ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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 アイディアを頂いた読者様によりますと、森内彩子の声のイメージは竹達彩奈さんだそうです。
 往人は………、皆様のお好きな声で(笑)。


第8話 わたしの望み / 異形の花々

 秋葉原の街角でフラッシュが絶え間なく瞬いている。撮影スタッフのみならず、集まった群衆達の向けるカメラのレンズを向けられ、μ’sのメンバー達は肩肘を張った様子で立っている。こういった場の緊張感はライブとは違うものなのだろうか、と群衆の中から彼女らを眺める巧は思った。

「それでは、最終予選に進む最後のグループを紹介しましょう。音ノ木坂学院スクール、μ’sです!」

 女性司会者がハロウィンイベントのときよりは落ち着いた、でもやはり意気揚々と述べる。リーダーである穂乃果が1歩前へ出ると、群衆から歓声と拍手が沸く。

「この4組の中から、ラブライブに出場するひと組が決まります」

 μ’s以外の3組のアイドル達は、いかにもアイドル然とした華やかな印象だ。自信に満ち溢れていて、こういった場でも緊張の色が見られない。その中でも、A-RISEの3人は別格だ。まるでこの場がありふれた日常のように自然体でいる。

 最終予選まで勝ち残った彼女らを見て、巧はふと思う。大会の駒が進められていく道程で、どれだけの少女達の夢が潰えたのだろう、と。アイドルは華やかなパフォーマンスを見せる。でも、この大会の裏では練習で流す汗と敗北で流す涙で溢れかえっているに違いない。大会はそんな泥臭い様相を見せようとしないし、アイドル達も見せたがらない。

 万人の願いが叶えばいい。そう思うも、巧はこの世界がそんなに都合よくできていないことを知っている。誰かが喜びを噛みしめる裏で、誰かが苦汁を舐めなければならない。世界とは、そんな危ういバランスを保つことで維持されているのだろう。

「ではひと組ずつ意気込みを聞かせてもらいましょう!」

 「まずはμ’sから」と司会者はリーダーである穂乃果にマイクを向ける。「は、はい」と上ずった声で返事をしながらも、穂乃果は述べる。

「わたし達はラブライブで優勝することを目標にずっと頑張ってきました。ですので、わたし達は絶対優勝します!」

 群衆から一際大きな歓声があがった。カメラのフラッシュが激しくなり、あまりの光の眩しさに巧は目がくらみそうになる。あんな宣言をすればこんな反応が来ると予想できそうなのに、穂乃果は困惑気味に笑みを浮かべている。

 司会者は興奮した様子で言った。

「すすす凄い! いきなり出ました優勝宣言です!」

 

 ♦

「なに堂々と優勝宣言してんのよ!」

 大会のグループ紹介イベントが終わり、メンバー達が学校に戻ってミーティングを始めてすぐにこは穂乃果に詰め寄った。にこをなだめながら穂乃果は「い、いやあ勢いで」と苦笑を浮かべる。やはり一時の勢いで発した台詞だったらしい。

「でも実際目指してるんだし、問題ないでしょ」

 真姫が何気なく言う。彼女の言う通り、問題はない。そもそも、あの場にいた最終予選へと駒を進めた4組のなかで、優勝を目指していないグループはいないだろう。

 「確かにA-RISEも………」と海未が応じる。イベントでA-RISEが意気込みの弁を求められた際、リーダーであるツバサは言っていた。

「この最終予選は本大会に匹敵するレベルの高さだと思っています」

 名指しこそしていないが、μ’sをライバルとして意識していることが分かった。本人達から直接ライバル宣言されたのだ。当人同士だけでなく、観客からもμ’sはA-RISEと互角に渡り合う大会のダークホースとして注目されている。

「そっか。認められてるんだ、わたし達」

 穂乃果は感慨深そうに言った。「それじゃ」と絵里がようやくミーティングの趣旨を述べる。

「これから最終予選で歌う曲を決めましょ。歌える曲は1曲だから、慎重に決めたいところね」

 「わたしは新曲が良いと思うわ」とにこが言う。

「おお、新曲!」

「面白そうにゃ!」

 穂乃果と凛が賛同し、続けて海未も。

「予選は新曲のみとされていましたから、そのほうが有利かもしれません」

 最初の予選で使えるのは未発表曲と制限が設けられていたが、最終予選ではそれがない。だから無理して新曲を作る必要は無く、既存の曲で勝負するという選択肢もある。

「でも、そんな理由で歌う曲を決めるのは………」

「新曲が有利ってのも、本当かどうか分からないじゃない」

 花陽が控え目に、真姫がはっきりと主張する。2人の意見も反故にはできない。新曲の出来が観客の期待を上回なければ、むしろ得票率は下がるだろう。

「それに、この前やったみたいに無理に新しくしようとするのも……」

 ことりの意見には巧も賛成だ。あんな茶番にまた付き合うのは勘弁願いたい。

 「例えばやけど」と希が言う。何気なくといった声色で。

「このメンバーでラブソングを歌ってみたらどうやろか?」

 意外なことだった。希が何かを提案するなんて今までは殆どなかった。あったとしても、場の収拾がつかなくなったときのまとめ役として意見を投じるのは常だ。メンバー達は逡巡を挟み、「ラブソング!?」と声を揃える。

 「なるほど!」と長椅子に座っていた花陽が勢いよく立ち上がる。どうやらスイッチが入ってしまったらしい。

「アイドルにおいて恋の歌すなわちラブソングは必要不可欠。定番曲のなかに必ず入ってくる歌のひとつなのにそれが今までμ’sには存在していなかった!」

 確かに言われてみれば、μ’sが今まで出した曲のなかにラブソングは無い。目新しいといえばそうなのだが、何故今になってそんな提案を希はするのか。彼女のことだ。ただの思いつきで言ったとは思えない。絵里も巧と同じことを考えているようで、「希……」と目を丸くする。希は何も言わず、ただ微笑を浮かべる。

「でも、どうしてラブソングって今まで無かったんだろう?」

 穂乃果がそう言うと、メンバー達の視線が作詞担当である海未へと集まる。

「な、何ですかその目は?」

 たじろぎながら海未が聞くと、希が悪戯っぽく。

「だって海未ちゃん恋愛経験無いんやろ?」

「何で決めつけるんですか?」

 噛みつくように海未が言うと、穂乃果とことりが「あるの!?」と詰め寄ってくる。

「何でそんなに食いついてくるのですか?」

 どうやらこの手の質問に弱いらしく、海未は震える声で言う。他のメンバー達も興味津々のようで、「あるの?」と質問を重ねてくる。

「何であなた達まで………」

 抵抗を試みるも、数人がかりの質問攻めには敵わず海未は後ずさりする。逃すまいとメンバー達は距離を詰めていく。

「お前面白がってるだろ?」

 彼女らのやり取りを絵里と見守っている希に、巧は言う。

 「別に」と希は微笑しながら言った。

 「海未ちゃん答えて! どっち?」と穂乃果が。

 「海未ちゃん……!」と涙を浮かべたことりが追い打ちをかける。

「それは………」

 壁際まで追い込まれた海未はその場で膝をつき、弱々しく答える。

「………ありません」

「だろうな」

「だろうなとは何です!」

 つい漏らしてしまった巧に海未が声を荒げる。屈辱なのか、その目に涙を溜めていた。別に経験が無いからといって悪いことでもないだろうに、と巧が思っていると海未の心情など気付かない穂乃果が笑いながらぽんぽんと彼女の肩を叩く。

「もう、変に溜めないでよ。ドキドキするよ」

「何であなた達に言われなきゃいけないんですか! 穂乃果もことりも無いでしょう!」

 2人は罰が悪そうに「うん……」と答える。とはいえ、海未とことりに好意を抱く男がいたことを巧は聞いている。それに穂乃果にも、人間でなくなっても変わらずに想いを捨てない男がいるのだ。彼が人間だったら、何の心配もなく結ばれてほしいと思えるのに。

「にしても、今から新曲は無理ね」

 呆れた顔で長椅子に座る真姫が言う。「でも」と絵里が。

「諦めるのはまだ早いんじゃない?」

 そう言う絵里を真姫は意外そうに見上げる。絵里はどちらかと言えば合理的なほうだ。当日までの期間を考えると、新曲の製作から練習でパフォーマンスを仕上げるのはとても密なものになる。

 「そうやね」と希が同意した。

「曲作りで大切なんは、イメージや想像力だろうし」

「まあ、今までも経験したことだけを詞にしてきたわけではないですが………」

 濁した海未の言葉を続けるように、「でも」と穂乃果が腕を組む。

「ラブソングって要するに恋愛でしょ。どうやってイメージを膨らませればいいの?」

 「そうやね……」と希は視線を伏せる。そこへ巧が「てか」と口を挟んだ。

「お前ら9人もいて恋愛経験あるやついないのかよ?」

 そう聞くと、全員が顔を背ける。

「おい、まじか……?」

 高校生は誰もが恋愛のことばかりに興味が向くと勝手に思っていたが、彼女らはそういったことに殆ど縁が無かったらしい。恋人ができるような性格をしていない面子は仕方ないとして。

「あ、アイドルは恋愛しちゃいけないのよ!」

 その恋人ができる性格をしていないにこが噛みつくように言う。

「そもそも巧さんはあるの?」

 もうひとり恋人なんて無縁そうな真姫が尋ねる。「ねーよ」と巧は即答する。学生時代は恋人どころか友人すらいなかったのだ。

 「本当に?」と真姫は目を細める。

「真理って人はどうなの? 寝言で名前呼ぶくらいだし、大切な人なんじゃない?」

 余計なことを。文句を言おうとしたが、「真理?」と穂乃果が好奇心旺盛な目を巧に向けてくる。それは他のメンバー達も同様だ。誤解とはいえ、巧に浮いた話があることを意外に思っているらしい。

「たっくん彼女いたの?」

「彼女じゃねーよ」

 

 ♦

 ビデオカメラを手に希はゆっくりと廊下を歩く。階段へと続く角へ差し掛かったところでぱたぱたと花陽が飛び込んできて、羞恥で顔を赤らめながらもリボンで包装された小ぶりな箱を両手で差し出す。

「受け取ってください!」

 「お、良い感じやん」と希はご満悦だ。学園生活を満喫した者なら分かるシチュエーションなのかもしれないが、無為に青春を過ごしてきた巧にはさっぱりだ。

「これでイメージが膨らむんですか?」

 海未が聞くと「そうや」と希は得意げに答える。

「こういうとき咄嗟に出てくる言葉って、結構重要よ」

 知ったように言っているが希だって恋愛経験が無いだろう、と巧は思った。取り敢えず恋愛らしい場面をシミュレーションしてみようという話になったが、果たしてこれが本当に曲へのヒントになるのか。

 「でも、何でカメラが必要なの?」と穂乃果が尋ねる。それは巧も気になっていたところだ。

「そっちの方が緊張感出るやろ?」

 「それに」と希は怪しげに笑って。

「記録に残して後で楽しめるし」

「後のほうが本音だろ」

 巧の皮肉を「まあまあ」と受け流す。

「でも、相手がいないと何だかそれっぽくない感じやね」

 ぞわり、と巧の背中に悪寒が走る。予感は的中し、メンバー達の視線が巧へと集中する。

 「巧さん」と希がカメラのレンズを巧へと向ける。

「やだね」

「まだ何も言ってないにゃ」

 凛が面白そうに笑った。

「相手役になれってのか? 俺がそんな柄かよ?」

 「しょうがないじゃない」と真姫も可笑しそうに笑っている。

「ここで男の人は巧さんだけなんだし」

 「そうそう」と希はレンズを真姫へと移し。

「じゃあ次、真姫ちゃんいってみよう!」

「な、何でわたしが!?」

 突然の不意打ちに真姫は頬を赤く染める。ざまあみろと思ったが、巧は自分に降りかかった危機を脱していないことに気付いた。

 ここまで付き合わされて曲にならなかったら怒鳴り散らしてやる。場所を移動する間、巧はそう思った。メンバー達の強引な説得で告白役をする羽目になった真姫も同じことを考えているようで、じっと巧を睨んでいた。

 中庭に着くと、希は真姫に一際大きな桜の樹の下に立つよう指示する。憮然としながら真姫は配置につき、巧も真姫の目の前に立つ。

 「よーい、はい!」と映画監督を気取った希のコールで撮影が始まる。

「はいこれ」

 巧と視線を合わせまいと俯きながら、真姫は先程花陽が持っていたものと同じ箱を無造作に差し出す。はあ、とため息をつく巧に真姫はずい、と箱を押し付ける。

「いいから受け取んなさいよ」

「はいはい」

 仕方なしに巧は箱を受け取る。空箱を包装しただけだからとても軽い。

「べ、別にあなただけにあげたわけじゃないんだから、勘違いしないでよね!」

「分かったよ」

「あなたのことなんて、何とも思ってないんだから!」

「ああ」

「もう! お礼ぐらい言えないの?」

「うるせえよ面倒くさい女だな!」

「何よその言い方!」

 「ストップストップ」と希が告げる。互いに睨み合う巧と真姫の間に穂乃果と凛が割り込んで、「真姫ちゃん落ち着くにゃ」、「たっくんもすぐ怒っちゃ駄目だよ」と子供でも扱うようになだめる。

 真姫は巧を指差した。

「この人、相手役なんて向いてないわよ!」

「しょうがないって言ったのはお前だろうが!」

「ふたりとも喧嘩しない!」

 絵里の窘める声で、巧と真姫は同時に口を閉じる。年下の少女と口喧嘩して、それを止められたのも年下の少女だなんて、何て低次元なのだ。

 ため息をついた絵里は苦笑を浮かべる。

「まあ、巧さんに相手役は難しかったかもしれないわね」

 「確かに」と花陽が。

「巧さんは恋人っていうより、お兄ちゃんて感じかな……?」

「ま、彼氏としては無いわね」

 せっかく花陽がフォローを入れてくれたというのに、にこの言葉で台無しになった。花陽が否定してくれるのを期待したが、彼女は苦笑を浮かべるのみで何も言わない。

 「そうね、口が悪いし」と真姫が便乗する。

 「いつもムスっとしてるし」と穂乃果も。

 「猫舌だし」と凛まで。

「お前ら……!」

 沸々と怒りが込み上げてくるが、ある単語が出ていないことに気付き巧の怒りは引き潮のように収まっていく。皆、巧がオルフェノクであることに触れていない。既に忌まわしい異形の姿を知っているはずなのに、彼女らは巧の人間としての面を見てくれているのだ。現実から目を背けたいだけなのかもしれない。でも、巧にとっては何よりも尊い。

 希は頬を指でぽりぽりとかいて、巧と真姫を交互に見た。

「似た者同士でこのシチュエーションは、難しかったもしれんね」

 収まった怒りが再燃し、巧は声を荒げて吼える。

「意味分かんねえ!」

「意味分かんない!」

 言い切った後で声が重複したことに気付き、巧と真姫は互いを睨む。だが口論までには至らず、すぐに顔を背けた。

 

 ♦

「結局何も決まらなかったね」

 空が茜色に染まる頃、メンバー全員で校舎を背に歩くなかで穂乃果が言った。「難しいものですね」と海未が応じる。色々とメンバーとシチュエーションを替えて試してみたが、海未も真姫も特に何かを掴んだようには見えない。

「やっぱり、無理しないほうが良いんじゃない? 次は最終予選よ」

「そうですね。最終予選はこれまでの集大成。今までのことを精一杯やり切る。それが1番大事な気がします」

 曲の作り手である真姫と海未の意見は重みがある。2人がインスピレーションを得なければ練習へと進められないのだ。

「でも、もう少しだけ頑張ってみたい気もするわね」

 今日の絵里は積極的だ。考えてみればおかしい。ラブソングの提案者は希なのに、固執とまではいかなくても絵里のほうがラブソングを作りたがっているように見える。

 「絵里ちゃんは反対なの?」と凛が尋ねる。

「反対ってわけじゃないけど。でもラブソングはやっぱり強いと思うし、それくらいないと勝てない気がするの」

 そうだろうか、と巧は思う。恋愛というのは確かに多くの共感を得やすい普遍的なテーマだとは思う。その点に関しては絵里と同感だ。でもμ’sに恋愛経験のあるメンバーはいない。全く分からないものを詞や曲にしたとしても、海未と真姫が納得するとは思えない。

 巧は尋ねる。

「何を根拠にしてるんだ?」

「希の言うことは、いつもよく当たりますから」

 絵里らしくない回答だった。直観なんて無根拠に等しい。純粋にラブソングを歌いたいとしても、何故今になってそう思い立ったのか。前からその願望があったのなら、最初の地区予選の時点で主張すれば良かったはずだ。

「じゃあ、もうちょっとだけ考えてみようか」

 校門のあたりで足を止めて、穂乃果は議論を締める。

「わたしは別に構いませんが」

 海未がそう言うのなら、頭ごなしに反対することもできまい。「それじゃ」と絵里がメンバー全員に呼び掛ける。

「今度の日曜日、皆で集まってアイディア出し合ってみない? 資料になりそうなもの、わたしも探してみるから」

 「希もそれで良いでしょ?」と絵里が振ると、希は珍しく「え?」と気の抜けた声を発し、すぐ取り繕うように笑う。

「そうやね」

 メンバー達が校門で別れ、それぞれの帰路についていく。海未、ことりと夕暮れの道を歩き始める穂乃果を、オートバジンに跨ってアイドリングをしていた巧は「穂乃果」と呼び止める。

「何、たっくん?」

「寄り道してくから、おばさんに晩飯はいらないって言っといてくれ」

「どこ行くの?」

「ちょっとな」

 追及から逃れるように、巧はギアを入れてアクセル捻る。排気ガスを吹かし、オートバジンは黄昏の街へと走り出す。

 

 ♦

「珍しいですね。乾さんの方から呼び出すとは」

 部屋に上がり込むなり、琢磨は海堂の城を訝しげに見渡す。少しは物を整理すれば本来の広さを感じられるのだが、デリバリーピザの空き箱やビールの空き瓶が転がる部屋はゴミ屋敷、もといゴミ城と言っても違和感はない。

 そんな城の主がもてなしに振る舞うのは、決まっていつものピザとビールのセットだ。もっとも、巧と琢磨はいつも水を飲んでいるが。

「何飲む?」

 そう尋ねながらも既に、海堂はビール瓶を琢磨に差し出している。

「モンキーズ・ランチを」

「んなもんあるか」

「なら水でいいですよ」

 他愛もないやり取りもそこそこに、巧は湯気を立ち昇らせるハラペーニョピザに手をつけず琢磨に尋ねる。

「お前、霧江が力を使うとどうなるか知ってたのか?」

「いえ、知りませんでした。本当ですよ」

 琢磨は懺悔も謝罪も込めずに答え、グラスの水を一口含む。こういった話をするとき、海堂はピザにかぶりつきビールを煽り煙草をふかすのだが、今日は珍しく真面目に話を聞いている。そんな海堂を琢磨は一瞥し、眼鏡の位置を直す。

「まあどうせ長くありませんが、今回は乾さんの希望に沿いましょう」

 巧には何のことか分からなかった。察したのか琢磨は一言付け加える。

「霧江さんを保護します」

「どういう風の吹き回しだ?」

「海堂さんが言ったんですよ。霧江さんを守ると」

 「海堂……」と巧が視線をくべると、海堂は誤魔化すように視線を背け煙草にライターで火を点ける。ふー、と紫煙を吐き出した海堂は言う。

「別に、ちゅーかただの気まぐれだ。文句あっか?」

 ばう、と吼える犬の真似事をする海堂を巧は見つめる。この男の行動は全く読めない。まだ半分も減っていない煙草を灰皿に押し付け、海堂はハラペーニョピザを一切れ手に取って食べ始める。

「もうひとり、守ってほしい奴がいる。森内彩子って女だ」

 「森内彩子……」とピザを咀嚼しながら海堂が反芻し、「ああ」と口を開ける。咥内で噛みこねられたピザが見えて、巧は海堂のデリカシーのなさにうんざりする。

「あのカワイ子ちゃんか」

 「あなたはそういう事だけしっかりと覚えていますね」と琢磨が皮肉を飛ばす。巧は続ける。

「あいつも人間として生きたがってるんだ。頼む」

 巧は頭を下げた。柄でもないな、と思いながら。でも、彩子は夢を叶えようとしている。彼女の夢を守れるのなら安いものだ。

「ちゅーか、良いんじゃねーか?」

 何気なしに発せられる海堂の声を聞き、巧は頭を上げる。ようやくピザを飲み込んだ海堂は言う。

「サイガのベルトだって手に入れなきゃいけねーんだ。そのついでに往人と彩子ちゃんを守ればいいんだよ」

「確かに、サイガはこちらの戦力としなければなりません。開発室ではまだ調整中としていますが、既に完成と言っても差し支えはありませんし」

 「どういうことだ?」と巧は尋ねる。琢磨は得意げに笑みを浮かべる。

「サイガの出力は並のオルフェノクでは耐えられません。スマートブレインの多くのオルフェノクでは本領を発揮するに至らないでしょう」

 そんな危険な代物をこちらの戦力とするつもりなのか。その力は実際に戦ったのだから知っているが、使いこなせなければ意味がない。

 巧はファイズ。海堂はカイザ。もし三原を加えるとしたらデルタ。自分達の中でベルトを持っていない者。巧は琢磨に訝しげな視線を送る。

「お前なら使いこなせるってのか?」

「私を見くびってもらっては困ります」

 お前、「王」を見て泣きべそかきながら逃げてただろう。自信たっぷりに言う琢磨に、巧はそう思った。今度こそ「王」を倒さなければならない戦いに、彼が戦力として足りるのか。とはいえ、力を手に入れた彼ならある程度は戦えるのかもしれない。3年前、彼にファイズのベルトを奪われ襲われたときは、本気で死を覚悟したものだ。

 琢磨は言った。

「忘れたのですか? 私は元ラッキークローバーなんですよ」

 

 ♦

 ラブソングは好きという気持ちをどう表現するか。昼下がりに交わされる議論のなかで、絵里はそう言った。

 単純に言えばその通りなのだが、高坂家に集まったメンバーは全員が恋愛未経験で、男の意見も欲しいと参加をせがまれた巧も同じだ。巧の予想通り、議論は泥沼になっている。愛だの恋だの、抱いたことのない感情をどう表現するかなど誰も分からないのだ。まさに未知の境地だ。

 自分に経験が無いのなら、他者の経験を基にするしかない。そういうわけで、議論は一旦中断されてことりが資料として持参してきた恋愛映画の鑑賞会へと移った。数十年も前のモノクロ映画は、真理が好きだった映画だ。何度も鑑賞に付き合わされたから、巧は内容を始まりから終わりまで知っている。第二次世界大戦のホロコーストが激化する直前のドイツを舞台にした作品。ユダヤ人の主人公はヒロインと惹かれ合うが、情勢は2人の仲を許さず主人公はオランダへの亡命を決意するという、よくある話だ。

 序盤のときはメンバー達も何かを掴もうと真剣にテレビ画面を凝視していたのだが、そう長く集中力は保てず、中盤から普通の鑑賞会になっている。穂乃果と凛は飽きたのか肩を寄せ合って寝息を立て、クライマックスに差し掛かると画面の前に集まる絵里、ことり、花陽は涙を流して純粋に映画を堪能している。

 クライマックスは主人公とヒロインの別れのシーンだ。車のなかで、いよいよ明日主人公が旅立つ。「かわいそう……」と花陽が嗚咽交じりに言っている。この別れのあと主人公が亡命したオランダでもホロコーストが起こり2人は音信不通になってしまうのだが、ラストシーンは戦後で無事に生きていた2人が再会して映画は終わる。

「何よ、安っぽいストーリーね……」

 そんなことを言いながらもにこは号泣している。もし人間とオルフェノクのラブロマンスを物語にしても、観客は感動なんてしないだろうな、と巧はぼんやり思った。花嫁を求めるフランケンシュタインの怪物の方がまだ清く美しい。

 巧はふと視線を画面から後ろへと向ける。海未が画面に背を向けて、呻きながら座布団で頭を覆っている。

「お前何してんだ?」

 巧が聞くと、皆が海未の様子に気付いて彼女のほうを向く。

 「何で隠れてるの? 怖い映画じゃないよ」とことりが。

 「そうよ、こんな感動的なシーンなのに」と絵里が言う。

「分かってます。恥ずかしい………」

 それは恥ずかしがっているのか。巧がそう思っていると、画面を見てしまった海未はホラー映画でも見るような形相を浮かべる。因みに今は2人が別れのキスをしようとしているシーンだ。

 いよいよ2人の唇が触れよとした直前、画面が暗転する。続けて居間の照明が点けられ、画面の目の前で鑑賞していた3人は不満げにテレビのリモコンを持つ海未へと振り返る。息を荒くした海未はお化け屋敷から出てきたようにも見える。

「恥ずかしすぎます! 破廉恥です!」

 海未は早口でまくし立てた。恋愛映画の割にはベッドシーンも無いから健全な方だと思うが、純情さが小学生にも勝りそうな海未にはキスですら刺激が強いらしい。

「そもそもこういうことは、人前ですべきものではありません!」

 映画の中での事だぞ、と巧が思っているところで、穂乃果と凛が重たそうに目蓋を開ける。

「穂乃果ちゃん、開始3分で寝てたよね」

 ことりが苦笑しながら言う。開始3分はまだ劇中の時代背景をナレーションで説明する場面だ。

「ごめん。のんびりしてる映画だなって思ったら眠くなっちゃって」

 曲の参考にするんじゃなかったのか。巧にはどうにもこの時間が有意義だとは思えない。

「なかなか映画のようにはいかないわよね。じゃあ、もう1度みんなで言葉を出し合って――」

 「待って」と真姫が絵里を遮る。

「もう諦めたほうが良いんじゃない? 今から曲を作って振り付けの練習もこれからなんて、完成度が低くなるだけよ」

 「でも――」と絵里が言いかけるが、海未の言葉が先行する。

「実はわたしも思ってました。ラブソングに頼らなくてもわたし達にはわたし達の歌がある」

 「そうだよね」と穂乃果も同意を示した。にこも同様に。

「相手はA-RISE。下手な小細工は通用しないわよ」

 「でも」と絵里は引き下がろうとしない。何が彼女をそこまで動かしているのか。考える前に希が口を開く。

「確かに皆の言う通りや。今までの曲で全力を注いで頑張ろう」

 巧にはその言葉が本心のように思えない。ラブソングを作ろうと提案したのは希だ。今まで自己主張が控え目だった彼女の提案となれば、何か大きな意味があるのではと考えていた。それなのに、こうも簡単に諦めてしまうのか。

「いま見たら、カードもそれが良いって」

 嘘だと巧には分かった。希は以前、カードはヒントを与えるだけと言っていた。良いか悪いかなんて、はっきりと提示するものじゃない。占いなんて曖昧だ。どうにも解釈できるように出来ている。

「待って希、あなた――」

 「ええんや」と希は絵里の言葉を止める。これもおかしい。希は他人の話は最後まで聞く。

「1番大切なのは、μ’sやろ?」

 絵里は何か言いたげな視線を希に送っている。でも、何も言わなかった。希の性分をこの場の誰よりも知っている絵里は、何かを悟ったのだと思う。でも、この場でそれを追求することは巧にもできない。希はきっと自分のことを詮索されるのは嫌がるだろう、と似た性分である巧は理解している。

「じゃあ今日は解散して、明日から皆で練習やね」

 希のその言葉で、今日の打ち合わせは終わった。

 穂乃果とメンバー達を玄関まで見送ると、既に陽は傾き始めている。

「巧さん、一緒に来て」

 離れたところを並んで歩く絵里と希を見ながら、真姫が呟くように言う。「は? 何でだよ?」と巧は聞くも、真姫は答えず巧の腕を掴んで引っ張る。

「凛、花陽。先帰ってて」

 店先にいる2人にそれだけ言うと、真姫は巧の腕を引きながら絵里と希の後を追い始める。2人に気付かれないよう、足音を抑えて。時々物陰に隠れながら。

「何で後つけるんだよ?」

「あなただって気付いてるでしょ? あの2人怪しいわよ」

 真姫は人差し指を唇に添えて静かに、とジェスチャーする。2人の声が聞こえてきた。

「本当に良いの?」

「良いって言ったやろ」

「ちゃんと言うべきよ。希が言えば、絶対みんな協力してくれる」

「うちにはこれがあれば十分なんよ」

 これとはカードのことだろうか。2人の表情は見えないが、何となく絵里が府に落ちないといった顔をしているのは想像がつく。

「………意地っぱり」

「エリちに言われたくないな」

 会話に耳を澄ませていた真姫は「どういうこと?」と呟く。

 2人は交差点で立ち止まった。ここから2人の帰路は別れるのだろう。真姫は立ち上がった。「おい」という巧の制止もきかず、足音を立てて2人のもとへと走っていく。「ったく」と悪態をつきながら巧も後を追った。

「待って!」

 2人が振り返り、希は「真姫ちゃん」と目を丸くして真姫を見つめる。続けて追いついてきた巧にも「巧さん」と。

「前に言ったわよね。面倒くさい人間だって」

 真姫の強気な言葉を希は「そうやったっけ?」と笑って受け流す。真姫は更に言う。

「自分の方がよっぽど面倒くさいじゃない」

 最初は驚いていた絵里も笑みを零し「気が合うわね」と。

「同意見よ」

 この場にいる全員は似た者同士だ。真姫も、絵里も、希も、そして巧も。似た者同士でしか明かせないこともある。不器用ながら、これは真姫なりの配慮だったのだろう。

「うち、来る?」

 希は苦笑しながらそう言った。これは不意打ちだったのか、真姫は拍子抜けしながらも「え、ええ……」と答えた。

 しばらく歩いて到着した希の家はマンションだった。居室に迎えられれば親でもいるかと思ったが、誰もいない。玄関に置いてある靴も明らかに希のものだけで、間取りからして単身用のマンションだと分かる。

「お茶でええ?」

 キッチンでお湯を沸かす希が尋ねると、未だに困惑している真姫は「あ、うん」と先程の態度が嘘のような受け答えをする。

「巧さんは冷たいのがええよね?」

「ああ」

 絵里と真姫と巧が通されたリビングのテーブルは小さくて、3人がつくと窮屈に感じる。椅子だって2脚しかなくて、巧が座っている折りたたみ式の丸椅子は希が押入れから引っ張り出してくれたものだ。

「1人暮らし、なの?」

 「うん」と答える希の声色は、どこか寂しさを感じる。希はポットに紅茶の茶葉を入れながらぽつり、ぽつりと。

「子供の頃から両親の仕事の都合で転校が多くてね」

 「そう……」と真姫は相づちを打つ。続きを絵里が引き継いで。

「だから音ノ木坂に来てやっと居場所ができたって」

「その話はやめてよ。こんな時に話すことじゃないよ」

 はぐらかすように希が言ったところで、ぴー、とポットが汽笛のような音を鳴らす。

「ちゃんと話してよ。もうここまで来たんだから」

 コンロの火が消えて音が止むと、真姫はそう言った。「そうよ」と絵里も。

「隠しておいても、しょうがないでしょ」

 どうしても話したくないのなら、黙っていても良い。真姫だってそれくらいの気遣いはできる。でも、希はこうして巧達を家に招き入れた。それは、彼女に明かす意思があるということだ。でも、その勇気はまだ湧いてこない。

「別に隠していたわけやないんよ。エリちが大事にしただけやん」

「嘘。μ’s結成したときから、ずっと楽しみにしていたでしょ?」

「そんなことない」

「希」

「うちが、ちょっとした希望を持っていただけよ」

 ここまできて、往生際の悪い少女だ。巧が口を開こうとするも、その前に「いい加減にして」と真姫が2人の会話に口を挟む。

「いつまで経っても話が見えない。どういうこと?」

「ああ。こっちは全く分かんねえよ」

 「希」と真姫が強く促すも、希はこちらに背を向けたまま何も言う素振りを見せない。代わりに言ったのは絵里だ。

「簡単に言うとね、夢だったのよ。希の」

 「エリち」と希はあくまで優しく遮る。

「ここまで来て、何も教えないわけにはいかないわ」

 「夢?」と真姫が訝しげに。

 「ラブソングが、か?」と巧が尋ねる。「ううん」と絵里はかぶりを振る。

「大事なのは、ラブソングかどうかじゃない。9人みんなで曲を作りたいって。ひとりひとりの言葉を紡いで、想いを紡いで、本当に全員で作り上げた曲。そんな曲を作りたい。そんな曲でラブライブに出たい」

 皆で紡ぐ言葉。皆で口ずさむメロディ。ひとりの気持ちではなく、皆の気持ちが一体となり、本当の意味でμ’s全員が歌える曲を作ること。

 それが――

「それが希の夢だったの」

 真姫は黙って話を聞いている。何の皮肉も飛ばさずに、絵里の口から出てくる希の夢、希望を巧も聞き続ける。

「だから、ラブソングを提案したのよ。上手くいかなかったけどね。皆でアイディアを出し合って、ひとつの曲を作れたらって」

 「言ったやろ」と、そこでようやく希は口を開く。希はどこかで絵里が代弁してくれることを期待していたのだ、と巧は思った。さっきからキッチンに立ったままでいるのも茶葉を蒸らしているのだろうが、時間をかけすぎている。

「うちが言ってたのは夢なんて大それたものやないって」

 「じゃあ何なの?」と、真姫はテーブルにティーセットを置く希に尋ねる。「何やろうね」と希は答えた。

「ただ、曲じゃなくても良い。9人が集まって力を合わせて、何かを生み出せればそれで良かったんよ。うちにとってこの9人は、奇跡だったから」

 「奇跡?」と真姫が反芻し、希は「そう」と返す。

「うちにとって、μ’sは奇跡。転校ばかりで友達はいなかった。当然、分かり合える相手も」

 希はそこで絵里に視線をくべる。その口調はとても淡々としている。まるで他人事で、誰かの物語を聞かせるように。

「初めて出会った。自分を大切にするあまり、周りと距離を置いて皆と上手く溶け込めない。ずるができない。まるで、自分と同じような人に。想いは人一倍強く、不器用なぶん人とぶつかって」

 本人の口から明かされた過去を聞いて、巧は悟る。希の飄々とした振る舞いは、再び孤独に陥ることへの恐怖を隠すための仮面だったのだと。巧も同じだ。他人を寄せ付けないよう不遜な態度を取り続ければ、当然誰もが離れていく。それは巧の望んでいたことだ。それでも、巧はどこかで虚しさを感じていた。それが寂しさと気付いたのは、真理と啓太郎が自分を受け入れてくれたから。一度その温もりを知ってしまえば、求めずにはいられない。

「同じ想いを持つ人がいるのに、どうしても手を取り合えなくて。真姫ちゃん見たときも、熱い想いはあるけど、どうやって繋がっていいか分からない。そんな子があちこちに。そんなとき、それを大きな力で繋いでくれる存在が現れた。想いを同じくする人がいて、繋いでくれる存在がいる。必ず形にしたかった。この9人で、何かを残したかった」

 巧は黙ってグラスに注がれたアイスティーを飲む。出会えば必ず別れが付随してくる。3年生の希は、来年の春には絵里、にこと共に音ノ木坂学院を卒業する。そうなれば、希は再び孤独に戻ってしまう。だからこそ孤独になっても前へと進む勇気を与えてくれる「過去」を欲したのだ。

 未来では過去になる「いま」。

 それがμ’s。

 皆で作った曲。

「確かに、歌という形になれば良かったかもしれない。けどそうじゃなくても、μ’sはもう既に何か大きなものをとっくに生み出してる」

 希は紅茶が注がれたティーカップを持ち、中身を見つめながら言う。

「うちはそれで十分。夢はとっくに――」

 希の言葉はそこで途切れる。今まで余裕な物腰だったのに、幼い少女のように眉尻を下げて唇を結ぶ。漠然とした気持ちを言葉として声に出せば、それは実体として認識される。まるでモノクロ写真に色が付けられるように、リアルに感じ取れる。本人が語った希の物語は、はっきりと寂しさに血肉を与えてしまった。

「叶えてねーだろ」

 巧は憮然と言った。

「1番大切なのはμ’sだとか言ってたが、お前だってμ’sの一員だろ。変に気遣いすぎなんだよ。そういうの必要ないのが友達だろうが」

 ここまでくれば、巧の意地だった。妥協ができないからこそ夢なのだ。認識を得たというのに、希はこの期に及んで無理矢理にでも納得して胸の内に仕舞いこもうとする。この場にいる者の例に漏れず、希も大層面倒臭い。妥協などさせてやるものか。

「巧さんはもう少し気を遣ったほうがいいけどね」

 茶化すように言った真姫はポケットから携帯電話を取り出す。絵里も同じように。

「まさか、皆をここに集めるの?」

 少し驚いた様子の希に「いいでしょ。1度くらい皆を招待しても」と真姫は返す。

「友達、なんだから」

 

 ♦

 メンバー全員が希のマンションに集まる頃には、陽もすっかり落ちていた。流石に10人が単身用の居室に集まると窮屈なもので、それぞれが手頃な場所を見つけて腰を落ち着かせなければならない。

「ええ!? やっぱり作るの?」

 穂乃果の驚愕の声を受け、真姫は「そ、皆で作るのよ」と答える。

「何かあったの? 真姫ちゃん」

 花陽が尋ねる。あれほどラブソング製作に反対の意を示していた真姫が、手の平を返しているのだから当然の反応だ。「何にもないわよ」とだけ真姫は言った。

 「ちょっとしたクリスマスプレゼント」と絵里が。

「μ’sから、μ’sを作ってくれた女神様に」

 そうして再び打ち合わせが始まるのだが、やはり泥沼だ。皆で言葉を出し合い詞にする。その意向で進めようとするも、ぴたりとはまるような言葉はそう簡単に出てこない。

 何気なく部屋のインテリアを眺めていた花陽の視線が一点で止まる。9人で『START:DASH!!』を披露した後に撮影されたμ’sの集合写真だった。巧がμ’sのもとに帰ってきた日のライブ。隣には舞台裏で巧も交えた10人で映った写真も飾られている。花陽が写真立てを手に取ると、それに気付いた希が慌てて横取りして胸に抱く。

 希が取り乱すところを初めて見た。メンバー達が意外そうに彼女を見るなかで、にこが悪戯な笑みを浮かべる。

「そういうの飾ってるなんて意外ね」

「べ、別に良いやろ。うちだってそのくらいするよ」

 ベッドの上で座り込んだ希は恥ずかしそうに視線を背け、か細く言う。

「友達、なんやから……」

 皆は嬉しそうに笑った。皆もあまり自分のことを語らない希との距離を感じていたのだ。その希本人から、友達と言ってくれた。

 「可愛いにゃー!」と凛が飛びつくも、希がかざした枕に阻まれる。

「もう、笑わないでよ!」

「話し方変わってるにゃ!」

 じゃれ合いから逃れようとした希を絵里が背後から優しく抱き留める。

「暴れないの。たまにはこういうことも無いとね」

 最初は驚いていた希は「もう……」と、えも満更でもなさそうに絵里の体に身を預ける。希はμ’sに加入する以前から、グループを気にかけていた。だから希には知ってほしい。希がメンバー達を想うように、メンバー達も希を想っていることを。

 「あ、そういえば」と花陽がポケットから紙片を取り出す。折りたたまれた紙を広げてメンバー達に見せた。

「今日、ヴェーチェルのライブだよ」

 「ヴェーチェル?」と穂乃果が聞く。「そっか、穂乃果は知らなかったわね」と絵里が思い出したように言う。

「UTXのスクールアイドルよ。この前ライブに誘われたの。他のグループを見るのも、刺激になるかなって」

 絵里はチラシに書かれた時刻を見て、次に携帯電話に表示される現時刻を。

「時間も丁度いいし、行ってみない?」

 

 ♦

 年に1度の聖夜が近くなり、街はクリスマスムード一色だった。クリスマスソングがBGMとして流れ、ケーキ屋の前ではサンタクロースの衣装を着た店員がチラシを配って宣伝している。世間はとにかくクリスマスだ。足りない要素は、まだ雪が降っていないことくらいか。

 そんな街を眺めながら、巧はファイズギアが収納されたケースをぶらぶらと揺らして歩いている。希のマンションに来た際、穂乃果が持ってきてくれたのだ。真姫に連れ出されたときは突然だったから、持ち出す間もなかった。

「ねえ、巧さん」

 会場を目指す道中、最後尾にいる希は隣の巧を見上げる。

「巧さんとの出会いも、奇跡なんよ」

「そりゃ大袈裟だろ」

「ううん。もし巧さんと会えなかったら、μ’sの夢はオルフェノクに壊されていたかもしれない。こうして9人が集まったのも、廃校が無くなったのも、巧さんがいてくれたからなんや」

「俺は何もしてねーよ」

 「ふふ」と希は笑った。

「いつもそればっかりやね。感謝されたら素直に受け取ればいいのに。巧さんはやっぱり特別なんやと思う」

「特別? どこが?」

 「うーん、何ていうか……」と希は宙を眺める。

「本来なら、出会わないはずだったのかもしれんね。でも、うち達と巧さんは出会った。巧さんが普通じゃないって感じてたのはオルフェノクだからじゃなくて、やっぱり運命を越えられるものなんよ」

「それもカードが言ってたのか?」

「カードと、うちの勘やね」

 相変わらず言っていることが曖昧だ。巧は無為な想像をしてみる。もし自分が、オルフェノクが現れなかったら、彼女らはどんな夢を追っていたのかと。

 あまり深く考える必要はなかった。巧がいなくても、彼女らは9人に集まり、スクールアイドルとしてラブライブ優勝を目指して走り続けることが容易に想像できたからだ。巧の介入なんて小さなものだ。巧はμ’sを導いてなんかいない。彼女らの夢を傍観し、行く道を阻む者達がいれば排除してきただけだ。

 街の中心部から外れた場所に、ライブハウスは構えられていた。規模はそれほど大きくはなく、8階建て複合ビルの地下にある小劇場が、ライブ会場として指定されている。

 巧はビルを見上げる。何かを忘れているような気がするが、記憶と呼ぶには曖昧で何を忘れているのかすらも思い出せない。

「たっくん、どうしたの?」

 巧の様子に気付いた穂乃果が尋ねてくる。「何でもない」とだけ答えて、巧は地下への階段を降り始める。

 メンバー達はどんなライブなのだろう、と期待に満ちた表情を浮かべてドアを開けて中に入る。

 チェス盤を思わせる黒と白のタイルが張られた床の劇場は小規模だ。朧げな照明が照らすステージは低く、観客との隔たりをあまり感じさせない。アイドルといえば一般人には手の届かない存在というイメージを抱いていた巧は、今のアイドルは客との距離がとても近いんだな、と漠然と思った。

 客入りはとても繁盛しているとは言い難い。30人入れば十分な密度の劇場に来ている先客はたったの4人で、しかも顔見知り。

「A-RISE!」

 先客を見たにこがうわずった声をあげる。「あら」とツバサはメンバー達を見て、嬉しそうに笑う。穂乃果がツバサのもとへと歩き、「こんばんは」と挨拶の後に尋ねる。

「ツバサさん達も、ライブに誘われたんですか?」

「ええ。ヴェーチェルのことはずっと応援してたから。今夜のライブ、きっと凄いわよ」

 リラックスした様子の3人を見て、トップアイドルといえどまだ高校生なんだな、と巧は奇妙な感慨を覚える。その意識は、こういった場に慣れていないのか所在なさげに立っている往人へと向く。

「お前も来たのか」

「森内さんに招待してもらったんです」

 そう言って往人はまだ演者が立っていないステージへと視線を向ける。

「良かったですね。夢が叶って」

「…………ああ」

 「霧江君」と穂乃果が往人のもとへと歩いてくる。恥ずかしそうに反射的に顔を背ける往人をにこがにやにやと眺めている。

「お久しぶりです、霧江君」

 穂乃果の後をついてきた海未に「やあ、園田」と往人が言うと、彼と初対面である絵里が「知り合いなの?」と聞いた。

「中学の同級生です」

 海未が答えると、往人はメンバー達に「霧江往人です」と軽く会釈する。

 会話に華を咲かせる間もなく、フロアの照明が暗転する。数秒置いてステージのライトが点いて、光の下でフリルやリボンで飾られた衣装を着たヴェーチェルの3人が並んで立っている。

 真ん中にいる彩子は1歩前へと踏み出し、満面の笑顔を少ない観客達に見せる。

「皆さんこんばんは。わたし達はUTX学院スクールアイドル、ヴェーチェルです」

 待ってました、というように皆は拍手する。巧も申し訳程度に手を叩き、彼女達に祝福を贈る。

 右隣にいる愛衣が言う。

「今夜はわたし達のファーストライブに来てくれて、本当にありがとうございます」

 次に、左隣にいる里香が。

「わたし達と一緒に、思いっきり楽しんでいってください」

 3人はとても嬉しそうだった。ずっと夢見ていた光景。理想よりも観客は少ないかもしれないが、ようやく立てたステージにいる彼女達は、喜びの熱を抱きしめているように見える。

「曲の前にリーダーのわたし、森内彩子からメンバーの2人に伝えたいことがあります」

 「え?」と2人は同時に彩子へと視線を向ける。予定にない進行らしい。彩子は愛衣へ、次に里香へと交互に顔を向ける。

「愛衣、里香。2人ともありがとう。人前で歌う機会なんて無かったのかもしれないのに、わたしに着いてきてくれて。実は、何度も解散しようか考えてたんだ。でも悩む度に、やっぱり2人と一緒に歌うのがとても楽しいんだって思えた。本当に、ヴェーチェルをこの3人でやれて良かった」

 「そんなこと……」と愛衣が鼻をすする。「ずるいよ」と笑いながらも、里香も目を赤くしている。

 

「だから、わたしが2人を連れてってあげる。まだ誰も見たことのないような、新しいステージに」

 

 彩子の笑顔に、黒い筋が走った。

 華奢な体が隆起し、灰色のアネモネオルフェノクとしての姿を成していく。え、と呆けた表情を浮かべる2人の胸を、アネモネオルフェノクの指先から伸びる灰色の蔓が貫いた。背中から飛び出した蔓の先端が青く燃えている。

 ほんの数秒間の演出だった。その数秒間、観客の全員が沈黙し、時が止まったかのように静止した。アネモネオルフェノクの蔓が指に収まると、時間が流れ出す。灰になっていく愛衣と里香の絶叫で。

 2人の声が途切れたのは、その体が煙をあげて崩れたときだった。でも、フロアを覆い尽くす絶叫は止まない。μ’s、A-RISEの皆の声が壁や天井に反響している。

 彩子の形になったアネモネオルフェノクの影が言う。

「愛衣と里香は駄目だったんだ。でもごめんね。人間に新しいステージは見られないの」

 逃げろ、という往人の声が聞こえ、幾重もの足音が続けてフロアに響き渡る。でも、立ち尽くす巧にそんなものは意識の片隅にもない。何故、という疑問のみが思考を占めている。巧はそれを声にして絞り出す。

「何で……、どうして………」

「わたし、最初はオルフェノクになった自分が嫌いでした。もう人間じゃなくなったんですもん」

 そう言ってアネモネオルフェノクはタタン、と軽やかにステップを踏み始める。

「でも、こんなわたしを受け入れてくれる世界があるって、女王様(クイーン)が教えてくれたんです。『王』が蘇れば、世界がオルフェノクのものになれば、わたしはその世界で永遠にアイドルとして歌えるって」

 がたん、という音が聞こえた。不思議なほど冷静に、持っていたギアケースを落としたんだな、と巧は判断していた。

 アネモネオルフェノクがステージ上で踊ると、地面に積もる愛衣と里香だった灰が舞い上がった。まるで花粉だった。オルフェノクという花を咲かせるための種を蒔いているように見える。

「ツバサやあんじゅや英玲奈のことも、最初はとても羨ましかったし、憎んでもいた。でも、3人はわたしにとってはとても大切な友達。μ’sの皆も、わたしの大好きなアイドル。ずっと皆で歌って踊りましょう。きっと素敵なステージになる」

 疑問から困惑へ。困惑を経て、巧は怒りを見出す。彩子ではなく、自分への怒り。戦うことしかできず、彩子を正しく導いてやれなかった自分の無力さが、何よりも憎い。

 アネモネオルフェノクはステップを止めて、ゆっくりとステージから降りてくる。

「乾さんと霧江君も行きましょう。ずっと永遠に、わたしのステージで楽しんで」

「黙れ‼」

 巧は怒鳴った。床に落としたケースのロックを解除し、ツールを取り出して腰に巻く。

 5・5・5。ENTER。

『Standing by』

「変身‼」

『Complete』

 駆け出した巧の体をフォトンストリームが覆っていく。一瞬の内に鎧を纏い、ファイズはアネモネオルフェノクに組み付く。

「逃げろ! 早く!」

 ファイズはドアの前で固まっている皆へと叫ぶ。「鍵が……っ」というツバサの声が聞こえた。床に映る彩子が笑う。

「ライブはまだ終わってないもん。途中退席は駄目」

「うるせえ‼」

 ファイズは拳をアネモネオルフェノクの顔面に打ち付ける。あはは、あはははとアネモネオルフェノクは笑い、ファイズに鞭を叩き下ろす。蔓のような鞭はうねり、生えた棘がファイズの装甲に突き刺さる。続けてフロアの隅に広がる暗闇から、青の光線が飛んできた。スーツに触れたエネルギーが小さな爆発を起こし、ファイズの体を吹き飛ばす。

 床に倒れたファイズは暗闇へと視線を向ける。闇の中から青のラインを光らせたサイガが、拳銃型に変形させたフォンを手に歩いてくる。

 ファイズの前に人影が横から入り込んでくる。アネモネオルフェノク、サイガと対峙した人影が「ああああっ‼」と叫び、そこでようやく往人であることに気付く。

 往人はホエールオルフェノクに変身した。思わず視線を後ろへ向けると、A-RISEとμ’sの面々が呆気に取られて目を剥いている。

 ファイズは自棄の絶叫を吐き出しながら、ホエールオルフェノクと共に敵へと向かっていく。アネモネオルフェノクにひたすら拳を見舞い、守るべき存在だったはずの彩子に暴力を振るい続ける。

 何故だ。

 何故こうなった、と問いながら。

 誰に問えば良いのか分からなかった。彩子の抱える闇に気付けなかった自分になのか、いるかも分からない神になのか。

 いや、神などいない。

 神がいるのなら、こんな残酷を容認するはずがない。これは全て自分の行動の結果だ。それどころか、行動を満足に起こさなかった因果なのだ。

「離れろ!」

 その声の数瞬後、どんっ、と銅鑼を叩くような音が聞こえる。アネモネオルフェノクを羽交い絞めにしながら振り向くと、ひしゃげたドアが倒れて、四角く切り取られたフロアの出入り口にカイザが立っている。

「ちゅーか、最悪のパターンだな」

 カイザはミッションメモリーをブレイガンに挿入しながら駆け出す。『Ready』という音声と共に黄色の刃が銃身から伸びた。ファイズを引き剥がしたアネモネオルフェノクはカイザに鞭を振るう。カイザがブレイガンを一振りし、フォトンブラッドの光刃が鞭を両断する。カイザはアネモネオルフェノクにブレイガンを一閃した。大きな花が咲いた灰色の体が仰け反り、生じた隙を突いてファイズはその胸を蹴飛ばす。

 アネモネオルフェノクの体が大きく跳び、壁を破壊して粉塵で隠れた暗闇へと突っ込んでいく。

 同時にホエールオルフェノクが2人の足元へと飛び込んできた。床を転がり、その軌跡を視線で逆行するとサイガがこちらに人差し指を向けている。

 ファイズとカイザは同時に駆け出す。燦然と迎えるサイガは迫ってくる刃も拳も全て避けた。ベルトの性能差が明らかで、サイガの重い蹴りがファイズの腹に鈍い痛みを刻みつける。

 後退したファイズはミッションメモリーをポインターに挿入した。続けてアクセルのミッションメモリーをフォンに挿し込む。

『Complete』

 こんな狭い空間でアクセルフォームはあまり得策とは言えない。動き回るだけで周囲の物体を破壊し撒き散らしてしまうのだ。それでも、この状況でサイガを相手にするには、この形態しかない。

『Start Up』

 アクセルがカウントを刻み始める。ファイズは一瞬で間合いを詰め、カイザの蹴りを防ぐサイガの顔面に拳を打った。多少の身じろぎをしたサイガはバックパックのスラスターを吹かし、追撃の蹴りを避けて狭いフロアを旋回する。出入口の辺りで逃げずに戦いを傍観している皆のもとへと向かうその背中に、ファイズは右脚のポインターを向けた。フォトンブラッドのマーカーが目標を補足し、ファイズは開いた光の傘へと飛び込む。

 強化されたクリムゾンスマッシュの衝撃は、サイガの背中を掠っただけだった。それでもバックパックのカバーが抉られ、電流を迸らせた噴射口からガスが途切れる。

『Exceed Charge』

 ファイズのものよりも低い音声が聞こえる。後ろを見やるとカイザのフォトンストリームを光が伝い、右手のブレイガンに到達する。地面に伏したサイガに向けられた銃口から、光弾が発射された。命中したエネルギーが網状に広がって、サイガの体を拘束する。

「だっしゃああああああっ‼」

 猛スピードでカイザは突進した。すれ違い様に剣を振り背後に立つと同時、サイガの胸から上がずるりと床に落ちて青い炎に燃やされる。残った胸から下も青い爆炎をあげ、灰になって崩れ落ちた。

 ばふ、と主を失ったベルトが灰の上に落ちる様子を見ているうちに、『3・2・1――』とアクセルのカウントが聞こえてくる。

『Time Out』

 ファイズはフォンのミッションメモリーを抜いた。『Reformation』という音声と共に、開いていた胸部装甲が閉じる。

「ったく、手間取らせやがって」

 灰にまみれたサイガのベルトを拾いながら、カイザが愚痴る。ファイズはゆっくりと歩きながら問う。

「海堂、何でお前が?」

「お前知らねえのか? このライブハウスはな――」

 「たっくん!」という穂乃果の声が響いた。直後、ファイズの腹に不快な痺れが走る。視線を下ろすと灰色の蔓が飛び出していて、先端がうねうねと気色悪く蠢いている。刺された、と認識すると痺れが痛みへと認識できる。

「あなたがいけないんですよ。守ってくれるって言ったのに裏切るから」

 振り向くと、アネモネオルフェノクが鞭を引いた。するりとファイズの体から鞭が抜けて、ぽっかりと空いた穴から血が溢れてくる。でも、すぐに流れは止まった。ファイズのスーツが損傷箇所を圧迫し、止血してくれたからだ。それでも痛みまで消してくれるほど、スーツは万能ではない。力の抜けた膝を折ると、背後からアネモネオルフェノクのあはは、という笑い声とステップを踏む音が聞こえてくる。

「野郎!」

 罵声を飛ばしながらカイザがファイズの横を通り過ぎていく。すぐにステップの音は消えて、代わりにぶんっ、という剣を振る音が。でもアネモネオルフェノクの、彩子の笑い声だけは変わらずに響き続けている。

「乾さん!」

 往人が隣に駆け寄ってくる。ツールが変身を維持できないと判断したのか、スーツが光と共に分解されていく。床に崩れる巧の腰からベルトが落ちた。圧迫するものがなくなり、再び血が腹から流れる。ごふっ、と咳き込むと口からも血が溢れた。

 往人が呼びかけてくるも、その声が遠くなってやがて聞こえなくなる。熱かった。貫かれた腹の痛みが熱さになって、全身に回っていく。どくん、と心臓が脈動し抑えきれない熱に思考を奪われていく。

 巧はゆっくりと立ち上がった。

「うああああああああああああっ‼」

 天井を仰ぎ、咆哮すると共に巧の体はウルフオルフェノクに変貌した。ウルフオルフェノクは首を回し、カイザと戦っているアネモネオルフェノクを見据える。

 跳躍すると、距離が一瞬で詰まった。カイザの襟首を掴み、邪魔だと言わんばかりに拳の尖刀で鎧に創傷を付けていく。拳を受けたカイザのベルトが腰から離れて床に落ちた。ツールを失ったカイザのスーツが消えて、痛みに顔を歪めた海堂が仰向けに倒れる。

 アネモネオルフェノクの鞭が迫ってくる。ウルフオルフェノクは跳躍し、得物の頭上を飛んで背後に着地する。アネモネオルフェノクの首筋に鋭い痛みが走った。突き立てられたウルフオルフェノクの牙が食い込み、気管を貫こうとしている。身を悶えさせると、灰色の肉が引き千切られる。

 ウルフオルフェノクは速かった。まさに獣で、灰色の拳に成す術なくアネモネオルフェノクは肩や胸に咲いた花を穿たれていく。

 ウルフオルフェノクの殴打は止まない。溢れる衝動を解き放つように、ひたすらに雄叫びをあげながらアネモネオルフェノクの体に尖刀で穴を開けていく。

「乾さん!」

 その呼び掛けに反応し、ウルフオルフェノクは拳を止めて横へと視線を流す。カイザのベルトを拾い上げた往人が決意を込めて瞳を向け、ベルトを腰に巻きフォンを開く。

『Standing by』

「変身!」

『Complete』

 黄色の閃光と共に、往人はカイザに変身した。第2の得物を見つけたウルフオルフェノクは地面を蹴る。カイザはウルフオルフェノクの拳や蹴りを避けるばかりで、攻撃する素振りを見せない。突き出した腕を掴み、カイザは叫ぶ。

「しっかりしてください! あなたは、オルフェノクの力になんて負けないはずだ!」

 獣への言葉に意味はなかった。人間の言葉を認識できなくなったウルフオルフェノクは肘を打ち付け、拘束から逃れる。脚を突き出すが、カイザはバックステップを踏んで逃れ、ウルフオルフェノクの足が虚しく宙を蹴る。

「乾さん………」

 カイザは苦虫を噛み潰したように呼ぶと、ミッションメモリーを挿入したショットを右手に装着する。ベルトのフォンを開き、一瞬の逡巡を経てENTERキーを押す。

『Exceed Charge』

 「ああああああっ」と咆哮し、ウルフオルフェノクはカイザへと向かっていく。エネルギーがショットへと充填されたカイザはじっと拳を構え、飛びかかったウルフオルフェノクの腹にショットを打ち込む。

 衝撃の後に、痛みが腹から全身へと広がっていく。ウルフオルフェノクの体が吹き飛び、受け身も取らずに床に伏す。起き上がろうとしたウルフオルフェノクは胸を抑えた。何かが暴れているようだった。強く抑えつけたせいで、爪が食い込んで血が滲んでくる。

「たっくん!」

 誰だ、と思った。その声がどこからなのか、誰が発しているのか分からない。体中を駆け巡っていた熱が冷めていく。

 熱が引いていくと共に視界がぼやけていく。何もかもが霞んで、やがて暗闇へと落ちていった。

 

 ♦

 全くの無のなかで、俺は目を開く。

 目を開いても、閉じているときと変わらない。どこまでも暗闇だ。いや、目蓋を開いたという感覚は実は間違いで、本当は閉じたままなのかもしれない。何も見えないし、何も聞こえない。それでも微かに感じ取れる「おれ」という意識は、本物なのだろうか。自分の体すら見えない今は、そんな疑問が浮かび上がる。

 俺は歩いた。向かう場もなく、ただ闇のなかで見えない地面を歩く。歩く、という感覚はあるのだが、自分の足音が聞こえない。試しに口を開いて、ああと声を発してみる。でも、何も聞こえない。俺の声は、どんな声だっただろうか。自分を自分と感じ取れるものが全て奪われたようだった。

 それでも、歩き続けると少しずつ、俺が俺であるという意識が確かなものになってくる。

 俺は誰だ。俺は俺に問いかけてみる。しばらくの逡巡を挟んで、俺は答える。

 俺は、乾巧だ。

 人間として、ファイズとして戦ってきた。

 何と戦ってきた。

 その問いには答えることができない。戦ってきた相手はオルフェノクだ。でも、オルフェノクは皆、元は人間だった。異形の姿に成り果てても、彼らのなかには確かに人間だった頃の記憶があり、心があったはずだ。

 人間であろうとした木場のように。

 今、人間として生きようとしている俺のように。

 答えが見出せないまま歩いているうちに、祭囃子が聞こえてくる。暗闇だった視界が開けて、屋台が立ち並ぶ神社で人々が賑わっている。

 見覚えのある景色だった。確か、去年の夏だったと思う。近所の神社で催された夏祭りに行ったときの記憶だ。浴衣を着た真理と啓太郎が楽しそうに屋台を品定めしている。どの店のたこ焼きが美味いかとか、どこのくじ引きが当たりを引きやすいかとか。

「もう、せっかくのお祭りなんだから楽しみなさいよ」

 真理が肘で俺を小突きながらそう言ってくる。あの日、俺だけは浴衣を着ていかなかった。動き辛いし、祭りだからって浮かれる気分になれなかった。そもそも最初だって行くつもりはなかったのに、2人に無理矢理連れてこられたから、俺は不機嫌に祭りを見に行ったことを思い出す。

「あ、かき氷屋さんあるよ。たっくん好きでしょ?」

 子供みたいに啓太郎が屋台を指差す。好きというか、それしかすぐに食えるものが無い。たこ焼きとか、焼きそばとか、祭りの屋台は熱いものばかり売っている。こんな暑い時期に、何で皆は熱いものを食おうとするんだ。

「俺はいい。お前らだけで見て回れよ」

 憮然と言って、俺は休憩所のベンチに座る。「えー?」と啓太郎が不満を漏らし、真理は俺の顔を覗きこんでくる。

「もう出不精なんだから。何か買ってきてあげようか? リンゴ飴とか」

「いらねえって。こういう騒がしいとこあまり好きじゃねーんだよ」

 真理なら怒って何か言いそうだけど、あの日は何も言わなかった。思えば、灰が零れるのを見られた日から、真理は優しくなった気がする。あれからは口喧嘩も殆どしなくなった。

「分かった。行こう啓太郎」

 啓太郎は寂しそうに「うん」と言って、人々の中へと歩く真理に着いていった。俺から啓太郎には何も言わなかったけど、多分真理は話したと思う。それでもいつも通りに接してやろうとか言ったのかもしれないが、啓太郎の態度も目に見えて変わった。前にも増して俺へのお節介が鬱陶しい。飯の時には必ず味噌汁を冷まそうとしたし、俺が仕事をさぼっても文句を言わなかった。クリーニング屋の仕事となると絶対に妥協しない奴だったのに。

 2人の姿が見えなくなると、俺はベンチから立って神社から離れた。こんな場所、俺には不釣り合いだ。そういえば、後で2人から何で先に帰ったと文句を言われたっけ。

 しばらく歩くと、視界に入ったのは啓太郎の家じゃなくて、また神社だった。今年のことで記憶に新しいから、鮮明に思い出せる。μ’sの皆で秋祭りに行くことになって、穂乃果を神社まで送っていった。

「わあ、すごい人だよ!」

 浴衣を着た穂乃果が感無量といった様子で、広場で賑わう人々を眺めている。

「何食べようかなあ。 たこ焼きに焼きそばにフランクフルトに――」

「そんなに食ったら太るぞ」

「良いの! お祭りなんだし」

 広場の中心。群衆の中からこちらに手を振る少女達が見える。皆も浴衣を着ていて、髪型も普段とは変えている。

「あ、皆だ」

 「みんなー!」と穂乃果はぱたぱたと草履を鳴らして走っていく。浴衣で走ったら転ぶぞ、と思っていると、穂乃果は俺のほうを振り向いて戻ってくる。

「たっくん、お祭り見ないの?」

「お前を送りに来ただけだからな。じゃ、楽しんでこいよ」

 回れ右をして来た道を引き返そうとするが、「えー、一緒に回ろうよ」と呼び止められる。

「美味しいものたくさんあるよ。熱かったらふーふーしてあげるし」

「いらねえよ」

 そう言って俺は歩き出すも2、3歩あたりで手を掴まれる。振り向くと穂乃果が口を尖らせていて。

「いいから行くよ。せっかくのお祭りなんだもん」

 穂乃果は俺の手を引いて歩き出す。その気になれば振り払えるのに、俺はそれをせずなすがままに穂乃果に引かれて、彼女の手の温もりを感じながら広場で待っている皆のもとへ向かっていく。

 

 ♦

 冷たい空気に頬を撫でられて、目を開く。

 ぼやけた視界が明瞭さを取り戻し、ウルフオルフェノクは自分の灰色の体を認識する。腹の痛みはなく、開けられた穴は跡も残さず肉で塞がっている。

 空気が冷たいのに、温もりを全身に感じる。その優しい熱が自分の内ではなく、外から与えられていることが分かった。

 両肩に、背中に、両腕に。

 視線を上げると左右に海未とことりがウルフオルフェノクの腕を掴んでいて、無意識のうちに伸ばしていた右腕の先では、穂乃果が手を強く握っている。ウルフオルフェノクの灰色に染まった手も、手に生えた棘も、全て優しく包み込んでくれる。

 ウルフオルフェノクは灰色に濁った両眼を向ける。穂乃果は恐れる様子もなく、じっと力強く見つめてくる。

「たっくん………」

 穂乃果が呼ぶと、体内に侵食していたものが一気に引いていくようだった。ウルフオルフェノクが巧の姿へと戻っていく。全身の力が抜けて、床に倒れようとした巧の体を穂乃果は抱き留める。体が密着して、彼女の早い鼓動を直に感じ取ることができた。

 「ふふっ」という笑い声が聞こえる。巧は視線を上げた。穂乃果も、周りにいるμ’sの皆も、焚火のように燃えるそれへと視線を向ける。

 青い炎の中で横たわりながらも、彩子は笑っていた。全身に穴を開けられて、片目を潰されて、残ったもう片方の目も虚ろで何を見ているのか分からない。

「愛衣……、里香……。わたし達、アイドルになったんだよ………。夢、叶ったんだよ………」

 彩子は空虚へ手を伸ばす。掌は血に濡れていた。

「ねえ、2人ともどこにいるの………? ねえ……、ねえ――」

 何かを掴もうとした彩子の手が、指先から崩れた。全身から灰が滝のように流れて、彩子だったという面影を欠片も残すことなく、灰の山は崩れた。

「ちゅーか世話のかかる奴だぜ」

 出入口のところで、海堂が往人の肩を支えている。その肩には、カイザとサイガの2本のベルトが無造作にかけられている。

 「あの、あなたは………」と近くにいるツバサが尋ねた。

「別に名乗るほどのもんじゃねーさ。お前らも早くずらかった方がいいぜ。警察とか来たら面倒だ」

 海堂が「ほれ」と促し、A-RISEの3人は素直に重い足取りで地上への階段を上っていく。

 海堂に体を支えられた往人が声を絞り出した。

「海堂さん、すみません………」

「喋んな。俺様だってな、ガキが死ぬところなんざもう見たくねえのよ」

 海堂は少しだけ沈んだ口調で言うと、往人と階段を上っていく。巧は問いたかった。海堂は何を知ってここへ駆けつけたのかと。でも巧の体は疲弊しきっていて、地上へ上っていく彼らの背中を目で追うことしかできなかった。

 随分と長くそこにいたのか、巧達が外に出ると海堂と往人も、A-RISEの3人も既にいなかった。

 μ’sの皆は巧の体を支えて歩き始めた。最初は2年生の3人が支え、次に1年生の3人、その次には3年生の3人と交代しながら歩き続けていく。歩きながら、誰も言葉を発することはなかった。10人の間に沈黙が漂い、冷たい冬の風と共に吹き抜けていく。

 ごめん、と巧は唇を動かすが声にならない。目に映る景色全てから色彩が抜け落ち灰色に見えてくる。それでも巧は目を逸らさず、過ぎていく街、世界を見つめ続けた。

 オルフェノクが、自分が汚した世界。

 彼女らにこんな世界を見せたくなかった。世界は少女達に夢を見させ、叶える代償を求めないと信じてほしかった。彼女らと巧の立つ領域を切り離そうと抗ってきた。彼女らは光を目指せる世界。巧は灰色へと埋没される世界。

 答えはいつだって「見つける」のではなく「提示される」ものだ。ある日突然、何の前触れもなく世界は残酷さを突きつけ、巧が抗おうとすればするほど残酷であり続ける。

 公園を通りかかると、皆は休むことにした。ベンチに座った巧は空を見上げる。いつの間にか雪が降っていた。

 いつか、旅先で雪のおとぎ話を聞いたことがある。雲の上には国があって、そこで人々は幸せに暮らしている。でも、幸せというのは永遠には続かない。冬が来ると国が大火事によって燃え尽きて、人々の灰が雪になって地上に降ってくる。

 皆が空を見上げ、降ってくる雪の結晶を受け止めようと手を広げる。まるで、雲の上で燃えていった人々の悲しみを受け止めるように。

 ぽつり、ぽつりと、彼女らは言葉を紡いでいく。空から降ってきたかのような言葉の連なりは、世界の真実を知った彼女らへのせめてもの慰めにも聞こえる。

 

 想い

 メロディ

 予感

 不思議

 未来

 ときめき

 空

 気持ち

 好き

 

 たとえ慰めでも、この汚れた世界がもたらす言葉の数々は皮肉なほど純粋で、美しい。

 巧は彼女らを見つめる。灰色だった世界に色が戻っていく。天から降りてきた9人の女神が、世界に色彩をもたらしていくようだった。

 希の目尻に雪の結晶が触れた。結晶は彼女の体温で瞬く間に溶けて、まるで涙のように頬を伝っていった。


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