「…………ッ!!」
達也の目が、そのタブレットに釘付けになっていた。
そのタブレットに映っていたもの-それは。
「閣下……ッ!」
両手を頭上に拘束され、さらに上半身に痛々しい傷が目立つ己の師匠の九島烈。
そして格子の外からそれを見つめるしかない女性が映っていた。
「姉さん……ッ!」
光宣が叫ぶ。
達也には面識が無いから、女性に対する気持ちはない。ただし光宣にとっては自分を大切にしてくれた従姉(実際は異父姉)であるため、痛々しい思いでタブレットを見つめていた。
「どうですか? これが条件です」
「貴様……ッ!」
達也が椅子から立ち上がる。
それまで余裕の表情でいた達也が焦りだし、逆に余裕の無かった深雪に笑みが浮かんでいた。
「私と仲直りするなら、このお二人はお返しします。如何ですか?」
「…………」
達也に苦悩の色が浮かぶ。
達也はクールな現実主義者で非情になることも多い。ただし、自分が恩のある人間や親しい人間に対しては甘いところがある。今がそれだった。
もし、藤林響子だけだったなら迷いはしてもこの条件は蹴った。
だが、師匠は見捨てられない。自分にとっては命の恩人だからだ。
達也は迷った。目を閉じてずっと動かずにいる。
まるで、達也のいるところだけ、無の境地に達したかのようでもある。
そして、達也がカッと目を見開いた。
「……いいだろう。仲直りしよう」
それを聞いた深雪がニコッと笑みを見せた。
「賢明なご判断、ありがとうございます」
「それで条件は?」
「仲直りした以上、こちらはお二人をお返しします。そちらは我が四葉家、並びに四葉家と関係のある一連の勢力に手を出さない。そして……」
「うん?」
「そして、お母さま……四葉深夜の身柄を私に返す……これが条件です」
「……な……ん……だ……と……ッ!」
達也が腹の底から出すように声を荒げた。
「この条件が、私の出す条件です」
「おのれ……ッ!」
達也はさすがに切れていた。大切な母親を引き渡すなど条件としては論外だからだ。
「図に乗るな、深雪ッ!!」
達也が立ち上がってシルバーホーンを取り出し、その照準を深雪に向ける。
慌てて、深雪の背後にいた桜井水波が深雪の前に立ちふさがる。身をもって深雪を守ろうとしている。
その後ろで、深雪は平然としている。
深雪が言う。
「図になど乗っていません。私は母上を返していただきたい。そう言っているのです」
「俺にとっても母親だ。渡すことなどできない」
「そうですか……それならば、こちらもお二人は渡すことはできません」
「…………」
達也と深雪との間に、火花が散っていた。
視線が絡み合う。
達也にとって、母親を渡すなど論外なのだ。大切な母上。それを渡すことなど絶対にできない。
達也が頭脳を回転させる。
そして、そのときだった。
「やめなさい」
声自体は弱々しいが、意思の強さを感じさせる声であった。
達也にも深雪にも聞き覚えがある。というより、達也は驚いていた。
そこにいたのは、紛れもなく自分の母親・深夜だったからだ。
深夜の左右には黒羽亜夜子、黒羽文弥の姉弟が身体を支えている。
「やめなさい。達也……そして深雪さんも……」
弱々しい声を出しながら、そしてゴホゴホと咳き込みながら、深夜がふらつきながら達也の前に近づく。
慌てて、達也が母を支える。
「母上……なぜここに?」
「すべてはこの二人から聞いたわ……」
と、黒羽姉弟を見つめる深夜。
「達也。私のことなら気にしなくていいわ……私は深雪の下に行きます」
「!!」
達也が驚く。
「な、何を……」
「いい? 達也」
と、深夜がその両手で我が子の頬を挟み込む。
「貴方の気持ちはうれしいわ……でも、もう私は大丈夫。これからは私に構わず、貴方が信じる道を走りなさい……貴方ならそれができる……私は信じてるわ」
「…………」
達也が何も言い返せない。
そんな我が子を、深夜は抱きしめた。
そして、弱々しく我が娘を見つめる。
「深雪さん……私なら、喜んで貴方のところに行くわ……だから、閣下とそのお孫さんを解放してもらえるかしら?」
「…………」
このとき、深雪は一種の嫉妬に襲われていた。
かつて、自分より兄を愛した母。その母に憎しみを抱いたのはいつからだったか。
今の深雪に、母に対する愛情はない。ただ、兄に対する切り札のためにどうしても必要な「道具」でしかない。
それなら烈でもいいと最初は思っていた。だが、烈は90の高齢の上、師匠の九重八雲が暴走して拷問にかけてすっかり衰弱している。そのため、人質として使っても時間が持たない可能性もあった。
だから深雪は、二人の返還に母親を求めたのである。
「深雪さん?」
母の言葉に、それまで嫉妬で我を見失っていた深雪が慌てて、
「ああ……はい。結構です。……それで、条件成立としましょう……」
と、言い返した。
このとき、達也は屈辱を噛みしめていた。
だが、深雪の前に立っていた桜井水波を見た瞬間。
達也の頭にひとつの考えが浮かんだ。
「待て」
「はい?」
「条件がこちらにもある」
「……お聞きしましょう」
「なら、お前の目の前にいる彼女……それを俺に預けてもらおうか」
「…………!!」
深雪が驚く。
「なぜですか?」
「彼女はお前を命に変えて守ろうとした。なら、お前にとっても大切な存在であるんだろう。違うか?」
「ええ……」
「こちらは母上をお前に渡すんだ。なら、その条件としてこちらは彼女を預かる」
「……数が合いませんね。こちらは人質二人を返す代わりに、母を引き取るんです」
「そうか……なら、この条件は不成立だ」
「ならば、あの二人は……」
「仕方ないな」
「…………ッ!」
達也は本気だった。深雪が今度は苦悩する。
深雪にとって、水波は数少ない絶対の信頼を置く女性である。そのため、大切な存在、いや部下を超えた親友とも言ってよいかもしれない。
だが、達也は本気である。ここで条件に応じなければ、達也との仲直りは破談になる。それでは困るのだ。
(今は……時間稼ぎをしないと……)
深雪が苦悩の表情を浮かべ、そして決心する。
「……わかり……ました……」
「そうか。よし、これで仲直り成立だ」
達也が言う。そして、
「ああ、それから」
と、付け加える。
「深雪。もし、母上に何かあったら、その時は覚悟してもらう……いいな……?」
「…………」
深雪は、返答しなかった。わずかにうなずくだけだったのである。
こうして、九島烈、藤林響子、桜井水波が達也に引き渡され、深夜が深雪の下に戻ることになった。
そして、両者の間で仲直りという形の休戦が結ばれたのであった。
次回は「達也とリーナ」です。