『ったく一夏、お前も随分と甘くなったなぁ。あのままあそこで二人を始末するいい機会だったのに‥‥』
(黙れ)
『ふん、まぁいいさ‥‥お前がどんなに外の情報を隠そうとしてもお前の見ている視覚を通じてその情報は私に筒抜けなのだからな、出し抜けると思うなよ一夏。ハハハハハ‥‥』
獣は自分とイヴは一心同体の存在であり、イヴは決して獣に隠し事は出来ないと忠告した。
イヴは自身の中の獣を黙らせつつ薬の効果が出て落ち着くまで暫くはピットでジッとしていた。
そして、漸く気分が落ち着き、鈴の容体を見に医務室へと向かった。
イヴが医務室を覗くとベッドに包帯を巻いたセシリアと鈴の姿があった。
セシリアは寝ていたが鈴は起きていた。
「イヴ‥‥」
「ごめん‥ちょっと熱くなって、落ち着くのに時間がかかっちゃって‥‥」
「ううん来てくれただけでもありがたいわ」
「それで一体何があったの?」
簪が鈴にアリーナであんな事になった原因を尋ねた。
それによると簡単に言えばセシリアと鈴の二人がラウラに挑発されて挑んだ結果返り討ちにされた。
しかし、ラウラはセシリアと鈴が動けなくなっても執拗に攻撃をつづけ、大怪我しそうになるところをイヴが来たのだと言う。
今回の騒動で鈴もセシリアも負傷してISもかなりのダメージを受け為、個人別トーナメントへの出場は不可能となった。
不幸中の幸いでISのエネルギーがギリギリで持ちこたえた為、鈴もセシリアも打ち身、打撲で済み骨折等の大怪我はしなかった。
「ごめん、鈴。私が遅れたせいで‥‥」
簪は自分が遅れたせいで鈴が今度の個人別トーナメントに参加できなくなったと自分を攻めた。
「かんちゃんのせいじゃないよ。私がもっと早く鈴を助けだせばこんな事には‥‥」
「そ、そうよ、元々はラウラの挑発に乗った私も悪かったんだし‥‥」
イヴと鈴も簪をフォローする。
「簪、イヴ。今度の個人別トーナメント、絶対に勝ってね」
「う、うん」
「頑張る」
鈴に今度の試合を頑張る事を伝えた後、イヴと簪は医務室を後にした。
通路を歩いている中、
「あ、あの‥イヴ」
「ん?」
「あ、あのね‥イヴ‥‥その‥お願いがあるんだけど」
「なに?」
「こ、これ‥‥」
簪が顔を赤くしながら差し出したのは、一枚のプリントだった。
イヴがプリントに目を通すと、
「えっと、『今月開催する学年別トーナメントでは、より実戦的な模擬戦闘を行うため、二人組での参加を必須とする。尚、ペアが出来なかったものは抽選で選ばれた生徒同士で組むものとする』‥これって‥‥」
イヴはプリントから視線を簪に戻し
「い、イヴ、そのっ‥‥わ、私と組んで‥‥貰えないかな‥‥?」
顔を真っ赤にしてそう言う簪。
そんな簪にイヴは笑みを浮かべて、
「私で良ければ、喜んで」
迷いなく頷いた。
イヴの言葉にパアッと表情が明るくなる簪。
「ありがとう、イヴ!!」
(フフ、姉さんには悪いけどイヴは先に私が貰ったわ)
心の中で黒い笑みを浮かべる簪であった。
簪は早速職員室にパートナー申請を行った。
翌日、改めてアリーナを貸し出して簪の専用機、打鉄弐式の試験稼働を行った。
万が一の事を考えて簪の傍にはイヴが連れ添い彼女を見守った。
ただ、簪を見守っていたのはイヴだけではなく‥‥
「簪ちゃん‥‥本当に専用機が完成したのね‥‥よかった‥‥」
観客席の物陰から打鉄弐式を纏う簪を見てそう呟く楯無であった。
次に、簪の傍を飛んでいるイヴに視線を移すと、
「イヴちゃん‥‥本当にありがとう‥‥」
楯無はイヴならばちゃんと約束も守ってくれるかもしれないと思ったが、一つの不安要素があった。
個人別トーナメントはタッグとは言え、当然百秋も出場する。
その時、イヴの中の獣がまた表に現れないか?
もし現れたら簪で鎮める事が出来るだろうか?
簪のパートナーがイヴになっていることは既にリサーチ済みなのだが、そもそも簪はイヴの中に凶暴な獣が存在している事を知っているのだろうか?
もし、簪がそれを知らずに対戦相手が百秋になったら‥‥
イヴの中に居る凶暴な獣が表に出て来てしまったら‥‥
やはり、打つべき手は打っておかなければならない。
心苦しいが、楯無は簪に確認することにした。
その日の夜、簪の部屋を誰かが訪れる事を知らせるノックがした。
「誰?」
簪はもしかしてイヴかもしれないと思い扉を開ける。
すると、そこに居たのはイヴではなく‥‥
「こんばんは、簪ちゃん」
「姉さん‥‥」
楯無だった。
簪は気まずそうな顔をしてドアを閉めようとしたら、
「ちょっと待って!!」
楯無はドアと壁の間に足を挟んで扉が閉まらない様にした。
「な、なに?」
「少しだけ話がしたいの」
「何の話?」
「イヴちゃんに関する話よ」
「‥‥」
イヴに関する事は自分もある程度は知っている。
だが、自分が知っている事を姉は知らないのだろう。
もし、自分がイヴの事を知っていると知った時、姉はどんな顔をするだろうか?
想像するだけで笑いがこみ上げてくる。
だが、その一方で不安もあった。
姉は教師と同等の権限を持つ生徒会長。
その生徒会長権限を使って今回のタッグマッチのパートナーを解消しろと言ってきたのかもしれない。
もし、そうだと言うのであれば、姉、更識家の当主、生徒会長であったとしてもそんな横暴は許すつもりはない。
例え卑怯者と思われても良い。もし、姉がその様な事すれば、先代の楯無‥自分の父へ相談して、そして学園の理事長に直談判をしてでも止めさせてやる。
簪は姉が自分にどんな話をするのか耳を傾けた。
「その‥‥まずは、専用機の完成おめでとう」
「‥‥」
姉は自分の専用機の完成を祝福?してくれたが、姉から言われてもちっとも嬉しくなく、何だか嫌味にしか聞こえない。
まるでなぜ新年度が始まる前に完成させることが出来なかったのかと言われているかのように聞こえた。
「‥‥それで、態々そんな事を言いに来たの?」
簪は鋭い視線で楯無に尋ねる。
「あっ、いや、そうじゃなくて‥‥」
普段は人前では凛々しい姿の楯無だが、今の楯無の姿は凛々しい姿などではなく、まるで零点のテストを見つかって母親に叱られている子供の様だ。
「その‥‥今度の個人別トーナメントの事‥なんだけどね‥‥」
(やっぱり、きたか‥イヴとのパートナーを解消しろとでも言うの?)
「簪ちゃん。その‥パートナーにイヴちゃんを選んだって聞いたんだけど‥‥」
「ええ、そうよ。イヴは私とのパートナーを喜んで了承してくれたわ。姉さんじゃなくて私をね!!」
簪にしては珍しく胸を張ってイヴのパートナーは自分であると強く主張する。
(うっ、ちょっと心にグサッてくるわね)
簪の言葉に楯無は密かにダメージを受けた。
だが、イヴと楯無は学年が違う為元々ペアを組むことは出来ない。
簪は姉に対する対抗心から基本的な事を忘れていた。
「まさか姉さん。イヴ欲しさにパートナーを解消しろなんて言いに来たんじゃないでしょうね?」
簪は楯無に確信を突く様な質問をする。
「い、いえ、違うわ‥イヴちゃんが簪ちゃんを認めたのであれば、私から口を挟む権利はないから‥それにイヴちゃんとは学年が違うから、元々私はイヴちゃんとペアは組めないわ」
「あっ‥‥」
楯無から言われて簪は学年が違うと言う現実に今気づいた。
「じゃ、じゃあ何し来たの?私の専用機が完成した事を言いに来ただけなの?」
学年が違うと言う基本的な事を忘れていた自分に恥ずかしさを感じつつ口調を緩めることなく姉が自分の下を訪ねてきた目的を問う簪。
「その‥‥パートナーのイヴちゃんについてよ」
「イヴについて?」
(姉さんったら、私がイヴの事を知っているとも知らないで‥‥)
簪は心の中でほくそ笑んだ。
「そのイヴちゃんは‥‥」
「知っているわ」
「えっ?」
簪はイヴ本人から聞かされた話を楯無にした。
楯無自身、簪がイヴに事を知っている事に驚いたが、やはり楯無が心配した通り、簪はイヴの中に存在している獣の存在については知らなかった。
イヴとしてもやはり、自分の中に凶暴な獣が存在している事は簪には知られたくなかったのか?
それとも簪を怯えさせてしまうことを恐れたのか?
それとも自分の中の獣の存在を知られる事をイヴ自身が恐れたからなのか‥‥
もし、イヴ自身が自分の中の獣の存在を知られる事を恐れていたとしたら、これから話すことはイヴにとっては辛い事になるかもしれないが、この先の事を考えるとやはり伝えておいた方がいいかもしれない。
例え、それがイヴから嫌われる事になっても‥‥
「‥‥簪ちゃんがイヴちゃんの事を知っていたのは意外だったけど、イヴちゃん‥簪ちゃんにはまだ伝えていない事があるわ」
「伝えていない事?」
簪は疑う様な視線を向ける。
「嘘よ。イヴが私に隠し事をするなんて‥‥」
簪はイヴがまだ自分に伝えていない事がある訳がないと言う。
「簪ちゃん、人は誰にでも知られなくない事だってあるのよ」
「で、でもそれは姉さんの言っている事が嘘って可能性も‥‥」
「私の話が嘘なのかは本当なのかは、私の話を聞いてから判断して」
「分かった‥‥」
楯無は簪に話した。
イヴの中には凶暴な獣が存在している事を‥‥
「二重‥人格‥‥」
簪は信じられないと言う感じだったが、楯無が証拠として用意して持ってきた入学試験における実技試験と先日、一組で行われたクラス代表選抜戦の映像を簪に見せた。
彼女は映像を見て絶句していた。
モニターの中のイヴはこれまで自分に見せた事のない不気味な笑みを浮かべ、世界最強として知られているあの織斑千冬をボコボコにしていた。
選抜戦においてもオーバーキルとも言える戦いを見せている。
正直身の毛もよだつような感覚だ。
「簪ちゃんもイヴちゃんが殺戮の銀翼だってことは知っているのね?‥‥あの子の中にはまだ、その殺戮の銀翼が生きている‥‥織斑姉弟に関係している時、あの獣は目を覚ます‥ううん、もしかしたら、何か別の切っ掛けで目覚めるかもしれない」
「‥‥」
「その時、簪ちゃんにあの子を止める事が出来る?あの子を止めてあの子を癒す事が出来る?元のイヴちゃんに戻す事が出来る?」
楯無は簪に質問するが彼女は答えない。
「もし、私への対抗心だけでイヴちゃんを手元に置きたいと思っているなら、そんなものさっさと捨てなさい‥この映像を借りるのだって理事長にかなり無理を言って借りてきたんだからね‥もし、職員会議で問題になって、生徒会長を辞任しろ‥ううん学園を退学処分になっても私はそれを受け入れるつもりで借りてきてこうして簪ちゃんに見せたのよ」
この時の楯無の顔は飄々として顔でもなく、簪の顔色を窺うオドオドした顔でもなく、第十七代目、更識家の当主、更識楯無の顔だった。
「‥‥」
「いえ、それ以上に簪ちゃんにイヴちゃんの中に獣が居る事を教えて彼女から嫌煙されるかもしれない‥それでも、私はこうして簪ちゃんに教えたの‥‥簪ちゃん、命だけじゃなくて、生きている間に失うモノは沢山あるのよ。簪ちゃんにはそれを失う覚悟はある?失ってでも守りたいものはある?」
「‥‥」
「私にはあるわ!!失う覚悟も何かを失ってでも守りたいモノも‥‥もちろん、簪ちゃんもその中の一つなのよ‥‥」
「‥‥」
「今度のタッグトーナメントのパートナー申請を変えるなら、今ここでしなさい!!」
そう言って楯無は簪に申請書を差し出す。
簪は震える視線でその申請書を見る。
イヴの中の未だに殺戮の銀翼が存在している事を知り、そして千冬をボコボコにしているイヴの姿を見て正直に言って怖い。
でも、今ここでパートナーを変更すれば、それはイヴを裏切り、姉に完全敗北する事をその姉の目の前で認める事になる。
イヴの秘密を知る為、自分は命を懸けた。
それは姉もそうだ。
だが、姉は生きていても何かを失う覚悟、何かを失ってでも守ろうとする覚悟があると言う。
自分はどうだ?
今の自分は失うことを恐れてガタガタ震えている。
だが、自分が生きていて失うモノはなんだ?
それはイヴからの信頼だ。
姉はイヴからの信頼を失ってでも彼女を守ると言った。
今の自分は、自分可愛さからイヴの信頼を失おうとしている。
この紙に名前を書けばそれは現実のものとなる。
専用機だって彼女の協力があってこそこの短時間で完成した。
彼女からの信頼を裏切ると言う事は愛機である打鉄弐式の信頼も裏切る事になる。
イヴと打鉄弐式、どちらも今の簪にとっては大事なモノだ。
そのニつの信頼を失って自分だけ逃げようと言うのか?
楽になろうと言うのか?
姉に対して簡単に敗北を認めろと言うのか?
冗談じゃない。
やっと専用機も完成して、姉と同じ土俵に立てたのだ。
勝負もせず敗北を認めてたまるか!!
失う覚悟なんてない‥いや、失わせない。
自分はイヴを守り、彼女と打鉄弐式の信頼も守り、そして姉に勝つ。
それが今の自分の覚悟だ!!
そう自分に言い聞かせた簪は、申請書を手に取ると、
ビリッ
ビリビリビリ‥‥
細かく手で破いた。
「私を甘く見ないで!!いつまでも姉さんの影にかくれている妹だと思ったら大間違いよ!!」
「か、簪ちゃん?」
簪にしては珍しく楯無の前で大声を上げる。
そんな簪の様子に楯無も驚いている。
「姉さんがイヴを守ると言うのであれば、私だってイヴを守ってみせるわ!!姉さんばかりいい思いはさせない!!」
簪も普段の姉から逃げている様な態度ではなく、真っ向から姉に向き合おうと真剣な顔で楯無と対峙している。
(簪ちゃんが私の目を見て話している‥‥)
今まで簪は楯無から視線を逸らして素っ気ない態度をとっていた。
だが、今は違う。
簪はジッと威嚇する様ではあるが、楯無の事を視線からそらさずに見つめている。
「私は今までずっと姉さんに負けたくないと姉さんの後を追っていながらも何時か自分を助けてくれるヒーローが来てくれと思っていた‥」
簪はこれまで胸の内に秘めていた姉へのコンプレックスを楯無へとぶつけた。
「‥‥」
「実際、イヴには専用機の件で助けてもらった‥でも、そのイヴだって過去に色々あって今も苦しんでいるのにヒーローであり続けようとしている。それなら‥‥」
「‥‥」
「私だってイヴにとってのヒーローになってみせる!!ヒーローがいなければヒーローになればいい!!」
「‥‥」
「‥‥」
それからしばらく更識姉妹は互いに無言のまま見つめ合う。
「‥‥そ、そう分かったわ‥簪ちゃんの覚悟が‥‥」
すると、先に引いたのは楯無の方だった。
「それならば、次は行動で示しなさい‥もし、イヴちゃんが心の中の獣に囚われてしまった時、今度はパートナーである簪ちゃんが元のイヴちゃんに戻すのよ」
楯無は簪の方に振り向くことなく簪の部屋から出て行った。
簪が新たな覚悟を決めているその頃、
ラウラは一人、夜の誰も居なくなったアリーナに一人佇んで自分が抱いた決意を再確認していた。
(教官‥貴女の完全無比な強さこそ、私の目標であり、存在理由‥‥)
ラウラの出生は、ただ戦いの為だけに作られ、生まれ、育てられ、鍛えられた、イヴとは形式が異なるが生物兵器と言うカテゴリーでは当てはまる誕生をした。
彼女は武術、兵器の操縦では優秀な成績を残した。
だがISの出現が彼女の人生を狂わせた。
直ちにラウラにも強制的にISの適正が上がる様にナノマシン処理が行われたが、結果は失敗し、エリートだった彼女は一気に底辺に落ちて、出来損ないの烙印を押された。
だが、運は彼女を見捨てずに、彼女にとって運命的な出会いが訪れた。
それが織斑千冬との出会いだった。
彼女の教えを受け、ラウラは底辺の出来損ないから再びエリートへと返り咲いた。
そしてラウラはある日、千冬に強さの秘訣を尋ねた。
すると、千冬は、
「私には弟が居る‥‥」
と、かつてドイツで見捨てた自分のもう一人の家族の存在を隠して、千冬はラウラに何故、自分が強いのかを語る。
しかし、ラウラにはそれは分からなかった。
だが、この時の千冬の表情を見て、ラウラに暗雲がさした。
(違う‥‥私が憧れるのは貴女ではない。貴女は強く、凛々しく、堂々としているのが貴女なのに‥‥許せない‥認めない‥教官にあのような顔をさせる存在が‥‥)
月の光を浴びながらラウラは徐に左眼を隠していた眼帯を取る。
そこには禍々しい光を放つ金色の目があった。
家族を持たぬラウラにとってあの時の千冬の言葉の意味を理解できなかった事が、織斑百秋を憎む発端となった。
彼女は織斑千冬に幻想を抱き過ぎたのだ。
だが、この時発した千冬の家族と力の話も織斑一夏を見捨てた事から彼女の言葉もまた幻想だったのかもしれない。
いや、千冬にとって織斑一夏も織斑四季も家族と言うカテゴリーから外されており、彼女にとっての家族は百秋だけだったのかもしれない。
こうして様々な覚悟と思惑が渦巻く中、学年別タッグトーナメントは始まろうとしていた‥‥。