Blank stories   作:VSBR

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第二部

 飽きる事は無いのだろうかと思う。別段、風光明媚な場所でもなく、浜遊びの出来るささやかなビーチに過ぎない。だが、カーペンタリアの基地に下りてきた人は、多くがこうして海を眺めるのだ。そして誰もが、プラントには海が無いと言う。

 白い肌に、白のビキニが妙に艶かしい女性が、大きなサングラスを水平線の方向に向けていた。

「泳いだり、しないの?」

ユウキ・ナンリは、身じろぎもせずに海を眺める女性にそう聞いた。女性は、はっと気付いたように彼女の方を見てサングラスを外す。テルシェ・ミンターは、ユウキの姿を一通り眺めた。

「うん、しっかり女の子」

「!? 僕の趣味じゃないだろ!」

 テルシェの見立てた水着を着ていたユウキが、顔を赤らめる。流石にこのフリフリはやりすぎだ。突っかかろうとしたユウキの手をすり抜け、テルシェが波打ち際に駆けていく。

 このビーチは、基地関係者がよく利用する場所だった。戦争が終わって、ようやく地球を堪能できるとばかりに、非番の者はカーペンタリア周辺に繰り出していく。ビーチには他にも多くの兵士が訪れていた。

 テルシェに追いついたユウキの顔に水がかかる。水しぶきの向こう側に、彼女の笑い顔が見えた。ユウキも負けじと水を撥ね上げる。笑い声が青空に響く。遠浅の海が、幾重もの青のグラデーションを見せていた。

「あ・・・シャトル。輸送機かな、降下軌道」

「見えるの?」

 浮き輪を首の下にしてテルシェがやるように空を見上げる。少し傾いたとはいえ日はまだ高く、空に見えるものは、僅かな雲だけだ。一瞬だけ光ったと言うが、それをよく見つけられると思う。

 目を凝らして空の一点を見つめてみる。テルシェに浮き輪を沈められ、ユウキは盛大に水を飲んだ。

 

 

 

 

 不規則だった振動は徐々に収まる。アナウンスが流れ、シートベルトのランプが消えた。グェン・ヴィレンは大きく息をつく。同様にシートに着いていた人間は、めいめいに立ち上がり持ち場へと戻っていった。おそらく着陸の準備だろう。隣の席では、ゆったりとした動作で、少女がシートベルトを外していた。

「もっと、堂々としていた方がバレないですよ」

「そりゃそうだが・・・」

 グェンは着慣れないザフトの制服の首周りを気にした。そして、こんな少女が着るサイズまでそろっているザフトという組織のあり方に呆れた。東アジア軍では、軍服など服に人間を合わせるもんだと古参兵に教えられたものだ。

 マイウスで拉致されそうになったカフネ・イーガンを、一応は助け出したという形となったグェンは、その後二度のカーチェイスと一度の徒手格闘を経て、今このシャトルに密航している。気密の保たれた安全な場所に身を隠すため、彼らはクルーの予備の制服を失敬して何食わぬ顔でシャトルに搭乗していた。ちなみに、制服を借りる事を提案したのはカフネだった。

「降りるまでどれくらいかかる?」

「二時間ってところだと思いますよ」

 少しはゆっくり話せる時間が取れるかもしれない。とりあえず目の前の事態には対処してきたが、根本的なところは何も分からないままだ。ただ、危機的状況をともに逃げ延びたという点において、彼女の信用を得る事は出来た。

 だからグェンは疑問の核心を聞く。この少女は何者なのか。彼女を拉致しようとした者達、そして自分のクライアントは、この少女にどのような用件を有しているというのか。

 

 シャッターの開いた窓から外の様子が見えた。丁度雲の上を飛んでいる。このまま地球を一回りしてカーペンタリアに降りるのだ。彼女はそう言って、問いをはぐらかす。カフネは視線を合わせないように、窓の外を見続けた。

 グェンが持って来た封筒に書かれていた書類を一目見たときから、自分が狙われる理由は分かっていた。ザフトの開発局に関係する仕事をしていたため、このような事態が訪れる可能性は常にあったのだ。ただ、実際にそれに巻き込まれると、心構えなどどこかに吹き飛んでしまう。

 未だに頭の中は混乱しているのだ。無意識にグェンの手を握っている。ゴツゴツとした大きな手を、頼もしく感じていた。

 

 

 

 

 そのサイズを小さいと言うのは語弊があるかもしれない。国際大会が開催できるレベルのサッカースタジアムと同じくらいの広さがあるのだ。だが、そこが居住空間となったとたんに、言いようの無い圧迫感を覚える。天井のスクリーンに映し出されたイミテーションの青空が白々しい。

 大洋州が所有する資源衛星にたどり着いて二日、コトハ・キサラギは早速暇を持て余していた。シャトルの傍で本物の戦争をされた恐怖は丸一日抜けなかったが、それが峠を越えると、好奇心が頭をもたげてきた。

 しかしそこに、好奇心を満たしてくれる物は無かった。コンパクトな居住空間に、ささやかでも潤いを与えようとするように、花壇には花が植えられている。せめて画材でもあればと思った。

 宇宙進出黎明期に作られた資源衛星で、かつてはプラント建設のための拠点でもあったここも、今では複数の企業が共同出資して基礎研究などを行うための施設になっていた。トルベン・タイナートは到着早々に、その研究施設へ出向いている。

「単位とか・・・どうなるんやろ」

 結局、そんな心配しか出来ない。レシピと呼ばれるあの絵が、どのような重要性を持っていて、自分がそこにどの程度関わってしまったのか、途方も無い上に漠然としていた。花壇の縁に腰をかけてため息をつく。

「危機感持てよ、危機感」

 その声に振り返ると、ザフトの緑色の制服を着崩した男が見下すような視線を向けていた。その声と視線に、コトハは冷めた笑顔を向ける。

「先日はご苦労様でした、オイレン・クーエンスさん」

 たっぷりと棘を混ぜ込んだ声でそう返すと、踵を返して自分に割り当てられた部屋に戻ろうとする。肩を痛いほどに掴まれる。女性に対する、最低限度の配慮すらない男の行動に、反射的な恐れを抱いた。

 オイレンが突きつけるように紙を差し出す。プラントで発行されている新聞の電子版を印刷したものだ。赤く縁取りされている記事は、読めという事なのだろう。男の手から逃れるように体を捩って、紙を受け取る。

 マンションの一室が全焼したという火事の記事だった。その住所は、彼女が一人暮らしをしていた場所である。火の不始末である可能性は、絶対に無いと言い切れた。

「・・・どういう、事ですか」

「狙われたのさ、命をな」

 あの先生には価値がある、だけどあんたには無い。ただ余計な事を知っただけだ、オイレンははっきりと言った。コトハの手が強く握り締められ、新聞は小さな音を立てて破れる。

 そのまま彼女を置き去りにするように立ち去るオイレンは、胸の内でつぶやく。どうせ命を狙いに来るならMSで来いと。そうすれば、自分が全て撃退して見せると。

 

 

 

 

「・・・ヤバい、わね」

 各部のチェックを受けているムラサメのコクピット内で、ユイ・タカクラは資料をめくる。東アジア軍との共同訓練という名目で、ムラサメのデモンストレーションを行うはずだったのだが、連合も新型機を投入してきた。いわば、コンペティションの場となってしまったのだ。

 テストパイロットのプロフィールを見れば、ユーラシアも東アジアも本腰を入れているのが良く分かる。

 何より、ウィンダムという新型の性能は破格であった。複雑な可変機構を導入する事無くサブフライトシステム無しの飛行を可能とするMS、しかもディンのように空戦に特化させたものではなく汎用性を維持したままなのだ。

 モルゲンレーテは、これを機にムラサメの売り込みを考えていたのだろうが、そうは問屋が卸さないだろう。ハッチに上がってきた作業員が、コクピット内に繋いでいたケーブルを外そうとする。不自然に視線の向きに、ユイは胸元を広げていたパイロットスーツのファスナーを首まで上げる。

 とりあえず、エアコンの効きが悪いと報告しておく事にした。ハッチが閉じられ、モニターが起動する。

「ま、あの子の方がきついでしょうけどね」

 

 滑走甲板に上がってカタパルトに機体を載せる。丁度、東アジアの空母にMSが着艦する姿が見えた。それに続いて、ウィンダムも降りていく。最初の模擬戦が終わったのだ。カナデ・アキシノはヘルメットも外さずに、荒い息を吐き続けた。

 機体への被弾をゼロに抑えることはできた。だが、計器のあちこちでアラームが鳴っている。過度の変形と強引な制動で、内部構造に負荷をかけ過ぎた。明日行われる二度目の模擬戦までに、修正できるかどうか微妙なところだ。

 しかし、それ以上に衝撃だったのは、連合とオーブの送り込んだMSの性能であった。東アジア、いやFUJIYAMA社は完全に出遅れていた。満を持して発表した、自分達のオリジナルMSであるはずの心神。それがこのざまである。ウィンダムやムラサメと比べて、スペックが低い事は明白であった。

 空気抵抗を抑えるために機体を変形させ、あとはスラスター推力だけで飛行する形式の心神に対して、ムラサメは限定的ながら揚力を発生させて飛行する事ができる。推進剤消費量に圧倒的な違いが生まれるのは明らかだ。ウィンダムにいたっては人型のままで飛行可能な大推力スラスターを装備し、強い空気抵抗を受けとめられる頑健な機体構造を有していた。

 模擬戦の結果は、自分のパイロットとしての腕で機体性能の低さを隠したに過ぎない。だがそれも、素人の目を誤魔化せる程度の話だ。

「お疲れ様、いい戦闘だった」

 ショックに打ちひしがれる心に、その快活な声は毒であった。コクピットから降りたカナデを迎えたのは、模擬戦の相手の男だ。パッと見がいい男なだけに、余計に堪える。差し出された手に何とか握手を返した。

「こちらこそありがとうございます、アストゥリアス少佐」

 

 カルロスは、握手の手をそのままに彼女をエスコートする。全く自然に腰に手を回し、甲板上に臨時で設営されている展望台に上った。次の模擬戦が始まる時間だ。

 流石に腕から逃れたカナデの後姿に苦笑いをし、係員が手渡した双眼鏡を手にする。紺碧の空の微かな染みが、レンズの向こう側でMSの形になった。信号弾が打ち上げられる。ウィンダムとムラサメが、ともに先手を取ろうと動き始める。

 流石に航空機のような形に変形できるムラサメは、機動性が高いようだ。だが航空機同様に旋回半径は大きくならざるを得ない。それが、有利に働くのか不利に働くのか。カルロスは、彼女らの判断をシミュレートしながらそれを見つめる。

「そういや・・・女ばっかなんだな」

 カルロスのつぶやきと、ウィンダムが仕掛けるのは同時だった。ライフルの銃口が光る。模擬戦用のレーザーが発射されるが、命中判定はつかない。それでも、ムラサメの飛行コースを潰すように銃口が巡っていく。

 

「落ちろ、戦闘機!!」

 メイファ・リンはそう怒鳴ってペイント弾を発射した。ビームライフルを構えて、息を詰める。ペイント弾に対する回避行動を取った瞬間に狙撃するのだ。だがムラサメの回避行動は予想の上を行った。

 人型に変形をしてエアブレーキで強引に制動をかけると、ほぼ垂直に上昇してペイント弾をかわしたのだ。戦闘機ではありえない動きに、ライフルの狙いをつけられない。しかも太陽を背にされた。シールドに三発の当たり判定、機体への損傷は皆無。メイファは対応を練り直す。

 航空機形態と人型を行き来するその機動は、従来のMS戦闘とは全く別の対応が必要だろう。しかし、むやみに変形を繰り返すそのスタイルは、可変機の戦闘スタイルというより、パイロットの趣味に思える。メイファは奥歯を噛み締めた。

「戯れるな!」

 ムラサメが発射したペイント弾をシールドで払いのけるようにして、ウィンダムを突っ込ませる。ムラサメの余裕めいた動きが消えた。ビームサーベルが交錯、するはずだった。模擬戦では、ビームサーベルでの戦闘は再現できない。

 信号弾が弾け、双方の機体が母艦へと帰還する。

 

 

 

 

 ベッドというより、それはMSの整備用ハンガーに近いのかもしれない。透明なアクリル製の蓋の向こう側では、管やケーブルに繋がれた人間の姿が見える。それも、体の各部にそれらの機器をつなげるための装置が取り付けられている人間だ。文字通り、機械と一体化している。

「宇宙から降下したばっかなんだろ」

「でも、こうやって繋がってりゃ関係ないんじゃないか?」

 白衣を着た人間が、そんな事を言いながら慌しく作業を行っていた。MSの方は既に準備が整っており、作業が遅れているのはパイロットの方だ。しかし、じきに日没を迎えることから、作戦の開始は翌日に繰り下げられる事になる。そのため、夜を徹して作業を行う事になった。

 宇宙での戦闘データをフィードバックして、身体各部の再調整を行うのだ。エグザスを使用しながら戦果が芳しくなかったため、再調整も入念に行いたいところであった。せめて結果くらいは、まともなものを示したいところだ。

 MSよりも整備に手間のかかるパイロットである、そこに投じられる費用もMSと同様の額がかかっているであろう。作業を行っている者も、それに実用性などない事は分かっていた。

 だからこそ、結果を出さなければクビに直結する。

「ノーリッチ・シュナウザー・・・たいそうな名前だよ」

 番号で呼ぶのと、犬の品種名を付けるのと、どちらの方が趣味がいいのであろうか。

 それはこんな化け物MSを開発する連中にも問いかけたかった。こちらのネーミングセンスは、あまりにも捻りのないものであるが。ノーリッチの乗る機体は、すでにそのエンジンに火を点していた。

 

 

 

 

 大型浮体構造物を利用した洋上の観測拠点。大戦中、太平洋でのザフト監視の最前線の一翼を担っていたそれは、現在でも遠くカーペンタリアに備えるためのものである。戦争は終わったのではなく、ただ止まっただけなのだ。

 連合各国もプラントも、次のための準備を怠ってなどいない。ここには、その準備の一つが用意されていた。

「海老?」

「ハサミが付いてるんだからザリガニだろ」

 テストパイロットと聞いて、てっきりMSに乗るものだと思っていた二人は、目の前の巨大な機体に、そんな間の抜けた感想を漏らす。技師はMAと言っているが、メビウスなどとは似ても似つかぬ形であった。

 アドゥカーフ・インダストリーが開発した新型MA、正式名称は決まっていないがここではガルム・ガーと呼ばれていた。連合内でいち早くMSを導入した大西洋は、早くもそれとは異なる兵器体系の構築を考えているようだ。MSのみで全ての戦術を組み立てるザフトに対して、同様の方法を取るのは得策ではないという判断だろう。

「この機体は、機体制御と火器管制を別々に行う複座型コクピットを採用している」

「それって・・・ミコトと一緒に乗るって事か?」

「そう聞きたいのはこっちだ」

 腐れ縁もここまで来ると運命だと、頭を押さえるミコト・ムラサメは、隣でにやにやしているカナン・エスペランザの頭を殴る。じゃれる二人を無視するように、技師は向こう側のハンガーを指差した。

「ラビにはあちらの機体、ウィンダムに乗ってもらいます」

 連合の次期正式採用機だという機体は、塗装面にいささかの曇りもなく照明の中で輝いている。ラビ・アルベール・コクトーは、一瞬だけ視線をそちらに向けて、再びMAの巨体を眺める。

 おそらくは、大戦初期から計画されていたものであろう。戦争が終結しても、兵器開発は終結しないのだ。それだけに、自分の引き受けた事に暗澹たる思いを抱く。

 以前の従軍理由は、あくまでも戦争を終わらせるためだった。個人の力がどうだという話ではなく、少なくともそういった大義名分が存在した。だが、今から行う事は戦争の準備であり、戦争を始めるためのものではないのか。抑止力云々といった政治的レトリックを除けば、そう結論づいてもおかしくは無い。

「おとなしく試験飛行をさせてもらえるわけでもないようだしな・・・」

 MAの試験を行う場所は、大洋州領海のすぐ近くである。カーペンタリアの目前であり、それが示威行動を兼ねている事は明確であった。新兵器の姿を出し惜しみするつもりなど、どこにも無いようである。

 早速ロッカールームに向うカナンとミコトの後姿を見送り、アルベールは責任者との調整のため会議室へと向った。

 

 

 

 

 秘書が執務室に入ってくる。男性は顔を上げ、部屋に詰めていた会社の幹部達を下がらせる。彼は執務室と繋がった奥の私室に秘書を通した。彼女を抱き締めるのは、プライベートの場でと決めているのだ。

 だからこそ、彼女が節度を持ったまま彼に接し続ける事を少しだけ不満に思ってしまう。コーヒーをいれる彼女の姿をしばし見つめる。

「どうしました、社長?」

「ここで社長はやめてくれ・・・いつも言うだろう」

「では、ルーファス・・・」

「様はつけるなよ」

 ルーファス・リシュレークはそう言って微笑んだ。受け取ったカップに、コーヒーではなく彼女の香りを感じる。アルテシア・ローレンツに椅子を勧めた。報告書は読んでもらえましたかという彼女に、君から直接聞きたいと、悪戯っぽく言う。

 少し困った顔をして、アルテシアは唇をぬらすようにコーヒーに口をつけた。そして、アリシア・ルイーズ・ド・ヴァロアと接触した内容を伝える。手ごたえとしては、100%黒である。

 そして、こちらの動きも早晩把握されるだろうと伝える。ルーファスは微笑みを消して、腕を組んだ。

「用心したかいはあったか・・・」

「プラントに送った者からの連絡は?」

 ルーファスは首を振り、代わりに接触対象のうち二人が殺害されたと言った。犯人は不明だが、おそらくはプラント側の何者かであろう。情報の漏洩を防ぐための口封じと考えられた。もう一人の接触対象については、連絡がないという。楽観的な期待は持てなかった。

 プラントからの情報入手が困難になった今、残る情報源はオーブしかない。こちらに関してはモルゲンレーテが相手だけに、さらに情報入手は困難になるだろう。冷めたコーヒーを見つめながら、ルーファスは考えを巡らせる。

 軍事予算に依存した経営など、どのみち時代遅れになる。原子力発電の復活は戦後復興に伴うエネルギー需要の増加に対する救世主となり、国家の経済基盤として会社の経営を支えるはずだ。しかしそのために必要なものを、スパイ小説さながらの方法で獲得しなければならないというのが問題であった。

「すぐにでもオーブへ飛びます」

「・・・あぁ、だけどすぐに行かなくていい」

 今日くらいはゆっくり休んで欲しい、ルーファスはアルテシアにそう言う。俺のそばで、と付け加えるのを忘れなかった。

 

 

 

 

 宇宙艦で感じるのが投げ出される不安だとすれば、潜水艦で感じるのは押しつぶされる恐怖である。宇宙艦で感じるのが漂流の不安だとすれば、潜水艦で感じるのは沈没の恐怖である。

 ザフトの地球での戦力を支えるボズゴロフ級潜水空母であるが、実際には潜水艦としての機能は極めて限定的である。潜水艦の建造ノウハウを、プラントにおいて獲得する事など不可能なのだ。さらに連合各国の海軍には職人的ソナー手が数多くいたため、大戦末期の対潜戦闘ではボズゴロフ級は多大な被害を受ける事になっていた。

 そんな話を聞かされた上で艦長を任命されたのは、何かの嫌がらせかと思う。カーペンタリアでサイモン・メイフィールドを待っていたのは、異動通知であった。

「潜望鏡、海面に到達」

 カーペンタリアも人手不足かなどと思いながら、報告を受ける。モニターに画像を映し出し、目標の姿を探した。ブリッジ内部のレイアウトは宇宙艦と全く異なっているが、それを苦にする事無く機器を操作しているのは彼と共にカーペンタリアに降りたシビル・ストーンだ。

 操艦やCIC畑を渡ってきた女性で、ローラシア級のクルックスでもそつなく仕事をこなしていた。ただ、目立つタイプでない事は間違いない。それまでの経歴を見てみたが、上司や同僚からの寸評は、ほとんど付けられていなかった。

 独特の結束を持つと言われる潜水艦のクルーにもすぐに馴染んだと思ったのだが、ただ存在感が薄くて軋轢がないだけなのかもしれない。そんな部下への物思いを断ったのは、モニターに映った映像だ。

「距離・・・5000」

「現在地把握、こっちの間違いでない証拠を残しとけ」

 彼らの任務は、太平洋上で行われている連合の共同訓練の監視である。カーペンタリアから指示された場所に潜行し、観測機器を洋上に浮かべて目標を探る手はずだった。だが、その場所は訓練場所からあまりにも近すぎた。

 いきなり爆雷を投下されることもないであろうが、当分の間は、物音一つにも神経を尖らせて過ごさなくてはならないだろう。慣れない、というか初めての潜水艦任務にしては、ずいぶんとハードなものだと思う。サイモンは、ただ眉間の皺を深くする。

 モニターに映る夕焼けの映像だけが美しかった。

 

 

 

 

 プラントの演出される時間ではなく、自然の時間。空の彼方に沈んでいく太陽は、不機嫌な心を真っ赤に照らしてくれた。ずいぶんと小さな事に腹を立てていた物だと思い、ウォーレン・パーシバルはコクピットでの調整作業を切り上げる。

 アンノウンの襲撃を受けていた輸送隊を救助し、そのまま護衛に付いた彼は、積荷と共に地球に降下していた。すぐにでも宇宙に上がれると思っていたのだが、そのあてが外れたのだ。積荷の引渡しが終わるまで、引き続きその護衛を行うようにとの命令だった。

 しかも、その積荷の正体、引渡しの日時や場所は全て伏せられたままである。先ほどまで文句を言いながら、シグーとグゥルのマッチング作業を行っていた。

「やっと荷下ろしかよ・・・」

 コクピット前の昇降用デッキで伸びをしながら、ウォーレンは降下したシャトルから積荷が降ろされていくのを見た。作業員に混じって、親子連れのような風貌の二人が降りてくる。14、5歳でのザフトに入る人間も珍しくないのだから、それほど奇異なものではないが、それでも一方はずいぶん子供に見えた。

 昇降デッキのスイッチを操作してウォーレンは下に降りた。奇妙な二人連れは、積荷と共にどこかに行ってしまっていた。牽引車が積荷のコンテナを引っ張っていく。

 

 それを横目で見ながら、カフネは張られたラベルを読む。目立たない形で張られているラベルに書かれているのは、数字とアルファベットの羅列だった。だが彼女には、その意味が理解できる。

 クルーの話では、積荷はオーブへと送られるという。その不可解さが、彼女をグェンと共に行動する事を選ばせていた。この積荷が彼女の推測するとおりのものであれば、何故オーブに送られるのかが分からないからだ。そんな彼女の思いを見透かしたのか、傍らの男性が聞く。

「・・・保護を求めたりはしないのか?」

「それじゃ、グェンさんが困るでしょ」

 自分はザフトではなくあくまでも民間人だというカフネに、グェンは肩をすくめた。何か重大な事を知っているであろう彼女を、そのままクライアントのもとに連れて行っていいのであろうか。彼のクライアントが、彼女を拉致しようとしたあの偽宅配便連中と同じ穴の狢である可能性は十分にあるのだ。

 涼しげな顔を崩さない彼女に、グェンは一抹の不安を覚える。この子は、子供が背負うべきではないものを背負っているのでは無いだろうかと。彼はカフネの手を引いた。歩哨から距離を置いて背中を向ける。

 まず考えるべきは、ここをどう抜け出すかだ。オーブに行ければ、ユーラシアのクライアントとも連絡が取れるだろう。彼は、のろのろと走る牽引車の後部座席にカフネを抱えて乗り込んだ。驚いた顔の運転手に「すぐそこまでだ、乗せてくれ」と頼む。

 

 

 

 

 

 MSを打ち出すための専用装備は無いため、貨物用のマスドライバーを使う。居住区に重力を発生させるための回転運動を利用して、貨物を宇宙に放り出す装置がMSを発進させた。中古の化学燃料ロケットが点火され、派手な光とともにMSが加速する。

 発進はオイレンの独断である。たまたま管制室で発見した船籍不明の艦、それを追っ手だと判断したのだ。拠点攻撃用装備などで狙われれば、こんな資源衛星などひとたまりもない。先手必勝であった。

 燃料を使い切ったロケットをパージし、スラスターを吹かす。最大望遠のカメラが捉えたものは、艦から伸ばされたカタパルトにMSが設置される様子だ。

「遅ぇよ!」

 オイレンと共に咆哮するレールガンは敵MSを仕留めるはずだった。だがモニターに映ったのは、よろめいた姿勢を立て直す黒いMSの姿である。舌打ちとともに武装を切り替えた、PS装甲を持った敵だ。

 マティーニの腹部に装備されたビーム砲は、連射が利かない。あのタイミングでの攻撃で沈まない敵ならば、ビームで仕留められるとも思えない。ビームを牽制に接近して、持てる限りの砲弾を至近距離から叩き込む。反撃の射線を冷静に見切って、オイレンはペダルを踏み込んだ。

 突撃銃を細かく撃ちながら、敵との距離を詰める。腹部複列位相砲をワイドにして、壁を作るように発射した。黒いダガーが右に流れるのを捉える。腕のグレネードを発射して敵の動きを妨げ、慣性重力を振り切るように機体をターンさせる。

「消し飛べ!!」

 突撃銃と肩のレールガン、そして各部に設置された小型のミサイルが一斉に吐き出される。

 

 ノワールダガーは、全身を丸めるようにして衝撃に備えた。レールガンの一撃をウィングユニットで受け止めると、二振りの対艦刀を同時に抜いた。

 殺到するミサイルが連鎖的に爆発する。その爆煙の中で、ノワールダガーのゴーグル型センサーの奥、デュアルアイが冷たく光った。ディルクの叫びとともに、ノワールダガーはマティーニに肉薄する。完全にノワールストライカーの間合いだ。突撃銃が切り裂かれ、腕の追加装甲に対艦刀が食い込んだのが見える。

 だが一撃で腕を落とせなかった。寸でのところで衝撃を殺されたのだ。とっさに捻ったダガーの胴体の脇をレールガンが通り過ぎる。

 頭部機関砲をばら撒くと、センサーを守るようにマティーニが距離を取った。ディルクは、ビームガンを乱射させて間合いを取らせない。瞬間的な加速性能は、ノワールダガーの方が上だった。対艦刀が機体の速度を加えて振り抜かれる。衝撃が機体全体を走った。マティーニの重斬刀が斬撃を受け止めている。

 

 実体剣同士の鍔迫り合い、宇宙空間ではスラスターの総推力が勝負を決める。マティーニの重斬刀が押し勝ち、ノワールダガーが吹き飛ばされるように後退する。すかさずマティーニは、レールガンを連射し複列位相砲で狙い撃つ。それでも、オイレンは奥歯を噛む。

 自惚れてなどいない、自惚れる暇などない、だがMSの操縦という点で、他の人間に負けるわけには行かないのだ。だが彼の思いを空回りさせるように、敵は照明弾と煙幕でセンサーを殺して後退して行った。

 ノワールダガーのコクピットで、ディルクが二度に渡る作戦の失敗に歯軋りしている事など、オイレンは知る由もない。

 

 

 

 

 既に日は沈んでいた。ようやく来客が途切れたと一息つく。今日の夕食は久々に一人であった。もちろん、食卓を囲んだ団欒の日々を過ごしていたのではない。食事の時間まで来客の相手をしなくてはならないだけであった。

 給仕の者を下がらせ、好きなシャンソンをボリュームを絞って流させる。ワインの香りが鼻をくすぐる。料理の味を確かめるように、ゆっくりと口を動かす。

 だが食事に多くの時間を取れるほど、彼女に暇はなかった。戦争が終わった今、ユーラシアは多くの懸案事項を抱えているのだ。アリシア・ルイーズ・ド・ヴァロアは、その懸案事項に対する処置を考えなくてはならない立場にある。差しあたって考えねばならないのは、戦後の安全保障問題であった。

 連合軍もザフトも疲弊しているため、再度の軍事的緊張は誰も望んでいない。だがこの軍事的空白を、誰がどのような形で埋めるのか。それが問題であった。既に連合内部でもユーラシア国内でも策動が始まっている。

「・・・戦争は、変わってしまった」

 Nジャマーによる電波障害は、兵器から目と耳を奪った。レーダーと無線なしに、音速の数倍で飛ぶ飛行機から正確な攻撃を行う事はできない。GPSなしに、戦車は自分と味方の位置をリアルタイムで把握する事はできない。

 それを解決した兵器がMSである。情報ネットワークのサポートを必要としないその兵器は、あたかも中世の騎士のように個人で戦場を形成する。

 個々の兵器ではなくその全ての兵器を有機的に繋げるシステムこそが軍事力であった時代から、システムとは無縁の一騎当千の兵器こそが軍事力の時代になるだろう。MSの発展速度は、そのような時代がすぐそこまで来ている事を予言している。やがて量産機は基地の置物に変わり、戦争は圧倒的な性能を持つ少数のMSのみで行われるようになるだろう。

「そのための・・・核」

 そんな時代を予見するからこそ、彼女は動いていた。ザフトを含めた地球圏の各陣営は新型MSの導入を進めているが、彼女の目から見ればそれらはすぐに時代遅れとなる。新たな戦争に対応するには、新たなMSが必要とされるのだ。

 アリシアは食堂をあとにして執務室へと向う。プラントから必要な人材を得る事には失敗したが、試験そのものを中止することはしない。

「エンジンの活動限界時間の計測を主眼に・・・」

 技術の導入経緯を含めて、ユーラシア内部からの反発も予想される。だが安全保障問題は、移り気な世論に振り回される事なく、冷徹に国益に徹して考えるべきなのだ。手を組む相手が何者かより、それがどのような自国の利益をもたらすかを考えなくてはならない。

 

 

 

 

 ユーラシアと東アジア、それにオーブを加えた共同訓練。新型MSを投入したそれには、企業関係者などの民間人も多く参加していた。そのため、一日の予定を終えた艦上では、ささやかなパーティーが開かれている。

 明日も模擬戦が行われるため、最初のシャンペンだけに留めておく。カルロス・アストゥリアスは、改めて他のパイロット達を眺めた。MSのコクピットに身を置く女性は、確実に増えている。それは決して喜ばしい事ではない。女は陸で男の帰りを待っているべきだなどと、アナクロな事を言いたいわけではなくてもだ。

「美人がだいなしだ、中尉」

「その発言はセクハラになりますよ」

 制服をきっちりと着たメイファ・リンは、カルロスに視線だけを送る。女性士官でもパンツルックを選ぶ者は少なくない。だが、それを喜ばない男も多いのだ。カルロスが軽く肩をすくめ、窓の外を指差した。

 外は既に暗く、窓には顔が映るだけで何も見えない。カルロスが微笑んで、ようやくその発言の意味が分かる。ずいぶんときつい表情になっていた。メイファは慌ててグラスに口を付けて、その場を取り繕う。だが、そんな顔つきになってしまうのも、当然だと言えた。

 パーティーの中心では、私物であろう派手な服を着た女性が、周囲に微笑を振りまいている。

 オーブのユイ・タカクラ。モルゲンレーテのテストパイロットという肩書きだが、あの技術は実戦経験がある事を物語っていた。おそらく、今日の模擬戦では手を抜かれた。機体の特徴をPRするために、変形を繰り返す事を主眼に置いていたのだろう。上には上がいる事は、理解する。だが、ああいうタイプが自分の上だという事が癇に障るのだ。

「君もああやって微笑めばいい」

「私はパイロットです。コンパニオンではありません」

 カルロスはグラスを煽ってため息を消す。視線の隅に捉えたユイの姿にコーディネーターの即物性と複雑さを垣間見た。腕時計を見て、ジュースのおかわりを頼む。

 ここを抜け出して二人で星でも見ないかい、と誘う気分にさせないだけメイファは損をしていると思う。もう一人の彼女ならどうだろうと、会場を見回した。今日の模擬戦の相手、カナデ・アキシノの姿は見えなかった。代わりに、別の声を聞いた。

 

「いえ、明日は心神の模擬戦は行われません」

 今回の共同訓練の主催者である東アジア軍から責任者として送り込まれた艦隊司令のゲンヤ・タカツキは、モルゲンレーテの人間にそう告げていた。今回の訓練はあくまでも軍のものであり、オブザーバー参加であるFUJIYAMA社の機体をむやみに訓練に加えるわけにはいかないと言う。訓練とはいえ、事故を起こせば死者も出かねない。その時、軍属でないものが関わると、色々と厄介な問題も出てくるのだ。

「話が違います、艦長。我々は、法的問題点をきちんと解決した上で・・・」

 それを聞いていたのか、FUJIYAMA社の社員らしき男が、ゲンヤに非難めいた口調で言う。聞き流す振りをしていたゲンヤも、くいさがる男のしつこさに閉口したのであろう、周囲の人間に分からないように日本語で言った。

「首相の娘さんに、これ以上恥をかかせたくはないでしょう」

 心神の性能が、ウィンダムやムラサメと比べて劣る事は、今日の模擬戦で分かったはずだ。MSの採用は一国の都合だけで動かせるものではない。圧倒的な性能差を示せなかった以上、東アジア軍が他の連合加盟国と同じMSを採用する事は明白だ。

 黙りこんだ男に軽く会釈をして、ゲンヤはその場を後にする。ブリッジから上がってきた報告に眉をしかめて、パーティーが行われている部屋を出て行った。戻ってきた対潜哨戒機が、奇妙なデータを持ち込んできたのだ。

 

 

 

 

 戦争は終わった、その言葉の空虚さは、こういった形で現れるのだろう。テルシェ・ミンターはパイロットスーツのヘルメットを掴んだまま走っていた。ユウキがシェルターに避難した事を確認していたら、遅れてしまったのだ。

「新人で遅刻って最低ね・・・」

 古参整備員の怒鳴り声を聞きながら、コクピットのスイッチを入れていく。スクランブルが発令されており、既に数機のMSが発進した後だった。機体名と自分の名前を告げて簡易カタパルトに機体を移動させようとする。

 不意にスピーカーが揺れて、通信が入った。先に出撃させろということらしい。管制室からは確認のために書類をめくる音が聞こえてくる。

 

「パイロットだけじゃなくて、管制も新人かよ・・・行かせてもらうぞ。ウォーレン・パーシバル、シグー出る!!」

 グゥルに張り付くような姿勢で、シグーが射ち出される。珍しい機体だと思いながら、テルシェは再度、名前を言った。乗っている機体は新型の可変MS・バビ。今までディンに乗っていたパイロットからの評判が悪いので新人に回されているという噂のある機体だ。

 軽い衝撃とともに加速度を感じる。モニターには、一面の青空が映し出された。しかし、それに歓声をあげている余裕は無い。MSに乗っていると、大気の存在が一層はっきりと感じられる。ペダルとレバーに意識を集中し、大きく息を吸った。先行したシグーから通信が入る。わざわざレーザー通信を送ってきてくれた。

「悪かったな、先に出て。出撃は初めてか?」

「はい」

「なら、今回は何もするな。まだ仮免だって事、忘れるなよ!」

 ウォーレンはそう言って通信を切った。戦闘が行われないに越した事は無い。だが、もしそうなれば、新人など使い物にならないのだ。それを使い物になるようになるまで生かして帰す事も、経験者の仕事である。ルーキーをスクランブルに出すようでは、宇宙で聞いていたほどカーペンタリアの内実は充実していないようだ。

 あの積荷を襲った連中である可能性を捨てきれないために出撃したのだが、そうでない事を切に願う。あのレベルのパイロットであれば、新人達など標的にしかならない。バビがきっちりと後を付いて来る事を確認して、グゥルのスラスターを吹かした。

 レーダーと無線が使えない現在、スクランブルでも真っ直ぐに対象機体へ向える事は稀である。地上の観測所からの情報を基地で聞いたとしても、一旦出撃すれば後は自分の目で敵機を確認するしかないのだ。

 そのため、敵機がとると予測される複数の進路に向けて、複数の部隊を向わせるのがセオリーだ。ウォーレンとテルシェは即席の部隊として考えられたのだろう、後から追いかけてくる機体は無い。

 それを含めて嫌な感じだ、ウォーレンは呼び出した地図を見てつぶやいた。大洋州と大西洋が、その排他的経済水域か何かの権益を巡って揉めているという海域に近づいている。

「冗談じゃないぞ!」

 グゥルのロケットランチャーから発光信号弾が打ち出される。国際法に基づく警告の信号。シグーの望遠モニターに映るのは、はじめて見る機体だった。

 

「冗談でしょ!」

 新型MAのコクピット内を悲鳴のような怒鳴り声が満たした。モニターに映し出された地図は、まだ大西洋の領海を飛行していると示している。隣のシートで攻撃用のスコープと火器管制用モニターを起動させた男を制して、女はレバーを思い切り引き上げた。

 ガルム・ガーはその巨体に見合う噴流炎を光らせて急上昇を見せた。その様子にアルベールは胸を撫で下ろす。だが、状況の好転は見出せない。Nジャマー濃度が薄く、無線が辛うじて使えることだけが幸運だった。

「ムラサメ少尉、エスペランザ少尉、一切の発砲許可は私が出す!」

「ラビ、先に撃ってきたのは・・・」

「発光弾で戦闘はしない!」

 ウィンダムの機上で、アルベールはそう言う。だがここは、非常に退き難い。領有権で揉めている場所で先に退けば、相手の領有を暗に認めた事になる。だが、カーペンタリアから出撃したMSとの交戦など、戦争そのものだ。

 このまま推進剤とバッテリーが共に切れるまで、ジリジリと精神をすり減らすにらみ合いをしなくてはならない。敵にこちらのような若いパイロットがいない事を願って、アルベールはウィンダムを旋回させる。

 ガルム・ガーもウィンダムも新型であり、それをザフトに晒す事のリスクはあるが、戦争の引き金を引く事も、地図の点線を実線に変える事も御免被りたい。二発目の信号弾が打ち込まれた。同時に放たれた信号弾を見てアルベールは通信機に怒鳴る。

「発砲許可は私が出すと言った!」

「発光弾は戦闘じゃないんだろ」

 ガルム・ガーが放った信号弾は、派手な光りを青空に閃かせた。アルベールは、ミコトに撤退を命じる。カナンが不測の事態を招く可能性が出てきた。自分一人で、この場を収めるしかないようだ。

 だが、不測の事態を招いたのは相手だった。信号弾を打っていない方の機体が急接近してきた。向こうにも若いパイロットがいたのだろう。敵の様子に、アルベールは一計を案じる。

 

「ミンター、何もするなと言った!」

 ウォーレンはシグーを前に出す。通信機の声は冷静そうだったが、たったの二機しかいない状況で、敵の新型の挑発めいた信号弾だ。頭に血が上っても仕方がない。尻尾を巻いて逃げないだけ、パイロットとしては優れているのかもしれないが、ここでは臆病者の方が正しい判断が出来ただろう。

 敵の新型の鋏状ユニットが色を変えた。おそらく、装甲切断用の武器だ。変形を解いたバビがエアブレーキで止まる。胸部ビームの発射体勢を取ったテルシェは、通信機からの盛大なノイズで引き金から指を外した。代わりにペダルを踏み込んで、巨大な鋏を足元にやり過ごす。

 味方機の動きを押し留めるためとはいえ、シグーとウィンダムはライフルの有効距離に入る。アルベールは通信機のノイズが消えたのを聞く。

「聞こえるか、ザフトのパイロット!」

「!? レーザーか! 聞こえるぞ、人型の方のパイロットだな!?」

 ウォーレンが敵からの通信に怒鳴り返す。アルベールは、この場を共に黙って退く事を提案した。相手が退けないのも、こちらと同じ理由だろう。ならば、この提案にも乗れるはずだ。

 シグーは信号弾を打ち上げた。今までのものとは違う色。それと同時に、グゥルの機首が向きを変えた。アルベールも撤退を再度命じる。

 ガルム・ガーから聞こえたカナンの不満そうな声に、アルベールは戻ってからの処分を考えた。普通の戦闘の方がましだったと思えるほどに、汗が吹き出ている。

 

 

 

 

 対潜水艦戦、対水上艦戦、対航空機戦、そして対MS戦。一体どのノウハウを使用すればいいというのだろう。さらには共同訓練であるため、そのための装備しか持ち合わせていない。自分に課せられた使命を考えれば、この訓練に参加している部隊を無事に帰すことだろう。

 だがモニターに映るあれを前に、どうやって艦を後退させればいいのだろうか。ゲンヤ・タカツキは細かな指示を出していく。艦砲が順々に発射されていき、水柱の檻で敵の動きを封じる。

「あとはこっちでやれって事か・・・」

 艦砲を避けるように機体を旋回させながら、カルロスは舌打ちめいたつぶやきをもらす。訓練用標的艦を動かしていた僅かなクルーが、どうにか脱出できただけでも御の字としてもらいたいところだ。オートで火器を作動させていた艦は、今まさに沈もうとしている。

 二機のウィンダムと一機のムラサメによる対艦戦の模擬戦闘、そこに乱入して来た物を正確に認識するのには少し時間がかかった。通常のMSの二倍強の身長をした巨大MSが、海中から現れたのだ。

 その黒光りする装甲は、標的艦の火器を寄せ付ける事無く、指先から発射されるビームで艦を沈めた。

「アストゥリアス少佐! ・・・あれは、ザフトですか!?」

「あちらさんも、そこまでバカじゃないんじゃないかしら」

 メイファの声とユイの声、そして電波障害のノイズが交互に通信機を揺らす。上空を旋回していたムラサメが機体を傾けた。ビームを連射しながら急降下を仕掛ける。敵の正体が何であれ、敵である事に変わりはない。ましてや、あれを背に逃げられる気がしない。

 巨大MSが空を見上げる。そしてその口にあたる部分から、幕のようなものを吐き出した。ビームとロケット弾が同時に弾ける。

「光波防御帯・・・まずいな、オイ」

 カルロスはペダルを踏む。メイファ機の援護射撃を受けて、パックパックの翼にぶら下げている対艦ミサイルを一斉に放った。ガクッと軽くなった機体をさらに加速させ、ミサイルと共に突っ込む。

 巨大MSの指から発射されるビームがミサイルを薙ぎ払い、爆発の炎と煙が壁のように立ち込める。その煙の壁を背にして、カルロスのウィンダムがビームサーベルを振りかぶる。光波防御帯に受け止められるのは予想通り、狙うのは近づいてきた腕だ。

 シールドに隠すようにしていたビームサーベルを伸ばし、機体を掴もうと不用意に伸ばされた腕を切りつける。同時にカルロスは、自分のミスを悟った。巨大MSの腕を切り落とせない。

「少佐!!」

 メイファ機がシールドを構えて体当たりを敢行し、ムラサメは対艦ミサイルを急降下爆撃の要領で巨大MSにぶつける。流石の巨体も、派手な水飛沫とともに海面に倒れこんだ。

 カルロスは二人に礼を言いながら機体を立て直す。全身がPS装甲かと思っていたが、腕だけビームコートを被せてあったのだ。

 このまま沈んでくれればいい、そう思うという事は沈まないということ。三機は素早く散開し。三方からの攻撃に切り替える。光波防御帯も全面には展開できない。だが体勢を整え、海面をホバー走行する巨大MSは思いのほかよく動く。背部のコンテナから大量のロケット弾を打ち上げ、煙と水蒸気が周囲を満たす。

「実体弾!?」

 メイファの声とレバー操作は同時。掲げたシールドに重い衝撃が走る。敵の腕にはリニアガンまで仕込まれていたのだ。掌を突き出すように、高速の弾丸を撃ち出してくる。立ち込める水蒸気でビームは減衰が激しい。こちらの反撃をし難くした上での攻撃だ。

 メイファ機がリニアガンの圧力に弾かれる。歪んだシールドを投げ捨て、メイファは歯を食いしばるように体勢を立て直す。

「一機一機潰していく気ね・・・」

 ウィンダムを狙っていると判断したユイは、ムラサメを加速させる。あの装甲ではこちらの実体弾は利かないだろう。ビームが利く距離まで近づくか、そのまま肉薄するかだ。どの道、接近しなければ話にならない。変形を解いたムラサメが突き出したビームサーベルは、ビームコーティングされた腕で受け流された。

 誘われたと思ったときには、一撃をもらっている。MSに殴られたとは思えない衝撃に、コクピットが揺れた。カルロスの攻撃が光波防御帯で受け止められ、自機に向けられた巨大な指が禍々しく光るのを見る。

 次の瞬間、別の方向から光が走った。巨大MSの右腕が脱落する。

「・・・FUJIYAMA社の!」

「いいタイミングだ!」

 上空から飛来した心神の攻撃で主兵装の一つを失った巨大MSの動揺を、カルロスは見逃さない。シールドを鈍器代わりに、光波防御帯へと打ちつけた。ガクンと首を仰け反らせた巨大MSのがら空きになった顎に、ウィンダムの爪先が入る。

 再度転倒し海中に没した巨大MSは、そのまま沈んでいった。

 バッテリーと推進剤のメーターはエンプティを示しており、普通ならばホッと一息つける状況ではないだろう。だが今は、彼らの全身を安堵感が満たしている。あの艦長なら、ちゃんと拾ってくれるはずだ。

 海上に不時着させた機体のハッチを開けて、非常用の救命艇を用意するメイファは、すぐ近くにブイの様な物が浮かんでいるのを見つけた。しばらくするとそれは、海中に姿を消し、そのまま姿を現さなかった。

 

「どう・・・報告すればいいと思う?」

「私に聞かれましても」

 シビル・ストーンは、サイモン・メイフィールドの深く深い眉間の皺を見ながらそう言った。連合の共同訓練を襲った謎の巨大MS。あれが自軍の物であったらと夢想しても、あまり良い未来は見えないような気がした。

 撤収の指示に従って、彼女は艦のオペレートへと戻るが、実感できた事は戦争が終わっていないという現実だけであった。歪んだ現状を元に戻すための反発が戦争なのだとしたら、まだ世界は歪みを戻しきっていないのだ。だから、あんなものまで現れる。

 

 

 

 

 レシピとは言いえて妙なのかもしれない。そこに書かれている通りの材料で、書かれている通りに調理をすれば、少なくとも料理は出来上がる。だが見本の写真のように上手に盛り付けたり、店の味のように仕上げるには、それだけではダメなのだ。レシピに加えて、求められる技量というものがある。

 トルベン・タイナートは、画面から目を離す。観葉植物の緑が滲み、目頭を強く押さえた。ここの設備では、やはり十分な研究が出来ない。実際の遺伝子発現を行うための培養施設も手狭であるし、タンパク質をシミュレートするためのコンピューターも能力不足であった。

 襲撃を受けたという話も入ってきた事であるし、やはり場所を動いた方がいいのだろう。彼を支援している研究機関も、そのための準備を始めたようだ。

「問題は、あの子だな・・・」

 手違いとはいえ、とんでもない事に一般の人を巻き込んでしまった。このまま彼女を同行させるという事は、巻き込み続けるという事でしかない。しかし、彼らを狙うのがある種の超国家機関であるのならば、彼女の安全を保障できるのはここしかない事になる。

 難しいところであった。トルベンはブラインドを開けて外の光を入れる。外とはいっても、室内と同じ人工灯に過ぎないのだが。

 庭の芝生のところで、コトハ・キサラギが研究所の女性と何か話しているのが見えた。度胸が据わっていて、順応性も高いので、彼としても余計な心配をしなくていい分楽ではある。だが根本的な解決にはならない。

 彼女の選択に任せるという無責任は、巻き込んでしまった大人としてしたくない。だが、あやふやな説明のまま連れまわす事もそろそろ限界だろう。しかし、明確に説明を行えば、確実に彼女を深みに連れ込む事になる。

 机の受話器を取ってコーヒーを頼む。本格的にここを動く話が出てくるまでもう少し余裕があるはずだ、それまでに方針を決めればいい。彼はそれだけを決めた。


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