ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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 今回は第1期最終回です。まだまだ続きますが、ひとつの区切りとして応援してくださった皆様に感謝を。
 ありがとうございました!
 そしてこれからもよろしくお願いします!


第14話 μ’s ミュージックスタート! / 切なく、そして熱く

「活動休止!?」

 2年生3人を除いたメンバー達が集まる屋上で、にこは絵里から告げられた今後の方針を確認するように聞き返す。納得していないのは、他の面々の表情からも分かる。絵里自身も苦渋の決断だ。

「ええ。それで少し見つめ直してみた方が良いと思うの」

 μ’sは9人、と希は言っていた。それ以上でもそれ以下でも駄目。絵里は合理性を求める性分だが、希の言うことは根拠なしに信じられる。それに、絵里も思っていることだ。ことりの留学は仕方ないとしても、やはりμ’sは9人でなければいけないと。

「ラブライブに出場できないどころか、活動も休止………」

 にこは唇を噛む。ラブライブ出場に最も意欲的だったのはにこだ。アイドル研究部唯一の部員として奮闘してきた様を絵里は希と共に見てきた。にこの想いは尊重したい。

「今のままで続けても意味があるとは思えないわ。μ’sは穂乃果がいなければ解散したようなもんでしょ」

 真姫が絵里の考えていることを代弁してくれる。にこはぐっと拳を握る。ようやくアイドルになるという夢を掴んだというのに。そんな悲壮な想いが伝わってくる。

 穂乃果が言い出さなくても、この問題にはいずれ、確実に直面することになっていただろう。学校の存続を果たし、次の目標を考える時期に入っていたのだ。ことりの留学はきっかけに過ぎない。

 穂乃果がスクールアイドル引退を表明してから、何度か彼女のクラスを尋ねた。穂乃果はいつものように明るかったが、その笑顔は曖昧でぎこちなかった。同級生達も察していたらしい。聞いたところによると、海未とも話さなくなった。ことりも留学の準備で登校していない。まるで別人のようだ、と同級生達は言っていた。あれだけ仲が良かった3人がばらばらになってしまった。海未も弓道部の練習に精を出していて、μ’sの方にはあまり顔を出さなくなっている。

「きっと、穂乃果も本心でやめるって言ったわけじゃないと思うの」

 絵里がそう言うと、「え?」とにこが目を丸くする。

「色々なことが短期間で重なり過ぎたのよ。学園祭のライブも、ことりの留学も。それに……、巧さんのことも」

 希以外の前で、初めて彼の名前を口にした気がする。メンバー達は口ごもる。きっと、口に出さなくとも考えていることは絵里と同じだったのだろう。

「わ、わたし………」

 花陽の震える声が沈黙を破った。メンバー達の視線が集中し、臆しながらも花陽は言う。

「この前、オルフェノクに襲われて………。巧さんに助けてもらったの」

 「巧さんが?」と絵里は漏らす。

「ファイズに変身してたわ。ベルトは取り戻したみたい」

 真姫がそう補足する。巧が姿を消してからオルフェノクは現れなかった。その理由がようやく分かる。絵里は告げる。

「巧さん、ずっとわたし達を守ってくれていたのね」

 花陽は頷く。

「わたし、巧さんのこと凄いと思う。わたしがアイドル大好きなのって、どんな暗い顔したお客さんでも笑顔にできて、そのために頑張れるのに憧れて。巧さんも同じだと思う。巧さんはわたし達の夢を守るために戦ってくれた。誰かの笑顔とか、夢のために頑張れるって凄いことだよ。だから――」

 力強い言葉だった。普段の控え目な様子からは考えられない彼女に絵里は驚いている。他のメンバーはもとより、親友で彼女のことをよく知る凛も口を半開きにして花陽を見つめている。

「だからわたし、巧さんのこと信じたい!」

 無意識に、絵里の口元に笑みが零れる。まさか花陽が最初に迷いを振り切るとは。花陽は悩むことに疲れて迷いを捨てたのとは違う。しっかりと考え、巧の正体を受け入れて信じるという決断に至ったのだ。絵里はメンバー達に呼び掛ける。

「そうね。いつまでも目を背けていたら駄目だわ。しっかり向き合わなくちゃ、巧さんとも」

 巧はオルフェノクだ。その現実を知った上で絵里は問う。

「皆も花陽と同じ答えを出してほしいとは言わないわ。でも考えてほしいの。巧さんはオルフェノクだけど、巧さんを拒むべきか、信じるべきか」

 

 ♦

  

「海未ちゃん、いらっしゃい」

 ドアを開けると、部屋の中からことりが笑顔で迎えてくれる。

「遅かったね。練習?」

 「はい」と気の抜けた返事をして、海未はことりの自室へと入る。大会が近いこともあって、最近は弓道部を優先している。絵里からもμ’sは活動休止と伝えられたし、アイドル活動に割いていた時間を練習に当てることができて都合が良い。もっとも、喜んでいいのか分からないが。

 海未は見慣れたことりの部屋を見渡す。棚が空っぽの机とベッド以外には殆ど何も置かれていない。よく少女趣味の小物を置いていたことりにしては殺風景な部屋だ。その理由を知っているし、何日も登校していないから片付けていることは予想できた。でも、こうして目の当たりにすると本当にことりは行ってしまうのだと実感してしまう。

「海未ちゃんも、断ったの?」

 ことりが尋ねる。言葉足らずだが、海未には何のことか分かる。学校には来ていないが、きっとメールか電話で知らされたのだろう。

「はい。続けようとするにこの気持ちも分かりますし、できることなら………」

 μ’sの活動休止が決まってすぐ、海未はにこからアイドル活動を続けないかと誘いを受けた。にこからしてみれば、μ’sの活動休止などさして問題でもないのだろう。元々ひとりでアイドル研究部を続けていたのだ。その苦難の日々に比べれば、メンバーの脱退とグループの活動休止なんて軽いもの。まだ残っているメンバーはいる。メンバーがいれば、活動は続けることができる。そんなにこが頼もしいと思うし、彼女のような強さが自分にも欲しいと思う。でも、海未は弓道部の活動を理由にそれを断った。にこは落胆していたが、彼女のことだから絶対に諦めずに仲間を募るだろう。

 「じゃあ、どうして?」とことりが尋ねる。

「わたしがスクールアイドルを始めたのは、ことりと穂乃果が誘ってくれたからです」

 海未がそう答えると、ことりは悲しそうに「ごめんなさい………」と呟く。

「いえ。人のせいにしたいわけじゃないんです。穂乃果にはあんなことを言いましたけど、やめると言わせてしまったのはわたしの責任でもあります」

「そんなことない。あれはわたしがちゃんと言わなかったから………」

 ことりならそう言うと思った。予想できたことなのに、海未にはかける言葉が見つからない。代わりに別のことを話すのが精いっぱいだ。

「穂乃果とは? もうすぐ日本を発つんですよね?」

 ことりは逡巡の後に「うん……」と消え入りそうな声で答える。出発の日は明日だ。

「ことり、本当に留学するのですか?」

「え?」

「わたしは………」

「海未ちゃん………」

 海未はことりに背を向ける。顔を見られたくなかった。

「いえ、何でもありません」

 行ってほしくない。もっと一緒に過ごしていたい。3人で高校生活の思い出を沢山作っていきたい。

 その本心を海未は飲み込む。ことりが服飾に興味を持っているのは知っていた。幼い頃からお洒落が好きで、自分で服を作ることもあった。留学はことりにとって絶好の機会なのだ。親友ならば「頑張って」と笑って送り出すものだ。

「無理だよ。今からなんて、そんなこと」

 ことりは言う。そう、今更無理だ。ことりの人生はことりのものだ。海未の我儘で彼女の夢を壊すことはできない。

「………分かっています」

 海未はそう言うしかなかった。

 ことりはお茶を用意すると言ったが、海未は断って帰路についた。あまり長居したくなかった。ことりと一緒にいると、彼女を引き留めたいという想いが強くなっていきそうだった。

 俯き、数歩先のアスファルトを眺めながら海未は歩いている。昔からよく歩き慣れた道だから、ぼうっとしていても家には辿り着く。いつもの道。穂乃果と一緒にことりの家へ遊びに行くときに歩いてきた道。もう、明日からはこの道を歩くことはない。そう思うと目元が熱くなってくる。

 込み上げてくる涙を抑えようと目に手をかけたとき、咆哮が聞こえた。聞き覚えのある声だった。海未は走る。声を頼りに、その方向へ脚を動かしていく。

 そこは人気のない路地裏だ。夕暮れ時、建物の濃くなった影のなかで、彼等は戦っている。灰色の怪物はカタツムリのように、頭から突き出した2本の触覚の先端にある目を光らせている。その触覚を戦士は掴み、乱暴に引き千切った。スネイルオルフェノクが奇声をあげて絶叫する。黄色い目を光らせるファイズは敵の胸に拳を打ち付けて突き飛ばす。

 ファイズは腰から外したポインターにミッションメモリーを挿入する。

『Ready』

 片目を潰されながらも向かってくるスネイルオルフェノクの胸に、ポインターを装着した右脚を叩き込む。「ごふっ」とスネイルオルフェノクの口から唾液が糸を引いて流れる。ファイズは自分の脚にかかる唾液を意に介さず、ベルトのフォンを開きキーを押す。

『Exceed Charge』

 ベルトから流れるエネルギーが右脚に充填されると、ポインターから発せられたマーカーがスネイルオルフェノクに突き刺さり円錐状に開く。

 ファイズは跳躍した。空中で右脚を突き出し、必殺のキックがスネイルオルフェノクの体を貫く。スネイルオルフェノクの体が青く燃え上がる。炎は灰色の体を焼き尽くし、消えるとその体は灰になって風に流れていく。浮かび上がっているΦの文字は、まるでそこにひとつの生命体が存在していたという指標に思えた。

 ファイズはバックルからフォンを抜く。コードのプッシュ音の後に、光と共に鎧が消滅して残った赤いエネルギー流動路がベルトへ収束していく。

「巧さん!」

 海未が呼ぶと、茶髪を肩まで伸ばした青年は海未を見て目を剥く。彼は急ぎ足で近くに停めてあるバイクに跨った。海未は全速力でその短い距離を走り、彼が手に取ろうとしたハンドルに掛けてあるヘルメットをひったくる。

「待ってください………」

 巧は無言のまま海未を見つめている。彼の顔におぞましい筋が浮かんだあの日の出来事が脳内を駆け回る。それでも、海未は巧に言う。

「お願いします。少しだけ、話をしてください」

 

 ♦

「どうぞ」

 公園のベンチに座る巧は、「ああ」と海未が差し出した缶コーヒーを受け取る。海未は巧の横に、2人分の間を取って腰掛ける。巧はプルトップを空けてコーヒーを啜る。巧はずっと無言だ。一緒に公園まで歩くときも会話は一言もなかった。海未は巧の横顔を眺める。以前よりも髪が伸びていた。目元が前髪に隠れて表情が分からない。

「こっちに、戻っていたんですね」

「………ああ」

「ずっと、オルフェノクと戦っていたんですか?」

「………ああ」

 巧の口からは「ああ」としか出てこない。海未がどんなに頓珍漢な質問をしても全て「ああ」と答えてしまいそうだ。だから、海未は一旦質問するのをやめる。代わりに、自分のなかに溜まった毒ガスのような忌まわしい気持ちを吐き出すようにぽつりぽつりと語り始める。

 穂乃果が学園祭のライブで倒れてしまったこと。ラブライブのエントリーを辞退したこと。学校が存続すること。ことりが留学してしまうこと。そのことにショックを受けた穂乃果が、スクールアイドルを辞めると言い出したこと。そんな穂乃果を海未がひっぱたいてしまったこと。

「………そうか」

 黙って話を聞いていた巧はそれだけ言った。

「巧さんがいなくなってから、μ’sはどこかぎこちなくなっていました。全部、わたしのせいです。わたしが巧さんを拒んだから………」

 あのとき、海未がファイズへの変身を試みなければ、オルフェノクにベルトを奪われることはなかったのかもしれない。巧はオルフェノクとしての正体を晒すことなく、μ’sの傍にいてくれたのかもしれない。

「巧さんはわたし達を守るために戦ってくれたのに、あなたを恐れてしまいました。そんな自分がとても情けなくて……、穂乃果に八つ当たりしてしまって………」

 海未は自分が泣いていることに気付く。ハンカチで拭っても涙は治まる気配がない。巧が去った原因は自分にある。それは分かっていた。認めてしまうことが怖かった。巧が消えたことでμ’sを助けてくれる存在がいなくなり、窮地に追い込まれても何もできなくなったのは自分のせいと、背負いきれない責任に押し潰されそうになった。

 穂乃果の頬を打ったのは、ただの八つ当たりだ。彼女が自分から始めたμ’sを勝手に辞めよとした無責任さに憤慨したのもあるが、巧が去ったことでμ’sが壊れてしまうことに耐えられなかったのだ。自分が責められているような気がした。穂乃果に吐き捨てた言葉は、本来ならば責任から逃れようとした自分自身に向けるものだ。

「本当に最低なのは、わたしの方です………」

「ああ、確かに最低だな」

 巧は何の感情も込めずに言う。そしてひと言付け加える。

「ちょっとだけ」

 「え?」と涙を流したまま海未は巧の横顔を見つめる。巧は海未に目もくれず、コーヒーを一口飲んで続ける。

「お前はちょっと最低なだけだ。本当に最低な奴は、自分のことを最低だなんて思ったりしない」

 ふっ、と海未は笑みを零す。怖れていた相手に慰められてしまった自分自身を嘲笑している。どうしてこの人は、ぶっきらぼうな態度なのに海未が言ってほしいことを言ってくれるのだろう。

「冷たいと思えば優しくして………。オルフェノクには心を読む力でもあるんですか?」

「んなもんねえよ。こんな体不便なだけだ。誰にも打ち明けることなんてできないしな。俺をオルフェノクと知っても受け入れてくれた奴らはいたけど、俺が自分から捨てた。人間とオルフェノクの共存なんて大層な理想持ってた奴がいたけど、そんなのは無理だったんだ」

「………寂しくはないんですか?」

「………寂しいなんてもんじゃない」

 そう言う巧の声からは悲しさが感じ取れる。穂乃果によると各地を旅してきたらしい。どこに行っても独りぼっち。海未も幼い頃、引っ込み思案な性格のせいで穂乃果とことりに出会うまでは独りぼっちだった。でも、巧の孤独は海未の比ではない。自分の正体を明かせず、親しくなっても決して心を通わせることはできなかったのだろう。

 オルフェノクだから。

 それだけの理由で。

「じゃあな」

 巧はそう言って立ち上がる。「待ってください!」と、涙を乱暴に拭った海未はバイクへと歩く彼の背中に呼び掛ける。巧の足が止まった。

「巧さん、穂乃果と会ってあげてください。何も言いませんが、巧さんがいなくなって1番辛いのは穂乃果です」

 巧はゆっくりと振り返る。彼の憂いを帯びた目を見て、海未は胸が締め付けられるような罪悪感に駆られる。巧の瞳から狂った怪物じみたものが微塵も感じられないのだ。人間としか思えない。こんな悲しみに満ちた顔が怪物にできるだろうか。

「俺と会えば余計辛くなるだけだ。俺はもうお前らとは一緒にいられないし、それが1番良い」

 巧はそう言って再び歩き出す。海未はポケットから携帯電話を出して、巧の前に回り込む。「何だ?」と巧は不機嫌そうに尋ねた。

「ならせめて、連絡先を教えてください。オルフェノクが出たら来てもらわないと」

 

 ♦

 夕陽が秋葉原の街を染めている。街を行き交う人々に混ざるように、穂乃果は賑わう道を歩く。

 今日は楽しい時間を過ごせた。ヒデコとフミコとミカの3人と思う存分遊んだ。クレープを食べたのは久し振りだった。ずっとダイエットと海未に禁止されていたから。ダンスゲームでも高得点を出すことができたし満足だ。女子高生らしいことができた気がする。

 ふと、穂乃果は顔を上げる。視線の先にはビルの壁面に取り付けられた大型モニターがあって、画面はA-RISEのPVを映している。穂乃果は立ち止まってモニターを眺める。穂乃果だけでなく、多くの観衆がモニターの前に集まっている。

 きっと、凄いアイドルになるんだろうな。

 流石はスクールアイドルランキング1位になっただけある。ラブライブでも優勝するに違いない。高校を卒業した後も、彼女達はきっとトップアイドルとして突き進んでいくだろう。

 穂乃果はモニターに背を向けて歩き出す。これからは何をしようか、と考えながら。今度は誰も悲しませないことをやりたいな、と思いながら。

 自分勝手にならずに済んで。でも楽しくて。たくさんの人を笑顔にするために頑張ることができて。

 そんなもの、あるのかな?

 穂乃果は空虚に尋ねる。思いつかない。何をやるにしても、そんな都合の良いものが存在するのだろうか。ただ楽しさだけがあって、悲しみのない完璧なものが。

 答えを出せないまま繁華街を抜けて閑静な住宅街に入る。神田明神の方角から足音と荒い息遣いが聞こえてきて、おもむろに穂乃果は神社へと足を運ぶ。

「かよちん遅いにゃー」

「ご、ごめん……。久しぶりだときついね………」

 聞き慣れた声がする。階段を上ると、練習着を着た2人が穂乃果に気付く。

「凛ちゃん、花陽ちゃん」

 「穂乃果ちゃん……」と花陽は驚いた様子で穂乃果を呼ぶ。

「練習続けてるんだね」

「うん………」

 「当たり前でしょ」という声と共に、憮然とした顔のにこが歩いてくる。にこも練習着を着ている。

「スクールアイドル続けるんだから」

「え?」

「悪い?」

「いや………」

「μ’sが休止したからって、スクールアイドルやっちゃいけないって決まりはないでしょ?」

「でも、何で………?」

 穂乃果が尋ねると、にこは真っ直ぐに穂乃果を見据えて答える。

「好きだから」

 一切の迷いがない、純粋な言葉だった。穂乃果は臆してしまう。にこは続ける。

「にこはアイドルが大好きなの。皆の前で歌って、ダンスして、皆と一緒に盛り上がって、また明日から頑張ろうって。そういう気持ちにさせることができるアイドルがわたしは大好きなの」

 こんな強い言葉を自分は語ることができるだろうか。次のやりたいことを見つけても、にこのように「好き」と断言して熱を持ち続けられる自信がない。

「穂乃果みたいないい加減な好きとは違うの」

「違う、わたしだって――」

「どこが違うの?」

 穂乃果は答えあぐねてしまう。結局、自分のやってきたことは中途半端なものだったのか。思い付きで始めて、始めてみたら上手くいかなくて、熱が冷めてしまった。これをいい加減と言わず何て弁解すればいいのか。

「自分からやめるって言ったのよ。やってもしょうがないって」

「それは………」

 穂乃果が口ごもると、花陽と一緒に傍観していた凛が口を挟んでくる。

「ちょっと言い過ぎだよ」

 確かに、言葉に棘はある。でも事実だ。認めざるを得ない。

「にこちゃんの言う通りだよ。邪魔しちゃってごめんね」

 笑顔を取り繕って言うと、穂乃果は階段へと歩き出す。「穂乃果ちゃん」と花陽が呼んできたので、一旦足を止めて振り返る。

「今度、わたし達だけでライブやろうと思ってて。もしよかったら………」

「穂乃果ちゃんが来てくれたら盛り上がるにゃー」

「あんたが始めたんでしょ? 絶対来なさいよ」

 3人は立て続けに言う。観客として行けばいいのか、それともステージへ立ちに行けばいいのか。穂乃果にはどちらの誘いと受け取るべきか分からない。もうやめたのだ。ステージに立つ資格はない。

「みんな………」

 穂乃果が答えに迷っていると、にこは後輩2人に言い放つ。

「さあ、次はステップの練習いくわよ!」

 「うん!」、「はい!」と凛と花陽は境内へと走っていく。にこは穂乃果に一瞥もくれることなく、その後を追っていった。

 

 ♦

 帰宅してから部屋でくつろいでいると、その来客はやってきた。彼女の妹と下校していた雪穂を送ってくれたらしい。

 窓際に立つ絵里は所在なさげに「ごめんね」と言ってくる。「いえいえ、お気になさらず」と穂乃果は湯呑みに急須のお茶を注ぐ。

「今お茶を――」

「違うわ」

 絵里はテーブルを挟んで穂乃果の正面に座る。

「μ’s活動休止にしようなんて言ったこと。本当はわたしにそんなこと言う資格ないのに、つい………。ごめんなさい」

「そ、そんなことないよ。ていうか、わたしがやめるって言ったから………」

 絵里が謝る必要なんてない。μ’sの休止は穂乃果の引退宣言が招いたことだ。誰にも迷惑をかけたくないから辞めることにしたのに、結局また迷惑をかけてしまった。

 「わたしね――」と絵里は話す。

「すごくしっかりしてて、いつも冷静に見えるって言われるけど、本当は全然そんなことないの」

「絵里ちゃん………」

 意外だった。穂乃果の知る絵里は常に完璧で、下級生にとっては憧れの生徒会長だった。

「いつも迷って、困って、泣き出しそうで。希や巧さんに実際恥ずかしいところ見られたこともあるのよ」

 彼女の口から出た名前に思わず穂乃果は息を飲んでしまう。

「μ’sに入る前に、巧さんにファイズのベルトを渡してほしいってせがんだことがあるの。結局、わたしにはベルトの力を使うことはできなかったけど」

 始めて聞いたことだ。でも当然だと思える。巧は口数が少ないから、その日の出来事を話すなんてことはしなかった。

「でも隠してる。自分の弱いところを。わたしは穂乃果が羨ましい。素直に自分が思っている気持ちをそのまま行動に起こせる姿が、すごいなって」

「そんなこと………」

 ただ考えなしに行動しているだけ。そう言おうとしたところで、お茶を啜った絵里が「美味しい」と呟く。

「ねえ、穂乃果。わたしには、穂乃果に何を言ってあげればいいか正直分からない。わたし達でさえ、ことりがいなくなってしまうことがショックなんだから、海未や穂乃果の気持ちを考えると辛くなる。でもね、わたしは穂乃果に1番大切なものを教えてもらったの。変わることを恐れないで、突き進む勇気」

 絵里は手を差し伸べる。あのときの穂乃果のように。

「わたしはあの時、あなたの手に救われた。だから、わたしに教えてくれたことを穂乃果には忘れてほしくないの。わたしにしてくれたように、あなたの手をことりと、巧さんにも………」

 穂乃果は絵里の手を取ることができない。自分にはもうμ’sにいることは赦されない。活動を再開するのであれば、絵里にメンバー達を引っ張っていってほしい。絵里はダンスも歌も上手だし、容姿もアイドルとして申し分ない。

 おもむろに絵里は「巧さんて――」と言う。

「不思議な人よね。冷たいのか優しいのか分からなくて。年上なのに子供っぽいところもあって」

 絵里の言葉で、穂乃果のなかで忘れようとした記憶が次々と浮かび上がってくる。

 いつもぶっきらぼうな顔をしていた巧。熱いお茶に息を吹きかけていた巧。穂乃果に夢を語ってくれた巧。

「花陽がね、言ってたの。誰かの笑顔や夢のために頑張れる巧さんは凄いって」

 どこか寂しげに笑う絵里に、穂乃果は尋ねる。

「絵里ちゃん、たっくんはどっちだと思う?」

「オルフェノクなのか、人間なのかってこと?」

 穂乃果は黙って頷く。

 ずっと疑問に思っていた。穂乃果の知るオルフェノクとは人間の心など微塵もなく、自分より弱い者を虐げいたぶる悪魔のような存在だった。そして、巧も穂乃果の恐れる怪物と同種だった。なのに、なぜ巧は人間として生き自分達の夢を守るために同族と戦っていたのか。巧はオルフェノクの側なのか、それとも人間の側に立つのか。

 絵里は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「それは穂乃果が1番よく知ってるんじゃない? μ’sのなかで、巧さんの近くにいたのは穂乃果でしょ?」

 絵里はお茶を飲み干すと、「ご馳走様」と言って鞄を持った。亜里沙と共に帰路につく彼女を玄関先で見送った後、自室に戻った穂乃果の視線は部屋の隅に積み重ねられた服に向く。

 巧が洗濯してくれた服だ。随分と前に母が置いたのだが、放置したままだった。1番上の白いシャツを手にとって広げてみる。ミートソースを食べているときに付いたケチャップの染みが綺麗に取れている。アイロンもかけてくれたようで、しわがひとつもない。

「お前どんな生活したらこんなしわくちゃになるんだよ?」

 いつだったか、アイロンをかけながら巧が文句を言っていた。面倒臭いとか愚痴を言っていたけど、巧は洗濯後の乾いた衣類に必ずアイロンをかけてくれた。

 穂乃果はシャツを鼻に押し当てて息を吸う。微かに石鹸フレーバーの洗剤の匂いが残っている。巧と同じ匂いだ。巧の近くにいると、ふわりと洗剤の香りが穂乃果の鼻腔をくすぐった。その香りが穂乃果は好きだった。巧が洗ってくれた服を着ると、巧の香りが全身を包み込んでくれるような気がした。巧が守ってくれているような気がした。

 

 たっくん――

 

 穂乃果はシャツを胸に抱いた。悩む必要なんてなかったことに気付く。巧はどっちなのか。答えはすぐそこにあった。

 巧が洗ってくれた服。真っ白で、優しい石鹸の香り。それが全ての答えだった。

 穂乃果はアイドルをやりたいからμ’sを始めた。

 巧がμ’sを守っていたのは、オルフェノクや人間であることを超越した、巧の「やりたいこと」だったのだ。

 穂乃果は立ち上がる。押入れの奥にしまった練習着を引っ張り出して着替える。そう日数は経っていないはずなのに、すっかり懐かしく思えてくる。穂乃果は深呼吸し、自分の頬を両手で叩いた。

 体の底から熱が込み上げてきた。

 

 ♦

 がらんとした講堂のステージから、穂乃果は客席を見渡す。誰もいない。初ライブをしたあの日と同じだ。あのときは隣に海未とことりがいたけど、今は穂乃果ひとりだけ。誰もいないステージがこんなに寂しいものだとは思わなかった。初ライブは少なかったが観客がいた。まだμ’sに入る前のメンバー達と巧が。まさに魔法のようだ。人気アイドルはこんな寂しい会場も満員にして、人々を熱狂に湧かせてしまうのだから。

 重い両扉が開く。廊下に射し込む朝日が入り込むも、扉が閉まるとそこはステージ以外の照明が落ちた講堂の暗闇へと飲まれていく。暗闇の中から、海未は無表情にステージ上の穂乃果を見下ろし、ゆっくりと降りてくる。

「ごめんね。急に呼び出したりして」

「いえ………」

「ことりちゃんは?」

「今日、日本を発つそうです」

「………そうなんだ」

 ことりからは出発の日時を聞いていない。穂乃果が意図的にことりを避けたせいだ。聞こうと思えば聞けたのに、それを拒否した。

 「穂乃果………」と海未は無表情を崩さずに言う。スクールアイドルを辞めると言った日から会話をしていない親友に、穂乃果はできるだけいつも通りの声色で告げる。

「わたしね、ここでファーストライブやって、ことりちゃんと海未ちゃんと歌ったときに思った。もっと歌いたいって。スクールアイドルやっていたいって」

 観客の集まらない切なさと、歌うことの熱さを知った。切ない思いはできればしたくない。でも、それ以上に熱さを忘れられない。

「やめるって言ったけど、気持ちは変わらなかった。学校のためとかラブライブのためとかじゃなく、わたし好きなの、歌うのが。それだけは譲れない。だから――」

 「ごめんなさい!」と穂乃果は頭を下げる。顔を上げると、海未が拍子抜けした表情を浮かべている。

「これからもきっと迷惑かける。夢中になって誰かが悩んでるのに気付かなかったり、入れ込みすぎて空回りすると思う。だってわたし不器用だもん。でも、追いかけていたいの! 我儘なの分かってるけど、わたし――」

 言葉を詰まらせると、黙って聞いていた海未は吹き出した。控え目だが、腹を抱えて笑っている。

「海未ちゃん、何で笑うの? わたし真剣なのに!」

「ごめんなさい。でもね、はっきり言いますが――」

 穂乃果は身構えて言葉の続きを待つ。

「穂乃果には昔からずっと迷惑かけられっぱなしですよ」

 海未は笑顔でそう言う。「え?」と穂乃果は間の抜けた声をあげてしまう。

「ことりとよく話していました。穂乃果と一緒にいるといつも大変なことになると。どんなに止めても夢中になったら何にも聞こえてなくて」

 ステージへと歩きながら、海未はいつもの顔で言う。いつも、穂乃果とことりの3人でいるときの、楽しそうな表情で。

「大体スクールアイドルだってそうです。わたしは本気で嫌だったんですよ」

「海未ちゃん………」

「どうにかしてやめようと思っていました。穂乃果を恨んだりもしましたよ。全然気付いてなかったでしょうけど」

 ステージの前で立ち止まった海未はそっぽを向く。図星だった。海未は楽しんでいると思っていた。歌詞も書いてくれていたし、練習の指示を出してくれていたから。

「ごめん………」

 穂乃果がそう言うと、海未は頬をほころばせて「ですが――」と切り出す。

「穂乃果は連れていってくれるんです」

 海未の目が真っ直ぐと穂乃果へ向いた。

「わたしやことりでは、勇気がなくて行けないような凄いところに」

「海未ちゃん………」

「わたしが怒ったのは穂乃果がことりの気持ちに気付かなかったからじゃなく、穂乃果が自分の気持ちに嘘をついているのが分かったからです。穂乃果に振り回されるのはもう慣れっこなんです。だからその代わりに、連れていってください。わたし達の知らない世界へ」

 皆の知らない世界。その先に何があるのか。果たして楽しいことなのか、辛いことなのかは穂乃果でさえも分からない。分からないからこそ行きたいと思える。ひとりではなく、皆と一緒に。

「それが穂乃果の凄いところなんです。わたしもことりも、μ’sの皆もそう思っています」

 ステージに登った海未は穂乃果の隣に立つ。一緒に無人の客席を見渡すと、あの日に戻ったような錯覚に陥る。でも、あの日を思い出すにはもうひとり足りない。

「さあ、ことりが待ってます。迎えに行ってきてください!」

「ええ!? でも、ことりちゃんは………」

「わたしと一緒ですよ。ことりも引っ張っていってほしいんです。我儘言ってもらいたいんです」

「わがままあ!?」

「そうですよ。有名なデザイナーに見込まれたのに残れなんて。でも、そんな我儘を言えるのは穂乃果だけです!」

 「それに」と海未は講堂の入口へと視線を移す。

「穂乃果を待っているのは、ことりだけじゃありませんよ」

「え?」

「もう、時間がありません。早く行ってきてください」

 そう言って海未は背中を押してくる。なされるがままに穂乃果は1歩踏み出し、ステージを降りて出口へと駆けていく。

 この先に何があるかは分からない。もっと辛い思いをしてしまうかもしれない。でも、行こうという声が奥底から聞こえてくるような気がする。その声に従うのみだ。

 これは紛れもなく、穂乃果自身が「やりたい」と思うことなのだから。

 

 ♦

『オルフェノクが学校に出ました。急いで来てください』

 

 海未から届いたメールは短くそう打たれていた。海堂からも琢磨からも、今日スマートブレインが音ノ木坂にオルフェノクを差し向けるだなんて聞いていない。でも要請が来た以上は行かねばなるまい。スマートブレインの刺客でなくても、オルフェノクとして覚醒した者が愉悦のために学校を襲う可能性も十分あり得る。

 巧は猛スピードでオートバジンを走らせ校門を潜る。土曜日で、まだ朝が早いせいか登校している生徒はいない。無人の校庭で急ブレーキをかけると、タイヤの摩擦音をあげてオートバジンは停車する。素早くシートから降りて括り付けておいたバッグからファイズギアを取り出し、腰に装着する。フォンを握りしめて周囲を見渡すが誰もいない。時々風の音と遠くから車の走る音がするばかりで、不気味な静けさが校庭に漂っている。

 巧は腰からベルトを外す。既に遅かったのだろうか。そう思っていると、不意に背後から声が聞こえる。

「たっくん?」

 巧は振り返る。振り返った先には穂乃果が立っていて、驚愕に満ちた表情を巧へ向けている。

 騙された、と巧は悟る。お節介もいい所だ。巧はなるべく、いつもの声色で言う。

「海未から聞いたぞ。お前、スクールアイドル辞めるんだってな」

「ううん、やめない」

 穂乃果は強い口調で答える。

「だって、わたしもっと歌いたい。皆で一緒にやりたい。もう自分の気持ちに嘘はつきたくないの」

 その言葉の連なりを聞いて巧は安心する。穂乃果は一度決めたら途中で投げ出すような人間ではない。短い間だったが、一緒に過ごしてきた巧には分かる。

「そうか。………頑張れよ」

 「じゃあな」と言って巧は背を向けてオートバジンへと歩く。穂乃果の呼びかけが聞こえても歩みは止めない。

「たっくん、どこ行くの?」

 「お前らのいない所だ」と巧は足を止めて少しだけ振り返る。彼女の顔を見るのが怖かった。彼女にオルフェノクとしての本能を抑えられなくなることが。

「お前だって見たろ。俺の姿を。俺はオルフェノクだ。化け物なんだよ。忘れたならここで変身してやろうか」

「そんな……、たっくん――」

「たっくん言うな‼」

 巧は吐き捨てる。穂乃果の言葉、そこに込められた想いを撥ねつけるように、落ち着いた口調で続ける。

「俺はお前が思っているような人間じゃない。そもそも、人間ですらないんだよ」

 止めていた足を再び動かす。すぐに背後から足音が聞こえ、その音は横を通り過ぎてオートバジンの前に立ち塞がる。足元を向いていた巧が視線を上げると、頬を紅潮させ目が潤んだ穂乃果の顔が見える。

 穂乃果は巧に抱きついた。衝撃で少しだけ後ろへ沿った巧の胸に、穂乃果は顔を埋める。生地の薄い巧のシャツに穂乃果の温かい涙が染み込んでくる。

「嫌だ、行かないでよたっくん!」

 穂乃果は巧の背中に腕を回してくる。決して逃すまいと密着する彼女から逃れるにはどうすればいいか。巧は両腕を宙に泳がせるもすぐにだらりと下げて尋ねる。

「何でだよ。お前は俺が怖くないのか?」

「怖くない。たっくんはたっくんだもん!」

 嘘だ、と巧はその言葉を拒みたくなる。自分はオルフェノクで、怪物だ。人を襲い、人の夢を壊す異形の存在と同類のはず。そんな巧を彼女はなぜ恐れないのか。巧の胸にいる穂乃果は続ける。

「わたし知ってるよ。たっくんが誰よりも優しいって。たっくんが洗ってくれた服、ものすごく綺麗だった。たっくんがアイロンかけてくれた服着ると、わたしすごく幸せな気持ちになれた。たっくん、わたし達の夢を守ってくれるんでしょ? わたし、まだ夢を叶えてない。夢が叶ったとき、たっくんもいてほしい。だから叶うまで一緒にいてよ!」

 目元が熱くなってくる。巧は自分が受け入れられることを諦めていた。どんなに親しくなっても、オルフェノクに変貌した姿を見られれば怖れられ拒まれると思っていた。だからどこへ行っても他人と深く関わることを恐れていたし、真理と啓太郎、三原と里奈以外に自分を受け入れてくれる者など現れないと思っていた。彼等のもとから逃げたら、もう残された時を孤独に生きるしかなかった。

 でも、穂乃果はそれでも受け入れると言ってくれる。こうして巧を抱きしめ、一緒にいてほしいと言ってくれる。

 巧は右手を穂乃果の頭に添える。目尻から溢れようとする涙を懸命に堪え、彼女の髪を優しく撫でる。

「ごめん、穂乃果。俺はもう逃げない。絶対に、お前らの夢を守る」

 巧のなかで、穂乃果に同族への進化を促したいという欲求はない。巧は確信する。穂乃果を守りたいというこの気持ちは、紛れもなく人間としての心がもたらすものだ。巧は誓う。

 絶対に守る。

 オルフェノクに、スマートブレインの陰謀のために彼女らの夢を壊させはしない。

 そのために同族を殺さなければならないのなら、その罪は全て背負う。

 「あ――‼」と穂乃果は巧の胸から離れる。

「もたもたしてる場合じゃなかった!」

「はあ? どうしたんだよ?」

「ことりちゃんが留学しちゃう!」

「ああ、らしいな。いつだ?」

「今日だよ!」

「今日!? お前何でそういうこと早く言わねーんだよ!」

「だってしょうがないじゃん! たっくん見つけたんだもん」

「お前なあ………」

「とにかく早く空港行かなくちゃ!」

「ああ行くぞ。乗れ」

 巧はバッグにファイズギアを突っ込み、代わりに取り出したハーフヘルメットを穂乃果に手渡す。ヘルメットを被った穂乃果がリアシートに乗り込むと、巧はオートバジンのエンジンを掛けてアイドリングをする間もなくギアを入れる。

 穂乃果の案内通りの道を進み、2車線道路に入ると法定速度など無視して他の車を追い越していく。スピードが怖いのか、穂乃果は巧の背中にしがみついている。

「留学なんて、随分前から決まってたんじゃないのか?」

「うん。ことりちゃんも行くか悩んでたみたい。なのに、わたしが夢中になりすぎたせいで気付かなくて………」

 普段からは考えられない声色の穂乃果に、巧は呆れと共に言う。

「お前が周り見ないのなんて今に始まったことじゃないだろうが。何かやる度に付き合わされて俺は疲れてたんだよ」

「うん、ごめん………」

「謝んな。お前が突っ走ったおかげでμ’sがやってこれたのは事実だろ?」

 巧がいない間に起こっていたことは随分と深刻だったようだ。穂乃果は何か言うかと思ったが、彼女は無言のまま巧の背中にしがみつく手に力を込めてくる。続けてヘルメットの硬い感触が。

「飛ばすぞ。しっかり掴まってろ」

「………うん」

 巧はアクセルを捻る。エンジンの回転数が上がり、オートバジンのスピードを更に速めた。

 

 ♦

 空港の第2ビル、これから日本を発つ人々や帰って来た人々が行き交うバスターミナルで巧はバイクを停める。ヘルメットをハンドルに掛けて穂乃果と走り出したとき、ポケットに入れた携帯電話が鳴り響く。

「穂乃果、先行ってろ」

「うん!」

 通話ボタンを押して耳に当てると、慌てた様子の琢磨の声が聞こえてくる。

『乾さん、今どこにいるんです?』

「空港だ。ちょっと用があってな。何かあったのか?」

『スマートブレインにあなたが高坂さんといるところを目撃されました。スマートレディが追跡に向かっています。あなたを排除するつもりですよ』

 巧の意識は聴覚から視覚へと移る。自動ドアを潜ろうとした穂乃果が立ち止まっている。彼女の前に、群衆のなかでも目立つ青の衣装を身に纏った彼女が完璧な笑みを浮かべている。

『乾さん、どうしたんですか?』

「奴が来た」

『なら早く逃げてください。彼女と戦ってはいけません。ファイズでは――』

 最後まで聞かず、巧は通話を切って携帯電話をポケットにしまう。バッグから取り出したファイズギアを腰に巻いて走り、穂乃果とスマートレディの間に割って入る。

「穂乃果、行け」

「たっくん………」

「ことり連れ戻すんだろ? 急げ」

 穂乃果は巧とスマートレディを交互に見る。そして口を固く結び、自動ドアを潜って様々な人種が入り混じる建物のなかへと走っていく。

「ざーんねん。あなたのせいでたくさんのお仲間がやられちゃいました。おかげで女王様(クイーン)もカンカンです。私の手で始末しなさいって言われました」

「お前………、命令だから俺を殺すのか?」

「はーい、その通りです」

 スマートレディは明るく答える。理想的な表情筋の使い方で、その造形はどんな美容整形の名医でも作れそうにない。

「お前は人間なのか?」

「人間ですよ。ただちょっと機械に助けてもらってるだけ」

「俺を殺すのは、花形すみれとしての意思なのか?」

 試しにその名前を出してみるが、スマートレディはうろたえることなく、笑顔を保ち続ける。

「私はスマートブレインのために働くだけです。それが私の役目なんですから」

「そうか………」

 巧はファイズフォンを開く。

 5・5・5。ENTER。

『Standing by』

 鳴り響く待機音声に、周囲の視線が巧に集中してくる。スマートレディは言う。

「私を倒すつもりですか? 人間を守るために戦ってきた正義の味方であるあなたが、ほんのちょっとだけ人間の私を倒せるんですか?」

 どれだけの領域が残っていれば、そこに意識があると言えるのか。そこに僅かでも意思が芽生え、「自分」という認識を持てば人間になれるのか。答えは出ない。専門家でもない巧には、果たしてスマートレディが花形すみれとしてこの場にやってきているのかは分からない。彼女は機械なのかもしれないし、人間としての意思が存在しているのかもしれない。人間であれば、巧はオルフェノクではなく人間を殺すことになる。守るべき人間を。その現実を見据えた上で、巧は答える。

「俺は正義の味方なんかじゃない。俺はただ、俺の守りたいもののために戦うだけだ」

 巧は迷いを振り切るようにフォンを高く掲げる。正直、人類の未来やオルフェノクによる支配など、巧は気に掛けていない。巧には自分の周りにいる者達しか見えない。自分を受け入れてくれた彼女らのために戦う。

 その果てにある、木場に託された答えを見つけるために。

「変身!」

『Complete』

 フォトンブラッドの潮流に覆われ、巧はファイズに変身する。変身時の眩い光で、周囲の人々がざわめきと共にファイズを凝視している。ファイズはスマートレディのみに意識を向け手首を振る。

 ほぼ同時に、ファイズとスマートレディは地面を蹴って駆け出した。

 

 ♦

 空港の広いロビーを穂乃果は突っ切っていく。制服姿の女子高生が何も持たずに空港なんて施設を走っているものだから、周囲の奇異なものへ向けるような視線を感じる。穂乃果は自分を見ている人々のなかから親友を探し出すためにひとりひとりの顔を見ていく。

 出国審査エリアへ着いたところで、穂乃果はようやく足を止めて荒い呼吸を繰り返す。ここから先は航空券を持っていなければ通ることができない。穂乃果は周囲を見渡し、視線を待合用の椅子で固定させる。後ろ姿だが間違いない。穂乃果は息を目いっぱい吸い込んで駆け出し、椅子から立ち上がった彼女の腕を背後から掴む。

「ことりちゃん!」

 ことりは声をあげて驚くも、穂乃果のほうを見ようとしない。荒げた呼吸を整えて穂乃果は言う。

「ことりちゃん、駄目。わたし、スクールアイドルやりたいの。ことりちゃんと一緒にやりたいの!」

 弁解のしようがない我儘だ。分かっている。分かっているけど、穂乃果自身の心がそうしたいと叫んでいる。今この瞬間、9人でスクールアイドルをやりたいと。

「いつか、別の夢に向かうときが来るとしても」

 穂乃果はことりの正面へ回り込む。涙を浮かべている彼女を抱きしめる。

「行かないで!」

「ううん、わたしの方こそごめん………。わたし、自分の気持ち分かってたのに………」

 穂乃果はゆっくりと体を離す。泣いていることりに笑みを向けると、ことりも指で涙を掬いながら笑う。

「さあ行こう! ライブが始まっちゃうよ」

 穂乃果はことりの手を引いて走り出す。ことりも穂乃果の手を握り返し、2人は並んで空港のなかを駆けて行く。その途中で穂乃果は、人々がこぞって壁一面に張られたガラスに集まって滑走路を見ていることに気付く。

 続けてアナウンスが。

『滑走路に不審者が侵入しました。ただいま警備の者が対処に向かっております』

 

 ♦

 金網のフェンスを容易く突き破り、宙を飛ぶファイズの体は滑走路のアスファルトに投げ出される。華奢な容姿からは考えられない脚力でフェンスを飛び越えて、スマートレディも同じ場へと着地してくる。

 琢磨が言っていた。スマートレディの動力にはフォトンブラッドが使用されていると。スマートレディは社長の補佐役だけでなく裏切り者のオルフェノク処刑執行用モデルとしての役目を担っている。その機体には様々な武器が内蔵されていて、高出力故に単純な力もファイズどころか、パワー重視設計のカイザより上だという。

 人間を模した機械兵士。その技術を応用してオートバジンやサイドバッシャーといったマシンが開発され、果てにはフォトンブラッドを利用してのパワードスーツとしてベルト開発へと至った。即ち、花形が娘を蘇らせるために培われた技術がベルトを巡る戦いを引き起こしたということだ。

 スマートレディは右手を開く。手袋に覆われた掌から青い一条の光が伸びて刃として形状が固定される。

 スマートレディは光刃を振り下ろす。ファイズが避けると刃は宙を切り、その勢いを衰えさせることなく地面を焼き切っていく。じゅ、という音と共に地面が抉られて、溶けたアスファルトは辺りに飛び散ると急速に冷えて固まっていく。

 次は頭を狙って刃を横薙ぎに振ってくる。ファイズは咄嗟に屈んで頭上を刃が通過すると共に、スマートレディの腹に拳を打ち付ける。とても固い。鈍い音を立てたスマートレディの腹は岩を殴ったかのような感触で、それが彼女は人間とは異なる者であるという実感を持たせる。後退した彼女の頬を打つも、痛みなど感じていないのか笑みを崩さないままスマートレディは刃を振り続ける。

 どすん、と何かが降り立つ音が聞こえる。一瞬だけ向くと、スマートレディの背後からバトルモードに変形したオートバジンが左腕に構えたホイールを向けている。

 ファイズは横に跳んだ。同時にオートバジンのホイールが回転し、発射された弾丸がスマートレディの背中へと浴びせられていく。だが背中に命中した弾丸は彼女の体に入り込むことなく、まるで鉄板に当たったかのような甲高い音を立てて弾かれる。ファイズはオートバジンへと駆け寄り、肩に収まっているハンドルにミッションメモリーを挿入して引き抜く。

『Ready』

 オートバジンの射撃が止むと、スマートレディは余裕の微笑を浮かべて青の刃を構える。ファイズも赤い光を放つエッジを構えて駆け出す。2本の刃が触れ合うとスパークが散り、超合金製のファイズの鎧が焦げ付き、スマートレディは外装の皮膚が焼かれていく。

 バックステップを取って後退すると、ファイズはアクセルのミッションメモリーをフォンに挿入する。

『complete』

 胸部装甲が展開し、露出した内部機構から発せられる熱が周囲に蜃気楼を起こす。アクセルフォームへの変身を遂げたファイズを見て、スマートレディは口元を歪める。だが訝しげな表情というわけではなく、まるで咥内の食べかすを舌で舐めているようにも見える。

『Start Up』

 アクセルが発した電子音声ではない。全く同じ音声だから、一瞬自分が無意識にスイッチを押したと勘違いする。その一瞬の間にスマートレディの姿が揺らめき、その場から消滅する。その次に、顔面に衝撃が走る。バランスを崩して地面を転がり、立ち上がると同時にファイズはアクセルのスイッチを押す。

『Start Up』

 腕時計型のデバイスがカウントを刻み始める。ファイズは滑走路上に揺らめく影を捉えて駆け出す。猛スピードで移動する影にエッジを振ると、物体を切った感触を覚える。影が移動すると後を追い、加速する景色のなかで動き回る敵に創傷を与えていく。エッジからミッションメモリーを引き抜いてショットへ移し、右手に装着すると空気を割いて向かってくる拳へと突き出す。

 周囲に衝撃波が円形に広がっていく。木の葉やゴミが舞い上がり、巻き起こる旋風の中心にいる2人は互いに拳をぶつけ合った姿勢で拮抗を保っている。

『Time Out』

 アクセルのカウントが終わった。続けて『Reformation』という音声が鳴り、展開していた胸部装甲が元の位置に戻る。スマートレディの方も加速に限界があるようで、彼女が放っていた熱気が収まっていく。加速時に摩擦で燃えてしまったのか、彼女の衣服や皮膚は殆どが剥がれている。腕や脚はシルバーの素体が剥き出しになっていて、関節部には人形のような繋ぎ目が見える。

 顔の右半分の皮膚を失い、青く光る右目がファイズを見つめてくる。その丸い銀色の眼球が動く度に駆動音が聞こえてきて、まだ人間の姿を残している左目とのギャップに吐き気がしてくる。

「はーい、時間切れです」

 左半分の口角を上げてスマートレディは言う。皮膚が焼け落ちて奥歯が剥き出しになった右頬には使う表情筋がない。

 瞬間、ファイズの拳と突き合ったスマートレディの右前腕を一筋の黄色い光線が貫く。接触不良を起こした内部の配線が爆発を起こし、ファイズの足元に銀色の手首が転がる。この時ばかりはスマートレディも驚愕の表情―本当に驚いているのかは判断しかねるが―を浮かべ、肘から先を失い配線コードが垂れた右腕をおさえている。

 ファイズは光線が飛んできた方向を見やる。滑走路で先程ファイズが突き破ったフェンスの穴の傍で、カイザがブレイガンの銃口をこちらに向けている。

「海堂………」

 カイザは駆け出しながらブレイガンにミッションメモリーを挿入する。スマートレディは新手を認識し、残った左手からフォトンブラッドの刃を伸ばして迎え撃つ。

「胸を狙え!」

 青の光刃をブレイガンの刃で受け止めたカイザが叫ぶ。オートバジンが投げてきたハンドルを掴み、ショットを所定の位置に戻してミッションメモリーを再びハンドルに挿入する。

 カイザとの鍔迫り合いで背を向けているスマートレディへと駆け出し、ファイズはその背中の中心にエッジを刺す。フォトンブラッドで形成された剣は金属の素体を溶かし、内部を焼きながら貫いて胸から先端を突き出す。

 スマートレディの体が痙攣を起こした。エッジを引き抜くと無造作にその体を蹴る。受け身も取らずに身を伏したスマートレディは、とても完璧とはいえない拙い所作でゆっくりと立ち上がる。まるで産まれたての小鹿のようだ。エッジで開けられた胸の穴からは電流が迸っている。

 ファイズ、カイザ、デルタのスーツに循環しているフォトンブラッドは心臓部に内蔵された装置によって制御されている。だとすれば、同じくフォトンブラッドが動力のスマートレディもまた、心臓部に制御装置があるということだろう。

『Ready』

 それぞれのポインターにミッションメモリーを挿入し、ファイズとカイザはツールを右脚に装着してフォンのENTERキーを押す。

『Exceed Charge』

 跳躍した2人のポインターから赤と黄の光線が放たれ、よろめくスマートレディの前で円錐状に展開する。

「はああああああああああああああっ‼」

「いやあああああああああああああっ‼」

 クリムゾンスマッシュとゴルドスマッシュがスマートレディの機体に突き刺さる。堅牢な体を削り、内部に詰まったパーツを破壊してスパークと共にエネルギーの奔流を押し込んでいく。

 その体を貫く寸前。消え入りそうな、人間味のある声が聞こえた。

「お父……さん………」

 ふたつのエネルギーがスマートレディの体を貫通する。背後に降り立つと同時に爆発音が響き、辺りに熱風と金属の破片がまるで吐瀉物のように撒き散らされる。

 ファイズが振り向くと、そこには確かに倒した敵の残骸が赤い炎を燃やしている。オルフェノクとは異なる最期だ。ころころと、ファイズとカイザへとサッカーボールのようなものが転がってくる。胴体から切り離されたスマートレディの目は未だに青く光っていて、その口からはノイズ交じりの声が聞こえてくる。

「はー……い! スマート…レインは新しい技術……に提供し……けます。私達と一緒に…素晴ら………未来を作り……しょう!」

 スマートレディの口から発せられる企業PRは、彼女の目から青い光が消えるまでの間続いていた。

 

 ――はー……い! スマート…レインは新しい技術……に提供し……けます。私達と一緒に…素晴ら………未来を作り……しょう!――は………! スマ………インは……しい……けます。私達……………素……しい……作…………う!――………い! スマー………………未来…………作りま…………――はーい………

 

 ♦

「ったく無茶しやがって。俺様がいなかったら絶対にやられてた。絶対にだぞ絶対」

「ああ、分かったよ」

 空港に隣接する駅の駐輪場で、バイクのシートに腰掛けた巧は海堂の説教に付き合っている。空港は大混乱だ。滑走路で起こった爆発で便が全て欠航になり、現場にはパトカーや消防車が駆けつけている。

「あーあ。後で琢磨に文句言われんだろうなー。事後処理が云々かんぬんとか」

「悪かったな」

 巧の謝罪に海堂は「ふんだ」と鼻を鳴らす。

「ちゅーかあの女は俺も気に食わなかったしな。美人だけど気色わりいし、あんな硬そうな体見ても全然興奮しねえ」

 「それに」と海堂は少しだけ真面目な口調になる。

「守りたいもんのために無茶したくなるのも分かる」

 寂しげな海堂の横顔を巧は眺める。海堂もまた守るべき者がいた。だから巧の意思を尊重し、助太刀に駆けつけてきたのだろう。

 「たっくーん!」と駅から穂乃果がことりと手を繋いで走ってくる。巧を見たことりは驚いた様子で目を丸くしている。

「巧さん!?」

「よう」

 素っ気ない挨拶をして、巧はオートバジンのシートから降りる。

「空港大騒ぎで大変だったよ」

「まあ、結構派手にやったからな。早く戻るぞ」

「うん、もうライブまで時間ないよ!」

 「それじゃあ」と海堂が割って入ってくる。

「お嬢さん方、私めの白馬へどうぞ。どこへでも連れていきますとも」

 そう言ってサイドバッシャーを手で示す海堂に、流石の穂乃果もどう対応していいのか分からず苦笑を浮かべている。何が白馬だ、とため息をついた巧は穂乃果とことりにヘルメットを手渡す。

「お前らは俺のバイクに乗れ」

「え? でもわたし達免許持ってないし………」

「いいから乗れ。ライブ間に合わねえぞ」

 そう言って巧が促すままに穂乃果が前に、ことりが後ろのシートに乗る。

「音ノ木坂まで急いでくれ」

 了解、とでも言うように、オートバジンのヘッドライトが点滅してエンジンが掛かる。穂乃果がアクセルを捻ることなく、オートバジンはマフラーからガスを吹かして走り出す。穂乃果が慌ててハンドルから手を放さない限り、事故を起こすことはないだろう。

「せっかくアイドルとタンデムできると思ったのによー。このお邪魔虫め」

 不貞腐れる海堂をよそに、巧はヘルメットを被ってサイドカーに乗り込む。

「文句は聞いてやるから早く出してくれ。ピザでも奢ってやる」

 「エビとコーンたっぷりにトッピングしたやつ頼んでやるからな」と海堂もヘルメットを被ってサイドバッシャーのエンジンをかける。白馬もとい黒馬と呼ぶべきバイクが走り出して、集まってくる野次馬の合間を縫っていく。

「なあ、海堂」

「お?」

「お前、まだ人間でいたいか?」

「そうさなあ。まあ確かに俺たちゃ化け物だけどよ、俺はどうしても人間を捨てる気にはなれんわな」

 サイドバッシャーが2車線道路に出て、海堂は更にアクセルを吹かしてスピードを上げていく。

「何ちゅーか、人間だとかオルフェノクだとかに拘らなくても良いと思うぞ。俺様はオルフェノクになってもやりたいようにやってる。だからお前もやりたいことやれば良いんだよ」

 とてもシンプルな答えだ。オルフェノクであることを否定してきた巧は自分の懊悩が馬鹿らしくなってくる。もっと早く、この男のように心のままに生きられたらどんなに良かったことか。

「お前がちょっとだけ羨ましいよ」

「おう、もっと俺様を敬え! ちゅーかお前は真面目過ぎんだよ。もっと馬鹿になれ馬鹿に。そうすりゃ人生楽しいことばかりだ」

 「だーはっはっは」と下品に笑う海堂を見て巧も自然と頬が緩む。

「で、お前はどこに行きたい? 何をしたい?」

 海堂の問いに巧は正直に答える。何の繕いもなく、巧の心のままの願望を。

「音ノ木坂まで頼む。μ’sのライブが観たい」

 

 ♦

 音ノ木坂学院に到着すると、オートバジンは律儀に駐輪場に停めてあった。無事に穂乃果とことりを送り届けてくれたらしい。ヘルメットを脱いでサイドカーから降りた巧は、シートから動こうとしない海堂に尋ねる。

「お前、観ていかないのか? μ’s好きだとか言ってたろ」

「俺はいい。お前行け」

 しっしっ、と手を振る海堂にそれ以上追及せず、巧は校舎へと走る。もっとも、あの欲求に正直な男が女子高なんて場に来るだけでも危ない気がするが。

 そういえば、海堂はよくμ’sの曲を聴いて批評じみた文言を述べていた。ここのテンポはどうとか、リズムはこうすれば良くなるとか。多分、海堂はかつて音楽を嗜んでいたのだろう。音楽を語る海堂はとても楽しそうにしていた。何故彼が音楽から遠のいたのか、巧は聞くことができていない。あの海堂が自分から言わないということは、辛い出来事が起こってしまったのだろう。

 だが巧は思う。海堂の中には彼が奏でたい音楽が鳴り響いていて、それがオルフェノクの本能を抑えているのではないかと。外に出ようとする音楽が、彼を人間たらしめているのではないかと。

 久々に入る校舎の構造はしっかりと覚えていて、目的地まで迷うことなく進んでいける。教室にも廊下にも、生徒や教員の姿は見当たらない。無人の廊下を走り、講堂へと近付くにつれて歌が聞こえてくる。両扉を開けると、講堂に閉じ込められていた音が波のように押し寄せてくる。

 ライブは既に始まっていた。煌びやかに飾り付けられたステージで、制服姿の9人が踊っている。衣装としては飾り気がないが、スクールアイドルらしさが全面に出ている。曲はファーストライブで披露した『START:DASH!!』だ。9人それぞれにパートが割り当てられていて、人数が増えた分全体の声量が増している。

 観客席には敷き詰められたようなケミカルライトの光があって、観客達は曲に合わせてライトを振っている。生徒や教員だけでなく学外の者も呼んでいるようで、雪穂と亜里沙の姿が見える。最後列の席には高坂母と高坂父がいて、高坂父の方は憮然とした表情のまま腕を組んで涙を流している。職人気質の彼の顔が少し可笑しくなり、巧は笑みを零す。

 ファーストライブでの客は、巧とまだμ’sに入る前のメンバーだけだった。閑古鳥が鳴くような会場で穂乃果は切なさを押し殺して曲を披露し、そこで得た熱さを巧に語ってくれた。

 あの時、穂乃果は宣言した。いつかここを満員にして、自分の感じた想いを届けてみせると。その夢が叶った。9人で共に走り続けた。だとすれば、ここで穂乃果の夢は終わるのだろうか。ここで終わらせはしないだろう、と巧は断言できる。学校ひとつに収まってしまうほど、穂乃果の夢は小さくない。もっと大勢の人々に届けたいと思うはずだ。歌とダンスの楽しさ、そこに感じられる熱を。

 曲がフィニッシュを迎え、メンバー達がポーズを決める。音が鳴りやむと同時に観客席からの拍手喝采が講堂の壁に反響する。

 これはゴールだ。でも、始まりとも言える。新しい夢への始まりだ。穂乃果は立ち止まらず走り続けるだろう。メンバー達をまだ見たことのない場所へと連れていくことだろう。

 巧はドアを開けて講堂から出ていく。

「乾さん」

 廊下に出てすぐに声をかけられて振り返る。3人の生徒達が笑みを浮かべながら巧のもとへと歩いてくる。確か穂乃果の同級生で、ファーストライブの運営を手伝ってくれた生徒だ。

「穂乃果から、乾さんを見たら連れて来るように頼まれてるんです」

 「さ、行きますよ」とショートヘアの生徒が巧の手を引く。

「おい、俺は………」

 抵抗しようとする巧の背中を他の2人が押してくる。まだ熱狂が冷め止まない講堂に戻され、生徒達に引かれるがまま巧は観客席の階段を下りていく。ステージにもうμ’sの姿はない。ステージ横のドアを開けると中へ押し込まれて、3人はそそくさと巧を残して外に出るとドアを閉めてしまう。

「たっくん!」

 暗闇の中から穂乃果が現れて、巧の手を引いて階段を上がっていく。階段はすぐに終わったことから、ステージに登るための通路なのだろう。垂れ幕で観客席から見えないよう隠された舞台袖に、彼女らはいた。

「巧さん………」

 絵里が呼んでくるも、巧はどう声をかけたらいいか分からない。謝ればいいのか。ライブに賛辞を述べればいいのか。黙っていると希が捉えどころのない笑みと共に言う。

「これで元通りやね」

 彼女らの目に怖れの色は見られない。まさか巧の正体を忘れたわけではあるまい。恐怖を誤魔化し続けたところで長くは保たないし、そんな偽りに塗り固められた居場所を巧は求めていない。

「俺、ここにいても良いのか?」

 巧は不安げな表情で尋ねる。初めて見る彼の顔にメンバー達は吹き出して笑う。笑いながら絵里は言う。

「当たり前じゃないですか」

「あんたがいなきゃ、誰がにこ達を守ってくれるわけ?」

 にこがぶっきらぼうに言う。続けて真姫が。

「本当、面倒な人ね」

 凛と花陽が。

「巧さん、凛達を助けてくれてありがとう」

「わたし、巧さんのこと怖くないです」

 海未とことりを見ると、2人は穏やかな笑みを向けてくれる。

「皆、たっくんのこと待ってたんだよ」

 穂乃果が巧の正面に立って手を差し伸べる。巧の立つところには影が落ちていて、隔てるように彼女らの場所には講堂の証明が届いている。

「お帰り、たっくん」

 巧は境界を越えて影から出る。穂乃果の手を目指して歩き、その手を望んでいたであろう木場の顔を思い浮かべる。

 木場。お前の理想、少しだけ叶ったよ。

 俺のことを受け入れてくれる奴らが増えたんだ。お前もこいつらと会えれば、きっと分かり合えたと思う。

 ここにいるのが俺じゃなくてお前だったら、答えを出せたのかな?

 巧は穂乃果の手を取る。穂乃果が力強く巧の手を握り、巧も穂乃果の手を優しく握り返した。

 

「ただいま」

 

 


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