百物と語る英雄   作:オールドファッション

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中国神話
英雄の始まり


「両親は動物を愛していた。自然を愛していた。地球を愛していた。星を愛していた」

「そんな両親に影響されたのか。いや、遺伝子によって既に定められていたのか。私という人間も、終生まで動物、自然、地球、星を愛した」

 

老人は傍に立つ彼らに語りかける。

老齢ながらもその声には芯のある強さと張りがあった。異人の母から受け継いだ蒼目には活力ある光がまだ残っているが、しかしその声調はひどく静かで落ち着いている。

 

それは死期を悟ったものだった。

 

今際の際、自分がこの世に残していくものを見遣る。

部屋には両親の研究を引き継ぎ育んだ研究成果を表した表彰の証がいたるところに飾られ、庭には保護した絶滅危惧種動物と青々とした木々が、その生命力に満ちた輝きを放っている。

そして自分の傍には自分を信じ、支えてくれた妻と子らが、志を共にした師と徒らが、夢を語り合った仲間と友人らが、この一人の老人の死に涙を流している。その光景が何とも心苦しくもあり、だが、どうしてか嬉しくもあった。

 

嗚呼、自分は幸せだ。

 

心置きなく彼らに研究を引き継がせることができることに安堵し、老人はゆっくりと瞳を閉じていく。

良い人生だった。胸を張れることができた。そんな言葉が浮かんでくる。

しかしだ。唯一心残りがあるとするならば、

 

(運命を止められなかったことか……)

 

老人はこれから先の運命を見通していた。人理継続保障機関「カルデア」の研究員しか知らない極秘情報を、魔術師でもない老人が知り得たのは偏に彼が優秀な自然学者であったためである。

老人は自然の流れを数式として考えている。超常的災害には決まってこの式に当てはまる法則があり、必ず予兆が存在する。老人はその予兆を見ることができた。その眼力はある種、未来予知や千里眼に近い。

そしてその未来予知の結果導き出されたのが自然に唯一存在する一貫した流れの崩壊。シバがそれを観測したのとほぼ同時期に老人は答えに至った。

 

『2017年の滅び』

 

しかし老人には何もできなかった。

財力も権力も人望もあった。それでも老人はただの人間だ。

結果を知っているだけで彼は過程を知らなかった。カルデアはおろか、魔術の存在すら彼は知らない。

 

無力だった。目の前の彼らに未来を残すことのできない自分を呪うしかなかった。

人生で初めて慣れない酒と煙草に溺れ、病で体を壊し、そして残ったのがこの老害という残骸だ。

それでも彼らは泣いてくれている。この老害のために涙する。

 

(あぁ、無念)

 

辞世の句というにはあまりにも短い言葉。

老人はその瞼を完全に閉じた。

 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

伯翳(ハクエイ)は帝尭の頃に生まれた子供であった。

女脩が燕の卵を呑んで授かった大業という母御がおり、父御である伯廉は病弱ながらも強く誠実な男であったが、伯翳の産後に病に伏して亡くなった。大業は伯廉の分まで伯翳に愛情を注ぎ、伯翳もまた愛情を受け真っ直ぐに育っていった。

 

毛が生え始め、顔の輪郭が現れ始めた時から、伯翳の外見からは美しさが溢れていた。

髪は墨を流したように黒く、未だ幼くも整った顔立ち。空の青を集めたような蒼目はこの国では見られない異質な光を放ち、貴石の如く輝いていた。

万人が見紛うことなく末々は眉目秀麗な男子になるだろう。その上で年相応の愛らしさが曖昧、何ともまあ、保護欲を掻き立てやすいと言うか、あざといと言うか……。さらに無自覚なのが余計にタチが悪い。

思えば、すでにこの頃から伯翳には女難の相が見られたのかもしれないが、そんなことは当人にはわかるはずもなく、密かに近所の奥様方の注目の的になっていったのだ。

 

 

 

伯翳の才覚が目に現れたのはすぐだった。

一年が経つと伯翳は言葉を発し、二年が経つと読み書きを覚え、三年が経つと計算ができるようになるほどの早熟振り。

そして何より知識の数が多かった。植物学、動物学、農学、薬学、天文学、数学に通じ、それから派生した多くの事柄を知っている。

なぜ、どこで、その知識を知り得たのかを訊ねたが、伯翳は依然として口を閉ざした。

 

それでも伯翳が才児であることには変わらない。女脩は伯翳を才児と持て囃し、大業も早熟な伯翳を大変喜んだ。しかし生来の物なのかその身は病弱であり、月に何度も体調を崩すほどであった。医者にも見せたが皆目見当もつかず、大人たちは哀憫の眼差しを向けたが、当の自身は気にも掛けずという体を周りに振舞っていたので周囲も無闇に触れようとはせずにいた。

それでも親というのは子には壮健であって欲しいと思うのも当然。他の子らが駆け回る姿を見るたびに、母として歯痒く思うしかない。

 

「私がお前をちゃんと産んであげられなかったばかりに……お前に不自由な思いをさせているのは総じて母の所為だ」

 

熱に浮かされた我が子の額に手を置きながら、何もしてやれぬ自分を口惜しく思い大業は呟く。

そんな母の心情を感じ取ったのか。伯翳は額に添えられた母の手を握った。

驚いて伯翳を見るが、意識はなく寝息を立てている。無意識下の母への想いだったのだろう。

 

「……ふふ」

 

年相応の寝顔を浮かべる我が子を見て、柔らかな笑顔が溢れた。不思議と心も軽い。

大業の胸中に烏合の女共から伯翳を守り抜く覚悟が生まれ、同時に以前よりも愛情深く接するようになった。また、伯翳の近くに自分以外の女が近寄ろうとするならば射殺すと言わんばかりの気合であったという。後の時代では大業の過度な過保護や愛情が子煩悩。つまりは親バカの語源になったのではないかと言われている。

 

 

 

 

ある日、窓縁に羽を休めに来た燕に伯翳は楽しげに語りかけていた。大業には分からなかったが伯翳には鳥獣の言葉が理解できたらしい。大業の出生のことを考えれば何らおかしい事ではなく、この時代こういった子供は大して珍しいことではなかった。

 

この神代を生きる人々の血には先の五帝の一人である中国神話の最高神黄帝の血が流れている。天帝である黄帝には天地を揺るがす神力があり、その力は子孫に色濃く見られた。

曰く、黄帝の娘の一人であるは魃は熱を操り、風神、雨神の力を打ち消すほどの旱魃を生み出すことができた。曰く、黄帝の孫である顓頊は天地を分け、洪水神共工と帝王の座を争い打ち負かした。曰く、黄帝の曾孫である高辛は黄帝に匹敵するほどの神力を持ち、妻たちに十個の太陽と十二個の月の化身たる霊獣を生ませた。

 

先人の子孫たちは皆、神々に匹敵するほどの力を受け継いでいる。かく言う女脩も顓頊の孫娘に当たる。つまり大業と伯翳にも少なからず黄帝と顓頊の神力高い血が受け継がれているのだ。大業には神力は受け継がれなかったが、伯翳にはそれが見られる。先の子孫たちの権能には劣るものの、それでも余りある才が伯翳には感じられた。

 

才覚、僅かな神力と共に優れた伯翳を誇らしく思う反面、大業の面持ちは暗い。

 

伯翳の語りは歳のわりに流暢であり、その言葉からは高い知性を感じられた。才知に特質した伯翳に並ぶ子は居らず、大人であっても伯翳と対等に会話できる者は少ないだろう。親である大業ですら時折その心中を図ることが出来ずにいる。

 

もしかしたらこの子には現世が狭く思っているのではないだろうか?

 

幼くして益にはどこか浮世離れしたところがある。伯翳が現世を見つめる蒼目はどこか遠く、大業には伯翳の目に自分が映っていないのではないかと錯覚することがあった。

 

子が親元を立ち、旅に出るならば大業としても引き止める気はない。しかし伯翳の目はこの世の物が映っていない。

大業にはいつか伯翳が別の世界に行ってしまうような言い知れぬ不安が胸中に生まれた。

 

そしていつしか。伯翳の目は何かを諦めたかのように静かに閉じ、あの温かな笑顔が消えた。

 

 

 

 

「母様。仙道とは、どうすれば学べるのだろうか?」

 

五歳になった伯翳は大業に仙道の学び方を問うた。大業はそれを聞き表情を蒼白に染める。

仙道を学ぶということはいずれは仙人になるということだ。清浄な存在への昇華は汚れた俗界から立たねばならない。

 

生まれて僅か五歳あまりだというのに、若くして伯翳は現世に行き先を見失ったのか!

 

ついに恐れていたことが早くも現実のものとなった。

大業は伯翳を留まらせるために縋り付く。顔は涙と赤色に染まり、年甲斐もなく童子の如く咽び泣く姿は、初めて子の前で見せた弱さだ。

 

伯翳は細く閉じた目を見開いて、その蒼目で大業を見つめた。

普段は現世を映さずに閉ざされた瞳は瑠璃色の輝きを放ち、その蒼目が心底を覗くようだった。

そしてゆっくりと瞼を閉じると、今度は口を開いた。

 

「……私は仙界になど行く気はない。いずれ来る運命に抗うための力を求めているのだ。しかし貴方がそれを拒むなら、私は仙道を諦めよう」

 

いずれ来る運命。伯翳は行く末を見失ったのではないのか?

……ああ、そうか。伯翳の目はその先を見据えていたのだ。この子の才能と神力を持ってしても敵わない運命を。その運命に抗おうとしている。

大業は伯翳を疑った自分を恥じ、彼の気高き精神に感涙を流す。

 

母の涙に戸惑い、伯翳は珍しく拙い言葉を重ねる。

 

「泣かないでくれ母様。私はどうすればいいか……分からない」

 

そういって伯翳は珍しく表情崩しながら、スッと、母の涙を掬った。久しく見たあの温かな笑顔だ。

 

この笑顔を失いたくない。この子を害するものから遠ざけ、どこか遠い場所で二人で暮らしたい。私がこの子を守らねば!そんな母親の信念じみた愛情が湧き出る。しかし自分に何ができるだろうか?先祖たちのように強い神力もなければ、伯翳のような優れた知性もない。

自分は無力だ。それを悔いるしかない。

 

大業の胸中を察したように伯翳が言葉を紡ぐ。

 

「私は貴方がどれだけ病弱な我が子に尽くしてきたか知っている。本来、私のような者は刹那の命であった筈を、貴方がここまで心血を込めて育ててきたか知っている」

 

伯翳は母の手を取り、自分の心臓の上に置く。脈拍は弱く、それでも力強く鼓動は鳴っている。

 

「私の鼓動が聞こえるか。私の血の温かさを感じるか。私の肉の柔らかさに触れられるか」

 

「えぇ、聞こえます。感じます。触れられます」

 

「これらは貴方の愛情で出来ている。私が今日まで、いや、これからの未来も生きて行けるのなら、それは貴方の心に生かされた証です」

 

まだ幼さのある声音。それに似合わない老健さは彼の背に老人の姿を幻視させる。

老人は子の頭を撫でるように荒っぽく、しかし温かさを感じさせる手で大業に触れた。

 

「貴方が無力を悔いることはない。人は人ゆえに不完全な存在だ。しかし貴方という存在が心の傍に寄り添ってくれるのなら無力でない。ならば貴方は私に必要な人だ」

 

「あぁ!伯翳伯翳!!」

 

大業は決心した。

いずれ来る運命が何であろうと、私はこの子に抗うための力を与えよう。

 

しかしこの一連の事件の発端となったのは当時、老人が晩年に嵌っていた某スタンド漫画が原因だとは、内心土下座状態の老人しか知らないだろう。

 

 

 

 

その日から大業は彼が望む知識を与えた。

勉学に関しては伯翳に及ぶほどの知識を与えることは叶わないが、戦う術に関してはいくらか協力できた。国中から名だたる武芸者を求め、伯翳に武術を教え込ませたのだ。しかし伯翳の虚弱体質は周囲の認識よりもより一層深刻なものだった。

簡単にいうと、矛を持ち上げるだけで伯翳は息も絶え絶えという状態。

 

伯翳がいうには基礎体力がまったく足りていないらしい。本人は体力をつけるために走り込みなどの努力を試すが、体質のこともあって成果は芳しくなかった。

 

あらゆる手を打たが、日に日に影を濃くする伯翳の様子にさすがの大業も困り果てていた頃。

都にある噂が流れた。

 

 

 

 

”太陽を射落とす英雄”が現れたと。

 

 




伯翳「ふえぇっ。空気中の魔力が濃すぎて目が開けられないよぉ」





・帝堯
三皇五帝の一柱。絵に描いたような模範的な有徳の王だったという。後世の中国に於いては、理想の君主の典型像とされることが多い。
治世中は非常に質素な屋敷に住まい、治世が平和であろうともそれに慢心することのない謙虚さを持ち合わせている。

・黄帝
三皇五帝の一柱。最初の五帝であり、人間の王。五帝は全て彼の子である。
音楽・暦学・文字・衣服・家・船・貨幣・弓矢などを発明し、文化英雄として中華民族の祖と仰がれている。後に天界に黄帝が龍とともに登り、中央の天帝となった。
龍を使役したり、鬼神や多くの兄弟の軍勢を率いる蚩尤と知略で一進一退を演じるといった中国神話でも壮大な逸話がある英雄。
ギルガメッシュと同様、神により人を治めるために選ばれた、東洋の『天の楔』。
地上における絶対的なまでの支配権を天帝により確約されている。まさに中華版ギルガメッシュ。
また、天帝が地上に降りた姿とも考えられ、元から天帝であったと考える説がある。鯖化したら神性A++くらいになりそう。

・魃
風神と雨神に対抗するため天から呼ばれた黄帝の娘。風神と雨神を旱魃神の力で打ち負かすが、殺生をしたため力を失い、天に帰れなくなってしまった。龍と同一視されている。

・顓頊
三皇五帝の一柱。黄帝の跡を継いで五帝となったとされる。
五帝の中で随一の思慮深さと高潔さを兼ね備えていたとされており、神と人との上下関係を明確とした功績や、四凶の共工との戦いでも有名。中国神話版の乖離剣である。

・帝嚳
三皇五帝の一柱。顓頊の跡を継いで五帝となったとされる。高辛、帝俊とも呼ばれる。
黄帝に匹敵するほどの力を持ち、妻たちに十個の太陽と十二個の月の化身たる霊獣を生ませた。

・三皇五帝
中国を治めた八人の偉大なる王であり、人類に文明をもたらした文化英雄が名を連ねる。
三皇の『伏羲』『女媧』『神農』。五帝の『黄帝』『顓頊』『嚳』『堯』『舜』。
三皇五帝には他の説もあるが、今作では上記八人とする。
また、三皇までが神であり、以降の五帝からは天子。つまり人が君主の時代である。

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