それが視界に入った瞬間、誰もが驚いていた。
魔法協会関東支部が入っている横浜ベイヒルズタワーが、赤い炎に包まれていたからである。
なぜだろうか。
大亜連合軍は工作員を送り出したような覚えはない。
義勇軍は敵の侵攻・侵入を許した覚えはない。
なのに、タワーは炎に包まれている。
「なぜだ……!?」
と、敵味方を問わず、疑問を感じずにはいられなかった。
そしてこれが、戦局を一変させたのである。
「敵だッ! 大亜連合軍が押し返してきたぞッ!」
義勇兵が叫んだ。
それまで押され気味だった大亜連合軍は、ベイヒルズタワーが炎に包まれているのを見て奮起したのである。
「行けッ。敵を押し潰してしまえッ!」
「小日本など恐れるなッ。奴らは横浜の拠点を失った。一気に踏みつぶしてしまえッ!」
しかも、悪い時には悪いことが重なるものである。
大亜連合軍総司令官が送り出した陳祥山の精鋭部隊が、援軍として到着したのである。しかもこの部隊には、
「呂上尉だ、呂上尉がやってきたぞッ!」
大亜連合軍最強の戦士である上尉・呂剛虎がいたのである。
彼の名は義勇軍も知っている。「人食い虎」の異名で知られ、白兵戦においては世界でも5本の指に入る猛者だからだ。
しかも、義勇軍側は守り切っていたと思っていた支部が炎に包まれているのを見て、一時の勢いを失っている。この義勇軍はほとんどが支部の職員や戦士で固められていたのも、戦意を失わせる一因になった。
「人食い虎だ……人食い虎がやって来たぞ……ッ」
「ひいいいいいッ」
「逃げろッ。かなうわけがないッ」
それまで押していた義勇軍は、一気に押し返されだした。
十文字がそんな義勇軍を見て、
「後退するなッ。踏みとどまれッ!」
と、檄を飛ばすが効果はない。
義勇兵は次々と呂剛虎をはじめとした大亜連合軍に蹂躙され、逃げ出したのであった。
そんな中で、十文字の視界にあるものが目に入った。
それは、横浜国際会議場で巨大な魔法を感知し、入口付近にやって来た時に見た二人の内の一人である。
ヘルメットをして戦闘スーツを着ているために外見はわからないが、その一人がベイヒルズタワーの近くにいる。
(まさか……)
十文字は、その人影を見て疑問を感じた。
ベイヒルズタワーに放火したのは、こいつではないのかと。
そう思うと、追わずにはいられなかった。
人影が走り出す。
慌てて、その後を追いかける十文字だった。
その人影を追って2キロほど来た時。
追っていた人影が突然止まった。
「何か用でしょうか?」
人影が言う。
十文字には、その声に聞き覚えがあった。
「まさか……お前は……」
「ええ。俺ですよ。十文字先輩」
すると、人影がヘルメットをとった。
そこにいたのは、十文字の2歳年下の後輩・大黒竜也であった。
十文字が竜也を凄まじい怒りを込めて睨みつける。
「大黒……ひとつ聞きたい」
「何でしょうか?」
「横浜ベイヒルズタワーに火をつけたのは、お前か……?」
「ええ。そうですよ」
「……なぜ、そんなことをした? ……大亜連合に寝返ったのか……」
「さあ……なぜでしょうね……」
「貴様ッ!」
十文字が『ファランクス』を発動させようとした。
ところが、竜也は笑いながら言う。
「十文字先輩。『ファランクス』を発動させるつもりなら、やめておいたほうがいいですよ。あなたがそれを発動させるより前に、後ろにいるリーナがあなたを貫くと思いますから」
咄嗟に、十文字が背後を見つめた。
自分の背後には、大黒竜也と同じ戦闘スーツに身を包んだアンジェリーナ=クドウ=シールズがいたのである。しかも、十文字に自動拳銃の照準を向けて。
「…………ッ」
十文字が唇を噛み締める。完全に動きを封じられたからだ。
「十文字先輩……先輩は少し、自信家すぎます。確かに『ファランクス』は大した技ですが、こうなったら使いようがないんです」
「…………」
「魔法とはしょせん、不完全なもの。ちょっと細工を施せば封じ込めることは可能なんです」
「……アンジェリーナ=クドウ=シールズ……」
十文字が大黒を見つめながら、リーナに言葉を向ける。
「……お前は、こんな恐ろしい男に協力するつもりか……ッ」
十文字は、この危機を脱するには、リーナを説得するしかないと考えた。説得に応じなくてもいい。自分の言葉に少しでもひるんで、自分に向けている銃の照準が少しでもそれれば、と思っている。
だが、リーナには全く動揺はない。
竜也が、笑いながら言う。
「先輩。リーナを口説こうというのなら、無駄なことですよ。リーナは俺がこの世で最も信頼する『相棒』です。俺がリーナを決して裏切らないように、リーナも俺を決して裏切りません」
「……卑怯だぞ……大黒……男なら、正々堂々と勝負しろッ!」
すると、竜也が呆れたように溜息をついた。
「卑怯? 十文字先輩、あなたはスポーツの試合でもしているつもりですか? これは戦争ですよ。殺らなければ殺られる……ね。俺もリーナも、幾つもの死線を潜り抜けてきましたから、それを知ってます。まあ、あなたみたいに、『十文字』という良家に生まれ、本当の死線を潜り抜けた経験もない『御曹司』には、一生わからないでしょうがね」
それだけ言うと、竜也は十文字に向けて突進した。右手に「煌めく」それを持って。
十文字の腹部に、途端に冷たい何かが広がってゆく。
「ぐふ……ッ」
十文字のうめき声と共に、十文字の瞳孔がゆっくりと開いてゆく。
十文字が最後の抵抗とばかりに、その両腕で竜也の首を絞めようとする。
だが、竜也もそれは心得ている。竜也はさらにそれを十文字の腹部に押し込んでゆく。
「が……ッ」
十文字の腕力が、徐々に弱まってゆく。
そして、十文字が最後の力を振り絞って言う。
「大黒……お前は……こんなことをして……いったい……何が……目的だ……」
「…………」
「いったい……何が……」
すると、腹部に刃を押し込んだままの竜也が言う。
「それをあなたが知る必要も、その時間も、残念ながらもうありません」
それが、十文字が聞いたこの世の最後の言葉だった。
そして、十文字が力を失い、ゆっくりと背中から地面に崩れ落ちた。
それを、無表情で見つめる大黒竜也とアンジェリーナ=クドウ=シールズであった。
次回は「敗走と出動」です。