ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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 まだ10話ちょいしか投稿していないにも関わらず、合計文字数が10万を超えていました。ビックリしました。

 何とか文字数を減らそうと頑張ってみましたが、できそうにないので諦めることにしました。アニメの1話分て結構ボリュームありますね。長いので数日かけて読んで頂くほうがいいかもしれません。


第11話 先輩禁止! / 超える一線

 陽が暮れても暑さの抜けない季節になった。ニュースの天気予報は連日猛暑を伝え、今年に入ってからの熱中症患者の数を伝えるのに忙しい。炎天下のなか、夏休みに入ったにも関わらず屋上で練習するμ’sメンバー達の熱中症リスクは高い。メンバーのなかに無理な練習を強いる脳筋気質がいないのが幸いだ。とりわけ、穂乃果は熱中症よりも日焼けのほうが心配のようだ。毎日練習に行く前に顔や腕に日焼け止めクリームを塗りたくるものだから減りが早い。女は美容に気を遣うから大変だ。

 連日続く暑さでぼうっとすることが多くなったある日、その知らせは突然やってきた。

「合宿?」

 高坂家の夕飯で、味噌汁に息を吹きかけながら巧は穂乃果が言った台詞を反芻する。穂乃果の説明はいつも要点の大半を省くから分かり辛い。

「うん。真姫ちゃん家が別荘持ってて、そこで合宿することになったんだ。近くに海があるんだって」

「へえ、良いわねえ別荘」

 おかずのゴーヤチャンプルを皿によそいながら、高坂母がしみじみと言う。

「うちも湖に行ったとき、コテージとか借りたことあったわよね。ねえお父さん?」

 妻の質問に高坂父は無言で頷く。こんな仕事一筋といった雰囲気の父親が家族旅行に出掛けるなんて意外だ。そんな暇があったら新商品の試作とかしていそうなのに。小さい茶碗に盛られたご飯をちびちびと食べていた雪穂が言う。

「そんなことあったっけ?」

「雪穂はまだ小さかったからね。水着持っていかなかったのに、穂乃果が湖に飛び込んで大変だったんだから」

 笑いながら高坂母は思い出を語った。巧は何となく、幼い頃の穂乃果がイメージできた。今と大して変わらないからだ。突拍子もない行動力は昔から変わらないということか。

「ちゃんと準備しときなさいよ。あんた中学の修学旅行で着替えの下着忘れてったじゃない」

「昔の話だよ」

 口をとがらせた穂乃果はゴーヤチャンプルをかき込む。口いっぱいに詰まったおかずを嚙みながら、もごもごと穂乃果の視線は巧へと移る。

「合宿は2泊3日だから、たっくんよろしくね」

「ああ、気を付けて行けよ」

「え? たっくん行かないの?」

 ようやく冷めた味噌汁を飲もうとした手を静止させ、「は?」と巧は聞き返す。

「行かねえよ。何で俺まで行くことになってんだ」

「えー? 一緒に行こうよ」

「遊びに行くわけじゃねーんだろ。大体お前らの合宿に着いてって何しろってんだよ?」

「ご飯の準備とか?」

「雑用じゃねーか。俺は嫌だぞ、絶対にな」

 不貞腐れた顔をする穂乃果には目もくれず、巧は味噌汁を啜った。

 

 ♦

 旧い時代を感じさせる赤煉瓦造りの東京駅丸の内駅舎は、中に足を踏み入れれば雰囲気が外装とは様変わりする。自動券売機や自動改札機といった日々進歩していく技術が詰め込まれ、古めかしさは一切感じない。

 まるで最新型のエンジンを積んだ旧車みたいだ。外装はそのままだが、腹に抱えているのはハイテクなものばかり。そんな奇妙なドームの下で、現代を生きる彼女達は集まっていた。

「珍しいわね。穂乃果が時間通りに来るなんて」

 自分より早く待ち合わせ場所に来ていた穂乃果をにこは意外そうに見つめる。

「いつもわたしとことりが迎えにいくときは寝ているのに、今日はもう起きていたんです」

 「へへー」と得意げに穂乃果は笑う。穂乃果の半歩後ろに立つ巧はそんな彼女を見てため息をつく。例に漏れず熟睡していた穂乃果を起こしたのは巧だ。

「もしかして、乾さんも合宿に来るんですか?」

 花陽が尋ね、巧は不機嫌そうに答える。

「ああ。理事長に頼まれたからな」

 理事長の娘であることりは申し訳なさそうに苦笑を浮かべた。μ’sの面々は余程楽しみにしていたのか、それぞれが大きな旅行鞄を持ち洒落た私服に身を包んでいる。嫌々着いてきたと言わんばかりの巧の態度は旅行気分が壊れる。もっとも、旅行ではなく合宿という名目だが。

『スマートブレインが音ノ木坂学院の廃校を望んでいるのなら、オープンキャンパス成功に貢献したμ’sは狙われる可能性が大いにあります。引率ということで、乾さんもμ’sの合宿に同行してください』

 電話で理事長はそう言っていた。一応部活の合宿で職員にとっては業務だから、給与が発生するらしい。用務員の仕事から外れている気はするが仕方ない。オルフェノクから彼女らを守れるのは巧しかいないのだから。オルフェノクに狙われやすいことについてはメンバー達に伝えていない。いたずらに不安がらせるのは気が引ける。だが、巧の同行が何を意味するのか絵里は理解しているようで、一瞬だけ彼女の陰を帯びた視線を感じた。それを隠すように、絵里はメンバー達を見渡して告げる。

「合宿に行く前に提案したいことがあるんだけど、メンバー同士の上下関係をなくそうと思うの。つまり、先輩禁止ね」

 「先輩禁止!?」と穂乃果は目を丸くする。他のメンバー達も反応は似たようなものだ。絵里は続ける。

「前からちょっと気になっていたの。先輩後輩は勿論大事だけど、踊っているときにそういうことを気にしちゃ駄目だから」

 「そうですね」と同意したのは海未だ。

「わたしも3年生に合わせてしまうところがありますし」

「そんな気遣い全く感じないんだけど」

 にこが不満げに言った。

「それはにこ先輩は上級生って感じじゃないからにゃ」

 凛がさらりと言ってしまう。せっかく皆が今まで口に出さなかったというのに。当然その言葉はにこの癇に障った。

「上級生じゃなきゃ何なのよ?」

 「んー」と考えた後に凛は答える。

「後輩?」

 「ていうか、子供?」と穂乃果が。

 「マスコットかと思ってたけど」と希が。

 「ただの馬鹿だろ」と巧も加わる。

「どういう扱いよ!」

 言いたい放題言われたにこは当然のごとく怒る。それでも場の雰囲気が険悪にならないのは、ある意味で彼女の才覚かもしれない。

「じゃあ早速、今から始めるわよ」

 「穂乃果」と絵里が呼ぶと、当の本人は少し恥ずかしそうに「はい」と返事をする。

「良いと思います。え………、絵里ちゃん!」

 「うん」と絵里は満足そうに笑った。「何か緊張……」と穂乃果は胸を撫で下ろす。穂乃果が緊張するなんて珍しい光景だ。いつもは緊張感ですら楽しんでしまうのに。

 「じゃあ凛も!」と挙手した凛は深呼吸する。

「ことり……ちゃん?」

「はい、よろしくね。凛ちゃん」

 「真姫ちゃんも」とことりが言うと、メンバー全員の視線が真姫へと集中する。真姫は気恥ずかしそうに顔を紅くしながら腕を組む。

「べ、別に、わざわざ呼んだりするもんじゃないでしょ?」

 強気な口調が苦し紛れに聞こえる。こういったことに慣れていないだろうとは思っていたが、随分と強情だ。ここで無理強いはしないようで、絵里の視線は真姫から離れて巧へと移る。嫌な予感がする。

「何だ?」

「せっかくですし、乾さんもわたし達と名前で呼び合ってもらおうと思って」

「何でそうなるんだ? 俺はμ’sのメンバーじゃねえだろ」

 「ええんやない?」と希が悪戯っぽく笑う。

「もうすっかり溶け込んでるし、そんな他人行儀だとぎこちないやん」

 どこが溶け込んでいるというのか。誰がどう見てもこの団体で巧は浮いている。巧と彼女らの接点が何か、傍から見て分かる者などいないだろう。

 「賛成ー!」と凛が再び挙手する。

「凛も乾さんのこと『たっくん』て呼びたいにゃー」

「やだね」

「何で!?」

「やかましいのは穂乃果だけで十分だ」

 げんなりと凛は肩を落とす。困ったように笑いながら絵里は言う。

「これもμ’sのためだと思って、協力してもらえませんか?」

 先ほど真姫にしたように、メンバー全員の視線が巧へと向く。変に意地を張ると余計な体力を使う。ため息をついて巧は憮然と言った。

「………好きにしろ」

 こういったものには慣れていない。巧が他人に対して心を開くことも、また開かれることも殆どなかった。自分のことを知られしまうことが何よりも恐ろしく、交流なんてものは必要最低限に済ませてきたのだ。

 心の底から仲間と言える彼等と違って、巧は彼女達との交流が偽物のように感じてしまう。本当に信頼し合える仲というのは、相手の本当の姿を知り、それすらも受け入れるということだ。巧は秘密を抱えている。決して知られたくない秘密を。

 巧の懊悩を知ってか知らずか、掴み所のない微笑を浮かべる希が顔を覗き込んでくる。

「こういうのもええもんやろ、たっくん?」

「たっくん言うな」

「かんにん、巧さん」

 

 ♦

 一面が真っ赤だ。

 自分がどこにいるのか。どこに行けばいいのかも分からない。俺はまだ道が通れるところを走っている。

 全部燃えている。床も壁も天井も炎に包まれ、熱で焼かれていた。

 俺は走り続けた。一歩一歩、足を踏みしめる度に息が苦しくなって、でも熱い空気と煙を吸い込んでも全く楽にならない。むしろ咳き込んで更に息が苦しくなるだけだ。

 両親はどうしたんだろう。その疑問は一瞬で脳裏から消える。心配している余裕なんてないし、俺にとってはどうでもいい両親だった。その日も、父親の知り合いに会うとかで無理矢理ホテルのレストランへと連れて来られたのだから。レストランは嫌いだ。食事の作法とか母親がうるさく注意するものだから好きなように食べられない。着心地の悪い礼服を着せられて、偉い人に会うから大人しくしているようにと釘を刺された。そんな風に俺を縛る両親がとてつもなく嫌いだった。

 子は生まれる親も家も選ぶことができない。たとえ親が悪人でも、家が貧乏でも生まれてしまっては受け入れるしかない。とんでもなく世の中は理不尽だ。そういう意味では、俺の生まれた家は恵まれている方だったかもしれない。両親はよく言っていた。お前は他の子供にはないものを得られる家に生まれたと。多分、両親は何かで莫大な富を得たのだろう。何の仕事をしていたのかは分からないが、2人が他の大人よりも高い立場にいる人間であることは、子供だった俺でも十分理解できた。周りの大人は両親に媚びを売る者ばかりだったし、両親も周りに対する態度がひどく偉そうだったから。

 俺は、俺の意思で生きることができないのではないか。このまま生きていたら、俺は両親にとって都合の良い意思のない人間になってしまうのではないか。あれこれ口うるさく言う両親のもとで暮らしていた俺は、成長する毎にそう思うようになった。当然、2人にそれを伝えることはできない。自由に生きたい。俺は俺の思うように生きたい。その膨れあがっていく願望は日々大きくなり、とうとう破裂した。まるで風船が割れたかのように。

 きっかけは些細なことだ。スープを飲もうとしたとき、使うスプーンが違うと母親が注意してきた。俺は知るか、と生まれて初めて母親に怒鳴った。母親はとても驚いて、父親は他の客がいるにも関わらず俺の頬を叩いた。俺はその場を逃げるように飛び出した。このままどこかへ行ってしまおう。そう思った矢先に、レストランは火事になった。後から聞いた話によると、厨房でガスが漏れて爆発したらしい。火の手はレストランのみならず、ホテルのビルを飲み込むほど広がっていった。

 出口を探して走るうちに、火が燃える音に混ざって泣き声が聞こえた。煙のせいで一寸先を見ることもままならない俺の視界のなかで、それは小さくうずくまっている。一瞬でも目を放したらもやのなかに消えてしまいそうなほどに小さかった。

 見たところ、俺より少し年下らしき少女だ。お父さんお母さんと呼びながら彼女は泣いていた。

 俺は泣いている少女を背負った。そのとき、何で自分がそんな行動を取ったのかは判然としない。ただ、あの少女を助けることで両親の束縛から逃れられるような気がした。俺は両親に言われたからではなく、自分の意思で少女を助けたいと思った。だから彼女を助けようとしたのだと。

 俺が背負っている間、少女は何も言わなかった。ただ俺の背中にしがみついていた。俺は彼女を背負ったまま、ひたすらに歩き続けた。炎が噛みつくように俺の体を焼いてきて、次第に意識が遠のいたが、それでも歩き続けた。

 途中で俺の意識は途切れた。視界が真っ暗になって、熱さも息苦しさも感じなくなった。

 目を覚ますと、俺は出口の近くで少女を背負ったまま立っていた。そこの辺りはまだ燃えていない。多分、意識が途切れている間も俺は歩いていたのだと思う。救急車のサイレンが聞こえて、俺は少女を置いてその場を去った。礼を言われるのが後ろめたかった。俺は純粋に少女を助けたくて助けたわけじゃない。少女を助けることで、俺のこれからに光が灯るかもしれない。俺は自分の生き方を見出すために少女を利用しただけだ。

 少女に会ったのは、あの火事の日が最初で最後だ。彼女は今何をしているだろう。彼女の両親は助かっただろうか。どうか幸せであってほしい。もし俺に会いたいと願ってくれたとしても、俺は彼女に会いたくない。会う資格がない。

 あの火事で俺の命は終わりを迎えた。それと同時に俺は第2の誕生を果たした。いつ命を落とし、そして拾ったのか。その瞬間を俺は覚えていない。俺に限らず、誰だって自分が母親の胎から生まれた瞬間など覚えていないだろう。

 もし神がいて、俺の新しい命が褒美として与えられたものだとしたら、神というのはとても性格が悪いに違いない。褒美というよりは呪いだ。死ぬまで続く、決して解くことのできない呪い。

 生まれる子は選択することができない。親も家も。国も時代も。

 そして命の形さえも。

 

 ♦

 少女特有の甲高い声がひっきりなしに聞こえてくる。ゆっくりと目蓋を開けると、窓の外で過ぎ行く景色が見える。

「たっくん大丈夫? うなされてたけど」

 隣の座席に座っている穂乃果が尋ねる。

「寝心地が悪かっただけだ」

 そう言って巧は首を揉む。新幹線のシートは快適とは言えない。寝違えてしまったようで少し筋肉が痛んだ。

「たっくん、最近寝てばかりいるよね」

「疲れてんだよ。どっかの誰かさんに付き合わされてな」

「誰かさんて………、誰?」

 忘れていた。穂乃果に皮肉は通じない。皮肉を理解できるほどのおつむを持っていない。

 倦怠感はまだ残っているが再び眠る気にはなれない。悪夢はよく見るが、幼い頃の記憶は忘れた頃になって夢に出てくる。新しい命を手にした瞬間を祝福すべきか忌むべきか、巧には分からない。多分、誰にも分からないだろう。

 穂乃果の言う通り、ここ最近は眠ることが多くなった。睡眠をしっかりとれているはずなのに疲れが取れない。一気に齢を取ったような錯覚に陥る。巧には何となくその理由が分かる。

「お茶飲む?」

 穂乃果がペットボトルのお茶を差し出してくる。「ああ」と巧は受け取ろうとするが、ペットボトルは巧の手から滑り床に落ちる。

「本当に大丈夫? 具合悪いんじゃない?」

「寝ぼけてるだけだ」

 巧は床からペットボトルを拾い上げて窓の外に広がる景色を眺める。緑色の山々が過ぎ去っていき、青い空には真っ白な入道雲が浮かんでいた。

 

 ♦

 到着した西木野家の別荘は海辺に建っていた。所有主の財力を示す、別荘にするには勿体ないほどの豪邸だ。周辺には森も山もあってキャンプが楽しめる。街から少し離れているが、その慎ましやかさが魅力なのだろう。他にも西木野家に劣らない邸宅が点在していることから、この土地は金持ち御用達のリゾート地なのかもしれない。

 パラソルの下でビーチチェアに寝そべりながら、巧は水飛沫をあげてはしゃぐ少女達を眺める。

 10人が入ってもまだ余裕のある広さの別荘を一通り物色し、μ’sは海未考案の合宿トレーニングを始める予定だった。だが遊ぶ気満々だった一部のメンバーの牽引によって海水浴という流れになった。一応PV撮影も兼ねるということで、全員が水着を持参してきている。ビデオカメラを回しているのだが、恥ずかしがり屋な海未を除いて彼女らは素で海水浴を楽しんでいる。

 海は穏やかだ。きらきらと水面が揺れる度に日光を反射する。海原は見渡す限りに広がっている。無限とも思える海を見ていると、この世界には日本という島だけがあって、水平線の先に他の島と国があるなんて嘘なのではと思えてくる。知識としては知っていても実感が持てない。この視界にあるのは地球のごく1部で、地球もまた宇宙のなかではちっぽけな星だなんて。

 海。母なる海。始祖の生命が誕生した場所。沖縄では海の彼方に理想郷ニライカナイがあるという言い伝えを聞いた。もし本当にニライカナイがあるとしたら、そこはオルフェノクも受け入れてくれるのだろうか。人間に天国という安らぎの世界があるように、オルフェノクにも理想郷があるのだろうか。オルフェノクもまた地球が生み出した命だ。安らぎの場くらいあってもいい。

 花陽がタオルで目隠しをして、木の棒を持ち恐る恐るといった様子で砂浜を歩いている。彼女の目の前にはスイカがひと玉置いてあって、そのまま振り下ろせば当たりそうだ。でも花陽が棒を振り下ろす直前、にこがひょいとスイカを横取りした。目隠しを取った花陽に、にこが悪戯な笑みを向ける。

 そういえば3人で海水浴に出掛けたな、と巧は思い出す。真理と巧で啓太郎に水鉄砲の集中砲撃を食らわせたものだ。真理は歳相応の少女らしく楽しそうにしていたし、巧も柄にもなくはしゃいでいたことをよく覚えている。

 ふと隣を見やると、巧と同じように真姫がビーチチェアでくつろぎ読書をしている。

「お前、行かないのか?」

「わたしは別に」

 不機嫌そうに真姫はページを捲る。

「まあ、ひとりでいたい気持ちも分かるけどな」

 ビーチではメンバー達がビーチバレーをしている。凛のアタックがにこの顔面に直撃した。にこが地団太を踏んでいる。

「真姫ちゃんも一緒にやろうよー!」

 凛がそう言ってくる。真姫は先ほど巧にしたのと同じ台詞を返す。メンバー達は少し寂しげにビーチバレーを再開した。

「皆はお前と遊びたがってるぞ」

「わたしはそんな気分じゃないわ」

「じゃあ、何でμ’sに入ったんだ?」

 「それは……」と真姫の言葉が詰まる。絞り出したかのような言葉の連なりは途切れ途切れで拙い。

「場の雰囲気っていうか、流れっていうか………」

 仕方なく。要はそう言いたいのだろう。その割には、真姫は積極的にアイドル活動をしている。曲を作り、こうして合宿の場を提供している。自分は望んでμ’sに入ったわけじゃない。そう言い切れないのは、根底には彼女の「やりたい」という気持ちがあったからに違いない。でも、それを指摘したところでこの皮肉屋な少女が肯定するとも思えない。

「もう皆知ってるぜ。お前がどんな奴かって」

「じゃあ、あなたにわたしはどう見えるわけ?」

「面倒臭い女」

 「ちょっと」と真姫は本を閉じて巧を睨んでくる。巧は構わず続ける。

「何つーか、全部が面倒臭いな。ずっと自分に嘘ついて悩む類だ」

 真姫は無言のまま巧を睨む。何か言い返してくると思ったが、それはなかった。真姫は再び本を開き、力の抜けた声で言った。

「何それ、意味わかんない………」

 

 ♦

 太陽は半分近くが水平に沈もうとしている。それでも強い光は空を茜色に染めて黄昏の時を映し出している。

「おおー。綺麗な夕陽やね」

 シュロの樹が並ぶ道を歩きながら、真姫は前を歩く希の背中を見つめる。夕飯の買い出しで店の場所を知っている真姫が名乗り出たのだが、そこへ希が一緒にと着いてきた。この先輩は何を考えているのだろう。思えば、希のμ’s加入の経緯も変なものだった。絵里を加入させた流れで希も入ったが、その理由は占いで9人になったときに未来が開けると言っていた。穴埋め目的なら、9人目は誰でも良かったのか。

「どういうつもり?」

「別に。真姫ちゃんも面倒なタイプだなあって。本当は皆と仲良くしたいのに、なかなか素直になれない」

「わたしは普通にしているだけで――」

「そうそう。そうやって素直になれないんよね?」

 真姫のなかで苛立ちに似た感情が募ってくる。昼間も巧から似たようなことを言われた。

「ていうか、どうしてわたしに絡むの?」

 真姫が聞くと、立ち止まった希は「んー」と唸った後に答える。

「ほっとけないのよ」

 希の口調に思わず真姫は物怖じしてしまう。普段喋っている関西弁がネイティブなものではないと分かっていたが、突然の変化が不意打ちとなって真姫の心を震わせてくる。

「よく知ってるから。あなたに似たタイプ」

「………何それ。あなたも、あの人も」

 絵里のことだとすぐに分かる。でも、親友と同じだからといって一緒にされては困る。絵里は生徒会長という立場だから自分を律しなければならなかった。でも真姫は違う。元々こういう性格なのだ。今更変えられない。

「巧さんにも同じこと言われたの? やっぱり、似た者同士って分かるもんやなあ」

「別に、あの人の言うことなんて気にしてないわ」

「巧さんは悪い人やないと思うけど。何だかんだで合宿にまで着いてきてくれるし」

「あなたは怪しいと思わないわけ? あの人、オルフェノクが何かとか、あのベルトが何なのか全然話そうとしないし」

 希は再び「んー」と顎に指を添える。

「うちも、巧さんの全部を信じてるわけやないよ。それに、自分のことを話さないのは真姫ちゃんも一緒やない?」

 あの人と一緒にしないで。

 そう言いたくなるも言えない。図星だったからだ。誰かと深く関わり、欠点を知られて幻滅されるのが怖いから。高いプライドの根源にあるのは怖れだ。常に完璧な自分でなければならない。だから深く踏み込まれたくない。

「真姫ちゃんは皆と仲良くしたほうが良いと思う。でも、巧さんは分からない」

「どうしてそう思うの?」

「巧さんは何かを隠してる。でも、それはうちらが触れちゃいけないものって感じるんや」

 漠然とした答えだ。真姫が質問を重ねようとしたところで「ねえ君達」という声が割って入る。2人のもとへ若い男が歩いてくる。大学生だろうか。

「この辺りでホテルとか無いかな? 安いビジネスホテルでいいんだ」

「この道を真っ直ぐ行けば街中なので、ホテルもいくつかあります」

 真姫が街の方向を指差して説明する。男は「ありがとう」と笑った。

「それにしても綺麗な夕陽だね。君達みたいな可愛い娘たちと見られるなんて。やっぱり海はいいよ。開放的な気分になれて」

 初対面なのに随分と馴れ馴れしい男だ。この手の男は苦手だ。人の領域にずかずかと土足で踏み込んできそうで真姫はまなじりを吊り上げる。

「せっかくだし一緒に行かない? 君達も街へ行くんでしょ?」

 「ごめんなさーい」と希が笑みを浮かべて真姫の手を取る。

「この子彼氏いるんです」

 「ちょっと」と真姫が抗議しようとするが、希は遮るように言葉を連ねる。

「さ、行こ。たっくんお腹空かせて待ってるよ」

 希は真姫の手を引いて足早に歩き出す。その後を着いていく真姫に希は振り返る。

「ああいうのには気を付けんとね。うちらアイドルやし」

 

 ♦

 丼いっぱいに盛られた白飯を花陽は嬉しそうに眺めている。夕飯の献立はカレーライスなのだが、花陽だけは別で白米を所望した。花陽の隣に座る絵里が尋ねる。

「何で花陽だけお茶碗にご飯なの?」

「気にしないでください」

 カレーの他に並ぶのはサラダしかない。まさか白米だけ食べるつもりか。気にはなるが、追及するのは野暮だろう。せっかくの食事だし、楽しいならそれが1番だ。

「にこちゃん料理上手だよね」

 穂乃果がそう言うと、にこは得意げに笑う。この10人分のカレーとサラダを作ったのはにこだ。料理当番はことりだったのだが、大人数で慣れないのか手際があまり良くなかった。それに痺れを切らしてにこが交代したのだ。

 「あれ?」とにこが料理する姿を見ていたことりが言う。

「でも昼に料理なんてしたことないって言ってなかった?」

 にこの笑顔が引きつる。「言ってたわよ」と真姫がことりの証言を補足する。

「いつも料理人が作ってくれるって」

 その場には巧もいた。真姫が家に料理人がいると言ったら、にこも便乗したのだ。対抗するための嘘だと巧はすぐに気付いたが、ことりは信じていたようだ。よくあんな見え透いた嘘を信じられるものだ。無垢なのか騙されやすいのか。

 「いや……」とにこは膝元に降ろしたスプーンを両手で握る。

「にこ、こんな重いもの持てなーい」

「何言ってんだお前」

 巧のみならず、メンバー全員がにこに呆れたような困ったような視線を送っている。巧の言葉が癇に触ったのか、目つきを鋭くして立ち上がる。顔の横には重いと言っていたスプーンが片手で掲げられている。

「これからのアイドルは料理のひとつやふたつ作れないと生き残れないのよ!」

 「開き直った」と穂乃果が言う。空腹だというのにこんな茶番に付き合っていられない。巧はスプーンで掬ったカレーに息を吹きかけた。

 談笑しながらの食事はあっという間に終わり、満腹になった穂乃果はソファに寝転ぶ。「いきなり寝ると牛になりますよ」という海未の小言に「お母さんみたいなこと言わないでよー」と不平を返す。この光景は家で毎日のように見る。穂乃果はそのまま寝て雪穂と巧が部屋まで運ぶのがお約束だ。

 「よーし」と凛が立ち上がる。

「じゃあ花火をするにゃー!」

「その前に、ご飯の後片付けしなきゃ駄目だよ」

 花陽がそう言うと、ことりが控え目に挙手をする。

「それならわたしやっとくから、行ってきていいよ」

 バイトで皿洗いは慣れているのだろう。本人が言うならやらせて良いと思うが、花陽と絵里は納得していないらしい。

「え、でも………」

「そうよ。そういう不公平は良くないわ。皆も自分の食器は自分で片付けて」

 「それに」と海未が切り出す。

「花火よりも練習です」

 「うえ……。これから?」とにこが眉を潜め、凛が口をとがらせる。

「当たり前です。昼間あんなに遊んでしまったのですから」

 「でも」とことりが恐る恐る抗議する。

「そんな空気じゃないっていうか………。特に穂乃果ちゃんはもう………」

 ことりが目配せした先で、ソファに座る穂乃果が寝返りを打つ。

「たっくーん、お茶まだー?」

「自分で淹れろっつの」

 呂律が回っていないから寝言だろう。寝言にしてもはっきりしているが。

 真姫が自分の食器を持って立ち上がる。

「じゃあ、これ片付けたらわたしは寝るわね」

 「え?」と凛が。

「真姫ちゃんも一緒にやろうよ花火」

 「いえ」と海未が。

「練習があります」

 にこが「本気?」と呟き、凛がそれに同意する。

「そうにゃ。今日は皆で花火やろう?」

「そういうわけにはいきません」

「かよちんはどう思う?」

 この討論に参加させるのは酷だろうに。花陽は気まずそうに主張する。

「わ、わたしは……、お風呂に」

 「第三の意見出してどうするのよ」とにこが指摘する。平和的な解決を望んでの提案だろうが、泥沼になるだけだ。もっとも、控え目な花陽が自己主張しただけでも進歩があるのだが。

「たっくーん、お茶ー」

「はいはい」

 穂乃果は本当に寝ているのだろうか。巧がそう思っていると、希が第四の意見を投じる。

「じゃあ、もう今日は皆寝ようか。皆疲れてるでしょ? 練習は明日の早朝。それで、花火は明日の夜することにして」

 「そっか」と凛は納得した顔をする。にこは安心したのか胸を撫で下ろした。このやり取りで更に疲労が蓄積したかのように見える。

「それでもいいにゃ」

「確かに、練習もそちらのほうが効率が良いかもしれませんね」

 海未も納得したようだ。あのストイックな海未を説得できるのは脱帽するが、先輩禁止とはいえまだ上下関係が抜けていないのかもしれない。

「お茶ー」

「うるせえな!」

 場を総括した希は言った。

「じゃあ決定やね」

 

 ♦

 西木野家の別荘は温泉まで完備されている。合宿に参加している面子のなかで唯一の男性である巧は、μ’sメンバーの後に貸し切り状態で露天風呂を堪能した。たまには大きな風呂で脚を伸ばすのも悪くない。

 入浴を経て夜も更けてきた。昼間に結構寝たせいか、あまり眠気がない。疲労感はあるのに奇妙なものだ。

 たったひとりの寝室で、ベッドに仰向けになった巧は掌を天井にかざす。掌線と爪の間を埋めるように灰がこびりついていて、指を擦り合わせるとぼろぼろと零れてくる。痛みはない。ゆっくりとだが、自分の体が崩れていくのが分かる。もし車に撥ねられでもしたら、自分の体は木端微塵になって風に流れていくに違いない。

 この現象は3年前から起こり続けているが、最近は頻繁に起こっている。全ての生命は着実に死へと向かう。人間であれば老化による身体能力の低下として現れる。オルフェノクも同様だ。しかし、オルフェノクの場合は自分の体が崩壊していく様子をリアルに感じる。

 オルフェノク。

 人類の進化した新しい種。

 人間よりも強い力を持ち、それと引き換えに人間よりも命が短い。

 人類は更なる高みへと昇ることを望み、そして一部の者がオルフェノクへと進化した。しかし、手に入れた命は短く、種としては期待外れだった。進化しても環境に適応できない種は滅びるしかない。高い樹の葉を食べるために首が長くなるよう進化を遂げたキリンは、地球上の樹木全ての背が低くなれば、長い首が仇となって何も食べられず餓死してしまう。オルフェノクがいくら人間よりも優れた種であろうと、その命が短ければ新たな同胞を生むよりも早く死に絶えてしまうだろう。

 自分達の命は福音なのか。それとも呪いなのか。

 巧には分からない。オルフェノクとしての自分を否定し、人間として生きることを望む巧には。

 考えても無駄だ、と巧は思考を止める。「王」は死んだ。オルフェノクの未来は閉ざされた。これからの世界は人間のものだ。もうオルフェノクの生きる居場所はない。巧自身にも。

 巧は部屋の照明を消して布団へ潜り込む。目をつぶり眠気の訪れを待つが、下の階から激しい物音が聞こえて意識をより水面へと押し上げてくる。何やってんだあいつらは、と巧は起き上がり頭を乱暴に掻く。絵里の提案で、メンバー達はリビングで9人一緒に寝ることになっている。まだ高校生だからはしゃぎたい気持ちも分からなくはないが、巻き添えを食らうのは勘弁願いたい。

 階段を下りると、9人分の布団が敷かれたリビングで枕投げが繰り広げられている。ほんの戯れといった雰囲気ではなく、何人かは倒れていて、それを見下ろす海未をメンバー達は鬼でも見るように怯えている。海未ならこんな遊びは止めそうなのだが、両手に枕をぶら提げた彼女は凛と花陽へゆっくりとした足取りで近付いている。

「おい、お前らうるさ――」

 最後まで言い切る前に、巧の視界が暗転する。続けて顔面に柔らかい衝撃が。間延びした一瞬を経て、飛んできたものが枕であることに気付く。まさに剛速球だった。枕じゃなかったら頭蓋骨を砕いてしまいそうな勢いだ。

「助けてー!」

 凛と花陽が抱き合って叫ぶ。海未が2人へ枕を投げようとした直前、彼女の頭を8時の方向から飛んできた枕が揺らした。バランスを失った海未はゆらゆらとロウソクの火のように揺れた後に、長い黒髪を振り乱して布団へ身を落とした。枕が飛んできた先を見ると、腕を振り切った姿勢で真姫と希が立っている。寝息を立てる海未を見て、枕を抱えることりがほっとため息をついてOKサインを出した。

「まったく………」

 真姫が腕を組んでそう漏らす。巧はあぐらをかき、乱雑した枕を指差して尋ねる。

「何でこうなったんだ?」

「元はと言えば真姫ちゃんが始めたにゃ」

 凛が答えると、真姫が「ち、違うわよ」と慌てた様子で言う。隣に立っている希が含みのある笑みを浮かべている。巧は何となくこの状況の発端を悟り、敢えて乗ることにする。

「お前も結構ガキだな」

「だから違うって言ってるでしょ。あれは希が――」

「うちは何にも知らないけどね」

「あんたねえ――」

 「えい」と希は文句を続けようとする真姫の顔面に枕を投げる。顔の枕を退けた真姫は噛み付くように言う。

「って何するの希!」

「自然に呼べるようになったやん。名前」

 希は笑みを崩さない。どこか満足そうにも見える。その笑みが他のメンバー達にも伝播していく。

「本当に面倒やな」

「ああ、面倒臭い奴だ」

 希と巧がそう言うと、真姫は笑っている他のメンバー達の視線に気付き頬を紅潮させる。

「べ、別に……、そんなこと頼んでなんかいないわよ!」

 真姫の投げた枕が、巧の顔面に直撃した。

 

 ♦

 穏やかな波の音が聞こえる。波だけでなく、カモメの鳴き声も。巧はゆっくりと目蓋を空けて、枕元の目覚まし時計を見る。まだ目覚ましを設定した時刻より早い。再び布団に潜り込もうとするも、意識はすっかり覚醒してしまった。伸びをして起き上がり、巧は乱れた布団を放置して部屋を出る。

 リビングに出ると、メンバー達はまだ寝ていた。でも2人だけいない。朝の散歩にでも出掛けたのか。まだぼんやりしている頭では思考が回らない。巧は寝ている彼女らを通り過ぎ、外に出て波の音を頼りに海岸へと歩いていく。海岸には既に先客がいた。砂浜へ降りる階段に立ったところで、巧は寝巻のままの彼女らと白み始めた水平線の彼方を眺める。波の音の間に、彼女らの声はするりと抜けるように巧の耳孔へと入ってくる。

「ねえ真姫ちゃん。うちな、μ’sのメンバーのことが大好きなん。うちはμ’sの誰にも欠けてほしくないの」

 距離からして、普通の人間では聞こえないはずだ。でも、「普通の人間」とは異なる巧には、はっきりと聞こえる。

「確かにμ’sを作ったのは穂乃果ちゃん達だけど、うちもずっと見てきた。何かある毎に、アドバイスもしてきたつもり。それだけ思い入れがある」

 考えてみれば、希は加入以前からμ’sのサポートをしてきた気がする。その頃には絵里が活動に否定的だったが、傍にいた希は好意的な姿勢だった。μ’sという女神の名前も、希が付けたものだ。自分が9人目として加入するために今まで動いてきたのだとしたら、相当の策士だ。

 水平線を見ていた希が真姫へと振り返る。階段の縁に立つ巧に気付き、優しく笑って唇に人差し指を添える。

「ちょっと話し過ぎちゃったかも。皆には秘密ね」

 真姫の微笑が聞こえた。結局、真姫も希も似た者同士ということだ。あまり本心を話したがらないところが。

「面倒臭い人ね、希」

「あ、言われちゃった」

 希がおどけたように笑ったところで、背後から数人分の足音が聞こえてくる。振り返ると、目を擦りながらメンバー達が歩いてくる。先頭を歩く絵里が巧の横に立ち、砂浜にいる2人を感慨深そうに眺める。

「もう、真姫は大丈夫そうですね」

「ああ」

「こっそり見るくらいなら、素直に心配すればいいのに」

 絵里は巧の顔を見上げて笑う。「いいだろ、別に」と巧は返した。

「巧さんも真姫と似た者同士ですね」

「お前だって、あいつらと同類だぞ」

 「お前?」と絵里は巧を見つめる。何とか回避してきたが、もう逃げられそうにない。

「絵里」

 巧が呼ぶと、絵里は「ハラショー」と笑う。「絵里ちゃんだけずるいにゃー」と朝から元気な凛が飛び跳ねる勢いで挙手する。

「凛も名前で呼んでよ、巧さん」

「ああ、凛」

 「わ、わたしも……」と恥ずかしそうに花陽が。

「花陽」

 続けてにこが得意げに言う。パックを貼ったままだから、一瞬誰だか分からなかった。

「にこのことは『にこにー』って呼んでいいわよ」

「分かったからパック取れよ、にこ」

 ようやく気付いたにこは慌ててパックを顔から剥ぎ取る。10代だから必要ないだろうに。それを見て微笑むことりの視線が巧へと向く。隣で頬を朱色に染めた海未が巧をちらりと一瞥する。

「ことり。海未」

 水平線の彼方から眩い光が漏れ出してくる。海岸を覆っていた影が取り除かれ、世界が目覚めていく様子を映し出していく。

「よーし、行こう!」

 穂乃果がそう言うと、皆は一斉に階段を駆け下りていく。「真姫ちゃーん! 希ちゃーん!」と呼びかけ、彼女らに気付いた希と真姫は穏やかな笑みで迎える。巧はゆっくりと階段を下りて彼女らの元へ歩く。太陽は半分が顔を出している。蒼かった海が白く光を反射している。μ'sの9人は砂浜で横1列に並び、手を繋いで朝日を眺めている。

 「ねえ、絵里」と真姫が呼ぶ。隣にいる絵里が視線を向けると、真姫は照れ臭そうに笑った。

「ありがとう」

 絵里はウィンクを返す。

「ハラショー」

 太陽がゆっくりと昇っていく。それを眺める少女達。彼女らが「μ’s」の名の通り、女神のように人々を照らせるのかは彼女ら次第だ。巧はこれまで信じなかった神に祈る。

 どうか、もう少しだけ時間を与えてほしい。

 自分は死んでも構わない。だがせめて、彼女達の夢が叶うまでは生きていたい。

「いやー、海はいいねえ」

 ゆっくりとした拍手と共に、その声は聞こえた。左手の方向から若い男が歩いてくる。「あの人……」と真姫が呟いた。顔見知りなのか。

「流石はアイドル。蒼い海が絵になるよ。でも、君達には紅い血も絵になると思うよ」

 男は立ち止まった。その顔に黒い筋が浮かび、体が灰色に変化していく。

「オルフェノク………!」

 巧は近くに落ちていた流木を拾い上げ、オルフェノクの前に立ち塞がる。オルフェノクの体は羽毛に覆われているが、頭はコンドルのように禿げあがっている。

「ベルトだ!」

 巧は背後にいるメンバー達に叫ぶ。恐怖で硬直していた彼女らのなかで、穂乃果は我に返ったのか別荘の方向へと走り出す。

 コンドルオルフェノクは翼を広げた。屈んだその体に巧は流木を叩きつける。打撃を意に介さず、砂浜に落ちるコンドルオルフェノクの影が男の形を作る。

「先に君からにしようか」

 コンドルオルフェノクの拳が巧の頬を打ち付ける。砂の上に倒れた巧は咥内に広がる鉄臭さを吐き捨てる。砂に血を含んだ唾液が落ちた。口を切ったらしい。人間なら脳天を砕かれてもおかしくない。敵と同じ存在である巧だからこそ、この程度で済んだのだ。コンドルオルフェノクは巧の首を掴み、片手で軽々と持ち上げた。喉が圧迫されていく。息苦しさから逃れるべく、巧はなけなしの蹴りを灰色の体に入れる。コンドルオルフェノクは微動だにしない。

『Burst Mode』

 電子音声の後に、コンドルオルフェノクへ3本の紅い閃光が飛んでくる。直撃はしなかったものの、肩を穿たれたコンドルオルフェノクの手が巧から離れる。巡らせた視界の1点で、ファイズギアを肩に担いだ穂乃果がフォトンバスターモードのフォンを両手で構えている。巧はすぐさま立ち上がり穂乃果のもとへと走る。

「たっくん!」

 穂乃果が投げてきたギアをキャッチし、素早く腰に巻いてフォンを開く。

 5・5・5。ENTER。

『Standing by』

「変身!」

『Complete』

 紅い閃光が収まるよりも早く巧は駆け出す。ファイズのスーツが形成されると、その拳をコンドルオルフェノクの胸に打ち付けた。続けて見舞う拳をコンドルオルフェノクは左手で受け止め、空いた右手から黒い影が1本線に伸びていく。鋭い刃になった先端が、ファイズの胸部装甲に火花を散らした。

 コンドルオルフェノクは右手に携えた槍を突き出す。払い落とすのは容易だった。だが、刃に手が触れた瞬間、激痛と共にファイズの手から灰が零れ落ちる。ふっと笑みを零したコンドルオルフェノクのくちばしが開いた。暗闇が広がる咥内から青い炎が噴き出しファイズの視界を覆っていく。腰に衝撃が走った。槍がベルトを掠め、吹き飛ばされたファイズの腰からベルトが外れて砂の上にどさりと落ちる。エネルギーの供給源を失い、砂に横たわるファイズのスーツが光と共に分解されていく。

 戦いを傍観していたメンバー達のなかから海未が駆け出した。「海未ちゃん!」ということりの声には応えず、海未はファイズギアを拾いその細い腰に巻く。

「よせ海未!」

「駄目、海未!」

 巧と絵里の叫びは海未に届いていないらしい。フォンを開いた海未はコードを入力した。

『Standing by』

 巧がするのと同じように、海未は待機音声の鳴り響くフォンを頭上に掲げて宣言する。

「変身!」

 絵里が海未のもとへ駆け出す。絵里が到達するよりも早く、海未はバックルにフォンを装填した。

『Error』

 巧の予想通りだ。ギアに電流が迸り、海未の体とギアはまるで磁石の同極同士が反発するように離れた。後ろへ飛ばされた海未の体を絵里が受け止める。ギアはコンドルオルフェノクの足元に転がった。男の形になった影が笑っている。

「詰まらないなあ。μ’sのメンバーがオルフェノクだったら最高に面白いのに」

「どういう………」

 海未が呻くように言う。その問いにコンドルオルフェノクは応えず、代わりに男の姿に戻る。男は足元のギアを拾い腰に巻く。フォンのプッシュ音が4回、波の音と共に海岸に響く。

『Standing by』

「変身」

『Complete』

 海未のときとは異なり、そして巧のときと同様に、バックルの両端から伸びるフォトンストリームが男の体を覆っていく。一際眩い光を放ち、男はファイズに変身した。ファイズは空を仰ぎ哄笑する。

「今日は良い日だ。μ’sを始末できる上にファイズのベルトまで手に入るなんて!」

 ファイズはゆっくりと余裕のある歩みで、砂浜に膝をつく海未と絵里に近付いていく。

「やめろおっ!」

 巧は節々に痛みが残る体を起こし、砂を蹴って走る。ファイズの拳が目を見開く海未の顔へと振り下ろされる寸前、横から割り込んだ巧が拳を腕で受け止める。

 その瞬間、巧の両眼が灰色に濁った。顔に筋が走り、全身の筋肉が隆起していく。灰色にくすんだ皮膚が毛と鋭い突起に覆われた。巧の変貌を間近で見た海未と絵里は息を飲んだ。あまりの驚愕と恐怖で悲鳴をあげることすらできずにいる。目の前の出来事を現実と受け入れられないのか、2人と離れた所にいる他の面々は瞬きもせずウルフオルフェノクを凝視している。

 ウルフオルフェノクはファイズの拳を掴んだ。鋭い爪を立て、痛みに呻き声をあげるファイズはそれを振り払う。

「うあああああああああああっ‼」

 ウルフオルフェノクは吼えた。意識が塗り潰されていくような感覚に陥る。自分が何で、何をしてきたのか。暗闇へ埋没しようとするそれに抗うように目を見開く。ウルフオルフェノクの両眼、それに加えて頭に乗っている狼の両眼がファイズを睨む。まるで狼に飲み込まれた赤ずきんが、腹から出ようともがいているようだ。

 ウルフオルフェノクは地面を蹴った。素早くファイズの懐に入り込み、その腹に無数の棘が生えた拳を打つ。吹き飛ばされたファイズが砂に着地するよりも速く背後へ回り込み、仰向けに倒れた戦士の腹を踏みつける。更に首を掴んで持ち上げるも、苦し紛れの反撃としてファイズは頭突きを見舞ってきた。頭蓋が振動し、神経が痺れて視界がぼやける。おぼろげな視界のなかでファイズの黄色い目を視認し、それを目掛けてウルフオルフェノクは蹴りを入れた。強化された脚力でファイズの体が大きく跳び、海岸の奥に広がる森へと消えていく。

 ウルフオルフェノクは後方を振り返る。扇状に広がる海岸の1点で彼女達は固まって肩を寄せ合い、こちらを見つめている。絵里、希、真姫、にこは驚愕の色が強い。海未、ことり、花陽、凛は恐怖の色が強く、目に涙を浮かべている。穂乃果だけは、何を思っているのか分からない。ただ目を丸くして、口を半開きにしたままぼんやりとしている。

「皆………」

 巧の姿になったウルフオルフェノクの影が呼びかける。でも、誰も応える者はいない。ウルフオルフェノクは巧の姿に戻った。ゆっくりと彼女らのもとへ歩く。

「来ないで!」

 海未の悲鳴が響き、巧は足を止める。悲鳴は波へ吸い込まれていくも、残響が頭のなかで反復していく。巧は背を向けて走り出した。砂に足を取られるも、全力で駆けた。

 走りながらも、巧は微かな期待を捨てられずにいた。去っていく巧の背中に、彼女らは名前を呼んで引き止めてくれるのではないかと。

 太陽は完全に水平線から顔を出していた。その眩しさに目を細めながら巧は走り続ける。彼女達からどんどん離れていく。

 海岸には波の音がするばかりで、巧を呼ぶ声はとうとう聞こえなかった。




 これだよ。今回みたいなエピソードを俺は書きたかったんだよ。これこそ「555」だよ。はい調子乗ってます。すみません。

 今回登場したコンドルオルフェノクは読者様からアイディアを頂いたオリジナルオルフェノクです。オリジナルとは事故で死亡・覚醒したオルフェノクという意味ではございません。意外なところでややこしいですね。読者様からアイディアを提供してもらえるとは、この作品も見てもらえるようになったなと感慨深く思います。ご協力いただき、大変ありがとうございます。

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