Blank stories   作:VSBR

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第十一部

 駅を出ると、ムッとする暑さが篭もっていた。これが盆地の暑さというものだろうか。暑さを表情に出しているのは、きっと自分と同じような観光客なのだろう。景観保護の取り組みが積極的になされているその街は、旧世紀のさらに前の時代の景観を見せているようだ。

 地面を掘れば遺跡・遺構の類が出土するので地下鉄・地下街が建設されないという話が本当なのか、公共交通機関はバスがメインであった。どうやら計画ではこの街で寺社仏閣を回る予定のようだった。

 その手の興味は持ち合わせいていないので、どうしようかと思う。チェックインの時間にはまだ早く、時間をつぶさなくてはならない。結局、計画表に書かれていた場所の一つに向かう。

「意外と高くない、か?」

「いや、流石に飛び降りはできんだろ」

 観光客のそんな会話を聞きながら、人の流れに沿って進む。この国の伝統衣装を着ている女性と目が合った。そのまましばらく、その顔を見つめる。相手も自分に思い至ったようだ。

 同時に驚きの表情を浮かべ、そしてかけるべき言葉を探す。

「コトハ・キサラギさん・・・ですよね」

「ユウキ・ナンリさん?」

 ユウキは名前が間違っていなかった事にホッとして、彼女の元に足を進めた。コトハがそのまま歩くように言う。観光客が多い中、着物姿の彼女は目立っていた。

「どうしたの?」

「お見合いの途中、というかはぐれた振りして逃げてきたの」

 今時、見合いのコースに清水寺はありえないと言いながら、コトハは寺の境内を抜けてタクシーを拾うと、ユウキを押し込むようにして乗り込んだ。タクシーの後部座席で一息つき、互いの事を少し話す。

 何とか実家に帰りついたコトハは、てっきり死んだと思われていたらしく、しばらくの間は下にも置かない扱いだった。だがその事が、早い事結婚しろという親の圧力を増加させる事にもなった。しかし当人は、今日のように見合い話をのらりくらりとかわし続けている。

「いつまでも逃げる気はないけど・・・・・・うちもまだ、落ち着いてるわけ違うし」

 現地語のイントネーションが残る独特のしゃべり方でそう言う彼女は、ふと厳しい表情を浮かべた。単に、海外留学から帰ってきたという体験ではない事をしてしまったのだ。そうそう普通に戻れるわけも無い。そんな重苦しい感情を打ち消すように、コトハはユウキの事を聞いた。

「友達が立てた旅行の計画があって、それに沿って世界一周の旅をね」

 その友人が死んでしまったらしい事は、ここで話す事ではない。ユウキはスシバーというのがどこにあるのか尋ねる。計画表には、日本の街ならどこにでもあるとしか書いていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 法衣も聖書も持たずに病室に入った。聖職者という肩書きで、一歩引いた立場に立ちたくなかったのだ。少なくとも、関わりあった大人として正しく向き合わなくてはならないと思っていた。

 ラビ・アルベール・コクトーの姿を認めたミコト・ムラサメは、少しだけ表情を緩める。ようやく包帯の取れ出した姿は、彼女の体が順調に回復へと向かっている事を示していた。

「ちゃんとリハビリすれば、日常生活に支障は出ないそうです」

 コクピットの中で潰され切断寸前だった左手と左足の接合手術は、なんとか成功だったようだ。アルベールは一言断って、ベッド脇の椅子に座った。

 白い病室は静かで、何か沈黙を許さないような雰囲気だ。アルベールは切り出す言葉を探すが見つからない。代わりにミコトが言葉を発してくれた。

「ラビの方はお変わりなく? リン中尉とは何かありましたか?」

 アルベールは苦笑した。彼女とは別に何も無い。好意のようなものを感じなかった訳でもないが、それを受け入れられる身ではない。彼は苦笑いから、笑みだけを消したような表情に変える。ミコトの選ぶ言葉とは思えなかったからだ。

 本来それを言うべき者は、もういない。アルベールの表情に気付いたように、ミコトは目を逸らした。そしてつぶやくように言葉を紡ぐ。

「手足は元に戻っても、半身を失ったままです」

 そして、自分自身が何者かが再び分からなくなったと続けた。曖昧なままではいられなくなった自分が、何者であるかを確定してくれた存在が、失われてしまったのだ。

 彼の存在は、ミコトが「彼女」である事を選択する理由となりえた。彼は別に彼女に選択を迫ったわけではない。だが彼が存在する事で、ミコトは「彼女」である事を自然に選択できた。

 だが彼女は、自身が曖昧なままでいることを望んでいると既に知っている。ユイ・タカクラの存在は、自分のその願望を浮き立たせた。それは驚きであり、恐怖であった。そして彼を失った今、再び彼女はその願望に向き合わざるを得なかった。

「私は・・・・・・あいつの好意をそんな風に使っていました。あいつの本気を、自分のために使っていた」

「君が、君自身の体を、そのままの姿で欲する事は、正しい事だ」

「・・・・・・違うんです」

 ミコトは首を振った。どちらでもある体を持つからこそ、他者との相互関係の中でのみ、どちらかを選ぶという状態が生じる。曖昧なままでいるという事は、他者との相互関係を欲しないという事だ。ユイ・タカクラのように、一方的な関係を他者に押し付ける事だけを欲するという事だ。

 そんな願望がミコトを恐怖させるのだ。だから彼との関係性を求めた。そしてそこに自身の好意がない事と、彼の好意を受け取らないままに彼が失われた事を後悔するのだ。

 うつむき黙るミコトに、アルベールは沈黙を強いられた。神の言葉を借りて何かを語る事はた易い。だが、人の言葉、彼自身の言葉で何かを語る事は、これほどまでに難しいのだ。

 それでもアルベールは、自分の言葉を欲した。彼女にかけるべき言葉は、神の言葉ではないはずだと。

 

 

 

 

 

 招待されたのは報道関係者という話だが、見知った顔が何人かいた。ザフトが最新鋭のMSを公開するというのである、関係業界がマスコミ以上に興味を持つのは当然の事であった。しかし、同業者が多いこの状況が彼女を落ち着かせない。

 連合とプラントの緊張緩和政策の一環として、軍事費や軍備の透明性確保が喧伝されている。多分に政治的なパフォーマンスなのだが、この業界としては利の薄い戦争より、利幅の多い軍拡競争の方がありがたくもある。

「戦争せずに兵器だけ買ってくれればね」

 世界は平和でボーナスはアップだと、カナデ・アキシノはうそぶいた。だがアーモリーなどと名付けたプラントを建造する時点で、ザフトは戦争に乗り気だという事が分かる。つまりは連合もその気だという事だろう。和気藹々と、新型MSを見物できるわけではない。

 その上、どういうわけだかオーブの元首が非公式にここを訪れているようだ。嫌な予感はこの上ない。爆発音を聞いたカナデは、どうしてそんな予感ばかりが的中するのかと頭を抱えたい気分だった。

 招待客のいるビルはパニックになっているが、流石に同業者はマスコミ関係者と違って我先に逃げ出す事をしない。双眼鏡や望遠レンズのついたカメラを取り出し、窓際の良い場所を取ろうと我先に走り出す。カナデは早くも、カメラを三脚に据えていた。レンズを覗くと、丁度MSが立ち上がったところだ。

「あの顔・・・・・・亡命オーブ人を丸抱えで作ったってのはホントなのね」

 特徴的な顔をした三機のMSが、格納庫を突き破るようにして立ち上がる。横で双眼鏡を目に当てている男性が、ザフトじゃないなと言った。その証拠にMSは格納庫を破壊するだけでは飽き足らず、基地を攻撃し始めたのだ。

 テロに対応するため、出撃準備をしていたデモンストレーション用のMSを緊急発進させたのではない。あのMSはテロリストに強奪されたのだろう。悪名高きヘリオポリス事件の逆をやっているという事だ。

 手元の資料に目を落としながら、細部の違いをメモしていく。兵装やその威力については、カタログとはかなり違う感じだ。内蔵式のビーム砲を複数搭載したタイプを見れば、バッテリーの性能が格段に向上している事をうかがわせる。

 不意に隣で声が上がり、カメラの向きを変える。ザクと命名されているMSが、強奪されたMSへと攻撃を仕掛けたのだ。

 だがカナデは、別のものにピントを合わせていた。上空に飛来する小型戦闘機だ。彼女の知る限り、ザフトではあのような戦闘機を採用していない。次の瞬間から、彼女は夢中でシャッターを切る。

 小型戦闘機は、後続してきた別の戦闘機と次々に合体し、ついに一機のMSとなって大地に降り立ったのだ。単なる可変型MSではない、分離合体機能を有しているのだ。兵器換装システムの応用とその延長線上に現れる発想だろう。だが、それをあのサイズで実現している。

 純粋に技術者として興奮する。それが兵器として使い物になるかどうかなど、どうでもいい事だ。その洗練された技術力の結晶は、ただ称賛に値するのだから。

 

 

 

 

 

 斬機刀が横に振るわれると、ゲイツRの胴体は折れ曲がるようにして潰れた。流石に斬れ味の無くなった刀を、岩塊表面に設置されている装置に叩きつける。装置の回転軸がぶれ、そのまま停止した。

 背後からのレールガンを機体を捻るようにして回避すると、突っ込んでくるゲイツRにグレネードを投げ付ける。その爆発を目くらましにして背後を取ると、ビームカービンを叩き込んだ。

 再び大型装置を運搬している機体を発見し、ジンハイマニューバⅡはスラスターを全開にして接近する。

 装置を守ろうとしたザクの攻撃を難なくかわし、突撃銃でカメラを潰す。僚機がザクに止めを刺した事を背後の爆光で感じながら、装置を運ぶゲイツRを撃ち落していく。

 もともとアステロイドベルトから牽引してきた隕石を使いやすいように砕くための装置であるメテオブレイカー。ザフトはそれを、地球に向けて落下しつつあるユニウスセブンを破壊するために設置しようとしている。オイレン・クーエンスの仕事は、メテオブレイカー設置作業の阻止である。

 彼の担当するブロックでは、メテオブレイカーの起動をいまだに許していない。何とか設置された物も、ことごとく停止させている。

「易い仕事だ」

 オイレンは笑みを浮かべずにそう言うと、向かってくるザクに正対する。最近正式配備が始まったばかりの新鋭機に対して、自分が乗るのは型落ちの機体。それでも負ける気がしないのに、彼は高揚感を感じなかった。

 見て取れるほどに未熟な動き。機体の性能差を生かしてゴリ押しすることすら出来ないパイロットに、オイレンは失望のようなものすら感じる。ザクのビームライフルをかわしながらジリジリと距離を詰めると、途端に敵の腰が引けるのを感じる。ここで踏み込めないパイロットは、死ぬしかない。

 ビームカービンがライフルを持つザクの手を吹き飛ばし、突撃銃に付けられた重斬刀がコクピットを貫く。

「時間すら稼げないのか」

 あっという間に護衛のザクを失ってなお、メテオブレイカーの設置を行おうとするゲイツRのパイロットの方が、余程肝が据わっている。レールガンを乱射しながらビームサーベルを閃かせるゲイツRに、オイレンは口元を緩めた。

 ザラ派だクライン派だという派閥争いに興味はない。テロリストと正規軍の区別にも興味が無い。自分のパイロットの腕を買い、それを発揮する場を与えてくれるのであれば、オイレンはそこに身を投じる。そこのみが彼の存在意義だからだ。ゲイツRの機体が宇宙空間を跳ね爆発する。

 僚機が設置されたメテオブレイカーを破壊した時、信号弾が上がるのを見た。オイレンは鼻で笑う。

「サトーって言ったか・・・・・・失敗したのはテメーだけだ」

 全機に突撃を命じたその信号弾を無視するように僚機に伝え、彼は別の信号弾を打ち上げた。これ以上留まれば、自分達も重力に捕まる。母艦の位置を確認すると、オイレンはジンを帰還させる。

 次の戦場はどこになるのか、それだけが彼の気掛かりだった。

 

 

 

 

 

 天変地異とはこの事を言うのだろう。ただ一つ違うとすれば、それが人の手によって起こされたものだという事だ。空を彩るのは無数の流れ星。いや、その星は流れるのではない、落ちてくるのだ。

 プラントのテロリストが敢行したユニウスセブンを使用した大規模質量弾攻撃。ザフトによる破砕作業は不十分なものに留まり、大量の破片が地表に落下を続けているのだ。ユーラシア連邦は、その被害を最も受けている地域の一つである。

「イベリア半島は破片の落着コースから離れています。慌てず落ち着いて避難して下さい」

 各地の基地から軍部隊が緊急出動し、民間人の避難誘導を行っていた。破片が地表に衝突する事によって、ユーラシア西側地域は断続的に大地震に見舞われている。建物の倒壊に伴う都市での被害、道路の寸断や土砂災害による交通の途絶によって、民間人のパニックを抑える事は不可能に近かった。

 報道も混乱し、デマがデマを呼んでいる。津波によってリスボンが消滅したという噂まで流れている。だが、ローマが消滅した事は事実であるらしい。にわかには信じがたいが、無事であるという話より信憑性がありそうだ。

「全機、発進は俺の後だ! 俺より先に発進した者は撃ち落す!!」

 カルロス・アストゥリアスは、苛立ちを誤魔化すように大声で怒鳴った。あと半年もすれば正式に後方勤務になるという時に、この状況である。コクピットの中で、ジリジリとした時間を過ごす。

 彼らの任務は一般市民の避難誘導ではない。この混乱に乗じて、ジブラルタルのザフトが再侵攻を行わないよう、監視する事にある。同時に、連合がこの状況でジブラルタルに対する攻撃を行わないように抑え込む事も任務である。戦争など、していられる状況ではないのだ。

 内陸の町に住む家族は、とりあえず無事だと信じているが、地震と空から落ちてくる物は、誰に対しても安全な場所など与えはしないだろう。冷静さを保つ事が、これほど難しいとは思わなかった。再びジブラルタルに突入し、その場にある全てのものを破壊したい衝動を、深く息を吐いて落ち着かせる。

「そんなに、地球人を殺したいか・・・・・・コーディネーターよ」

 地球はエイプリルフール・クライシスの痛手からようやく立ち直ろうとしていたところだ。そこに再びこれである。一体、何人、いや何十億人の地球人を殺せば気が済むというのだ。

 前大戦の最終盤、連合はプラントに対する核攻撃を行った。そこで二千万人のプラント住民を殺しておけば、今日この日に数億の地球人が死ぬ事はなかったであろう。核攻撃を主導したのはブルーコスモスだという話だが、先見の明は彼らの方にあったようだ。

 通信機が揺れて、モニターにデータが表示される。アテネ近郊に落着した破片の大きさとその破壊規模を示すデータである。

「アテネも、消えたのか・・・・・・」

 その衝撃に重要な情報を見逃すところであった。エーゲ海を起点とし、地中海全域に津波が押し寄せる事が示されている。大西洋側からの津波も第三波の到着が予測されていた。

 カルロスは全MSに発進の準備をさせる。基地では職員達が輸送機に乗り込み始めていた。予測される津波の規模から、この基地の壊滅は避けられないのだ。定員をむかえた輸送機から順次発進していく。ザフトによる撃墜を避けるため、輸送機一機に付き二機のMSを護衛につけ、戦闘機やヘリの類も発進させる。

「間に合わねぇ!」

 大型輸送機の護衛に付いたカルロスは、水平線が盛り上がるのを見た。それは見る間に高さを増し、海ではなく山のような様相を呈する。MSや戦闘機は急発進するが、基地職員や兵士の収容を続けている輸送機がまだ残っている。

 絶望的な光景が現れ、地上のものは等しく押し流された。そして一帯は海の底へと沈む。

 

 

 

 

 

 世界は彼女に失意の時間など与えてはくれなかった。核エンジンを利用した新型MSの開発は頓挫、ユーラシアは十分な軍事的プレゼンスを有する事ができないまま、ブレイク・ザ・ワールドによる大被害を受けてしまった。

 プラントに対する報復核攻撃も失敗し、逆に月における連合の優位性を担保していた虎の子のNJC核弾頭のほとんどを失う結果となっている。月の連合軍は基地防衛以外の活動余力を無くし、ブレイク・ザ・ワールドによって疲弊した連合各国は、プラントに対してその責任を問う力すら失った。

「これが戦争、か」

 疲れ果てたようなため息とともに、アリシア・ルイーズ・ド・ヴァロアがつぶやく。旧世紀の世界大戦において、一般市民の居住区に対する無差別絨毯爆撃という戦術が採用された。軍隊ではなく国民そのものを標的とするその攻撃は、国力に対する直接的な打撃と、国民の戦意を喪失させるために行われた。

 プラントの行ったユニウスセブンによる大規模質量弾攻撃は、まさに地球全土に対する無差別絨毯爆撃である。彼らの狙い通り、連合各国の国力は削り取られ、市民は戦意を失った。

 プラントはそこに付け込み、人道援助の名目で支配地域を広げている。ユーラシア連邦の西側は、もはや完全にザフトの植民地と化していた。

 執務室の緊急コールが鳴り、非常用モニターが自動点灯した。幾度か画面が切り替わり、ようやく安定した画像には見たことの無い光景が映る。その場所をベルリンだと特定できたのは、ブランデンブルク門の姿が一瞬だけ映ったからだ。その門は薙ぎ払われるビームの奔流によって消失した。

「何事か!?」

 誰もいない部屋で、アリシアは叫ぶ。ベルリンを焼き払おうとしている巨大MS、それには見覚えがあった。

 核エンジンの試験稼動のために使用していたMSは、インド洋上で破壊されたはずだ。計画は中止され、関わった者達も処分したはず。それを誰が。執務室の外で、警備の者が怒鳴りあう声が聞こえる。

 ドアが開けられ、ダークスーツの人間がずかずかと入り込んで来た。彼らは居丈高に何かを言い、アリシアに書類を示す。逮捕令状であった。容疑は、ブルーコスモスに対する国家機密の漏洩。スーツの男がモニターを指し示す。

「あれに関する事、洗いざらい話していただく」

「こういう事だけは手が早いな、参謀本部も」

 計画中止後も、ブルーコスモスは独自の研究を続けあのMSの開発にこぎつけたのだろう。ユーラシア軍は、そのブルーコスモスの動きを黙認していたのだ。だが、そのブルーコスモスは、何故かユーラシア自身をその攻撃の標的とした。

 巨大MSの開発を黙認しながら、肝心のブルーコスモスを統制できず、結果として国内に大きな被害をもたらしザフトに介入の口実を与えた。その責任を誰が取るのか。

「つまりは、そういう話だろう」

 アリシアの低い声に、スーツの男の腰が引ける。彼女の影響力を削いでおきたいと考える人間は少なくなく、渡りに船とばかりに罪を押し付けたのだ。構図が見えてしまえば、抵抗する気力すら失う。

 参謀本部でもこの映像は見ているはずだ。しかしそれを見ながら彼らが考えた事は、ベルリンへの支援でもユーラシア連邦の復興でもなく、自己の保身と他者を蹴落とす事であった。アリシアは言われる前に歩き出す。

 今考えるべきは、この場を切り抜けることではない。ワーテルローで負けない算段を今から考えておかなくてはならないのだから。

 

 

 

 

 

 食卓に皿を並べ終え、二人だけのささやかな夕食が始まる。冬となれば日没も早く、外はすっかり暗くなっている。月明かりに照らされた山肌の雪だけが、ぼんやりと光って見える。

 アルプスの山々を望むこの地に腰を据えたのは、つい最近の事であった。残務整理や業務の引継ぎ、関係者への挨拶回りなど、なかなか身軽になれなかったのだ。もちろん、片田舎で隠居を決め込むような年齢ではないが、プライベートな時間を優先しても構わない時期なのだろう。少し失敗した手作りのシャーベットを二人で笑いあう。

 食器洗い機が止まる頃、居間のテレビが夜のニュースを流し始める。トップニュースは、プラント最高評議会議長の出した緊急声明であった。

「ロゴス、か」

 ブレイク・ザ・ワールドに伴う政情不安下に、この声明は抜群の効果を発揮するだろう。出来の悪い陰謀論は、敵味方の判別がし易くなっているものだ。ルーファス・リシュレークは冷ややかに笑った。

 これによってプラントは、連合各国の産業基盤を内部から突き崩すつもりなのだろう。今の世の中、純粋な軍需産業など子会社・下請けなどのレベルにしか存在しない。プラントがロゴスと名指しした企業は、どこも民生品売上高の方が多い。

 それ以上に傑作なのが、名指しされた企業の中にモルゲンレーテやFUJIYAMAのような、真っ先に槍玉にあげられるべき企業が上がっていないのだ。その裏側を調べれば、非常に面白い事になっているだろう。テレビ画面に映されている顔写真を眺めながら、ルーファスには失笑しかない。

 だが、そんな見え透いた虚構に人々が熱狂するだろう事を想像すると、その失笑もため息に変わる。彼が経営していた会社の幹部や、彼の実家の人間も顔写真のリストに挙がっている。もはや義理すらない連中だが、ほんの数ヶ月タイミングがずれていれば、あそこに自分の顔が映ったのだと思うと、背筋に震えが走る。

「人間万事塞翁が馬、だな」

 東アジアの格言を思い出し、今の幸福にただ感謝する。同時にそれが移ろいやすいものである事を自覚し、それを維持するために努力しなければならない事を覚悟する。横に座る妻の肩を抱き寄せた。

「ルーファス・・・・・・」

 ちゃんと名前で呼んでくれるようになった彼女のためにも、自分がしっかりしなくてはならないのだ。家の名前や会社の肩書きは消え、一人の人間として社会に対峙し、一人の男としてこの女性に向き合わねばならないのだから。

 だがそれは、男を奮い立たせるものである。掛け値なしの自分自身で、何をどこまでできるのか。武者震いを感じるほどであった。そのまま、妻の首筋に口付けをした。

「・・・・・・アルテシア」

 愛しい夫の甘い声に、彼女は身を震わせる。そのままソファーに横たえられ、テレビと電気が消される。

 静かになった室内に、切なく荒い吐息だけが満ちていく。

 

 

 

 

 

「それくらいは予測して当然だろう。残存艦の指揮権は本艦が受け持つ!」

 アイスランドの地球軍要塞に攻撃を開始したザフトと連合の合同艦隊は、要塞防衛のために配備されていた五機の巨大MSの砲撃によって、いきなり三分の一を消し飛ばされる結果になっていた。ザフトの手前、功を焦った連中の勇み足である。要塞砲の存在すら考慮していない素人の指揮であろう。

 穿った見方をすれば、ザフトが連合艦を利用して要塞に配備されている兵器の威力を確かめたとも取れるが、そのザフトも本命の軌道降下部隊を強力な対空兵器によって一掃されるという大損害を被っていた。同じ手が何度も通用すると考えている、馬鹿の発想である。

 ゲンヤ・タカツキは、艦の速度を落とさせた。生存者の救助や、艦隊の取りまとめなどを行わなくてはならない。ザフト側にそれを了解させ、東アジアから参加した艦隊は合同艦隊から遅れる形となった。

「訳の分からん戦争だ、言いだしっぺに始末は付けさせろ」

 ゲンヤは双眼鏡で、水平線の彼方に見える戦闘の光を見つめていた。対ロゴス戦争と銘打たれた戦争は、それこそ敵が不明確な戦いである。大西洋やユーラシアの都市部では反ロゴスを標榜する暴動が頻発しているという話だが、どれも市民暴動のレベルを超えていた。

 重火器なども使用されていることから、何者かが市民暴動の形を取って連合各国の産業界要人の暗殺を行っているのではないかと囁かれている。この戦闘は、おそらくその総仕上げなのだろう。東アジアはその勝ち馬に乗ろうとしているのだ。

 理解の出来る戦争などという物はありえないが、納得の出来る戦闘という物は存在する。少なくともゲンヤにとって、アイスランドまで出向いての艦隊指揮など、納得の出来るものではありえない。だから、艦隊をむやみに前に進めることをしないのだ。ザフトのための戦争なら、犠牲を出すのはザフトであるべきだ。

 

「それでは格好もつかないでしょう・・・・・・」

 生き残った空母の上に、発進準備を整えたウィンダムがせり上がって来る。メイファ・リンの視線がコクピット内を走り、全ての表示が正常である事を確認する。ザフトとブルーコスモスの戦闘で死ぬなどバカバカしいが、論功行賞でマイナスの査定が付けられる事態は避けなくてはならない。

 ザフトの部隊もあの巨大MSにてこずっているようで、戦闘に参加する振りくらいはする余地がありそうだ。部下にはその旨を徹底させ、メイファはブリッジに合図を出す。蒸気カタパルトの湯気と共にウィンダムが打ち出される。

 軌道降下部隊を全滅させられたザフトは手駒不足のようであり、少数ながら特殊で強力な兵器を有するブルーコスモスの部隊に苦戦を強いられているようだ。他の連合の艦隊も、東アジア同様に様子見という態度を取っているため、ザフトの苦境は必然であった。メイファは自分達が突出し過ぎないように、注意深く戦線を観察する。

「!? デカブツが落ちた?」

 巨大な爆発にメイファの視線が流れる。先ほどまで大量のビームを振りまいていた巨大MSの一団が、混乱したような動きを見せている。カメラを望遠に切り替えると、特殊な形状の戦艦と三機のMSが突出しているのが見える。

 特に先頭に立つMSの性能は異常であった。そのMSは、尾を引く美しい燐光を纏うように巨大MSに肉薄し、その手にした実体剣で二倍以上ある敵を軽々と切り裂いていく。常に味方の前に出て行くような戦い方は、機体の特性というよりパイロットの性格であろう。

「・・・・・・見とれてる場合じゃないわね。全機突撃!」

 無線に怒鳴ると同時に信号弾を打ち上げる。あのMSのお陰で敵部隊が大きく撹乱された。中核であった巨大MSを失えば、敵の防衛線は一気に崩壊するだろう。その機を逃す手はない。タダで手に入る手柄は、ありがたく受け取っておくものだ。

 メイファの率いる部隊は、戦線を整えようと後退する敵部隊の追撃に入る。不恰好に宙に浮かんでいるゲルズ・ゲーを上下に斬り離した。

 速度を上げながら、メイファのウィンダムが敵ウィンダムを撃ち抜く。自分の乗る機体と同じだという事に嫌な気分を覚え、彼女は機体を急降下させた。そのままザムザ・ザーの腹部に回り込み、がら空きの胴体にビームサーベルを突き立てる。

 

 

 

 

 

 オーブ軍の動きに生気が戻る。ようやく指揮系統が正常化したらしい。

「ま、サボタージュが解除されただけなんだけどね」

 ユイ・タカクラの乗るムラサメが、先頭を切ってザフト艦隊に攻撃を開始する。水上に浮かび上がりミサイルで対地攻撃を行っている潜水艦など、的でしかない。直援のディンを一蹴して大型魚雷を投下する。一気に軽くなった機体を変形させると、背後を取ろうとしたグフを袈裟懸けに斬り捨てた。

 ブルーコスモス残党がオーブのセイラン家に身を寄せた事は予想通りである。それに対するザフトの軍事行動も完全に予測できていた。ただザフトの動きが早く、オーブへの支援部隊降下が後手に回ってしまった。

 本来なら、支援部隊の戦力を背景に「穏便」にオーブを奪還し、ザフトの攻撃に備えるつもりだったのだが、ザフトによる攻撃を受けている最中にそれをやらねばならない事態に陥った。多少は強硬手段も仕方ないだろう。ブルーコスモス盟主とともにセイラン親子は宇宙に上げる算段だったのだが、どうやらここで消えてもらうしかないようだ。

「ザフトが始末してくれれば楽なんだけどね」

 ザクのビームライフルをシールドで受け止め、グレネードを撃ち込んでバックパックを破壊する。ウィザードと呼ばれる換装システムのパージで爆発を免れたザクは、なんとか地上に降り立つが、背後から迫る赤い塊にそのまま轢き殺された。降下部隊は良い働きをしてくれているようだ。

 ザフトも反撃を開始したオーブ軍への対処で手一杯であり、ブルーコスモス盟主の捜索とその拘束などを行う余裕はないであろう。彼にはもう少し生きていてもらわねばならない。

 プラント最高評議会議長の策動によって、ロゴスと名指しされた経済界の重鎮は軒並み消された。あとは盟主を宇宙に上げ、議長とともに潰し合いをしてもらうだけだ。消耗して生き残った方を排除すれば、労せずに地球圏を掌握できる。経済基盤に打撃を受けた地球圏である、全ての経済権益は勝者が自由に設計して使用することが出来る。

「ターミナルに春が来る」

 ユイは楽しげにそういうと機体を振った。バビのビームをやり過ごし、棒立ちになっているその機体にビームライフルを撃ち込む。しかし、思ったよりも周囲の敵が減っていない。

 カメラを回すと、空の一角に戦闘の光が瞬いているのが見える。支援降下部隊の中核であるはずのMSが、一機のザフトMSに拘束されているのだ。核エンジン搭載の最新鋭機を、現在考えうる最高の生物が操縦しているのである、どうしてただの一機にてこずるのか。

 敵の機体は、ニューミレニアムシリーズの一機から分離合体機構と武装換装システムをオミットしたデチューン機であり、量産化を前提とした先行試作機のはずだ。一応は核動力という事になっているが、ザフトでは技術者の大量流出によって核エンジンの安定起動が技術的に不可能になり、デュートリオン送電システムとの併用によってそれを補うという、非常に中途半端で無駄の多い動力源を採用せざるを得なくなっていた。

 アイスランドでは大きな戦果を挙げたというが、所詮は浮き砲台相手の戦果であり、彼女らの組織が送り込んだ最高傑作相手に、まともに戦えるはずがないのだ。

 舌打ちしたい気分を抑えて戦闘を見守っていると、小さな信号弾が上がるのを見た。ブルーコスモス盟主を乗せたシャトルが無事に宇宙に上がったという連絡である。

 

 

 

 

 

 数年は客足が止まるだろう。ブレイク・ザ・ワールドの被害が北半球の特に大西洋岸に集中していたため、付近に大きな被害は特になかったのだが、観光客の多くはユーラシアや大西洋連邦からの人であるため、観光地としては大打撃であった。赤道連合でも津波被害を受けた都市がいくつかあり、国内の政治経済も混乱が収まっていない。

「ほらほら、今日は団体さんが来るんだよ」

 店にはっぱをかけるような声が響き、グェン・ヴィレンは頬を叩いて気合を入れなおす。念願だった食堂を開き、さあこれからという時に地球規模の災害である。店もしばらくの間は、沿岸部から避難してきた人の、非常炊き出し場所になっていた。ちゃんと店として活動できるだけでもありがたいと思わなければならない。

 今日は、この地域の観光資源でもある遺跡の保存調査のために、大学の合同研究隊がやってくる日であり、久しぶりにまともな料理の腕が振るえるのだ。颯爽と店の掃除を始めた妻の姿を見ながら、料理の下ごしらえを始める。

 窓の向こうから風に乗って、揚げ物の匂いが漂ってくる。同時に内燃機関特有の音が響いてきた。その音が止まり、子供の声が聞こえる。

「頼まれてた野菜持って来た」

「持って来たじゃない、ちゃんとここまで運ぶ」

 厨房に飛び込んできた子供達が再び外に飛び出すと、それと入れ違うように少女がダンボールの箱を抱えて入ってくる。

「お父さん、これは冷蔵庫?」

「とりあえず入れといてくれ。それよりカフネ、一夜干し、取り込んでくれたか?」

 いっけないと小さく叫び、カフネも厨房を飛び出していく。子供達ががやがやと仕入れてきた野菜を運び込み、包丁の音がリズミカルに響く。

 籠一杯に開いた魚を入れて戻ってきたカフネは、エプロンをつけてグェンの隣に立つ。子供達の昼食は彼女の仕事なのだ。まだまだ図面を引くようには上手くいかないが、それでもかなり上達したと思う。

 出来上がったブンボーフエをテーブルに並べる。掃除の終わった店内の一角から、いい匂いが立ち上る。一番下の弟の口の周りを拭きながら、カフネは天気予報を見ようとテレビのリモコンを押した。

 いつもの時間なのに天気予報の画面にならないので、時計が止まっているのかと思うが、どうやらニュースの時間が延びているらしい。また何か事件だろうかと、カフネは身構えてしまう。

「・・・・・・続報です。プラント最高評議会議長による声明発表が伝えられました。これよりその模様を中継します」

 どこのチャンネルを回しても、同じ画面だった。彼女も知っているその人物は、デスティニープランなる政策を全世界に向けて発表しているようだ。よく分からないが、所信表明演説や一般教書演説みたいなものだろうと思い、テレビを消した。プラントがどんな政策を行おうと、ここには関係のない話だ。

「何だって?」

「知らない。ほら、お片付け終わったら宿題だよ」

 文句を言う弟妹を追い立てるように、カフネは食器を厨房に返させる。母屋の中に消えていく子供達の後姿を見ながら、グェンとその妻は顔を見合わせて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 艦内とは思えないほど広いブリッジ、正確には作戦司令室だが、そこは今錯綜する情報が右に左に行き交っている。作戦を発する場所であるため、上から降りてくる命令が混乱しているのではない。出した指令が正確に受理されないのだ。

「レーザーで直接伝えろ! 本艦の位置などとうに知られている!」

「全ての着艦許可を一時凍結! 接近してくる物には警告射撃後の発砲を許可する!」

 コンドワナの司令室で、サイモン・メイフィールドは他の将校同様に声を枯らしながら指示を出し続けていた。

 月面に逃れたブルーコスモスは、強力なレーザー兵器によってプラントを直接攻撃した。月軌道艦隊を主力とするザフトはその兵器が設置された連合基地・ダイダロスを奪取し、プラント崩壊に伴う混乱に乗じて軍事侵攻を企てた大西洋宇宙軍の艦隊をアルザッヘル基地ごと撃滅する。

 だが、ブルーコスモス残党が宇宙に逃れる事を幇助したオーブ軍と、ザフトに対するテロ攻撃を繰り返していた武装集団が結託し、ザフトは掌握したはずのダイダロスを破壊されてしまった。現在、機動要塞・メサイアとゴンドワナを最終ラインとするように、ザフトは戦線を構築している。

 ダイダロスを巡る攻防戦によって月軌道艦隊は損耗し、プラント崩壊の影響で本国の防衛艦隊は機能を失っている。すなわち、メサイアとゴンドワナのラインを突破されれば、プラントまで遮る物は無くなるのだ。

「そうなればオーブとテロリストにプラントを奪われるのだぞ!」

 そんな事は分かっていると、サイモンは苛立たしげに振り向いた。喚くだけで自分の責任も、状況の打開策も口にしない司令官など無駄の一言だ。そもそも、このような状況になることはずっと以前から予測できていたではないか。

 ザフトに軍人としてのモラルなど存在せず、勝ち馬に乗るための裏切りは奨励されるのだ。元議長と前議長の子供がそうなのだ、下の人間がそれに倣うのは当然だろう。今も、現議長の配慮によって連合への戦犯引渡しを免れ、国内法廷で無罪まで出してもらった人間が先頭を切ってザフトに対する攻撃を行っているではないか。

「構わん、ボルテールは落とせ!」

「ぶち当ててでも落とします!」

 つい最近まで艦長を務めていたクルックスからの通信に、サイモンは思わず笑ってしまう。クルックスが無事なままでいられるとは思わない、だがそれでも部下に裏切りを勧める無能に成り下がったつもりはない。

 ラクス・クラインを名乗る者の放送だけで混乱してしまう軍隊における有能さとは、きっと信念もなくその場の状況に流され口先だけの正義に身も心も委ねられるガキの有能さなのだ。そこで大人でいる事は、どこまでも難しい。

「敵の攻撃がメサイアに集中しているな」

「議長さえ殺害すれば、ということか?」

「もしくは・・・・・・ゴンドワナを押さえる目途がついている?」

 サイモンは直ちに艦内の全隔壁の閉鎖を進言する。周りに気を取られて足元に気を配っていなかった。ゴンドワナ乗組員にも、当然裏切り者はいるはずだ。ブリッジと司令室が遮蔽モードに移行し、外部からの侵入を防ぐ形となる。

 艦内のチェックを行うと、サイモンの進言がギリギリで間に合った事が判明した。反乱兵のいた八つの区画が切り離され爆破される。胸を撫で下ろす暇もなく、メサイアで大きな爆発が確認された。

 

「博士、こっちです!」

 スタッフとともに、兵士の先導を受けて脱出口を目指す。いつの頃からか、研究に費やす時間と逃亡に費やす時間が同じくらいの長さになっているように思う。時間の無駄とはこの事だ。

 議長は、自分の政策が一部の人間から強硬な反発を受ける事、その一部の人間が私的な軍事力を有し国家を操作する影響力を持っている事を事前に分かっていたのだろう。だからこそ、研究施設をそのまま機動要塞にした。

 ただ一つ分かっていなかったのは、敵が機動要塞レベルのMSを有していたという事であろう。それに関しては議長に同情もする。そんな事を予測できる人間などいるわけが無い。

 着慣れないノーマルスーツに着替えて、空気の抜け始めた施設内部を進む。研究者の脱出が進んでいるのか、施設内は思ったより静かである。トルベン・タイナートは、立ち並ぶ量子コンピューターを横目に眺めながら、もったいない思いを抱いた。ようやく研究の端緒が見え出したところだったのだ。

「全くもって意味不明だよ」

 デスティニープランの発表は、彼も周りのスタッフから聞いていた。あの少女の言葉ではないが、被選挙権をコンピューターが決定し、結婚相手を遺伝子診断で決定するプラントとしては、別段珍しい政策ではない。プラントの国内政策である以上連合各国には無関係の話であり、戦争の理由となるような考えではないのだ。

 それがどういうわけかこれである。周りの人間は彼の事を変わり者だというが、彼に言わせればこんな事態を招く人間の方がはるかに変わり者だ。

「博士、急いでください」

 足を止めたトルベンに、通信機から声が聞こえる。彼は一度後ろを振り返り、それから走り出した。

 今一瞬だけ見えたパイロットスーツの人物。見間違え出なければ、データにあった「最高のコーディネーター」であろう。人工子宮研究の、現時点で確認されている唯一の成功例。遺伝子操作によって作られた遺伝子が全て正確に発現している個体である。

 しかしあれをもって「最高」と名付けてしまったユーレン・ヒビキは、科学者ではなく技術者であろう。もし神がいるのであれば、あんな設計図を引くはずか無い。所詮あれは「人の考えうる最高」でしかないのだ。だから、人の考えうる最高の結末しかもたらさない。

「勝利と権力か・・・・・・」

 一体、それのどこに魅力があるのだろう。トルベンはそんな事を思った。そして神の設計図を追う自分のことを、周りの人間は同じ目で見ているのだろうと思う。その違いを、説明する気にはなれない。

 

 

 

 

 

 夕焼けの空の色は、えも言われない赤である。ブレイク・ザ・ワールドによって巻き上げられた粉塵の影響だという。地球規模での気候変動は確実視されており、世界中が毎日のようにこの不安な赤を見上げている。

 自転車を漕ぎながら、ユウキ・ナンリは視線を戻した。真っ赤な水平線は、見ていて気持ちのいいものではない。ようやく伸びた髪が風に揺れる。

 被害の小さかった大洋州でも、プラントの政変とそれに伴うカーペンタリア基地の体制変更によって、ずいぶんと混乱していた。両親は基地の仕事を解雇され、彼女もアルバイトの口を失っていた。それでも、一つ上の学校に通わせてくれている事に感謝しながら、彼女は自転車を置き場に止める。

「まだ、帰ってきてないんだ・・・・・・」

 郵便受けに入っていたチラシを掴んで、アパートのドアを開ける。最近引っ越したばかりのアパートは、両親と暮らすには少し手狭だ。短期のパートで家計をやりくりしている両親のためにも、早い事アルバイトを見つけなくてはならない。

 部屋の窓を開け放し、空気を入れる。夕飯の支度に取り掛かろうとした時、風が吹き込んできた。食卓の上に乗せたチラシが吹き散らされる。

 ユウキは一枚の封筒を見つけて手に取った。

 あちこちの郵便局に転送されていたらしいそれは、いくつもの消印が押されていた。一番古い日付は二年ほど前のものだ。宛名は、彼女の名前となっている。少し古びた色になっている封筒を開けた。

 便箋に目を通すと、彼女は天を仰いだ。

 簡素な文面はいかにも彼らしいと思う。ディルク・フランツ・ツェルニーが、あの日の非礼を詫びていた。それ以外には何も書かれていない。どこに行くとも、彼が何者なのかも。ユウキは、便箋をそっと胸に押し当てる。

 何も書かれていなくても分かった。彼にはもう決して会えないのだと。彼の事を何も知らなくとも、彼がそういう人だという事は知っていた。まぶたに映る彼の寂しげな顔に、さよならを言う。

 便箋を丁寧に畳み、封筒の中に戻す。自分の部屋の机の引き出しに、それを隠すように仕舞った。

 明日、髪を切ろう。そしてまた伸ばそう。ユウキはそう思う。窓の外の赤い空が、少しだけ滲んで見えた。


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