施しの英雄の隣に寄り添う   作:由月

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という訳で前から言っていたマハーバーラタ編バットエンドになります。
前後編に分けると言っていましたが、やはりこれはそう長引かせるものじゃないなと考え直しました。なので一回で更新させてください。

注意事項:
この話は救いがありません。
そしてカルナさんが死んでしまいます。
アルジュナさんも可哀想。
最終話のスッキリ感を残したい人にはお勧めしません。いいですね?
そしてこの話は本編に影響を及ぼさない事を念頭において下さい。
なので退避推奨です。苦手な方はそっと閉じる事をお勧めします。で、次回の更新をお待ちくださるとよろしいかと。

今回の話の前提です。
【前提:カルナさんが重傷を負い、主人公は戦車で回収。アルジュナさんの必殺の一矢がくる前に主人公がカルナさんの怪我を治すついでに宝具をカルナさんに付与。その時の力はカルナさんのダメージを全部主人公が負担するというものである。鎧ではなく、盾としてカルナさんに宝具を付与した。】
で今回は主人公視点とカルナさん、アルジュナさん視点に分かれます。上記の前提を踏まえた上でどうぞ。


番外編
IFネタ バットエンド※閲覧注意


――カルナside――

 

 

 

 後にカルナは回想する。ここが、こここそが分岐点だったのだと。施しの英雄、ではなくカルナとしての一個人の悔恨がここにある。

 

 アルジュナの放つ一矢がカルナを貫こうとしたその瞬間不可視の壁に弾かれた。

 

『ゴホッ……うっ』

「!! 大丈夫か?!」

 

 カルナはそれを呆然とみやり、不可視の壁が闇色に透けるのを見て一つの可能性に辿り着いた。すなわち、彼女の力である。嫌な予感がし、それは彼女の苦し気な声に確定された。

 

 カルナはするりと御者台に行き、彼女を抱きかかえる。今にも手綱を手放しそうになっている彼女は右手で口元を覆い、ふらふらと体を傾けていた。見れば口元から鮮血が滴っている。今の影響であるのは明白だ。

 

「何故、オレなぞにそれを行使する。オレ如きにそれは不要だ」

 

 カルナの責める口調に彼女は微笑みを浮かべた。ひゅーひゅーと口からもれでる息のか細い事、カルナはそれに不安を覚える。

 

『――――』

 

 ポツリ紡がれた言の葉はなんであろうか。カルナには聞き取れない。あれほど彼女の意図は容易くくみ取れたというのに。

 

 戦車の車輪の音が煩い。

 

 せめて道が平坦であったなら、

 

 この不安に潰れそうな煩い鼓動と己の震える呼気がなければ。

 

 沢山のもしもを重ねても無意味なのはカルナとて重々承知なのだが、それでも割り切れないものがある。

 

 カルナが手綱を握り、戦車を急がせる。このままでは腕の中の彼女は死に絶えてしまう。アルジュナとの戦いは後でもいい。ぐっと奥歯を噛みしめた。

 

 ガタン、車輪が回らず、車体が傾く。片方の車輪が地面の隙間に嵌り戦車が倒れる。

 

 カルナは瞬間、己の最期を悟る。カルナは腕の中の温もりを抱きしめた。それはもはや反射に近い。

 

 遠方から迫る見覚えのある一矢がカルナの眼前に迫った。嗚呼、カルナは嘆息した。せめて腕に力を入れて、この温もりが離れないように。

 

 

 

 ザシュッと鋭い音をたてて、カルナの意識は闇へと消えた。

 

 

 

 

――アルジュナside――

 

 

 

 

 アルジュナはカルナの亡骸に歩み寄る。クリシュナが背後で心配そうにしているのは分かるが、今はそれどころではなかった。

 

 首が切り離された体に抱きしめられているモノがピクリと動いた。

 

 カルナの傍にいたアルジュナの小さな友人たる彼。御者としての腕前は言うまでもなく優れていた。戦車を操りながら漆黒の大剣を振りまわし敵陣を突き進むその姿はアルジュナにとっても鮮明だ。

 

 さながら破壊女神、カーリーのようだった。女性の様に華奢な体で、抜群の破壊力を生み出す。パーンダヴァ陣営ではカルナと共に要注意人物として扱われていた。

 

 生きているならば殺さねばならぬ、アルジュナはどこか憂鬱な気持ちを抱えながら地面に転がる人物の白い襤褸布をとる。

 

「なっ」

 

「アルジュナ?どうかしたのですか。――これは……」

 

 クリシュナと共にアルジュナは驚愕した。

 

 艶やかな黒髪、青白い生気のない白い肌、細い首筋から辿る身体はとても少年のものに見えない。何処をどうみても女性のそれだ。加えてカルナと揃いの耳飾りをしている所を見ると、彼女は従者ではなくカルナの妻であると推察できる。

 

「これは……どういう事だ」

 

 アルジュナの呟きは掠れていた。焦燥と罪悪、加えて憎悪がその声を低くさせた。

 

「アルジュナ、冷静になってください。彼女は恐らくその異能の力の為に戦力とさせられたのでしょう。それにこれは噂ですが、彼女は言葉を話せないそうです。――推察の域を出ませんが、生きる為に必要な事だったのでしょう」

 

 クリシュナは静かな声で、私が始末しましょうかと続けた。アルジュナは首を横に振る。

 

「いえ、彼女は私が預かってもいいでしょうか。……カルナと御者は死んだことにして下さい。――カルナはともかく彼女はどうしても死ななくてはいけない命ではありませんから」

 

 カルナの亡骸からその女性を取り上げる。横抱きした時にくたりと力が抜けた身体にしては軽すぎる重みにアルジュナは眉をひそめた。彼女の口元から垂れる鮮血を手袋をしたまま拭う。

 

「君らしいですね、アルジュナ」

 

 クリシュナの苦笑じみた言葉にアルジュナは小さく笑う。それは皮肉ですか?と問い返す事もなく。

 

 アルジュナは腕の中に納まった温もりを見下ろす。彼女の事は小さな友人と思っていた。いつもカルナと一緒にいて、あのカルナが彼女といる時は心底幸せそうに笑っていた。まさか妻だとは思っていなかった当時はたかが従者に一人に、と心の奥底で嗤ったものだった。

 

 見下していたはずだったが、今思い返せばアルジュナは羨ましかったのかもしれない。

 

 たった一人の理解者を得て、それさえあれば他は要らないと言ったかの男を。あの幸せの情景がアルジュナは心底羨ましかった。己の全てを受け入れられる、そんな幸せを。

 

 けれど、その幸せは今アルジュナの腕の中にいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場から帰ると他の兄弟と共に母クンティーがアルジュナを迎えた。

 

「実は……貴方達に話さなければならないことがあるのです」

 

 思いつめた様子で語る母の言葉はアルジュナにとって信じられないモノだった。

 

 宿敵カルナはアルジュナの異父兄。アルジュナ達五兄弟の為に様々な妨害もしてしまった、と。悔いる母の背中にアルジュナは何もしてあげられない。

 

 立ち尽くすアルジュナに母は首を傾げた。

 

「――アルジュナ。貴方その腕に何を抱えているのですか?」

「ああ、母上。この腕に抱えている娘を私の新しい妃に迎えたいのです」

 

「「「えっ?」」」

 

 この場の空気が凍った。アルジュナの突拍子もない発言に皆唖然とした。

 

「私はこの娘に命を救われたのです。あわや命を落とすところだったのを、この娘の優しさに救われたのです」

 

 滔々と話すアルジュナに母も兄弟達も押された。流されるとはこの事だろう。

 

「よろしいのですね、ありがとうございます。……彼女が望まないでしょうから、側妃という形で迎えたいと思います。ですので、お披露目などはせずひっそりと静かに過ごさせたいのです」

 

 なにがですので、なのか兄弟たちはツッコミを入れたかったがアルジュナの有無を言わせない勢いに結局は頷いてしまった。

 

 身分の低い側妃、愛妾なぞきっとすぐに忘れる事だろう。飽きるだろうと、その場の人々は頷きあいアルジュナの結婚は許された。

 

 

 

 

 

 

 

 その場を離れるとアルジュナはすぐにクリシュナに捕まった。

 

「何故あんな嘘を?! 君も知っているだろう?彼女はカルナの妻だ。こんな事は許されませんよ!」

「声が大きいですよ、クリシュナ。これより他に彼女の安全を速やかに確保できますか?」

「そ、それは……」

「それにこれは彼女の為にもなるのですよ。この私、アルジュナの後ろ盾は何もない彼女にこれ以上ないくらいのものだと思いませんか?」

「――アルジュナ、貴方は」

「それ以上は言わないで下さい。これは、私の我儘です」

「そうですか、分かりました。私は友人としていつでも貴方に協力しますからね」

 

 これだけは覚えていてください、そう笑みを浮べたクリシュナにアルジュナは頷いた。

 

「ええ、ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルジュナはすぐに“彼女”の為の準備を始めた。召使に用意させた彼女の為の一室はアルジュナ以外の誰も入れないようにして、世話も信用できる召使一人にさせた。

 

 白一色に統一された部屋は色味の単調さとは裏腹に調度品は一級品ばかりだ。柔らかな絨毯は足に優しく、白の家具は持ち主を傷つけないように丸みを帯びていて施された彫模様は品を感じさせた。唯一の欠点は花瓶がなく花がない所か。花瓶だけではなく、壺類も見当たらない。割れて彼女を傷つける可能性のある物はアルジュナが失くさせた。

 

 目覚めた彼女は見知らぬ場所にいる自分にパニックをおこしたようだった。

 

 すぐにアルジュナが彼女の両腕を掴み、拘束した。

 

『§ΔΓΛ!?』

 

「落ち着いてください」

 

 彼女の耳元で優しく、静かに囁くと途端に彼女の動きがピシリと固まった。

 

「大丈夫ですよ、私はもはや貴方の敵ではありません」

 

 ぎぎぎ、とぎこちなくこちらに視線を向ける彼女に微笑みを浮かべる。サッと顔を青ざめさせる彼女に首を傾げる。次いで、納得する。彼女にとってアルジュナは夫――カルナを殺した憎い仇だ。なる程、いくら言葉を重ねようと信用されるはずはない。

 

 と、そこまで考えてアルジュナは苦笑する。

 

 どこまで己は救いようのない男なのだろう。アルジュナは自嘲する。彼女のパニックが治まったのを確認して、そっと彼女の両腕を開放する。

 

「まずはその汚れた姿を何とかしなくてはいけませんね」

 

 戦場から帰った姿のままの彼女はカルナの血と彼女自身の血で汚れていた。被っていた布は剥いで捨てたもののその他はそのままだ。一応怪我がないか身体をさっと検分したのみだ。その時は軽い擦り傷のみで、吐血するような怪我はなかった。

 

 近くに控えていた召使にアルジュナは湯浴みの準備をさせた。そのまま彼女を湯浴みの場所へと手を引いて連れて行った。ふらつきはするものの、何とか歩行は出来るらしい。思ったよりも怪我はないのだろうか。

 

 彼女の湯浴みが終われば、まずは医者に診せなければいけない。それと着替えも用意させなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王宮に仕える医師の見立てでは特に彼女に異常は見られず、吐血した原因は不明とのことだった。とりあえず安静にして、何かあれば呼ぶようにと医師は去って行った。

 

 アルジュナはそれに一先ずの安心をして、彼女に向き合う。“彼女”とはいうものの名前が分からず、アルジュナは困っていた。

 

 天蓋付きのベットに所在なさそうに腰かける彼女は白を基調とした民族衣装を纏っていた。青が裾や胸元を彩り、青い瞳を持つ彼女によく似合っていた。艶やかな黒髪は触り心地が良さそうだった。

 

 カルナの御者を務めていた時は“カーリーの申し子”としての呼び名かカルナの御者と呼べばよかった。けれど、今はそういう訳にいかない。彼女自身に聞こうにも言葉が通じないのでは聞くに聞けない状態だ。カルナはどうやって彼女と意思疎通を図っていたのか。

 

「はぁ……。私は貴方をなんて呼べば良いのでしょうね」

『ΦΓΔ?』

 

 アルジュナのぼやきに彼女は小首を傾げる。その瞳にもう先ほどの恐怖は見当たらない。その図太さに呆れるやらいっそ感嘆するやらでアルジュナは思いっきりため息を吐いた。

 

「義姉上……」

 

『§Λ?』

 

 ぽつりとこぼれたアルジュナの呟きは彼女の綺麗な笑みに返された。なぁに?と優しさでもって返された声はアルジュナに衝撃をもたらした。

 

 その笑みは打算も何もない純粋な笑みで、アルジュナが昔憧憬を抱いたシアワセその物の笑みだった。

 

 彼女はアルジュナに期待しない。――何故なら彼女にとってアルジュナは英雄ではないから。

 

 彼女はアルジュナに失望することはない。彼女は授かりの英雄、アルジュナを知らないから。

 

 瞬間、アルジュナの中のナニカが決壊した。

 

「あぁ……ああああああああ!」

 

 迷い子のように不安げに伸ばされたアルジュナの手を彼女は拒まなかった。彼女の膝に縋りつくように涙を流すアルジュナに彼女はそっとアルジュナの頭を撫でた。

 

 彼女の腰に縋りついた手をアルジュナは強めた。

 

 

 

 

 

 

 

――主人公side――

 

 

 アルジュナさんが情緒不安定でビビったわ……。私はどうやら翻訳機能がいかれたらしい。ここに来た最初の頃のように、アルジュナさんがほぼ何言っているか分からなかった。でも良くしてもらった事は変わらないので笑顔で対応したら泣かれてしまった。ちなみにもう男装である事はばれてしまっているようなのでアルジュナさんに言葉を惜しむ事はしなかった。それで、これは翻訳機能が壊れたな、と分かった訳だけれど。

 

 なんか地雷でも踏んだかな、と私は悩みつつアルジュナさんの癖のある黒髪を撫でる。おっとぎゅうっと掴む力が強くなっているんだけど。

 

 アルジュナさーん、おーい。私は力を緩めるようにアルジュナさんの頭を軽くぽんぽんする。するとむずかるようにぐりぐりと頭を太ももに擦りつけられた。おっと、これは。

 

『アルジュナさん。ね、そろそろ』

 

 私が伝われー伝われーと強く念じればテレパシー感覚で相手に大体同じニュアンスで伝わる事は既にこのインド生活で分かっている。同じく注意深く相手の言葉に集中すれば大体の意味は私に伝わる。ただし、大体なので細かい所は伝わらない。それにめちゃくちゃ疲れる私が。くッ、苦労してあそこまで翻訳できるようになったのに、と私は悔しく思った。

 

「――す、すみません。義姉上」

 

 褐色の肌で分かりにくいが、アルジュナさんの頬が赤く染まる。そしてそっと立ち上がるとこちらをそろりと伺ってきた。

 

「あの、義姉上。先ほどの言葉はなんとなく伝わってきました。こちらの言葉も貴方に伝わっているのでしょうか」

 

 不安そうなアルジュナさんの問いに私はこくりと頷き返す。出来れば手を抜きたいところだが、先ほどのアルジュナさんの様子からして手は抜けない。同じ理由でカルナさんの事も聞けない。誰だって地雷原でタップダンスは踊りたくないのだ。

 

 それにカルナさんに預けた宝具が体の中に戻っている感覚があるので、多分彼は助からなかったのだろう。泣きたい。深く考えると普通に死んでしまいそうになる。

 

 カルナさんの後を追ってもいいけれど、自殺とかカルナさんが絶対許さないだろうなぁ。アルジュナさんの情緒不安定さはほっとけないものがあるし。カルナさんの仇ではあるけれど、それはそれこれはこれで別問題だ。切り離そう。

 

「義姉上、これからはこのアルジュナが貴方の傍におりますからね」

『ははは……』

 

 アルジュナさんのにっこりとした笑みに私は乾いた笑みを漏らすしかなかった。なんかやばくね?と心の中で警報が鳴っていた。

 

 それに私のこの場所での立ち位置ってどこなのだろうか。普通に考えれば捕虜か、と思ったけれどこの対応から違うような気もするし……と私は問題が山積する現状に嘆きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――アルジュナside――

 

 

 

 それからアルジュナはちょくちょく彼女のいる部屋へと赴いた。外へと出られない彼女は大抵ベットの上の住人で、時折知らない異国の歌を歌っていた。

 

 ここはアルジュナにとっての聖域だった。ここでは皆が期待する英雄アルジュナではなくただのアルジュナで居られたからだ。今更彼女相手に取り繕う必要もない。言葉もあまり通じないので、美辞麗句を並べずとも良い。無理に話題を作らずとも、沈黙すら心地が良かった。

 

 ここではアルジュナの呼吸が楽だった。

 

 今日も彼女の歌に耳を傾ける。今日は優しい子守歌のような声音だった。アルジュナは彼女の言葉が理解出来ないのがとても悔しかった。出来ればその歌詞を知って、理解して、彼女に寄り添えたならと夢想した。

 

「義姉上……」

 

 アルジュナの声に彼女はそっと背を撫でる。その温もりに甘えるようにアルジュナは彼女の隣に座っていた。彼女のベットに腰かけるとはいえ、そこに疚しい事情は存在しない。アルジュナが彼女を娶ったとしても、そこに彼女の意思は存在していなかった。故にこうして肉親に甘えるようにこの穏やかな時間があればそれで良い。

 

 ここはアルジュナの作った箱庭だ。

 

 この部屋の白さに溶けるように彼女の肌は白い。艶やかな黒髪がより引きたつのでアルジュナは素直に美しいと思う。心無い者は彼女の容姿を貶めるが、アルジュナにはそうは思えないのだ。彼女の耳を彩るカルナの耳飾りはアルジュナの胸に痛みをもたらすが、それがないと彼女らしくないと思ってしまう。

 

 彼女がここに来てさほど日数が経っていないのに、こう手放したくないのはどうしたことか。全てをひっくるめて、惹かれてしまう。アルジュナはそれを言葉にして明確にしたくなかった。

 

 全てが曖昧で、穏やかな、平穏なこの日常をアルジュナは手放したくなかったのだ。

 

 それが薄氷の上の儚さがあるのだと知っていて。

 

「義姉上、私はこの後用事があるので今日はこれで失礼します」

 

 アルジュナがこの場所で過ごせる時間はほんの短い一時だ。それ以上の滞在はアルジュナの周囲が、アルジュナの立場が許さなかった。

 

 名残惜しく思ってしまうアルジュナの頭を彼女が軽く撫でる。ぽんぽんと軽く撫でる温もりは励ましている事を伝えていた。第三王子であるアルジュナにそんな事をする人はこの彼女しかいなかった。母ももはやそんな事はしない。けれど、不敬であると彼女の手を跳ね除けることはしない。アルジュナはこの温もりの名を、知っている。

 

「――ありがとうございます」

 

 こみ上げるモノをアルジュナはのみこんで一礼してこの部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから数カ月。表向きは穏やかに時は過ぎていった。

 

 彼女はアルジュナの寵妃として噂されるようになった。最初の妻と違い兄弟間で決まりを作り時間を管理する、といった行いはないしほぼ日参しているからか。

 

 アルジュナにはほかに四人の妻がいる。一応、不満が出ないよう気を配っているがこのままでは不味いかもしれない。かといって彼女の元に赴く日を減らすことは考えられない。

 

 皮肉なことに身分の低い側妃、愛妾という彼女の外面が彼女の立場をギリギリで守っていた。アルジュナの妻たちは皆他の王族の出で皆一様にプライドが高い。故に彼女の事は歯牙にかけないようにしているらしい。

 

 それに事実上の軟禁状態の彼女にちょっかいはかけられない現状なのだろう。彼女の現状は客観的に見れば可哀想なものだし。

 

 アルジュナの責務は守っているので皆責めたりしない。

 

 王宮の渡り廊下でアルジュナ歩いていた。彼女の元に行くためだ。彼女の部屋は人通りの少ない、王族の居住区の端の端にある。なので歩いていくと徐々に人通りが少なくなり、ついにはすれ違う人も滅多に居なくなるのだ。

 

 アルジュナが物思いに耽っていたからか、反応に遅れてしまった。

 

 あるいは長きにわたる戦いが終わり気が緩んでいたのかもしれない。

 

 頭を下げる召使を通り過ぎようとした際にそれは起こった。

 

「アルジュナ王子、お覚悟ォ!」

 

 召使の男が立ち上がり、懐に隠していた短剣でアルジュナを刺殺さんと突撃した。

 

 男の決死の一撃はアルジュナに肉薄するものの、すんでのところで交わされる。アルジュナは冷静に男と距離をとる。ここにアルジュナの弓はないものの、これでも戦場に轟かせた戦士としての矜持がある。

 

「何者ですか、この私を知っての狼藉と見受けたが」

 

 アルジュナは丸腰だが、それでもこの狼藉者に後れをとるつもりはなかった。召使の男は無言で構えた。なる程容赦はいらないと見られる、アルジュナも構えた。

 

「この刃には毒が塗ってある。掠れば三日後に、刺されば即死の猛毒よ」

「ほぉ……。それで?このアルジュナに勝てるとでも?」

 

 アルジュナの煽りに男は短剣の突きでもって答える。案外鋭い一撃はそれでもアルジュナに届かない。けれど、分が悪いのはアルジュナの方である。叫べでもすれば人は来るだろうか、人通りの少なさがここで裏目に出てしまった。

 

 シュンシュンと風切り音がアルジュナに迫る。目測で余裕をもって避けているものの、こちらの蹴りも、拳も相手を捉えられない。せめてこの猛毒さえなければ、とアルジュナは歯噛みした。アルジュナの専門は弓、遠距離だ。優れた身体能力で玄人の動きについていっているが、迫る刃を掠りもせずに撃退するといった離れ業は出来ない。相手は暗殺の玄人、それもかなりの手練れだ。

 

『§ΛΦΓΔ¶!』

 

「ぎゃあ!?」

 

 降って湧いたようにその声はこの場を支配した。男の背後から必殺の一撃をもたらさんとするのは、黒い大剣を巧みに操る戦女神。かつての戦場であれ程の畏怖をもたらした存在は今アルジュナを守らんとしていた。

 

 彼女の重い一撃は男をなぎ倒した。身の丈程の巨大な漆黒の刃はどうやらみねうち程度に留めたらしい。そうでなければここは今頃血の海だろう。まぁもっとも男は壁に身を強かに打ち付けて、壁に凹みを作っていた。

 

『ΛΦΓ……』

「ありがとうございます、義姉上」

 

 ふぅっと一息ついた彼女にアルジュナは歩み寄る。彼女はこちらに笑みを向けた。

 

「ぐぅ……お、おのれ」

 

 男の恨めし気な言葉に気づき、そちらに目をむけたとき。男が最後の足掻きで短剣を投擲(とうてき)したのだ。

 

 銀閃がこちらに迫っていた。もはや目の前、毒を塗られた銀の刃が突き立てんと光る。

 

 当たる、とアルジュナが覚悟を決めたその時。

 

 アルジュナの目の前が陰った。否、これは人の背である。この白い衣装は、ひらりと翻る青い裾は、その持ち主は。アルジュナの頭脳が認めたくなくって空回りする。

 

 出来るのは、ふらついたその身体に手を伸ばし受け止めることぐらいだった。ガランと彼女の手から大剣が落ちる。

 

「あ。――あぁ、ああああああああ!! あねうえッ!しっかりして下さい!!」

 

 アルジュナの喉は情けなくも震え、腕の中の人の頬に手で触れる。彼女の腹に刺さる短剣の柄の周りは鮮血で真っ赤に染まり広がっていく。ふらふらと焦点の合わない青い瞳の頼りなさにアルジュナは涙が止まらなかった。

 

『――ΓΦ§……あ、ある……じゅ』

「ええ、アルジュナはここにおりますよ。義姉上ッ、ですから――」

 

 吐息程の囁きはアルジュナの言葉を詰まらせるのに充分だった。彼女は細やかな笑みを浮かべていて、今にも消えてしまいそうだった。

 

『……へ…いき?いたくはない……?』

「ッ!! 痛くないですよ、ほら。この通り義姉上が守ってくださいましたから」

『そっか……。よ…か』

 

 言葉を震わせ涙を流すアルジュナの頬を彼女はそっと拭った。微笑みを浮かべたまま、彼女の力が抜ける。するりと落ちる手をアルジュナは縋るように握った。

 

「あ、あねうえ?嘘でしょう……、ほら――目を開けて下さい。ねぇ、いつものように私に……ッ」

 

 腕の中のぴくりとも動かない身体にアルジュナは俯く。近づいた距離は、彼女の息がない事をアルジュナに残酷に教える。

 

 ガシャンと何かが砕ける音が聞こえる。

 

 

 アルジュナの箱庭は、こうやって壊れたのだ。

 

 

 

 

 

 




※主人公はアルジュナさんの奥さんになった云々を知らないままです。
※彼女の言語機能の欠損は宝具に受けたダメージによるものです。致死とまでいかずともアルジュナさんの必殺の一撃と言われるものを心臓に受けるに等しい感じでした。主人公は翻訳機能が働かないとカルナさん以外とろくに話も出来ないです。

という訳でバットエンドです。如何でしたでしょうか。ちなみに前書きの前提部分は書いていないです。このエンドは作者の戒めの為に書いたのが始まりでした。こうはさせないぞ、という意気込みで。
なので設定はがばがばです。原典マハーバーラタで考えるとおかしな部分が何か所かあるのはまぁ目を瞑ってください(笑)

アルジュナさんの主人公に対する認識は一言で言うと、“聖域”に近しいものなんだろうなぁと思って書きました。
うん、反省します。
ちなみにこのエンドを迎えるとカルナさんとアルジュナさんの関係は結構やばいです。昼ドラ真っ青な設定です。
まぁ本編とは切り離して考えて下さるとうれしいです。では

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