前半は“ミサキ”の終わり、後半は“美咲”のこれから。
目を閉じれば聞こえてくる……あの声が。
『お前は何をしているのかって聞いているのよ!!』
私と同じ声で、私を責め立てるあの声が。
『お前は姫川美咲じゃない』
……うるさい、うるさいうるさいうるさい……心はそう思ったとしても、どこかこの言葉に納得する自分が居るのも確かだった。
どうしようもなかったと流されるままに凌辱を受け、私は身も心も快楽に堕ちた。薄汚い男の欲望をこの身に受けることに興奮を感じ、私に快楽をくれるならば好きにしてくれと思うほどに私は壊れてしまったのだ。かつて愛した恋人を捨て、快楽を貪る淫乱な雌豚に堕ちた私は……ふふ、確かに最低の屑に他ならない。
『お前は姫川美咲じゃない』
また同じ声が頭の中で繰り返される。
そうだ……あの人、リョー君と愛し合っていた私はもういない。彼と将来を誓い合った私は既に居ないのだ。最初は拒み続けた……やめてほしいと、でもやめてくれなかった。そしていつしか、彼に隠れて凌辱されることを心待ちにする私が居て絶望した……まあその絶望も最初だけだったけど。
『お前は姫川美咲じゃない……リョー君を愛し、リョー君に愛された女じゃない。最愛を捨てて、最悪の過ちを犯したただの屑よ』
あの私と同じ顔、同じ体、同じ声をしたあの子はリョー君と愛し合えている私なのだろうか。もう気にすることじゃない、今の私には私の思い描く幸せをくれる人がたくさんいる。だというのに……どうして私は……私は……私は……っ!
「……っ!?」
頬を伝う何かを拭い、そこで私は気づく――涙を流していることに。
鏡を見れば目を赤くして小さな子供のように涙を流し続ける私が居た。泣き止みたくても止まらない、延々と流れて止まらない涙にどうしたんだと困惑が大きくなる。
「……あ」
ふと私の視界はあるモノを見つけた。それは一枚の写真、写っているのは付き合いたての私とリョー君だ。あの頃はまだお互いに異性と付き合うのは初めてのことで、どちらもぎこちない笑顔を浮かべているのが印象的だ。一生ものの宝として残すには出来の悪い一枚だとは当時言い合ったけど、初めて撮ったツーショットだから宝物にしたいってことで残したんだっけ。
「……残そうって言ったのは……私だね」
そう、この写真を残そうと言ったのは他でもない私だ。やめようと渋るリョー君を説得して、どうにかお互いに持っていようって約束した一枚。あの頃の記憶はとうに忘れたものと思っていたけど、中々どうして不思議なことに鮮明に私の記憶には残り続けていたんだ。
「……学校行かなくちゃ」
ずっと閉じこもっているわけにもいかない。
私は涙の跡を少しの化粧で隠し、制服に着替えて家を出た。リョー君に正式に別れを言って、“彼ら”のモノになると宣言した日を境に私は母親や父親と口を聞いていない。流石にナニをされているかを説明してはいないけど、ただ一方的にリョー君との別れを切り出したことを伝えたら凄く怒られた。特に母はリョー君のことを気に入っていたからその時の怒りは凄まじかった。
学校に向かう中、ふとスマホが振動して手に取ると……そこにあったのは今日もしっかりご奉仕しろという命令のようなメッセージ。昨日までは行われる行為に興奮していたのにどうしてだろう、今日はその時間が来てほしくないって思っている私が居る。それどころか……もう彼らに会いたくないって思う私が居る。
「……あの夢のせいなのかな」
夢の中で私は私に殺された。あれはまるで今までの狂ってしまった自分を殺されてしまったような感覚だ。昨日の私と違い、どこか生まれ変わったかのようにも思える。でも……これは全然嬉しいことなんかじゃない。だってこんなに私は苦しいんだ。けれど、この苦しみは私の自業自得だ。私自身が招いた種、それなのに苦しいや嬉しくないなんて思うのは傲慢な考えだろう。
学校サボってしまおうか、そう私が考えた時――目の前に見知った背中を見つけた。あの背中は見間違えるわけがない、リョー君の背中だ。あまり食事をしていないのか痩せてしまっているけど、私には分かる。同時に、リョー君が野球部を退部した事実も私の胸に突き刺さる。
ずっと背中を見つめ続けていたせいか、目の前のリョー君が振り返り私の姿を捉えた。リョー君は私を見つけたけど特に表情を変えるようなことはせず、そのまま前を向いて歩いて行ってしまった。
「……あ」
ふと手を伸ばそうとして、私は手を下げた。私にはそんな資格……ないもんね。
それから私の足は学校とは反対の方へ向き、これを境に私がリョー君と同じ学校に通うことはないのだった。
野球の名門、その部活のマネージャーである姫川美咲は誰にも伝えることなく学園を退学した。同級生はもちろん、野球部員、顧問さえも彼女がどうして学園から居なくなったのか、その理由を聞いた者は居ない。ただ親の都合で遠くへ引っ越したとだけ、担任から簡単に伝えられた。
そして後日、一人の男子生徒の元に一通の手紙が届けられる。その手紙には最初から終わりまで、ずっと謝罪の言葉が書かれていたらしい。
★☆★
「……う~んいい朝!」
少女、姫川美咲の朝は早い。基本学校がある日は亮太の為にお昼のお弁当を作ったりと忙しいが、本日は休日であり弁当を作る必要はない。だというのに何故早いのか、それは単純に今日は亮太とのデートだからである。学校がある日は部活も遅くまであり、遊んだりする時間は本当に少ない。まあ美咲の場合は良く亮太の家に泊まることも珍しくなく、そこまで二人の時間が確保できないわけでもないが、こうして改めて休日を朝から夜まで過ごせるというのは美咲にとって何にも勝る最高の時間なのである。
シャワーを浴び、着替えを終えて簡単にメイクをして準備万端。よしっと鏡の前で頷いた美咲は机に置かれていた一枚の写真を視界に入れた。それは亮太と付き合って初めて撮ったツーショットの一枚、ぎこちない笑みを浮かべている二人の初々しい写真だ。
「懐かしいなぁ。リョー君はこれは失敗だから撮りなおそうって言ったけど、私がこれを残したいって言ったんだよね」
渋る亮太を説得してお互いに宝物の一つにしようと言った一枚、ただの写真だが美咲にとって亮太との大切な時間が始まった瞬間を思い出させてくれる一枚なのだ。今まで色んな写真を亮太と一緒に撮ったが、そのどれよりも特別な写真と言ってもいい。
写真立てを手に取り、写っている亮太を撫でるように指を這わせてうっとりと表情を蕩けさせる美咲。しばらくそうしてハッと我に返り、スマホで時間を確認して慌てるように部屋を出た。
「お母さん、リョー君とデートに行ってくるね!」
「いってらっしゃい。亮太君によろしくね?」
「は~い!」
朝も早いため父親の姿はなかったが、リビングに居た母親に声を掛けて家を出る。美咲自身は気づいてないが、美咲の背を見つめていた母はとても優しい表情をしていた。美咲の母は一途な亮太のことを気に入っている。いつ嫁にもらってくれても構わないと思っているほど、亮太に対して大きな信頼を抱いていた。そしてそれは父親も同様で、よく亮太が美咲の家でご飯をご馳走になる時には男同士の会話と称して、よく亮太と美咲に関する思い出話をすることも珍しくない。まあその度に美咲が父親に対して嫉妬するのだが、それもある意味姫川家にとっては名物のような光景だ。
家を出た美咲は真っ直ぐに亮太の家に向かう。デートということもあり待ち合わせ場所を決めては居るが、その待ち合わせよりも遥かに美咲が家を出た時間は早い。ではなぜ待ち合わせ場所を決めているのに美咲はそれよりも早く、しかも亮太の家に向かっているのか……単純なことだ。亮太をビックリさせたいという悪戯心、そして彼が目を覚まして一番に視界に入れてほしいのが自分だという独占欲である。
亮太の家に着いた美咲は彼から預かった合鍵を使い、亮太を起こさないようにと小さくおじゃましま~すと言って家に入った。そしてそのまま向かうのは亮太の部屋、音をなるべく立たずに部屋に向かうと――やはりまだ亮太はベッドの上で丸くなっていた。
「……えへへ、おはようリョー君♪」
当然のことながら亮太は目を覚まさない。美咲は亮太の枕元にしゃがみ、ツンツンと指を頬に当ててみる。
「う、ううん」
「……可愛い」
目を蕩かせてデレデレと危ない顔になった美咲、枕元に立つサキュバスのような女の子に僅かながら気配を感じたのか、パッと亮太の目が開いた。亮太はそのまま美咲を視界に入れても微動だにしない。どうやら寝起きということもありまだ頭が覚醒していないようだ。
ボーっとしている亮太に愛おしさが溢れたのか、美咲は亮太の唇に口付けを落とし、満面の笑みで口を開くのだった。
「おはようリョー君♡」
学園で誰もが憧れる花の咲いたような美しい笑み、それを独占している亮太の反応は如何に。
「ど……」
「ど?」
「どうして美咲が居るんだ!?」
……まあ当たり前の反応である。もしかして寝坊をしたのか、そう思って時計を見てもまだ二時間くらい余裕がある。ということは自分が寝坊したわけではないと、一先ず亮太は安心するように息を吐き出した。となると美咲がまた悪戯心を働かせたなと亮太の中で結論が出た。
こうして美咲がサプライズのような行動を取ることは珍しくはなく、亮太にとって決して嫌ではないからやめてくれとも言えない、言うつもりもない。ただ、してやったりと舌を出してお茶目に笑う美咲を見て、少しだけ恥ずかしくもなってしまい。
「おら」
「へ? ……きゃっ!?」
亮太は美咲の腕を掴み、自分のベッドに引き入れるように引っ張った。当然のことながら美咲の体は抵抗できるまでもなく亮太の力に負け、そのまま彼女は亮太と同じベッドの上に横になることになった。亮太は美咲の体を思いっきり抱きしめ、彼女の存在をこれでもかと感じるように更に強く抱きしめる。
「後10分くらい横になりたい……美咲、抱き枕になって」
胸元に顔を埋めているから亮太の顔は見えないが、抱き枕になってなんて大好きな恋人に言われてしまっては美咲に断る選択肢はない。
「全然いいよ。その代わり私もぎゅっとするからね」
亮太の頭を撫でるように優しく胸元に抱え込む。自分の持つ豊満な胸で息苦しくならないようにと、美咲は細心の注意を払いながら亮太を抱きしめ、同時に彼の好きなようにさせるのだった。
それからきっかり10分、お互いにお互いの温もりを堪能した二人は準備を済ませ、美咲は亮太の腕に自身の腕を絡ませながら家を出た。美咲の美貌に行き交う人々が目を向けてくるが、自分は亮太のモノなのだということを見せつけるように体を引っ付けている。微笑ましく見つめてくる人たちには特に反応はしないが、何であんな奴ととか馬鹿なことを口走った男には殺気を飛ばすことも忘れない。
デートは順調に進み、美咲は終始楽しそうに亮太とイチャイチャと過ごしていた。そして――。
「……なぁ美咲、ここは流石に男の俺は……」
「彼女と一緒だから大丈夫だよ。さ、いこうリョー君」
意気揚々と亮太の手を掴み美咲はそのエリアに足を踏み入れる。楽しそうにしている美咲とは別に、亮太は居心地悪そうにそわそわしていた。そんな亮太の様子も無理はなく、今二人が居るのは女性の下着売り場だ。いくら彼女同伴とは言え、男である亮太が恥ずかしいと思わないわけがない。
「また少し大きくなったの。リョー君に愛されてるおかげだね?」
こんな風に楽しそうにしている美咲のことだ。たぶん外で待ってると言っても聞いてくれないんだろうなと諦めの境地に至った亮太である。それから美咲が白と黒の下着を持ってきてどっちが良いかと聞き、黒はエロくていいし白も清楚な感じがして捨てがたいと悩む亮太。それならと……美咲は下着を持って着衣室へと向かう。そんな時、美咲は何かに気づいて一瞬視線を鋭くしたが、すぐに表情を戻して下着を持ったまま着衣室へと消えた。
「ねえリョー君、ちょっと近づいてくれる?」
「うん? あぁ」
一体どうしたんだと言われるがままに着衣室に近づいた亮太、一瞬の隙を狙ったかのように中から腕が伸びてそのまま亮太の体は引きずり込まれた。
「ど、どうしたんだ美咲……っ!?」
中に居た美咲は黒の下着のみを纏った状態だった。豊満な胸や、ムッチリとしたお尻、シミの無い健康的な肌に目が釘付けになってしまう。別に付き合っているからセックスなどもしているし裸は何度も見ているが、こうして着衣室の中とはいえ他に利用客が居る中下着姿の彼女と二人きりというのは、何とも言えない背徳感のようなものを感じなくもない。
「どう? 似合う?」
「……めっちゃエロい」
「ふふ、嬉しい」
亮太にエロいと言われるなんてご褒美以外の何者でもない、そんな言葉が聞こえてきそうなほどに嬉しそうな美咲の笑顔だった。
「それじゃあ次は白の方ね」
「俺は外に――」
「だ~め、逃げちゃダメよ♡」
退路絶たれる、諦めろ亮太。
諦めて溜息を吐いてはいるものの、チラチラと美咲を見ているから期待をしてないわけではないだろう。美咲にとってはその亮太の抱く感情を感じ取るだけで股がムズムズとしてしまう。このまま着衣室の中で一戦してもいいかなと発情一歩手前の美咲は考えるが、ここでふと亮太に気づかれないように着衣室のカーテンを少し開けて外を見る。視力の良い美咲の瞳はある影を捉えた――小太りの男子高校生が、あたりをキョロキョロと見渡しながら何かを探している姿を。
「……下種が」
亮太に聞こえないように小さく呟く。
今の幸せな時間に入り込んでくる害虫のような存在に、美咲は静かな怒りを胸に抱える。暫くその不愉快な存在の気配を感じていたが、諦めたのかこの場から離れて行ったのを感じて美咲は亮太へと意識を戻す。
「さてと、着替えようかな」
「……………」
赤くなっている亮太が可愛くて仕方ない、今すぐにでも抱き着いてキスをしてその先の行為をしたいと美咲は思ったが店の商品を汚すのはマズいとして一旦踏み止まった。……まあその後に、必死に声を我慢するような女の子のくぐもった声が聞こえてくるのだが、それは果たして何だったのか。それはその着衣室の中に居た亮太と美咲にしか分からないことである。
次回「小堀、死す」
デュエルスタンバイ!