用務員さんは勇者じゃありませんが転生者ですので 作:中原 千
そろそろ街へ繰り出してみようか。
蔵人はそんな事を考えていた。
この男は一人でいると一日のほとんど、時によっては一日のすべてを研究に費やす引きこもり気質ではあるが、この神秘に溢れた世界に来てからは、それと同等に外から得られる着想を重要視していた。
それ故の思い付きである。
とはいえ、朝という時間をよく言えば優雅に、悪く言えばダラダラと過ごす蔵人達にとって、本格的な活動の時間は早めの起床に反して昼頃からである。
そこから、フィールドワークなどをしていると更に時間は経過してしまう。
日は南中を逸れ、昼過ぎとも夕暮れとも言い難い微妙な時間帯に、蔵人は竜山の麓の街、バルティスの酒場の扉を開けた。
「失礼する。」
「まだ準備中だよ。」
カウンター席でぼうっと頬杖をついていた恰幅のいい女主人が気だるげに言った。どうやら開店準備が一段落し、休憩中だったようだ。
「すまない、目的は飲食ではないんだ。この酒場で町の依頼を仲介していると聞いてきたのだが、貴女がレイレさんでよろしいだろうか?」
「…………あんた、ハンターだろ。星は?」
胡乱げな目を向けてくるレイレに、蔵人は表情を崩さずに答える。
「八つ星(コンバジラ)だ。」
「…………帰りな、と言いたいところだけどあんた、エスティアの紹介だろう。パーティーは?」
「パーティーか。私の他には四人と猟獣だ。ところで、エスティアとは誰だろうか?」
「えっ?」
レイレの顔から気だるげさは消え、代わりに困惑が全面を塗りつぶした。
◆◆◆◆◆◆
「ハハハ、それは誤解だ。私は旅の途中に偶然この街に立ち寄っただけで、エスティアなる娼婦は顔すら知らん。この酒場の事だって、この街の町長から聞いたのだからな。」
蔵人は笑いながらレイレの誤解を訂正する。
レイレが言うには、バルティスを出てマルノヴァへ行き娼婦となったエスティアという女性が、ハンターの客に料金の半額を提示してバルティスで依頼を受けるように要請しているらしい。
それが高じて何人かは冷やかしついでにこの街に訪れたらしいが、報酬額を知るとさっさと帰ってしまったらしい。
「それで、あんたが旅人だってのは分かったけど、本当に依頼を受けるのか?言っておくけど、今の北バルークではまともな報酬は期待できないよ。正直なところ、八つ星(コンバジラ)くらいのハンターなら間に合ってるしねえ。」
「路銀は足りているのでな。額は問題じゃない。それに、ハンター資格は身分証のためにとったものでね、ここまでは依頼の片手間で上げられたが、もう一つとなるとどうにも物臭が勝ってしまってね。まあ、成功すれば儲け物と、塩漬け依頼でも出してくれ。」
レイレは呆れたように半眼を向け、ため息をつくとカウンターの下から紙束を取り出して蔵人に渡した。
蔵人はそれを流し読み、数枚を取り出し懐に入れた。
「これらを受注しよう。報酬の件だが、」
「…………だから言ったろ、まともな額じゃないって。」
「金銭は必要ない。私が欲しいのは、しばらくこの周辺で物見をするための地盤だ。」
そこで一度言葉を区切り、少し前に出して貰った紅茶で口を湿らせると、再び口を開いた。
「すなわち、周辺の地図、他街の町長への紹介状、あとは適当な情報や噂話だ。」
「勿体ぶったわりに、普通じゃないかい?というか、それなら依頼を受けなくたって渡せるが…………」
「であれば、しばらく世話になる者への袖の下とでも思ってくれ。短い間だが、どうぞご贔屓に頼む。紅茶の代金は報酬から差っ引いてくれ。」
蔵人はそれだけ言うと、酒場を立ち去った。
◆◆◆◆◆◆
翌日。
「start-up(起動)『Storch Ritter(コウノトリの騎士)』!」
アカリは朧黒馬(フォネスカッロ)と対峙していた。
起動させたシュトルヒリッターの光弾に合わせて逃げ道を塞ぐように火精魔術で火球を放つが、朧黒馬(フォネスカッロ)は驚くべき速さと身のこなしでそれらを避けていく。
このままでは埒が明かないと判断したアカリは白地の手袋をはめ、素早く文字を刻んだ。
「速度を上げましょう。ehwaz(ヘワズ)!」
刻まれたのは馬のルーン。
アカリが火球を放つ速度が著しく上昇する。
思考速度は加速されていないため、大きな負担がアカリを苛んでいるが、意思の力で苦痛を捩じ伏せ集中を深める。
より速く、より嫌らしくなっていく光弾と火球の包囲網に、朧黒馬(フォネスカッロ)は次第に余裕を崩していく。
「Degen(剣)」
火球に逃げ場を塞がれ、朧黒馬(フォネスカッロ)が足を止めた一瞬の隙を突いて、シュトルヒリッターからバレルを首筋に射出した。
―ブルルルアァァ
絶叫を上げて朧黒馬(フォネスカッロ)は走り出す。
もはや火球を避けることなど頭になく、遮二無二猛り狂っている。それゆえ、動きは直線的になっても、速度は段違いだ。この一瞬で既にアカリからかなりの距離をとっている。
だが――
「終わりです。」
アカリの言葉と共に、朧黒馬(フォネスカッロ)の体が激しく痙攣し、倒れる。
骸の損傷は首筋の小さな穴と内側の多少の焦げ跡のみと、高位のハンターと比べても遜色ない品質である。
アカリはその骸に静かに近付き、バレルを引き抜いて、ほっと一息ついた。
「ふう、なんとか成功させられました。」
朧黒馬(フォネスカッロ)へのとどめは雷精魔術であるが、通常、他者の体内に直接精霊魔術を発動させることはできない。相手の魔力に阻害されて精霊に魔力を介しての意思伝達ができなくなるからだ。
それを可能にしたのが、シュトルヒリッターのバレルに取り付けられた"電気メス"である。これを起点にして、電流の良導体である血液を介して朧黒馬(フォネスカッロ)の中枢神経を焼き切ったのである。
出血を防ぎながら細胞を切ることを目的としている電気メスには当然、魔獣を感電死させる程の電流は発生させられない。だが、電気メスはその性質から多数の雷精を惹き付けている。
それをバレルに取り付けることで、シュトルヒリッターを経由して魔力を接続し擬似的な遠隔雷精魔術を成立させている。
このような、余計な場所の損傷を避けて弱点のみを最小限の威力で叩くという繊細な使い方は本来は精霊魔術には向かないのだが、そちらは、精霊との友好度を上げる事によって可能にしている。
精霊魔術には、同一の精霊で行使を繰り返すと、意思伝達が円滑になり、効率や威力も向上するという性質がある。これは、蔵人の研究でも実証されている。
一般には精霊を見分ける方法は存在しないが、アカリには加護(力)があった。
蔵人と感覚同調することによって精霊を可視化し、「不安定な地図と索敵(レーダーマップ)」でマーキングし、その雷精でひたすら反復練習したのだ。
その努力が実り、相手の内側から中枢神経を焼くという恐ろしい魔術が完成したのだった。
こんな魔術を見せられて、あの男が黙っていられるわけがない。
「アカリ、良い魔術だった。素晴らしい、本当に素晴らしい!」
蔵人がアカリの頭を嬉しそうにガシガシと撫でる。
テクニックにあまり気を回していない、感情が先に来ている撫で方だった。
そんな、雑とも取れる撫で方に、アカリは嫌な顔一つせずに、むしろ嬉しそうに目を細めている。
ヴィヴィアンは蔵人の横で、微笑みながらそっとアカリへの祝福の段階を上げた。
「ありがとうございました!…………でも、アレを見ると、やっぱり私はまだまだですね……」
アカリが向けた微妙な視線の先では、
「フフフフフ、いきますよ私の斧(ナバー)。」
駆け回る朧黒馬(フォネスカッロ)の先で、ヨビが斧を腰に構える。
そして、翼をはためかせて低空飛行し、急激に加速すると居合い抜きよろしく、すれ違い様に喉笛を抉り飛ばした。
荒々しくも繊細な、斧人一体とでも言うべき神業である。
そこから視線を少し上に上げると、
「慣れない突っ込み役で溜まったフラストレーションの捌け口になるがいい!うにゃあーばるばるばるもーうっ!『無銘勝利剣(えっくすかりばー)』!」
ヒロインXが、謎の粒子を撒き散らして飛行し、獲物を横取りしようと群がってきた緑髭飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)達を相手に謎の絶叫を上げて荒ぶっていた。
その姿は猛々しさと共に、言い表せないもの悲しさを見る者に与える。
「あの娘も楽しそうで良かったわ!最近、疲れた様子だったもの!」
それを見て、ニコニコと笑ってそう言ったヴィヴィアンの姿は、今後もXの気苦労が絶えないであろうことを容易に想像させる。
雪白は不憫ね、とXに同情の視線を向けた。しかし、Xが隙あらば突っ込み役としての負担を自分にも押し付けようとしている事を知っている雪白が優しくなることはない。
獣の身には剰るわ、と一歩引いた態度を貫き通す事だろう。
◆◆◆◆◆◆
―ギー
アカリの腹部に取り付けられたポケットから、カンガルーのようにアズロナが顔を出して一鳴きする。
今朝方蔵人によって取り付けられたばかりのものだが、妙な収まりのよさがある。
アカリはだらしない表情になってアズロナの頭を撫でた。
口許からは涎が垂れ、それを呆れたように雪白が尻尾を使ってアカリのポケットからハンカチを抜き取って拭き去る。
そのときに顔に当たるモフモフとした感触が事態を悪化させている事には気付いた上で無視をする。
今、蔵人達がいるのはバルークだ。
朧黒馬(フォネスカッロ)の他に多少の狩猟依頼と採取依頼をこなして戻って来たところである。
報告のため足を踏み入れた酒場は、夕暮れ程とピークには多少早い時間であったが、大いに賑わいを見せていた。
「景気が良さそうで何よりだ。依頼の品だが、魔獣の方は量が量なのでな、裏口に置いてある。後で確認してくれ。こっちは薬草類だ。」
レイレは手渡された袋の中を確認すると、小さな木の板と何枚かの紙をカウンターの上に取り出した。
「そうかい。じゃあ、これが約束のもんだ。木の板は紹介状のようなものさ、他の村についたら村長に見せるといい。そして紙のほうはいくつかの村までの地図さ。それで、情報の方は…………」
「何かを頂きながら聞きたい。メニューなどは―――」
―ドンッ
蔵人の横を掠めるようにカウンターに拳が叩きつけられた。
「――どこのハンターだか知らねえが、何しに来やがった!」
拳を叩きつけた男は呂律が多少怪しく、頬に赤みを帯びている。
どうやら酔っぱらいが絡んできたようだ。
「強いて言うならば、食事だろうか?」
「そんなこと聞いちゃねえんだよっ!おめえがエスティアに誑かされてここに来たことはわかってんだッ!」
また、「エスティア」か。などと考えながら酔っぱらうの対応を横着していると、目の前の酔漢はますますヒートアップしていく。
「無視してんじゃねえ!いいか、裏切り者の売女に憐れまれる筋合いはねえッ!さっさと帰ってあの売女の小汚ねえ体でも―――」
「―――面倒だ。silentium(沈黙)」
突然声が出なくなり、驚いた酔っぱらいが必死に口をぱくぱくさせるが声が出る兆しはまったく無い。
「それはすぐに解くから落ち着いて聞きたまえ。ここで私が依頼を受けているのは、旅の途中で偶然ここに立ち寄ったからだ。そして、私はエスティアなどという女性に会ったこともない。何よりも私は妻帯者だ。未成年の弟子もいる。娼婦を買うわけがなかろう。理解しただろうか?」
ヴィヴィアンとアカリの手を引き寄せてから、多少の威圧を簡易術式で組んで問いかけると酔っぱらいの男はフルフルと何度も顔を上下に動かして頷いた。
「ふむ、解って貰えたようで何よりだ。それでは私達は席について夕食と洒落込もう。レイレ殿、メニューはお任せで頼む。」
そのまま蔵人は二人の手を引いて大人数席に向かった。雪白達もそれに追従する。
(―――人種のサンプルは間に合っているのでね。敢えて事後処理が要る事態にする必要もあるまい。)
今、和やかに蔵人の手に繋がれた両の手は、しかしつい先程までは聖剣と電気メスが握られていたのだった。
書いていて思ったのですが、主人公が満たされていると、型月感、及び真っ当な魔術師感が薄くなってしまう気がしますね。
そういう意味では、一章は比較的、"らしさ"を出せていた気がするのですが、そもそもこれを書こうと思った切欠が、「用務員さんは勇者じゃありませんので」の世界で幸せな主人公を書きたい。でしたから、"らしさ"を出そうとすると本末転倒になるジレンマ。
如何ともしがたいですね。
「魔術師」と「愛妻家」を両立していたケイネス先生とトッキーって本当に凄いんだなって再認識しました。精進せねば。
差し当たっては、プロット通りに進める所存ですが、なんとかしたいですね。