思い付きのネタ集   作:とちおとめ

17 / 45
姫川美咲の場合4

 いつからだろうか、彼女を見る一部の男の視線に不快感を抱くようになったのは……。こんな気持ちが最近になって強く亮太を悩ませている。

 美咲と隠れたお付き合いをしていた頃からそう言った視線、ハッキリ言うならば美咲を性的に見る視線はいくつもあった。美咲はスタイル抜群の美少女で、男なら誰しも彼女のような女を欲しがるだろうことは分かる。そんな男たちが羨む美咲の心を射止めた亮太はもちろん、嬉しかったし優越感のようなものを感じたこともあった。

 いつも亮太のことを考え行動してくれる美咲。愛と献身を絶えず注ぎ続けてくれる美咲。己が抱える嫉妬心のような醜い感情を知っても、そんな感情をすぐに洗い流してくれる暖かさと気遣い、亮太にとって美咲という存在は何よりも大切で大きな存在なのだ。

 そんな大切で、絶対に守りたい存在が少し前に権力を持った男に汚されそうになった。時間をしっかり守る美咲にしては遅れていたことにおかしさを感じ、次いで訪れた胸騒ぎに只事ではないと直感に従い動いた結果、亮太は美咲を守ることが出来た。あの出来事は出来るならば忘却の彼方に消え去ってほしいほどの事件だったが、今まで以上に美咲という存在を守ろうと心を強くした事件でもあったのだ。

 生徒の立場からすれば無暗に手を出すことの出来ないあの男を学園から追放し、亮太と美咲の学園生活には安息が訪れるものだと信じていたが……前述した言葉通り、美咲を性的に見る者は相変わらず残り続けていた。中でも特に亮太のクラスメイトであり、同じ野球部の部員でもある小堀という男子生徒はその様子が顕著に見て取れるのだ。

 

『姫川って本当に良い体してるよなぁ。マジで抱きたいぜ』

 

 こんなことを男子しか居ない部室で言うほどには、小堀は美咲に対して執着にも似た何かを抱いているなど想像するに難くなかった。これが亮太と美咲が関係を公にする前ならば、いい顔はせずとも話を流すだけで終わっていただろう。だが、二人が付き合っていると知れ渡って尚このような発言を止める様子がないのだ。しかも美咲と付き合っている亮太が同じ部室に居るのが分かっているのにである。

 冗談の類いのように思いたいが、小堀の目はいついかなる時も美咲が視界に入るならば彼女を追っていた。たわわに実った胸元、ムッチリとしたお尻、スカートから覗く健康的な太もも……上げればキリがないが、周りの目を気にすることなく美咲を見て舌なめずりをしていた時は寒気さえ感じたほどだ。そしてそんな小堀に同調するように、程度の差はあれど美咲に対して薄汚い欲望を抱く者は他にも居る。

 そんな風に亮太が悩んでいた時だ――偶然通りかかった空き教室から、こんな会話が聞こえてきたのは。

 

「それでさ小堀、いつ姫川は抱けるんだよ?」

 

 予期せぬ言葉に心臓が強く鼓動したのはすぐだった。亮太の心のざわめきが収まるのを待たず、次々と亮太の鼓膜を下劣な男の会話が震わせる。

 

「まあ待てよ。色々と準備がいるんだからよ。でも忘れんなよ? 姫川を最初に抱くのは俺だぜ?」

「分かってるさ。けど待ちきれねえなぁ、俺も早くあの体を味わいたいって!」

「けど亮太はどうすんだよ。姫川はあいつしか見てねえぞ?」

「大丈夫さ。あんだけお熱なら他の男に抱かれたなんて絶対に言わねえし言うなって懇願してくるはずさ。それで大人しくしてるうちにしっかり性奴隷にしてやればいいんだよ」

「たまらねえなぁ。従順になった時が楽しみだぜ」

「あ、そうなったら亮太の前でマワしてやろうや。面白い顔すんじゃねあいつ」

「最高じゃんそれ!」

「決定! あっはははは!!」

 

 ……まるでどこか別の世界の話を聞いているような気分だった。けれど間違いなく話に出ていたのは美咲という名で、彼女に対し何かをしようとしているのは明白だった。

 

「……ふざけるな」

 

 思わず怒りに任せて空き教室に入ろうとしたが、そこで今は傍に居ない美咲が気になった。今の時刻は昼休み、さっきまで一緒にお昼を食べていたから美咲はまだ教室に居るはずである。何も心配はないと分かっているのに、心は悲鳴を上げるように美咲の無事を確かめたがっていた。

 亮太はすぐに美咲が居るはずの教室に戻った。焦る気持ちを抑えるように呼吸を何とか整えて教室に入ると、やっぱり美咲は居てくれた。友達と話していたようだが、一番に亮太が帰ってきたことに気づいたのか視線を向け……そして。

 

「……! リョー君!?」

 

 何かに気づいたのか慌てた様子で亮太に駆け寄ってきた。亮太としては平常心を装っているはずなのだが、どうやら美咲にはそんな仮面は無駄だったようだ。どういうわけか美咲はいつも亮太の異変には気づく。少しの体調の変化でさえ彼女は気づくのだ。そんな親よりも亮太のことを知り尽くしている美咲に、先ほどまでの荒れ狂った感情を隠し通すことなど最初から無理な話だったというわけだ。

 

「美咲……」

 

 美咲の心配そうにしてくれる優しさに触れると、同時に先ほどの下賤な会話が脳裏に蘇る。彼らの視線に触れさせたくない、そんな独占欲と危機感がごちゃ混ぜになるような感覚に亮太自身も何をどうすればいいのか分からなかった。

 そしてもちろん、美咲はそんな不安定な状態にも気づいている。故に――。

 

「リョー君、五限の授業サボっちゃおうよ」

「……え?」

 

 突然の申し出に思わずポカンと間抜けな表情を晒してしまった亮太、そんな亮太の腕を引くように美咲は廊下へと向かっていく。

 

「ごめん! 先生に……そうだなぁ。ちょっと用事が――」

「大丈夫よ。生徒会長としては褒められたことじゃないけど、美咲と彼のことだし特別に口裏合わせてあげる」

 

 美咲が声を掛けようとしたのは彼女が一番仲良くしている女子生徒だ。彼女自身も亮太と美咲の様子から何かを感じ取ったのかそんな言葉で答えてくれた。美咲は友人の言葉に嬉しそうに頷き、亮太の腕を引っ張ってこれからのサボり場所に向かうのだった。

 ガシャンと、大きな音と立ててドアが開く――二人が向かったのは屋上だ。

 屋上に着いたのと同時にチャイムが鳴り、五限の授業の始まりを合図した。それはつまり、もう二人が授業をサボるのが確定した瞬間でもあった。

 

「えへへ、初めてだね。授業サボったの」

 

 授業に出れないことに対して特に何とも思っていないような美咲の笑顔に、亮太はどうしてこんなことをという気持ちが強くなる。亮太が口を開くよりも先に、美咲がどうしてこのようなことをしたのかを教えてくれた。

 

「リョー君が泣いてたのが気になって」

「俺が……泣いて?」

 

 思わず目元に手を当てたが、当然涙は出ていない。首を傾げる亮太に美咲はこう続けた。

 

「違うよ。心が泣いてる気がしたの。助けてって、リョー君の心が叫んでる……そんな気がしたの」

 

 ドクンと、心臓が大きく脈打った。

 いつも美咲は亮太の変化に気づいてくれる。ましてや今回に関しては心が泣いているから……そんな理由で亮太の変化に気づけるだなんて思えるはずがない。

 思ってもみなかった美咲の言葉に亮太は幾分か気持ちが楽になったのか、少しばかり苦笑してヘタリとその場に座り込んだ。亮太の隣に美咲も座り込み、優しく彼の右手を両手で包み込む。

 

「どうしたの? 絶対に何か……あったよね?」

「……あはは、今更になるけどよく分かったね」

「リョー君のことだもん。心の中まで分かるよ……なんちゃって」

 

 てへっと舌を出す仕草はあざといが、可愛いと思ってしまう辺り亮太も惚れた弱みというやつだろう。そこから亮太としても経緯を話すのは辛いモノがあったが、美咲に話すことにした――さっきの昼休み、亮太が聞いたあの薄汚い話を。

 

「……そっか」

 

 話を聞き終わった美咲は俯いてそう一言だけ呟いた。美咲の肩がフルフルと震えているのは恐怖からだろうと亮太は考え優しく美咲を抱きしめた。

 亮太に抱きしめられたおかげか美咲の体の震えは止まり、彼女も亮太に応えるように腕を回して抱き着いた。

 

「……ごめん。本当なら俺が守らないといけないのに……あいつらに殴り掛かってでもやめさせないといけないのに」

 

 おそらく、もしあそこで美咲のことが不安にならなかったら亮太は迷わずあの教室へ足を踏み入れたはずだ。大切な彼女が襲われてしまうかもしれない、それで怒りに思考が染まってしまうのは仕方のないことだ。だが、ある意味であそこで手を出さなかったのは亮太にとって救いであったのも確かである。

 美咲に全てを話し、気持ちが軽くなったのか亮太はボソッと囁いた……言えるはずもなかったあの言葉を。

 

「……美咲、俺と一緒に野球部を辞めないか?」

 

 言った後にしまったと亮太は思った。何故なら野球は美咲にとって本当に大切なモノだと知っていたからだ。もちろん亮太にとっても野球は大切だが、美咲に比べればどうってことはない。けれども美咲が野球に向ける情熱は遥かに大きいモノで、それは傍に居た亮太が何よりも理解していたのだから。

 美咲の情熱の注ぎ先とも言える野球を奪う……こんな残酷なことを口走った自分を美咲はどう思うのか。もしかしたら嫌われてしまうかもしれないと身を強張らせる亮太だったが、そんな亮太に対して返ってきた言葉は全くの予想外なモノだった。

 

「いいよ。リョー君が言うのなら。それで、リョー君の不安が取り除かれるなら」

 

 美咲は亮太の為なら野球部のマネージャーを辞めてもいいと、そう言葉にした。無理をしたような発言とも思ったが、美咲の様子から本心で亮太の為ならと言っていることが分かる。

 

「前にも言ったけど、確かに野球は好きだよ? でも、今はリョー君の方が何よりも大事。リョー君が一緒に居てくれることが何よりも大切なの。だから……それ以外はどうでもいい」

 

 最後の言葉は聞き取れなかったが、美咲の言葉は迷いに迷った亮太を救う言葉でもあった。亮太にとって野球を喪うと言うことは一つの夢を諦めることになるのは必然、けれども美咲を失う以上に大切なモノではないと後に彼は語るのだった。

 

 

 

 

 五限の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、美咲は少しやることがあるからと亮太を先に教室へと帰らせた。亮太の姿が見えなくなり、辺りに人の気配を感じなくなったのを見計らい、美咲は大きく息を吐き出し――そして彼女の溜めていたそれは爆ぜた。

 

「ふっざけんじゃないわよ!! なんであんなクソ野郎にリョー君が夢を諦めさせられないといけないの!! あいつが!! あいつらさえ居なかったらこんなことにならなかったのに!!」

 

 怒りの形相で言葉を吐き続ける美咲、今の彼女に普段の華々しさは欠片も感じられなかった。確かに美咲は野球が好きだった……けれどもそれは過去形で、今は亮太のことの方が何よりも大切だ。野球が好きだと言うよりも、野球に一生懸命に亮太が打ち込んでいたからこそ、そのせいもあって野球が好きだという気持ちが僅かに残り続けていただけに過ぎない。

 

「……許さない……リョー君の夢を奪おうとするあいつらを……絶対に……っ!!」

 

 美咲にとって、今は自分のことよりも亮太が悲しんだという事実のみが大事なのだ。亮太は幸せでなくてはならない、亮太に悲しみや不幸は要らない、何故なら亮太は美咲の大切な存在だから。亮太を少しでも悲しませる存在は居ちゃいけない、今までだってずっとそうやってきたのだから。

 荒れに荒れている美咲、そんな彼女はここで……自分とは違う別の気配がこの場にあることに気づいた。そちらに視線を向ければ、そこに居たのは教室を出る前に美咲と会話をした女子生徒――美咲にとって亮太と比べるべくもないが、それなりに親しい友人である。

 

「やれやれ、荒れてるわね。でも気持ちは分からないでもないわ。当人たちの気持ちを無視して、その間に入り込んで来ようとする下種なんて生きる価値ないものね」

 

 その友人は今の美咲の様子に恐れたりせず、堂々と近づいてハンカチを差し出した。

 

「拭きなさい。爪が皮膚に食い込んでるわよ?」

 

 そう言われて美咲が自身の手に目を向けると、彼女の言う通り皮膚に爪が食い込んで血が出ていた。どうやら怒りによって凄まじい力で握りしめていたようだ。

 美咲はハンカチを受け取り、簡単に血を拭き取る。

 

「……まさか最初から見てた、なんてことはないわよね――綾乃」

「ええ、ちゃんと授業は受けたわよ」

 

 白崎綾乃、それがこの現れた女子生徒の名前だ。

 

「それで、どうするのよ」

 

 それはこれからどうするのか、っと端的に言っていた。それに返す美咲の言葉も、最初から決まっていた。

 

「決まってるじゃない。リョー君の夢は終わらせない……あいつらが居なくなれば万事解決でしょ」

「やれやれね……鬼を怒らせると怖いわねぇ」

「うるさい。というかアンタの方がもっとえげつないことしたでしょうに」

「ふふ、当然じゃない。私と彼を引き裂こうなんて楽して死ねるはずがないもの」

 

 この二人に何があったのか、それは二人にしか分からないことである。

 

 

 

 

 

 

 闇、深淵とは光が届かない底を指す。

 希望はなく、救いもない……あるのは絶望だけ。

 

「な、なんでこんなこと……」

「はあ? こんなことって言った?」

 

 暗闇の中で、男と女の声がする。怯える男の声と、侮蔑を滲ませる冷たい女の声が。

 

「本当ならいずれやるつもりだったけど、ちょっと予定変更ってやつよ。アンタ、リョー君を不安にさせたわね?」

「立花を? 何言ってんだよお前、俺は――」

「ま、アンタの言い分はどうでもいいわ。どうでもね」

 

 最初から、女にとって男は邪魔な存在だった。それは周りで“壊れ倒れている”者たち同様に。

 

「白崎! 助けてくれよ!」

「さあね、し~らない♪」

 

 冷たい女の声とは違う、どこか愉しそうな女の声も響いた。

 

「別に怖がらなくてもいいわよ。殺したりするわけじゃないんだから……ただ、壊れてもらうだけ」

「や、やめ……」

「それじゃあね」

 

 耳をつんざくような男の叫び、それに代わる悲鳴もすぐに聞こえなくなった。

 全ての出来事は闇の中へと消え、それを知るのもその闇の中に居る者だけである。女が愛する男は当然のことながらこの出来事を知らない、何故なら彼は光の中を歩くものだから。

 何が起きて何が結末として終わり、どういう結果が齎されるのか……愛された男は未来永劫知ることはない。

 




愛と献身とか言ってますけど……
端的に言うと心の中まで分かっちゃうやべーやつって認識で大丈夫です。

間で出て来た白崎綾乃、彼女の名前にピンと来る人いますかね。
心春編で出て来た恵梨香のような立ち位置とも言えます。
つまりどういうことかというと、そのうち書くかもわからないキャラの一人ですね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。