ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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第10話 ワンダーゾーン / 甘く苦い街

 夏休みが近付くにつれて気温も上がってきている。少し歩いただけで全身から汗が吹き出してくる。そろそろ猛暑に突入しそうな時期だというのに、μ’sは毎日屋上の炎天下で練習に励んでいる。そうなってくると、太陽よりも彼女らの熱が勝っているのではないかとさえ思えてきた。

 ドアを開けて屋上に出ると風が巧の髪を揺らしてくる。風すらも温められているものだから全く涼めない。

「たっくん!」

 柵に背を預けていた穂乃果が手を振ってくる。巧は額の汗を拭いながら彼女のもとへ歩く。昼休みの屋上には穂乃果と巧しかいない。

「こんな暑い日に何の用だ?」

 暑さをものともせず穂乃果は「えへへ」と笑っている。この溢れんばかりの気力は若さなのか、それとも彼女が持つ気質なのか。

「ビッグニュースがあるんだ」

「廃校が見送られたことか?」

「何で知ってるの!?」

「理事長から聞いたんだよ」

 オープンキャンパスのアンケートが好評だったため、廃校は一旦見送られることになった。とはいえ、オープンキャンパスの結果が良かっただけだ。来年度の入学希望者が芳しくなければ、また廃校という可能性は浮上する。だが、今は素直に喜んでも構わないだろう。

「じゃあ、部室が広くなったこと! これ凄いでしょ?」

「あの部室片付けたの俺だぞ」

 これも巧は既に知っている。アイドル研究部に面した教室を使うからと整備したばかりだ。オープンキャンパス成功に貢献したのと部員が9人に増えたことで、アイドル研究部の部室が拡張されたのだ。

「せっかく驚かせようと思ったのにー」

 穂乃果は口をとがらせる。巧は柵の土台になっている縁石に腰を落ち着かせて空を見上げる。空には入道雲が浮かんでいた。

「まあ良かったじゃねーか。廃校止めるためにスクールアイドル始めたんだろ」

 「うん」と返事をして、穂乃果も巧の隣に座って空を眺める。

「オープンキャンパスが成功したのも、たっくんのおかげだよ」

「俺は何もしてねえだろ」

 「もー」と穂乃果はむくれる。

「本当に素直じゃないよね」

「これでも少しはましになったんだよ」

 巧はくすりとも笑わない。いつも通り不機嫌そうな顔をしている。普通ならこんな人間と会話に華を咲かせようとは思わないし、人によっては苛ついて喧嘩腰になるかもしれない。それなのに、穂乃果は笑顔を絶やさない。

「でもたっくんが守ってくれたから、μ’sはここまで来れたんだよ。ありがとう、たっくん」

 ありがとう。

 その言葉が巧の頭蓋を駆け回っていくような錯覚に陥る。礼を言われたことには慣れていない。感謝されてもどう返せばいいか分からないし、感謝されるようなことをしたとも思えない。ただオルフェノクを倒しただけ。巧のしたことはそれだけだ。だから、巧は穂乃果の「ありがとう」にどう返せばいいのか見つけることができない。代わりに出てくるのは問いだ。

「これからどうすんだ? まだアイドル続けるのか?」

「勿論! まだラブライブがあるもん。あ、そうそう。新しい曲のPVアップしたら、また順位上がったんだ」

 穂乃果は嬉しそうだ。余計な口を挟むまいと、巧は黙って聞く。

「廃校のために始めたことだけど、やっていくうちに思ったんだ。歌とダンスは楽しいんだって。皆にも知ってほしい。わたし達を見て、たくさんの人が楽しんで笑顔になるのが、わたしの夢」

 穂乃果は恥ずかしげもなく語った。いや、夢を語るのに恥ずかしがることはない。やりたいと、正しいと信じることに迷いなんて必要ないのだ。

「たっくんにも夢あるんだよね?」

「ああ」

「今度は教えてよ」

 穂乃果が巧の顔を覗き込んでくる。これほど興味を持つのも、巧が何事にも関心を示さないからだろう。だから余計気になるのかもしれない。こんな無骨な男が何を夢見ているのか。

「聞いてどうすんだよ?」

「良いじゃん、不公平だよ。わたし教えたのにたっくん教えてくれないなんて」

「ガキみてーなこと言うなよ」

 ひゅー、と2人の間を夏の熱風が吹き抜けた。風が運んできた木の葉が空へと舞い上がる。その様子を目で追っていた巧は穂乃果へ視線を移さずに告げる。

「………一度しか言わないぞ」

「うん!」

 夢を語るのに恥ずかしがることはない。そう思っていながらも、自分の夢となると羞恥は拭えない。巧は独り言を呟くように夢を語った。

「世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに、皆が幸せになりますように」

 ふと、巧は穂乃果へと視線を移す。穂乃果は口を開けたまま巧を見つめている。

「おかしいか?」

 そう聞くと、穂乃果は優しく微笑んだ。

「ううん。たっくんらしいなって」

「どこがだよ」

 

 ♦

 街に建ち並ぶコンクリートのビルやアスファルトが太陽に焼かれ、まるで焼き石のような熱気を放っている。街全体がサウナみたいだ。日陰にいても全く涼しくない。時折風が吹いてくるのだが、それは飲食店のダクトが吐き出す熱風で更に街を暑くさせている。

 漫画。アニメ。そしてアイドル。様々な娯楽が溢れる秋葉原は今日も賑わっていて忙しそうだ。所々で見える客引きのメイドやコスプレイヤーはさも当たり前のように街を歩いている。彼等のような人物は慣れたものなのか、通行人達は彼女達には目もくれずBGMが騒々しい街を行き交う。

 どんなに珍妙な者でも溶け込んでしまうのがこの街の特色なのだと思っていたが、流石にその集団は溶け込めずにいるようで通行人達の視線を集めている。

 こんな暑い季節にコートとマフラー、更にサングラスにマスクと追い打ちをかけたいかにも怪しい集団を目にした巧はすぐさま場を立ち去ろうとしたのだが、集団から聞き慣れた声で「たっくん!」と呼ばれたせいで踏みとどまる羽目になった。

「何やってんだ?」

 巧の問いにはにこが答える。

「にこ達だって気付かなかったでしょ? これがアイドルに生きる道なの。有名人なら、しっかりと街に紛れる格好ってものがあるのよ」

 「逆に目立っているかと………」という海未の指摘は耳に入っていないらしく、にこは腰に手を当てている。表情は分からないが、得意げな顔をしていることは十分に分かる。

「どう? 完璧な変装でしょ?」

「おい、まさかこのためだけに呼び出したんじゃないだろうな?」

 びくりと、仕事終わりの巧に電話をよこしてきた穂乃果の肩が震える。巧の険を込めた視線など目にもくれずに、にこは続ける。

「たとえプライベートであっても、常に人に見られてることを意識する。トップアイドルを目指すならば当たり前――」

「帰る」

 回れ右をする巧の右腕を穂乃果が掴んでくる。

「ごめんたっくん! ジュース奢るからもう少しだけ付き合って」

「こんな下らねえことに付き合ってられっか! つか暑いんだよくっつくな!」

 「待ちなさいよ!」とにこが左腕を掴んでくる。騒ぐせいで体温がどんどん上がっていく。そのまま熱暴走を起こしそうになるが、「凄いにゃー!」という凛の声が聞こえて穂乃果とにこの力が緩んだ。巧は2人の手を振り払う。

 花陽の悲鳴にも似た感嘆の声は小さな雑居ビルの1階にある店から聞こえる。穂乃果達は暑苦しいコートとマフラーを脱ぎ店に入る。店内の一角で凛と目を輝かせた花陽が商品の缶バッジを物色している。

「何だここ?」

 写真とガシャポン販売機が敷き詰められた店内を見渡す巧がそう漏らすとにこが「近くに住んでるのに知らないの?」と詰め寄ってくる。にこだけは変装のコートを脱いでいない。正直、近くにいるだけで暑苦しい。

「最近オープンしたスクールアイドルの専門ショップよ。とはいえ、まだ秋葉に数件あるくらいだけど」

 数件とはいえ、こんな店ができるということはスクールアイドルというジャンルも普及しつつあるということだろう。ここまでくるとプロのアイドルとの違いが分からなくなってくる。学生か否かというだけだ。

 「ねえ見て見て!」と凛が缶バッジを持ってくる。

「この缶バッジの子可愛いよ。まるでかよちん。そっくりだにゃー!」

 そっくりも何も、と思いながら巧は凛が見せてきたバッジを凝視する。バッジのなかで満面の笑顔を浮かべている少女は他人の空似ではなく、紛れもない花陽だ。

「それ小泉だぞ」

「え――!」

 どこに目付けてんだ、と巧は驚愕の表情を浮かべる凛を見て思った。「それ、どこに置いてあったの?」と穂乃果が尋ね、凛が案内した入口の近くには特設らしきコーナーがある。手書きの文字とカラフルなペンで「人気爆発中」、「μ’sコーナー」、「大量追加入荷しました」という札が立てられ、Tシャツやうちわやブロマイド、先ほど凛が持ってきた缶バッジも置かれている。

 メンバー達はその特設コーナーを驚愕と困惑が混ざったような顔で見ている。自分の顔なんて洗顔や化粧で毎日見るはずなのにおかしなものだな、と思いながら巧もコーナーを眺める。にこが自分のグッズがないと騒いでいることには触れず、ふと巧の視線は隣のコーナーに移った。並べられた写真はメイドを写したものばかりなのだが、1枚だけ見覚えのある顔がある。「なあ」と巧は隣にいる穂乃果に声をかける。今更ながら、メンバーが1人だけ不在なことに気付いた。

「そういや南はどうしたんだ?」

「ことりちゃん、何か用事あるみたいで先に帰っちゃったんだよね」

 「そうか」と巧が返す。秘密なら黙っておいたほうが良いだろう。この件に関しては巧の大嫌いなトラブルの匂いを強烈に感じる。

「すみません」

 その周波数が高い声で、店内にいるメンバー全員の視線が外へと向く。外で商品の整理をしている店員に、たった今写真で見たばかりのメイドが話し掛けている。

「ここに写真が、わたしの生写真があるって聞いて。あれは駄目なんです。今すぐなくしてください」

 何てタイミングが悪いんだ。巧がそう思っていると、目を丸くした穂乃果が「ことりちゃん?」と声をかける。穂乃果が声を発した瞬間、メイドは「ひゃあっ!」と奇声に似た短い悲鳴をあげて硬直した。

「ことり………、何してるんですか………?」

 海未が戸惑い気味に尋ねるも、メイドはこちらに背を向けて硬直したまま。やっと振り返ったと思えば、メイドは両目にガシャポンのカプセルを当てて笑顔を取り繕っている。

「コトリ? ホワッツ? ドナタディスカ?」

 「うわ……、外国人?」と凛の驚く声が聞こえる。気付かない凛と変装にしては苦しすぎることり。どちらに呆れたらいいのか分からなくなってくる。穂乃果はことりに歩み寄る。

「ことりちゃんだよね?」

「チガイマース」

 まだ続けるつもりか。巧が呆れ果てていると、ことりは目にカプセルを当てたままぎこちなく歩き出す。

「ソレデハ、ゴキゲンヨウ」

 「さらば!」とことりはスカートを掴んで走り出した。穂乃果と海未が後を追いかける。だが穂乃果はすぐに立ち止まり、振り返る。

「たっくん、バイクで追いかけて!」

「はあ? 何で俺が――」

 巧の文句を最後まで聞かず、「お願ーい!」と穂乃果は街へと走っていく。

「馬鹿馬鹿しい。俺はもう帰るぞ」

 ため息をついて歩く巧の腕に凛がしがみついてくる。

「駄目ー! ことり先輩追いかけないと!」

「くっつくな鬱陶しい!」

 「乾さんお願いします」と花陽が加わってくる。更に、にこも加わったせいで巧を蒸し風呂のように熱気が囲んでくる。

「分かった! 分かったから離れろ!」

 観念したところでようやく解放される。巧は不貞腐れながら路肩に停めておいたオートバジンを街中で走らせていく。逃げ道に大通りを使うなんて間抜けなことはしないだろうから、巧は狭い路地を走った。なるべく人の少ない道を通り、自分が街のどこを走っているのかも分からなくなってきたところで目立つメイド服を着たことりを見つける。走り疲れたのか一息ついているらしい。

 ブレーキを踏むと、タイヤの擦れる音に気付いたことりが怯えた表情をする。逃げられないよう路地を塞ぐようにオートバジンを停めて、巧はバイザーを上げた。

「一応、穂乃果達には言っといたほうが良いんじゃねえのか?」

「ごめんなさい………」

 ことりは巧の差し出したヘルメットを素直に受け取ってリアシートに乗った。

 ことりの案内で彼女のバイト先であるメイドカフェへとオートバジンを走らせ、到着すると穂乃果に店の住所をメールした。穂乃果達が来店するまでの間、客が殆どいない店のソファにこぢんまりと座っていた。まるで石にでもなろうとしているようだ。

 穂乃果達が来店すると、ことりはメイドカフェでバイトしていることを白状した。店で使っている源氏名を明かすと、メンバー達が「えー!」と驚愕する。

「こ、ことり先輩が……、この秋葉で伝説のメイド、ミナリンスキーさんだったんですか………?」

 花陽が興奮気味に問うと、「そうです」とことりは対照的に沈んだ口調で返した。メンバー達の反応が怖いのか、俯いた顔を上げようとしない。

「ひどいよことりちゃん。そういう事なら教えてよ!」

 穂乃果がそう言うと、ことりは顔を更に俯かせる。バイトするのは本人の自由とはいえ、親友として秘密にされたことは気に入らないのだろう。そう思っていた。

「言ってくれれば遊びに来て、ジュースとかご馳走になったのに!」

「そこじゃねーよ」

 たかるつもりだったのか。穂乃果の能天気さはこれ以上突き詰めないことにして、巧はコルクボードに貼られた写真へと意識を向ける。同じくコルクボードを見ている絵里が「じゃあ、この写真は?」と尋ねる。

「店内のイベントで歌わされて………。撮影禁止だったのに………」

 肩を落とすことりの隣に穂乃果が座る。

「なんだ。じゃあ、アイドルってわけじゃないんだね?」

「うん、それは勿論」

 「でも何故です?」と海未が尋ねる。ことりは所在なさげに答える。3人でμ’sを始めたばかりの頃、街でスカウトされたらしい。断るつもりだったのだが、制服のメイド服を可愛いと気に入り、働いているうちに評判となって伝説とまで言われるほどになったというのがバイトの経緯だ。

「自分を変えたいなと思って。わたし、穂乃果ちゃんや海未ちゃんと違って何もないから………」

「何もない?」と穂乃果が聞く。

「穂乃果ちゃんみたいに皆を引っ張っていくこともできないし、海未ちゃんみたいにしっかりもしてない」

「そんなことないよ。歌もダンスもことりちゃん上手だよ」

「衣装だって、ことりが作ってくれているじゃないですか」

 穂乃果と海未が立て続けに言う。ことりのμ’sへの貢献度は高い。それは誰の目から見ても明らかだ。

「少なくとも、2年の中では一番まともね」

 真姫がさらりと言う。穂乃果と海未が目を細めて真姫を睨む。「おい、いくら何でも言い過ぎだぞ」と巧は知らんぷりを決め込む真姫に注意する。

「俺だって今まで黙ってたってのに………」

 穂乃果と海未の視線が巧へと移った。

「たっくんひどいよ! 今までずっとそう思ってたってこと?」

「今のは聞き捨てなりません!」

 2人が巧に詰め寄ってくる。その剣幕に巧は思わず顔を逸らした。

「もう、今はどうだっていいでしょ?」

 絵里が2人を巧から引き離してくれる。2人の興奮が冷めたところを見計らってことりは言う。

「わたしはただ、2人に着いていってるだけだよ」

 ことりはもどかしそうに唇を結んだ。

 

 ♦

 店でお茶を飲んで談笑し、出る頃には夕刻になっている。帰宅時間のためか、街の人は更に多くなっていく。

 同じ帰り道を並んで歩く穂乃果、海未、絵里の後を着いていくように、巧はオートバジンを押す。本当ならさっさと帰りたいところだが、また彼女らを狙って奴らが現れるかもしれない。オープンキャンパスの日に逃げられてしまったオルフェノクにスマートレディ。一旦見送られはしたが、音ノ木坂学院の廃校はまだ消えていない。

「でも意外だなあ。ことりちゃんがそんなこと悩んでたなんて」

 3人の真ん中を歩く穂乃果が呟く。

「意外と皆、そうなのかもしれないわね」

 絵里の言葉に穂乃果は「え?」と返す。

「自分のことを優れているなんて思っている人間は、殆どいないってこと。だから努力するのよ、皆」

 「そっか」と穂乃果が呟く。確かにそうかもしれない。巧の思考を海未が言葉にしたことから、彼女も同じことを思ったらしい。

 真理も啓太郎も努力を怠らなかった。真理は仕事から帰ってきても夜遅くまでカットの練習をしていたし、啓太郎もクリーニングの技術は高いが、決して慢心を見せなかった。正直、夢を見つけるまで巧は2人が羨ましかった。どんなに面倒臭くて辛くても、頑張ることを躊躇しない2人が。

「そうやって少しずつ成長して、成長した周りの人を見てまた頑張って。ライバルみたいな関係なのかもね。友達って」

 3人は立ち止まる。後ろにいる巧も。絵里とはここで別れるのだ。

「じゃあ、もっと頑張らなければいけませんね。お互いライバルとして」

 海未がそう言うと、穂乃果と絵里は微笑む。その微笑は巧にも向けられる。

「………何だよ?」

「乾さんにも、頑張ってもらわなければということです」

 微笑を崩さずに海未がそう言う。

「何で俺まで」

「オルフェノクから学校を守ってくれないと。あんなものが出たら、ライブもできませんから」

 「ねえ、園田さん」と絵里が少し不安げに尋ねる。

「やっぱり、オルフェノクは悪い人ばかりだと思う?」

「当然です。学校は何度も襲われていますし。何故オルフェノクなんてものが生まれたのかは分かりませんが、あんな怪物は滅ぶべきです」

 海未は即答する。はっきりとした口調で。絵里は物憂げに巧を見る。巧はいつもの憮然とした表情を崩さない。それが「これ以上追及するな」という言葉の代わりと伝わるかは分からないが。

 海未の言葉は、多くの人間が持つオルフェノクへの認識なのだ。いくら彼等が人間としての心を保っていようとも、その灰色の姿は怪物だ。怪物としての姿を得てしまった者は、いずれは力に溺れて心まで怪物になってしまう。人間にとってオルフェノクとはそういうものだ。恐怖の対象以外の何者でもない。

 それを見てきたからこそ、巧はオルフェノクを滅ぼすことを選択した。とても辛い決断だ。オルフェノクのなかにも、人間として生きようとする者はいた。巧も彼等に生きてほしかった。でも彼等が生きるのと引き換えに人間が滅びるのなら、オルフェノクは滅ぶべきだ。

「どうして、そんなこと聞くんですか?」

 穂乃果が絵里に尋ねる。絵里はぎこちない作り笑いを浮かべた。

「乾さんから聞いてね。オルフェノクって元は人間だったらしいの。だから、まだ人の心が残っているオルフェノクもいるんじゃないかなと思って」

 「ふーん」と穂乃果の顔が巧へと向けられる。

「たっくんは、どう思う?」

「化け物だ。奴らは」

 巧は即答する。「そうですね」と海未が同意して、絵里は怪訝そうに巧を見ている。

 正直、絵里にフロッグオルフェノクだった戸田の最期を見せてしまったことを後悔している。ファイズとして戦うことの意味を見せつける意図だったのだが、絵里には余計な悩みを抱えさせてしまったらしい。絵里は人間だ。これからを生きる人間は、滅びゆくオルフェノクという種に情けをかける必要はない。

「オルフェノクなんて滅べばいいんだよ」

 釈然としない様子の穂乃果に巧は言い放つ。穂乃果は街を茜色に染める夕陽を眺め、どこか切なそうな声色で言った。

「うん。オルフェノクって怖いもん」

 

 ♦

 巧は突っ立っている。仕事終わりにオートバジンを駐輪場から校門まで押してエンジンを掛けようとしたところで、頓珍漢なBGMの音源をただ凝視している。まるで珍獣にでも出くわした気分だ。

「ふ~わふ~わし~たも~のか~わい~な、ハイ! あとはマ~カロンた~くさ~ん並べたら~、カラ~フル~で、し~あ~わ~せ!」

「壊れたのか………?」

 巧の視線の先。校門まで歩きながらことりが歌を口ずさんでいる。ひとりでいることがまず珍しいのだが、それよりも意識が向くのは彼女が発するメロディと歌詞だ。彼女らしく甘ったるい。

「ル~ル~る………。やっぱり無理だよー!」

 ことりは頭を抱える。関わったら面倒だと思ったとき、こちらに気付いたことりと目が合ってしまう。

「乾さん?」

「………2人は一緒じゃないのか?」

 敢えて歌のことには触れないよう言葉を選んだのだが、ことりは恥ずかしそうに鞄を胸に抱える。

「………聞いてました?」

「………聞いてない」

「………嘘ですよね?」

「………ああ、聞いてた」

 ことりは鞄に顔を埋める。恥ずかしいなら歌うなと思いながら、巧はオートバジンのシートから降りてことりへと歩み寄る。

「何やってんだお前。穂乃果と園田はどうした?」

「ひとりで歌詞を考えたいから、2人には先に帰ってもらって………」

「歌詞?」

 質問を重ねようとしたところで巧は踏み止まる。これには関わってはいけない。関われば貧乏くじを引くことになると直感で悟る。

「そうか、頑張れよ」

 そう言って巧は歩き出す。「え?」と意外そうに、ことりはオートバジンのシートに跨る巧へと駆け足気味に近付いてくる。

「乾さんも手伝って下さい。男の人の意見も聞きたいんです」

「俺だって暇じゃねーんだ」

 構わずグローブをはめてヘルメットを被ろうとしたところで「あうううう………」という声が聞こえる。振り向くとことりが頭を抱えてうずくまっている。

「何だ?」

「考えすぎて頭が沸騰しそう………。このままじゃ熱中症になっちゃうかも………」

「じゃあどっか涼しいとこで考えろよ」

「ビアンカのチーズケーキ食べたら、思いつくかも………」

「食いに行けばいいじゃねーか。その店に」

「ここから遠いので、車とかバイクとかじゃないと………」

 何だか真理とも似たやり取りをした覚えがある。あれは出会って間もない頃だったか。どうにも自分にはこの手のトラブルが引き寄せられていくらしい。半ば諦め気味に巧はヘルメットを叩く。この女、おっとりしているように見せて腹の底は黒いに違いない。

「分かったよ。乗れ」

 吐き捨てるように言って、巧はもうひとつのヘルメットをことりに手渡した。

 

 ♦

 ことりの道案内で訪れた店は、御茶ノ水のビル1階に構える小さなカフェだった。オーダーしたチーズケーキを食べて、ことりは満足そうに笑みを零す。

「いいのか? 伝説のメイドが男とケーキ食って」

「意外とばれないものなんです」

 「そうか」と言って、巧はアイスティーを飲みながらことりが作詞に使っているノートを開く。

 事情を聞くと――聞いていもいないのにことりが勝手に話したのだが――絵里の提案で、秋葉原で路上ライブをすることになった。アイドルファンの聖地と言われる秋葉原で満足のいくパフォーマンスができればμ’sの大きな宣伝になると見込んでのものだ。そこで、ライブで披露する曲の作詞は秋葉原のことをよく知っていることりへと白羽の矢が立った。

 ノートには「チョコレートパフェ美味しい」だの「生地がパリパリのクレープ食べたい」だの、ことりの趣味満載なフレーズが丸文字で書かれている。

「そんで作詞に手こずってるってか」

「何を書いたらいいのか、全然分からなくて………」

 チーズケーキを食べ終わったことりは名残惜しそうに空になった皿へと視線を落とす。まさか、まだ食べ足りないというのか。

「できもしないのに安請け合いするからだろ。まあ、黙ってバイトしてたツケが回って来たってこったな」

「はい……、だから断れなくて。それに………。何もないわたしをみんなが頼ってくれたことが嬉しくて、これだけは期待に応えたいんです」

「何もないってこたねーだろ。あんま自分を卑下すんな。何もないから何かする分、お前はまだマシだ。だらだら過ごしてる奴よりは見つかるものもある」

 巧がそう言うと、ことりは微笑を浮かべ細めた目で巧を見てくる。それが不意打ちのようで、巧は思わず身構えてしまう。

「何だよ?」

「穂乃果ちゃんの言ってた通り。乾さんて良い人だなって。ちょっと怖いけど」

「怖いは余計だ。大体な、俺だって何にもねーぞ。ファイズに変身すること以外、何やっても上手くできないしな」

「でも、アイロンがけが上手って穂乃果ちゃん言ってましたよ。あと猫舌ってことも」

「穂乃果の言うことなんてあてになるのかよ?」

「穂乃果ちゃんは人を見る目ありますよ。μ’sのみんなは良い人ばかりだし、乾さんだってこうしてわたしの相談に乗ってくれてますし」

「お前が無理矢理付き合わせてるんだろうが。そもそも俺と話して歌詞は思いついたのか?」

 この件の確信を突いた質問をしてみるのだが、ことりは苦笑を浮かべたまま視線を泳がせている。まさか本当にチーズケーキを食べるために連れてきたのか。

 気まずい沈黙を携帯電話のバイブ音が破る。ことりの携帯だ。待ってましたと言うように電話に出たことりは、通話相手との会話で驚いた表情をする。通話を切ると、ことりは巧に言った。

「穂乃果ちゃんが、バイト先のお店に行こうって」

「何でまた?」

「とっておきの方法があるみたいです」

 

 ♦

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 満面の笑顔でことりが言う。それに習って穂乃果が元気よく、海未が恥ずかしそうに同じ台詞を言う。

 穂乃果のとっておきの方法とは、ことりのバイト先であるメイドカフェに一緒に働いて一緒に考えるというものだった。穂乃果らしいといえば穂乃果らしい。これで本当に歌詞が思い浮かぶのかは疑問だが、気分転換としては巧とお茶をするよりはずっと良い。ことりも嬉しそうにメイド服を着る親友2人を見ている。

「たっくん、似合う?」

「似合う似合う」

「何か適当」

 むくれる穂乃果を尻目に、ソファでくつろぐ巧は興味なさげに水を飲む。ことりを送ったらすぐに帰るつもりだったのだが、既に店にいた穂乃果に捕まった。

「乾さんにメイド服姿を見てほしいんですよ」

 不機嫌な顔をする巧にことりはそう言っていた。彼女じゃあるまいし。メイド服に似合うも似合わないもあるのだろうか。

 しばらくして「にゃー!」と凛を先頭に他のμ’sメンバー達が入ってくる。

「秋葉で歌う曲なら、秋葉で考えるってことね」

 メイド服を着た3人を見て、絵里が納得したように言う。希は面白そうにメイド達へとビデオカメラを向ける。

「ではではー、早速取材を」

 「やめてください」と顔を赤くした海未がレンズに手をかざす。

「何故みんな――」

 「わたしが呼んだの」と穂乃果が言うと海未の文句は穂乃果へと移る。それを遮るように、巧の隣席で頬杖をつくにこが憮然と言った。

「それよりも早く接客してちょうだい」

「ああ、こちとら腹減ってんだ」

 巧も立て続けに言うと、海未は狼狽して視線を店内のあちこちへと泳がせている。接客業の経験はないらしい。もっとも、恥ずかしがり屋な海未に務まるとは思えないが。すっかり仕事に慣れていることりは、新しく来た客に対応している。

「さすが伝説のメイド………」

「ミナリンスキー………」

 仕事ぶりを見た花陽と凛がことりに尊敬の眼差しを向けている。店は混んできたのだが、慌てることなく仕事をこなすことりは楽しそうだ。彼女が客に向ける作っていない笑顔がそれを証明している。

「お待たせしました。乾さんにはサービスです」

 ことりは巧の前にオムライスを置く。巧はオムライスにケチャップで描かれたイラストを凝視しながら尋ねる。

「何だこれは?」

「ファイズです」

「丸に線引いただけじゃねーか」

 文句を言いながらも巧はファイズ、というよりもギリシャ文字のΦが描かれたオムライスをスプーンで掬い取る。出来立てのようでまだ熱い。巧が息を吹きかける様子を真姫が茶化してくる。

「ことり先輩にふーふーしてもらったら?」

「いらん」

 巧はやけくそ気味に息を強く吹きかけ口に入れる。だがまだ熱く悶絶していると、ことりがグラスの水を差し出してくれた。年上の慌てる姿が面白いのか、ことりは控え目に笑う。でも悪い気はしない。彼女は侮辱として笑っているのではなく、この場が楽しいから笑っているのだ。

「お前、ここにいると楽しそうだな」

「え?」

 近くで接客していた穂乃果が会話に加わってくる。

「うん、生き生きしてるよ」

 少しだけ驚いた顔の後、ことりは「うん」と穏やかな笑みを浮かべる。

「何かね、この服を着ていると、できるっていうか。この街に来ると、不思議と勇気が貰えるの。もし思い切って自分を変えようとしても、この街ならきっと受け入れてくれる気がする」

 次々と新しく生まれていくコンテンツ。それを取り入れていく秋葉原。街は万物を拒むことなく受け入れ、人々はその混沌を行き交う。この街には娯楽が溢れている。漫画やアニメ、そしてアイドル。でも時と共に流行や話題のコンテンツは変わっていく。この街の楽しみ方とは、それらの娯楽品や嗜好品の変遷を見ていくことなのかもしれない。

「そんな気持ちにさせてくれるんだ。だから好き」

 ことりの楽しんでいる様子が嬉しいのか、穂乃果も楽しそうに笑う。でもすぐにはっと目を見開く。

「ことりちゃん、今のだよ!」

「え?」

「今ことりちゃんが言ったことを、そのまま歌にすれば良いんだよ。この街を見て、友達を見て、色んなものを見て。ことりちゃんが感じたこと、思ったこと。ただそれをそのまま歌に乗せるだけで良いんだよ!」

 

 ♦

 夕刻の秋葉原は人が多い。日曜日ということもあって、昼間から街には人がごった返している。皆求めているのかもしれない。日常で感じる疲れを癒してくれる娯楽を。

 とりわけ人が多く集まる場所。そこには9人のメイドがいる。メイド服は、今回歌う曲のために用意されたμ’sの衣装だ。他の曲と比べたらシンプルだが、秋葉で歌うには相応しいと、絵里は言っていた。

 穂乃果の助言でことりは曲の方向性を見出したらしい。歌詞が完成するとすぐに真姫が作曲をこなし、衣装やライブ会場の手配がとんとん拍子に進んでいった。ことりのバイト先を中心としてチラシを配り、その甲斐あってこの日は昼間からμ’sのライブを観ようと行列ができていた。ネット上で人気が急上昇しているだけあって、なかなかの盛況ぶりだ。

 ライブ開始が近い頃、ことりのバイト先でくつろいでいた巧は窓から街を見下ろす。多くの人々が会場である一角の路上へと集まっていく。開始が近いこともあって皆急ぎ足だ。そのなかでゆっくりとした足取りの者は目立つ。巧の視線はゆっくり、というよりもふらついた足取りというべき男へと固定される。見覚えのある男だ。その顔はこれからのライブを楽しみしているとは思えないほど鬼気迫っている。

「ご馳走さん」

 清算を済ませて巧は店を出る。男はすぐに見つかった。人に娯楽をもたらすこの街で、彼の悪鬼のような形相は目立つ。巧は行く手を塞ぐように、男の前に立つ。人々は既にμ’sのもとへと行き去っていた。

 巧がファイズギアを腰に巻くと、男の眉間に刻まれたしわが更に深くなる。

「ファイズ………」

 男の顔に禍々しい筋が浮かび上がる。

 この街は万物を受け入れる。人も娯楽も、そして夢も。だが、街が受け入れても巧は受け入れない。

 男はフライングフィッシュオルフェノクに変身した。

 5・5・5。ENTER。

『Standing by』

「変身!」

『Complete』

 巧はファイズに変身した。咆哮と共に繰り出してきたフライングフィッシュオルフェノクの拳を払い落とし、肩と首根っこを掴んで引きずり込んでいく。人気の少ない路地裏へ入ったところで、ファイズはフライングフィッシュオルフェノクの顔に拳を見舞う。反撃とばかりに、フライングフィッシュオルフェノクは腹に蹴りを入れてきた。

 よろめいたファイズは続けざまに振り下ろされた拳を避け、背後に回って両肩を掴み脇腹を膝で蹴り上げる。呻き声をあげる敵に何度も拳を打ち付けるが、攻撃する度に違和感を覚えていく。

 フライングフィッシュオルフェノクは全く痛みを意に介していない様子なのだ。ファイズが何度も顔面を殴っても、防御することなくファイズに攻撃を仕掛けてくる。そもそも、このオルフェノクが近接戦をすること自体が異常だ。以前使っていたボウガンを手に取る気配がない。

「何だ、こいつっ………」

 顔面に肘打ちを食らい数歩よろけたフライングフィッシュオルフェノクが咆哮をあげた。まるで獣のようだった。知性も意思もなく、ただ本能のまま獲物を食おうとするようだ。これがオルフェノクの本性だというのか。

『Ready』

 ミッションメモリーを挿入したショットを装備し、フォンのENTERキーを押す。

『Exceed Charge』

 フライングフィッシュオルフェノクが走り出す。ファイズはゆっくりと腰を落としてショットを装着した右手を引く。こちらが攻撃の体勢を取っているというのに、フライングフィッシュオルフェノクは全く警戒の素振りを見せない。ただ猛進してくるだけだ。

 灰色の拳が振り下ろされるよりも一瞬早く、ファイズはその胸にグランインパクトを放った。凄まじいパワーで拳が深々と灰色の胸に沈み、臓器と筋肉を突き破っていく。フライングフィッシュオルフェノクの腕と頭がだらりと下がった。続けて青い炎が燃え上がり、やがて焼き尽くされて灰になる。

 崩れた敵の残骸を一瞥し、ファイズはゆっくりと歩き出す。

 少し離れたところから歌が聞こえてくる。万物を受け入れるこの街が好きという気持ちを歌った曲が。

 ファイズは変身を解除した。生身になった掌には灰が付いている。それが倒した敵のものか自分のものか、巧には分からなかった。


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