Blank stories   作:VSBR

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第三部

 意を決する、初めてその言葉を使う時がきた。カフネの足が、薄い鉄板を蹴る。その小さな体は夜の闇を背景にした何もない空間へ飛び上がり、つかの間の浮遊感に髪が揺れた。勢いの付いた彼女は、目の前で待ち構えるグェンの体にしがみつく。ロープを掴んだ腕一本で宙吊りに体を支えていたグェンは、その衝撃を利用して体を振ると勢いよく隣の足場へと飛び移る。

 彼はカフネをしがみつかせたまま、足場を駆け下りた。背後からも、足元からも、追っ手の声が聞こえる。出合い頭に衝突した歩哨を掌底で沈黙させ、彼はさらに足を速める。

 暗闇に響くのはサイレンの音と怒声。時折走る光は、車のヘッドライトや懐中電灯の灯りだろう。走れると言ったカフネを降ろし、藪の中に分け入って一息入れる。

「よく飛んだ・・・・・・偉いぞ」

 肩で息をするグェンは、既に傷だらけであった。擦り傷や切り傷、せいぜい打撲程度で、大事に至るようなものはないが、それでも見た目はボロボロであった。カフネは自分のハンカチを出して、半分乾いているような傷口を押さえる。蒼白な唇と涙を浮かべる瞳に、グェンはせめてもの微笑みを見せた。

 カーペンタリア基地は首尾よく脱する事ができたのだが、オーブへ向かうためにダーウィンの街に入ったところで追跡者に追いつかれた。追跡してきたのが、彼に言わせれば喧嘩慣れしていないような子供が大半であったため、カフネを抱えての大立ち回りを演じながら、逃げ続ける事が出来ている。だが、明るくなればそれも難しくなるだろう。

 カフネの安全だけでも確保しようと投降も考えたのだが、彼女はそれを拒否した。流石に今回は、その理由を問い詰めざるを得ない。そして彼女は、あの積荷の正体と、自分が狙われているであろう理由を答えた。

「・・・待てよ、嬢ちゃん。なら、ユーラシアだってヤバいぞ」

「でも、グェンさんは大丈夫です」

 確かに、ザフトに投降した場合の自分の身の安全は保証されないだろう。だが自分のクライアントが、彼女の持つという技術を使って何を考えているのかが予測できない。プラントにもコーディネーターにも恨みはあるが、だからといってブルーコスモスのような手段を正当化できるかと問われれば、頭を抱えざるを得ない。

 本当なら、ゆっくり考えてでも最善の答えを探すべきなのだろうが、今の状況はそれを許してくれないだろう。グェンは何か言おうとしたカフネの口を押さえ、頭を低くした。すぐ近くの道で、懐中電灯が揺れている。

 考える時間を作るためにも、今はこの場を無事に逃れる事を優先すべきだ。グェンは近くに落ちていた木切れを拾い上げ、藪の向こう側に投げる。

「行くな! 囮だ!」

「ハイ、よく出来ました!!」

 木切れを投げ込んだ藪の方に向わなかった一人の追っ手は、突如目の前に現れた拳に吹き飛ばされる。その音に振り向いた一人は首筋にハイキックを叩き込まれ、もう一人は懐中電灯を向ける前に一本背負いを食らっていた。

「ザフトってのは受身も練習しないのか」

 グェンはカフネに合図を出し、追っ手の乗ってきた車に乗り込む。三人の追っ手が連れてきた犬が所在無げに歩き回り、寂しげな遠吠えをあげた。

 

「もしかして、ディンゴってやつ?」

「まさか、野良犬だよ」

 カーテンの隙間から外を覗くテルシェに、ユウキはそう答えた。彼女のオフを利用しての旅行の最中なのだ。ダーウィンにある両親の実家に一泊し、そこからオーブへと向う予定である。

 初出撃で大きなミスをしたと一時はものすごく落ち込んでいたのが嘘のように、テルシェははしゃいでいる。ユウキは彼女に早く寝るよう促した。

 

 

 

 

 自爆したマスドライバーの再建が始まっている。突貫工事とはいえ、港の復旧工事もあらかた終わっているようだ。乗ってきた貨物船の検査は簡単に終わった。名目は独立を保っているとはいえ、ここまで大西洋の息がかかった国が目の前にあるというのは、カーペンタリアとしても面白くないだろう。ラビ・アルベール・コクトーは、新型MAを極秘で輸送中の貨物船を見やった。

 先日、飛行訓練中にザフトの部隊と接触したというアクシデントは、流石に軍上層部を慌てさせた。そこで地球での運用試験を中断し、先に宇宙での試験を行う事が決定されたのだ。ここからビクトリアまで移動し、宇宙への打ち上げを行う事になっていた。

「じゃ神父さん、あとはよろしく」

「ハメを外すなよ」

 ミコトの拳を顎に受けているカナンを横目に、アルベールはそれだけ言う。カナン・エスペランザとミコト・ムラサメのスキンシップは、今にはじまったことではない。オーブへの寄港中は、二人に休暇を与えておいた。ああしてじゃれあう年頃の子供を、MSのそばに押し留めておく不健全さを許容したくなかったのだ。

 アルベールは在オーブ大西洋大使館に入った。ここの駐在武官とともに、今後の予定を詰めなくてはならない。外から聞こえてくる騒音は、復興の槌音といったものであろうか。

 戦争は市街地にも多くの被害を出した。連合がその復興支援などを行っているが、まだまだガレキの撤去が終わったばかりという場所も多い。街全体が埃っぽく、南国の青空も、どこか濁って見えた。

 

 それでも、戦争が終わった事による活気はあった。板を組んだだけのような商店が軒を連ね、市場のようになっている場所には多くの人が集まっていた。

「焼きバナナ二つ」

「無駄遣いだぞ」

「じゃ、お前にゃやんね」

 串を二本両手に持ったカナンがそう言って、両方から湯気を立てるバナナを頬張る。ミコトが首を垂れた。別にショッピングと洒落こみたかったわけではないが、戦後闇市を見物しても面白いとは思えなかった。活気があると言っても、それは油断のならないものだ。

 串を放り投げたカナンを注意しようとしたミコトに、子供が立て続けに二人もぶつかった。派手に転んだ子供に、カナンが駆け寄る。

「大丈夫かボウズ。ミコト、前見て歩けよ」

 子供相手にぶつかってきたのはそっちだという事もできず、ミコトはそっぽを向いた。たまたま持っていたキャンディーをポケットに見つけ、彼女はそれを差し出す。無邪気な声でアリガトウと言った子供達は、そのまま雑踏の中に消えていった。

 この人ごみでは身動きも取れなくなると、ミコトはカナンの袖を引っ張って、通りから離れた。これでは船でじっとしていた方がいいと思い、カナンに戻るよう言う。もう少し見物していくと口を尖らせる彼の首を掴んで、そのまま歩き出した。

 不意に、二人に呼びかける声がする。振り向くと、女性が一人手を振って歩いてきた。デニムのショートパンツに、丈の短いTシャツ。メリハリの利いた体の線がイヤでも目立つ格好だ。口笛を吹いたカナンを一発殴る。

「ダメよ、あんな所でお金の入ったお財布見せちゃ」

 その女性はそう言ってカナンが持っているはずの財布を見せる。彼は慌てて体を探った。掏られていたのだ。だとするとこの女性は、それを取り返してくれたのだろうか。財布を手渡してくれた女性は、一緒にキャンディーも返す。

「年なんて、関係ないのよ」

 あの子供かと、カナンは複雑な気持ちでキャンディーを受け取った。

この女性は正しい事をしたのだろう。だがその微笑に、言い様の無い反発を覚える。礼だけ言って立ち去ろうとする彼女を無視して、カナンが自己紹介をした。

「・・・・・・こんな時期にカップルで旅行?」

「いえ、仕事です」

 ユイ・タカクラと名乗った女性は、また会えたらゆっくり話しましょうと言って、もと来た方へと去っていった。

 

 

 

 

 こういうのは上手い絵とは言わないのだろう。観察力と記憶力、そして手先の器用さが描かせるもので、絵画のアウラはここに存在しない。模写や修復といった世界では、ある程度重宝されるのかもしれないが、個人的に心惹かれる業界でもなかった。

 そもそもアカデミーに入ったのは、人生最後のモラトリアムのようなものだ。取得を目指していた資格はあるが、それとて夢にまで見るといったレベルではなかった。そして、それで十分な世界に住んでいたのだ。ついこの間まで。

「何なんやろ・・・もぅ」

 スケッチブックを置いて、コトハ・キサラギは苛立たしげにつぶやく。絵も描き飽きたし、本も読み飽きた。あとは、人生について考えるくらいしかすることが無い。今考えねば、明日は考えられなくなるのかもしれない場所にいるのだから。

 コトハ達が滞在している資源衛星への襲撃は一度あったきりだが、警戒は続いているようで、オイレン・クーエンスは、毎日のようにMSを出撃させていた。最初のうちは、仕事熱心だ程度に思っていたのだが、どうやらそれとは少し違う種類の人間であるようだ。コトハに対する態度も、女性蔑視というよりもっと深いもののような気がする。重力区画を出て、船やMSの発着場がある無重力区画に足を向ける。

 特殊な透明アクリルで出来た円筒形の通路から、ノーマルスーツ姿の作業員の姿が見える。戻ってきたらしいMSの整備を行っているようだ。ザフトの主力MSにゴテゴテと服を着せたようなその姿は、素人目にも強そうには見えない。

「何してる?」

 その声に振り返ると、振り返った勢いを殺せずにその場で回転してしまう。靴の裏のマジックテープを床に貼り付けようとするが、つま先が届かない。横を通り抜けようとしたオイレンの腕を掴んでようやく体を固定した。

「ご、ごめんなさい」

「・・・っとに、危機感ってものが無いな」

 オイレンの言葉に視線を伏せる。だが、自分の巻き込まれた状況が、巨大で複雑で捉えようが無い事も事実だ。そう言うと、オイレンはただ鼻で笑った。

「なら、どうやって持てばいいんです? 危機感」

 オイレンの手が伸びた。コトハの右耳が空気の揺れを感じる。音を立てて壁に手を付けたオイレンは、そのまま顔をコトハに近づける。そういう危機感を聞きたかったわけではない。コトハは身をすくめる。

 

「あんたみたいな恵まれたコーディネーターには、一生無縁の話なのかもな」

 耳元でささやくように言ったその言葉は、どことなく呪詛めいている。身を翻して通路を去っていく彼は、警戒飛行のためMSデッキへと向った。

 コクピットに潜り込み、オイレンは素早く機器のチェックを行う。暇なら十分にあるのだろう、整備は完璧のようだ。マティーニに目に光が点り、物資投擲用レールが延ばされる。管制室からのカウントダウンに合わせて、スラスターを点火した。

 漆黒の宇宙に飛び出したMSの中でオイレンは吠える。危機感とは、生死の狭間から生まれるものではない。そこにあるのは偶然と必然の刹那だけだ。オイレン・クーエンスの危機感は、自らの存在価値の有無が問われ続ける場所にこそある。手を伸ばせば届くほんの1.5m四方ほどの空間が、彼の存在意義の全てであった。

 

 

 

 

 ザフトが現在使用できる地上施設にマスドライバーはない。カオシュンとジブラルタルの交換は、プラントにとって大きな譲歩であるが、ザフトにマスドライバーを保有させ続けるという選択肢が連合に無かった以上、再度の戦争を回避するには致し方の無い事であった。地球とプラントの行き来は、大気圏離脱用のシャトルで中継地点まで飛び上がり、そこで乗換えを行うのが一般的である。

 基本的に一般旅客など存在せず、兵員は即ち貨物であるという発想に基づく軍用シャトルは、頑丈さだけが取り得の様な格好をしていた。連合が採用している空対空の機関砲弾にも耐えられるという噂だ。

「だからって、打上げ時に5Gはないよな」

 ウォーレン・パーシバルは、隣の席の女性に話しかけた。自分に下っていたよく分からない命令は、良く分からないままに解除され、彼は原隊に戻るべくシャトルに乗り込んだのだ。

 打上げ時のGの事など初めて聞いたとばかりに聞き返す女性の声に、聞き覚えがある。聞いてみると、自分と同じ時にカーペンタリアに降りてきた女性だ。通信で声だけ聞いた時は、さぞかし美人だと思ったが、見てみるとそれほどでもない。美人には違いないが凡庸だった。

 

 ウォーレンの愛想笑いがどんなものなのか、シビル・ストーンは察する。彼女に対する周囲の反応はいつだって、期待外れという反応なのだ。それは自分が期待通りの能力を発揮するからこそであり、期待通り以上の事が出来ないからだった。曖昧な微笑みを浮かべると、彼女は視線を外した。

 出来ない事は何も無いのに、出来る事も何もない。努力しなくても出来るのに、努力しても出来ない。そんな自分の体の出来を、嘆く事にも飽きていた。シートベルト着用のランプが付く。

 専用のリニアカタパルトにシャトルが設置された振動が伝わり、機長からのアナウンスが聞こえる。最重要物資である空気と水を満載し、いくばくかの機材をともに積み込んだシャトルは、人員など余剰スペースを埋めるためのものだと言わんばかりの加速度で動き出す。

 

「ったく・・・地球の景色なんざ、見納めかもしれないのによ」

 パイロットとして軽口を叩くくらいの余裕はあっても、窓の外の景色を見る余裕など無かった。下手に首の向きを変えたりしたらムチ打ちになってしまいそうだ。艦艇クルーのシビルに、ウォーレンの声に応える余裕など無かった。

 頭をシートにめり込ませるような加速度が消え、逆に体全体を浮遊感が包む。シャトル全体に安堵のため息が広がった時、もう一度アナウンスが聞こえた。若干の軌道変更を行った後、経由地へ向うと。

 窓の外には、景色ではなく地球そのものが見えていた。

 

 

 

 

 上層部も、一回の試験で使えるか否かを判断する事はできないと判断しているのだろう。機体もパイロットも、ともに試作型なのだ。

 ただし機体の方に関しては、少し違う見方が出来る。その存在を完全に秘匿するのではなく、不明確なまま誇示する事によって、相手に対して無形の圧力を掛けようとしていた。

 彼らブルーコスモスとしてもスポンサーにその実力を見せておかなければ、いつ援助を打ち切られるか分かったものではないのだ。実力を誇示するために過激化するその行動の象徴となるのが、便宜的にブレイカーと呼称されている巨大MSであった。

「これだけデカいのに、コクピットスペースもまともに付けれないのか」

「設計屋なんてそんなもんだ」

 連合で採用を目指している新型MAが複座式を取り入れているのに対して、ブレイカーは単座のままである。さらに特殊な動力源はその制御が不安定なままであった。そのため、機体の操縦、火器管制、索敵などのほかに、出力系の制御までパイロットが行う必要に迫られている。

 そこで、それらを一気に行う事のできるパイロットとして、今水槽の中で眠る彼が選ばれたのだ。だがもはや、彼という人称代名詞が相応しい存在なのかどうか、定かではない。

 かつて生体CPUと呼ばれる強化兵士が存在したが、この試験型エクステンデッドであるノーリッチ・シュナウザーは、もはや生体であるのかどうかも怪しくなっていた。

「しかし、お偉いさんは・・・こういうので一発逆転できると思ってんのか?」

「考えるだけ無駄だ、仕事しろ仕事」

 久しぶりの太陽に目を細め、整備員は流れる汗を拭いながらその巨体に取り付いていた。追跡していたザフトの潜水艦を撒く事に成功し、ブレイカーを搭載した特殊潜水母艦はインド洋の秘密基地で、再出撃の準備を行っている。

 

 その場所は、カーペンタリアとジブラルタルを結ぶシーレーンのすぐ近くであり、灯台下暗しを地で行くような場所であった。サイモン・メイフィールドが伝えたアンノウンのロスト地点も、カーペンタリアの司令部は重点警戒区域だとして、所属不明艦の存在などはなから信じないといった感じで聞き流された。

「宇宙暮らしでもクジラと潜水艦の区別はつく」

 サイモンは眉間の皺を深くしたまま吐き捨てる。気分を切り替えるように頬を叩いて、制服の襟を正した。

 カーペンタリアからジブラルタルに移動した彼の目的は、ユーラシア軍への表敬訪問であった。ユニウス条約を主導したユーラシアとは、是々非々の関係を保つのが現在のプラントの方針であり、過度の対決姿勢を見せたりはしない。

 既に幾人かの高官に会ったのだが、その中の一人が是非会っておいた方がいいという人物を紹介してくれたのだ。アリシア・ルイーズ・ド・ヴァロアという人物がそれであった。

 

 

 

 

 カーペンタリアをその懐に有する親プラント国家、大洋州連合は鵺のような存在である。綱渡りのような外交戦略を維持し続けているこの国の首脳は、マスコミ受けする言動も無く地味で目立たず顔すら知られていないが、おそらくは歴史に名を刻む事の出来る政治家であろう。

 大西洋連邦の保護国と化したオーブに対しても定期船をいち早く就航させるなど、その鵺っぷりをいかんなく発揮していた。物資不足のオーブでは何でも売れるため、定期船は日用品を抱えた人達で溢れている。見えてきた岸壁は、修復したての鮮やかなコンクリート色だ。

「これじゃ、降りるのにも時間がかかるね」

 岸壁には多くの人が既に集まっており、定期船が持ってくる日用品を今や遅しと待っている。おそらく、即席の市場でも開かれるのだろう。ユウキ・ナンリは甲板から遠くを眺めている女性に話しかけた。

 その女性、テルシェ・ミンターは港の一角をじっと見つめていた。何か珍しいものが見えるのだろうかとそちらを見るが、何隻かの船が停泊しているだけである。彼女は何かをつぶやいたが、聞き取れなかった。

 テルシェは荷物を取り戻ろうと、ユウキの肩をじゃれるように抱いて船室に向かう。遠くに停泊していた一隻は、コンテナ船に偽装はしているがおそらく軍艦の類だ。せっかくの旅行に水を差された気分だった。いつまで戦争をすれば気が済むというのだろうか。

 

「・・・私だけ、先行ですか」

 そのコンテナ船の中で、ラビ・アルベール・コクトーの苦い声が響く。空路でビクトリアに向かい、そこで機体とともに宇宙に上がれという。宇宙におけるガルム・ガーの受け入れ準備が必要だというのが理由だ。

 もう一つの理由は、インド洋におけるザフトの警戒レベルが引き上げられたという事だった。迂闊に航海すれば船ごとMAを拿捕されてしまう恐れもある。パイロット二名とMAは、もうしばらくオーブに留まって様子を見る事になっていた。

 子供二人に留守番をさせるのが心配なのではないが、ある意味それ以上にリスクのある事かもしれない。オーブが大西洋連合の影響下にあるとはいえ、前大戦で暗躍した数々の組織と繋がりがあると言われている国だ。モルゲンレーテの非合法活動など、各国の軍需産業の間では公然の秘密となっている。

 アルベールは居住まいを正している二人に視線を送った。エイプリルフール・クライシスの混乱時に現地徴用兵として大西洋軍に参加しそのままMSのパイロットにまでなった二人である。大使館からやって来た男は心配ないというが、アルベールとしてはだからこそ心配であった。

「ご心配には及びません、ラビ」

 ミコトの言葉に、彼は辛うじて微笑んだ。彼女らは、子供として知るべき事を一体どれだけ知っているのだろうか。

 

 

 

 

 コクピットがこんなにも気分の晴れない場所だとは思いもよらなかった。連合の新型にオーブの新型、そして正体不明の巨大MS。世界の兵器事情は、FUJIYAMA社の予測をはるかに超えるスピードで進んでいたのだ。心神の採用は、白紙に戻ったといっていいだろう。

 両親が色々と手を回せば、二回目のチャンスくらいは巡ってくるかもしれない。だがそこで逆転が可能なほど、ウィンダムという機体は低性能ではない。ロックを解除してレバーを起こすと、機体にかかる空気抵抗が増す。人型に姿を変えた心神は、標的ブイにレーザーを照射した。当たり判定の照明弾が打ちあがる。

 機体の高度が下がりすぎる前に、変形して空母への帰還コースに入った。共同訓練が謎の巨大MSの襲撃によって中止された後も、東アジア軍日本自治州海軍の軍艦を借りて、FUJIYAMA社は訓練を続けていた。

「私個人のスキルが上がってもどうしようもないよね・・・・・・」

 カナデ・アキシノがつぶやきと共にセンサーを弄った。不意に左手に信号弾を確認する。熱紋の類を感知していなかったので、兵器その他ではないはずだ。モニターで海面を映すと、ヨットが見えた。二人の人間が盛んに手を振っている。

 

「遭難ですか」

 ヨットから空母に乗り移ったのは、親子らしき二人だった。らしきとしたのは、あまりに似ていないからだ。子供の方がコーディネーターだと聞いて一応は納得するが、どうにも怪しかった。

 一人は鍛え上げられた軍人のような体つきの男性、もう一人は華奢な女の子だ。ヨットを使っての冒険旅行などと言っているが、信じていいものかどうか微妙だった。パスポートも持っていないので、グェン・イーガン、カフネ・イーガンという名前も本名かどうか分からない。

「準備不足ですな・・・明らかに」

 ヨットを調べたクルーの報告書に目を落として、ゲンヤ・タカツキは言った。行き先がユーラシアだというのが、不可解さに輪をかけている。おそらく、オーブからの大洋州への密入国を狙った難民か何かだろう。大西洋の影響下に入り、コーディネーターが住みにくくなったのかもしれない。

 ゲンヤが顎を撫でる。この二人をどう処遇するかだ。近くの港で適当に降ろそうにも、こちらは軍艦なので簡単に港に入る事ができないのだ。水と食糧を分け与えてヨットで追い出す事も出来るが、遭難者に対してそれは流石に非人道的であろう。

 となると、一旦日本まで連れて帰る事になる。それはそれで面倒だと思いながら、この仕事を途中で切り上げる良い口実かも知れないと思いなおした。FUJIYAMA社のお守りに、クルーの士気も下がり気味だったのだ。

 ゲンヤはカナデに、二人を適当な船室に案内するように言った。連れ立って歩く男性と女の子の姿に、長らく会っていない家族の事を思い出す。通信員に衛星経由のレーザー回線の状態を確認させた。

 

 

 

 

 せっかく買った弟や妹への土産物を郵送にしなくてはならない事に、文句の一つも言いたくなる。カオシュンの街は、人々でごった返していた。郵便局なら基地内にもあるが、せっかくの休みなので街に出てみたのだ。カルロス・アストゥリアスは、雑踏を避けるように店に入った。茶を注文して、ポケコンを開ける。基地で受け取った私信を、チェックしていく。

 正直、訓練が終わったからといって即帰国できるとは思っていなかった。あの巨大MSについての報告を受け取れば、本国から何らかのリアクションがあるはずだ。東アジアの領内で大々的な事は出来ないだろうが、調査団くらいは派遣されてもおかしくない。家族に送る手紙の文面を考えながら、茶碗に口を付ける。

「・・・・・・あんたが差出人?」

 顔を上げず、視線だけを上に向けたカルロスが言った。その先にいる女性が、肯定の微笑と共に向い側に座った。店員に注文を済ませると、いきなり本題に入った。ずいぶんとせっかちな美人だ。

「話がよく見えないが、見当違いだな。うちはフランスと仲が悪くてね」

 カルロス宛の私信に混ざっていたのは、有名企業の調査員を名乗る手紙だった。セールスの類かと思ったそれには、あの巨大MSについての話を聞きたいとあった。上官にも報告せずに差出人と接触したのは、直感的に握り潰される情報だと感じたからだ。

 アルテシア・ローレンツと名乗る女性は、開口一番にアリシア・ルイーズ・ド・ヴァロアとの関係を問いただしてきた。彼女の表情に、こちらからの質問は無駄だと思い、黙って頭を使う。スパイの真似事などしたくはないが、上の方が何を考えているかを把握しなければ、無駄に危険に晒される。

 機密情報扱いであるあの巨大MSについて何らかの情報を掴んだ相手が、ユーラシア軍内に隠然たる影響力を有する人物との関係を聞いてきた。それが何を意味するのか。ポケコンを閉じたカルロスは、自分の分の伝票まで持っていった女性の後姿から視線を外す。

 

「やっぱりユーラシア軍も一枚じゃないみたいね」

 あの男性に、嘘や隠し事の気配はなかった。ならば全くの無関係なのだろう。そうだとすれば、アリシアはほぼ独断であれを追っている事になる。

 ルーファスの見立てでは、あのサイズのMSにあれだけの火器を搭載してホバー走行させるには、通常のバッテリーでは不可能だという。同時に、艦艇用融合炉はあのサイズに収まらない。ならば残る選択肢は一つとなる。

 ただ問題は、誰がその現物を持っているのかだ。あれほどのMSを運用するには、それなりの組織が存在するはず。

 アルテシアは足を空港に向けた。あれの現物がもう一つ存在するはずのオーブへ向うのだ。

 

 

 

 

「このタイミングで仕掛けてくるなんて・・・ふざけてる」

 足元には青い地球が一杯に広がっている。ビクトリアから打ち上げられた輸送船は、味方とのランデブーポイントに至る直前で襲撃を受けた。まだ低軌道であり、下手をすれば重力に捕まる高さだ。

 テロリストや海賊が跋扈するという話は聞いていたが、連合正規軍にまで襲撃を仕掛けてくるとは、正直予想外だった。幸運だったのは、空間専用装備に換装された機体と共に上がってきたという事と、ランデブー作業に備えて機体がすぐにでも動かせる状態にあった事だ。

 メイファ・リンの掛け声とともに、ウィンダムのスラスターが光る。輸送船なのでカタパルトの類は無く、開け放たれたハッチから直接機体が飛び出す。モニターを望遠に切り替えるより早く機体を振ったのは勘だ。直後に、リニアガンの弾丸が機体をかすめるのをセンサーが捉えていた。

 ランデブー相手の低軌道周回艦隊が接触するまでの僅かな時間であっても、輸送船程度なら落とせると踏んだのであろう。その甘い考えを叩きのめす。メイファはウィンダムのシールドを掲げる。

 

「避けたか・・・・・・速いな」

 突出するメイファ機への援護射撃を始めたラビ・アルベール・コクトーは、望遠センサーの画像と熱紋センサーのデータから敵機を特定する。八割の確率でスローターダガー。だが今の動きからすると、特殊なストライカーパックを装備しているのだろう。

 メイファ機のシールドがビームガンを受け止める。シールドの影から覗く銃口が閃くが、黒い敵機はそれを完全に見切っていた。構わずにペダルを踏み込み、メイファは裂帛の気合と共にビームサーベルを振り下ろさせる。ビームサーベル同士が干渉して、周囲を白光が満たした。

 直前に遮光モニターに切り替えていたアルベール機のライフルが正確に狙いを付ける。ビームの干渉による衝撃から距離を取ろうとしない黒いスローターダガーに、ビームが殺到した。

 アルベールは快哉をあげる事無くレバーを押し込んだ。敵機の背中についている翼上のユニットは、シールド代わりに使用できるものだった。一瞬体勢を崩しながら、二本の対艦刀を抜き放った敵は、メイファ機を吹き飛ばす勢いで刀を振るった。

 

「なんのぉ!!」

 全体重をペダルに乗せて、メイファとウィンダムは斬撃をその衝撃ごと受け止める。対艦刀をシールドに跳ね返され、逆にダガーの方が吹き飛ぶ。だがそれは、アルベール機の狙撃を回避するための行動だった。舌打ちするアルベールを尻目に、ダガーは左手を振るった。ペンチのような鋏の付いたロケットアンカーが打ち出される。メイファ機のシールドがそれに拘束された。

 振り払おうとした瞬間、シールドを持つ左腕全体が機能を失う。高圧電流を流されたのだ。パージの信号すら受け付けず、AMBACの再設定も間に合わない。不完全な姿勢制御のままで撃つ機関砲はダガーを捉えられない。

 二門のリニアガンと二挺のビームガンが向けられた。

 

「またか!?」

 完全に仕留められたはずの狙いをビームの奔流に邪魔される。ノワールダガーの中でディルク・フランツ・ツェルニーが歯噛みして、モニターを睨んだ。もう一機のウィンダムは冷静さを全く失わずに、味方機に近接する機体への狙撃を続けている。狙撃専用装備の無い汎用機でそれを行うのだ、相当な自信があってのことだろう。

 牽制のためにリニアガンの砲口をもう一機に向けようとする。

「よそ見するな!」

 左腕のパージに成功したメイファ機がビームサーベルを振るう。間合いを取り損なってビームガンが一挺爆発する。ディルクは時間が来たことを知らせるアラームを切り、レバーを引いた。

 ノワールストライカーが切り離され、残りの推進剤をつぎ込むように輸送艦への突進を始めた。ウィンダムの注意が逸れた瞬間、ダガーは本体のスラスターを点火してその場を離脱した。

 彼の当初の目的は地球への降下。輸送艦はたまたまその進路上に現れたために攻撃したに過ぎない。マニュアルに沿って耐熱フィルムを展開し、大気圏突入を行う。

 

 

 

 

 太平洋の島国なので、国土自体は広くない。だが戦争の被害といっても、首都とその周辺が攻撃を受けただけであって、そこから少し離れれば平和な景色が広がっていた。

「本物見た方がいいと思うけど」

「イミテーションにはイミテーションの価値があるのよ」

 海にも飽きた二人が訪れたのは、植物園。プラントの建設技術が使われているという巨大なドーム型施設の内部は、紅葉の季節であった。赤道直下でなお、四季を求めざるを得なかったオーブの人々の複雑な思いがつまった施設である。

 真夏の格好では流石に肌寒い気温に設定されているため、ユウキは盛んに腕を擦っていた。紫外線対策として長袖を持っていたテルシェを横目に、お茶の飲める建物に入る。室内の暖かさにほっとすると同時に、鈍い音を聞いた。

 レジの前で、少年が少女に頭を殴られていたのだ。それでもなお、レジの女性に馴れ馴れしく話しかけている少年を、少女は再び殴る。この手のマナーの悪さは観光客だろうかと、ユウキは眉をひそめた。

「ほら、他のお客さんの迷惑よ」

 二人のやり取りを見ていた女性がそう言う。彼女に促されるように、ミコトとカナンは建物を出た。やれやれといった感じでユイ・タカクラがその後をついていく。

 文句を言い合いながらも決して離れようとしない二人の後姿は、微笑ましいというより妬ましい。そして何より、あんな子供がパイロットだという事が俄かには信じられない。ユイの視線が冷たくなる。

 こちらの正体はバレておらず、こちらが二人の正体を知っているという事もバレてはいない。大西洋がオーブで何かを企んでいるわけではないだろうが、監視は必要だと判断されたのだ。

 監視のための専門職でもないユイがそれを引き受けたのは、個人的な興味からであった。彼女の視線は、前を歩く少女の方に向けられている。

「何ですか? タカクラさん」

 振り向いたミコトに曖昧な笑顔を見せておく。自分に対して、十分に警戒心を解こうとしないその態度は、大西洋の軍人としては良い直感だと思う。だが、彼女の警戒心は単に、新型MAのパイロットであるが故のものではない。ユイの直感はそう告げていた。

 髪こそ伸ばしているが、立ち居振る舞いは少年のようだ。引き締まった体つきも、単にパイロットとしてのトレーニングの成果だとは思いにくい。その言動ははっきりしているのに、その身体はどこか曖昧さを持っている。

 普通の人であれば、それも個人差程度にしか思わないであろう。だがユイにとって、それは個人差『程度』の問題ではないのだ。自分にだけはそれが分かる、彼女は微笑みの裏でそうつぶやいた。

 だからこそ、彼女が無邪気にカナン・エスペランザとじゃれている姿を見て嫉ましく思ってしまうのだ。

 

 

 

 

 老朽化した輸送船を無理やりにMSを積載できるように改造した艦である、文句は言わない。何よりこれのお陰で、資源衛星から離れた場所でも活動できるようになったのだから。その成果が今現れようとしている。

 ブリッジから送られてくる映像は、ザフトの輸送シャトル。打つべきは先手のみである。ブリッジからは疑問を呈する声が聞こえてくるが、オイレン・クーエンスはそれを黙らせる。

「レシピだか何だか知らんが、コーディネーターの根幹に関わるモノなんだろ・・・」

 それは狙われるべきものであり、だからこそ自分がここにいるのだ。輸送艦のハッチが開いた。追加装甲を着込んだジンが、モノアイを光らせる。現在の距離とシャトルのセンサー能力を考えれば、こちらの発進と同時に熱紋が発見されるであろう。シャトルからMSが発進させられるまでの間に、勝負を決められるかどうか。

 しかし、例えそこで勝負がつかなかったとしても、オイレンの本領は次の段階でこそ発揮されるのだ。一体何機のMSが出てくるのか。彼は武者震いをしてペダルを踏み込んだ。滑るように格納庫を出たマティーニは、見る間に加速していく。

 例えMS戦を望もうとも、手を抜くようなことはしない。初弾が外れたのは、デブリに当たったからだ。光の加減か、光学モニターではその大きさが確認できなかった。シャトルが回避行動をとりだす。太陽を背にしようと動くあたり、ザフトは素人を使っていない。

 

「まったく、幸運なのか不幸なのか」

 ウォーレン・パーシバルがパイロットスーツのファスナーをチェックして合図を出した。整備員の退避の完了した貨物室から空気が抜かれる。カーペンタリアから一緒に上がっていたシグーに潜り込み、全ての確認作業を省略してバッテリーの電圧を上げる。シャトルが大きく揺れた。今度は掠めたのだろう。

 積荷の確認作業を手伝うためにパイロットスーツを着用していた時の襲撃である。すぐに出撃できるのは幸運であった。しかし、そもそもザフトのシャトルが襲撃を受ける時点で十分に不幸であった。行きといい帰りといい、宇宙の治安の悪さを身をもって体感している。

 シールドガトリングの弾が入っていないが、取り外す時間も惜しい。ようやく開いたハッチから、ウォーレンのシグーが飛び出す。同時に構えたシールドにビームが当たった。

「バルルス? 厄介だな、おい!」

 派手な光の割りにシールドへの衝撃が少ないのは、バルルス特火重粒子砲の特徴だ。敵の使用している機体はザフトのものなのだろう。ジャンク屋による軍資産の横領や横流しといった話は良く聞くが、こういう形で味方機に出会うとは思いもしなかった。

 ビームライフルを細かく連射して敵の動きを拘束する。ようやく敵機体が特定された、予想通りにジン、ただし珍しいアサルトシュラウドを着込んでいた。マティーニが大型のビームランチャーを投げ捨てたのが見える。

 高い加速性能を見せ付けるように接近してくるマティーニに、シグーはライフルを構えたまま、サーベルに手をかける。牽制の一射と同時に、ウォーレンはペダルを踏んだ。敵の回避方向は読み通り、抜き放った斬機刀から鈍い衝撃が伝わる。こちらの行動も読まれていた。

 

「面白い、と思ったらダメなんだろうがな!!」

 重斬刀を振り抜かせたオイレンはそう叫んだ。たった一機しかMSが出てこなかった事に落胆したところに、このパイロットである。マティーニの各部ハッチが開いた。乱舞する小型ミサイルの群れを、シグーは舞うように回避し撃墜し切り払っていく。その上で反撃までして見せるのだ、オイレンはレバーを押し込む。

 両手に持たせた突撃銃と、肩部のレールガンを連射しながらシグーに迫る。意識を敵のライフルに集中した。銃口の動きに合わせて機体を振る。全身に強いGを感じながら、マティーニの速度は緩めない。

 敵の斬機刀を受け止め、シールドの影から伸ばされたビームサーベルをかわす。至近距離からのレールガンは避けられるが、突撃銃が左腕ごとシールドを破壊する。

 

「・・・強い!!」

 直線加速が強力な分、旋回性能が低いと踏んだが、敵パイロットは強引な制動でそれをカバーしている。左腕の代わりに得た情報としてはあまりにも少ない。ウォーレンは汗を浮かべた。

 だが、考える暇など戦場にはない。モニター隅の計器を読むと、スラスターを吹かす。追撃してくるマティーニにビームを降らせながら、その時を待つ。錐揉み飛行のようにレールガンをかわし、反撃のビームを見舞う。マティーニの動きが変わった。シグーが迎え撃つように身構える。火線が機体を掠めるのも気にせずにマティーニの接近を待った。そのマティーニが重斬刀に手をかける。

 間合いに入る寸前、シグーのライフルが火を吹いた。それは正確にマティーニの装甲を突き抜けるが、機体は爆発しない。ジンのコクピットで、オイレンは口の端をゆがめた。

 

「勝負ありだ!」

「やっぱり脱いだな!!」

 追加装甲にもバッテリーと推進剤を積んでいるマティーニは、それを使い切ればパージするのがセオリーだ。同じザフトの兵器である、マイナーであってもその使い方は知っていた。

 追加装甲を外したジンの重斬刀が切り裂いたのは、ビームライフルのみ。薙ぎ払われたシグーの斬機刀は辛うじて受け止めたが、衝撃を殺せずに刀が根元から折れた。突撃銃の残弾も少なく、これ以上の戦闘はきつい。シグーの放った閃光弾と煙幕を突き抜けてまで、オイレンも追撃する事は出来なかった。

 

 

 

 

 客を見送ると疲れが噴出してくる。次の来客が来るまで少し時間があるので、自室で一息入れる事にした。飾り立てられた軍服が妙に重い。アリシア・ルイーズ・ド・ヴァロアの心は、コーヒーの香り程度では晴れなかった。

 今の肩書きは、養父のコネだけで手に入れたものではない。自らの能力については、ちゃんと自己評価が出来ているつもりだ。しかしそれ以上に大きな要因は、本来なら自分より上に立つべき人間の多くが失われた事である。

 エイプレルフール・クライシス、世界樹、新星、グルマルディ・・・ユーラシアも連合軍として多くの将兵を失っている。特に、本土への侵攻であったジブラルタルとそれに付随するカサブランカ沖の敗戦は、大きな痛手であった。

 ユーラシアを指導すべき人物は責任とともに姿を消し、彼女らを導くべき人物は戦場に消えた。残されたのは、彼女のようなまだ若い者ばかりである。

「若手若手と言われているうちに、いつの間にか中堅・・・か」

 ザフトから来た先ほどの来客が、そんな事を言っていた。ならば自分は中堅を通り越してベテランになってしまったのだろう。弱音など吐くつもりはないが、現状を正確に認識する事は必要だ。

 ユニウス条約を主導したのはユーラシアだが、それとて一枚岩ではない。モスクワではジブリールら最強硬派が台頭している。プラントとの関係も、どこまで安定するか未知数だ。その時、祖国の安全をどう保障するのか。それが彼女の考えるべき事である。MS戦力に劣るユーラシアにとって、戦略的に優位に立ちうる軍事的プレゼンスが必要となるのだ。

 手段は、この際問わなかった。

「つくづく、ブルーコスモスは祟るな」

 戦中、ムルタ・アズラエルが入手したと言われるニュートロンジャマーキャンセラー。核分裂を再び使用可能にするその技術を戦後も独占するために、アズラエルはデータを秘匿した。しかし彼は死に、そのデータは行方不明になった。

 NJCのデータはブルーコスモスのルシア・ゼルレッチの手に渡っており、アリシアはそれをブルーコスモスの内部抗争を利用する形で入手した。だがそのデータは、ミサイルの弾頭に使用するための装置に関するものしかなく、広範な応用には耐えられないものだった。

 しかし再び、核ミサイルによる恐怖の均衡を作り出すことが、国家の安全保障にとって有効だとは、アリシアには思えなかった。代わりに、NJCを動力のために使う事としたのだ。そのためには、動力部にも使用できる形にNJCを改良するための技術が必要だった。

 アリシアは時計を見て立ち上がる。先ほどの客が持って来た花束を、秘書が花瓶に生けていた。

 

「突っ込んだ話もしてみたいものだったな」

 車の中で、サイモン・メイフィールドがつぶやく。ユーラシア軍の中核を担うと言われる女性将校は、噂通りの人物だった。同時に、どこと無く危険な感じのする人物でもある。ユニウス条約における軍備制限枠を話題にしようとした時の視線は、尋常ならざるものがあった。

 あの巨大MSについても情報は伝わっているはずだ。それを念頭に置いた上で話題にしてみようとしたのだが、あまりの迫力にそれ以上は口にしなかった。サイモンは書類を取り出す。シビル・ストーンが宇宙に戻る前にまとめておいてもらった資料である。

 自分達が宇宙から降ろした積荷について、少し調べてもらったのだ。中身は不明ながら、その送り先がオーブである事だけは判明していた。大西洋連邦の強い影響下にありながら、オーブはプラントとのパイプを保持し続けているようである。

 

 

 

 

 オーブの立ち位置ははなはだ不可解である。プラントにせよ大西洋にせよ、この国を緩衝国家として位置付けようとしているのであろうが、それが故にその政策は一貫していない。プラント国籍の人間に短期の観光ビザの発行をいち早く行ったり、大洋州所有の資源衛星に貨客船を就航させたりしている。

 そうでなければ、カーペンタリアに降りたザフトのパイロットが観光になど来れるわけがなかった。宇宙港の案内表示を見上げていたテルシェは、肩をすくめるように言った。

「観光できただけでもマシかな」

 彼女は、そのまま大洋州の資源衛生経由でプラントに戻る予定になっていた。地球に降りてきたばかりだというのに、ずいぶんな慌しさだ。テルシェは大げさなハグの後で、搭乗口の方へ足を向ける。

 

 ユウキはその背中に、大きなお世話と大声で言った。振り向きもせずに手だけを振ったテルシェが笑っているのが分かる。髪を触り、小さくつぶやく。

「別に男っぽくしてるわけじゃないっての」

 彼女はシャトルを見送るため、その足を展望塔に向けた。国際宇宙港は、開港直後からたくさんの人で溢れている。すれ違う人の顔も、国際色豊かだ。栗色の髪の美人が足を止めた。その視線は、壁に埋め込まれたテレビに向けられている。報道番組の一コーナー、海外の珍しいニュースを紹介するものだった。

 東アジア軍の軍艦が、ヨットで太平洋を漂流していた親子を助けたという。救助された人が短いインタビューを受けていた。アルテシア・ローレンツは、それを見て小さく舌打ちをした。すぐさま、航空会社のカウンターに向う。

 

「カナデが言ってたのはこれか・・・・・・」

 いつもはしない色付きのメガネをずらし、カルロス・アストゥリアスがつぶやく。オーブ軍のMS運用体制の研究という名目でここに来ていた彼は、自分の行き先が東アジアに変わった事を悟る。

 マメにアドレス交換はしておくものだと、ポケコンを取り出して思う。他愛の無いやり取りであっても、引き出せるものはある。スパイの真似事は御免被りたいところだが、あの巨大MSに関わる事であれば、そうも言っていられないのだろう。問題はユーラシア軍本体ではなく、その下にある彼の直接の上官からの指令だということだ。相変わらず、国家主権というやつは軍の中にもこびりついているようだ。

 二、三日のうちに正式な命令が降りてくるだろう。それまでに、家族への土産物を決めておかなくてはならない。新聞を折りたたんで立ち上がったカルロスは、遠くの騒ぎの声を聞き流し、空港出口へ向う。

 

「ぶつかってきたのは君達の方だろう!」

 ユウキの声が響く。若い女を連れた柄の悪い中年男が、彼女を上から睨んでいる。コーヒーをこぼした女が、服を拭きながら冷ややかな目でユウキを見る。コーヒーは彼女にもかかっていた。

 人目もはばからずにいちゃついたあげく、ユウキにぶつかってコーヒーをかけたにもかかわらず、謝罪も無く逆に因縁をつけてきた。相手に関わらず、反射的に反発してしまうのは性分である。

 だが男の目付きに、足がすくむ。今さら退けないが、次の言葉が出てこない。それに気付かれたのか、男の目が笑った。男があしらうように、彼女の肩を突き飛ばした。すくんだ足はそのままよろめく。

「・・・!」

「何だ、お前?」

 ユウキは自分を支える格好になっている男性を見上げた。突き飛ばされて、通りかがった人にぶつかってしまったのだ。中年男はその男性にも因縁をつけようとしていた。何も言わずに立ち去ろうとする男性を掴もうと腕を伸ばす。

 次の瞬間には、中年男が宙を舞っていた。床に倒れ伏した男は、腰を擦りながら立ち上がるが、男性の迫力に捨て台詞も言えずにその場を逃げ出した。

 あっという間の出来事に、周囲の客と同様にユウキも唖然としていた。ハッとした彼女は慌てて男性の後を追いかけた。せめて礼を言っておかなくてはならない。追いつかれた男性は、迷惑そうな顔で彼女を見る。

「・・・ディルク・フランツ・ツェルニーだ」

 何度も頭を下げる彼女に根負けしたように、男性は名を名乗った。


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