僕には好きな人が居る。
その人の名前は春野香澄と言って親戚のお姉さんになる人だ。ずっと昔から良くしてくれていて、頼れるお姉さんであり尊敬もしているのだ。僕はまだ年齢より幼く見えるようなちんちくりんだけど、そんな素敵な女性である香澄姉に惹かれるのも無理のない話だった。
『香澄姉! もし同じ学校に行けたら付き合って! 僕を一人の男として見てほしいんだ!』
『ふぇ……ふぇえええええええ!? あ、綾斗君!? それってつまり――』
人生に何度あるか分からない一世一代の告白、それを聞いて香澄姉は頷いてくれた。それは告白のOKを意味していることではあるが、同じ学校に通えるようになるその時まで僕は勉強に時間を費やすことにした。……ただ、遊びたい盛りの僕にとってずっと勉強をするのは苦行だった。けれど頑張らなくてはいけないとして一生懸命勉強に時間を費やした。
『綾斗君。ここはこの公式を使うんだよ?』
『わ、分かった……』
『? どうして顔を赤くしてるの?』
……香澄姉は天然というか、あまり自身の容姿が優れていることに気づいていない。ただでさえ美人なのに、その体はグラビアアイドルに引けを取らないほどの凹凸を持っている。そんな体の持ち主が無防備に近づいてくれば……うん、緊張するなっていうのが無理な話だ。
そんな感じに香澄姉に勉強を見てもらいながら僕は彼女と一つ屋根の下で日々を過ごしていた……そんな時だった。学校から帰って家に入ると、いつも香澄姉が電気を付けて待っているのに、今日に関しては真っ暗だった。
「……?」
珍しいなと、そんなことを思いながら玄関をドアを開けると鍵は開いていた。そして香澄姉の靴も置かれていたので帰っていること自体は間違いないはず……でも何だろう、この胸騒ぎは。
「……っ! 香澄姉!」
急げ、急がないと大変なことになる……取り返しの付かないことになる。そんな漠然とした不安を抱えながら僕は香澄姉の部屋に急いだ。半ば体当たりをするようにドアを開けて中に入ると……僕の目の前には信じられない光景が広がっていた。
「あ……綾斗君……」
「香澄姉……何をしてるの?」
部屋の中に彼女は居た。
でも……彼女の様子は今まで見たことが無いほどにやつれたものになっており、更には天井に吊るされたロープに首を掛けようとしていたのだ。
「……何を……何をやってんだよ!!」
いつもは決して彼女に向けて放つことのない強い言葉を口にしながら、僕は脚立に上がっていた香澄姉の体を抱きしめるように下ろそうとする。
「いや! 離して!! お願いだから離してよおおおおお!!」
「離せるわけないだろ!! 香澄姉!! 何考えてんだよ!!」
嫌々と暴れる彼女、こんな香澄姉を見て困惑はかなりあった。それでも僕は香澄姉を離すことは絶対にしなかった。暴れる彼女を無理やり落とすように、多少強引ではあったが強く引っ張る。脚立というある意味不安定な場所に立っていたからこそ、香澄姉の体は簡単に落ちた――小さな僕の体の上に。
「ぐふっ!?」
ひ……肘が最高に悪い場所に入りやがった。
苦しそうにげほげほと咳をする僕を見て流石の香澄姉も取り乱したように僕に声を掛ける。
「あ、綾斗君大丈夫!? ねえ大丈夫なの!?」
僕の心配をしてくれるくらいには大丈夫そうなのかな? でも、間違いなく香澄姉がやろうとしたことは自ら命を絶つ行為――自殺だ。
もう少し遅かったらどうなっていたか、僕はこの大切な人を未来永劫に渡って失っていたかもしれない……そう考えたら涙が出てしまうくらいに怖かった。
「あ……ごめんね綾斗君……痛かったよね。ごめんね」
間違ってはないけど、この涙の意味はそれじゃないんだ。しばらく咳き込む僕を香澄姉は見守ってくれ、ある程度して僕の体は落ち着いた。そうなると僕はどうしてそんなことをしようとしたのか、そう香澄姉に聞くのも当然だった。
「……………」
目に光がない状態、この世界に希望を見出せないそんな痛々しい姿で香澄姉は話してくれた。どうしてこんなことをしようとしたのか、どうして死のうとしたのかその理由を。
「……犯されたの……私」
「……え?」
一瞬、時が止まったような錯覚を感じた。
犯されたと、香澄姉はそう言った。信じられない、でも香澄姉の様子からそれは真実なのだと分かった。その瞬間僕の心を覆ったのは激しい憎しみ、憎悪だった。この人を……僕の大切な人を穢し、あまつさえここまで追い込んだのはどこの誰なんだって。
「犯されたことは知らなかったの。一昨日、昔の同級生に誘われてカラオケに行ったのは綾斗君も知ってるよね?」
「うん」
そうだね、確か昔の友達に遊びに誘われたからって出掛けたのを知っている……つまりその時に? けど僕は少し首を傾げた。犯されたと香澄姉は言ったけど、犯されたことを知らなかったとはどういうことなんだろう。あの日、夜に帰ってきた香澄姉はいつも通りだった。こんな風に絶望していなかったし、ましてや自殺をする予兆は一切見られなかったのだ。
「薬を飲まされたみたいで……眠っている時に犯されたらしいの。信じられなかったけど、その時の録画した映像がそのまま残っていて……それでさっき呼び出された時にそれを知ったの私は」
「……………」
……そんな、そんな酷いことをする人間が世の中には存在するのか。
呆然とする僕に力なく笑った香澄姉は言葉を続けた。
「この動画を拡散されたくなかったらセフレになれって……そう言われた。本当かどうかは分からなかったけど、万が一この動画が綾斗君の目に触れるようなことになったらと思うと怖くなった。だから一瞬、私は頷こうとしたの。絶望していた私にとって、その提案は凄く魅力的に感じたから」
「……………」
「でも……頷けなかった。私はその場から逃げたの……だって、そんなこと出来るわけないじゃん! 私の体はもう汚れていて、今更あいつに体を捧げても何も変わらない! でも……でも嫌だった……たとえそんな動画を盾にされても、綾斗君を裏切るようなことはしたくなかった! 綾斗君を好きなこの気持ちに嘘を付きたくなんてなかったから!!」
ボロボロと涙を流す香澄姉を見て、僕は更に怒りがこみ上げてくる。この怒りは香澄姉をこんな目に遭わせた男にもそうだし、僕に何も相談せずに一人で死のうとした香澄姉に対してもだ。
……でも一番は、そんな風になってまで打ち明けようと思わせられなかった僕自身の未熟さと弱さに対する怒りだったのは間違いない。
「昔の友達を見て変わったのは気づいてた……あの男が一緒に居るのも分かっていたのに私はのこのこと付いていってこの有様……まさかこんなことになるとは思わなくて警戒していなかった私も悪い……でも嫌だよこんなの。こんなに苦しいのならもう楽にさせてよ……」
正直なことを言えば……僕には香澄姉の絶望を全て理解することは出来ないんだろう。
知らないうちに初めてを奪われ、その時のことを唐突に知らされ、それだけでなくその時の録画をちらつかされて脅されて……自棄になってしまうくらいに恐怖に支配された香澄姉の心を……大変だねと、辛かったねなんて言葉はいくらでも言える。でも真にその心を理解することはおそらく……出来ない。
「……香澄姉」
震えるその体を僕は抱きしめた。
ビクッと震えたその体に、僕は男に対して強い恐怖が植え付けられているのを理解した。そしてその恐怖は少なからず僕にも同様に抱いていると。
「僕は香澄姉が大好きだ。いつも笑ってくれる香澄姉が、些細なことで頬を膨らませる香澄姉が、揶揄うと怒る香澄姉が……勉強を教えてくれる香澄姉が、ずっと僕を守ってくれた香澄姉が……僕は本当に香澄姉が大好きなんだ」
「……綾斗……君」
香澄姉の辛さ、悲しみ、それから逃げる最善の手がこの世からの逃避だとするなら……僕は絶対にそんなことをさせない。だってそうだろ? 目の前で大好きな人が死のうとしているのを黙って見過ごすことなんて絶対に出来ない。
「私も好き……大好きだよ。でも、もう私の体は――」
「綺麗だよ」
「……え」
目を丸くする香澄姉に僕は自身を持って伝える……綺麗だって。
「綺麗だよ。凄く」
抱きしめるように首元に顔を埋める。くすぐったそうに身を捩る香澄姉の温もりと匂いと、そして柔らかさを感じながら僕はこの想いを必死に伝えるのだ。
「汚れてなんかいない、香澄姉はずっと綺麗なままだ。いつもと変わらない、僕の大好きな香澄姉はずっと綺麗なままだ。だから大丈夫、香澄姉は汚れてなんかいない」
「……あ……あぁ……っ!」
香澄姉も僕を抱きしめてくれた。涙を流しているのは変わらないけど、それでもさっきのように暗くどんよりとした目ではなかった。僕を見つめる目にはちゃんと光が戻っていた。
「僕はさ、こんな風に小さくてちんちくりんだけど……今度は僕が香澄姉を守るよ。今までずっと香澄姉が僕を守ってくれたように、今度は僕が香澄姉をどんな奴からも守ってみせる!」
そうだ。守るんだ……僕が香澄姉を守るんだ!!
「こんな風に決心までした香澄姉には、もしかしたらこんな言葉を伝えるのは酷かもしれない。でも言わせて……お願いだ香澄姉。死なないで……生きてよ」
「っ!!」
ギュッと、抱きしめる腕に力が込められた。
「僕は香澄姉が居なくなったらきっと一生悲しんでしまう。香澄姉が居てくれから、僕は今まで頑張ってこれたしこれからもそうだと思えるんだ」
「綾斗君……」
見つめてくる香澄姉の頬に両手を添えて、僕は決意と共に宣言する。この人を守っていく、僕はずっとこの人の傍に居るんだと。
「僕の傍に居てほしい。僕もずっと香澄姉の傍に居るから……だから……だから香澄姉。どうか、僕のために生きてくれませんか?」
まるでプロポーズのような言葉だ……そして同時に僕は直感した。この言葉が香澄姉を縛り、香澄姉をこの世界に捕え続ける呪いになることを。
「私でいいの? こんな私でいいの?」
「香澄姉じゃないと嫌だ。大好きだ香澄姉……愛してる」
そう言って必死に背伸びをするように、僕は香澄姉の唇にキスをした。目を大きく見開いて驚く香澄姉だったけど、すぐに僕の存在を離さないと言わんばかりにキスを返して来た。そうして段々と激しくなる僕たちの行為、少し卑怯かもしれないと思ってしまったけど……僕たちが一線を越えるのは必然的と言えるのだった。
「……綾斗君、すきぃ……大好きだよ」
「僕もだよ香澄姉」
「ふふ、しあわせぇ」
ふにゃりと表情を緩める香澄姉の頭を撫でる。まるで猫が甘えるようにもっとして、もっとしてと身を寄せてくる彼女に僕はまるで年下みたいだなと思った。
お互いに裸で締まりのない状態だけど、間違いなく僕は香澄姉と想いを交わした証でもある。
「……………」
でも、こうしていても現状が変わるわけじゃない。
後悔させてやる……僕は必ず、香澄姉に涙を流させたその男を必ず……。
「香澄姉」
「なあに?」
「辛いことを聞くようで申し訳ないけど――」
「いいよ。なんだって聞いて? 私は何でも答える。綾斗君に聞かれること全部答えるよ」
「……………」
若干の危うさを感じながら、僕は香澄姉に録画されていた動画のことを聞いた。どうやら動画ファイルとして香澄姉のスマホにも送られたらしく、その映像はバッチリ残っているとのこと。その時を思い出して体を震わせる香澄姉を強く抱きしめながら、僕はその動画を見せてもらった。
『ちゃんと撮れてっか?』
『大丈夫大丈夫。それにしても寝てる私の友達を襲うなんて最低♪』
『本気でそう思ってんなら連れてこねえだろうが』
『まあね~』
『んじゃまあ、今からこいつをハメて動画を撮るからバッチリカメラ向けとけよ?』
『了解~♪』
……胸糞悪くなる話だ。
でも、一つだけ言えるのはこいつらが馬鹿だってことだ。
「馬鹿だねこいつら。顔がバッチリ映ってる」
「……あ」
今気づいたと言わんばかりの香澄姉に少し苦笑する。まあこんな見たくもない動画を確かめるように見るようなことはしないよな普通は。
押さえるべき証拠は確保した。とはいえ決して消去することはせず、一旦動画の再生を止めた。
「……………」
さてと、色々とやるべきことはあるけど……出来ることならこの動画がネットに出回るようなことがなければいい。でも、何かの拍子に出回るとも限らない。そうなると香澄姉は……。
そんな僕の不安を感じたのか、香澄姉は僕の腕を抱いてこんなことを口にした。
「心配しないで。私はもう大丈夫だから……こんな動画、誰に見られても気にしない。私はもう綾斗君の傍に居るって決めたから。だから大丈夫」
「分かった」
早速自分のスマホを取り出して連絡を取る。
僕がここまで怒りに震えたのだ。ならば香澄姉を愛する叔父さんと叔母さんが何も思わないはずがない。
『綾斗君? どうしたんだい?』
遠くに出かけていてしばらく家に帰ってこない叔父さんにこのことを伝えた。一応香澄姉にそのまま伝えると聞くと頷いたからこその連絡だ。
事の経緯を説明し終えると、今まで聞いたことが無い叔父さんの声が鼓膜を揺らした。
『……なるほど、綾斗君。その動画に顔は映ってるんだったね?』
「はい。バッチリです」
『分かった。必ず後悔させてやる。私の娘をそんな目に遭わせたことをね。地獄を見せてやる覚悟で追い詰めるさ。予定を切り上げて妻とすぐに戻るよ。万が一はもうないと思うけど、香澄の傍に居てくれるかい?』
「もちろんです。その……ちょっと早いですけど、付き合うことになりましたから」
『はは、そうかい。それは嬉しいニュースだな。それじゃあ綾斗君。また……あぁそれと、香澄に伝えてくれ。どんなことがあっても君は私たちの娘だと、必ず守るからと』
「分かりました」
それで電話は切れた。
さあ、賽は投げられた。後は動くだけだ。
おそらく想像は出来ると思いますが、動画の件を黙る代わりにセフレ的な関係を受け入れて堕とされるのが原作です(笑)