大黒竜也こと司波達也は、愛する女性の下にいた。
その部屋は、環境に恵まれた個室である。
達也は以前の要求を呑む代わりに、リーナには万全の環境で出産させることを条件にして、この部屋を用意させていたのだ。
その部屋で、愛する女性の膨らんだ腹部に自らの耳を当てて、目を閉じてじっとしている。
そんな彼を、女性-アンジェリーナ・クドウ・シールズは暖かい目で見つめていた。
そして言う。
「で、達也……。また、日本に行くというのは本当なの?」
リーナの質問に、達也は閉じていた目を開け、すっと立ち上がる。
「ああ。本当だ」
「なぜよ? 私にはもう少しで子が生まれるのよ。貴方と私の子よ……それなのにッ!」
「興奮するな。リーナ」
と、達也がリーナの頭部を右手で優しくなでる。
その心地よさに、リーナの怒りがわずかに薄れるが、
「でも……でも、私がこの状態だから、動けないのは政府もわかっているはずでしょッ」
リーナは誰が見てもわかるくらい、腹部が膨らんでいる。その腹部に、かけがえのない生命が宿っているのだ。
「なのになぜッ。なぜ政府は、貴方をまた、日本に行かせる命令なんてッ!」
「仕方ないだろう……俺はどうやら、奴を少し甘く見すぎていたようだ」
そして、達也がリーナの頭から手を離し、虚空を睨みつけていた。
それは、前日のことである。
日本に支援を派遣するかどうかで、USNA首脳部は揉めに揉めていた。
そんな中で、達也は目を閉じたまま、一切の発言をしようとしなかった。
リーナが妊娠中のこともある。
また、自分がUSNAの戦略級魔法師ということもある。
リーナが妊娠して臨月を迎えている今、リーナは戦場に立つことなど絶対にできない。そうなると、USNAの戦力は自然にダウンする。だから、達也の戦力は国内の守りを固める上でも最も重要なはずである。
そして何より、達也の年齢に問題があった。達也はこのとき18歳。まだ20歳にもならない青年である。周りには、彼より一回りも二回りも、いや彼の祖父にあたるともいってよいような年齢の人物までたくさんいる。そんな中で、達也は大将という身分からこの会議に出席していたが、自分が妬まれ疎まれていることは先刻承知しているため、発言をしようとはしなかったのだ。
会議は結局、その日は結論が出なかった。
そして、翌日に再び会議が開かれることが決められて、その日はお開きとなったのである。
ところが、その日の夜。
達也がリーナのいる病院へ行こうとしたときだった。
「何か用か……」
達也は、あまり会いたくない人物に面会を求められていた。拒否しても良かったのだが、リーナが入院している今、余計な争いは避けたかった。リーナを心配させないためにもである。
「ええ……大統領のお言葉をお伝えに参りました」
その人物とは、補佐官のケイン・ロウズであった。
達也はやむなく、自分の隊長室に彼を通す。
ケインはそれを受けて、隊長室のソファに腰を下ろした。
達也が言う。
「それで用件は?」
「単刀直入に申し上げます。今回の日本への援軍に、大統領は貴方とスターズの精鋭を何名か派遣することを望んでおられます」
「…………!」
達也が顔には出さないが、内心では少し驚いていた。
が、すぐに言い返す。
「自分に、ですか?」
「そうです」
「ですが私はUSNAの戦略級魔法師のひとり。今、アンジェリーナ・クドウ・シールズがあの状態で戦場に立てない以上、自分はUSNAをいざという時に守る楯としての役割があるはず。それに、スターズも立て直しがようやく始まった時期。このような時に、自分が他国に行くというのは、如何でしょうか?」
「なるほど……では、お断りなさると?」
「断るというより、事態がそれを許さないのではないかと自分は申し上げています」
「そうですか……残念です。大統領は、貴方に日本へ行って頂けることを望んでおられるのですが……」
「…………」
「大統領は、さぞお嘆きになることでしょうな……それに、良からぬ噂がまた起こるやもしれませぬ」
「……良からぬ噂?」
「はい」
「どのような噂ですか?」
「さあ……噂とは、無責任なものでございます。その噂に尾ひれがついて広まるのは、それほど珍しいことでも、ありませぬゆえ」
「…………」
「他の閣僚たちも、ガッカリすることでしょうな……」
「…………」
「では、これにて失礼いたします」
ケインはそう言うと、達也に一礼して去ろうとした。
が、達也にはその下げた頭の先に、ケインの狡賢な瞳が見えた気がした。
そして、達也は今回の日本派遣を承諾したのである。
リーナの部屋。
「でもッ!」
リーナが達也に向けて叫んでいた。
「心配するな。今回の日本派遣は大亜さえ片づければすぐに終わる。新ソ連のほうは、あくまで見せかけだ。大亜さえ片づければ、それで全て終わる」
そして、達也がリーナを抱き上げ、そのままベッドに寝かせた。
「お前は気にすることなく、出産に備えてくれ」
リーナが達也に向けて笑みを見せる。
「わかったわ……でも、早く戻ってきてよ」
「わかってる。お前を……いや、お前たちを残していけるか」
そして、達也が部屋の隅で待機しているシルヴィアに声だけ向ける。
「シルヴィア。俺が留守中のリーナのこと、スターズのこと、全てお前に任せる」
「はい」
シルヴィアが達也の背中に深々と頭を下げる。
「何かあったら、すぐに連絡を入れろ。いいな」
「はい」
そして達也が動き出したのである。
このときは、まさかあのような事態になるとは、誰も思っていなかった。
次回は「暴走と最強と」です。