やはり俺が守りし者なのはまちがっている。   作:ネザース

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 第2話 車輪
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 人気のない夜道に、自動車のエンジン音が響き渡る。

 不意に差しこんだヘッドランプのハイビームが、少女の姿をくっきりと映し出した。

 

「え?」

 

 驚く間もない。

 狭い路地を時速60㎞で突っ走ってきた赤い軽自動車が、少女の体をあっさりとはね飛ばした。

 背負っていたテニスのラケットが宙を舞い、明後日の方向に落っこちる。

 

 甲高いブレーキ音と共に急停止した軽自動車から、3人の若い男女が慌てて降りる。

 車ではねられた少女は、血だまりの中に倒れ伏しており、ぴくりとも動かない。

 四肢をあり得ない方向にねじ曲げたその姿は、まるで壊れた人形のよう。

 

「はねちまった……人はねちまった……どうしよう……」

 

「な、なんでお前、酒飲んだのに運転したんだよ!? 危ないに決まってるだろ!」

 

「何を今さら言ってるんだよ! そもそもお前らが、家まで送れって言い出したんじゃねえか!」

 

 少女を無視し、3人は醜い罵り合いを続ける。

 

「し、知らないわよ! アタシ、助手席に乗ってただけだもん! アタシ何も悪くない!」

 

「なに言ってやがる! 飲酒運転ってのは、同乗者も同罪なんだぞ! お前も、お前もだ!」

 

「マジか……?」

 

「どうすんのよ?」

 

 3人は、青ざめた顔を見合わせた。

 1人がゴクリと生唾を飲む。

 

「…………逃げよう」

 

 その言葉に、残る2人もうなずいた。

 バタバタと車に乗りこみ、再びエンジンをかける。

 

 その一部始終を、被害者の少女は見ていた。

 

「たす……けて……」

 

 か細い切れ切れの声は、誰の耳にも届かない。

 

「いたい……よう……」

 

 霞む視界に、猛スピードで走り去る軽自動車が映る。

 

「いかない、で……おねがい……」

 

 涙がポロポロと、次から次へとこぼれ落ちる

 

「死にたく、ないよう……」

 

 彼女には分からなかった。

 なぜ自分が、こんな目に合わねばならないのか。

 

 高校の部活が遅くなり、急いで家に帰る途中だった。

 あとほんの十分ほどで、家に帰り着くはずだった。

 サラリーマンの父と、専業主婦の母、そして生意気盛りの弟――そんな平凡な家族が、彼女を迎えてくれるはずだった。

 

 だがその全ては、一瞬で奪い去られてしまった。

 元凶の赤い車が、道路のカーブの向こうに姿を消す。

 それを見ながら少女は、唇を噛み締める。

 

 体中が痛い。

 死ぬのが怖い。

 1人なのはイヤ。

 何より、あいつらが許せない。

 赤い車と、それに乗っていた3人の男女の姿を、少女は思い起こす。

 

 苦痛、恐怖、悲哀、そして憤怒。

 そういったありとあらゆる負の想念、すなわち『陰我』。

 それは時としてこの世ならぬ場所への門を開き、人ならざる魔獣を招き寄せる。

 

 ズブリ――

 自身の流した血だまりから、黒い悪魔のような影が身を起こすのを、少女はぼんやりと見ていた。

 

「わたしを……助けてくれるの……?」

 

 今にも消え去りそうな声で、そうたずねる。

 だがその一方で彼女は、そうではないということを悟っていた。

 

 これはただ、奪い、喰らうだけの存在なのだ。

 死の淵に瀕しながら、いや瀕しているからこそ、少女はホラーという存在の本質を正しく理解していた。

 だから――

 

「いいよ、わたしをあげる」

 

 微笑みすら浮かべ、少女は言った。

 

「だから、代わりに……」

 

 最後まで言い終わることなく、少女の眼前で影が牙を剥く。

 その奇怪で醜悪な面貌から、黒い霧のような瘴気が迸った。

 それは少女の目から耳から鼻孔から口から、彼女自身の内側へと潜りこむ。

 

「あ――ああ――」

 

 自分自身を内側から貪り食われる苦痛と、それを超える法悦に、掠れた声が上がる。

 その胸の奥で、人として最後の鼓動が、静かに止まった。

 

 どれだけの時間が流れたのだろうか。

 不意に少女が立ち上がる。

 古めかしいセーラー服の下の体には、もはや傷一つなかった。

 それどころか足元の血だまりすら、綺麗サッパリ消え去っている。

 

「さあ、行かないと」

 

 少女の姿をした何かがつぶやく。

 よく日に焼けた活発的な顔に、あり得ざる邪な笑みを浮かべて――

 

  ○  ●  ○  ●  ○

 

 放課後の総武高校特別棟、奉仕部の部室。

 静かな室内で1人、八幡は数学のプリントに向き合っていた。

 と、部室のドアが静かにノックされる。

 

「開いてるよ」

 

「そもそも鍵なんてかけてないでしょう。失礼するるわ」

 

 そう言いながら部屋に入ってきたのは、雪乃だった。

 八幡は数学のプリントから顔を上げる。

 

「いいわよ、そのまま続けてて。特に連絡事項はなし。この後は解散して、いつも通りの巡回に出ましょう」

 

「ああ、こっちも上がった」

 

 プリントの解答を最後まで埋め終え、八幡は言った。

 もう一度、最初から目を走らせてザッとチェックする。

 問題ない……だろう、多分、おそらく、きっと。

 

 そんな渋面の八幡をよそに、雪乃は手早く紅茶を淹れる。

 

「来週のテスト対策かしら?」

「いくら卒業後の進路が決定済みとはいえ、赤点はさすがにまずいからな。不動の成績学年1位サマには、分からない苦労だってあるんだよ」

「そう」

 

 気のない相づちを打ちながら、雪乃は八幡の紙コップに紅茶を注いだ。

 温かな湯気と共に柔らかな香りが、部室に立ちこめる。

 

 礼を言った八幡は、ストレートのまま紅茶を1口。

 うまい。

 心地よく温まった舌が、調子よく回り始める。

 

「魔戒法師なんてブラックなバイトに首までずっぽりだっていうのに、それでも学業に勤しむ自分の勤勉さを誉めたい」

 

 軽口とも愚痴ともつかない八幡の言葉を、だが雪乃は鼻で笑った。

 

「その程度ではまだまだね。中世欧州のヴァリアンテという国には、執務の合間を縫ってホラーを狩っていた、魔戒騎士の国王がいたそうよ」

 

「……よく過労死しなかったな、その王様」

 

 もはや呆れるべきか感心するべきか分からない。

 まあ、いつの時代も特別な人間というのはいるのだろう。

 そんなことを考えながら八幡は、ぼんやりと窓から外をながめた。

 

 夕暮れの校庭では、様々な運動部が練習に励み、青春を謳歌している。

 その中に葉山たちサッカー部を見つけ、八幡は露骨に顔をしかめた。

 

 文武両道のリア充様か――やっかみ混じりに、八幡は内心でそう思った。

 さすがは葉山様です、略してさすはや!

 何だか雪ノ下の声が似合いそうな言霊である。

 

「……今のはひょっとして、私の真似のつもりなのかしら?」

 

 ついうっかり、口にしてしまったらしい。

 ゴミでも見るような目の雪乃から冷たくにらまれ、八幡は背筋をゾクゾクさせる。

 妙な性癖に目覚めそうだ。

 

 幸いにもと言うべきか、八幡が被虐の倒錯へと傾倒するその前に、勢いよく部室のドアが開かれる。

 

「やっはろー」

 

「……由比ヶ浜?」

 

 底抜けに明るい挨拶と笑顔で入室した少女に、八幡は少々戸惑う。

 昨夜の一件で結衣を狙っていたホラーを狩った以上、彼女との関わりもそれまでだと思っていたのだ。

 事実、今日の教室でも、八幡と結衣は会話どころか挨拶さえしていない。

 

「あの、昨日はちゃんとお礼を言えてなかったから……でも教室でああいうことを話したら、ヒッキーや隼人くんに迷惑かとも思って……放課後まで、待ってたの」

 

「そうか」

 

 どうやら教室での結衣は、意図的に八幡を無視したり避けたりしていた訳ではなかったようだ。

 彼女なりに、気をつかった結果らしい。

 

 そのことを知ってどこかホッとしている自分に、八幡は気づく。

 

「というわけで、あらためまして――昨日の夜も、一昨日の夜も、助けてくれてありがとうございました」

 

 珍しく神妙な顔で、結衣は深々と一礼する。

 それを見た雪乃は、ふっと怜悧な表情を緩めた。

 

「礼を言われるようなことじゃないわ。私たちはただ、守りし者として当然の務めを果たしただけだから」

 

 そのまま雪乃は、新たな紅茶を淹れる。

 

「……守りし者?」

 

「私たち、魔戒法師や魔戒騎士たちのことよ。少しばかり大仰な呼び名だけど、私は気に入ってるわ」

 

 そう言いながら雪乃は、来客用のティーカップに紅茶を注ぐ。

 

「どうぞ、冷めないうちに」

 

「い、いただきます」

 

 雪乃に勧められ、結衣は椅子に座った。

 ティーカップを手に取り紅茶を1口、その目がまん丸になる。

 

「うっわー。ゆきのん、これすっごくおいしい!」

 

「ゆ、ゆきのん?」

 

 いきなり結衣からあだ名をつけられ、雪乃は目を白黒させる。

 もっとも直ぐに八幡の人が悪い笑顔に気づき、咳払いで誤魔化したが。

 

「それで、由比ヶ浜さん。あなたもただ礼を言いに来たわけじゃないでしょう。何の用かしら?」

 

「あ、うん」

 

 カップを両手で抱えた結衣は、うつむいて口籠もった。

 愛らしい顔に、暗い翳りがよぎる。

 

「あの、お化けみたいなの……ホラー、だっけ」

 

 ゆっくりと、結衣は語り始めた。

 雪乃は真剣な面差しで、八幡は気のない素振りを装いつつ、それぞれ結衣の言葉に耳を傾ける。

 

「あれって、いったい何なの? あんなのが、この街にはたくさんいるの? そんなこと考えてると怖くって、昨日はあれから家に帰った後も、ぜんぜん眠れなかった……」

 

 そう語る結衣の顔には、よく見ると目の下にくまができているし、血色もあまりよろしくない。

 先ほどまでの明るい態度も、おそらく空元気だったのだろう。

 

 無理もないな、そう八幡は思った。

 人の姿をした、人食いの化物が、人に紛れてうろついている――こんな事実を知って平然とできる人間など、まずいない。

 特に結衣は巻きこまれ、ホラーの恐ろしさを直に体験したのだから。

 

「そうね、由比ヶ浜さん。あなたは知る権利が、いえ知る必要があるわ」

 

 雪乃も同感だったらしく、うなずきながらそう言った。

 

「でも困ったわね、まず何から説明するべきかしら……」

 

 そうつぶやきながら、雪乃は八幡を見やる。

 何となく、面倒事の予感がした。

 

「比企谷くん、あなたこれから巡回に出るのでしょう。そのついでに、実地で由比ヶ浜さんに色々教えて上げて」

 

「俺が?」

 

「ええ。それが一番、分かりやすい方法だと思うの」

 

 予感的中だった。

 とは言え、八幡にとっては面倒ではあるものの、雪乃の方針自体は正しい。

 

「ヒッキーが、一緒に教えてくれるの?」

 

 何よりも、捨てられた子犬のような目で不安げに自分を見ている少女のことを、無下にはできなかった。

 

「分かった。善は急げだ、行くぞ、由比ヶ浜」

「あ、うん」

 

 渋々と、八幡は立ち上がる。

 残った紅茶を一気に飲み干し、結衣もそれに続いた。

 雪乃が何か言いたげに眉をひそめる。

 

「よ、よろしくお願いします!」

「いや、そこまで気合い入れなくてもいいんだが」

 

  ○  ●  ○  ●  ○

 

 夕暮れの街並みを、2人は連れだって歩く。

 正確には自転車を押しながら進む八幡の1歩後を、結衣がおっかなびっくりついてきていた。

 

「それで、今からお化け退治に行くのかな?」

 

「いや、ホラーが出るのは夜になってからだから。ていうか、ホラー狩りの現場に素人を連れて行ったりはしない」

 

「あ、そうなんだ。うん、そうだよね」

 

 その答えに安心したのか、結衣は豊かな胸をなで下ろした。

 だが、すぐに首を傾げる。

 

「夜にしかあのお化け……ホラーが出ないなら、なんでまだ明るいのに見回りしてるわけ?」

 

「昼には昼の仕事があるんだよ」

 

 そう答えながら、ふと八幡は脚を止める。

 道ばたの崩れかけた小さな地蔵を、じっと見下ろした。

 

「どうしたの?」

 

「昼の仕事の実例だ」

 

 ちょうどいい案配に、人目もない。

 八幡は懐から取り出した魔導筆で、地蔵が地面に落とした影に触れた。

 たちまちその影から、黒い霧のような何かが吹き上がる。

 

 背後で結衣が息を飲むのが分かった。

 八幡は慌てず騒がず、今度はその霧に魔導筆を走らせる。

 穂先に淡い燐光が灯り、霧はたちまち掻き消された。

 

「い、今のって、何?」

 

「陰我――森羅万象に存在する、負の想念ってやつだ」

 

 驚く結衣を振り返りながら、八幡は言った。

 

「いん、が?」

 

「ホラーってのは元々、この世ならぬ異世界――魔界の住人だからな。それが、こういった陰我の宿った物体(オブジェクト)(ゲート)にして、()()()()に這い出て来るわけだ」

 

「えーっと、つまり……どういうこと?」

 

「要するに、夜になるとホラーが湧いてくる穴があるから、昼のうちに探して塞いでおくって話だ」

 

「なるほど、分かった!」

 

 勢いこんだ結衣が、真面目な顔で大仰にうなずく。

 

「で、ゲートから出てきたばかりのホラーは実体を持たず、黒い霧で出来た悪魔みたいな姿をしているんだ。俺たちはそれを、素体ホラーと呼んでいる」

 

「何だか一杯いたやつ、だよね。それじゃ、あのお巡りさんのホラーは何なの?」

 

「ホラーは陰我の宿ったゲートから現われ、そして心に陰我を宿した人間に取り憑く。そうやって憑依した人間を乗っ取り、こちら側での肉体を得る訳だ」

 

「じゃあ、あのお巡りさんも?」

 

「雪ノ下が調べてくれたが、相当な悪徳警官だったらしいな。出来心で万引きとかやらかした女の弱みを握って、片っ端から手を出してたとか」

 

「うわー、最低」

 

 急に低俗な話を聞かされ、結衣は思いっきり顔をしかめる。

 

「女のことで陰我を溜めこむから、女食いのホラーに憑かれたってわけだ。そうやって実体化したホラーは強い。己の陰我に応じた、様々な能力や姿を得ていやがる。素体なら俺たち法師でもなんとかなるが、陰我ホラーの相手は騎士じゃないと厳しい」

 

「大変、何だね」

 

 そうつぶやいた結衣が、ふと立ち止まる。

 

「ねえ、ヒッキーは辛くないの?」

 

 うつむきがちの姿勢で、結衣はそうたずねる。

 西日に照らし出されたその顔には、痛々しいほど真摯な表情が浮かんでいた。

 

「昨日、ホラーからあたしを助けてくれたみたいに、ヒッキーはいつもホラーと戦ってるんでしょう? それ、怖くないの? 逃げたいとか思ったりしないの?」

 

「それは……」

 

 口籠もる八幡。

 

 もし雪乃や葉山がそう尋ねられたとしたら、おそらく迷わなかっただろう。

 態度はどうあれ、それが守りし者の務めだと、躊躇わずに答えただろう。

 あの2人は、そういう騎士であり法師だ。

 

 だが比企谷八幡という()()()()()()の魔戒法師は――

 意識しておどけた表情を浮かべ、大仰な仕草で肩をすくめて見せた。

 

「逃げられるものなら、とっくに逃げてるんだけどな。でも先祖代々の家業なんで、簡単にやめられなくってさ」

 

 それは、事実である。

 だからこそ騎士の道を諦めた自分さえ、法師として懸命にしがみついているのだから。

 

「かー、つれーわー。マジつれーわー」

 

 クラスメイトの戸部を真似てみる。

 そうやって軽薄さを装う八幡を、結衣は何とも言い難い表情でじっと見ていた。

 

 やばい、外したか?

 ――密かに狼狽える八幡に、結衣が小走りに駆け寄ってくる。

 

「あたし、そういうのサッパリ分からないけど……」

 

 すぐ間近から八幡を見上げつつ、結衣は言った。

 少女の甘やかで爽やかな匂いが、八幡の鼻腔をくすぐる。

 

「無理しちゃダメだよ、ヒッキー」

 

 上目遣いの真摯な眼差しと、優しく諭すような声――

 

「お、おう……」

 

 急激に気恥ずかしさがこみ上げてきた。

 目を逸らした八幡は、足早に先を急ぐ。

 

「ちょ、ちょっと待ってヒッキー。早い、早いって」

 

 慌てて結衣が後を追いかけてくる。

 そんな彼女を振り向けないまま、八幡は取り繕うように言った。

 

「まあ、その……心配してくれるのは嬉しいけど、俺たちだって年がら年中ホラーと戦ってる訳じゃないから。そこは安心してくれ」

 

「あ、そうなんだ」

 

「こうやって明るいうちにちゃんとゲートを閉じておけば、そうそうホラーが出てくることは――」

 

 不意に八幡は立ち止まった。

 十字路の右手、狭い路地裏の道を見つめて唾を飲む。

 

「ど、どうしたの?」

 

「前言撤回だ、由比ヶ浜。ゲートが開いてやがる」

「え!?」

 

 驚く結衣を残し、八幡は裏道に踏みこむ。

 取り出した魔導筆を握り、アスファルトの路面に膝をつくと、残ったタイヤ痕の様子を確かめた。

 

「これは……開いたのは昨日の真夜中だな。気づかなかった、クソッ!」

 

 舌打ちする八幡を、ようやく追いついた結衣が見やる。

 表情も、躰も、固く強張っていた。

 

「ヒッキー――また、ホラーが出たの?」

 

「ああ」

 

 隠しても意味はない。

 結衣の問いに、八幡はうなずく。

 

「俺は雪ノ下や葉山にこのことを伝えてホラーを追う。由比ヶ浜、お前は暗くなる前に家に戻れ。ホラーに出くわしたくなければな」

 

「わ、分かった」

 

 真剣な表情でうなずく結衣を残し、八幡は総武校へと駆け出した。

 

「いいか、当分は夜遊びとか控えろよ! 絶対だぞ!」

 

「よ、夜遊びとかしてないし!」

 

  ○  ●  ○  ●  ○

 

 暮れなずむ街の中、結衣は1人、家路を急ぐ。

 駅前近くの通りは人並みでごった返しており、日々の活気に満ちていた。

 だが今は行き交う人々の中に、この街のどこかに、人を喰らう魔獣――ホラーが紛れこんでいるのだ。

 

(……怖い)

 

 ホラーのおぞましい姿を思い出した結衣は、小さく身を震わせ――ふと脚を止めた。

 人混みの中に、見知った顔を見つけたのだ。

 

 やや古いデザインのセーラー服に、ショートヘアの似合うよく日に焼けた活発的な顔立ち。

 間違いない、中学時代の友人だった陣馬詩織だ。

 

「やっはろー、シオリ」

 

 不安の中で友人と会えた安堵も手伝い、結衣は必要以上に明るすぎる声を上げた。

 立ち止まった少女が、こちらを振り向く。

 

「…………ユイ?」

 

「やっぱりシオリだ。うん、ほんと久しぶりだね」

 

 中学生の頃は仲の良かった結衣と詩織だが、進学先の高校が別々だったこともあり、どうしても卒業以降は疎遠になっていたのだ。

 最後に詩織と会ったのは去年の秋、文化祭で互いの高校を訪ね合った時だから、もう半年ほど前になる。

 

「部活の帰り? 頑張ってるんだね、テニス」

 

 詩織が背負っているテニスのラケットを見ながら、結衣は言った。

 だが詩織はそれに対し、曖昧な笑顔で首を振った。

 

「今日は、ちょっと……人捜し、してるんだ」

 

「あ、そうなんだ。忙しいとこ呼び止めちゃってゴメン」

 

「ううん、いいよ。久しぶりにユイと話せて嬉しかった。じゃ、もう行くね」

 

 やや大仰な仕草で、結衣は手を合わせる。

 苦笑した詩織は、踵を返すと手をヒラヒラ振りながら歩き出す。

 

 友人の背中を見送りながら、結衣の中では得体の知れない不安がこみあげてきた。

 昨夜のホラーの怪異な姿や、先ほどの八幡の真剣な表情が、脳裏をよぎる。

 

「シ、シオリ!」

 

「……どうかした?」

 

 思わず大声で呼び止めた結衣に対し、詩織は怪訝そうに振り向いた。

 

「あ、あのさ、人捜しは大変だと思うけど、暗くなる前には家に帰った方がいいと思う。そ、その……色々物騒みたいだし」

 

 さすがにホラーのことを言っても、信じてもらえるはずがない。

 自分でも説得力のないことを言ったと思う結衣の前で、詩織は小さく笑う。

 

「心配してくれてありがと。でも、大丈夫だから」

 

「あ、あの……」

 

「それじゃ、さよなら。またね」

 

 今度こそ立ち去った友人の姿は、あっという間に雑踏へと消えた。

 

  ○  ●  ○  ●  ○

 

「夜は色々物騒、か」

 

 人混みを縫って歩きながら、詩織は小さくつぶやいた。

 吊り上がった口元は、三日月に歪んだ酷薄な笑みをつくっている。

 そう、結衣の知る陣馬詩織という少女ならば、決して浮かべないだろう表情――

 

「相変わらず、ユイって面白い。今のわたしに、あんなこというなんて」

 

 チロリと伸びた赤い舌が、唇を舐め上げた。

 

「それにしてもあの子って、あんなに美味しそうだったんだ……」

 

  ○  ●  ○  ●  ○

 

 その夜の結衣はマンションの自室で、珍しく数学のテスト勉強に没頭していた。

 半ばホラーへの恐怖からの逃避行動だったのだが、自分でも意外なほどにはかどっている。

 と、机の上で携帯電話の着信音が響いた。

 

「カナからだ。珍しいな」

 

 大野佳奈子、詩織と同じく中学時代の友人だ。

 ちなみに詩織と同じ高校に進学し、去年の文化祭では久しぶりに3人で遊んで回った。

 

「やっはろー、カナ。久しぶりだね」

 

「あ、うん、久しぶりだねユイ」

 

 久々に聞いた友人の声は、なぜか妙に緊張していた。

 

「どうしたの?」

 

「ごめん、その、何ていうか……」

 

 電話の向こうで佳奈子は、何とも要領を得ない様子で言葉を濁す。

 結衣は特に急かそうとはせず、佳奈子の方から本題を切り出すのを待っていた。

 

「……ユイ、あんた最近、シオリに会ったことない?」

 

「シオリ? 今日の夕方に街でバッタリ会ったけど」

 

「それ、本当!?」

 

 いきなり佳奈子の声の、オクターブと声量が跳ね上がった。

 

「ちょ、ちょっとカナ、いきなり大声――」

 

「どこで!? いつ!? 誰かと一緒じゃなかった!?」

 

「あ、うん、えーっと……あたしの家の近くの駅前で、大通りの――ほら、あの喫茶店の近く。それで、時間は――」

 

 友人の剣幕に驚きつつ、結衣は詩織とのやり取りを思い出しながらポツポツ語る。

 佳奈子は無言のまま、その言葉に耳を傾けていた。

 痛いほどの緊張と真剣さが、沈黙の向こうからヒシヒシと伝わってくる。

 

「――それで、お終い。ほんの立ち話だったけど」

 

「なるほど、シオリは人捜しをしてるって言ってたのね。ありがとう」

 

「ねえ、シオリに何かあったの?」

 

 ためらいながらも、結衣はそう尋ねる。

 しばらく押し黙っていた佳奈子だが、やがて小さく息をついた。

 

「シオリが――あの子が姿を消したの」

 

「え?」

 

「昨日の夜に部活が終わって学校を出た後、家にも帰ってないんだって」

 

 




 だいぶ遅くなりましたが、続きを投下します。
 申し訳ありません。

 ちなみにホラーの被害者ですが、さすがに俺ガイルの本編キャラをホラーの餌にするのもアレですんで、基本的には今回みたくオリキャラを当てようと思います。
 あくまで基本的には、ですが。

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