裁きの時は長い、それこそ気が遠くなるほどに。
「……もう、やめてくれ……もう」
「もう、何ですか?」
今にも気を失いそうなほどに弱弱しい声を上げる源蔵とは反対に、心春は笑みを浮かべてそう言葉を返した。苦しそうな源蔵を前にしても、心春には手心を加えるような優しさは残っていない。ましてや愛する恋人を絶望へと叩き落した元凶なのだ――何をしても許そうとは思わない。
唾と鼻水を垂れ流す薄汚いその姿に心春はそろそろかと終わりの時を予感する。終わりの時と言うのは殺すという意味ではない、壊し終えるという意味である。
「はい」
「ぎゃああああああっ!!」
痛覚に敏感になった肌は何かが少し触れただけでとてつもない痛みを生じる。肉体的に若かった勝はある程度耐えれはしたが、それなりに年を取っている源蔵には到底耐えられる苦痛ではない。けれどもやはり、心春は源蔵への罰を止めることはない。
それなりに大きな叫び声が出ているものの新が目を覚ます様子はない。どうやらかなり強い薬を盛られたようで、心春としては新が起きないことに安堵しつつも何てものを飲ませてくれたんだと源蔵に対して更に憎しみが増す。正に悪循環だった。
「あ……がっ……」
「恵梨香の薬やっぱり凄いね。ふふ」
完全に白目を剥いた源蔵の状態を見て、心春は一人の親友を思い浮かべて小さく笑みを零した。だがその笑みもすぐに鳴りを潜め、再び冷たさを滲ませる鋭い目となって源蔵を睨みつけた。
「やめて、そう言った人たちをお前はどれだけ傷つけたのかな? どれだけの人を泣かし、悲しませ、奪ってきたのかな?」
心春の問いに気を失っている源蔵が答えることはない。もう完全に源蔵は壊れたのだ。
「ふぅ、終わった。掃除しないとね」
極めて冷静に、何事もなかったかのように源蔵が撒き散らした唾液等の掃除を始める心春はやはり普通ではないのだろう。新でさえも知らない心春の側面、おそらく金輪際この心春が表に出てくることはない。もう新を苦しめる者は全て消え失せたのだから。
「もし万が一、私がこの人たちに犯された場合……そうだなぁ。たぶん――死ぬね」
今はもうあり得ないIFを考えた場合、心春の結論は意外とすぐに出た。心春にとって体の交わりは特別な意味を持っている。お互いに最も愛を囁きぶつけ合い確かめる行為だからだ。たとえ自分の意思によるものでないとしても、その行為を他者によって汚されたなら少なからず愛する人は傷つく。
「あっくんを悲しませる者に存在する価値はない、たとえそれが私であっても同じこと」
自分ですらも、新を悲しませる者に価値はない。よくよく考えた場合、心春としても世間には決して表立って言えないことを現在進行形でやってはいるが……まあこれも新の幸せの為だと心春は気にしないことにした。ここまで強硬手段を取ったのは単純に憎悪があったのも確かだが、新の義父と兄は無駄に金持ちで暴力団等と繋がりがある。どうせ警察に願い出ても金で握りつぶされるのが関の山なのだ。
「さてと、お掃除終わりっと。もう少し待ってねあっくん。このゴミを片付けたらすぐにご飯を作るからね」
源蔵には決して見せなかった笑顔を新に向け、心春は最後の行動に移るのだった。
トントンと、包丁の音が聞こえる。
その音はいつも聞いているけれど、どこか懐かしさを感じさせるリズムだった。新は半ば寝ぼけた頭で起き上がりその音の出所に目を向ける。
「~~~~♪」
鼻歌を歌いながら楽しそうに料理を作る女性の姿……新は思わず、声が出た。
「……母さん?」
「? ……あ、あっくん!」
女性――心春は起きた新の元へ小走りで駆け寄ってきた。
心春が傍に来たことで新の頭も完全に覚醒し、目の前に居るのは母親ではなく心春なのだと認識する。それはそうだ、だってもう新の母親は居ないから。心春のことを寝ぼけていたとはいえ母親だと思って呼んでしまったのはとても恥ずかしい。だが心春は聞こえていなかったのか特に気にした様子も無く、新はホッと息を吐いた。
……っとここで、新は一つの疑問を抱く。何故自分は眠っていたのだろうかと。確か心春と一緒に夕飯の買い出しに出かけ、そして帰って来て……そこで新の記憶は止まっている。
何か重要なことを忘れているような、そんな感覚だったがその考えを遮るように心春が口を開いた。
「あっくん疲れて眠っちゃったんだよ? 起こそうかなって思ったけど、気持ちよさそうに寝てたから」
「そっか……って、結構寝てない!?」
「うん。2時間くらいかな。あっくんの可愛い寝顔をずっと見ていたかったんだけど、ご飯の用意をしないといけなかったから。ちょっと残念♪」
無邪気にそういう心春に新は苦笑した。ずっと寝顔を見ているだけなんて飽きてしまうだろうに、それを心春は本当に楽しみにしていたようだ。しかしこうして目が覚めたのなら新としても食事の用意を手伝おうと思うのは必然だ。
「俺も何か手伝うよ」
「本当? ならお願いしようかな」
心春と共に台所に並び、二人で仲良く食事の用意をしていく。当たり前のことだがこうして新と心春の二人が並ぶのは初めてではない、いつも思うことだがこの空間が新は好きだった。
心春と共に笑顔で一緒に食事を作る。それは昔を思い出させることもあった。
『お母さん、箸並べたよ!』
『あら、えらいわね新』
母と並んで家事をしていた過去がひどく懐かしい。もう戻れない時間だが、せめてあの昔のことはいつまでも綺麗な思い出として残っていてほしい。自身を取り巻く環境、そして過去と決別したその時は……心春に全てを話し、その上で新たな一歩を歩んでいこうと新は思った。
「……ねえあっくん」
「どうした?」
「好き」
「……いきなりだな」
いきなり好きだとストレートに伝えられたが、やはりその言葉はいつ聞いても嬉しいものだ。言われ慣れてはいるが、それでもその気持ちが色褪せることはない。だからこそ新も同じように言葉を返すのだ。
「俺も好きだよ。心春」
そう伝えた心春はいつも以上に嬉しそうに笑うのだった。
新は傍に心春の存在を感じながら、ふと呟く。
「今日は“あの人”がいない……ずっとこんな日が続けばいいのに」
新のいうあの人とは義父のこと、どこか記憶に引っ掛かりを感じるがただでさえ嫌悪している対象なのだ。違和感を感じたとしても長く考えるようなことを新はしたくなかった。故にすぐその違和感も消え失せる。
「ふふ。あっくん。もう大丈夫だからね。ずっとずっと、一緒だよ」
心春のその言葉に新は当たり前だと頷いた。
嫌な思い出が残る家であっても、心春が居れば幸せな空間へと変化する。新は今一度心春に視線を向け、絶対に守り抜くという決意を込めて。
「あっくん?」
心春を思いっきり抱きしめるのだった。
それから語ることは多くはない。
新と心春の日常は普通の人が送る平凡なものだった。いつの間にか家に帰ることのなくなった義父と義兄、彼らの消息を新が知らないまま時は過ぎて行った。
心春や友人たちと共に高校生活を過ごし、大学に進学してこれまたありふれた日常を送り、そして今日――新と心春にとって新しいスタートラインの日となる。
「……緊張するな」
「ははは。ソワソワしすぎだぜ新」
緊張する新の背中をパンパンと和弘が叩く。結構叩く力が強かったのか新は咳き込むものの、いつものようにやり返したりはしない。何故ならそんなことをする余裕がないほどに新にとって今日が特別な日だからである。そう、今日は結婚式。大人になった新と心春、二人を祝福する特別な日。
「にしても、思ったより平和にこの日を迎えられたなぁ」
「何だよいきなり」
ふと呟いた和弘に新がそう聞くと、和弘は覚えているかと前置きして続けた。
「高校二年の時だったっけか。お前に告った女いただろ?」
「……あぁ。隣のクラスの谷野さんだっけ」
「そうそう。あのビッチ」
和弘の言うビッチ、その女子のことは新としても覚えていた。
かつて心春と付き合っていた時に告白してきた女子生徒、その時は心春という彼女が居たため当然のごとく断ったのだが、思えばその女子に関しては色々と黒い噂があったのだ。
「彼女の居る男に近づいて金だけ巻き上げてポイ捨てするって有名だったもんな。あの頃の新って心春ちゃん一筋だったけど、逆に心春ちゃんが居るだけでポワポワしてたから標的になったんだろ。言うこと聞かせたら羽振り良さそうとかでさ」
「……俺ってそんなだったか?」
「うん」
「断言!?」
当時そんな風に思われていたとは知らず新は少し大きな声を出してしまった。確かに心春みたいに可愛くて優しい彼女が居れば浮かれるのは当然だろうか。当時を思い出して新は一人それもそうかと納得した。それに和弘が呆れたように肩を竦めるのも最早お約束である。
「まああいつも見た目だけは良かったからいくら彼女が居ようと上手く行くと思ってたんだろ。んで断られてキレてさ、知り合いのちょいヤバい連中に声を掛けてお前に痛い目見せようとさせたわけだ」
「……知らないんだけど」
「言ってないからな……まあそれも実行に移されることなく終わったから済んだ話だ」
「へぇ……」
「その時心春ちゃんがキレて……色々あったらしいぞ。恵梨香から聞いた話だけど」
「何したの!?」
本当に何をしたんだろうか、新は凄く気になったが和弘も知らないらしい。恵梨香は知っているようだけど、おそらく教えてはくれないだろうとのことだ。
「気になるな……」
「俺も気になる。というか恵梨香も時々……何だろうな、こう……人を殺したことのある目になるというか……上手く言えないけど怖い時があるんだよなぁ」
「あの内気な櫻井さんに限ってねえだろ、馬鹿かお前」
「馬鹿って言うんじゃねえよ。まあそれもそうか」
二人してあり得ないIFを思い浮かべて笑い合う。
「恵梨香はベッドの上だとめっちゃエロエロだけどな!」
「お前は神聖な教会で何を口走っとんだ!!」
化粧担当の人が汚物を見るような目で見て来たのでいい加減黙る二人であった。新に関しては完全にトバッチリではあるのだが、まあ一人が猥談をすると全員が変な目で見られるのはどこでも共通のことであるのは間違いないらしい。
でもそうかと改めて思い出す。あの時心春は怒っていたんだなと……。
「心春ってさ、もしかして怒るとかなり怖いかな?」
「……さあ。一つ言えるのは、恵梨香も時々怖いって言うくらい?」
「マジ?」
「ああ」
「……俺、絶対怒らせないわ」
心春は絶対に怒らせない、新は心に誓うのだった。
そして――。
新と和弘が居た部屋の扉が開き、入ってきたのは純白のドレスに身を包んだ新婦――心春がそこには居た。いつも心春の傍に居て彼女を良く見ていたが、今こうして改めてドレスを纏う心春は本当に綺麗だった。数秒目を奪われた新だったが、すぐに心春に届けるべき言葉を紡ぐ。
「凄く綺麗だよ。心春」
「……えへへ、ありがとうあっくん。凄く嬉しいよ」
お互いに頬を染め褒め合う光景はとても初々しい。さっきまで汚物を見るような目をしていた人も、軽口を叩き合っていた和弘も、心春と共に現れた恵梨香も、この場にいる全員が二人を優しい目で見つめていた。新は心春の手を握る。心春も絶対に離さないと言わんばかりに強く握り返す。
思えば多くのことがあった新の人生だった。
生きることに絶望した新だったが、こうして大切な存在を見つけることが出来た。だからこそ、今は胸を張って言える。
「心春、俺生きてきて良かったって思う。君に会えたから……だからこれからもずっと、俺と一緒に生きてほしい」
生きてきて良かった、それは過去の新では決して口に出来ない言葉だった。一緒に生きてほしい、そう伝えられた心春は小さな涙を目尻に浮かべ、満面の笑みを浮かべて頷くのだった。
「うん! 私もあっくんに会えて本当に良かった。ずっとずっと、私はあっくんと一緒に居ます」
新と心春は歩き出す。
今日からは夫婦として、一生を支え合う生涯のパートナーとして。二人の門出を祝福するように、大きな鐘の音が遠くまで響き渡るのだった。
~陽ノ下心春編 fin~
次回は一応決めてまして。
原作:とらいあんぐるBLUE
姫宮あかねの場合
って感じですかね。
原作とかあまり覚えてなくて、どういう設定かを確かめるんですが……ダメージは負ってしまうんだよなぁ・w・;