ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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 「555」色の強いエピソードが続いたので、今回は「ラブライブ!」色の強い回です。それとやっぱり長いです。この両作品のバランスを取るところがクロスオーバーの難しいところと痛感しました………。


第9話 やりたいことは / 守りたいものは

「おやすみい………」

 間の抜けた声をあげてテーブルに顔を埋めた穂乃果の襟首を海未が即座に掴んで持ち上げる。「うぐっ」と詰まった声と共に穂乃果の頭が再び上げられる。

「まだです。次はこのページの問題を解いてください」

「せめておやつだけでも――」

「駄目です!」

「せっかくたっくんが持ってきてくれたのに………」

 何で自分はこの光景を見せられているのか。冷たいお茶を飲みながら、巧は海未にペンを持たされる穂乃果を呆れながら見つめる。

「俺も寝たいんだけどな」

「乾さんも穂乃果が寝ないよう見張っていてください。ちょっと目を離したらすぐ居眠りするんですから」

 高坂母に頼まれて夜食を持ってきたが余計なお世話だったようで、テーブルの隅に追いやられた饅頭は手付かずのままだ。

 期末試験まであと3日の今日から海未が泊まり込みで穂乃果に勉強を教えることになったのは本人から聞いている。それは別に構わないのだが、こうして巻き込まれている巧にとってはたまったものじゃない。人に教えられるほど学を修めていない巧は戦力外のはずだ。

「それとせっかくですが、夜食は下げていただいて結構です。夜の間食はダイエットの敵ですので」

 それじゃ遠慮なくとばかりに巧は皿に乗った穂むら饅頭を食べた。それを見た穂乃果が「あー!」と叫ぶ。

「食べようと思ってたのに。たっくんの鬼!」

「食ったら太るぞ」

「鬼い………」

 泣きべそをかきながら穂乃果はノートにペンを走らせる。止まれば海未が公式を教え、言われた通りの計算式を穂乃果は書いていく。

 咥内に残ったあんこを舌でなめとりながら、巧は立ち上がって襖を開ける。

「乾さん、まだ――」

「すぐ戻る」

 本当なら部屋で寝たいが、泊まり込みだから翌朝に海未から文句を言われることは目に見えている。だから巧は言った通りすぐに戻った。アイロンがけの道具一式と服を何着か持って。

 勉強している穂乃果と海未を横目に巧はアイロン台に服を広げる。服のしわを伸ばす巧の手捌きに海未は意外なものを見るような視線を向けている。

「穂乃果から聞いてはいましたが、本当にアイロンがけが上手なんですね」

「クリーニング屋でバイトしてたからな」

 高坂家で暮らすようになってから、暇さえあればアイロンがけばかりしているような気がする。色々と気になることはあるが、何かしている時は気が紛れる。

「その頃も、オルフェノクと戦っていたんですか? 誰かの夢を守るために」

 「ああ」と巧はアイロンをかけながら答える。海未には目もくれていないから、彼女がどんな顔をしているか分からない。

「戦って、その夢は守れたんですか?」

 その質問にはすぐに答えることができない。正直、守れたのかは巧自身にも分からない。巧が守ったとしても、夢を叶えることができるかは夢を抱いた本人次第だ。夢に向かって邁進するか、それとも諦めるか。その決断に巧が介入する余地はない。だとすれば、かつての戦いに意味はあったのだろうか。結局自分がやってきたことは、オルフェノクという憐れな命を悪鬼の如く蹂躙してきただけではないのか。

「さあな」

 それが現時点で出せる回答だ。そういえば、木村沙耶(きむらさや)にも似たような質問をされた。3年経っても、彼女への答えは出せないままだ。全く成長していない。だから、巧は彼女のときと同じ回答をする。

「気が向いたら答えてやるよ。そのとき俺が生きていたらな」

 悪いな、と巧は沙耶への謝罪を秘める。10年後も生きてほしいという彼女の願いも叶いそうにない。

 しわが伸びた服を畳んだところでようやく視線を上げる。巧と視線が合った海未の目は何か言いたげだが、また質問されたところで答えてやれるか自信がない。だから巧は彼女の意識を逸らすために一言を投じる。

「おい、穂乃果寝てるぞ」

 海未は慌てて視線を横へ移す。視線の先にいる穂乃果はいつの間にか広げたノートに突っ伏して寝息を立てている。巧はアイロンの蒸気を吹かした。しゅー、という音で穂乃果は「うわあっ」と目を覚ました。

 その後の海未は二度と穂乃果から目を離すまいと彼女に付きっきりで、巧に何も聞くことはなかった。

 

 ♦

 理事長室に呼び出されるときはいつも憂鬱になる。あの理事長から今度は何を要求され、何を聞かされるか。巧にとって都合の良い話でないのは確かだ。理事長との会話は発言に気を遣わなければいけない。巧には絶対に明かしてはいけないことがあり、それを秘匿するために神経を擦り減らす羽目になる。

 この日もそれは例外ではない。とはいえ、巧が情報の開示を求められなかった分は前の2回より楽な方だ。ただ理事長が学校運営について、今後の方針を話すという場だった。学校をオルフェノクから守る身として巧も知るべきことらしい。だが理事長から告げられたものは余りにも酷なもので、巧と同席していた絵里は耐えかねて声を荒げる。

「そんな……、説明してください!」

 「ごめんなさい」と理事長はまず謝罪を述べて「でもこれは決定事項なの」と付け加える。理事長は更に淡々と続けた。

「音ノ木坂学院は来年より生徒募集を止め、廃校とします」

 不意にドアが勢いよく開く音が聞こえる。振り返ると穂乃果を先頭にμ’sの面々がいる。練習着を着ていることから期末試験の赤点は無事に回避されたようだ。

「今の話、本当ですか? 本当に廃校になっちゃうんですか?」

 穂乃果と、彼女に続いて海未とことりが慌てた足取りで近付いてくる。その気迫に押されて巧と絵里は無意識に机の前を空けてしまう。

「本当よ」

 毅然とした態度を崩さず理事長は答える。

「お母さん、そんなこと全然聞いてないよ」

 ことりが今にも泣きそうな顔で抗議する。冷たいとは思うが、いくら娘とはいえまだ生徒に公表していない事項を明かすわけにはいかないのだろう。

「お願いします。もうちょっとだけ待ってください!」

「おい――」

「あと1週間……。いや、あと2日で何とかしますから!」

 巧の制止も聞かずに穂乃果は続ける。どうやら少しだけ勘違いしているらしい。それを察した理事長は「いえ、あのね……」と緊迫していた表情を緩めた。

「廃校にするというのは、オープンキャンパスの結果が悪かったらという話よ」

 拍子抜けした表情の穂乃果は「オープンキャンパス………?」と反芻する。2週間後に催される中学生向けの学校見学会だ。

「やっぱり早とちりしてたのか」

 巧が呆れた顔で言った。

「見学に来た中学生にアンケートを取って、結果が芳しくなかったら廃校にする。そう絢瀬さんと乾さんに言っていたの」

 理事長が一通りの説明を終えると、穂乃果は「何だ……」と漏らす。それを見逃すまいと絵里は「安心してる場合じゃないわよ」と険のこもった顔を向ける。

「オープンキャンパスは2週間後の日曜日。そこで結果が悪かったら本決まりってことよ」

 「どうしよう……」とうろたえる穂乃果達を尻目に、絵里は「理事長」と再び机の前に立つ。

「オープンキャンパスのときのイベント内容は、生徒会で提案させていただきます」

「止めても聞きそうにないわね」

 理事長がそう言うと、絵里は「失礼します」と一礼して理事長室を出ていった。出ていく彼女の背中を穂乃果とことりは自分達の前に立ちはだかる壁と見ているようだが、海未だけは2人と異なる眼差しを向けていた。

 

 ♦

「とにかく、オープンキャンパスでライブをやろう。それで入学希望者を少しでも増やすしかないよ!」

 

 焦りを含む穂乃果の呼びかけで、その日の放課後練習はメンバー全員の普段よりも強い気合を感じた。屋上には海未の手拍子と、それに合わせた穂乃果の掛け声が響き渡る。客目線での意見も欲しいと練習に付き合わされた巧は一定のリズムで手を叩く海未の隣に立ち、ステップを踏むメンバー達を眺める。

 やがてフィニッシュを迎えると、穂乃果は両拳を握って「よし」と頷いた。

「おおー、皆完璧!」

 確かに完璧だ。ひとりもリズムを外すことなく、それぞれの立ち位置も乱れがない。巧の素人目から見れば、特に改善すべき点はない。そう、巧から見れば。

「良かった。これならオープンキャンパスに間に合いそうだね」

 ことりが安心したように言う。「でも」と顔の汗を拭った真姫が切り出す。

「本当にライブなんてできるの? 生徒会長に止められるんじゃない?」

「それは大丈夫。部活紹介の時間は必ずあるはずだから。そこで歌を披露すれば――」

「まだです」

 ダンスの出来について特に話すことのないメンバー達。後は本番に臨むだけという満足感が窺えることりの言葉を遮って、海未は静かに告げた。

「まだタイミングがずれています」

 「海未ちゃん……」と穂乃果は言うが、抗議するつもりはないようだ。

「分かった。もう1回やろう!」

 再び海未は手拍子を刻み始める。メンバー達は何度反復したかも分からないステップを踏み、一通り踊ると再び穂乃果は「完璧!」と言った。他の面々も満足そうに笑みを浮かべて互いに褒め合っている。だが海未だけは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、隣にいる巧に尋ねる。

「乾さん、どうですか?」

「俺から見れば上出来だ。でも――」

 巧は最後だけ言葉を濁す。そこから先は巧ではなく海未が告げるべきだ。巧があごで促すと、海未はメンバー達に「まだ駄目です」と告げる。凛が肩を落として呻くように言う。

「もうこれ以上は上手くなりようがないにゃ………」

「駄目です。それでは全然――」

 苛立ちが表情に出ている真姫が海未に詰め寄った。

「何が気に入らないのよ? はっきり言って」

「………感動できないんです」

 「え?」と真姫は困惑を見せる。真姫だけじゃなくて他のメンバー達もだ。指摘としてはかなり抽象的だ。でも海未の言っていることは正しい。以前と比べればμ’sのダンスはクオリティが上がっている。だがそれは素人から始めたからだ。反復練習すればそれなりの出来になる。でも、海未が求めているものは「それなり」ではなく、「感動できる」ダンスだ。

 巧も見た、希から渡されたプレイヤーの画面内で踊る幼い絵里。人を惹きつけるダンスを見た巧と海未にとって、μ’sのダンスが素人と言われても否定できない。彼女らはまだ始めたばかり。よくやっている。そんな上辺だけの慰めで取り繕うことはできないのだ。

「今のままでは………」

 海未の声はか細く弱々しいが、はっきりと聞こえていた。

「今のままでは駄目です。このまま練習を続けても、きっと意味はありません」

 「じゃあどうするのよ?」とにこが噛みつくように聞いてくる。海未は巧を一瞥する。何も言わない巧と視線を交わした後に、海未は明確に、端的に言った。

「生徒会長にダンスを教わろうと思います。あの人にはバレエの経験があります」

 「えー!?」とメンバー達は一斉に驚愕の声をあげた。海未は続ける。

「あの人のバレエを見て思ったんです。わたし達はまだまだだって」

 「でも……」と花陽がおそるおそる口にする。

「生徒会長、わたし達のこと……」

「嫌ってるよねー絶対」

 濁した最後の部分を凛が代弁する。せっかく花陽がオブラートに包もうとしてくれたのに台無しだ。

「つーか嫉妬してるのよ嫉妬」

 にこも不満をまくし立てる。このままだと絵里への不満合戦へと発展しそうだ。それを阻止するためか、海未は話の軌道を修正させる。

「わたしもそう思ってました。でも、あんなに踊れる人がわたし達を見たら素人みたいなものだって言う気持ちも分かるのです」

 「そんなに凄いんだ」とことりが言う。続けて真姫が「わたしは反対」と鋭く言い放つ。

「潰されかねないわ」

 生徒会長という役職にどれほどの権限があるかは知らないし、潰すなんて物騒な事態へ乗り出すかは分からない。でも、少なくとも絵里はμ’sを認めないだろう。

 素人の集まり。アイドルの真似事。紛い物の歌とダンス。その言葉の針を突き刺し、穂乃果達の心を折ってしまうかもしれない。

 「そうね」とにこが真姫に同意した。

「3年生はにこがいれば十分だし」

「生徒会長、ちょっと怖い………」

「凛も楽しいのがいいなあ」

 口々に出る意見に、海未も「そうですよね……」と口調が弱くなる。流石に反対が多数を占めれば、あまり押しの強くない海未がこれ以上提案を通すことは難しい。そう思っていたところに、穂乃果の言葉がするりとメンバー達の間を駆け巡った。

「わたしは良いと思うけどなあ」

「ええ!?」

 「何言ってんのよ!」とにこが言う。何となく、穂乃果ならそう言うだろうと巧は思っていた。目標へ迷うことなく進む彼女なら、考えるよりもまず行動するはずだ。

「だって、ダンスが上手い人が近くにいて、もっと上手くなりたいから教わろうって話でしょ?」

 「そうですが――」とその話を切り出してきた海未が応える。すると穂乃果は笑みを浮かべた。

「だったら、わたしは賛成! 頼むだけ頼んでみようよ」

「ちょっと待ちなさいよ!」

 にこが抗議しようとしたが、「でも――」とことりは照れ臭そうにそれを止めた。

「絵里先輩のダンスはちょっと見てみたいかも」

 「それはわたしも」と花陽が少し興奮気味に言う。穂乃果は「ようし!」と語気に力を込めた。

「じゃあ、早速明日聞いてみよう!」

 

 ♦

 校舎からは甲高い女子特有の声が漏れている。窮屈な授業から解放される昼休みを満喫している彼女らの笑い声や、時には怒声が聞こえてくる。卒業し時が経つと、彼女達は学生時代に当たり前と思っていた日々に想いを馳せるようになるのだろうか。卒業アルバムを物憂げに眺めていた高坂母のように。

 これが青春か、と巧は寂しい感慨を覚えながら、ひとりだけの休憩室でペットボトルのお茶を飲む。巧には学生時代の思い出が殆どない。友人なんていなかったし、惰性で日々を過ごしていた。そうして何も起きず、自分から何も起こさずに過ごしているうちに中学を卒業した。巧の学生時代は中学で終わりだ。高校には進まず、すぐ旅に出たからだ。行く先々でバイトをして日銭を稼ぎ、免許を取れる年齢になると自動二輪の教習所に通い、免許を取得したらバイクを購入した。

 色々なところへ行けば夢が見つかるかもしれない。そんな仄かな期待を持って気の向くままに旅をしていたのだが、結局見つからなかった。人と深く関わること、心を通わせることを避けていたから当然かもしれない。向けられる好意が、自分の正体を知られたときに恐怖や嫌悪に変わってしまうことが怖かった。惰性で過ごした学生時代と何も変わらない。巧は他人の好意を撥ねつけ、ひとりでだらだらとバイクを走らせていた。

 そんな頃だ。巧と同じメーカーのバッグを手に旅をしていた真理と出会ったのは。

「乾さん」

 落ち着いたその声で巧の意識が過去から現在へと引き戻される。振り向くとドアの前に希が立っていて、「お邪魔してもいいですか?」と尋ねてくる。

「何の用だ?」

 面倒臭そうに質問を返すも、希は気を悪くした様子はおくびにも出さずに真面目な表情をする。

「乾さんに、エリちを助けてほしいんです」

「何だよ、やぶからぼうに」

 希は靴を脱ぎ、畳の上で正座して巧をじっと見つめてくる。巧はその視線から逃げるように顔を背けた。

「エリちはきっと、好きなことしてる穂乃果ちゃん達が羨ましんやと思うんです。義務感が強すぎていつも自分の気持ちは後回しだから、いつか必ず限界が来る。生徒会長になったのも、先生から言われて引き受けたんです」

「俺にどうこうできる問題か? 他人が口出しすることじゃねーし、友達のお前がやればいいだろうが」

 憮然と巧が言い放つと、希は目蓋を落とした。笑みを浮かべてはいるが、どこか寂しさを感じる声色で「そうですね」と呟く。

「うちもそうしたい。でも、うちに解決できることやない。でも、乾さんならできると思います」

「どうしてそう思うんだ。またカードか?」

「それもあるけど、乾さんはオルフェノクと戦ってたくさんの人達を救ってきたやないですか? だから、エリちも救ってくれる」

 向けられた言葉にどう返せばいいかすぐには浮かばない。逡巡を挟んで巧は言う。

「確かに救ってきたさ。でも、その分救えなかった奴もいる」

「救えなかったことを悔やむより、救えたことを喜んだ方がええんと違います?」

「………そんな風に考えられたらいいんだけどな」

 重苦しい雰囲気になってきた。年端もいかない少女に聞かせるには酷な話から逃れるために、巧は結んだ口を開く。

「絢瀬、もうバレエやってないのか?」

「ええ。うちも詳しくは聞いてないんやけど、きっと壁にぶつかったんだと思います」

「そうか。で、あいつを助けるって何すればいいんだ?」

 そう尋ねると希は驚いたように垂れた目蓋を上げる。頼んできたのはお前だろ、と思いながら巧は返答を待つ。口をしばし半開きにした後に、希は答える。

「エリちに、自分の正直な気持ちに気付かせてあげてほしいんです。方法は乾さんに任せます」

「ああ、取り敢えずやれることはやってやるよ。上手くできるか保証できないけどな」

 巧はそう言ってお茶を飲む。希は巧を見てくすりと微笑した。「何だよ?」と聞くと、希は安心したのか穏やかな顔をする。

「やっぱり、カードは正しかったんやと思って。乾さんは、きっと運命や宿命を超えたものをもたらしてくれる」

「気のせいだろ。俺にそんなもんはない。今だって運命ってやつに逆らえずにいるからな」

 「でも」と希は反論する。穏やかだが、確信めいた力強さのある声だった。

「乾さんなら、その運命も変えることができます。これはカードやなくて、うちの勘やけど」

 

 ♦

 引き受けたものの、どうすればいいのか。

 午後の仕事中、巧の思考はそのことに大半を占められていた。ファイズとして戦い、命をいくつも救ってきたことは事実だ。でも、救おうとして救ってきたわけじゃない。結果的に、偶然救えたのだ。引き換えとして、救おうとした者に限って救えなかった。だから絵里を救おうと試みたところで自分にそれができるのか。巧には自信が持てない。

 だから、巧は自分が直接的に絵里を救うことを問題の範疇から外すことにした。これでも上手くいくかは分からない。微かな怖れを隠しながら、仕事を終えた巧は生徒会室の引き戸をノックする。「はい」と奥から絵里の声が聞こえてくる。巧が黙って引き戸を開けると、絵里が訝しげな、希が嬉しそうな視線を投げかけてくる。今日の活動を終えたのか、部屋には2人しかいない。

「何の用ですか?」

 窓際の長椅子に腰掛けていた絵里は立ち上がり、巧の前へと移動しながらそう聞いてくる。昼休みに希が訪ねて来たときの自分も同じ態度だったな。自分の態度を少し反省しながら、巧は前振りもなく告げる。

「穂乃果達にダンスを教えてやってほしい」

「あの子達に言われたんですか?」

「いや、俺が勝手にしてることだ。まあ、あいつらも直接頼みに来るかもしれないけどな。あいつらも廃校を止めるために頑張ってんだ。協力ぐらいしてやってもいいと思う。お前自身のためにもな」

「どうして、それがわたしのためになるんですか?」

「見てられないんだよ。お前みたいに頑固な奴は」

「まるでわたしのことを理解しているみたいな口振りですね」

「そんなんじゃねえよ。俺の知り合いが、お前に似ててな」

 語るべきか一瞬だけ迷いが生じたが、巧は告げることにした。的外れかもしれないが、それでこのブロンドの少女から彼と似た影を取り除けるなら安いものだ。

「そいつはオルフェノクだった。オルフェノクだったけど、人間を守ろうとして、人間とも分かり合えると信じてた。でも奴の仲間――オルフェノクの仲間が人間に殺されて、奴はそれまで信じたものを否定した。しまいには人間を滅ぼそうとした」

「その人は、どうなったんですか?」

 絵里はおそるおそる聞いてくる。巧は淡々と答える。

「死んだ。オルフェノクの王と戦ってな。人間を滅ぼそうとはしたけど、やっぱり奴は人間でありたかったんだと思う。だから一緒に戦ってくれた」

 そう告げると、絵里はどう言葉を述べるべきか迷った表情をしている。でもすぐにいつもの険しい顔つきになって、質問を重ねてくる。

「その人とわたしのどこが似ているんですか?」

「何ていうか……、お前も奴みたいに無理してるような気がしてな。自分の気持ちには正直になった方がいいぜ。手遅れになる前にな」

「わたしは無理なんてしていません。無理してるのはあなたの方ではないですか? 罪を背負うと言っておきながらファイズとして戦う理由は何です? あなたには変身する資格があるから、その義務のために戦っているんじゃないんですか?」

「それは………」

 答えに迷ってしまう。いつもそうだ。自分のことを聞かれるときはどう答えればいいのか分からない。正直に言えばいいのかもしれないが、言ってしまえばどうなるか怖れてしまう。

 しばらく黙っていると都合よく引き戸からノックの音が聞こえる。巧が「ほら」とあごで指すと、絵里は府に落ちないと表情で主張しながらも引き戸を開ける。生徒会室の前には穂乃果、海未、ことりが立っていた。

「あなた達……。何しに来たの?」

 口を開いたのは、真ん中に立つ穂乃果だ。

「生徒会長、わたし達にダンスを教えてください。お願いします」

「わたしにダンスを……?」

「はい。わたし達、上手くなりたいんです」

 絵里は一旦穂乃果から顔を背け、部屋のなかにいる巧へと振り返る。穂乃果が巧に気付き驚いた顔をするが、何も聞かずに絵里の返答を待っている。絵里は巧と視線を交わすも、無言のまま穂乃果へと視線を戻した。

「分かったわ」

「本当ですか?」と穂乃果は嬉しそうに言った。

「あなた達の活動は理解できないけど、人気があるのは間違いないようだし。引き受けましょう」

 絵里がそう言うと、不安げな顔をしていた海未の顔から笑みが零れた。良かった、と巧は内心で胸を撫で下ろす。絵里を救うのは巧ではなく、穂乃果達だ。自分と関われば否応にもオルフェノク、ひいてはスマートブレインを引き付けてしまう。だから、彼女達と巧は切り離さなければならない。そうすれば、絵里は平和な日常に留まることができる。

 「でも」と絵里は続ける。

「やるからにはわたしが許せる水準まで頑張ってもらうわよ。いい?」

 「はい、ありがとうございます!」と穂乃果は答えた。

「星が動き出したみたいや」

 巧の隣で絵里の背中を眺めていた希が、巧にしか聞こえない小さな声でそう呟いた。

 

 ♦

「全然駄目じゃない。よくこれでここまで来られたわね」

 屋上では絵里の棘のような言葉が響いている。絵里が指導を了承するとすぐに練習を始めたのだが、自分達の壁として立ちはだかる生徒会長がダンス指導を務めるということに緊張しているのか、絵里に現在の出来を見せるために踊ったダンスはどこか動きがぎこちない。

「昨日はバッチリだったのにー!」

 ステップを踏み外して尻もちをついた凛がそうぼやく。

「基礎が出来てないからむらがでるのよ。脚開いて」

 「こう?」と凛が座ったまま開脚して両手を床につくと、絵里は凛の背中を力いっぱい押した。すぐに凛の上半身が動きを止め、涙を浮かべながら「痛いにゃー!」と叫ぶ。その様子を巧は意外に思いながら見ている。凛は運動が得意と聞いていたから柔軟性はあると思っていた。

 泣き喚く凛の背中を絵里は容赦なく押し続ける。

「これで? 少なくとも脚を開いた状態でお腹が床につくようにならないと」

 ようやく凛の背中から手を放し、絵里は他のメンバー達にも告げる。

「柔軟性を上げることは全てに繋がるわ。まずはこれを全員できるようにして。このままだと本番は一か八かの勝負になるわよ」

 メンバー達は不安げに、時には疎ましげな視線を絵里に向けている。だがそれでも指導を頼んだのは自分達だ。それを理解しているようで、文句は言わなかった。絵里のレッスンは容赦がない。メンバーの姿勢が崩れると素早く指摘して修正させ、いくら苦しい顔をしても次の練習メニューを提示してくる。

 体幹を鍛えるために片足でバランスを保っている途中、あと1セット残っているところで花陽の足がもつれた。既に披露で足元がおぼつかなかった花陽にもう体勢を立て直す体力は残っていなかったようで、崩れるように倒れる。

「かよちん大丈夫?」

 凛が花陽の体を起こそうとする。他のメンバー達も心配そうに視線を花陽へ集中させる。ただひとり、そんな素振りを出さない絵里は冷たく告げた。

「もういいわ。今日はここまで」

 メンバー達の視線が花陽から絵里へと移った。「ちょ、何よそれ!」とにこが、「そんな言い方ないんじゃない?」と真姫が口々に言う。彼女らの文句に絵里は応える。

「わたしは冷静に判断しただけよ。自分達の実力が少しは分かったでしょ?」

 確かに的を射ている。花陽の体力はもう限界だ。明日になれば筋肉痛で思うように動けないだろう。悪戯にハードな練習をさせて体を壊してはいけない。絵里はそれだけのモラルは持っているようだ。

「今回のオープンキャンパスには、学校の存続が懸かっているの。もしできないっていうなら早めに言って。時間が勿体ないから」

 背を向けてドアへと歩き出す絵里を「待ってください」と穂乃果が止める。真剣な顔つきは他のメンバー達にも伝播していき、絵里は身構えるように目つきを鋭くして振り返る。

「ありがとうございました!」

 穂乃果のその言葉が意外だったようで、絵里は「え?」と困惑した顔を見せる。文句を言われると思っていたのだろう。でも、穂乃果は決してそんなことをしないと巧は知っている。彼女のなかにあるのは、上手くなりたいという純粋な熱意だ。厳しくても、自分達のダンスを向上させるために協力してくれた絵里に文句をつけるほど性根は腐っていない。

「明日もよろしくお願いします!」

 「よろしくお願いします!」と、他のメンバー達も穂乃果に続いた。絵里はしばし彼女らを凝視した後に、無言のままドアを開けて校舎へと入っていった。

 絵里の背中が少しだけ小さく見えた気がした。

 

 ♦

「いたたたたた! 雪穂もっと優しく!」

 脚を開き背中を雪穂に押してもらいながら、穂乃果は放課後の凛と似た悲鳴をあげる。雪穂は遠慮なしに姉の背中を押している。

「お風呂上りにストレッチするように、生徒会長さんから言われたんでしょ? しっかりやらないと明日筋肉痛になるよ」

 そう言って雪穂は更に力を込めて背中を押す。「いたたたた!」と穂乃果は痛みに悶絶し、脚を小刻みに震わせる。

「お前少しは静かにしろよ」

 テレビを観ていた巧が文句を言うと、雪穂の手から解放された穂乃果は「ごめん………」とうなだれる。雪穂はため息をついた。

「そこまでやって辛くないの?」

 妹の質問に穂乃果は答える。その目から迷いは感じられない。

「確かに辛いし、体中痛いよ。でも、廃校を阻止したいって気持ちは生徒会長にも負けないつもり」

 穂乃果の顔を巧は羨ましさを感じながら見つめる。目標に向かって突き進める純粋さが自分にも欲しいと思った。彼女がとても眩しく見えて、まるで自分の影が濃くなっていく気がする。

「俺はもう寝る」

 巧はそう言って立ち上がる。「わたしも」と雪穂も巧の後に続いて居間を出た。「もうちょっと付き合ってよー」という穂乃果の声は無視して。

 階段を上りながら、巧の後ろを歩く雪穂は愚痴を零す。

「本当、あんな調子でオープンキャンパスのライブ成功するのか心配ですよ。わたしも行くんだから恥ずかしいもの見せないでほしいです」

「雪穂、オープンキャンパス来るのか。お前UTX受けるんじゃなかったのか?」

「まあ、友達に誘われてですけど。その子がμ’sのファンで」

「そうなのか。まあ、一度見てみればいいさ。お前が思ってるよりもしっかりやってる」

 雪穂は自室の襖の前で立ち止まり、さっきよりも深くため息をつく。

「どうでしょうね。お姉ちゃんはともかく、わたしまでみっともないところ周りに見せたくないので。だから………」

 言葉を詰まらせた雪穂は視線を下ろす。すぐに上げた顔は夜でも分かるほどに頬が紅潮している。

「だから、わたしの制服もアイロンかけておいてください」

 予想もしていなかった要求だ。巧は一瞬だけ僅かに目を見開き、そして少しだけ頬を緩める。雪穂はそんな巧の顔を意外そうに見た。思えば、雪穂の前で穏やかな顔をしたことは初めてかもしれない。

「ああ、いいぜ」

 

 ♦

 朝の学校はとても静かだ。普段は生徒達の声が絶え間なく響くものだから、静寂がより引き立っている。始業2時間前だから、部活の朝練がある生徒以外はまだ登校していない。

 朝のうちに片付けなければならない階段の補修を済ませた巧は、まだ眠気の残る目をこすりながら廊下を歩く。少し仮眠でも摂ろうと休憩室を目指していたところで、その声は聞こえた。

「うちな」

 「希」と別の声が聞こえる。巧は咄嗟に曲がろうとしていた廊下の角に隠れ、顔半分を出して声の方向を覗く。希と絵里がいた。普通に談笑しているのなら素通りすればいいだけなのだが、どうやら今の2人からそんな楽しげな雰囲気は見受けられない。

「エリちと友達になって一緒に生徒会やってきて、ずっと思ってたことがあるんや」

 静かな朝の廊下で希の声はささやくように穏やかだが、はっきりと聞こてくる。

「エリちは、本当は何がしたいんやろうって」

 「え?」と絵里が漏らす。希は続ける。

「一緒にいると分かるんよ。エリちが頑張るのはいつも誰かのためばっかりで。だから、いつも何かを我慢してるようで、全然自分のことは考えてなくて――」

 希の声に、少しずつだが感情がこもってくる。絵里はそっぽを向いて歩き出す。でも希の言葉の連なりは止まることがない。

「学校を存続させようっていうのも、生徒会長としての義務感やろ! だから理事長はエリちのこと認めなかったんと違う?」

 まるで今まで溜め込んできたものを吐き出すように、希の口数は多くなる。動揺している絵里の様子から、こんな風に希が絵里を問い詰めるようなことはなかったのだろう。巧に頼んでおきながら、自分に口出しできることじゃないと言っておきながら、希も我慢ができなかったのかもしれない。それでいいと思う。本音で語り合えない友達なんて、本当の友達と言うべきか疑問だ。同時に本音を言っているからこそ、希は本当に絵里の友達なのだ。

「エリちの……、エリちの本当にやりたいことは?」

 2人の間に沈黙が訪れる。それを埋めるように遠くから声が聞こえる。穂乃果の声だ。続けて海未の手拍子と掛け声が。

 「何よ……」と絵里はぼそりと呟く。

「何とかしなくちゃいけないんだからしょうがないじゃない!」

 絵里は声を荒げた。普段は落ち着いている彼女からは想像できない声色だった。覆うものもなく、絵里の感情が露になっている。

「わたしだって、好きなことだけやって、それだけで何とかなるならそうしたいわよ!」

 巧から絵里の顔は見えない。彼女のポニーテールに纏めたブロンドの影から見える希はとても悲しそうな顔をして、次に戸惑いの表情を浮かべている。

「自分が不器用なのは分かってる。でも………」

 絵里の声は怒っているようなのだが、同時に震えている。何となく、巧には絵里がどんな顔をしているのか想像できた。今まで押し殺し、気付かない振りをしていた気持ちに向き合わされた絵里にとっては酷かもしれない。でも、絵里に必要なのは心に自らが課した覆いを取り払うことだ。

 そして絵里は、自分の素直な気持ちをさらけ出した。震える声で。

「今更アイドルを始めようなんて……、わたしが言えると思う………?」

「言っていいに決まってんだろ」

 衝動的に、廊下の影から出てきた巧が答える。咄嗟に振り向いた絵里は泣いていた。慌てて涙を乱暴に拭っているが、止まる気配がない。これは2人の問題だ。分かってはいるが、我慢できるほど巧は成熟しきっていない。

「お前がそうやって我慢して学校が存続できたとして、東條が喜ぶと思うか? 何とかするのに苦しむのと楽しむの2択だったら楽しいほう選んで何が悪いんだ?」

 巧はゆっくりと歩きながら言う。

「まだガキなんだ。やりたいことやればいいし、夢見たっていい。生徒会長だからって我慢する理由にはならねえよ」

涙を流し続ける絵里は首を横に振った。

「わたしはもう、夢なんて………」

 絵里は走り出した。これ以上見られたくないのか、顔を伏せて巧の横を過ぎ去っていく。静かな廊下には絵里の足音だけが響き、やがてそれも小さくなって聞こえなくなっていく。

「乾さん……」

 希が沈んだ声で呼んでくる。垂れた目尻には滴が浮かんでいる。

「やっぱり、うちじゃエリちを助けられないみたいです」

「ああ、俺達だけじゃ無理だ」

「え?」

 あの石頭な生徒会長は説得なんて応じそうにない。だから強引なくらいが丁度いい。それに適役な彼女達がいる方へ視線を向け、巧は言った。

「屋上行くぞ」

 

 ♦

 3年生の教室には絵里しかいない。孤独が落ち着くのか、自分の席に座る彼女は力の抜けた顔を窓へ向けている。その碧眼は外の景色ではなく、窓ガラスに移る自分の顔を眺めているように思える。

 随分と気を抜いていたらしく絵里は自分の視界にその手が差し伸べられるまで、彼女達と彼の存在に気付いていないようだった。絵里は差し伸べられた手を、その手を伸ばす少女へ視線を移す。

「あなた達………」

 いつもの険しい顔の生徒会長としての振る舞いになった絵里に、穂乃果は告げる。

「生徒会長。いや、絵里先輩。お願いがあります」

「練習? なら昨日言った課題をまず全部こなして――」

 分かっているだろう、と巧は内心で呆れる。そうじゃない、とばかりに穂乃果は「絵里先輩」と絵里の言葉を遮る。

「μ’sに入ってください。一緒にμ’sで歌ってほしいです。スクールアイドルとして」

 絵里は顔を背けた。穂乃果の笑顔が、まるで自分が捨てたものを見るのが辛そうに。

「………何言ってるの? わたしがそんなことするわけないでしょ」

 「さっき希先輩と乾さんから聞きました」と海未が告げる。絵里は咄嗟に希と、そして教室の外にいる巧を交互に見た。

「やりたいなら素直に言いなさいよ」

「にこ先輩に言われたくないけど」

 にこと真姫がそう皮肉を投げかけてくる。でもそこに嫌悪や拒絶は見えない。それが微量でも含まれていれば、こうして迎えに来ることもなかったはずだ。

「ちょっと待って。まだやりたいなんて………。大体、わたしがアイドルなんておかしいでしょ」

 「まだ言ってんのかよ」と巧はため息と共に言った。言いたいことはまだあるが、それは自分がするべきことじゃない。巧の意を汲み取ってくれたのか、希が友達として絵里に言う。

「やってみればいいやん。特に理由なんか必要ない。やりたいからやってみる。本当にやいたいことって、そんな感じで始まるんやない?」

 拒む者は誰もいなかった。皆が絵里に笑顔を向けている。目尻で何かが光った気がしたが、すぐにそれは消える。穏やかな微笑を浮かべて立ち上がった絵里は、差し伸べられた穂乃果の手を取った。

「これで8人」

 ことりがそう言うと、希が「いや」と悪戯に笑みを向ける。

「9人や。うちを入れて」

 「希先輩も?」と穂乃果が目を丸くして尋ねる。他のメンバーも、絵里すらも同じ反応だ。巧も驚いている。希がアイドルに興味があるなんて、そんな素振りは見せなかった。μ’sに協力的だったのは、いずれ自分も加入するつもりだった故だろうか。

「占いで出たんや。このグループは9人になったとき、未来が開けるって。だから付けたん。9人の歌の女神、μ’s(ミューズ)って」

 「え?」という声をメンバー全員で漏らし、穂乃果が更に尋ねる。

「じゃあ、あの名前付けてくれたのって希先輩だったんですか?」

 希は肯定の意として笑みを零す。「希……」と驚いていた絵里はふっと困ったように笑った。

「まったく、呆れるわ」

 本当に占いの結果なのかは疑問だが、何だか全部が希のお膳立てだったように思える。年下の少女に動かされていたと思うと少し複雑だが、結果として9人もメンバーが集まったのだから良いだろう。

 未だに驚きが冷め止まない穂乃果の視線が巧へと向く。

「たっくん知ってたの? 希先輩がμ’sに入るって」

「いや知らねえよ。てかお前、グループの名前自分達で決めたんじゃなかったのか?」

 穂乃果は照れ臭そうに視線を逸らし、「いやあ……」と歯切れ悪く答える。

「何ていうか………、投票で」

「丸投げだったのかよ………」

 これでは絵里が否定したくなる気持ちも分かる。呆れていると、巧の横を絵里がしっかりとした足取りで通っていく。「どこへ?」と海未が尋ねた。絵里はメンバー達へ振り向き、颯爽とした口調で告げる。

「決まってるでしょ。練習よ」

 

 ♦

 オープンキャンパス当日の朝は忙しい。特にアイドル研究部はステージの設営があるから前日から準備が行われている。見学に来る中学生にライブを披露するため、生徒会長である絵里のバックアップもあってμ’sはグラウンドの使用権を得た。

 巧は非番だが、朝早くから学校で教員達、オープンキャンパス実行員の生徒達とグラウンドの飾り付けに励む。巨大な風船にガスを入れて、適当な場所に括り付けていく。

「うわあ、すっごく良いよ!」

 ステージとして完成したグラウンドを見渡して穂乃果が感想を漏らす。巧から見ても良いステージだと思う。ライブが成功するかは、後は彼女ら次第だ。とはいえ、あまり心配はしていない。絵里と希が加入してからダンスの出来は日々向上していった。歌唱力についても2人は問題ない。

「はーい」

 唐突にその声が耳孔に入り込む。背中がぞくりと震える戦慄を覚えながら、巧は振り返る。煌びやかに飾り付けられたグラウンドの縁。そこでステージを自分の色に染めていくように、彼女は指先から青い蝶を飛ばしている。

「お前………」

 巧はスマートレディを睨む。隣にいる穂乃果はただならぬ雰囲気を感じて不安げに巧とスマートレディを交互に見ている。

「素敵なステージ。お客さんには最高のショーを見せなくちゃ」

「来ると思ってたぜ………」

 学外へ向けたオープンキャンパス。学校を宣伝する場。だが同時にそれは、不祥事が起これば学校の信用を一気に落とす場にも変わる。この絶好の機会をスマートブレインが見逃すはずがない。簡単に予想できたことだから、巧は非番でも学校へ赴いた。

 巧は手に持っていたケースを開く。

「たっくん――」

「お前は退いてろ。ライブの準備しとけ」

 腰にベルトを巻きながら巧は乱暴に言い放つ。そんな2人の様子を見てスマートレディは憎らしげに笑っている。

「健気な子ね。でも私達にとっては邪魔なの。だから死んでね」

 スマートレディは手を差し伸べる。その真っ直ぐに伸びた右腕の肘関節が90度下へ折れ曲がった。巧は目を剥く。決して有り得ない角度に腕が曲がることもあるが、それ以上に不気味なのは裂けた皮膚から血が一滴も流れないことだ。スマートレディの肘断面からは真っ黒な筒状のものが覗いている。巧は咄嗟にファイズフォンのコードを入力した。

 5・5・5。ENTER。

『Standing by』

「変身!」

『Complete』

 変身すると同時、胸に衝撃が走った。ファイズの体が大きく吹き飛ばされる。グラウンドの芝生を転がり、起き上がると同時にスマートレディのすらりとした脚が視界に入ってくる。グランドの縁から真ん中まで飛ばされていた。しかも、スマートレディは跳躍でその距離を詰めてきている。明らかに人の域を超えた力だ。

「お前、何もんだ!」

 ファイズは拳を振り下ろしながら問う。スマートレディは拳を片手で受け止めながら笑ってみせる。

「あなたの敵です」

 明るい口調を崩さない。笑みを浮かべたままスマートレディは握ったファイズの拳を捻り上げる。超合金製のスーツがめきめきと悲鳴をあげ始めた。ファイズはスマートレディの腹に蹴りを入れて無理矢理引き剥がす。

「女の子を蹴るなんていけない子」

 子供を叱るように、スマートレディはわざとらしく口をへの字に結ぶ。ファイズが捻られた手首を振ると、甲高いエンジン音が聞こえてくる。駐輪場に停めておいたオートバジンがビークルモードのままグラウンドに入ってきて、背後からスマートレディへと向かっていく。

 車体がスマートレディと衝突しようとした寸前、横から矢が飛んできた。堅牢な車体が貫かれはしなかったものの、オートバジンは軌道を大きく逸れて芝生の上に倒れる。

 ファイズは矢が飛んできた方向を見やる。校舎の屋上にいるそれは遠くて小さいが、視覚補正のおかげでよく見える。灰色のボウガンを携えたオルフェノクだ。トビウオの面影がある。

 フライングフィッシュオルフェノクは驚異的な脚力で跳躍し、スマートレディの横に降り立った。

「後は任せましたよ。これ使うと、私とーっても疲れるんです」

 スマートレディの折れ曲がった右腕が矯正されていく。だが裂けた皮膚は元通りとはいかず、中の無機質なコードやボルトといった機械が覗いたままだ。

「待て!」

 ステップを踏んで去ろうとする無機質な女をファイズは追う。だが背中にフライングフィッシュオルフェノクのボウガンが飛んできて、衝撃のせいで前のめりになって倒れた。灰色の足がファイズの背中を踏みつける。

「祭りを始めようか。血祭をね」

 地面に落ちる男の影がそう言って顔をにたりと歪める。ファイズはベルトからフォンを抜いて素早くコードを入力する。

 1・0・6。ENTER。

『Burst Mode』

 フォトンバスターに変形させたフォンの引き金を引く。アンテナから発射されたフォトンブラッドの閃光がフライングフィッシュオルフェノクの体に突き刺さった。体がよろめいた隙に、ファイズはその足から逃れて立ち上がる。再び引き金を引いてビームを発射した。

 反撃とばかりにフライングフィッシュオルフェノクがボウガンを向けてくる。矢はファイズに向いていない。一瞬だけ振り返ると、矢が指す方向には立ち尽くして戦いを傍観している穂乃果がいる。引き金が引かれると同時に、放たれた矢の前へとファイズは跳び出した。その胸に矢が火花を散らして弾かれる。よろけたファイズの胸部装甲に深い傷が刻まれた。

「たっくん!」

「穂乃果、逃げろ!」

 再びボウガンを構える敵に組み付きながらファイズは荒げた声を飛ばす。穂乃果が逃げるどころか、彼女の周りにぞろぞろとμ’sの面々が集まっていく。騒ぎを聞きつけたのだろう。

「ったく、近くにいられたら迷惑なんだよ」

 ファイズは愚痴りながらフライングフィッシュオルフェノクの腹に蹴りを入れた。灰色の体が吹き飛び芝生の上を転がる。ミッションメモリーを倒れたオートバジンのハンドルに挿入したところで、絵里の声が聞こえてくる。

「何で……、どうしてそこまで…………」

 ファイズエッジの赤い刀身を振り下ろし、答える。

「もうたくさんなんだよ! 誰かが死ぬのも、誰かの夢が壊れるのはもう見たくねえんだ! お前らには笑っててほしいんだ!」

 フライングフィッシュオルフェノクのボウガンが真っ二つに切断される。ファイズは更に剣で灰色の肉体に創傷を刻み込んでいく。

 オルフェノクと戦うこと。それはファイズに変身できる巧の義務と言える。だが、巧には義務を超えた理想と夢のために戦った。だから巧には確信できる。これが自分のやりたいことなのだと。それが罪を背負い、いつか報いを受けるときが来ることになっても。

「オルフェノクを倒すのが罪でも、こいつらがお前らの夢を壊すなら俺は倒す! ひとり残らず!」

 ファイズは剣を一閃した。真紅の刀身がフライングフィッシュオルフェノクの右腕を肩から切断する。ぼとりと芝生の上に落ちた灰色の腕は青い炎をあげた。

 フライングフィッシュオルフェノクは残った左手で右肩をおさえながら走り出す。「逃がすか!」とファイズはフォンのENTERキーを押した。

『Exceed Charge』

 フォトンブラッドがベルトから右手のファイズエッジへと充填され、刀身が更に紅く輝く。刀身を地面に滑らせると、フォトンブラッドの波が猛スピードでフライングフィッシュオルフェノクへと向かっていく。ファイズはその後を追いかけ、やがてフォトンブラッドの波が敵を拘束する。

「はあああっ‼」

 必殺のスパークルカットを放とうとした直前、フライングフィッシュオルフェノクが拘束を解いてファイズの胸に蹴りを入れてきた。よろめいたファイズの右手からファイズエッジが離れる。

 フライングフィッシュオルフェノクが校舎裏の森へと逃げていく。追跡しようと走り出すが、ファイズは地面に膝をつく。視界が眩い光に覆われていく。すぐに光が収まって、生身になった自分の手が見えてようやく、巧は変身が解けたことに気付いた。解除コードを押してもいないのに変身が解けるのは、ベルトが発する危険信号だ。

 巧はゆっくりと立ち上がりベルトからフォンを抜く。「たっくん!」、「乾さん!」とμ’sメンバー達が駆け寄ってくる。

「たっくん大丈夫?」

「平気だ。ほら、オープンキャンパス始まるぞ。さっさと着替えてこい」

 穂乃果は不安げに巧を見上げている。「でも――」と絵里が弱々しく言う。

「こんな状況で、ライブをするのは………」

 メンバー達は視線を下ろす。巧が何も言えない彼女らの中で、穂乃果は「こんな状況だから………」と呟く。その声が少しずつ力を取り戻していくように聞こえる。

「こんな状況だから、ライブをしなくちゃいけないんだと思う。たっくんが守ってくれたものを、簡単に諦めちゃいけないよ」

 穂乃果はメンバー達に語った。その声に込められた力が彼女らに伝播していくように、μ’sの面々は力強く頷いた。

 倒れたオートバジンへと歩きながら、巧は静かに呟く。

「守ってやる。この学校も、お前らの夢も」

「たっくん何か言った?」

「言ってねえよ」

 

 ♦

 戦闘でグランドの飾りつけが乱れてしまったが、それは中学生達が見学に来るまでに直すことができた。オルフェノク出現に伴いオープンキャンパスの中止を理事長は検討したようだが、当日になって中止なんてことはできないということで、一抹の不安を抱えながらもオープンキャンパスは開催された。理事長に開催を進言したのは、他でもない巧だったのだが。

「また出たら俺が倒す。あんたも娘の努力を無駄にしたくないだろ」

 オルフェノクが出たことを報告しに理事長室へ行った際、巧はそう虚勢を張った。正直、また変身できる自信はない。無責任だと自分でも思うが、だからといって学校存続を懸けたオープンキャンパスを中止にしてしまったら、何の行動も起こさずに彼女達の夢が壊れてしまう。それは絶対に阻止しなければならない。

 校舎の案内が終わり、イベントは部活紹介へと移る。運動部はそれぞれの練習場で、文化部は部室で自分達の活動内容を紹介している。同じ時間帯、グランドではこの日の目玉と言うべき部を見るために様々な制服を着た中学生達が集まっている。観客のなかには雪穂と、その隣に亜里沙がいる。雪穂の言っていたμ’sのファンとは亜里沙だったらしい。

 ベンチで缶コーヒーを飲みながら、巧は衣装に着替えた彼女達を眺める。頃合いを見計らって、センターに立つ穂乃果が挨拶を述べた。

「皆さんこんにちは。わたし達は音ノ木坂学院のスクールアイドル、μ’sです。わたし達はこの音ノ木坂学院が大好きです。この学校だからこのメンバーと出会い、この9人が揃ったんだと思います。これからやる曲は、わたし達が9人になって初めてできた曲です。わたし達のスタートの曲です」

 穂乃果が一歩踏み出し、「聞いてください」とメンバー全員で高らかに曲を宣言した。

「僕らのLIVE君とのLIFE」




 「ラブライブ!」色の強い回はどうしても巧がギャルゲーの主人公みたいになる………。まあ、「555」本編でも澤田を攻略してたけど。木場も最終的に攻略できたし、草加は攻略できなかったですね。てか男ばっか(笑)。女子はヒーヒーしないのかな?

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