ここの心春ちゃんはやるときは殺る子です。
果たして父親と兄貴は生き残るのかどうか……w
少年――朝岡新は家族が嫌いだった。
女性関係に関してだらしのない兄、そしてそんな兄と血の繋がったこれまた女性関係に関してはだらしのない父親と……考えれば考えるほど新はこの家族に嫌悪感があった。
元々新はこの家の人間ではない。
今の義理の父――朝岡源蔵が当時気に入ったという理由だけで寝取った女性が生んだ子供、それが新なのである。新は物心ついた時から父親と兄の汚い所を見てきた。多くの女と遊び、抱き、そして自分好みに仕立て上げるそのおぞましささえ感じさせる瞬間の多くを己の目でしっかりと見ていた。
新を生んだ母親は源蔵に体の芯に至るまで快楽を叩きこまれ、源蔵に体を蹂躙されることこそ至上の喜びとさえ感じるほどに作り替えられてしまったのだ。子供である新に見向きもせず、ただただ快楽を貪る母親の姿に新はいつも言いようのない悲しみを感じていた。当時はまだ理解できていなかったことでも、年を重ねるに連れて大人に近づいていけば母親と源蔵の行為がいかに歪んだものだったのかが理解できる。
「……早くこの家から出ていきたい」
新はいつもそう口に出していた。
早くこの家から出ていきたい、この家の家族とは縁を切り全く関係のない世界で生きたい……そして、自分は絶対に女性を泣かさない。たった一人、好きになった女性だけを未来永劫愛し続ける。絶対に父や兄のようにはならない……そんな決意にも似た思いを新は胸に秘めるのだった。
世界が灰色に見え、色が失われた新の世界……とにかく家族に会いたくないと考え続ける新の人生は味気ないものだ。どんなに頭を振っても浮かび上がる家族の醜悪な本性、既に傍にはおらず一度も新を愛してくれなかった母親……本当に新の世界は腐りかけていた。
やることなすことどうでもよく感じてしまっていたそんな時だった。
『どうしたの? 元気のない顔してるよ?』
その声は新を灰色の世界から引き上げる力を持っていた。
声の主は陽ノ下心春、明るく美人で誰にでも優しいとクラスで人気の女の子だった。その時は何でもないと突き放すようにしてしまったが、心春はどうにも新のことが気になるのか声を掛け続けてきたのだ。
新は戸惑いを隠せず、しどろもどろになりながらも心春の問いに応え言葉を交わしていく。
そして気づけばあっという間だった。新は優しく温かい心を持つ心春と接するうちに、彼女に対して恋をしたのだ。思えば誰かに恋をすることは新にとって初めてのことであり分からないことだらけの感情、でもその感情は決して嫌ではなかった。
この瞬間、そう、新にとってこの瞬間がそうだった――灰色の世界に色が付いた。
鮮やかに色を付けていく世界は新の心を満たす。
心春という存在を通して新は初めて恋の素晴らしさと生きることの喜びを実感した。
『新君、やっと笑ってくれたね』
心春の優しさが嬉しかった。
『う~ん、今度のテスト少し不安だなぁ。新君はどう?』
何気ない会話が楽しかった。
『……えっとね、あっくんって呼んでもいい?』
照れる心春が可愛かった。
多くの感情を抱きながら新は生きるということを実感する。心春と過ごす時間は新にとって本当に幸せで、何より掛け替えのないものだったのは言うまでもない。
心春と過ごす日々は新の家族に対して抱える嫌悪を一時的にとは言え忘れさせてくれるほどに。
そして――。
『君のことが好きなんだ。……心春、俺と付き合ってください!』
『……うん! 私もあっくんが好き、大好きです。だから……よろしくね!』
新は心春という宝物を手に入れた。
それからの日々、心春と付き合いだした新の日常は正に光輝いていた。新と心春には自覚などなかったが、学校でもイチャイチャと甘い時間を過ごし友達にからかわれ、先生には苦笑いを浮かべられながら注意をされ、それに関して心春と共に笑みを零しながら謝るために頭を下げる。
大切な恋人と過ごす時間、新はこのような瞬間が訪れるなど決して予測できなかった。
でも今という時間は確かに存在し、新の傍には心春という何よりも愛おしい恋人がいる。
『私すごく幸せなの。あっくん、ずっとずっと一緒にいようね?』
『もちろん、俺はずっと心春を好きでいる。だから心春も……その、俺を好きでいてくれるか?』
『ふふ、もちろん!』
『……心春!』
『きゃあ♪』
心春は新にとって陽だまりのような女の子だ。
この子となら幸せに暮らしていける。この子となら温かい家庭を築くことができる……心春さえ居てくれれば、自分は幸せだと新は思う。
……けれども、そんな新の幸せを嘲笑うかのようにある出来事が起きた。
心春の両親の死である。何が原因かは分からない、ただ事故としか言われなかった。そしてどうやって決められたのか分からない現在の新の家、つまり嫌いな家族の住む家への心春の同居である。
まるで狙いすましたかのような一連の流れに新は言いようもない不安を感じるも時すでに遅し、今現在新は父親である源蔵の前に心春と共にソファに座っていた。
「えっと、ありがとうございます。ここに住むことを許してくださって」
心春が源蔵に頭を下げ、お礼を言うと源蔵は人の好さそうな笑みを浮かべた。
「いやいや、聞けば心春ちゃんは新の恋人というじゃないか。それなら父親である私が一肌脱ぐのが当然だと思ったのだよ」
その源蔵の言葉に心春は笑顔になって再度お礼を言った。
そんな心春の様子を見て新は騙されないでくれと願う。新は源蔵の寝取った女性の子であり、源蔵が多くの女を食い物にしてきたこと、そんな汚い家の実情を新は心春に聞かせたくはなかった。それは心春が父や兄に汚されるのを防ぐのもあったし何より、こんな家に住む自分が嫌われるのではないかと恐れてしまったことが原因だった。
どんなに言葉を並べても、既に心春の同居は決まってしまった。
会わせたくなかった家族の一人に心春が出会ってしまった……そして。
「……くふふ」
「っ!?」
心春を見て舌なめずりをする源蔵の姿を新は見てしまった。そして錯覚のように映像が浮かんでしまう……考えたくないもしもの未来、源蔵と兄に組み敷かれる心春の姿が……。
「……うっ!」
「あっくん!?」
とてつもない寒気、今にも吐いてしまいそうな気持ち悪さ……新はそんな考えを捨て去ろうと頭を振ってもその光景は中々頭から離れてくれない。愛した心春が心身共に源蔵と兄に作り替えられ、家を出て行ってほしいと言葉を発するそんな恐ろしい光景。
涙が溢れそうになる。
今すぐ心春の腕を取って走り去りたい、そんな衝動にすら駆られる始末。
表せないほどの不安に塗りつぶされそうになったそんな時、新を救ったのはやはり心春だった。
「大丈夫だよ。あっくん」
「……心春?」
心春は新を安心させるように抱きしめる。
大きく柔らかな胸に誘われたものの、今の新にとってそれは恥ずかしさではなく安心を齎した。子を落ち着かせるように、或いは不安になっている恋人を安心させるかのように、心春は新の頭を撫でながら耳元で言葉を発した。
「私はあっくんの傍にいるからね。だからそんな顔しないで、私が信じられない?」
耳から脳へ入り込み、不安だった感情を洗い流す心春の声。
新は押しつぶされそうだった不安の波が引いていくのを感じ、少しの間だけ心春に抱きしめられたままだった。
一方で、心春も新の現状を理解していた。
新がこうも不安定になってしまったのは間違いなく源蔵が原因だということが。心春は新を見つめる優しい眼差しから一変し、氷を思わせる冷たい視線を新の父である源蔵に向ける。
「……っ」
その冷たい眼差しは鋭利な刃のように源蔵を射抜く。
新や学校の友達が見れば別人かと思ってしまうほどに、今の心春の姿は普段の優しい姿からはかけ離れていた。心春の視線に晒された源蔵は言いようのない何かを感じ、同時に背中を冷や汗が流れる。
心春は優しい、新もそうだが周りの友達も良くそう言う。
常に笑顔を絶やさず他人のために動く心春は“理想の嫁”とさえ呼ばれるほど……だがそんな心春の持つ本質は新さえ真に理解できてはいなかった。
心春が本当の意味で愛と優しさを向けるのは新だけ、心春にとって新を愛し新に愛されることそれだけが生きがいなのだから。
(……可哀そうなあっくん、こんなやつが家族ならそうなっちゃうよね)
内心で吐き捨てながら心春は新の頭を撫でる。
本来、普通の付き合いであるならば心春はここまで新至上主義にはならなかっただろう。ただ想いが強すぎたのだ……新の絶対に女性を泣かせない、愛した一人を幸せにしてみせるという想いはしっかりと心春に伝わり、そしてその新の強い想いの力は心春を包み込み、新以外には決してなびくことのない依存ともいえる歪んだ愛を心春に植え付けた。
新に尽くすことこそ喜びであり、新の悲しみを取り除くことこそが自分の仕事と考えるようになった。そしてその行動理念は新の抱える秘密すらも心春が突き止めるまでに大きくなった。
(さっきこいつは私を見て下種な視線を向けてきた……なるほど、あっくんのお母さんのように私も寝取ろうなんて魂胆かな)
手段なんて口に出せない、真っ当な方法でこの家の真実に辿り着いたわけではない。けれども心春は気にしない、これも全て新のためなのだから。
(私の体はあっくんだけのもの、お前らなんかには触れさせないしそんな隙も見せない。それでも私を寝取ろうと迫ってきたならば……いなくなってもらわないとねぇ)
ニヤリと浮かべるその笑みは一種の恐怖を感じさせる。
心春の強い想いは狂った愛となって新に向けられ、その愛を阻む者は何人であれ容赦するつもりはない。
心春の存在が奪われてしまうかもしれないと恐れる新は気付かない。
心春の体を我が物にしようと企む源蔵は気付かない。
この先、この家を包み込むのは源蔵たちの獣のような性欲ではない――心春の狂気がこの家を覆うのだ。
なんでヒロインは主人公に相談したり警察に言わないのだろう(身も蓋もない