この半年間、目を閉じれば瞼の裏には彼女の姿があった。だが、今は目の前に本物の彼女がいる。触れることも、言葉を交わすことも、視線を交差させることもできる。
自然と、笑みが浮かび、動悸が速まる。喜びが抑えられず、感極まって目尻に涙が浮かぶ。
「君のことを夢に見たよ」
幾度も幾度も、夢の中で彼女の剣閃を見た。だが、それでは満足できない。そもそも記録として見る彼女の剣閃は、実際のそれより幾分にも劣っていた。こんなものじゃない、彼女の剣はもっと鋭く澄んでいた。
だが、夢の中、想像の中でしか見ることができないのだから、それで満足するしかなかった。
「でも、これは夢じゃない」
熱に浮かされたかのように、身体が熱かった。幾ら言葉を重ねようとも、この想いを十全に表現することはできないだろう。
会いたかった、でもそれだけじゃない。
共にいたかった、でもそれだけじゃない。
君のことを知りたかった、でもそれだけじゃない。
私の言葉に答えず、否、口ではなく彼女は行動で私に応えた。
「……」
静かなる金色の瞳が、私を射抜く。腰に挿してあったサーベルを抜き放ち、そして構えた。視線がぶつかり、そして伝わる。早く抜け、早く。
そう急かさないで欲しい、などと返すわけもなく、私も腰に下げていた長剣を抜刀。剣でのみこの想いは表現し得るのだ。
「ああ、待ちきれなかったのは私だけじゃなかったんですね」
その事実が余りにも嬉しくて、つい言葉にしてしまう。
やはり、駄目だ。アイズを前にすると、どうしても語りかけてしまう。そんなものは不要であると分かっているのに、この想いは抑えられない。私と彼女に必要なのは、言葉ではなく剣。
「ふぅ……では、参りましょう」
「うん」
息を吐いて心を落ち着かせる。それでも、やはり心臓は煩く脈打ち隠せない感情を奏でる。向き合った瞬間世界は色づいた。自分には彼女しかいない、なんて思えるわけもない。
まだ生まれて11年しか過ごしていないのに、そんなことが分かるはずもないのだ。だから、私は願った。
――どうか、この命が尽きる時、自分には彼女しかいなかったと思えるように
「両者、準備は良いね?」
【ロキ・ファミリア】の団長と名乗ったフィンさんが腕を振り上げて静止させた。私とアイズを一度見て、特に問題がないと判断してから彼は腕を振り落とす。
「では、始めッ!」
――今は、剣戟を重ねよう
【ロキ・ファミリア】に初めて訪問し、そのままダンジョンへと赴いた日から三日が過ぎた。それまで日に一度はダンジョンへと行き、怪我をしない程度にモンスターと戦ったりしていた。
その日、私は朝起きてから入念に身体を伸ばし調子を整えてから黄昏の館へと向かった。
「こんにちは」
「よく来たわねアゼル」
「こんにちはっす」
出迎えてくれたのは三日前と同じアキさんとラウルさんだった。
「それにしても、アゼルの知り合いってアイズのことだったのね」
「ええ、まあ。アイズから聞いたんですか?」
「ううん、でも態度で分かるわ。アゼルの話にだけ食いついていたもの」
その時のことを思い出したのかアキさんは苦笑いだった。話によるとアイズはあまり【ロキ・ファミリア】の他の団員との交流に積極的ではないらしい。無心に強さを求めるその姿勢に他の団員も引き気味だとか。
「あれはびっくりしたっすね」
「そうねえ、行き成り話しかけられて何事かと思ったわ」
「私にとっては、とても素直な人なんですけどね」
「素直ぉ?」
打てば響く、私と打ち合っている時の彼女はそんな感じの人だ。彼女の剣の弱い部分を重点的に攻めればそこを直す辺りアイズは強さを求めることに関してはこれ以上ないほど素直だ。
「あ、武器はこっちで用意するって話よ。万が一壊れたりしたら申し訳ないし」
「武器が壊れるような試験なんですか?」
「そりゃもう、色々と想定外だからね」
何がどう想定外なのかは教えてくれなかったが、アキさんとラウルさんに連れられ私は念願の黄昏の館へと足を踏み入れた。
きょろきょろと辺りを見渡す私を見て、ラウルさんが尋ねる。
「どうかしたっすか?」
「いえ、何だか思ってたより普通で」
「うちのホームを何だと思ってるのよ」
勿論、中身も外見と同じく豪快な作りなのだが、なんというか外見ほどは尖っていなかった。高価そうな壺や絢爛な石像などを想像していたのだが、スケールは大きいが普通の家とあまり変わらない。
少しだけ残念だった。
「で、どんな試験なんですか?」
「模擬戦よ」
「武器が壊れるような?」
「そう、相手が相手だから」
相手が相手だと模擬戦ですら武器を壊されるのが【ロキ・ファミリア】なのだろうかと一瞬自分の所属しようとしている集団に不安を抱いた。
「なんたってアゼルの相手はアイズだからね」
だが相手の名前を聞いた瞬間不安など散った。それはもう見事に消え失せた。その代わり、内から燃える闘志が宿る。
「さあ、早く行きましょう!」
「アゼルもアゼルで凄い食いつきねえ」
「相思ってやつっすかね」
突然やる気を倍増させた私を見て、アキさんとラウルさんが呆れる。だが、やる気を出さずにはいられないのだ。半年間待ちに待った彼女との打ち合いがもうすぐそこに来ている。そう思うだけで、もう今すぐ剣を抜きたい気分だ。
「さあさあ、早く案内してください!」
「ああもう……こっちよこっち」
見当違いの方へ歩き出そうとする私の肩を掴みアキさんが正しい方向へと向かせてくれた。向かう先は黄昏の館の中庭、建物の中でぽっかりと空いた円形の空間らしく日頃からそこで戦闘訓練をしているらしい。
中庭へと続く扉を押し開け、私は外へと出た。一陣の風が吹き、私の前髪を煽る。ゴミが目に入らないように私は顔を腕で覆った。日光が真上から照らしつけ、室内との明暗の差で一瞬景色が歪んだ。
しかし、すぐに目が慣れ、私は遂に彼女の姿を目にする。
金色の髪、スラリとした立ち姿。半年前に比べて少し背は伸びていたが、彼女の雰囲気はあの時と何も変わらない。強さを求める金色の姫、美しくも貪欲に力を求める彼女がそこにいた。
「――アイズ」
彼女の名を口にする。アキさんとラウルさんは開け放った扉で待機している。彼等の案内はそこまでということだろう。
彼女は中庭で誰かと喋っていた。私に背を向けていたのでまだ私が来たことを知らないのだろう。だが、名前を呼ばれ彼女は振り向いた。
「来ましたよ、君の元に」
金色の瞳が私を見た。視線が絡み、そして彼女は口を開いた。
「遅い」
「これでも急いだんですけどね」
「遅い」
「私も三日待たされました」
「……半年も、待った」
表情は変わらなかったが、彼女の不満は分かった。そんなことを言ってしまえば、私だって半年間不満を溜めていたのだ。だが、仮にも私のほうがアイズより年上で、その上女性には優しくしろと老師に言われてきた私は、折れなければならないのだろう。
「では、待たせてしまった半年分、今から打ち合いましょう」
「うん」
「……君がアゼル・バーナムだね?」
私とアイズの会話に区切りができると、直前まで彼女と話していた人物が前に出てきた。
金髪碧眼の美少年、だがどこか大人な雰囲気を纏った人だった。アイズと喋っていたということは親しい人物なのかもしれない。
「僕はフィン・ディムナ。種族は
「こちらこそ、よろしくお願いしますフィンさん」
少年だと思っていたが小人族の成人だったようだ。フィンさんの言い方からして、種族として成人しても小柄である小人族ではよくある間違われ方なのだろう。
「さて、アイズから君は長剣を扱うと聞いてね。用意しておいたよ」
そう言ってフィンさんは一振りの長剣を差し出した。受け取り、鞘から抜く。鈍色の刃が丹念に磨き上げられていて自分の顔が写っていた。老師から餞別にと貰った長剣と比べると少し劣るものの、凡庸ながら良い出来の得物だ。
「それで大丈夫かい?」
「はい、ありがとうございます」
「それはよかった。じゃあ、早速始めたいんだけど」
「あ、少し待ってください」
そう言って私は腰に挿していたサーベルを外す。
「これを、持っていて貰ってもいいでしょうか? 大切な物なので」
「うん、構わないよ」
フィンさんは特に文句を言わずに私からサーベルを受け取ってくれた。それを一瞥して、彼は何事か納得した表情をしていたが、私にはなんのことか分からない。
「一応、上の階から主神や団員達が見てるけど、気にしないでやってくれ」
「はい――」
中庭の端の方へと移動するフィンさんが最後にそう言う。
「――もとより気にする暇もないでしょう」
向き合った金色の少女が、私に暇など与えるはずもない。
■■■■
【ロキ・ファミリア】の面々はその模擬戦にあまり意義を感じてはいなかった。ロキがこんな無茶なスケジュールで入団試験をしたということは、既にその入団希望者が特別であることを示している。十中八九、その者は【ロキ・ファミリア】の新たな眷属となるだろう。
だから、模擬戦に意味はない。現在の強さを調べる、という目的はあるかもしれないが、現在の強さと冒険者の強さはほぼ別物だ。武芸に秀でた一般人が冒険者となったチンピラにすら勝てないのが現実。
そして入団希望者、アゼルの相手をするのは
つまるところ、相手になるわけがないのだ。
だが、目の前の光景はなんなのだろうか。
「ハァッ!」
あのアイズが声を出し、気合いを入れて斬り込んでく。
「――くッ」
相手は迫る刃をなんとか自分の長剣で受け止め苦しそうに弾き返す。苦しくて当然だ、アイズは現在9歳の幼い少女ではあるがLv.2の冒険者。彼女の剣速はそこらの剣士を凌駕し、膂力も細い身体からは想像できないほどに強い。
一撃一撃が、アイズにとっては軽く振るっているだけでも、アゼルにとっては重すぎる。それでも、なんとか受け止められているのはアゼルの天性の戦闘センスだろう。できるだけ受け止めやすく、衝撃を受け流せるように、そして弾く。
それをやってのけるだけでも驚きだ。しかし、それを越える驚きが今は【ロキ・ファミリア】の団員達が目の当たりにしていた。
「ヤァッ!」
「そう、何度もッ――」
アイズ・ヴァレンシュタインはアゼルと剣を交えながら、僅かにその口角を上げていた。主神が『表情筋がちゃんと発達しているのか心配やわー』などと言うほどいつも無表情で、他人に興味を示さなかったアイズが――今確かに笑っている。
その金色の瞳が、確かに今目の前の剣士に向いている。
「――同じ剣が通じると思わないことだッ」
言葉と同時に、アゼルは今まで弾いていたアイズの剣を下方向へと受け流した。何度も剣を受けたことで衝突のタイミング、その方向、強さを感じ取り、戦いの最中で技術を向上させていた。
これだ、これが見たかったのだとアイズは喜んだ。
「シッ」
そして受け流した剣をそのままカウンターで叩き込む。だが、僅かな感動を覚えて動きが鈍ったアイズに容易く避けられる。
動きの速度がそもそも違う。倍速と言ってもいいくらいにアゼルとアイズの動きの速さには差がある。
「ハアッ、ハアッッ」
避けると同時にアイズは一度飛び退いた。別段不利になったからではない。彼女が不利になることは今はありえない。
彼女は、自分の中に渦巻く今まで感じたことのない感覚を、感情を、感動を整理したかったのだ。そのために彼女は向き合った。自分より二歳ほど年下のアイズに、良いようにやられっぱなしなのに、アゼルの表情は心底嬉しそうに笑っていた。
「す、みませんね。すぐに息を整えます」
アゼルは良く自分に謝罪をすると、アイズはこの時ふと思った。出会った時もそうだった。アイズの相手を十全に務められない自分のことを、アゼルは恥じていた。謝りながら、アゼルはその時の最善を尽くしアイズと向き合っていた。
だから、本当は自分が感謝をするべきなのだとアイズは子供心ながら思った。
相手の行動で心が温かくなった時は感謝をするのだと、今は亡き自分の母が教えてくれた。今の自分の心は、果たして温かいのだろうかとアイズは考えた。
分からない、何も分からない。言葉にすることも、自分の中で消化することもできない感覚が身体に広がっている。
それが何なのかアイズには分からなかったが、剣を振るう腕に、前へ踏み込む腕に、勝手に出てしまう声に、いつもより力が入るのはそれのせいということは分かった。
自分は、この何かをアゼルにぶつけたいのだ、アゼルに受け止めてほしいのだ。
「はぁ、もう大丈夫です。さあ、続きを」
「――アゼル」
「はい」
不意に呼ばれた名前にもアゼルは即答した。思えば自分は今日アゼルに再会してから一度もその名前を呼んでいないことにアイズは気付いた。
「アゼル」
だから、もう一度その名を口にした。そこに本当に相手がいることを確認するように、いつものように目が覚めて近くにあるのがその残滓である長剣だけではないことを知るために。
アイズが冒険者となったのは8歳だった。まだ親に甘えていたい年頃であり、甘えていて当たり前の少女だった。だが、彼女は戦場へと身を投じた。寂しさがなかったはずはない、辛さがなかったわけがない。
だが、誰もが彼女を理解しない。その幼さで強さに取り憑かれた少女から、その間違った欲求を取り除こうとする。しかし、そうじゃない。幼いながらも、アイズは自分でその道を選んだ。一緒に誰かに歩いて欲しかったわけではないし、想像したこともなかった。
だが、そんな誰かがいた。彼女は、きっと嬉しかった。
「アゼル」
三度も名前を呼ばれて、今回ばかりはアゼルも首を傾げた。少し恥ずかしかったのか、アゼルは僅かに頬を染めた。それはそうだろう、誰でも異性から意味もなく名前を三度も呼ばれたら恥ずかしくもなる。しかも、アイズの声色はどこか切なさがあった。
彼女の意図しない吐露だった故に、彼女の意図しない感情が込められていた。
「どうか、しましたか?」
「あ、ぁり――」
大切な時なのに言葉が続かなかった。どうしても、その先が言えない。素直になれと自分に言い聞かせても、いつもは感じない感情の束縛が強くなる。
そんなアイズを見かねて、アゼルは言った。
「アイズ、言葉にできないことなら、無理に言う必要はない」
それは、なんて有り触れた言葉だっただろうか。会話を聞いていた観戦者もそう思ったことだろう。だが、アゼルは続ける。
「私に何かを伝えたいのなら、剣でいい」
何を言っているのかと、大半の人間が思うに違いない。拳で語り合うなんて表現があるが、あんなものは嘘だ。そんな以心伝心ありえない、それは偶然の感情の一致でしかない。身体の一部である拳でもそうなのだ、体外の存在である剣で分かり合うことなどできるものか。
「私は君のことなら何でも分かる、なんて言えないけど。君のことなら何でも知りたい。どんなことを思って剣を振るうのか、どんなことを願って剣を突き出すのか」
誰かが吹き出した。きっと多くの団員がそうした。開いた口が閉じないと言った風に惚ける人間もいた。
だって、アゼルの口にしたことは最早告白だ。しかも公衆の面前だ。
「だから、教えてほしい。その伝えたいことを剣に込めて、何度でも打ち合おう。私ではそれがどんな想いなのか分からないかもしれない。だから、私は勝手にそれを想像するよ、自分の都合の良いように、自分のやる気が出るように」
何時になく饒舌だ、などと言えるほどアゼルと付き合いのある人間はここにはいない。しかし、後になって今言っていることを思い返して悶絶することは必至だろうと、絶対に口数が多くなっている少年を皆が見た。
「後で答え合わせをしよう。その時、私の想像と、君の想いが合っていたなら――」
アゼルは既に構えを解いていた。片手に長剣を持ち、両腕を大きく広げ、少し芝居がかった仕草で台詞を締めくくる。
「――私は君を知り、そして君もまた自分を知る。とても、素敵なことだ」
アゼルは、言ってしまったことを少し後悔した。素敵、などというメルヘンチックな言葉など普段は使わないのに、この時は何故か興が乗って使ってしまった。相手が幼い少女だったからかもしれない。
しかし、それがアゼルの率直な感情だった。嬉しくもある、楽しくもある、やる気もでる。そんないい事尽くしの言葉なのだ、素敵というものは。
「どうかな?」
「――うん」
一瞬ぽかんとした表情をしたアイズは、真っ直ぐ見つめてくるアゼルの瞳を見て、そして頷いた。アイズの表情に迷いはなくなっていた。無理に言葉にする必要はない、その通りだ。有り触れたその言葉にこそ答えはある。
自分とアゼルを繋ぐのは、二人の道を交差させるのは――剣ではないか。
「ふぅ……はぁぁぁ――……」
アゼルなら、言葉通り何度でも打ち合ってくれる、向き合ってくれる。そう、信じられる。自分の満足のいくまで、何度でも。それが何故なのか、アイズには分からなかったが、知る必要はない。アゼルがそこにいれば、それでいい。
「【
静かな声で、アイズは荒れ狂うその感覚を外へと押し出した。
それはアイズ・ヴァレンシュタインに与えられた《魔法》。風のような剣閃であるとアゼルはアイズを評した。それは、的を射た表現だったということをその時アゼルは知った。
「少し、本気でいく」
風が渦巻き吹き荒れる。その中心にいるのは、金の髪を風になびかせるアイズだった。
「――ああ、受けて立とう」
剣で知り、剣で教え、剣で応える――二人の逢瀬は剣戟と共に。
周りに人がどれだけいても、その感情は見えない所で向かい合う。
閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。
さて、アゼル君が饒舌になる話。いや、本当にどうしてこうなった……。まあ、本編より突っ走ってしまう感じのアゼル君が今作のアゼル君なので、これでいい、のか? まあ、自分は書いてて凄くうきうきしたので良しとします!!