日没直後、敵の攻勢に対するための準備で忙しい横須賀港を出ていく艦が2隻あった。
内1隻は小型艦。
どうやら駆逐艦のようだ。
残り1隻は航空母艦のようだ。
これだけは独特なシルエットをしているので、すぐ判明できる。
2隻は誰からの見送りもなく、ただひっそりと港を出た。
港外に出ると、速度を上げ、南下していった。
其の2隻よりも早く、駆逐艦1が、こちらもひっそりと出港した。
港外で待機していた輸送船2と合流し共に速度を上げて南下していった。
これらの計5隻は、小笠原諸島の島民救出のための艦隊であった。
1陣は、駆逐艦卯月と輸送船。
輸送船とは言え、油槽船1と兵員輸送船1の2隻であった。
先行した理由は、輸送船の足が遅い事にある。
先行させ、途中の海域で艦隊に補給するためであった。
更に兵員輸送船は母島の島民を載せたあと、本土に向かう事になっていた。
そのため、速度は目一杯の20ノットで走っている。
2陣は、駆逐艦朝霜と空母鳳翔。
慣熟訓練航海後の補給に手間取り、1陣より遅れる事となった。
空母鳳翔の搭載機は、偵察機と艦戦だけの22機だった。
こちらも24ノット以上の速度で走っている。
父島まで18時間ほどの予定である。
秦は空母鳳翔に乗って指揮を執っていた。
横須賀港を出た後は、各艦に無線封止を命じ、発光信号による伝達に切り替えていた。
「ほぁああああ。」
秦が大あくびをした。
「まったく、時間の無いったら、ホントに無いんだもんな。」
と愚痴る。
「仕方ありませんね。作戦を聞くなり、すぐ出撃なんですから。」
と鳳翔が応える。
「ああ。 ホントに大本営に嫌われてるなぁ。 その点においてはみんなに悪いと思うよ。」
と苦笑いをする秦に対して鳳翔がなだめる。
「それでも秋吉中将の配慮は、有りがたいと思いますよ。」
「そうだな。 予定では空母1隻で、だったからな。」
秋吉の配慮のおかげで、空母鳳翔に、朝霜、卯月の2隻を秦の配下に回してくれていた。
それにより、変則ではあるが、艦隊として作戦を練れたのであった。
また、在地の近海防衛艦隊も使っていいとは言われたものの、全体としての、艦隊としての運動は、全く期待できない。
なんせ、即席なのだから、期待値は・・・限りなくゼロに近い。
ただ、可能性は・・ある。
秦としては、戦闘にならない事を祈るばかりであった。
「提督? 無事出港出来ましたし、この先はまだまだ時間が掛かりますので、休息をとられてはいかがですか?」
「ん? もう少しいいよ。」
鳳翔が秦に休息を促すが、秦はもう少し艦橋に居たかった。
「いえ! 休める時に休んでください。 指揮官たる者、休むことも大事です!」
鳳翔がいつになく、強めに言った。
左手を腰に当て、右手人差し指で秦を指しながら。
まるで、お説教をするかのように。
秦は以外にも驚いていたが、その姿をみて、”可愛い”と思ってしまっていた。
抱きしめたくなった秦だが、ここは理性が強かった。
「あ、ああ。 分かったよ。 じゃ、休ませてもらうよ。 鳳翔、君も休んでよ。」
そう言って鳳翔のいう事を聞くことにして、司令官室に入っていった。
自室に入ったものの、部屋に何か置いてあるわけでもなく、殺風景な部屋だった。
唯一、あるのが・・・ お酒、だ。 それもウイスキーの瓶が1本。
それしかない。
このウイスキー、日本は北海道にある、日本で初めてウイスキーが作られた工場のモノだ。
シングルモルト・ウイスキー。
酒に拘りがあるわけでは無いが、秦はここのウイスキーを気に入っていた。
秦もアルコールは嫌いではないが、大酒飲みではなかった。
所謂、ほどほどに飲める程度だった。
ウイスキーで酒盛りをするつもりはない。
ただ、睡眠薬代わり、のつもりだ。
ベッドに入る前に、ショットグラス1杯、クイッと飲んだ。
ベッドに横になって、(海に出ると、鳳翔は強いな。さすが、お艦の雰囲気だな。)そう思っていた。
目を瞑ると、酒の力か、すぐに寝入ってしまった。
慣熟訓練からこっち、休む暇さえなかったのだから。
鳳翔は羅針艦橋から海を見ていた。
(暗い世界ですね。 この暗い海でのこの速度は危険が多いですが、無理もありませんね。)
鳳翔は思い返していた。
この作戦を聞いたのは、慣熟訓練から帰ってきたその日だった。
◇
「提督。 秋吉中将より呼び出しの連絡が入っております。」と上陸した途端に伝えられた。
その足で、朝霜、鳳翔を伴って執務室に向かった。
ドアをノックし、中に入った。
「楠木准将、入ります。 中将、何かお呼びとか?」
「やっと来たか。」
秋吉と赤城の顔が秦たちに向く。
ソファーに案内され、秦、鳳翔、朝霜は座った。
「呼んだのは他でもない。 新たな作戦を行うためだ。 今日、大本営で説明があったんだが・・・」
そう言って、概要書を差し出した。 読んでみろ、と。
「拝見します。」
秦が黙読する。
読み終え、秋吉をみた。
「提督?」
鳳翔が声を出さない秦をみた。
「中将・・・ はやり私は疎まれていますね。」
「分かったか・・・」
「ええ。」
そう言って概要書を鳳翔に見せた。
一通り読み終えて・・・
「えっ?? これって・・・」
「ああ。 そうだよ。 空母1隻で島民救出を行う、とある。」
「な、なんで!? 無謀です! なんなんですか、これ!?」と鳳翔が驚いて声を上げた。
「これが、大本営の本心、と言っていいだろう。」と秋吉が答えた。
「それで、提督は、楠木提督は、どうなさるおつもりですか?」と鳳翔が秦に聞いた。
「ん。 命令とあらば、やるしかないよ。 でも・・・・」途中で言葉が無くなってしまった。
そこへ秋吉が言葉を挟んだ。
「そこでだ。 ワシは、貴様一人、空母1隻だけでは問題があると判断して、朝霜をそのまま貴様に預ける。さらに、ワシの配下から1隻、貴様に預ける事にした。 赤城?」
「はい。 入ってちょうだい。」
と赤城が扉の外に向かって声を掛けた。
すると、能天気な声が聞こえてきた。
「はあ~い! うーちゃんだぴょん! よろしくぴょん! しれいかん、あそぶぴょん!!」
「卯月ちゃん!!」
と朝霜が声を出すと同時に、朝霜の両手が卯月の頭を掴んでいた。
「なんだぴょん?? はなすぴょん!!!」
「はぁ・・。 卯月ちゃん、真面目な話をしているのよ? 静かにしなさいな?」
卯月が”ぶぅぅぅっ”と膨れた。
「卯月ちゃんは、主砲を降ろして対空機関砲などに換装していますから、護衛に連れて行ってください。」
と赤城が付け加えて言った。
「あとは、油槽船、兵員輸送船を手配しています。」
「これだけあれば、なんとかなるだろう。 どうだ?」
「そうですね。 あとは時間と天候ですか、ね。」
「時間?」
「ええ。 通常の連絡船でも確か片道24時間を掛けていますよね? その時間のズレがどれくらいか・・・敵の進撃速度との差がどれくらいか・・・です。
あとは、この季節は台風が発生しやすいですからね。 海が荒れれば、敵に発見されにくくなり、攻撃を受ける事もなくなります。が、反面、こちらも敵を見つけにくく、航行も危険が伴います。」
「ああ、そうだ。 向こうに、近海防衛艦隊が居る。そいつらを使ってもいい、と言われている。」
「近海防衛艦隊ですか? 誰がいるんです?」と秦が聞き返す。
「近海防衛艦隊・・・ 父島に対する敵からの攻撃に対応するために派遣したんだが、艦隊構成は軽巡1、駆逐艦4で、旗艦は長良型4番艦の由良だ。 駆逐艦は松型が4隻いる。楓、樫、欅、椿だ。」
軽巡と駆逐艦の計5隻が、いわば秦の配下になるという。
「都合8隻という訳だ。 どうだ? やれるか?」
「それは・・・やるしかありませんね。 今更、後ろ向きなことは言えませんからね。」
「すまんな。 よろしく頼む。」
と秋吉が最後に言った。
「いえ。 中将のほうも大変ですよ? この作戦は?」
3つの隊で深海棲艦を迎え撃つことは、理解できるが、横須賀隊が破られるとそこはすぐ東京湾で、東京や京浜、京葉の工業地帯と住宅地が広がっている。
他の2隊よりも責任重大である。
「一応、対策は執るつもりだが、実際はやってみない事には、な。」
と秋吉は不敵に笑っていた。
「分かりました。」
と秦は半ば諦め気味に溜息をついた。
「で、どうするのかな、楠木准将は?」
秋吉の質問に秦が答える。
「そうですね・・・ ここから2隊に分けて出撃しましょうか。」
「2隊?」
「ええ。 まず、補給が完了している卯月と輸送船の3隻で先行します。 後続は鳳翔、朝霜で、補給が完了次第、出撃します。 両隊とも硫黄島を目指して進み、途中で東進して小笠原へ向かいます。」
秦が鳳翔を見ながら話を続ける。
「輸送船に母島の島民を載せて本土へ向けて出航させ、父島の島民は鳳翔に載せます。 時間的な問題があれば、各駆逐艦にも島民を載せるかもしれませんが・・・。」
「それで、搭載機はどうなりますか?」
と鳳翔が聞く。
「うん。 元からして偵察機と艦戦だけで行こうと思う。 ま、敵艦攻撃の場面は無さそうだしね。 向こうに着いたら、搭載機は露天駐機して、島民を格納庫に載せることにしよう。」
「了解しました。」
と鳳翔が答えた。
「そして、由良を先頭に、近海防衛艦隊で護衛をして横須賀へ帰投する。 その際、艦隊速力は最大で、ね。 どうでしょう?」
秦が秋吉を見て聞いた。
「うん、ま、よかろう。 細かいことは貴様に一任する。 頼んだぞ。 四人とも。」
「はい。」
と改めて、秦、鳳翔、朝霜、卯月が敬礼をする。
◇
秋吉の執務室を辞した秦たちは、秦の執務室に集合し、詳細を詰めていった。
「横須賀を出た後は、大島の東を通って、八丈島を目指す。八丈島の西を迂回して父島に向かう。
途中で合流し、燃料を補給。その後、卯月は兵員輸送船を連れて母島に向かってくれ。
応援として現地の艦隊から駆逐艦2を差し向けることにしよう。」
「了解ぴょん! うーちゃん、頑張るぴょん!! でも一人は寂しいぴょ?」
「我慢してくれ、卯月。 帰ったら遊んであげるから。」
「やったぁ!!」
「島民の避難指示はどうするんだい?」
と朝霜が聞いてきた。
「自治体にあらかじめ避難指示を出してもらう事にする。 それでも、残る島民は居るだろう。その時は、止められない・・・。」
改めて秦はみんなの顔を見て、指示をだす。
「では、作戦開始だ。」
「「「了解。」」」
と慌ただしく出ていった。
鳳翔が一区切りついたとき、秦と鳳翔は寮に戻っていった。
既に夜が更けているが、睦がまだ起きていた。
「お帰りなさい。 父さん、鳳翔さん。」
「まだ起きていたの?」
「うん。 二人の帰りを待ってた。」
「待ってた?」
「特に何かあるわけじゃないんだけど、何となく、ね。」
二人は、そう? という顔をしていた。
「睦? ちょうどいいから。 話があるんだ。 聞いてくれる?」
「なに?」
「急に、作戦が始まったんだ。 すでに準備に取り掛かっててね。 準備ができ次第、出撃することになった。」
「そうなの? 父さんと鳳翔さんも?」
「ああ。 二人ともだよ。 で、悪いんだけど、しばらく家を空けるから、留守番をお願いするよ。 いい?」
「ええええ??? 寂しいじゃん。 二人ともいないなんて・・・」
悲しそうな顔をする睦だが、
「でも、作戦なら仕方ないね・・・。 うん、我慢するよ。」
「すまないね。 で、寮の事は間宮さんに頼んであるから、心配しないでいいよ。」
「ご飯も、間宮さんとこで摂ればいいよね?」
「ええ。 お願いね。」
「うん。 そこんとこは大丈夫だから。 間宮さんのご飯、鳳翔さんみたいに美味しいし。」
「そう言ってくれると助かるよ。」
「いつ行くの? もう?」
「ああ。 このまま行くから。 たぶん、帰ってくるのは早くて明後日かな。」
「分かった。 頑張ってきてね、二人とも。」
「「じゃ、行ってきます。」」
と二人が敬礼する。
「行ってらしゃい。 無事の帰還を。」
と睦は笑顔で、敬礼で返してくれた。
そして・・・
準備に時間が掛かったが、整った隊から出港していった。
そして、現在に至る。
暗い海を空母鳳翔と駆逐艦朝霜が白波を立てながら進む。
だんだんと荒れてきているようだった。
後ろをみると、艦の航跡が暗い海に白く続いていた。
(こんな事になるなんて思っても見ませんでしたね・・・)
呉に居た時は、自身が最前線に出る事はほとんどなかった。
もっぱら訓練が中心で、瀬戸内から出る事もほとんどなかったから。
それが、船体が変わったとはいえ、いきなり前線に出るのである。
鳳翔は久しぶりに気分が高揚していた。
(でも、今回は、人命救助ですしね。 頑張らねばなりませんね。)
そう思っていた。