ここで、時間を2095年の10月29日。場所は横浜ベイヒルズタワーの最上階レストランに戻させて頂きたい。
大黒竜也、アンジェリーナ=クドウ=シールズ、そして九島光宣の3人がテーブルを囲んでいる時まで。
…………。
「これから言うことを、よく聞いてもらいたい」
「はい」
「四葉の本邸にいる母・司波深夜を助け出す。そのために、この女を口説いて味方にするんだ」
竜也が紙媒体の資料をどこからともなく取り出して、それを光宣に渡す。
ちなみに光宣は竜也の本当の正体を少し前に聞かされている。自分が今回やることは、一つ間違えれば危険な仕事である。その仕事に加わる覚悟があるかどうか、光宣を試したのである。勿論、光宣を信頼しているから自らの正体を話したのもあるが。
光宣がその資料の全てに目を通す。
「彼女は?」
「俺の再従妹・黒羽亜夜子だ」
「達也さんの……」
「ああ。そして、俺と同じように、四葉から蔑まれている女だ」
「…………」
光宣とリーナが顔を見合わせる。
達也はそんな二人を尻目に、グラスの液体を口に入れてゆく。
「彼女を口説いて味方につけろ。そして、母上を救い出せ」
「……失礼ですが、彼女が口説けると思いますか? 僕は彼女と面識がないんですよ」
「その可能性があるから言ってるんだ。彼女はあの年増……四葉真夜からかなり陰惨な扱いを受けているそうだ……四葉一族からも深雪をはじめ、彼女を蔑む者は少なくない。彼女の心は今、闇の中にあるわけだ」
「…………」
「俺も同じ思いをしてきただけに、彼女の気持ちはよくわかる……そして、そういう人間は、外部に助けを明かりを求めるものなんだ……」
「……しかし、達也さん」
「ん?」
「彼女を味方にする必要はあるんですか?」
「どういうことだ?」
「深夜さまを助け、四葉家を潰すなら、達也さんと僕とリーナでやれるんじゃないか、ってことですよ」
「…………」
「四葉家で恐ろしいのは、現当主の真夜だけです。しかし、その真夜の流星群(ミーティア・ライン)は達也さんの能力の前には無力です。他の四葉家の一族は、我々から見たら大したことはないはず……それなら、今すぐにでも攻撃をかければやれるんじゃないですか?」
すると、達也が右手にしていたグラスを机に置いてから言う。
「光宣……確かに、それは可能だ……四葉を潰すだけならな」
「…………」
「だが、母の身柄はあっちが握ってるんだ。もしあの年増が俺が復讐にやってきたことを知れば、間違いなく母上は人質にされる。人質にされたら、俺には手の打ちようがない」
「…………」
「だからこそ、まずは母上の救出を第一とする。大亜に横浜を攻めさせ、占領させるのもその布石だ」
「…………」
「大亜が横浜を占領すれば、日本政府は慌てるだろう……何しろ、横浜は東京のすぐ近く。奴らにとっては喉元に刃を突き付けられたようなものだからな。日本にいる軍隊、魔法師を招集して当たろうとするはずだ」
「…………」
「当然、あの年増にも招集命令は下る。あの年増は滅多なことで本邸を動かないが、大亜なら話は別のはずだ。……何しろ、餓鬼の時に相当なことをされた経緯があるからな……」
「……ですが」
「ん?」
「ですが、仮に四葉真夜が招集命令に応じず、本邸に残った場合はどうするんですか?」
「その時はここにいる3人で本邸を襲う。少なくとも、四葉は招集命令に応じて一族の魔法師の大半を東京に送らざるを得なくなるはずだ。当然、本邸の警備は手薄になる。あの年増とわずかな警護なら、何の問題もない」
「…………」
「だがどちらにせよ、母上を救出するには、四葉内部に協力者が不可欠だ。それが彼女というわけだ」
「……彼女は達也さんの血縁ですが、同時に真夜の血縁でもあるわけでしょう? そんな彼女が、四葉を裏切りますかね?」
「それはお前次第だ……光宣……お前の働き次第で俺の運命も決まる……心してかかってほしい」
「わかりました」
「ああ、それから」
と、達也が懐から一枚のディスクを取り出す。
「これを亜夜子に渡せ。これを渡して見せたなら、彼女は必ず決断するはずだ」
「これの中身は?」
達也が説明し、光宣が頷く。
「わかりました。難しい任務ですがやってみます」
「頼む」
達也が、光宣に頭を下げた。
黒羽亜夜子は、自らの目の前にいる美少年に見とれていた。
亜夜子の好きなタイプではないが、その容姿は驚くほど端正だからだ。
ちなみに時間は、10月30日の午前7時である。
この時、双子の片割れである文弥は一緒ではない。光宣は、亜夜子を誘い出すためにある手紙を彼女の部屋に投げ込んだ。
(行方不明になっている貴女の父親の所在を、僕は知っている。教えてほしいなら、これから指定する場所にひとりで来てもらいたい)
勿論、こんな怪しい文面に亜夜子は最初は罠を疑った。
だが、父の行方が杳として知れないのは事実である。父の行方を知るには雲をつかむような話でも、飛び掛からないといけない。
そのため、密かに弟に相談しようかと思った。だが、手紙の文面には一人で来い、とある。
もし一人で来ないなら、相手は自分と会おうとしないかもしれない。
(姉として、私は弟を助けたい)
弟が、必死になって父の行方を捜しているのを姉は知っている。それの手助けになるかもしれない。
(罠の可能性もある……だけど、私は黒羽の出来損ない……仮に捕らえられても、人質としての価値は無い……)
(父の行方を知るのが、まずは第一)
そして、亜夜子は決断し、弟にも秘密にして指定された場所に行った。
そこは、茶室であった。
亜夜子は躙口という高さ、幅が二尺ほどしかない小さな入口から身をかがめて入った。
そして中にいたのが、九島光宣だったのである。
「貴方が、私を呼び出した人かしら?」
亜夜子の説明に、光宣が人のよさそうな笑みを見せながら言う。
「ええ。工藤光宣といいます」
「くどう……」
その苗字を聞いて、亜夜子の顔色がわずかに変わる。そして、それを光宣は見逃さない。
「まさかと思うけど、貴方、九島家の方かしら?」
「さあ……どうでしょうかね」
「私の知っている限りでは、貴方のような人があの一族にいるとは聞いたことが無いので」
「ははは……そうですか」
それはそうだろうと光宣は思った。光宣は末の子である。当然、上の兄や姉がいる。しかも、病弱が治っているとはいえ、その高い資質から兄や姉に嫉まれて疎まれている。だから、一族の表舞台にはほとんど姿を見せていない。
祖父の烈にしても、まだ光宣は現時点で若すぎると思っている。いずれ表舞台に立たせて真言の後継者にしようとは考えているが、ひとつ間違えればそれは一族の争いを引き起こしかねない。だから、今はまだ光宣を表舞台に立たせていないのだ。
それはさておき。
「どうやら、貴女は私が思っていた以上に、頭の切れる女性のようですね……いやいや、四葉家から出来損ないとして蔑まれているとお聞きしていたから、どんな女性かと思いましたが、聞くと見るでは大違いですよ」
「……無駄話はいいわ。それで、私が聞きたいのは手紙にあったように、私の父・黒羽貢の行方よ。知っていることを教えてほしいのだけど」
「まあまあ、まずは一服、どうぞ」
と、光宣が茶を入れた茶器を差し出す。
それがまた光宣のような容姿端麗な美少年だと様になっている。亜夜子は女性として微かに見とれながら、それを受け取る。しかし、飲もうとしない。
「どうして飲まないんですか?」
「…………」
「ああ……ひょっとして、僕がお茶に何か入れているとでも思ってるんですか?」
「…………」
亜夜子は答えない。光宣は逆に笑みを見せる。
「何も入れてませんよ……ですがまあ、飲まないと言われるならそれでも結構です」
「……要件に入ってほしいのだけど」
すると、
「残念ながら、黒羽貢さんの行方を私は知りませんよ」
「ッ!」
亜夜子が立ち上がる。
そんな彼女を光宣は笑みを見せながら見つめている。
「……私を、騙したの?……」
「まあ、そうとも言いますが、要件が無いわけでもありませんよ」
「……どういうこと……?」
「まあまあ、まずはお座りください」
そう言われて、やむなく亜夜子は腰を下ろした。
光宣が言う。
「司波達也……ご記憶にありますか?」
「!」
亜夜子が驚く。勿論、記憶にある。5歳の頃まで面識のある、自分の1歳上の再従兄である。そして、自分を蔑む次期当主候補・司波深雪の兄。
「彼から、私は依頼を受けました……貴女を味方にしろとね」
「……どういうこと……? 達也兄さんは、生きているの?」
「ええ。生きていますよ」
「!」
亜夜子が驚く。そして、それと同時にそれを喜ぶ気持ちに溢れた。
亜夜子が達也と暮らしたのは5歳までの頃だが、その頃から亜夜子には達也に再従兄を超えた感情を抱いていた。同じように一族から蔑まれて罵られた境遇で、仲間意識あるいはそれ以上の思いが少なくとも彼女には溢れていたのである。
達也が死んだと聞いたときには、子供心に涙を流した。そして、次は自分の番かと恐怖もした。
だが、亜夜子は父と弟がついていた。それが達也との違いだった。
しかしそのために、一族からつらい仕打ちをいつも受けてきた。そして、その黒い感情が彼女の心に積りに積るようになっていた。
「……私を味方にするとは、どういうことかしら?」
「簡単なことです。達也さんは、四葉家に復讐しようとしています。貴女にはそれを協力して欲しいというわけですよ……同じ立場にある人間としてね」
「…………」
亜夜子は光宣の顔を見つめる。
簡単に結論を出せるわけがない。
応じれば、それは明らかに四葉本家に対する反逆となる。つまり、世界最強の魔法師と称される真夜を敵に回すことになる。
自分の命がかかっているのだ。だから、ためらっても当然だった。
「言っておきますが、協力といっても、貴女に四葉真夜を倒してほしいとは言いません。それは達也さんがやります。貴女にやってほしいのは、別のことです」
そして、光宣が横浜でのこと、達也のこと、それに伴って深夜の身柄を確保するように動くことなどを説明してゆく。
亜夜子は、それを黙って聞いていた。
「どうですか? 協力してもらえますかね?」
光宣の言葉に、亜夜子が首を振る。
「私も甘く見られたものね……私は四葉の一族よ。その私が、こんな計画に乗ると思ったの?」
「……では、貴女はこれからも四葉の狗として生きていく道を選ぶというわけですね……せっかく、立ち上がれる機会をふいにして」
「…………」
そして、光宣が自分の入れた茶を自分でゆっくりと飲み、その茶器を自分の左隣に置く。
「……貴女の気持ちはよくわかりますよ僕は。……僕も、達也さんに会うまでは、貴女と同じ、一族に蔑まれる立場にいましたから」
そして、光宣は達也に出会ってからの自分の変化や成長を語ってゆく。
亜夜子の目に、明らかな動揺が広がりだした。
「……達也さんは言ってました。魔法師に、出来損ないなんていない。違いがあるとしたらそれぞれの短所と長所の違いだけだと。そして四葉は、その長所を生かそうとしない、人を見る目のない家だとね」
「…………」
「そうだ……達也さんから、貴女へ贈り物があるそうです」
そして、達也から受け取ったディスクを取り出す。
亜夜子が受け取る。
「これは?」
「貴女の進むべき道を、達也さんなりに示したそうです。まあ、中身をご覧ください」
そして、亜夜子が中身を見る。
そこには、10年前から大きく成長している再従兄がいた。あの時より凛々しい顔つきで、目は鷹のように鋭いが、どことなくやさしさを感じさせるところがある再従兄が。
そして、達也は進むべき道を示した。
『極致拡散』。
これは収束系の系統魔法で、 指定領域内における任意の気体、液体、物理的なエネルギーの分布を平均化し、識別できなくする。 達也は「分解」と事象改変の方向性が似ているため、亜夜子の魔法特性を理解していたのだ。
亜夜子は、達也の説明をじっと聞き入っている。
そして、聞き終わった。その時の彼女の目は、どことなく希望に満ち溢れた明るい目をしていた。先ほどまでの世をどことなく拗ねたような目つきではない。
亜夜子はこれを機に、魔法師としての地位を確固としたものとしていくことになるが、それはもう少し先のことである。
「……協力するわ……」
亜夜子が、光宣に対してそう答えたのは、10月30日の夕方を迎える頃であった。
そして、横浜が大亜連合軍に占領され、日本政府の招集に応じて四葉家は東京に向かった。
この時、相変わらず真夜に嫌われている亜夜子は本邸の留守番を任された。
そして、その日の深夜。
亜夜子は光宣と共に行動を起こした。
光宣は実力ではリーナと並ぶ魔法師である。しかも、四葉の主力ともいえる魔法師はほとんどいない状況である。
残りのメンバーでは話にならなかった。
留守を任されていた少数の魔法師はあっけなく蹴散らされ、亜夜子と光宣は深夜の身柄を確保した。
そして、そのまま行方をくらましたのである。
次回は「運命の時」です。