あとは・・・
午後、秦は寮の周りを散策していた。
居間から見えた海の方へと歩いていた。
そこは、港湾施設という雰囲気ではなく、港の端っこ、と言った方が似合っているかもしれない。
すぐそばに崖が海に落ち込んでいる、磯の様になっていた。
護岸と崖の間から波打ち際へ降りて行けるような、小さな獣道っぽい道があった。
降りてみると、その先には小さいながら砂浜になっていた。
「ふうん、ここは小さい浜になってるんだ・・・」
少し歩いたあと、岩に腰かけてしばらく浜を、海を見ていた。
海からの潮風が心地いい。
後ろが崖なので風が強くなく、崖の上の木々が僅かに揺れている。
(静かだな。)
そう思っていると、
「提督?」
と声を掛けられた。
ふと声のする方向をみると、鳳翔だった。
鳳翔が護岸の上から秦に向けて手を振っていた。
「そっちへ上がるよ。待ってて。」
と言って秦は砂浜から護岸の上に上がっていった。
「ふう。 どうした?」
「いえ、先ほどから提督の姿が見えないので探していたのです。」
俺を探していた? と不思議がるが・・・
「赤城ちゃんが提督にお話があると言って、来ています。」
「分かった。行こう。」
寮に戻ると、大広間に赤城が待っていた。
「すまないね。待たせてしまって。」
「いえ、こちらが押しかけて来ましたから、お気づかいなく。」
「で、お話とは?」
そこへ鳳翔が紅茶を入れて持ってきた。
赤城と秦の前にティーカップを置き、出て行こうとしたが、秦が引き留めた。
「鳳翔さん、君はここへ。 いいよね?」
秦の隣を指し、テーブルにつかせた。
「はい。 一緒にお聞き頂ければと。」
赤城が答えた。
一口紅茶を飲んでから、赤城は話し始めた。少々俯き加減で。
「実は、秋吉提督の事なんですが・・・ 最近、あまり体調が思わしくなく、時々寝込むことがあるんです。」
「体調が思わしくない? なんかの病気かい?」
「はい。以前の検診で・・・ステージⅢの癌が見つかりまして・・・今は投薬で痛みを抑えているんですが、どうも薬の効き目が弱まってきているようで・・・・」
初耳だった。秋吉中将が、癌?だったなんて。しかもステージⅢだなんて。
「それで、治療は?」
「それが・・・治療を、摘出手術を拒まれまして・・・。」
「じゃ、投薬って、抗癌剤治療を? 放射線治療は?」
「お医者様の話ですと、もうそろそろ効果が出ないのでは、と。」
「じゃあ・・・」
「はい。余命幾ばくも、無いと。」
「なんてこった・・・そんなに・・・」
秦は驚きから絶句へと。
隣で鳳翔が手を口元にあてていた。
二人は赤城を見ていた。
「ですから、大佐からお話があったときは、なんとタイミングがいいことだ、と。」
「それって・・・」
「はい。 秋吉中将は、自分の後任に、楠木予備役大佐を据えようとのお考えです。」
「はいぃ?!」
秋吉は、自分の後任に秦を据えようとしていることを聞いて、驚いた。が。
「じゃ、呉の方はどうするんだ?」
「はい、呉には中将の考えに近しい提督を配するつもりのようですが・・・」
「! ちょっと待て。待ってくれ。 それって、俺を横須賀の提督ってことか?」
「そう言う事になります。」
「俺は恩師組でもなけりゃ、エリートでもないぞ。 しかも、予備役から復帰する大佐だぞ?」
「はい。それですが、明日の辞令なのですが、大佐ではなく、准将として復帰することになっています。」
「な? そんな無茶な・・・・ 予備役から復帰するのに、さらに昇進だってぇ?」
秦は、ハッとする。
この提督用の官舎は、将官クラスが入る官舎だったからだ。
(そこまで見越して・・・)
「無茶は承知で、中将はされました。 ですから、中将の思いを、お聞き届けください。 お願いいたします。」
赤城は目に涙を浮かべながら頭を下げてきた。
下げた事で涙がテーブルに落ちていく。
「赤城さん。とにかく、顔を上げて。 その状態だと、話も出来ないよ。 ね?」
赤城はゆっくりと顔を上げるが、涙は止まることなく落ちていく。
秦がゆっくりと話始めた。
「赤城さん、俺が復帰すること自体については、既に中将との間で合意しているから問題にはならないよ。でも・・・・俺が中将の後を継いで横須賀の提督に、というのは・・・承知し兼ねるよ。
もっとも、人事については、いくら中将と言えども思い通りにはならないだろう。人事は、海軍省やらが決める事だからね。」
秦は一拍の間を置いた。
「それに・・・俺は・・・これ以上、ひとの言い分で動く駒になりたいとは思ってないんだよ。 本心を言えば・・・呉で運営がまともに回るようになれば、第一線を退くつもりだしね。」
そう話し終えると、紅茶を飲みほした。
「では、大佐は、いずれは軍を、去るおつもり、と・・・」
「ああ。 去ろうと思ってる。 その時は予備役でもなく、退役でね。」
「そ、そんな! 」
赤城が声を荒げる。
「では、提督の、中将の思いを受けるおつもりは、無いと、仰るのですね?」
「そうは言ってない!」
と秦も声を上げる。
「何も、無い、とは言ってない! ただ、俺を横須賀の、中将の後任にしようとするのは・・・受け兼ねる、と言っているのだ。」
秦は混乱していた。
一気に言われて、どうするべきか、迷っていた。
そんな秦の手を、スッと握る手があった。
秦よりも小さな、柔らかい手が。
そう。 鳳翔の手だった。
秦は鳳翔を見た。
鳳翔の顔は、大丈夫、と言っているように、少し微笑んで見えた。
その顔をみて、秦は大きく深呼吸をする。
「赤城さん。 さっきも言ったように、明日の辞令は問題無い。その後、ここで勤務することも問題無い。 ただし! そこから先のことは、聞かなかったことにしてくれ。
中将の思いも、君の思いもあるだろうが、これ以上の話は無かったことにしてくれないか? 今日の話は忘れる。 今の俺には・・・・荷が重すぎる、とだけ言っておくよ。」
「それは、どういうことですか?」赤城が問う。
「今の言葉以上でも、以下でも無い。そのままだよ。」
「では、私たちには、まだ、望みはあると。」
「そうは言わない。 ただ、結論は・・・まだ、早いだろう。 ・・・・そういうことだ。」
しばらくの間、無言の時間が流れる。
そして赤城が口を開いた。
「分かりました。 今日のところは、これで失礼致します。 が、今後のことは・・・少しでも考えておいてください。」
「・・・分かった。」
秦は最後にそう言った。
それしか返答できなかった。
そして・・・・
「赤城さん? 君は中将を、秋吉提督の事を?」
席を立とうとした赤城の動きが止まる。
「はい。 はっきりとした気持ちは言えませんが、私は、提督をお慕い申し上げています。」
その一言を言って、出て行った。
秦と鳳翔はしばらく座ったまま、手を握り合ったまま、無言でいた。
「すまないな。鳳翔さん。 はっきりと言えなくて。」
「いいえ。 元はと言えば、私が悪いのです。ですから・・・・」
「それは違う。 違うよ、鳳翔さん。 俺は、前にも言ったけど、提督をすることは、嫌いじゃ無い。 ただ、正常に廻っている他人が作り上げてきた、艦娘との関係を横から現れた俺が出しゃばる気には、なれないんだよ。」
俯きながら秦が話す。
「ましてや、上官が病気で倒れたからと言って、のこのことその後釜に座る気も無い。 だから・・・・・・決められない。いや、分からないよ。先の事なんて。」
秦は・・・正直に今の心境を鳳翔に言った。
人は、他人から頼りにされることは、嬉しい事だと思う。思うが、過剰な期待は、嬉しいより、不安や恐怖心が先に立つのが、今の秦だった。
そんな秦の手を、ずっと握っていた鳳翔が言う・・・。
「私は、貴方がいい、と思う方向を選べば、それに付いていくだけです。 ですから・・・・貴方の好きなように進んでください。」
そう微笑みながら言った。”提督”ではなく”貴方”と。
「ん、ありがとう。 その時は、その時だな。」
と秦は答えた。鳳翔の微笑みに返すように、秦も微笑んで。
秦は、鳳翔に”貴方”と呼ばれた事に素直に嬉しかった。
鳳翔も”貴方”と呼んだ事に一つの胸のつかえが取れた感じがしていた。
お互い見つめ合ったまま、手を握り合っていた。
◇
そこへ睦がスキップをしながら帰ってきた。
きょう一日の出来事を報告しなくちゃ、と思っていた。
玄関から大広間に入ろうとしたところ・・・
「ただい・・・・」
と言いかけて、止めた。
テーブルの上で、互いの手を握り合っている秦と鳳翔を見つけていた。
(もう! 父さんたら、鳳翔さんと手を握ってんじゃん! あ、鳳翔さん、笑ってる。 って事は・・・・・)
しばし様子をうかがっていたが・・・・一向に終わる気配が無い。
とうとう痺れを切らせてしまった。
「むぅ! いつまで二人の世界にいるにゃ! 可愛い娘をほったらかしにして!」
と睦が大声で入ってきた。
「「はうっ!」」
と二人の驚きの声が同時に上がる。
「まったく! 一体、何時間、手を握ってるつもりにゃ!!」
ほんの数分、いや十数分だったかを、何時間と言われた。
「何でもないから。」 「そうよ、何でもないから。」
そう二人が言って、手を引っ込めた。
「その割には、あつぅうく手を握ってましたなぁ!?」
にひひひひと笑い声が見える、そんな睦の顔がそこにあった。
秦と鳳翔の二人の顔が赤くなる、が、それでも視線だけは離さなかった。
睦がハッとする。何かを思い出したようだ。
「うー、話が変わるんだけどさ・・・」
「何かな?」
「えっとね・・・ 今日、学校で友達が出来たんだけど・・・ウチに来たいって言うの。 いいかな?」
「ウチに?」
「うん。 だめ?」
睦が申し訳なさそうに、上目づかいで懇願してきた。
「はぁ。 仕方ないなあ。 ウチだけならね。 鎮守府内は自由行動はダメだぞ。 それでいいなら、ね?」
秦が・・・折れた。
「あ、ありがとう! 父さん!」
睦が抱きついてきて、ありがとうと言った。
秦も抱き着かれて満更では無かった。 が! 睦の次の言葉で顔色が変わる・・・
「でね、 ちょっと問題があって・・・ 」
「「問題?」」秦と鳳翔が首をかしげたが・・・・
「実は・・・ 家族って話をしたの。 あたしと父さんと鳳翔さんとを。」
「「は?」」
「だ・か・ら、三人家族になってるから。」
なんだか、睦の顔がニヤついている。
「「はい?」」
「あたしと・・」
秦を指して「父さんと・・・」 うん
次に鳳翔を指して「お母さん・・・」 はい?
「・・と言うことで。」
そこまで言ってにっこり、満面の笑みで二人を見た。
「「え~~~~!!」」
秦と鳳翔が同時に大声をあげた。
「わ、私が、お母さん、ですか? 」
鳳翔の顔が一瞬で真っ赤になった。
「それって・・・私と提督と・・・その・・・夫・婦・・・」
そこまで聞いた秦も顔が真っ赤になっていく。
「む、睦! な、なに勝手な事を!」
鳳翔は両手で顔を覆って俯いてしまった。
「えぇ~、二人は嫌なの? あんなにアツアツなのに。 さっきはお互いを見つめて笑ってたくせにぃ。」
秦は、確信犯だな、と思ったが、睦の目が、目が疑っている。視線が痛い!
「睦ぃ、わざとだな? こいつめ!」
秦は睦の頭をげんこつ一発!といきたかったが、それでは大人げないと踏みとどまった。踏みとどまったが、握った拳がプルプル震えている・・・
「まぁ、そう言う事だから。 よろしくね。 父さん、お母さん!」
そう言って秦と鳳翔の腕に抱きつく睦であった。
ここに三人家族が一組、誕生、してしまったのである。
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