尻尾のように長い髪を揺らし、愛らしい美貌の女性――――セリュー・ユビキタスは、今日も今日とて『正義』に勤しんでいた。
「正義執行! 帝都のゴミ拾い完了です!」
溌剌とした笑顔でVサインを掲げるセリュー。周囲には同じ警備隊の面々がぐったりと座り込んでいる。
「ふぅ、初めはこんな小さなことより悪の断罪を……と思っていましたが、実際やってみると心が洗われますね。一日百善! 一日の始まり! 今日の正義の第一歩ですよ、コロ!」
「キュウー!」
奇妙な鳴き声で、セリューに同調するように喜びを示すのはコロと呼ばれた犬(?)。跳ね回る度に鎖製のリードがジャラジャラと音を立てる。
さてと、ひとしきり騒いで満足したセリューは、山積みにしたゴミ袋を眺めるとひとつ頷く。
「では、いっちゃって下さい。コロ!」
「キュウウ!」
セリューがゴミの山を指差し命ずると、コロはトテトテと、犬らしからぬ二足歩行で近づく。周囲の野次馬達が何を、と思った瞬間――――、
ガパッ。
主人の膝ほどしか無かった体が、突如として巨大化して、割れた。――――否、開いたのだ。
それは、口だった。
あんぐりと大きく開けられた大穴は冗談のようにゴミ山を呑み込んでいく。タコのように円に連なった牙が紙や生ゴミはもちろん、鉄さえ咀嚼する。
ほとんど時間はかからずゴミ山は消えた。食べ終えたコロの体も元のミニマムサイズに戻っており、今し方食べ終えたものがどこに行ってしまったのか。それは誰にもわからなかった。
「けぷ」
「任務完了!」
「相変わらず凄えな、帝具って」
コロの食事を見ていたセリューの同僚達は、すでに見慣れたそれに多少なり耐性を持っている為苦笑を浮かべるにとどまる。が、初めてみたであろう野次馬達の目を白黒させたそれは、つい数週間前の彼等の顔でもある。
帝具。
千年前、この大帝国を築き上げた始皇帝が作りし四十八の超兵器。刀、槍、鎧、時には生物とその形状は千差万別。ただ唯一共通することは――――手にすれば、たとえどの帝具でもあっても所有者に必ず超常の力が授けられるということ。
永遠の安寧を望み、平和を望み、財と権力を尽くして生み出された帝具だったが、その五百年後に起きた内乱により各地に散ったとされる。
帝具、魔獣変化――――《ヘカトンケイル》。
生物型の帝具。それがコロの正体である。そしてセリューはその適合者。
「おーす、お前らご苦労ご苦労」
『さーて今日もお仕事頑張りますよー! おー!』『えー』なんてやり取りをセリュー達がやっている最中、緊張感の無い声がかかった。
燃えるような赤髪は特徴的で、すぐに彼等はその人物に気付いた。
「あ、副隊長。ちわっす」
一人が挨拶すると周囲も続いて挨拶する。
だがひとり、プルプルと震えているだけの人物がいる。セリューだ。
「んん? どうしたセリュー」
「――――どうしたじゃありません!」
鋭い踏み込みからのアッパー。下からの強襲をしかし相手は薄皮一枚で回避。それに益々怒り心頭なセリューは牙を剥いてがなった。
「どういうつもりですかグリム先輩! 三日ですよ!? 連絡も無く勝手にいなくなって! 貴方には帝都警備隊副隊長としての自覚が足りません!!」
「………………」
「な、なんですか?」
マジマジと見つめてくるグリムに思わずたじろぐセリュー。説教の最中によそ見されるのは以ての外だが、こうして真っ直ぐ見つめられるのも気味が悪い。顎に手をあてて、至極真面目な顔で彼は言った。
「お前、胸大きくなったか?」
「正義、執★行!!!!」
怒りのあまり覚醒したセリューからなんか光が見える。次々に繰り出すパンチにキック。流石警備隊、女性といえどそれは鋭く暴漢程度なら容易く沈んでいたことだろう。というか死んでいただろう。だが悲しいかな、今まさにぶち当てたい上司には届かない。ヒラリヒラリと嘲笑うように紙一重で躱すのがさらに頭にくる。
「避けないで下さい!!」
「無茶言うな。――――コロ。元気だったかぁ」
グリムがしゃがみ込み足元にいたコロの腹を撫でる。するとそれが気持ち良いのかコロはその場に仰向けに寝転がりなすがままになる。
「キュウウゥゥ~」
「コロ! そんな悪にほだされてはダメです!」
主人であるセリューに注意されるも甘えた声をあげるコロ。何故か適合者並にコロはグリムに懐いている。反比例して主人からのグリムに対する信頼は低いのだが。
「もう、コロ――――あ!」
むくれっ面で、若干涙目のセリュー。すると彼女はこちらへ近付いてくる一団に気付いて声をあげる。途端、周囲の空気が一変した。
「オーガ隊長!」
弾んだ声をあげて駆け出すセリューはその一団へ走り寄る。今までの泣き顔は何処へやら、花が咲くような笑顔は今日一番であろう。
「おう、セリュー」
セリューにオーガと呼ばれたのは一団の中心にいた大男。一揃いの制服を着込む警備隊で、唯一違う装いをしている。
要所を守るだけの軽鎧。内側から盛り上がる筋肉は、ただそれだけで相当な威圧感を持つ。加えて、男の左目を覆う大きな傷。隻眼であってもその立ち姿に違和感は無く、逆にそれが男の実力を示しているともいえた。
帝都警備隊隊長、オーガ。
この都を、最前線で支配する男。
「お疲れ様です! 隊長は……いつもの見回りですか?」
「……ああ」
敬礼を取って、様子を窺うセリュー。連れ従う警備隊の者達が、見知らぬ風貌の男を拘束した上で連れているのを見て見回りだと思い至る。
「さっすがオーガ隊長! 毎日欠かさぬ見回りで
感動に目を輝かせているセリューの称賛に、気を良くしたオーガは喉を反らして笑う。
悪を裁く警備隊の鏡。
そうオーガを絶賛しているセリュー。
だというのに、周囲の空気は先ほどまでとは明らかに違う。
野次馬達はオーガの登場にそそくさと逃げるように散り、隊員達の表情にも緊張が満ちている。
隊長だからこその風格――――、
「ははっ」
――――そんな立派なものじゃない、とグリムは鼻で笑う。
「よお、久しぶりじゃねえかグリム」
それが聞こえていたとは思えない。しかしオーガのギラついた眼光は凶悪な笑みと共にこちらを射抜いていた。
「そうでもない。たかが三日だ」
『たかが』という発言にセリューがむっ、としていた。
一方でオーガの方は気にしてもいないらしく、『違いねえ』と喉奥で笑う。
「ところでオーガ」グリムは視線を向けて訊ねる「そいつは一体何をしたんだ?」
一変、周囲が静まった。空気が凍る。錯覚だとわかっているのに、周囲の温度が三度ほど下がったような感覚だ。
明らかに顔が強張っているのは警備隊の者達。特に男を捉えているオーガ直属の部下達だ。
「なにをしたかって? そんなの決まってるだろ」
だが、オーガは一切顔色を変えなかった。どころか禍々しい凶笑を浮かべて質問に答えた。
「悪いことさ」
グリムと目が合うと拘束しているオーガの部下達は気まずそうに目をそらした。
それで答えは充分だった。
(なるほど。罪状は後から決めるってことね)
全てを察したグリム。
その際、縋るような男の目と合ったがグリムは何も言わなかった。とうとう男も諦めたのか小さく呻きながら俯いてしまう。
「何か言いたそうだな?」
一連のやり取りを眺めていたオーガがこちらへ詰め寄ってくる。対してグリムは肩を竦めるだけ。
「別に」
「そうか。そうだよなぁ。そう、それが正しいんだ」
「?」
歩みを止めないオーガ。近付いてきたオーガは一本伸ばした人差し指をグリムの左胸の上に押し付けた。
「それが正しい。絶対に俺には逆らうな。
オーガの怒気に当てられて、周囲の人間が息を呑む。
オーガの手は腰に帯剣した柄にいっている。返答次第でこの男は間違いなく剣を抜く。街中だろうと躊躇いなどしない。
無論、グリムもそれに気付いている。
そうしてどれほど時間が経っただろうか。いや、実際はそれほど時間は経っていない気もする。
見守る周囲の人間は己のことではないのに、こうして
「……はぁ、了解。オーガ
やがて、根負けしたように両の手をあげてグリムがそう言うと、オーガはにやりと口を歪める。
「それでいい」
満足そうに、オーガは指を離すと高笑いをあげて隊舎の方へ歩いて行く。オーガの部下達も拘束した男を連れてその後を追った。
「隊長の言葉はもっともです。先輩は人を敬うことを知らなすぎです。それに生活もだらしない。すぐセクハラする。遅刻する。部下にお金を借りる。……本当に良いところが無いですね。人として成長して下さい」
「セリューさんや、人間のクズ呼ばわりしてる俺は君の上司だよ? 敬う心はどこかな?」
「みんな行きますよ! 副隊長みたいになりたくなければ正義あるのみです! 目指せ世界平和!」
聞いてない。ちょっぴり心が傷付いた。
元気いっぱいのセリューのハッパに隊員達もやれやれと重い腰をあげる。なんだかんだいって彼女は隊舎でも人気者なのだ。見た目は可愛いし。
「――――アンタってば実は人望とかねえの?」
グリムの背後から投げかけられた声。今の今まで誰もいなかったはずのそこに突然現れた気配。気配の主は秘書風な女だった。
聞けばきっと誰もが驚くことだろう。実は彼女はずっとグリムの傍に控えていた。それこそオーガがやってくる前から今までずっと。だが誰も気付けなかった。完全に気配を消していた彼女の存在に、おそらくはあのオーガですら気付くことが出来なかった。
「流石は羅刹四鬼。見事な気配断ちだ。誰も気付かなかった」
「
「俺は初めからお前がいるのを知ってるからな。知らなかったらちょっぴり気付くのが遅れた」
「結局気付くんじゃン。……なんでアンタみたいな奴についちゃったんだろ?」
「人望だろ?」
秘書風な女は――――メズは、ジト目でグリムを睨んだ。
――――あの夜、彼の暗殺を命じられ返り討ちにあったメズだったが、彼女はこうして生きている。どころか今はどうしてか彼の下で働いている。
いつまでもトドメを刺さないグリムに不審がったメズだったが、しばし考えるように唸っていた彼が唐突に『手伝ってくれないか』と手を差し出してきたときは流石の彼女も目を丸くした。今思えば隙だらけだったと思う。見返りに『もっと楽しい戦いの場を用意してやる』という誘い文句で結局メズはその申し出を受けてしまった。
元よりメズは大臣に恩があるわけではない。帝国に忠実な兵隊でも無い。彼女はただ、より強い者との戦いを望んでいた。それが満たされるならば所属なんて選ばない。
あの夜、任務失敗と共に終わるはずだった命を拾った上に新しい戦場を用意してくれるというならば彼女としても受け入れることに躊躇いは無い。――――いや、ひとつ不満があるならば標的である『この男』を殺せなかったことか。
まあ、それもこうして生きていればチャンスはあろうというもの。チャンスがあれば彼を殺してもいいかもしれない。そんなことをメズは考えているわけだ。
「別に今から大臣のところに戻ってもいいぞ」
「んー……やめとく」
メズはカラカラと笑う。
「多分もうバレてるっぽいし。今戻ってもすっごい拷問されて殺されるだけだろうし」
「よかった。せっかくの優秀な秘書がいなくなったら俺が困る。楽が出来ない」
「自慢じゃないけど、アタシ戦う以外何も出来ないヨ?」
「やってこなかっただけで、やろうと思えば出来るさ。器用そうだから」
暗殺者にとってそれは褒め言葉なのかどうか。疑問に思いながらメズは話題を変える。
「ところで、隊長とか言われてたあの傷のおっさんは随分慕われてんネ。人は見かけによりませんってやつなの? 実は正義に燃える超熱血漢とか?」
「まあ、仕事熱心ではあるか。一部の商人から賄賂を貰って、その見返りに悪事の罪を擦り付けて処刑するのが警備隊の仕事だってんならな」
「…………見た目通りってわけネ。やっぱ人間外見も大事だよネ」
茶化すメズだが、実は聞かずともオーガの悪党ぶりは予想がついていた。理由は外見の柄の悪さだけではなく、臭いだ。あの男から漂ってくる血臭は、意識せずとも嗅ぎ取れる。単なる警備隊の人間が放つものではない。
「その割には、あの子は随分懐いてるみたいじゃン。扱いの差がアンタと随分違うし」
ニヤニヤと意地悪げに笑うメズ。
言われたグリムも思うところがあったのか気まずそうに後頭部を掻く。
「あれはまあ、一種の病気みたいなもんだよ。――――セリューはオーガの奴に救われたからな」
「救われた?」
「
憧れた父親。愛した父親。
それを目の前で失い、絶望と憎しみが爆発する瞬間、その元凶を葬ってくれた男がいた。
誰だってその人物に感謝するだろう。
「だがこの話には裏がある。セリューの父親が追っていたそいつはとある闇組織の金庫番だったわけだが、実はそいつとオーガは繋がってて、非合法な商売を見逃す代わりにオーガは金を貰ってた。だがそいつはあの日、オーガに渡すはずだった金をちょろまかした。オーガがそいつを殺したのは、警備隊としての責務でも、もちろんセリューの親父の仇討ちでもなんでもない。完全に私怨だ」
「うわー……」
なんとも言えない顔をするメズ。
なんというか、やるせない。というか憐れだ。
誰がなどというまでもない。
己の父を重ねて尊敬する男が、実はその父を殺した男と密接な関係にあったと知れば、彼女は一体どうなってしまうのか。
「それ、教えてあげたの?」
「言ったって信じねえよ。ていうか、そんなこと言ったら俺が殺される」
冗談、ではなさそうだ。オーガに対する彼女の心酔っぷりを見れば納得だ。
世の中には知らないほうがいいことというのは腐るほどあることをメズも知っている。
「――――!」
頭上に感じた気配にメズが警戒を飛ばす。が、そこにいたのは、
「鳥?」
上空を旋回する一羽の鳥は、グルグルとその場を旋回していたかと思うとゆったり下降する。やがてそれはグリムが差し出した腕に止まった。
首を傾げるメズ。グリムは相変わらず軽薄な笑みを浮かべるのだった。
閲覧、感想ありがとうございます。
>てなわけで2話。大部分は前に書いたやつなので書き方に微妙に違和感があるかもです。
>正義魔人セリューちゃん登場!彼女に『先輩』と呼ばせるためだけに主人公を警備隊出身にしたといっても過言ではない。そしてこの作品の、少なくとも中心に居続けるのが彼女なのです。
どうぞ今作のセリューがどうなっていくのか。温かく見守っていただけると幸いです。
ではではー