HACHIMAN VS 八幡 〜 オレハオマエデオマエハオレデ・いやちげぇから。こっち見んな 〜 作:匿名作者Mr.H
この1年間、毎日のように訪れるハメとなったこの空き教室。
最初こそ、嫌々を通り越して隙あらばいつでも逃げ出す準備万端で通っていたこの教室も、今ではすっかり俺の第2のベストプレイスとなってしまった。
他人は一切信用せず、他人との関わりにも一切希望を持つことを諦めていたはずの俺が、今や唯一学校でくつろげる場所だったあのベストプレイスよりも、さらに心安らげる場所として認識してしまっているのだから、本当に人間ってのは分からないもんだ。
そして俺は今日も常と変わらずこの場所へとやってきた。
しかしその目的はいつもとは全く違う。心安らぎに来たのではない。心安らぐ場所を守る――いや、さすがに守るなんてのは俺にしては随分とおこがましいが、それでもそれに準ずる程度の気持ちは持ち合わせているつもりだ。
ひっそりと静まり返った教室の扉の前に立つ。しかし中からは何一つ声も音も漏れては来ない。
多分あの偽者の最終目的地はこの場所のはず。しかしそいつと雪ノ下の声が何一つ聞こえてこないということは、この騒動はすでに終結してしまったのだろうか?
――俺が密かに憧れを抱いている雪ノ下雪乃は、とても強く美しい。いや、あいつは強いばかりでなく、本当は脆く壊れやすい弱さも同時に有しているけれど。
むしろそんな弱さを抱えながらも、誰よりも強くあろうと不遜に振る舞うその姿が、あいつの凛とした美しさをより一層際立たせている気さえする。
あいつは己が正しいと信じたことにはどこまでも真っ直ぐに強い。そんな雪ノ下だからこそ、薄っぺらく下らない妄言を吐き続ける偽者の戯れ言などには揺るがないと、そう思っていた。
しかし扉を開けた俺の目に映ったのは、いつもの場所、いつもの席にそっと佇む、いつもとはどこか違う1人の少女。
凛と佇むでも不遜に振る舞うでもなく、その美しい姿は、今にも消えてしまいそうな儚さで。
「雪ノ、下……?」
呟くように問い掛けた俺に届いたのは、なんの感情もないかのような仄暗い瞳を向けた雪ノ下の、無表情な微笑混じりのこんな一言だった。
「……あら、あなたはもう……ここへは来ないのでは無かったのかしら」
そう言い放った雪ノ下の仄暗い瞳からは、大河に至る源泉からとめどなく溢れる湧水の如く、枯れることを知らない大粒の涙が流れ続けていた。
***
「偽……者?」
未だ水滴が頬を伝いながらも、幾分光を取り戻した瞳を大きく見開き、雪ノ下はこてんと首をかしげる。
哀しみの涙を流しつつも、この不安と希望が入り交じるかのような弱々しい姿に庇護欲を存分に刺激された俺は、あまりの可愛さと愛おしさに、雪ノ下をそっと優しく抱き締めた……妄想にいそいそ励みながらも、歯を食い縛ってなんとかその欲に打ち勝ったのだ。
あぶねーよ、あと一歩で抱き締めて頭なでなでとかしちゃうとこだったじゃねぇか。
てか俺、頭なでなでなんて小町以外には出来ないからね? せいぜいルミルミとかけーちゃんくらい歳が離れた女の子が限界ですから。
「す、すまん、ついお兄ちゃんスキルが発動しちゃってな……っ///」なんて頭がしがし掻いて照れくさそうに頭なでなでしちゃうくらいなら、ディスティニーの帰りに一色にやっちゃってるから。そして全力でキモがられて全力で振られてますから!
八幡の頭なでなでをそんなに安売りしないでください。そんなに安い男じゃないんだからね!
あ、あと語尾にスラッシュとかマジ勘弁してください。
「そう……偽者、だったのね」
最初こそ何を言っているのかしらこの男はと言わんばかりの、まるで不思議なモノでも見るかのような眼差しだったのだが、雪ノ下はそう言って納得すると、自身の言葉を噛み締めるように何度も小さく頷く。
「……意外だな。お前がこんな非現実的な事態をあっさりと飲み込むなんて」
なにせ平塚先生でさえ最初はあれだけ訝しがっていたのだから。
教師に対して“さえ“とかさすがに失礼かもしれんが、それは数居る大人の中でも、平塚先生は特にこういった事態に造詣が深いだろうからだ。端的に言うとあの人オタクだから☆
しかし雪ノ下はアニメにも漫画にもラノベにも精通してはいないだろう。誰よりもリアリストであるこいつが、よくこのふざけた事態をすぐに理解したものだ。
だがまぁそうか。こいつもオタクっちゃオタクか。読書の。
一般文芸でもファンタジー物の名作なんていくらだってあるし俺だって読む。重度の読書家でもある彼女のことだ。だったらこいつだってそりゃ読むよな。
「確かにそうかもしれないわね」
そう言って薄く笑う雪ノ下の表情は、先ほどに比べて幾分軟らかく、そして幾分熱を感じる。
とにかく、あの雪ノ下がなぜ薄っぺらい偽者の言なんかに涙してしまったのかはまだ謎だけれど、とりあえずはこれで一先ず大丈夫そうだ。
するとそんな弛緩した空気を感じ取ったのか、雪ノ下は俺をからかうように悪戯な微笑みを見せる。
「ふふ、だって先ほどのあなたの顔、あまりにも整っていたんだもの。こうして目の前に無惨な現物を晒されてしまったら、あれが本人では無かっただなんて誰にだって理解できるわ、自称整った顔立ち谷くん?」
「……さいですか」
どうやらファンタジー物の小説のおかげではなく、俺の顔のおかげだったようです。
……悪夢からでも一発で目が醒めるような無惨な現物で悪うございましたね。こんな現物でも何かのお役に立てたのなら幸いです。
あとちょっと俺の苗字斬新すぎやしませんかね。
……ったく、やれやれ。本気でもう大丈夫そうだな。多分こいつも俺を安心させる為にわざとやってんだろ。……わざと、だよね?
「それにあなたのようなコミュニケーション不能……不得手の男が美しい女性を2人もはべらせているなんて、どう考えても比企谷くんとは別人でしょう?」
「ちょっと待て、なんだそのはべらせてたってのは……誰をだよ」
ここにきての更なる追加シナリオ投入で、もうこの際コミュニケーション不能の件は流しちゃう! ……これ本当に俺を安心させる為のわざとなのかしらん(白目)
「あら、折広さんと結城さんに決まっているじゃない。そう、成績学年2位の折広メアリーさんと話題の転校生、結城明日奈さんよ」
また出てきちゃったよメアリー&アスナ!
てかそのネタまだ引っ張るのん? まず間違いなく俺にはそのネタ回収不能だからね?
だって話したこともない美少女が2人も出てきたら緊張して話せなくなっちゃうからッ!
「……ん? 学年、2位? そいつって2位なのか?」
あれ? 由比ヶ浜のやつ、オリヒロメアリーは雪ノ下以上の才女とか言ってなかったっけ?
「あら、それは学年3位の私に対する当てこすりかしら、学年1位の比企谷くん」
「」
……オーケー、そういった流れね。はいはい俺スゲー俺スゲー。 キャー! ハチくーん! 強い上に頭脳も明晰の完璧超人だなんて素敵ぃ! 抱いてぇ!
「……なぁ雪ノ下、俺の国語の成績は?」
「学年3位だと偉そうに何度も意味のない自慢をされたのだけれど」
何度もはしてねーよ。
「じゃあ国語以外の文系科目は?」
「まぁ、確かそこそこだったのではなかったかしら?」
「で、理系はどうだった」
「……さっきからなぜそんな無意味なことを聞くのかしら。それはもう惨憺たるものという以外に言葉など不要じゃな、い……?」
どうやら雪ノ下は自分で言ってて矛盾点に気が付いたご様子。
「……ああ、つまりそういう事ね。あれは比企谷くんの願望が形になった姿なのね」
「いやなんでだよ……」
「ふふ、分かっているわ。だってあなたがあのような姿を望んでいるのだとしたら、少し気持ちが悪いもの」
気持ち悪いのん? てかなにそんなに愉しそうに微笑んでんだお前。いいだろ俺が完璧な自分の姿を夢見てたって。
いや、確かにキモいよね。普段孤高を気取ってぼっちを満喫している俺が、実は文武両道容姿端麗、誰からも好かれる人気者でイケメンなおっれぇ! なんて自分を望んでたとしたら、たぶん戸塚でさえ引いちゃうと思うわ。
な、なに? と、戸塚に引かれちゃうだと……!? ニセモノ絶許。
こうして俺は、偽者に対しての殺意が8万倍に跳ね上がったのだった。
「……あなたの顔に免じてただの妄言ではないと信用してはいたのだけれど、これで本当に確信が持てたわね」
すげぇな俺の顔。VIPもびっくり顔パスだよ。
「ではやはり、……その……」
すると雪ノ下は、なにか言いづらそうに急にもじもじと目を泳がせる。どうやら雪ノ下はなにかが気になっているようだ。
なにかな? 告白とかされちゃうのかな?
「あ、あなたが学年1位というのは偽者の単なる虚言であって、やはり私の方が上なのね……?」
やー、そっちでしたかー。
「あたりめーだろ。ついでに折広も存在しねぇからお前が1位な」
やだわぁ、雪ノ下さんったら。机の下で「っし!」と小さくガッツポーズしてるの丸見えなんだから〜。どんだけ俺に負けてたのが悔しかったんだよ。
不思議現象<<超えられない壁<<負けず嫌い なゆきのんカワユス。
「ま、まぁそんな事は特に気にしてもいないしどうということもない程度のとてもとても些末なことなのだけれど」
と、勝利を噛み締めるのにもあらかた満足したのであろう雪ノ下は、一色並みの早口でこのように一気にまくし立ててきたあと、こほんと咳払いをひとつ。
「……あの2人、折広さんと結城さんも、本来であれば存在しない人間なのね……?」
「ああ。偽者のただの都合のいい存在だ」
「……成る程。だから、なのね」
そう言って雪ノ下は顎に手を当ててそう得心する。
「ん? だから?」
「あ。……ええ、ごめんなさい。1人で勝手に納得してしまったわね。少し思うところがあったものだから」
すると雪ノ下は先ほどまでの弛緩した空気を一旦引き締めるように、神妙な面持ちで語り始めた。
「私の記憶では――いえ、記憶と呼ぶにはおぞましいものなのかもしれないけれど、あの折広さんという女性は、学校でも超が付くほどの有名人。眉目秀麗成績優秀品行方正の完璧な女性だったはず」
「……らしいな。聞いてて反吐が出そうだが」
「そして転校生の結城さんも、そんな折広さんに負けず劣らずの素晴らしい女性だと聞いていたわ」
「ま、そうなんだろうな」
なにせ都合のいい存在だし。
「そんな品行方正で素晴らしい女性なはずなのに、私はその2人に、品位も教養も疑ってしまうかのような口調で口汚く罵られてしまったのよ」
「は?」
まじかよ雪ノ下を罵るとかどんだけ肝が座ってんだよオリヒロ&アスナさん。
「……で、なんだって? 別に言いたくなければ言わなくても構わんが」
「…………ええ、色々言われたのだけれど、オブラートに包んだ上で要約すると――」
『私達は私達を信じてくれるハチくんを決して否定も拒絶もしない。自分達を信じてくれたハチくんを否定して悲しませるあんたなんて絶対に許さない。制裁よ!』
「……といったところかしら」
「あーそーですかー」
うっわぁ引くわー……聞いてるだけで思わず赤面しちゃうほどの主張だわ。
ちなみに赤面しちゃうといっても、別に雪ノ下の口から『ハチくん』という呼び名が出たから恥ずかしいなぁとか思ったわけでは無いのだ。そう、決して。
なんていうか、都合の良さここに極まれりって感じ。マジでヒロインってものを自分に都合がいいだけのただのお人形とかと勘違いしてませんかね。なんかそれこそ“所詮創作のキャラクター“という気持ちが滲み出ている気がする。
信じるなんていう曖昧模糊とした感情は、所詮信じると言った側の一方的な自己満足でしかなく、そこに見返りを求める時点で決して本心から信じてなどいないのだ。信じてたんだから肯定しろ? 信じてたのに否定されたからムカつく? アホか、そんなの自己責任だ。
それにいくら信じたって、相手が自分を信じてくれる気持ちを上回る愚行を行ってしまえば、そりゃ否定もされるし拒絶だってされんだろ。それが人間てもんじゃねぇの? むしろ愚行を犯した奴を否定しないなんて、そんなのは信頼とは呼ばなくない? そしてこれはまず間違いなくアレのことを言っているのだろう。
これは極論になるかもしれないが例題をひとつ。
信頼している夫に貰ったプレゼントが実は盗品でした。それを知った妻は夫に詰め寄ります。あなたのやりかたは嫌いだと。
それを聞かされた夫が妻に言います。なんで分かってくれないんだ! お前を愛しているから危険を犯して盗んでまでお前の為にプレゼントを用意してやったのに! お前なら分かってくれると信じてたのに! と。
――さて、信頼を裏切られたのはどちらでしょう?
俺は小町信頼してるけど、小町が間違った行いしたら本気で怒るぞ? まぁ信頼裏切って怒られてんのはいつも俺ばっかだけどね、てへ!
それなのにこのヒロイン達は迷わずに言う。絶対に否定しない、と。
そんなのもう人間でもなんでもない、感情を持たないただの可愛いお人形だ。
いやホント、マジでオリヒロとかクロスヒロインを、気に食わないキャラをアンチする為だけの都合のいい道具として扱うのやめてあげてくんない? 罪もないオリヒロとクロスヒロインが不憫で仕方ないっつの。
特にオリヒロの場合“ぼくの考えた最高のヒロイン“が“ぼくの大嫌いなキャラ相手に無双して気持ちいい“が目的となっちゃってるよね。だから序盤でその目的を達成すると満足しちゃって速攻でエタっちゃうんでしょうが。
一体どこまで嫌いなキャラを足蹴にする為だけに生み出される可哀想な最高ヒロインを量産するつもりなのん? 彼女達だって、誰かさんの一方的な薄っぺらい理由を押し付けられて、ただ憎まされるだけの人生なんて嫌だっての。
そしてこれを踏まえると――
「……どうせアレだろ? 偽者もこの流れに乗じて好き放題に吠えだしたんだろ」
なんかメアリーちゃんとアスナにそう言わせた時点で、偽者くんがなにを言ったのかがすぐ想像できちゃって悔しくてビクンビクンしちゃう!
「ええ、そうね……あなたに――いいえ、あなたに模したモノにこう言われたわ」
『修学旅行、俺はお前を……お前達を信じていた。だってそうだろ? お前らが俺に任せると言ったんだ。だからそれは俺を信じてくれてたからじゃねぇのかよ!』
『それなのにお前は俺の信頼を裏切った。俺を否定した。俺に拒絶の言葉を投げ掛けた。「あなたのやりかた嫌いだわ」と……』
『はぁ!? お前らが全部俺に押しつけたくせに、任せるって言ったくせに、やりかた嫌いってなんだよふざけんな! ホントお前は独善的なくせになにも出来ない無能だよな。人ごとこの世界を変えるだのと偉そうに宣うわりに、何一つ出来ないどうしようもない無能だ! 制裁だ!』
「……と。泣きながら……」
泣いちゃったのかよ(白目)
むしろ今俺が恥ずかしくて泣きたいくらいです。
……うん。まぁ予想通りとはいえやっぱヒドイもんですね。
なんなの? そこから見事なくらいのしょうもない改悪テンプレを辿っちゃった?
あれでしょ? 修学旅行のあと嫌々ながらも頑張って部室言ったら廊下で聞いちゃうんでしょ? 雪ノ下と由比ヶ浜が俺の悪口言ってるのを。
「もうあんな男来ない方が清々するわ。もう二度と顔を出さないでくれないかしら」「ホントだよ! 自分の事しか考えてない超自分勝手なヒッキーなんて、もう来なければいいんだよ!」とかっていう捏造シーン。
そんで自暴自棄になって復讐とか考えちゃった? それとも自殺とか考えちゃったのかな? もしくは違う世界に逃げ込んじゃったのん?
すごいよね。見事なテンプレからせっかく分岐出来るっていうのに、分岐後もそれぞれの道で違うテンプレに向かって自ら突き進んでいって、また誰かの色に染まろうとするというね。
キミ達はカメレオンのフレンズなんだね! すごーい!
そもそもこいつ、奉仕部への依頼内容を理解してないじゃん。
由比ヶ浜への暴言の時も思ったけど、全部俺に任せたとか押し付けたとかなに言ってんの? もしかして戸部の依頼が『絶対に振られないように』とかって思っちゃってんの?
本当にそう思ってんなら1巻からちゃんと読み直すことをオススメする。1巻 てなんだよ。
考えてもみろ。絶対に振られないようにすることに俺達が責任を持っちゃったら、それもう飢えた人に魚与えちゃってるから。奉仕部の理念完全崩壊だ。
しかも俺は終始一貫して戸部に「諦めろ」と言い続けてきたし、告白前に「振られたらどうすんだ?」って質問したら、戸部「そりゃ諦めらんないっしょ」って言ってたからね。
これどう考えても、奉仕部としては振られるか振られないかは管轄外を前提に行動してるから。俺達も戸部も。
以上を踏まえた上で戸部の依頼を受諾したシーンを振り返ってみよう。
『で、具体的に何をどうすればいいわけ?』
『や、だからさー。俺が告るわけじゃん? そのサポート的なこと?』
以上!
ねぇ、どこら辺に『絶対に振られない』という条件のもと奉仕部が依頼を請け負った要素があったのん?
奉仕部の理念、俺の言動、戸部の理解度、どれを取っても奉仕部への依頼は『告白のサポート』これ1点だから。振られないようにはただの願望でしょ、どう見ても。
そしてこれが最大の問題点。
果たして、俺は戸部のサポートをするという依頼だけの為に、嘘告白なんていう馬鹿げた解消法を実行しただろうか?
いやいやするわけねぇだろあんな馬鹿な真似。なんで戸部が振られないようにする為に俺が振られなきゃなんねーんだよ。戸部が振られて「ま、お疲れさん」で依頼終了の場面だろ、あれ。
じゃあなぜあんな真似をしたのか。言うまでもない、海老名さんからの依頼があったからだ。
ではその依頼に気付いていたのは? 請け負ったのは?
そう。他でもない、俺1人だけ。
わざわざ自分と同じように思考が腐っている人間にしか分からないような回りくどい依頼をしてきた海老名さん。
そしてその目論み通り、気付いたのは俺1人。
気付いたのは俺。気付いたのに依頼を受けたのも俺。それを仲間に相談しなかったのも俺。
俺、俺、俺。つまりその責任を負うのは俺しか居ないのだ。
そして任せただのなんだのとのことだが、じゃあ海老名さんからの依頼を知らないあいつらが、自分達が俺に任せたからといって、果たしてあの場面で俺があんな馬鹿げた真似をする事が想像出来ただろうか?
いやいや想像なんて出来るわけねぇだろ。だって俺自身が、戸部のサポートの為だけだったらあんな馬鹿げた真似をするとは思ってないのだから。あれはあくまでも依頼が重なったから仕方なくやったまで。
だから俺があんな風に自分を投げうつような真似をするなんて予想だにしない……というよりは、あんな真似までして戸部の“願望“を叶えてあげる必要が無いと――だってサポートとしての依頼はもう完了しているのだから――理解していたであろう雪ノ下達が、俺を信頼して幕引きを任せたからといって、そこに一体なんの落ち度があるんでしょうかね。
せいぜいいつものように下らない屁理屈を捏ねて、この告白劇を煙に巻くのだろうくらいにしか考えてなかったろう。そしてそんな下らない屁理屈でもなんとかしてしまうと信じてくれていたんだろう。
ではここでもう一度先ほどの例題の解答を問うてみようか。
――さて、信頼を裏切られたのはどちらでしょう?
勝手に依頼を受けた責任があるのも俺なら、それを相談しなかった責任があるのも俺でしかない。だからあの嘘告白は俺が自分の責任を全うする為だけにやったこと。そこに任せただの押し付けただのと、俺の意思で何も聞かされていないあいつらに責任を求めるのは筋違いも甚だしいのだ。
つまり偽物の主張はこうだ。
自分で勝手に受けた依頼を自分の意思で相談もせずに自分勝手に遂行したけど、俺が信じるお前らなら分かってくれると信じていた。
それなのにお前らは分かってくれなかった。俺は信じていたのにお前らは俺を否定した。許せない。
――なんと傲慢な思考なのだろう。なんとおぞましい善意の押し付けなのだろう。
この気持ちを一言で言い表わすとするのなら……
子供か! けーちゃんだってもう少し大人だよ!
ふぇぇ……もうやだよぅ……俺のガワを被って、こんな恥ずかしい主張をあっちこっちで垂れ流さないでよぅ……!
だがしかし、それではどうしても納得のいかないことがある。
「……なぁ、雪ノ下」
だから俺は雪ノ下に問う。この疑問を唯一晴らしてくれるはずの彼女に。
「こんなガキの戯れ言みたいな低レベルの主張に、なんでお前が負……黙らされてたのか理解できねぇんだけど」
あっぶね! なんで負けたの? とか聞いちゃったら、この子ムキになっちゃうとこだったよ!
……そう。そこがどうしても解せないところ。こんな戯れ言、普段の雪ノ下なら鼻で笑って一瞬で看破しちゃうとこだろ。
こいつがこんな低レベルな主張ごときで、あんなに涙を流す理由がない。
「そうね。確かにあまりにも低レベルな世迷い事だったものだから、思わず完膚なきまでに叩き潰して粉微塵にする寸前だったわ」
思ってたよりもずっと恐かったです。叩き潰されすぎて粒子レベルになっちゃう。
「……だったらなんでだ?」
「それは……その」
すると雪ノ下は急にもじもじと髪やらスカートやらを弄り始めると、頬を紅く染めてぽしょりとこんな事を言うのだった。
「そ、その直後にあなたに言われたのよ……俺が求めた本物はここには無かった。だから俺はこいつらと一緒に本物を見つけることにした。こんな部活、もう……辞める……と」
ぽしょぽしょとそこまで言い切ると、雪ノ下は真っ赤になって俯いてしまう。
「そ、そうか」
「え、ええ……」
――え、なんなの? 俺が辞めるって言ったからあんなに泣いてたのん?
やだこの子ったら可愛すぎないかしら! っべー、まじっべー、危うく惚れちゃうとこだったわ。
あと偽物さんさぁ、あんまり本物を気安く使わないでもらえないかしら? てか気安くなくても二度と口にしないで! ホントに恥ずかしいのぉ!
頭なでなでといい本物といい、俺そんなに簡単に使わないからね? 頭なでなでと本物のバーゲンセールかよ。
ついでに言うと一色も本物って言葉をとても大切にしてるから、俺を脅す為に気安く使ったりしないからね、というのも豆チとして覚えといて損はないぞ!
「か、勘違いしないでもらえるかしら……! 別にあなたが奉仕部を去るから泣い……悲し……き、気にしていたのではないのだけれど!? ただ……そ、そう、せっかく私と由比ヶ浜さんで選んであげた湯飲みが無駄になるし邪魔になるという許しがたい事態をほんの少し気に病んでいただけの話なのだけれど」
偽物が本物を気安く使いすぎるせいでひとり悶えざるを得ない状況に陥っていると、違う理由でもう1人悶えている人が、なんかもの凄い勢いでまくし立ててきました。
「お、おう」
「そもそも比企谷くんは奉仕部の備品なのだから勝手に辞められてしまってはこの部の責任者として認められるはずがないのだし顧問の平塚先生に報告等手続きが色々あって面倒なのよ」
「お、おう」
「それに……」
「……?」
ここまでそれはもうもの凄い勢いでまくし立ててきていた雪ノ下が、不意に声のトーンを落とす。
別に声に暗い感情が纏ったという意味ではない。ただ単純に、静かに優しく大切な言葉を紡ぐ為に、雪ノ下はまくし立てていた声をひとトーン下げたのだ。
「……ほんの1年前はここで1人で居る事が当たり前だったのに……悔しいけれどもう慣れてしまったのよ。……由比ヶ浜さんが居て一色さんが居て、そして、ほんのおまけではあるけれど、比企谷くんも居るこの場所に」
そう言って、雪ノ下は羞恥に染まった頬を隠そうともせずに、ふっと薄く笑う。
そうだな。お前にとってのこの場所は、とても大切な場所だもんな。
――俺と同様、雪ノ下もいつも1人だった。1人で居ることが当たり前で、1人で居ることがごく自然で、1人で居ることになんの疑問も感じていなかった。
でもこの場所は、そんな雪ノ下に1人では決して手に入れる事が出来ない素敵で温かい何かをくれた大切な場所なのだ。
確かに雪ノ下は独善的だった。それはこいつの揺るぎない強さの表れでもあったのだけれど。
でも今のこいつはもうあの頃のような強さはない。なんなら弱くなったまである。
でもその弱さは、こいつにとってはむしろようやく手に入れられた弱さなのではないだろうか。弱くなったのに、それは退化ではなく進化。1人で生きていける強い雪ノ下雪乃ではなく、1人では生きていけないと認めることができた、弱い雪ノ下雪乃としての成長だと思っている。
そんな大切なものをようやく手に入れられた大切な場所が傷つけられたとしたのなら、失ってしまう恐怖を感じてしまったのなら、そりゃいくら雪ノ下だって涙くらい流すよな。いや、雪ノ下だからこそなのかもしれない。ここはそれほどまでに大切な場所なのだ。
まぁ俺はほんのおまけですけどね!
「ま、なんだ」
だがまぁおまけとして定評のある俺ではあるけれど、それでもおまけはおまけなりにこの場所には俺が居るのが当たり前の光景だと言ってくれているとても酷い部長さんに、おまけなりの捻くれたお礼を贈ろうではないか。
今こいつが欲しているであろう言葉を。
「ここはあれだ。俺にとってもそれなりに居心地の悪くない場所ではある。ま、家と本屋とベストプレイスの次くらいではあるけどな。……だから、なんだ……クビにでもならなけりゃ、別に辞めたりはしねぇから」
「比企谷くん……」
「そ、それにあれだ。もう来月から小町もちょくちょくここに遊びにくるようになんだろ。そん時にここに俺の居場所が無かったら困るしな」
「……ふふ、ええ、そうね」
ぐふっ! だからこんな感じのフォローを入れなきゃなんないのは何よりも俺に効くんだよぅ……!
ああ、恥ずかしい。なにこれ新しい拷問の一種かなんか? もしも偽物が俺にこの拷問を与えるのが目的の存在なんだとしたらマジぶっ殺す。
偽物への新たな殺意に芽生えつつ、ほんの1年前には決して見ることの出来なかった雪ノ下の温かな微笑みがあまりにもむず痒くて、俺はそっぽを向いて頭をがしがし掻きながら思うのだ。
良かった。俺の大切な場所は、なんとか守れたようだ、と。
突然の偽物騒動で、おかしなカオスに巻き込まれたりこんなラブコメの出来損ないのような状況に放り込まれたりと散々な目には合ったけれど、俺はこうして再び大切な場所を手に入れられたのだから、そう悪いことでも無かったのかもな。
やはり、俺が部室でラブコメをするのは間違っている――
って違うから。なに綺麗にまとめようとしちゃってるのん? 俺はカメレオンのフレンズを目指しているわけではないから、こんなテンプレな〆で満足してる場合じゃないでしょ?
「おい雪ノ下、そういや偽物はその後どうした」
そう。常なら有り得ない程の雪ノ下の狼狽ぶりを目の当たりにしてしまい、一番大事なことがすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
俺の予想ではこの場所を崩壊させることこそが奴の目的であり、それを達成したのだからあとは俺と直接対峙するものかと思っていた。
だからてっきり奴はこの場所で俺を待っていると思っていたのだが、そういやあいつどこ行った……? 満足して消滅でもしててくれたら楽なんだけど。
「……ごめんなさい、動揺して失念してしまっていたわ……。比企谷くん……いえ、彼は……おそらく屋上へ向かったのだと思う」
「は? 屋、上……?」
「……ええ。「先に帰っていてくれ。俺にはまだ屋上で最後にやらなきゃならない事が残ってるんだ」とあの2人、折広さんと結城さんに別れを告げて部室から出て行ったわ」
「……」
屋上……。俺はその単語を聞いた瞬間に戦慄した。
奴は再三制裁という言葉を口にしていたという。屋上と制裁。この2つのキーワードが組み合わさった時、それは恐ろしい意味へと変化するのだ。
そして、屋上と制裁にまつわる俺の因縁の相手が1人だけいる。
正直俺にとってはどうでもいいヤツではある。どうなろうと知ったこっちゃないレベルまである。
しかしこれは駄目だ。だって偽物が「最後にやらなきゃならない」という制裁は、イコール死に直結するのだから。
確かにどうでもいい。どうでもいいけれど、それでも俺のガワを被った……俺のせいで生まれてしまった存在が薄っぺらい理由で誰かを犠牲にするだなんて、そんなのあまり気分のよいものではないではないか。
だから別にどうでもいいそいつの為ではない。俺は自分自身の心の安寧の為に、屋上へ走らなければならない。
「雪ノ下、ちょっと屋上行ってくるわ」
「っ! ……そう。それなら私も行くわ」
「いや、お前はここに残れ。屋上と制裁のキーワードが合わさるとかなりやばい」
「それならばなおのこと。あなた1人で容姿端麗頭脳明晰、そして喧嘩も強くて英雄なあなたとどう対峙するというのよ」
やだ俺完璧すぎィ! いや、そこでイケメンかどうかはこの際関係なくないですかね。
「大丈夫だ問題ない。別に争いになんかならんからな。俺はそいつの正体になんとなく見当がついているし、そいつを簡単に撃退する方法も分かっている。そもそも俺はそいつの制裁対象ではないから危険は皆無だ。制裁対象であるお前が屋上に来るより、よっぽど迅速かつ安全に対処できる」
この言葉に偽りはほぼない。あるとすれば“危険は皆無“というところくらいか。なにせ相手が居る話な以上、危険の可能性がゼロということは有り得ないのだから。
でもまぁその可能性はまず無い。所詮はガキだ。面と向かって完膚なきまでボロクソに言い負かされりゃ、泣きながら消えてゆくだけだろう。
自暴自棄になって制裁対象を襲ってくる可能性を考えたら、1人で向かう方が遥かに安全なのだ。
……それに――
「腰抜かしちまった由比ヶ浜もそろそろここに来るだろうし、いざ来たときに雪ノ下が居なかったら心配しちゃうだろ。だからこのままここに残ってくれると助かる」
わんこがようやく辿り着いたとき、この部屋にご主人様が居なかったらパニックになっちゃうだろうしね。
「……そう、由比ヶ浜さんも……。分かったわ。危険が皆無だとか、あなたの言はいまいち釈然としないけれど、……それでも、確かに由比ヶ浜さんをここに1人残していくのは忍びないものね」
雪ノ下は俺の提案を黙って理解してくれた。
それは本当は由比ヶ浜が来るからどうこうという問題ではない。ただ、俺が雪ノ下と由比ヶ浜を危険な目に合わせたくないのだということに。
「おう。助かる」
すると雪ノ下は、おもむろに俺の目を真っ直ぐに見据える。
その瞳は、いつかの文化祭で、いつかの修学旅行で、いつかのディスティニーで、そしていつかの観覧車で、俺になにかを託す時と同じく強い輝きを放っていた。
「……任せたわ」
――任せるとは相手を信頼すること。だが相手を信頼するということは、信頼した側の自己責任でしかない。
「……おう。まぁ由比ヶ浜と気楽に待っててくれ。この場所で」
ならばその逆もまたしかり。信頼された側が期待に応えようと勝手に頑張るのも、また自己責任。
だから一丁やってみますかね。今まで自分を軽んじて、散々雪ノ下と由比ヶ浜の信頼を裏切ってきた俺だけれど、今度こそこの重い信頼に応えられるように。
***
部室を飛び出して、特別棟の屋上へと伸びる階段を目指して全力で走る。
皮肉なもんだ。普段は屋上になんて用もないのに、あそこを目指す時はいつも全力で走っている気がする。
そして今回もまた、あの時と同じ人物を引っ張り戻す為に走っているのだから。
「っ〜〜!」
ようやく辿り着いた屋上へと伸びる階段。しかしそこには、気を失っているのか、とある人物が苦痛の表情を浮かべてうずくまっていた。
「葉山……」
くそ……! 完全に失念していた……。制裁というキーワードに所縁のある人物がまだ居たじゃねぇか……!
ちくしょう偽物めー。葉山までこんな風にしやがってー。もう絶対にゆるさないぞー(棒)
そして俺はそ〜っと足音を殺し、極力葉山が気付かないように静かに葉山の横を通りすぎるのでした。
だってさ、偽物が葉山になに言ったかなんて超想像出来ちゃうんだもんなぁ。どうせことなかれ主義者とかエセ平和主義者のクソリア充爆発しろとかなんでしょ?
ぶっちゃけそれに関してはフォローの言葉が思いつかないんだもん。俺自身が爆発しろかと思っちゃってるしお前のこと嫌いだって明言してるし。
ごめんね隼人きゅん。今ちょっと急いでるんで、帰りにでも骨くらいは拾ってやるからね。
こうして葉山隼人は犠牲となったのだ!
……これ絶対スルー出来ないやつだろ……。
はたして次回、八幡は葉山の魔の手から無事逃れることは出来るのか!?(フラグ)