ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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 私がハーメルン様で作品の投稿を始めてはや1年が経とうとしています。この1年間、良い文章や言葉はないかと四苦八苦しながら過ごしてきた記憶が大半を占めております。だからといってそれが作品に活かされているかは別ですが(笑)。
 実を言うと投稿は本作以前の作品を最初で最後にするつもりでしたが、完結に近付いたあたりで創作意欲が沸いて本作の投稿へと至ります。本作も「これで最後にしよう」というモチベーションで書いているのですが、完結に近付いたらまた「書きたい」という欲が出てくるかもしれません。

 前置きが長くなってしまいましたが、こうしてめげずに作品を書けるのは応援してくれる皆様のおかげです。
 本当にありがとうございますと共に、これからもよろしくお願い致します。


第9話 心のメロディ / 捨てられない心

「先日、あのライブハウスでバンドグループと観客全員が行方不明になる事件が起こっていました」

 琢磨は淡々と言う。そういえば、警察があの辺りを捜査していたな、と巧は思い出す。あの時に気付いていれば、結果は違ったのだろうか。そんな今となっては無意味な思索をしてしまう。

 この日の海堂の居室には、チーズの香りもビールの香りも紫煙の香りもない。部屋の主は珍しいことにデリバリーピザも用意せず、来客を招き入れた。違和感が拭えないが、この日ばかりはソファに腰掛ける巧も往人も食べる気にはなれないだろう。

 琢磨の淡々とした口調が否応にも巧の耳孔に入ってくる。

「ライブハウスを襲撃したのは森内さんでした」

「それを知ったから、海堂さんは来てくれたんですか?」

 往人の質問に、海堂は「おう」とだけ答える。感謝しろとか調子の良いことを言いそうなのに、今日の海堂はひどく無口だ。部屋の雰囲気はとにかく重苦しい。吸った空気が肺のなかで鉛でも生成してしまいそうなほどに。

「あいつ、アイドルになりたかったのか?」

 海堂がぽつんと聞いてくる。「ええ」と答えたのは往人だ。

「オルフェノクになったことに苦しんでましたけど、夢を諦めることができずにいたみたいです」

「ま、夢なんか持たんほうがいい。持ったって苦しいだけだ」

 海堂はそう言って窓の外に広がる風景を見やる。幾多もの夢が生まれ、消えていく街を。

「夢ってのは、呪いと同じなんだよ。途中で挫折したら、ずっと呪われたままだ」

 お調子者の海堂からは想像できない、重苦しい言葉だった。でも、巧はそれを海堂の言葉と受け入れることができる。まだこの部屋で海堂と暮らしていた頃、彼がいつも手袋で隠していた左手が露になったところを1度だけ見たことがある。彼の左手の甲にはうっすらと一筋の縫合跡があった。巧はその傷について追及することはなかったし、海堂も言うことはなかった。

 左手の傷と夢を呪いと謳う言葉。それだけで、海堂にもかつて抱いた夢があったと分かる。おそらくは音楽の、楽器の奏者を夢見ていたのかもしれない。でも、左手に負った傷は海堂の夢を呪いへと変えた。

 叶うと信じていたものが叶わないという現実を突き付けられたとき、かつて抱いた想いは胸の中から離れることなく鎮座し続ける。いつまでも消えず、そのくせに成就しない憧憬の念はいつからか人を呪縛する。呪いへと変わった夢を完璧に忘却へと捨て去ることもできず、かといって呪いが夢だった頃の記憶も完璧に思いだすこともできないまま。

 巧は今でも鮮明に思い出すことができる。

 たくましく伸びる1本の樹の下。

 そこで風に乗って空へと散っていく羽と灰。

 灰を被った長田結花の携帯電話。

 あの風景で、木場は自分自身の理想に呪われたのだ。

「呪いを解くには夢を叶えなきゃならない。それか、誰かに夢を受け継いでもらうかだ」

「呪いになった夢を他人に押し付けるのか?」

 巧は思わずそう聞いている。振り向いた海堂はどこか寂しげな笑みを浮かべて。

「まあ、受け継いだ奴の捉えかた次第ってこったな。そいつがまだ挫折しない限り、まだ呪いにゃならん」

 人から人へと受け継がれる夢。受け継いだ者が夢を叶えたら、託した者の呪いは解かれるのだろうか。託された者も挫折してしまえば、永遠に呪いはこの世に居座るのか。木場から答えと理想を託された自分もまた呪われているのだろうか、と巧は疑問を抱く。木場が自分を呪縛するために命を散らしたとは思いたくない。

 他者から受け継いだものでも、巧は夢や理想を自分のものとして抱くことを選択した。だから、巧の夢は巧のものだ。もし巧が呪われたとしても、それは木場ではなく巧自身の呪いだ。

 同時に巧は恐怖を抱く。木場や彩子のように夢を踏みにじられてしまったら、自分もまたオルフェノクとして、怪物として生きることを受け入れてしまうのではないか、と。勿論、そうはならないと口では言える。でも巧はまだ完璧な絶望というものを知らない。

 「さて」と琢磨がそこで集まった本題を切り出す。

「サイガのベルトを手に入れることができました。これで、我々のもとに必要な戦力が揃ったことになります。最低限ではありますが。あとは冴子さんの体のメカニズムを解明できれば――」

 「悪い、俺は帰る」と巧はソファから立ち上がる。「乾さん、大事な話なんですよ」と琢磨は言うが、構わず玄関で靴を履く。

「かったるいんだよ、今日は」

 気だるげに告げて巧は部屋を出た。外に出ると冷たい風が突き刺すように吹いてくる。駐輪場でオートバジンのエンジンをかけたところで、「乾さん!」と往人が走ってくる。

「何だ?」

「あれから、μ’sの皆はどうなんですか?」

 「いつも通りだ」とだけ巧は即答した。往人は府に落ちないといった表情を浮かべているが、本当にメンバー達はいつも通りなのだ。啓示のように紡いだ言葉を基に海未が詞を手掛け、真姫が曲を付け、希の夢だった「皆で作った曲」は完成した。メンバー達は日程が近い最終予選に向けて、今日もダンスレッスンに励んでいることだろう。

 罵倒されれば、少しは気が楽になったのかもしれない。弱音を吐くことなく練習に励む彼女らを見て、巧はそんなマゾヒズムな願望を抱かずにいられなかった。誰も巧を責めてくれない。希の夢が最悪な形で叶ってしまったというのに。

 気丈な少女達だ。あれだけの惨状を目の当たりにしても、自分達のやるべきことを果たそうとしている。それなのに、自分は何をしているのか、と巧は自分自身に苛立つ。ただ後悔ばかりしていて、あの時ああしていれば、こうしていればというどこまでも無意味で無価値なことばかり考えている。

 前に進めていない。彼女らの方がずっと先に進んでいて、その背中を見失ってしまいそうだ。

「乾さん、あまり自分を責めちゃ駄目です。俺達にくよくよしてる暇なんてありませんよ」

「……………何で」

 「え?」と往人は聞き返してくる。巧は俯いていた顔を上げて、往人をじっと見据えて声を荒げる。

「何で俺を生かした! 俺の命に何の価値があるってんだよ!」

 抑えきれない感情を散らしても、全く気分は晴れない。むしろ、八つ当たりしたことで自己嫌悪が強くなってくる。

 往人は怯えた反応を見せるが、目を逸らさず、しっかりとした口調で告げる。

「乾さんじゃないと、皆を守れないんです」

「ベルトはお前にだって使えるんだ。だったら――」

 「俺は駄目です」と往人は遮った。

「海堂さんから乾さんのことを聞くまで、俺は女王様(クイーン)の言いなりでした。多分、μ’sを襲えって命令されたら怖くて逆らえなかったと思います」

 往人はそこで身を乗り出し。

「乾さんは、俺にとって英雄なんです。人間を守るために戦う強さを持ったあなたの方が、俺よりも生きるべきなんです」

「違う、俺は………」

 往人の真っ直ぐな瞳が恐ろしく感じられる。自分の背負っているものを突き付けられている気がした。お前は自分の背負うものの重さを分かっていない、と。往人がそんなことを意図してないことは分かっている。純粋さとは時に残酷になる。

「俺は、そんな大それた奴じゃない」

 逃げるように巧はヘルメットを被り、オートバジンを走らせる。冬の風はとても冷たく、バイクに乗ると鋭い針のように刺してくる。

 ふと空を見上げると、空は灰色の雲に覆われている。光が指し込まないように蓋をされたようだった。おやおや、お前に光はもったいないよ、と嘲笑われている気分だった。

 

 ♦

 シャベルで掬い上げる雪はとても軽い。積もったばかりでまだ溶けた水分を含んでいないからだ。雪を路肩に放り、高坂母はふう、と一息ついて額に滲んだ汗を手で拭う。

「天気予報で降るとは言ってたけど、ひと晩でここまで積もるなんてね」

 東京でここまで雪が積もるのは珍しい。降ったとしてもすぐに溶けてしまうのに。雪が雲の上で燃え尽きた人々の灰というおとぎ話を聞いたのはどこの土地だっただろうか。雪をかきながら巧は記憶を探ってみるも、全く思い出せない。雪国だったことは確かなはずだが。

「うわあ、真っ白」

 店の引き戸を開けた雪穂が子供らしく目を輝かせながら降ってくる雪を眺めている。

「凄いねえ」

「もう、見てるだけじゃなくて手伝ってよ」

「お姉ちゃんは?」

 「どうせまだ寝てんだろ」と巧が言って、「夕べも早かったわよ」と高坂母が付け加える。

「しっかり休んで、体力整えておくって言ってたから」

「おお。お姉ちゃんらしくない………」

 感心しているのか困惑しているのか。おそらくは両方が混在しているであろう雪穂は2階の窓に向かって「お姉ちゃん!」と呼ぶ。すぐに勢いよく窓が空いて、穂乃果が顔を出す。

「いま二度寝しようとしたでしょ?」

「してない!」

「嘘だ。何となく分かるもん」

 図星だったのか、穂乃果は不貞腐れた顔を部屋へと引っ込める。いつもの怪訝な顔をしていた雪穂はふっと笑みを零した。

「いよいよ今日だね、最終予選。頑張ってね」

 「ほら乾さんからも」と雪穂は巧の背中を叩いてくる。作業の手を止めて、巧は穂乃果を見上げて面倒臭いという態度を露骨に出しながら告げる。

「頑張れよ」

 穂乃果は口を微かに開くも、無言のまましばらく巧と視線を交わしていた。言葉が出ないのだろうな、と巧は悟った。巧も同じだった。穂乃果に何を言うべきか、抱えるこの気持ちをどう言葉に表せばいいのか分からずにいる。

 沈黙の後、穂乃果は「うん!」といつもの明るい表情で返した。

「うう……、寒い。もう無理ー」

 そう言って雪穂は店の中へ戻っていく。「手伝いなさいよ」と高坂母が言うも、「寒くて無理!」という雪穂の文句が中から聞こえてくる。

 雪はまだ降り続いている。巧は雪化粧を纏った街を眺める。白に覆われた街の景色はいつもとは様変わりしている。

 このまま雪が降り続けて街を埋もれさせてくれれば、自分の罪も凍らせてくれるのだろうか。

 雪を見ながら、巧はそう思った。

 

 ♦

 到着が1時間ほど遅れる。

 絵里が穂乃果からその連絡を受けたのは、2年生の3人を除くメンバー達と巧がライブ会場に到着した頃だった。最終予選と生徒会が進行に携わる学校説明会が同日であることに懸念はあったが、時間は重なっていないからさほど問題視はされなかった。だがこの雪で、電車の遅延や道路の交通渋滞が重なっている。東京で積雪は珍しいから、交通はこういった天候トラブルに弱い。

「分かったわ。わたしから事情を話して、6人で進めておく」

 絵里は通話を切って、メンバー達に指示をする。

「ひとまず控え室に向かいましょう」

 そこへ、にこの悲鳴にも似た声が響く。口をあんぐりと開けたにこの視線を追い、それを視界に収めた皆も同じ表情をする。

 会場である東京駅丸の内前広場。クリスマスシーズンには巨大な駅の敷地全域にイルミネーションがあしらわれるのだが、それに加えて広場の中心に雪の結晶をかたどったアーチが幾重にも並んでいる。まだ昼だからアーチは雪が積もった背景に溶け込んでいるが、夜になると内蔵された電飾が光るのだろう。

 「凄い……」と花陽が声を絞り出す。

「ここが、最終予選のステージ………」

「大きいにゃ………」

 驚きのあまりにアーチを凝視する後輩2人に、にこが「当たり前でしょ」と澄ました視線を送る。

「ラブライブの最終予選なんだから。何ビビってんのよ………」

 そう言っているにこも脚が震えている。寒さではないことは、この場にいる誰もが分かっていることだ。

「凄い人の数になりそうね」

「これは9人揃ってじゃないと………」

 真姫と希が口々に言う。2人さえもが不安げな顔をしている。それほどまでに、ラブライブという大会は盛り上がりを見せているのだ。

 巧はケースを握る手に力を込める。琢磨によると、スマートブレインはやはり最終予選を襲撃するべく刺客を送り込むらしい。

 今やスマートブレインは、音ノ木坂学院の廃校など視野にない。あの学校を取り壊した後に建設する予定だった会社のビルなど、「王」が復活してしまえば不要になる。最優先事項は「王」への供物を確保すること。多くの人が集まるライブというのは、オルフェノクが同胞を生むための格好の場になる。

 まだ自分は呪われていない、と巧は断言できる。自分が守ろうとする夢がまだ潰えていないうちは、まだ人間として戦うことができる。

 控え室でしばらく待っていると、空の暗がりが深くなってくる。それに伴いアーチに青い光が灯って、バルコニーから凛と花陽は輝く結晶を眺めている。

「本当にここがいっぱいになるの? この天気だし」

 壁に背を預けた真姫が訝しげに言う。「きっと大丈夫よ」と絵里は返すのだが、風が強まっていて降雪も横薙ぎになってきた。穂乃果達は間に合うのだろうか、と冷たい缶コーヒーを飲みながら巧はそんなことを考える。

「びっしり埋まるのは間違いないわ」

 不意にその声が、廊下の角から聞こえてくる。視線を向けるとA-RISEの3人がいて、中心にいるツバサが余裕な佇まいを見せている。

「完全にフルハウス。最終予選に相応しいステージになりそうね」

 洒落た台詞を並べるあんじゅだが、巧はその余裕さが繕ったものに見える。あの夜から3人とは顔を合わせていなかったから、日が経つにつれて再会に恐怖を抱くようになった。巧がオルフェノクであることを知った彼女らが、巧にどんな感情を向けてくるのか。

「どうやら、全員揃ってないようだが」

 メンバー達を見渡して、英玲奈が言う。「あ、ええ」と絵里は歯切れ悪く答えた。

「穂乃果達は学校の用事があって遅れています。本番までには、何とか………」

 「そう」とツバサは表情を変えることなく「じゃあ穂乃果さん達にも伝えて」と付け加える。

「今日のライブで、この先の運命は決まる。互いにベストを尽くしましょう。でも、わたし達は負けない」

 淡々とした口調だが、最後のひと言だけはツバサの熱がこもっていた。この最終予選で歌を披露するグループは4組。でも、注目株はA-RISEとμ’sだ。短期間で支持を得たμ’sがとうとうA-RISEに勝つのか。それともA-RISEが王者の座を防衛するのか。

 「乾さん」とツバサは巧を呼ぶ。コーヒーに口をつけようとした巧は無言のまま視線を返す。ツバサは相変わらず余裕な物腰で尋ねてくる。

「ちょっと、来てくれますか?」

 

 ♦

 通されたA-RISEの楽屋は、μ’sのものとそう変わらない。化粧台と着替え用の仕切りと、くつろぐための簡素なソファが備えられている。

 巧が部屋のドアを閉めると、3人の表情が変わった。さっきまでの余裕、凛とした、小悪魔的な佇まいが崩れ、そわそわと姿勢を何度も変えている。

「乾さんは、彩子がオルフェノクだって知ってたんですか?」

 ツバサが尋ねて、巧は「ああ」と短く答える。

「あなたも、オルフェノクだったんですね」

 そう聞いてきたのは英玲奈だ。この質問には無言のまま頷く。

 「仮面ライダーがオルフェノクだなんて……」とあんじゅが漏らす。巧が何気なしに一瞥すると、あんじゅは咄嗟に目を背けた。余計な事だったという反省ではなく、単純にオルフェノクである自分を恐れているのだ、と巧は悟る。怖れていながらもこうして楽屋に入れるのは、巧が人を襲わないという理解なのか、恐怖以上に知りたい真実があるのか。きっと理由は後者だろう。

 裏付けるようにツバサは質問を重ねてくる。

「あなたは何で、オルフェノクなのにμ’sを守っているんですか?」

「人間として生きたいからだ。俺みたいな考えを持つ奴は他にもいる」

「じゃあ、彩子は………」

「あいつも、人間でありたかったはずなんだ」

「ならどうして!」

 ツバサの声色ががらりと変わった。とても激しく、荒々しいものに。巧は視線を下へと背けてしまう。ツバサの顔を見るのがとても恐ろしかった。でも、それは筋が通っていないことを知っている。彩子の苦悩を知っていながら、彼女を救えなかったことの責は当然巧にある。

「彩子は誰よりもアイドルになりたがってたんです。ヴェーチェルを始めたときだって、愛衣と里香と一緒に、わたし達よりも凄いアイドルになってみせるって言ってたのに、何で………」

 見開いたツバサの目から涙が溢れた。見れば、あんじゅも泣いている。これまで抑えていたものが一気に流れ出ているのだ。唯一、まだ泣いていない英玲奈も口を固く結んでいて、目元が赤みを帯びている。

「ごめん………」

 巧にはそれしか言えなかった。謝って済むようなことでもないし、それでも言わないよりはマシだなんて開き直ることもできない。

 夢を持つ資格がある、と巧は彩子に言った。彩子はオルフェノクになってもアイドルになることを望んでいて、その夢を人間の世界ではなく、オルフェノクの世界で叶えることを求めてしまった。人間を守るという建前で彼女の夢を壊してしまったのは、紛れもなく巧の罪だ。

 仮面ライダー。

 そう世間で呼ばれる巧には、ある意味で的を射た呼び名だ。正義という仮面を被り、命を蹂躙する戦士。卑劣なことに、仮面で顔を隠し世間を欺いている。

 ツバサの肩を抱いて、英玲奈が「すみません」と巧の求めていない謝罪をしてくる。

「わたし達は知りたいのです。全てのオルフェノクが、彩子のようになってしまうのですか?」

「分からない。そいつ次第だ」

「なら乾さんも――」

 英玲奈が言う途中で楽屋のドアが勢いよく開いた。いつから聞いていたのか、そこに立つ絵里は「違います!」と部屋に入ってくる。絵里の姿を見て、ツバサは慌てて涙を乱暴に袖で拭う。

「巧さんは人間を捨てたりしません。今までだって、巧さんはわたし達のために戦ってくれたんです」

 A-RISEの3人は絵里を見据える。拮抗した視線を交わしたまま沈黙を漂い、涙が止まったツバサは口を開く。

「なら、μ’sを守って証明してください。あなたが人間だってことを。わたし達は、わたし達のやるべきことをやります」

 「やるべき事?」と絵里は反芻する。ツバサは首肯し。

「わたし達はアイドルです。何があっても、お客さんを喜ばせる1番の存在でないといけません。きっと、彩子だってそれを望んでいたはずですから」

 ツバサは真っ直ぐな視線を巧に向けて宣言する。

「彩子の夢は、わたし達が継ぎます」

 海堂は言っていた。呪いを解くには夢を叶えるか、誰かに夢を受け継いでもらうしかない、と。

 A-RISEの3人は、彩子の夢が呪いへと変わる瞬間を見たはずだ。それでも、彼女らは呪われたその夢を自分達の夢として継ぐことを選択した。

 呪いになんてさせない、と。

 

 ♦

「余計なこと言うなよ」

 廊下を歩きながら、巧は隣にいる絵里に冷たく言い放つ。絵里は「ごめんなさい」と言いながら「でも」と。

「巧さん、あの日からずっと沈んだ顔してるので………」

 隠していたつもりだったが、お見通しだったらしい。なるべくいつも通りの乾巧として接してきたが、巧から放射される虚しさの匂いを絵里は感じ取っていたのだ。絵里だけでなく、μ’sの皆がそうだろう。

「あまり責任を感じないでください。巧さんは何も悪くないんですから」

 巧は絵里の気遣いに応じることができない。責任を放棄してしまったら、この苦悩を捨ててしまったら、人間でいられないかもしれない。絵里にそんな身勝手な理解を求めることはできないのだ。

 不意に着信音が響く。絵里はポケットから携帯電話を出し、耳に当てる。相づちを何度か打ち、次に「ええ!?」と立ち止まり上ずった声をあげる。

「動けない!?」

 巧の敏感な聴覚は、端末から発せられる音声を聞き取る。通話先はことりだった。

『そうなの。電車が止まっちゃったらしくて』

 同様を露にした絵里は「そんな……、間に合うの?」と聞く。巧が窓を見やると、雪が先程よりも激しく降っている。

『いま、穂乃果ちゃんのお父さんに車出してもらおうと――』

 『だめ。道路も全然動かないって』と穂乃果の声が漏れてくる。

「………分かったわ」

 それだけ言って絵里は通話を切る。

「穂乃果達、来られないのか?」

「交通網が麻痺しちゃってるみたいで………」

 絵里は唇を噛みしめる。巧はコートのボタンを閉めて、ポケットから取り出したグローブをはめて歩き出す。後ろから「巧さん?」と絵里が呼んできた。巧は歩きながら、振り返ることなく言う。

「迎えに行ってくる。お前らは準備しとけ」

 巧は早足で廊下を歩いた。地下の駐車場に出て、オートバジンに駆け寄ると同時に1台のバイクが近付いてくる。地下駐車場の弱い照明でもそれと分かるサイドバッシャーを停めた運転手はヘルメットのバイザーを上げて、その顔を晒す。

「霧江」

 巧は思わず彼の名前を呼んでいる。海堂だと思っていたから不意打ちだ。

「海堂さんから電車も道路も駄目だって聞いて。ライブは大丈夫なんですか?」

「ライブはやるらしい。でも穂乃果達が学校から動けないんだ」

「何で学校に?」

「学校説明会に出てたんだ。今から迎えに行く」

「なら俺も行きます」

「良いのか? お前――」

 オルフェノクになったところを見られただろう、と言えなかった。でも往人は察してくれたようで、しばし口をつぐんだ後に強く言う。

「今はそんなこと気にしてる場合じゃありませんよ。行きましょう」

 往人はバイザーを下げると、ハンドルを切ってサイドバッシャーを方向転換し前進させる。巧はオートバジンでその後を追った。

 外に出ると、もはや吹雪と言って良かった。大通りは車が長蛇の列を成して動く気配がない。オートバジンならすり抜けられるのだが、サイドバッシャーはそれができない。サイドカーが幅を取ってしまうのだ。だから2人は抜け道を通った。細くて車で通るには困難な道を走り、右へ左へと曲がっていく。こんな移動は、この街の道路網を熟知していなければできない。

 しばらく走っているうちに、吹雪は弱まってくる。視界が開けてくるに伴って、巧は路面の雪がかき出されていることに気付く。路肩をちらりと見るとウィンドブレーカーを着た人々がスコップを手に雪かきをしていて、音ノ木坂学院へ近付くにつれて人の数は多くなっていく。

 学校へ続く階段の前にバイクを停めると、「遅いですよ」と甲高い声と共に少女達が駆け寄ってくる。穂乃果の同級生の、確かフミコとミカとヒデコといったか。

「絢瀬先輩から乾さんが来るって聞いて、車道まで雪かきする羽目になったんですから」

 フミコがそう文句を言ってくる。階段を見ると、雪は多少積もっている程度だ。この降雪なら、階段の段差など埋もれてしまいそうなのに。

「ヘルメットだって調達するの大変だったんですよ」

 ミカがそう言ってヘルメットを3つ、ハーネス部分を束ねて窮屈そうに差し出す。

「お前ら………」

 ヘルメットを受け取った巧が言葉に詰まっているうちに、階段の頂に3人の少女が立っているのが見えた。真ん中にいる穂乃果は除雪された階段と道路を眺めたまま佇んでいる。

 3人は階段を駆け上がり、フミコが「遅いわよ」と得意げに言う。

「もしかして、これ皆が………?」

 穂乃果の頬が朱色を帯びていく。そんな彼女を見て3人は笑みを浮かべ、ヒデコが言う。

「電車が止まったって聞いたから、皆に呼び掛けたの。穂乃果達のために集まってって。そしたら来たよ、全校生徒が」

 巧は周囲を見渡す。皆がフードを被って作業しているから気付かなかったが、どこもかしこも少女ばかりだ。せっかくの休日をこんなことに使うなんて、とんだお人好しが音ノ木坂学院に集まったものだ。

 「さ、行って」とフミコが促す。海未とことりが呆然と作業を続ける生徒達を眺めるなか、穂乃果はゆっくりと階段を降りて呟く。

「皆、変だよ……。こんな大変なこと。本当に皆、変だよ」

 巧は階段を駆け上がり、穂乃果にヘルメットを差し出す。

「何ぼけっとしてんだ。早く行くぞ」

 ヘルメットを受け取り、穂乃果は「うん!」とエンジンがかかったように階段を駆け下りる。海未とことりもその後に続いた。

 階段が終わりバイクに乗ろうとしたとき、ヘルメットから覗く往人の顔を見た3人の表情から喜びの色が消える。

「霧江君……」

 血色が失せた顔色と恐怖をはらんだ声色で、穂乃果は呼んだ。往人は一瞬だけ悲しそうに俯くも、すぐに鬼気迫った顔に戻る。

「早く行こう。まだ間に合う」

 「ほら」と巧に促されるまま、穂乃果はサイドバッシャーのリアシートに跨る。ことりはサイドカーに体を滑り込ませ、海未はオートバジンのリアシートに乗る。

 2台のバイクが走り出すと、「行けー‼」というヒデコの声が聞こえた。すれ違い様、作業していた生徒達も「全力で走れ!」、「頑張れ!」と声援を送ってくる。

 行くべきルートは、除雪された道が示してくれる。来た道とは違う、車の少ない大通りから外れた会場までの最短ルートを生徒達は整えてくれていた。全ては穂乃果達を会場まで行かせるため。ラブライブの最終予選を突破させるために。

 不意に、道路の真ん中に灰色の影がふたつ降り立った。2台のバイクが急停止し、巧は慣性に従って前のめりに背中を押す海未など意に介さず2体のオルフェノクを凝視する。片方はコガネムシの、もう片方はサソリの面影がある。

「ベルトを貰うぞ。ついでに霧江、お前の命もな」

 若い男の形になったスカラベオルフェノクの影が、憎しみに満ちた声で告げる。

 先に行動を起こしたのは往人のほうで、サイドバッシャーから降りた彼はホエールオルフェノクに変身した。スカラベオルフェノクが細身の剣を携えて応戦する。ホエールオルフェノクでは2人を相手取るのは難儀らしく、暇を持て余したスコーピオンオルフェノクがこちらへ歩いてくる。

「たっくん?」

 穂乃果が呼びかけてくる。「巧さん?」、「どうしたんですか?」とことりと海未も。戦って、と言っているが分かる。でも、巧は海未が抱えているケースを手に取ることもせず、モーニングスターをぶら提げるスコーピオンオルフェノクを凝視し続ける。

「何で………」

 巧はがらんどうに問う。状況がそれを許さないと認識していながらも、問わずにはいられない。

「何でこんなことすんだよ! お前らだって元は人間だろうが!」

 スコーピオンオルフェノクは答えない。だが、それが答えのように思えた。俺は人間を捨てた。だから言葉も、慈悲も必要ない。沸き上がる衝動に従い人間を殺すのだ、と。

 スコーピオンオルフェノクの体が前のめりに倒れる。もう1体の敵との戦線から離脱したホエールオルフェノクが背後から蹴りを見舞ったのだ。「どいて」と乱暴に巧と海未をシートから押し退けたホエールオルフェノクは、オートバジンのスイッチを押す。

『Battle Mode』

 人型に変形したオートバジンが、敵にガトリング砲を撃つ。無数の銃弾をまともに受けた2体のオルフェノクの体が吹き飛ばされた。

 往人の姿になったホエールオルフェノクの影が怒号を飛ばしてくる。

「何してるんですか! 話して分かる相手じゃないですよ!」

 巧は無言のまま、ホエールオルフェノクの両眼を見つめる。灰色の顔が往人の顔に戻り、まなじりを吊り上げた彼は海未からケースをもぎ取って開く。

「オルフェノクが皆、あなたみたいになれるわけじゃない。戦うしかないんです。戦わなきゃ、守れるものだって守れない」

 往人はベルトを腰に巻いた。フォンを開き、プッシュ音が4回鳴ると『Standing by』という電子音声が鳴り響く。往人はフォンを頭上に掲げた。巧がするように。

「変身!」

『Complete』

 ベルトから赤いフォトンストリームが伸びて、光と共にファイズの鎧が往人の全身を覆った。ファイズはミッションメモリーをオートバジンの左ハンドルに挿入する。

『Ready』

 真紅の刀身が伸びるエッジを構え、ファイズは駆け出す。スカラベオルフェノクの剣と鍔迫り合いに持ち込み、その隙にモーニングスターを振りかざしてきたスコーピオンオルフェノクを横からホバー滑走してきたオートバジンが阻む。

 巧は傍観することしかできない。自分とは別人が変身するファイズが、敵の剣を弾き飛ばすところも。オートバジンが敵の鉄球をもろともせず拳を打ち付けるところも。

『Exceed Charge』

 エネルギーが充填されたエッジを、ファイズは雪面に薙ぐ。路面を走った赤いフォトンブラッドがスカラベオルフェノクを拘束し、ファイズは敵の体を一閃する。完璧なほどに、その太刀筋に慈悲というものは感じられなかった。往人は敵意と偏見をもって、オルフェノクを倒したのだ。

 両断されたスカラベオルフェノクが灰になって崩れると同時、オートバジンの拳を腹に受けたスコーピオンオルフェノクがファイズのもとへ飛び込んでくる。ファイズはミッションメモリーをショットへ移し、展開したグリップを握るとフォンのENETRキーを押す。

『Exceed Charge』

 標的が射程に入ったところで、ファイズは「あああっ‼」という咆哮と共にショットを突き出す。ツールから流れ込んだエネルギーがスコーピオンオルフェノクの体内を侵食し、その体を青く焼いていく。Φの文字を残し、スコーピオンオルフェノクは灰になって崩れ落ちた。

 ファイズは変身を解除する。光と共に鎧を脱ぎ捨てた往人は腰からベルトを外し、オートバジンのスイッチを押す。

『Vehicle Mode』

 バイク形態になったオートバジンに左ハンドルを接続して、「行きましょう」と何の感情も込めずに言った。

「急がないと間に合わなくなります」

 ベルトを納めたケースを巧に押し付けて、往人はサイドバッシャーのシートに跨ってヘルメットを被る。穂乃果とことりはただ往人をぼんやりと眺めているだけで、無言が漂い風の音を際立たせる。

「行くぞ」

 ぼうっとしている海未にそう言って、巧はオートバジンに跨る。リアシートに海未が腰を預けると、エンジンをかけて先行するサイドバッシャーを追いかける。

 

 ♦

 会場に近い高架下で、メンバー達は手を振っている。ここだよ、と示されたゴール前で、サイドバッシャーとオートバジンが停車する。

 シートから降りた穂乃果はヘルメットを脱いで、「穂乃果」と両腕を広げる絵里の胸に飛び込む。絵里の腕のなかで、穂乃果は癇癪を起こした子供のように泣き出した。

「寒かったよ。怖かったよ。これでおしまいなんて絶対に嫌だったんだよ。皆で結果を残せるのはこれで最後だし、こんなに頑張ってきたのに何も残んないなんて悲しいよ」

 顔を埋める穂乃果を絵里は優しく抱き留める。背中をさすりながら、「ありがとう」と呟いた。他のメンバー達も目に涙を溜めていた。この喜びと安堵は穂乃果と絵里ふたりだけのものではない、と。

 ここで終わらせたくない、と思っているのは巧も同じだ。でも、巧はさっきオルフェノクと戦うことができなかった。巧の躊躇のせいで、9人の夢が壊れるところだったのだ。俺は無力だ、と巧は自分自身に憤る。ツバサは自分のやるべきことを見出した。μ’sも同じだ。なのに、巧だけ迷っている。自分のしようとしていることは果たして正しいのか、と。

 巧の胸中を恐怖が満たしていく。オルフェノクと人間の境界を定め、その責任を背負うことに。今更の恐怖だ。戦うことの罪を背負うとかつて決意したはずなのに、今になって揺らいでしまった。姿の違いは明白なのに、守るものと倒すものと分かつことを迫られれば、うろたえるしかない。

「ちゃんとお礼しなきゃね」

 気付けば絵里がそう言っている。穂乃果は赤く充血した目を、サイドバッシャーに跨る往人に向けて「霧江君」と呼ぶ。往人の肩が微かに震えた。穂乃果は往人に歩み寄る。往人はゆっくりとヘルメットを脱ぎ、不安と緊張に満ちた視線を返す。

「助けてくれて、本当にありがとう」

 その言葉に往人は目を見開き、震える声で尋ねる。

「俺が、怖くないの………?」

「オルフェノクは怖いよ。でも、霧江君は怖くない」

 穂乃果は即答し、往人の手を握る。温もりを確かめているようだった。往人はただ驚き、穂乃果の瞳を見つめる。

「わたし達、一生懸命歌う。今のこの気持ちをありのままに。大好きを大好きなまま、大好きって歌うよ」

 驚愕が貼り付いた往人の顔がほころぶ。憑き物を落としたように、でも照れ臭そうに笑った。

「俺、ずっと応援してる。μ’sの歌とダンスが、メンバーのことが、俺も大好きだから」

 「うん」と穂乃果は満面の笑みを浮かべた。これが、往人の好きな穂乃果の笑顔なのだと分かった。彼女の笑顔を見る往人はとても穏やかで、愛おしそうに見つめている。でも、穂乃果はその想いに気付くことはない。それが最も良いのだ。彼女にとっても、往人にとっても。

 2人を見守るメンバー達はそれを察したのか、誰も口を挟まなかった。往人の気持ちを知っているはずの、ことりとにこと花陽も。

 雪はしんしんと降り続いている。大好き、という往人の想いを覆い隠すように。

 

 ♦

 夜になっても、雪は止む気配がない。でも昼間よりも弱まった雪は、ステージの舞台装置として良い演出をしてくれる。

 雪結晶のアーチが放つ青い光は、夜の闇にとても映える。光のもとに観客が集まり、ステージ上で横一列に並び、手を繋ぐμ’sに歓声が送られる。観客のなかには音ノ木坂の生徒もいて、雪穂と亜里沙も来ている。観客の最後方に停まった車から高坂母が降りて、娘の名前を呼びながら手を振っている。

「俺、ずっと不安だったんです。高坂への気持ちを、自分が人間だって思うために利用してるだけなんじゃないかなって」

 観衆のなかでステージを見ているなか、往人がぼそりと言った。他の観客の声にかき消されそうなほど小さい声だったが、隣にいる巧には聞こえる。

「でも今は、はっきりと確信できるんです。この気持ちは本物だって。俺は自分がオルフェノクだってことを否定するためじゃなくて、単純に高坂が好きなだけなんだって思えるんです」

 好きか嫌いか。要はそれだけの事だった。

 どれだけ複雑に言葉を並び立てても、結局は原始的な感情だけで分別が付けられる。巧もそのはずだった。救いに代償を求めるこの世界のことが嫌いでも、自分受け入れてくれる人達のことは好きだ。だから人間の住む世界を守ると決められた。そんな世界の敵としてオルフェノクを見られなくなったのは、彼らもまた人間としての心を残しているという期待が邪魔をしている。

 オルフェノクが人としての体と共に言葉も失ってくれれば、まだ敵と断じることができた。まったく言葉の通じない相手ならば、その声は獣の咆哮として良心が傷つくことなく葬ることができる。人なのか獣なのか、その線引きができないオルフェノクは曖昧な種なのだ。皮肉なことに、曖昧にしているのは人間のコミュニケーション手段に過ぎないはずの「言葉」だ。

「俺、高坂を好きでいて良かった」

 往人は安堵に満ちた声でそう言った。人間が生み出し、人間が感情を表現するために発展させてきた「言葉」として。

 「皆さんこんにちは」と、ステージ上の穂乃果が高々と言う。

「これから歌う曲は、この日にむけて新しく作った曲です。たくさんの『ありがとう』を込めて歌にしました。応援してくれた人、助けてくれた人がいたおかげで、わたし達は今ここに立っています。だからこれは、皆で作った曲です!」

 メンバー全員で「聞いてください」と締めくくる。そして、曲のイントロが流れ出す。

 その曲は穏やかに始まった。ピアノの音に、鈴の音が控え目に重なってくる。まるで、今この瞬間に降っている雪のように。

 アーチの光の下で、μ’sは踊り歌い始める。白を基調とした衣装が光を反射し、より一層の輝きを増している。まさに『Snow halation(雪の光暈)』のように。

 

 学校。

 音楽。

 アイドル。

 踊ること。

 メンバー。

 この毎日。

 頑張ること。

 歌うこと。

 μ’s。

 

 それら全てへの「好き」という感情をメロディに乗せた歌声が会場に伝播していく。当然、綺麗事ばかりじゃない。この世界は汚れてしまった。それでも、彼女らは「好き」という気持ちを捨てなかった。自分達を取り巻くものへの感謝を込めたラブソングとして、今こうして歌っている。

 巧は夜空を見上げる。そうすると、浮世離れした気分になれた。冬の冷たい風が、巧の抱える切なさをメロディと共にどこか遠くへ運んでいってくれるような気がした。

 そこは穏やかで綺麗な場所。空気も川の水も澄み切っていて、淀みがない。そこならどんな穢れも洗い流してくれるだろう。真っ白な洗濯物のように。

 でも、幻想的な時間は終わってしまう。曲と共に。いつの間にか、アーチの光がオレンジ色に変わっている。巧は携帯電話がバイブレーションを鳴らしていることに気付き、ポケットから取り出して画面を開く。メールが届いていた。

 

 乾さん、μ’sを頼みます

 俺が好きだった高坂の笑顔を、守ってください

 

 メールにはそれだけの文面が綴られている。送信元にある往人の名前を見て、巧は咄嗟に横へと視線を移した。さっきまで確かにいたはずの往人は消えていて、音ノ木坂学院の生徒がμ’sに拍手を贈っている。

 巧は人混みをかき分けて観衆から抜け出す。少し積もった雪に足をとられながら走り往人を探した。

 ふざけるな、と巧は憤った。

 穂乃果のことが好きなら自分で守れ。あいつはお前がオルフェノクでも受け入れただろう。もう自分の気持ちを隠す必要なんて無いだろうが。俺に全部押し付けて、勝手にどっか行くんじゃねえよ。

 次々と浮かんでくる文句の相手は、すぐに見つかった。ビルとビルの間の、闇が濃くなった狭い路地。そこの暗闇に溶けようとする往人の背中を、巧は見つけた。

「霧江!」

 巧が呼ぶと往人は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

 往人は何も言わず、穏やかに微笑んだ。

 

 ――良いんですよ、これで――

 

 彼の唇が、そう動いた気がした。往人の顔から青い炎が噴き出す。炎は全身へと広がり、微笑を浮かべたまま往人の顔から灰が零れていく。

 巧は駆け出し、倒れようとしている往人へ手を伸ばす。触れようとした直前で、往人の体が崩れた。彼の微笑が、存在ごと消えた。

 脚から力が抜けて、巧は膝を折る。雪の上に積もる往人の残骸を掴み、握ると指の隙間からさらさらと零れていく。巧はそれでも、灰の中から往人と分かるものを探そうとした。それは無意味で、何も見つからない。往人の細胞は彼の体を髪の毛1本も残さずに焼き尽くしていた。

 路地に強いビル風が吹いてくる。風で灰が舞い上がり、そこにいた霧江往人という少年の痕跡を綺麗さっぱりと消していく。

 彼の抱き続けた穂乃果への「好き」という想いも風に乗って高く昇り、夜空に溶けて消えた。




 投稿1周年記念ということで何かスペシャル的な番外編でも書こうと思ったのですが、読者の皆様は早く本編の続きが見たいだろうなと思い、いつも通りに本編書いて投稿することにしました(笑)。
 すみません。イベント事とか昔から苦手なもので………。

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