並び立つ二人   作:三毛雅

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 忘れもしない、小学生の終わりが少しずつ見え始めて、いよいよ人間同士のめんどくさいものに悩まされ始める頃の、ある日の事だった。

 その日は夏という季節の中でも、少し雨の匂いが漂ってて蒸し暑い、ゆううつな曇り空だった事をよく覚えている。

 丁度、私のその時の気分を映したかのような『もんやり』加減だったから、余計に。

 

 

 ――学校で、ひょんなことから、親友と思うほど仲良くしていた女の子との仲が悪くなった。

 

 

 確か、始まりは、同じクラスのある男の子に対しての私の態度が回りまわって……どうにかなって、その女の子の気持ちをささくれ立たせたこと……らしい。

 今思えば、多分ほんのり色恋風味の何かだったのだろうけど、今でこそさほど意識を持ってかれることのない物事で、しかも小学生だった頃の私の事だ。

 男女の垣根は出来てきたもののまだまだぼんやりしてて、恋だとか好きな人だとかそんな事は、まだ『ごっこ』でさえも経験するには程遠いように感じる――。

 こんなふうに形の定まらない感覚を持っていた私にとって、その出来事は唐突なにわか雨のような理不尽でしかなくて、結局訳もわからないまま、どうしようもない気分を抱えて家に帰ったのだ。

 

 私の人生において、あの日、お兄ちゃんが話す『黒歴史』のように、どうしようもない出来事を抱え込むということを、初めて経験したんだと思う。

 その時既に影を目の中に淀ませ始めた兄が側にいながら、思い返せば遅すぎる気付きだった。

 

 

 何となく疲れた動きで、縋るように家のインターホンを鳴らす指先を

 2回ほど鳴らしても反応がない時は、家に誰もいないという事だ。

 ピンポン、と、指の動きに合わせて無機質に返る電子音が2回。

 

 ――分かっていたことだけど。

 

「……ただいまぁ」

 

 ランドセルから合鍵を取り出してドアを開ければ、薄暗い玄関の向こうに気配はなく、カマクラは何処へ行ってしまったのだろうか、いつもの様にとてとてとエサをねだりに来る足音も聞こえてこない。

 

 ――分かっていたこと、だけど。

 

 お父さんも、お母さんも、以前より家に帰るのが遅くなった。

 そして、お兄ちゃんも、何故か帰りが遅くなった。疲れたように帰ってくる事が多くて、それを迎えるのが、私の役目のようになっていた。

 最初は寂しかったけど、慣れてきた、慣れていたはず。

 

 ――分かっていた、こと……

 

 なのに。

 なんでそんな当たり前のいつもの事がこんなに心細く感じるのか。

 落ち着かせようとしても、泥のように纏わりつくぬるりと気持ち悪い感情が……嫌だ。

 そろそろご飯の準備をしないといけないのだけれど、宿題も…。

 

 

 ――『小町ちゃんは、可愛いもんね。私から見てもホントに可愛いから、だからかな』

 

 

「……」

 

 

 ――『私ね、こう見えてもね大変なんだ。人の気持ち、本当に本当に考えないと仲間外れにされるし、ちょっと踏み外したら壊れそうな、怖い思いをしながら話してるの。小町ちゃんにわかる? ……たぶん、きっと』

 

 

「『わからないよ』……」

 

 私には、わからなかった。

 親友がいつの間にか少しずつ曇らせていた目。苦々しく笑う、薄く上がった口角。

 その、にわかに消えてしまいそうな面持ちから発せられる、信じられない程の冷たい雰囲気。

 その理由を、私は知らなかった。

 

 

 気付けば脱いだはずの靴を履いて、どこへともなく歩きはじめた自分の足を、ぼんやりとした目で私は眺めていた。

 いつもより下を見すぎて、降り始めた雨に気付くのすら遅れてしまったみたいだ。

 土砂降りじみた夕立ちになったにも関わらず、何となく冷たい温度に気付いたのは、よく遊んでいた小さな公園にある木組みのひさしの下で、ベンチに座り込んだ時だった。

 そこまでの道のりは、記憶の中でもひどくぼんやりとしている。

 

「……ぁ…」

 

 まとわり付く服は、握りしめた手で水がしみ出るくらいに雨を吸って、暗い色に変わっていた。

 ぐじぐじと、踏むたびに音を立てるスニーカーはもう使い物にならないみたいで。

 ただただ冷たかった。

 

「……っふ、ぅ……うぅ……」

 

 怖かったし、悲しかったし、それなのにぐるぐると不安で頭は回る。

 何がいけなかったのか、私はただ楽しく居たいだけだ。仲良くして、楽しく。笑ってたいだけだ。

 明日からどういう顔をしたらいいのか。これから何を誰に話したらいい。

 

「ぁがん、なぃぃ……」

 

 よりにもよって親友だと思っていた彼女の気持ちがいつから曇っていったのかすら、私には分からなかった。

 悔しさの感情も混じり始める。今まで、人のそんな部分を見ないで過ごしてきた自分の根っこの部分が、ぐらぐらと揺らぐ。

 少しばかりの言い合いの中で最後に彼女の放った言葉は、私には衝撃的だった。小学生とはいえ、それなりに何かを積み上げた感覚はあったのに、なんで……気づいてあげられなかったのか。

 もがくような感情の切っ先を、どこにも向けられずにいっぱいいっぱいだった。

 

 

 重苦しくざあざあと雨の音が響く中で、しだいに涙の量は減っていったけど、ただただ虚ろになったような気持ちで、握りしめた手元を見るだけの時間が過ぎてゆく。

 時間の感覚はとうに無くて、耳と目に聞こえて、見えてくる世界が少しだけ遠くなっていくような感覚を覚えはじめた。

 

 だからだろうか、目の前に自分以外の足を見つけるまで、誰かが私のそばにいることに気付かなかったのは。

 

 

「……こんなとこにいたか、小町」

 

 

 

 


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