ストーカーの男は処理した。おそらくグルであろうチャラ男と少数のグループも処理した。私と兄さんの間に入り込んでくる者は最早居なくなった。私もそうだが、兄さんもずっと笑顔が絶えない。家に居る時も、外に居る時も、私と兄さんは常に笑顔だった。
私は兄さんが好き、そして兄さんも私のことを想ってくれていることが分かる。それはとても尊く、素晴らしく、掛け替えのないモノだ。義理とはいえ兄妹だからと幼い頃から封じ込めていた想い、意を決して兄さんに告白し兄さんも同じだったと告げられ私たちは恋人になった。
本当にそれからの日々は私にとって最高の日々だったのだ。今までも、そしてこれからも私は兄さんを愛し、そして共に生きて行くと疑っていない。私が兄さんを嫌いになることなんてないし、裏切ることなんて絶対にしない。私は兄さんが居ないと生きて行けない、兄さんが居るから私はこの世界に生まれ生きて行けるのだ。
ずっと続いていく、この日常はずっと続いていく……私はそう信じている。
けれど……。
私はどこか得体の知れない胸騒ぎを今の日常に感じていたのだ。私を兄さんから引き離し、兄さんが私から離れて行ってしまうような……そんなあってはならない最悪のIF……この胸騒ぎは何なのか、いつまで経っても私の中で答えは出なかった。
「……よし!」
今日も今日とて、愛する兄の為に沙希はお弁当を作っていた。修司の健康管理は全て妹である自分の役目だと沙希は常に考えている。今はまだ義妹であり恋人、しかし将来的には籍を入れて結婚もするつもりだ。修司の妻となれば彼の為に毎日の食事を作るのは当たり前のこととなる。もちろん修司は無理をしないでと言うだろうが、沙希はとにかく修司に尽くしたい系義妹兼恋人兼将来の妻である。彼のことを想えばこの程度朝飯前である。
色とりどりの献立、栄養を一番に考えつつも修司の好物を入れた自慢の弁当。今日もその出来に沙希は笑顔で頷いて満足していた。
弁当を作り上げ、朝食の用意をしていると足音が近づいてきた。扉を開けて入ってきたのはもちろん修司だ。
「おはようございます兄さん!」
今日も元気に修司へと挨拶をする沙希。沙希は毎日のこの瞬間が好きだった。その日に一番最初に出会い会話をするのが愛する修司なのだ。それだけで沙希は一日の活力が天元突破するほど、それほどまでに沙希は修司とのありとあらゆる時間が好きだった。
今日もいつも変わらない光景のはず……だったが、修司は少し寝不足なのか目の下に隈があった。修司は沙希に声を掛けられ、一瞬ビクッとしたがすぐに笑顔になって言葉を返す。
「……あぁ。おはよう沙希」
「? ……ふふ、兄さん座って下さい。ご飯出来てますよ」
「あぁ。ありがとう」
瞳の僅かな揺れ、感情の変化と纏う雰囲気、どこかいつもと違う様子が気になったが修司の笑みに沙希は大丈夫そうかなと一先ず安心した。けれども目の下の隈はそこまで気にならないが、少し注意して見ると気になるレベルのモノ……やっぱり沙希は気になって口にした。
「兄さん、隈が出来てますけど……眠れなかったんですか?」
「! ……実を言うと、ちょっと悪い夢を見ちゃってね。情けないことに上手く寝付けなかったよ」
「そうですか……今日は学校は――」
たかが寝不足ではあるが、愛する兄の為だ。学校なんぞよりも大切なのである。だから沙希は今日の学校は休めばどうかと言おうとしたのだが、修司は気にしなくても大丈夫だと苦笑したことで沙希はその先に続く言葉を呑み込んだ。
大丈夫と言っても沙希はずっと心配そうな目で修司を見つめている。修司は仕方ないなと口にして、沙希の頭をゆっくり撫でながらこう言った。
「ほら、怖い夢を見るとちょっと心臓がバクバクして眠れなくなることあるだろ? 俺が見た夢ってのが……まぁ街の人間が皆ゾンビになった夢だったんだ」
「……兄さん、それって」
「ご明察の通り……夜遅くまであのゲームをやったのが祟ったみたいだなぁ」
「思いっきりどうしようもない理由で私は安心しました……」
すまないと笑っている修司を見て沙希は溜息を吐いた。怖い夢を見て眠れなくなるなんてことは沙希も経験がある。それなら仕方ないかと……おそらく普通の人なら流すだろう。しかし沙希は見逃していない……修司の纏う雰囲気は何かを隠して強がっているような感じだ。修司自身意図したものでないことは確かだろうが、ずっと一緒に居たからこそ沙希は敏感に修司の感情の揺らぎまで感じ取ることができる。
「……………」
普通なら気にならないことがここまで気になるのだ。この時点で、修司の身に何か起きていることだけは分かる。しかしそれについて皆目見当が付かないのも確かなのだ。何故なら沙希は常に修司の傍に居る。家に居る時でも一緒に居ないのはトイレに行く時などそれくらいだ。沙希の目が届く範囲で修司に何かがあったなんてことは考えられない、だとすれば別の何かが修司の身に起きていることが推測される。
朝食を取る中でさり気なく修司を観察するがやはり分からない。目の下の隈、おかしいと直感的に感じる雰囲気を抜きにすればいつもの修司と何も変わりはしないのだから。
言葉少な目に朝食を終え、今日も学校に二人で向かう。
「兄さん、手を繋ぎましょ?」
「あぁ。いいよ」
このやり取りもいつもと変わらない……だけど。
「……え」
「どうしたんだ?」
「えっと……ふふ、何でもないです。行きましょうか兄さん」
沙希が困惑した理由、それは修司の手の握り方だった。いつもはガッチリとお互い離れないように恋人繋ぎをするのが普通だった。こうして沙希が声を掛けなくても、修司は自ら手を差し出して手を繋いでくれた。しかし今の沙希と修司は恋人繋ぎではなく、ただ単に手を繋いでいる状態。間に何かが入ってしまえばすぐに離れてしまうような繋ぎ方だ。
どうしたのかと聞きたくなっても、修司の様子は全然変わらない……まるでこれが普通だと言わんばかりの堂々とした様子だ。いつもと握り方が違わないですか、なんてこんな小さなことを聞くのも煩わしい気がして沙希は首を振る。だけど……。
「兄さん?」
「どうしたんだい?」
どうしても不安で、沙希は思わず修司の名を呼んだ。そして――。
「好きです」
ただそれだけ、どうしても伝えたかった。沙希の修司に向ける好きという言葉は決して嘘を吐かない、修司の受け取り方にもよるがそれだけは確かだ。沙希は修司にいつもと変わらぬ愛を、想いを言葉にすることで今の胸に抱える不安を拭おうとした。
沙希からの言葉を受けた修司は笑みを浮かべてこう返してくれるのだった。
「……俺もだよ、沙希」
いつもと変わらない言葉、兄から伝えられる相思相愛を証明する言葉。嬉しくて嬉しくて、それだけで胸が温かくなって幸せになれる……でも沙希は感じた、感じてしまったのだ――修司の言葉に隠された負の思考を。
修司は確かに同じように好きだと答えてくれた。でもその様子は明らかに無理をしていて、更に言えば沙希が好きだと行った時修司の瞳は大きく動揺して揺れていた。その感情の揺らぎは悲しみ、憎しみ、失望、後悔、諦め……言葉にするとキリがないほどのマイナスばかりの感情だった。
結局沙希は何もなかったかのように振る舞う修司に手を引かれ、そのまま学校に着いた。教室に向かう間にも相変わらずラブラブだなと茶化されることもあったが、今日だけはその言葉たちは鳥の囀りのように煩わしくて気分を害する。
机に座り、改めて修司のことについて考える。今この時、何かが修司の身に起こっている。これはほぼ確実だと沙希は思っている。昔からのことを考えると、沙希に告白し振った相手が逆上して兄に何かしたかなどが考えられるが、最近では一切そういうことがないためこの考えは候補から外れる。というよりも、修司の変化に気づいたのは今朝だ……つまり何かがあったと考えるならそれは昨夜から今朝になるまでの間しか考えられない。
(……分からない……一体何が)
あり得ない、あり得てはならないことを言ってしまうと夜中に誰かと会ったのか。でもそうだとしたら沙希が気づかないわけがない。常に修司の行動パターンは頭に叩き込んでいるし、その交友関係も当然……というか、夜中に修司が出かけるか誰か来たとしたら気づく……気づくったら気づくのだ。
結局それからいくら考えても答えは出てこず、沙希はその日の授業には一切身が入らなかった。学校が終わり、修司と並んでの下校時間、やっぱり修司の様子は今までと比べると明らかにおかしかった。どこか沙希の言葉に反応はしてくれても上の空で、ちゃんと話を聞いて欲しいと何度沙希が頬を膨らませただろうか。とはいえそれでも沙希は修司の一挙一動をしっかりと見て、今起きている異変の原因を何とか突き止めようとしていた。
夕暮れに染まる中、お互いに手を握っただけであまり会話はなく足だけが動く。そんな時二人が歩く道のすぐ傍にある線路を電車が走った。傍だからこそその音は大きく、思わず沙希も片耳に手を当ててしまいそうになるほどだ。沙希がいつ通ってもここはうるさいね、なんて言葉を掛けようとしたその時だったのだ――修司が声を荒げたのは。
「……やめ……やめろおおおおおおおおっ!!」
「っ!?」
横から聞こえた修司の悲鳴のような叫びに沙希は手を離してしまった。修司はその場にしゃがみ込むように耳に手を当て、何かを堪えるように震えている。耳を塞いでいることから電車の音を限りなく聞きたくないようにも見えるが、額から冷たい汗を流し、目に涙を溜め、しかも歯がガタガタと震えており明らかに普通ではない。
「兄さん! どうしたの兄さん!!」
そんな尋常ではない修司の様子を見てしまっては沙希としても冷静さが欠けてしまうのは仕方なかった。道のど真ん中だというのに、修司に必死に声を掛けるが彼は何かに怯えるだけで沙希に言葉を返してくれない。
修司を落ち着けるために、必死に手を握りながら体をさすって大丈夫だと沙希は言葉を掛け続けた。ここには自分が居る、修司を傷つけるものは何もないのだと伝えるように。
「……俺は……俺は……俺は」
「兄さん……」
壊れたようにブツブツと呟くその様子に沙希は胸が張り裂けそうなほどに苦しくなる。一体何なのだ、修司を苦しめているモノ一体何なんだと、もしこの場に修司が居なければ周りの物に当たり散らかしていたことが容易に想像できる。
最愛の兄が苦しんでいるというのに、どうしてこんなに何も出来ない。沙希が己の無力さに打ちひしがれているそんな時、修司がこんなことを口にした。
「……俺は……俺は何度も守ろうとしたんだ……何度も何度も何度も! でも駄目だったんだ……その度に俺は電車に……車に……っ」
それはまるで懺悔のように、己の悔しさを吐露するかのような口ぶりだった。
「何度防ごうとしても駄目で……何度も奪われてしまう……大切な妹を……愛した人を」
「っ!!」
大切な妹、愛した人とは間違いなく沙希のことだ。でも……今の修司の言葉が自分に向けられたモノではないような気がするのも、気のせいかもしれないが沙希は感じてしまった。
先ほどよりも落ち着いた様子の修司だが、その瞳からは止まることなく涙が溢れている。それでも彼の言葉は止まらない。
「……俺は何度やり直せばいい? そして何度絶望すればいいんだ? なあ沙希――俺は後、何度お前を奪われたら終われるんだ?」
その修司の言葉に、沙希は何も返すことが出来なかった。
前世の記憶が唐突に蘇るのなんて普通だから(白目
ちょっとやってみたかった設定です(笑)
兄が苦しむ理由がまさかそんな理由だとは思い当たっていない沙希、仮に知って狙ってきた男たちは全員処理したなんて馬鹿正直に伝えればどんな目を向けられるか……。
正に八方塞がり、沙希ちゃんの明日はどっちだ。