゆっくりしていって」

 「ありがとうございます」と啓太郎が居間から出ていく高坂母に言った。高坂母は2人へ、次に巧へ視線を向けて微笑を浮かべ奥へと消えていく。

「凄いなー。まさかμ’sの皆さんと会えるなんて………」

 啓太郎はメンバー達を見渡し感慨深そうなため息をつく。こいつアイドルに興味あったか、と思ったがμ’sがそれほど有名になったとも取れる。

「あの、よろしければサインを――」

「んなことはどうでもいい」

 巧は鋭く啓太郎を遮る。サインという単語に敏感な反応を見せたにこがペンを取り出していたのだが、構わず巧は続ける。

「何でここが分かった?」

 「三原君から聞いたのよ」と真理が答える。

「様子が変だったから、絶対巧のこと知ってるって思ったわけ。なかなか口を割らなかったから苦労したわよ」

 何て物騒な言い方をするのか。お陰でメンバー達が少し怯えた眼差しを向けている。

「お前まさか脅迫でもしたのかよ?」

「してないわよ。あっつあつのアイロン近付けて聞いたら快く教えてくれたわよ」

 ふふん、と真理は得意げに笑う。巧は深いため息をついた。

 「あの、巧さんとはどんな………」と絵里が尋ねる。真理はしばし考える素振りを見せてから答えた。

「ただの同居人。啓太郎の家で一緒に暮らしてたんだ。詰まんないことで口喧嘩しちゃって、それで巧が家出しちゃってさ」

 嘘だった。家を出る日に巧は真理と口喧嘩なんてしなかった。真理はオルフェノクのことを隠そうとしているのだろう。

「迷惑かけちゃってごめんね。もう連れて帰るから」

 「勝手に決めんな」と巧は噛み付くように言った。「何でさたっくん」と啓太郎が詰め寄ってくる。

「たっくんのためを思って言ってるんだよ。体のことだって――」

 「体のことって?」と穂乃果が聞いてきた。巧は余計なことを口走った啓太郎を睨む。罰が悪そうに啓太郎は頭をかいた。

「たっくんがオルフェノクってことに関係あるんですか?」

 穂乃果が発した「オルフェノク」という単語に、真理と啓太郎は目を見開く。啓太郎は声も絶え絶えに聞く。

「知ってるの? オルフェノクのこと」

 「この辺りにも出たんです」と海未が答えた。

「わたし達を守るために戦ってくれて、本当に巧さんには感謝しています」

 「それより体のこととは?」と尋ねる海未を啓太郎は憂鬱そうに見つめている。海未はその反応に疑問を抱いているらしく首をかしげる。啓太郎は真一文字に結んだ口を開いた。

「オルフェノクはあまり――」

 「おい」と巧は遮った。啓太郎は巧を睨んでくる。珍しい顔をするものだから、思わず巧は身構えてしまう。

「たっくんのためなんだよ。こうして会えたから良かったけど、もしかしたら――」

「よせ!」

 巧の怒号に啓太郎の肩がびくりと震えた。メンバー達もひどく驚いた様子で目を見開き、巧を凝視している。雰囲気を察した巧は頬杖をつき、ため息交じりに言う。

「お前らもう帰れ。迷惑だ」

「何でそうやって詰まんない意地張るのさ? 俺はたっくんが心配で――」

「それが迷惑だっつってんだよ。俺がどうするかは俺が決める。お前の手なんかいらねえよ。いたって何の役にも立ちやしない」

 「そんな………」と啓太郎は泣きべそをかいて膝を抱える。大人が子供の前で泣くなよ、と思いながら巧はお茶を啜る。まだ熱かった。メンバー達の啓太郎への憐れむような視線は傍から見ても痛々しい。

 「ああもう!」と重苦しい沈黙を真理が破り、巧の腕を掴んで引っ張ってくる。

「髪ぼっさぼさじゃない。ちょっと来て!」

「おいおい何だ!」

「いいから! ごめん穂乃果ちゃん、ちょっと庭借りるね」

 

 ♦

 穂むらの店先はすっかりいつもの静けさを取り戻していた。さっきまで女子生徒達が餅に舌鼓をうっていたことなど嘘のように、餅を並べていたテーブルや皿も全て撤収してある。

 真理の散髪道具を常に持ち歩く習慣は変わっていないらしい。もう美容師として毎日ハサミを握っているのだから必要ないと思うが、真理は努力に余念がない。無理矢理椅子に座らされて散髪用ケープを被せられながらも、巧は再び訪れた懐かしい時間に安らぎを感じる。一緒に暮らしていた頃は、こうして真理に練習台として散髪してもらったものだ。

「何でああいう言い方しかできないのよ?」

 すっかり伸びた巧の髪をハサミで切りながら、真理が呆れた声色で聞いてくる。

「しょうがねえだろ生まれつきなんだから」

 巧は憮然と答えた。真理の「はあ………」という吐息を後頭部に感じる。

「しばらく離れているうちに忘れてた。巧が悪ぶったり変な意地張ったりする性格だってこと。そういう態度取ったって自分が損するだけだよ」

「うるせえなあ」

 それしか接し方を知らないのだから仕方ない。他人を遠ざけるための態度は次第に自然なものになって、いつしか巧から無垢という概念を取り払ってしまった。だからこの性格は素なのだ。意図せず取ってしまう態度だ。

「あの子達、巧がオルフェノクだって知ってるんだ」

「ああ」

「それでも巧のこと信じてくれてるんだ」

「………ああ」

「良い子達じゃない、感謝しなさいよ。あんたみたいなの絶対人から好かれるタイプじゃないんだから」

「余計なお世話だ。お前は俺の母親かよ」

 ハサミの歯が擦れる音と、切れた髪がぱさりと落ちる音。こんな風にまた真理に髪を切ってもらえる日が来るなんて思ってもみなかった。

「ねえ巧、何かあったの?」

「別に」

「嘘だ。巧が嘘つくときね、耳がぴくぴく動くんだよ。知ってた?」

 巧は咄嗟に耳を触る。そして遅れて気付く。

「嘘だろ」

 ふふ、という真理の控え目な笑い声が聞こえてくる。後ろに立っているから見えないが、きっと意地の悪い笑顔を浮かべているに違いない。

「何かあったんだ」

 真理が促すように言ってくる。巧は少しためらいながら、白状することにした。

「分からなくなったんだ。俺が何を守ってきたのか」

「人間を守ってきたんでしょ。今更何言ってるのよ」

 そう言う真理の声は穏やかだった。

「そうやってすぐ迷っちゃうところも全然変わってないね巧は。あの頃のまんま」

 真理のカットが右側頭部へと移る。

「巧、前に言ってたよね。人に裏切られるのが怖いんじゃなくて、俺が人を裏切るのが怖い、って」

「んなこと言ったか?」

 そう言いながらも、巧は鮮明に覚えている。オルフェノクに遭遇したがベルトを啓太郎の家に忘れて、2人で逃げていたときの会話だ。これで最後と覚悟し、巧は真理に自分の心の裡を僅かだが明かした。

 するりと真理の声が耳孔に入ってくる。とても穏やかに、優しく。

「巧は誰も裏切ってないよ。昔も今も」

 反論しようと巧は口を開きかける。喉が詰まったように、何の言葉も出てこない。これまでしてきたことが肯定されたわけでも、犯してきた罪が消えたわけでもない。

 それでも、こうして巧の髪を切る真理の手と言葉が、巧の守ったものとして提示されたような気がした。失ったものは多いが、守れたものは確かにあったのだ、と真理が教えてくれた。

「覚えてる? 私の本当の両親が死んじゃったときの話」

 やぶからぼうにどうした、と思いながら巧は「ああ、確か火事だったっけか」と応じる。

「うん。あのとき、何で私だけ助かったのか思い出したんだ。私、誰かに助けられたの。私と年の近い男の子でね、その子が私を背負って外に連れていってくれたの」

「ふーん」

「ねえ、木場さんから聞いたんだけど、巧がオルフェノクになったのって子供の頃だったんだよね。もしかして………」

 真理の声が期待を帯びてくる。何が言いたのかを察し、巧は憮然と言う。

「そんな都合の良い話あるわけねーだろ」

 真理の手が止まった。次に後ろから聞こえてくる声色は、僅かに険のこもったいつもの真理の声だ。

「そういう言い方する? 運命の再会みたいだったのにムードぶち壊しよ」

「運命の再会だ? 仮に俺がそいつだとしてもな、助けたお前がこんな女に育ったんじゃムードもくそもあるか」

「こんな女って何よ? どこからどう見ても立派な美容師じゃない」

「まだ新米だろうが。しかもガキじゃあるまいし運命の再会なんて信じやがって」

「別にいいじゃない! 私にとってあの男の子は巧なんだから」

「勝手に決めんな! そうやってヒーローにされて俺は迷惑してんだよ!」

「ああもう意地っ張りなんだから! 帰ったら晩ごはん湯豆腐だから。めっちゃ熱いの!」

「勝手にしろ! 俺は冷奴食う。絶対にな!」

 その怒声を最後に数瞬の沈黙が漂い、2人は同時に吹き出してしまう。真理とこんな低次元な口論をするのも随分と久しくなった。

「私達あの頃から全然成長してないね」

「そりゃお前の方だろ」

 カットが終わりケープを脱ぐと、巧は髪を指先でいじって出来栄えを確認する。長髪は崩していないが、心なしか頭が軽くなった気がする。

「体はどうなの?」

「本当に大丈夫だ。色々あって、もうしばらくは生きられる」

 かなり大雑把な説明だったが、切った髪をビニール袋に入れた真理は「そう」と笑った。

「巧は嘘下手だもんね。信じる」

 

 ♦

「啓太郎、帰るよ」

 メンバー達に慰められていた啓太郎を引っ張って、真理は店先に停めてあるバンへと歩いていく。西洋洗濯店舗菊池の配達用バンだった。洗濯物が綺麗になっても車が汚いとみっともない、と啓太郎は頻繁に洗車をしていた。真理と同様に啓太郎の習慣も変わっていないようで、バンは艶のあるボディで陽光を反射している。

「真理ちゃんたっくんは?」

「良いのよ元気そうだし」

 「でも」と喚く啓太郎を無理矢理運転席に押し込み、真理は見送りに店先へ出てきたメンバー達に笑いかける。

「巧のことよろしくね。あとラブライブ頑張って。応援してるから」

 メンバー達はぱあっと表情を明らめ、「はい!」と威勢よく返事をする。真理の視線は巧へと移った。

「こっちの事が終わったら帰ってくるのよ。待ってるから」

 「ああ」と巧は言った。真理は笑い、助手席に乗ると運転席から啓太郎が身を乗り出してくる。

「たっくん。いつでも帰ってきていいからね。帰ったらパーティしようよ。たっくんの好きなものたくさん作ってさ」

 「ほらエンジンかける!」と真理が指示すると、「はい」という啓太郎の声の後すぐにバンのエンジンが駆動する。真理が助手席のドアを閉めると車は発進し、住宅街の静けさの中へと消えていく。

「何か凄かったにゃ」

 バンが走り去った方向を眺めて、凛が呟く。

「巧さん、真理さんの前だとあんな顔するのね」

 真姫が悪戯に笑みながら言う。まさか見られていたのか、と思うと羞恥が沸き出てきた。だがあんな恋人らしさなど微塵もない会話を聞けば、真理との関係に変な誤解をされることもないだろう。

 「きっと、みんな一緒だからだよ」と穂乃果が言った。

「たっくんがいて、真理さんがいて、啓太郎さんがいて。わたし達と一緒だよ。わたし達が皆といるのと」

 皆といる。

 それを裡で反芻し、巧は3人で暮らしていた日々を思慕する。啓太郎と2人で店の仕事をして、配達にバンを走らせて、夜に仕事から帰ってきた真理を迎える。真理は疲れたとぼやきながらも夕食を作って、それを3人で囲み下らない会話を楽しんだ。

 巧がいない家で、啓太郎と真理は食卓でどんな会話をしていたのだろう。あの日常が成立するのは、ひとりとして欠けてはいけない。それはμ’sも同じだ。8人でも10人でもなく9人。このメンバー。

「それがキャッチフレーズ?」

 ことりが尋ねると、穂乃果は腕を組んで唸り、自分の喉元を指差す。

「ここまで出てる」

 怪訝な顔をするメンバー達に「本当だよ。もうちょっとなの!」と穂乃果は喚く。

「もうちょっとでそうだ、ってなる気がするんだけど………」

 まだ思いつきそうにないな、と巧は思った。

 

 ♦

 傾きかけた陽が映し出す茜色は優しげなのに、冷たい空気は棘のように肌に突き刺さってくるようだった。口から外へと出た吐息は急速に冷やされて、空気中で水分を含み白い蒸気になる。子供の頃、孤児院で冬になると怪獣ごっこが流行ったことを思い出す。子供達はがおー、と言いながら炎のように口から白い息を吐き出していたものだ。

 2ヶ月後に控えたラブライブ本戦に向けて、μ’sは体力づくりに余念がない。神田明神の階段を駆け上がってくるも、流石に餅つきの後はきついのかメンバー達は階段の頂に辿り着くと膝をついて粗い呼吸を繰り返す。

 巧はプルトップを空けていないホットの缶コーヒーを持ちながら、神社の石畳を気の向くままに歩いた。アイスだと冷えるからホットを買ったのだが、巧が飲める温度だとぬるくて体が温まるか怪しいところだ。

 奉納された絵馬が目に入って、巧は足を止める。絵馬掛は大量の願いが書かれた板で埋め尽くされている。

 そこは願いや夢が生まれる場所で、それらが潰えたら墓場に変貌する。かつてこんな夢が存在していた、と掲示する墓標。

「たっくん?」

 穂乃果がタオルで顔の汗を拭きながら歩いてくる。絵馬を視界に収めた穂乃果は絵馬掛けの前に立ち、引き寄せられるように他のメンバー達もぞろぞろと集まってくる。

 「凄い数ね」と絵里が感慨深そうに言う。「お正月明けですからね」と海未も大量の願いを眺める。

 穂乃果は絵馬の1枚を手に取る。その絵馬にはポップにデフォルメされたμ’sメンバー達がカラーペンで描かれている。

「これ、音ノ木坂の生徒の………」

 「こっちもです」と海未が別の絵馬を指し示す。他にもμ’sのことが書かれた絵馬はたくさん見つかっていく。「頑張れ」や「応援してる」といったメッセージ。雪穂と亜里沙の願掛けまで見つかった。本大会で遅刻しませんように、なんて雪穂らしい。

 「そっか」と穂乃果は漏らす。

「分かった! そうだこれだよ!」

 「何なのよいきなり」とにこが尋ねる。「μ’sの原動力」と穂乃果は振り返る。

「何でわたし達が頑張れるか、頑張ってこられたか。μ’sってこれなんだよ」

 そう言って穂乃果は絵馬を背に両腕を広げる。

「一生懸命頑張って、それを皆が応援してくれて、一緒に成長していける。それが全てなんだよ。皆が同じ気持ちで頑張って、前に進んで、少しずつ夢を叶えていく。それがスクールアイドル。それがμ’sなんだよ!」

 巧は大量に掛けられた絵馬を眺める。μ’sのラブライブ優勝への願い。μ’sへの頑張れという応援メッセージ。μ’sが大好きという綴り。

 それはメンバー達以外の者が書いた願いだ。勿論、ラブライブ優勝はμ’sメンバー達の夢で、それを叶えようとしているのは彼女達自身。でも、μ’sの夢はμ’sだけのものではなかった。

 μ’sを応援するファン。支えてくれた音ノ木坂学院の生徒達と家族。たった9人だけでなく、μ’sはこの絵馬掛に納まらないほど「みんな」の願いに抱きしめられている。

 不意に足音が聞こえてくる。靴ではなく、ぺたりと裸足で歩くような足音が。咄嗟に振り返ると、ナマケモノのようなオルフェノクがゆっくりとした足取りでこちらへと近付いてくる。

「逃げろ!」

 巧は叫んだ。恐怖に凍り付いたメンバー達は我に返り階段へと向かうが、その中で穂乃果だけは別方向の、停めてあるオートバジンへと向かっていく。「穂乃果!」と巧が呼ぶが応えず、穂乃果はリアシートに括り付けたケースのロックを解除してツールを取り出した。

「へえ、君が戦うつもり?」

 スロースオルフェノクの影が挑発的に笑う。その形はどこにでもいるような青年だった。穂乃果は腰にベルトを巻くと、フォンにコードを入力した。

『Standing by』

「変身!」

『Error』

 不適合を知らせる無慈悲な音声と共にベルトに電流が走り、穂乃果の体は弾き飛ばされる。腰を抑えながら立ち上がる穂乃果に、スロースオルフェノクは前座を楽しむようにゆっくりと歩いてくる。

 巧は駆け出し、ベルトとフォンを拾った穂乃果の肩を支えて階段へと連れていく。

「お前何やってんだ!」

 「だって……」と口ごもり、穂乃果はベルトを抱えながら巧に腕を引かれて走る。メンバー達の悲鳴が聞こえてくる。階段の麓で、メンバー達の前に別のオルフェノクが降り立ってきた。今度はウサギのようなオルフェノクだ。メンバー達は慌てて階段を再び上り、別の逃げ道を探そうと視線を辺りに巡らせる。その視線で拝殿の陰からひとり、またひとりとオルフェノクが次々と現れて取り囲まれる。

「最優先はベルトだ。諸君、ナチュラルにいけよ」

「でもついでだし、μ’sもやっちゃおうよ」

「いいね。参加グループひとつ消えたぐらいで、ラブライブが中止になるわけじゃないし」

 人の形を成すオルフェノクの影達が笑っている。これから起こす殺戮の舞台に気分が昂っているようだった。円形に取り囲むオルフェノク達の歩みはひどく遅い。1歩踏み出す度にメンバー達があげる声にならない悲鳴を楽しみ、これから起こす惨劇を盛り上げていく。

 巧は庇うようにメンバー達の前に立った。だが、彼等に対する憎悪や、敵意といった感情が全く見つからない。オルフェノクであっても人間か怪物のどちらに身を置くか。それを選択できることは巧自身がよく知っている。彼等はオルフェノクであることを選んだ。自分が怪物であることを受け入れた。ならば、人間の敵として葬られることは仕方のないことなのか。

 穂乃果は再びベルトを腰に巻く。フォンにコードを入力して「変身!」とバックルに挿し込むが、また『Error』と拒絶され弾かれる。

 地面に伏す穂乃果をオルフェノク達はせせら笑っている。お前に扱えるわけがないだろう、という残酷な哄笑が神社に響き渡っている。

 不謹慎なことに、巧は初めてファイズに変身した頃のことを思い出した。真理にベルトの力は扱えず、巧には何故か扱うことができた。それは巧がオルフェノクで、ベルトはオルフェノクが使うことを前提に開発されたためと後から知ったわけだが。目の前の敵を倒すか見逃すかなど、当時の巧に選択の余地はなかった。それが巧の良心に蓋をした。稀に、相手が心は人間のままと知れば手を下すことはなかったが、それで罪が軽減されたことにはならない。依然として、巧の敵はオルフェノクのままだ。絵里の前でオルフェノクに変貌した戸田を倒したことも、状況に対して責任を擦り付けていただけに過ぎない。

 ずっと逃げている。かつての戦いで選択は既に済ませたというのにそれを捨てて、代わりを務めてくれるはずだった往人は死んだ。

 英雄はもういない。ヒーロー亡き後の世界と人々は滅ぶしかない。

 それに対してどうアクションを起こすか、オルフェノクが距離を詰めてくるこんな状況でも巧には複数の選択肢がある。

 そのひとつを、巧は選び取る。状況でも、命を託して逝った往人でもなく、巧自身の決断として。

 穂乃果は石畳を這って、地面に鎮座するベルトへ手を伸ばす。彼女の手がベルトに触れようとする寸前、巧はベルトを掴んだ。「たっくん……」と顔を見上げる穂乃果に、巧は宣言する。

「俺は戦う。ファイズとして………」

 立ち上がってベルトを腰に巻くと。オルフェノク達の哄笑が止んだ。灰色の視線がメンバー達から巧へと集中する。

「仮面ライダーとして!」

 5・5・5。ENTER。

『Standing by』

「変身!」

『Complete』

 フォトンブラッドの光に包まれる巧に、いの一番に駆け出したスロースオルフェノクが鉤爪を振り下ろしてくる。その灰色の顔面に、光から飛び出してきた拳が突き刺さった。スロースオルフェノクの体が回転し、ぐふっ、と情けない声を発しながら地面を転がる。

 光が収束し、それでも黄色く発光し続ける戦士の目をオルフェノク達は睨んだ。ファイズは気だるげにスロースオルフェノクを殴った右手を振る。

 オルフェノク達は一斉にファイズ目掛けて駆け出した。ファイズは動揺もなく、ミッションメモリーを挿入したポインターを右脚に装着し、アクセルのメモリーをフォンに挿し込む。

『Complete』

 胸部装甲が展開し、アクセルフォームへ形態変化するとアクセルのスイッチを押す。

『Start Up』

 スロースオルフェノクが再び鉤爪を突き出してくる。だが鋭い爪が貫くはずだったファイズは既になく、虚しく宙を斬ると同時に上空から赤い光の槍が飛んで目の前で静止する。他のオルフェノク達にも同じことが起こっていた。

 一瞬の間を置いて、光の槍がスロースオルフェノクの体を貫く。それを皮切りに次々とオルフェノク達に槍が突き刺さり、青い爆炎と共に灰が吹き飛ばされていく。中には逃げ出したオルフェノクもいたが、その階段を飛び降りようとしたラビットオルフェノクはバトルモード・オートバジンの拳によって突き飛ばされ、宙にて超高速のクリムゾンスマッシュによって消滅する。

『Time Out』

 続けて鳴った『Reformation』という音声で通常形態に戻ると、安堵した様子のメンバー達が駆け寄ってくる。変身を解いた巧はバックルから抜き取ったフォンを眺める。このファイズギアは様々な者の手に渡るも、最後には巧の手に納まってきた。それは運命という必然的なものではなく、このベルトを手にするという巧の選択がもたらしたことだ。

 繰り返される選択は物事を動かし、物語になる。人生とはしばし物語に例えられる。巧には巧の物語があり、μ’sにも9人それぞれの物語がある。こうして出会い、触れ合い、互いに干渉して綴られればひとりだけの物語ではなくなるはずだ。

 μ’sの夢はμ’sだけのものじゃない。メンバーの9人が、応援し支えてくれる人々がいてようやく紡がれる。

 μ’sが紡ぐ物語。

 

 みんなで叶える物語。

 




 今回は『555』メンバーオールスターズになりました。やっぱり読者の皆様はクリーニング屋の3人組が見たいだろうなと思い、2人を登場させました。

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