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光あるところに、漆黒の闇ありき。
古の時代より、人類は闇を恐れた。
しかし、暗黒を断ち切る騎士の剣によって、人類は希望の光を得たのだ。
○ ● ○ ● ○
その日、由比ヶ浜結衣という少女の世界が一変した理由は、いくつかの細かな要因の積み重ねによるものだった。
第1の要因は、放課後に友人たち3人でカラオケボックスに繰り出したこと。
およびグループの中心である、三浦優美子の不機嫌である。
「――――――」
ガンガンにボリュームを上げた大音量が、室内に響き渡っていた。
マイクを両手で握り締めた三浦が、縋りつく様な声で洋楽のヒットナンバーを熱唱する。
「うっわー……」
壁際のソファーに腰かけた結衣は、愛らしい顔を引きつらせた。
三浦の歌は、相当に上手い。
すらりとした長身から発せられる声量は見事で、音階やリズムのセンスも素人離れしている。
だが今日の歌声には、必要以上の情感――というよりも情念が籠められており、正直かなり怖かった。
「優美子、気合い入ってるよねえ」
隣に座っていた海老名姫菜が、のんびりとした調子でそう言った。
眼鏡の下で目を細めて苦笑しつつ、手にしたタンバリンをいい加減な拍子で打ち振っている。
「気合い入ってるっていうか、入れ込み過ぎだと思う」
「うーん、やっぱり隼人くんのドタキャンが効いてるのかな?」
声をひそめて、海老名はささやく。
それを聞いた結衣は、クラスの友人でサッカー部エース葉山隼人の、胡散臭いほど爽やかな笑顔を思い出した。
ちなみに目を閉じてシャウトしている三浦は、2人のやり取りに気づいていない。
「ショッピングの約束をドタキャンとか、隼人くんらしくないよねー。優美子、あんなに楽しみにしてたのに」
「あれは楽しみにしていたというより、浮かれてたんだと思うけど。でもまあそこは、ユイに同意かな」
「だよねー」
友人と意見の一致に至った結衣は、ちょうどサビに差し掛かった三浦の歌に意識を戻す。
ただ三浦の歌の上手さはよく分かるのだが、英語の歌詞がサッパリなため、どうも今一つのれない。
と、海老名がまたもつぶやいた。
「やっぱり男の人は男の人同士で、女の子は女の子同士で恋愛すべきだと思うのよね。ユイもそうでしょ?」
「……………………え?」
とんでもない問いかけに、結衣は凍りついた。イヤな脂汗が、ぶわっと吹き出す。
海老名が
できれば冗談ということにして流したいところだが、眼鏡の下の目は完全に本気だった。
「――――――――!!」
結衣が硬直する中、絶叫じみたビブラートを響かせて三浦は歌い終えた。
額の汗をぬぐい、ダイエットコークを一気飲み。採点は、貫禄の96点である。
「お、おースゴイ! さすが優美子!」
結衣はわざとらしい拍手で、海老名をスルーする。
自分が三浦の歌をまともに聞いてなかったことは、とりあえず棚上げにすることにした。
そんな結衣をじろりとにらむと、三浦はマイクを差し出した。
「次、ユイの番っしょ」
「あ、うん。でも優美子の後だと、ちょっと恥ずかしいなー」
わざとらしく笑いながら、結衣はマイクを受け取った。
立ち上がると、流行のアイドルの新曲が流れ始める。
「ユイ、あーしより点が下だったら罰ゲーム」
「ちょ!? いやいや、ムリだってそんなの!」
「まー頑張ってね。大丈夫、骨は拾ったげるから」
「え~~~~!?」
三浦の無茶振りと海老名の無責任な激励に背を押され、結衣は半泣きで歌い始める。
ちなみに罰ゲームとして強いられたのは、とある落語家の物真似だった。
由比ヶ浜結衣は、三浦優美子の意外な一面を知ったのだった。
○ ● ○ ● ○
結衣3人がカラオケボックスから出た時、日はすでに暮れかけていた。
「あー、歌った歌った。んースッキリ」
「もう、のどガラガラ」
「あはは。じゃ、明日また学校で」
そのまま解散、三浦や海老名と別れ、結衣は家路を急ぐ。
いつもはバス通学の結衣だが、この初めて来たカラオケボックスは、穴場なのだが交通の便が悪い。
駅前のマンションにある自宅まで、歩いた方が早いのだ。
「……あ」
人の姿も疎らな住宅地を歩きながら、ふと結衣は立ち止まった。
目前には、最近の緑化計画で造られた公園の入り口がある。
この位置からだと、この公園を抜けていくのが家までの近道なのだが――
(ど、どうしよ?)
結衣は戸惑っていた。
人気のない夜の公園が、彼女の目には何だか不気味に見えたのである。
(う~~ん)
ほんの少しだけ迷った後、結衣は決断する。
「お、女は度胸」
自分でもよく分からない声を上げながら、結衣は公園に脚を踏み入れる。
……その決断が、第2の要因となった。
○ ● ○ ● ○
薄ぼんやりとした照明の下、結衣はおっかなびっくり遊歩道を進んだ。
宵闇に沈みこんだ公園は静まりかえっており、人影どころか猫の姿さえ見えない。
(やっぱり遠回りすればよかった)
今さらながら結衣が後悔していると、不意に左の茂みから音がした。
「――――!」
無言で硬直する結衣の耳に、すすり泣く様な女性の声が聞こえる。
反射的にそちらを見やり、結衣は今度こそ呼吸を止めた。
茂みの向こうの広場、その地面の上で2つの人影が揉み合っている。
夜の暗さのため、詳細は判然としない。
だが押し倒されて必死にもがいている若い女性と、その上にのしかかる黒ずくめの男の姿は見て取れた。
少なくとも、結衣にはそう見えた。
(ど、どうしよう!?)
逃げるべきだ、と脳の一部が激しく主張する。
本物の暴力と犯罪を前にして、ごく平凡な女子高生の自分にできることなんて何もない。
むしろ急いでこの公園から逃げ出し、誰か人を呼んで助けを求めるべきではないだろうか、と。
だがその時、同時に結衣の脳裏をとあるクラスメイトの姿がよぎっていた。
およそ1年前になる入学式の朝、散歩中に車に轢かれかけた愛犬のサブレを、
比企谷八幡――彼だったら今どうするだろうか?
(ヒッキーなら、きっとあの人を助けようとするはず!)
結衣はそう思った。
そう思ってしまった。
「や、やめてよ! そ、その人、嫌がってるし!!」
なけなしの勇気を振り絞り、上ずった声を張り上げる。
それが最後の――そして決定的な要因となった。
「け、警察に電話するから!! す、すぐにお巡りさんが来るんだから!!」
取り出した携帯を、これ見よがしに掲げてみせる。
だが影は振り向きすらせず、組み伏せた女を苛み続けている。
「き、聞いてるの!?」
その叫びに、ようやく影が反応した。
女の躰の上で身を起こし、ゆっくりと結衣を振り向く。
ちょうど雲間から差しこんだ月光が、その姿を照らし出す。
「……………………え?」
目にした信じがたい光景に、結衣は呆然となった。
その影は、男ではなかった。
そもそも、人ですらなかった。
瞳を持たない白い目と、剥き出しの乱喰い歯が目立つ醜悪な顔。
黒一色の、ゴツゴツした体皮。
拗くれた一対の角に、背中から生えた小さな翼。
その影は、いわゆる『悪魔』そのものの姿をしていた。
「な、何? なんなのこれ?」
その時、結衣は恐怖を感じていなかった。
唐突に放りこまれた非現実の世界に思考がついていけず、肉体も精神も半ば麻痺してしまったのだ。
その場にへたりこんだ結衣の前で、影は再び女に覆い被さる。
ぺちゃり――
ぺちゃり――
重く、湿った、おぞましい音が響く。
(あの人、食べられてるんだ)
生きながら心身を貪り食われる苦痛に、女性は切れ切れの悲鳴を上げる。
その声は徐々に掠れ、弱まり、そして消えた。
食事を終えた影が、ゆっくりと立ち上がり、そして結衣の方に向き直った。
次は、自分の番だ――そう悟った結衣の中で、ようやく激烈な恐怖がこみ上げてきた。
「あ……ああ、あああ――――」
怯え、震え、涙をたたえてクシャクシャに歪む結衣の顔。
それを見た影は、白一色の目を細める。
笑っているのだ。
「いやだ、いやだよお……」
ゆっくりと近づく影の姿に、結衣は弱々しく首を振る。
「こないで、お願い……」
逃げようとはしているのだが、完全に腰が抜けてしまい、しゃがみこんだまま弱々しくもがくことしかできない。
「お願い、誰か助けて!!」
そう叫ぶ哀れな獲物の前で、影はカッと口を開き――突如として飛来した光の弾が、その醜い顔面に直撃した。
グラリと影の体が揺れる。
その口から上がった奇怪な叫びは、明らかに苦痛によるものだった。
「へ?」
さらなる事態の急変について行けず、結衣は目を丸くする。
「……まさか、こっちが当たりだったのかよ」
背後から、そんな呻き声が聞こえた。
結衣は恐る恐る振り返る。
(この声って、まさか)
そこにいたのは、結衣と同年代の少年だった。
黒一色の奇妙な装飾が施された服を着こんでおり、中途半端に整った顔立ちは緊張に引きつっている。
なぜか両手で大振りの
結衣の知っている顔だった。
「…………」
唖然とする結衣の前に、少年は立った。
まるで、影から彼女を守ろうとするかのように。
「いいか、早く逃げ――」
「……ヒッキー?」
そのつぶやきで、ようやく少年――比企谷八幡も、結衣が誰なのか分かったようだ。
ギョッと三白眼を見開く。
「ゆ、由比ヶ浜? ちっ」
舌打ちした八幡は、苦痛と憤怒に吠える影に向けて、手にした筆を突きつけた。
その穂先に、淡い燐光が灯る。
闇夜に走る八幡の筆、その軌跡が虚空にいくつもの奇怪な文字を描く。
「はっ!」
八幡の声と共に、それらの文字が円陣を組んだ。
その中心から迸った光の矢が、再び影を撃つ。
またもや影が上げた悲鳴は、もはやほとんど悲鳴そのものだった。
苦痛に身をよじった影は、背中の羽を広げると、そのまま夜空へ飛び上がった。
月を背後に飛び去るその姿は見る見るうちに小さくなり、そして消え去る。
逃げたのだ。
突如として訪れた静寂の中、ぶるりと身を震わせた八幡は、喘ぎながら額の脂汗をぬぐった。
「ヒ、ヒッキー、大丈夫?」
ようやく立ち上がれた結衣も、覚束ない足取りで八幡に近づく。
何もかもサッパリ分からない、理解と常識を越えた奇々怪々な事象の連続。
だが1つだけ、彼女にも分かることがあった。
(あたし、またヒッキーに助けられたんだ)
少女の豊かな胸の奥に、暖かな何かが灯る。
「あ、あの――」
「待て、由比ヶ浜」
意を決した結衣の声を、八幡は心底から申し訳なさそうに遮る。
「その――本当にすまん」
再び八幡が、筆で空中に文字を描く。
それを目にした途端、結衣の意識は暗転した。
○ ● ○ ● ○
『そう、ホラーはそちらに出たの。私の読みが外れたようね』
「素体が1匹だけな。追い払った、というより逃げられた」
『あなた1人で危険を冒す必要はないわ。被害は?』
「女が2人襲われていて、1人は間に合わなかった」
『……それは、残念ね』
「もう1人は助けられたんだが、ちょっと問題があってな」
『何かしら』
「その、俺のクラスの女の子だったんだよ」
『え?』
「ほら去年の入学式、俺とお前が初めて顔合わせた時の子だよ。あの、犬の散歩してた──」
『ああ、由比ヶ浜さん、だったかしら?』
「術で暗示をかけて家に帰らせたが、俺の顔は見られたし、覚えていると思う」
『それは確かに問題ね』
「やっぱり、魔戒法師と高校生の兼業って無理がないか? こんな変わったことやってるのって、この管轄区くらいのものなんだろ」
『平つ──番犬所のシズカ神官の方針よ。私たちが口を挟めることではないわ』
「あの人、単に自分が教師ゴッコしたいだけだろ。ウン百年も生きてるマジな妖怪ババアのくせして、妙なところでガキっぽいし」
『そうね。その意見には賛成するわ』
「だろう? そもそもだな……」
『──聞こえているぞ、お前たち』
「あ」
『あ』
○ ● ○ ● ○
翌日の総武高校2-F教室。
「ちょっと隼人ぉ、昨日のドタキャン、あーし本気で傷ついたんだけど」
「ごめんよ優美子。本当に悪かったと思ってる。必ず埋め合わせはするから」
「まーまー優美子も落ち着けって。隼人くんも事情があったみたいだし、しょうがないっしょ」
「うんうん、やっぱりとべっちは隼人くん庇うんだ。愛だね! 愛のなせる業だね!」
「だから海老名は擬態しろし。つーかなぜそこで愛?」
つっかかるポーズを取りつつ葉山に甘える三浦と、真摯に詫びる葉山、そのやり取りを軸に茶々を入れる周囲の友人たち。
いつも通りの友人グループの中で、結衣はどこかボンヤリとしていた。
会話の流れに合わせて適当な相槌を打ちつつ、その意識と目線は教室の片隅で1人頬づえをついている、八幡に向いていた。
(昨日のアレ、何だったんだろ?)
実際のところ、昨夜の結衣の記憶は判然としていない。
黒い悪魔の様な影を、八幡が追い払ったことまでは覚えている。
だが次に記憶があるのは、今朝方の自室のベッドの中なのだ。
母親の話によると、昨日の結衣はマンションの自宅に帰ってくるなり、食事も取らず部屋に戻って朝までそれっきりだったらしい。
無論、結衣の中からその当たりの記憶はスッポリ抜け落ちている。
(やっぱり、夢だったのかなあ)
そんな風に内心では思いつつ、それでも結衣はチラチラと八幡を見やる。
「誰を見ているんだい、結衣?」
不意に耳元で囁かれた柔和な声に、結衣はビクリと背筋を震わせた。
いつも通りの笑顔で、葉山は結衣を見やる。
「な、何でもないよ。昨日、優美子や姫菜と別れた後、帰り道でヒッキーとバッタリ会ったってだけ」
あははと、取り繕うように結衣は笑う。
「なるほど、昨日ヒキタニくんとね」
一方の葉山は、何やら意味ありげにうなずく。
「でも、あまり彼には近づかない方がいいと思うな。結衣みたいな子とヒキタニくんじゃ、住んでいる世界が全く違うんだからさ」
「え?」
葉山らしからぬ言葉に、結衣は思わず目を瞬かせた。
「うっわー、キツいわー。 今日の隼人くん、マジでキツいわー」
サッカー部の戸部が言った。
それを切っ掛けに話題が、また別方向にズレる。
そんな中で結衣は1人、今度は葉山の様子をうかがう。
(さっきの隼人くん、どうしたんだろ?)
葉山のハンサムな顔に浮かんだ笑顔が、結衣にはいつものソレとまるで別のものに見えたのだ。
2年振りの俺ガイル新刊発売決定と、牙狼1期HDリマスター視聴で上がったテンションのまま書き散らしました。
基本、牙狼の世界観に俺ガイルのキャラを放り込んだ形になります。
ストーリー自体は一応、オリジナルの予定。
時間軸は綱牙編と雷牙編の間くらいと、漠然と想定しています。
キャラ・設定とも擦り合わせのためかなりイジっていますが、なにとぞ寛大な心でご容赦の程を願います。