―――だから、この世界は一度滅んでいる。
アーラシュとアンリマユの話。この世全ての悪の話。マスターいます。しゃべりますが名前は出ません。
この世界は一度、滅んでいる。彼はそう言った。
「オレの話を聞きたい?ナンデ?英雄がそこらにいるんだから、わざわざこんな絞りかすみたいのに付き合うことなんですよ、マスター」
「いや、ほら。いつまでも謎のまっくろサーヴァント扱いはまずいかなーって。調べようにもアタリつけるとこから始めるのめんどくさいし!本人がいるなら訊いた方が早いじゃん?」
「はあー。ソウデスカ。んー、オレ本人よりあれだ、あのアーチャーにでも訊いた方がいいと思いますけどねー。オレはほら、なんつうの?巫女さんみたいなもんだし。ホントのアンリマユとは言いきれないって言うか?」
「アーチャー?だれ?……もしかしてエミヤとか?」
「いや。それでもいいけど、アイツだよ。アーラシュ。まっくろバーサーカーでもいいけどな!」
「ラシュさん?なぜに?」
「訊いてみりゃ分かるさ。『
それは、とてもとても珍しいことだ。よっぽどなにかない限り、アーラシュがマスターを避けることはない。けれどその日は、朝に一目マスターの姿を見てからというもの彼はどこかに姿をくらませていた。Aランクの千里眼によって何を訊きたいのか察してしまったからだろうか。
マスターがダ・ヴィンチちゃん―――モナリザ姿のレオナルド・ダ・ヴィンチ―――の協力でようやく彼を捕まえたのは正午を回った後のことだった。
「や、やっと捕まえた……」
心なしか息を切らせて、標準制服姿の彼女は言う。困ったような顔をするアーラシュに逃げられないうちにと、彼女はそのまま問う。
「たぶん言いたいことは分かってるんだと思うけど、一応言わせて。『アングラ・マインユって何?』」
「…………」
弓兵は沈黙する。「誰からそう言うよう言われたのか」「それがなんなのか」「どうして自分なのか」そこまで見て取って、彼はいつもの笑みとは違う、無表情にも近い真剣な顔になる。
「少し、長い話になる。
「アングラ・マインユ―――この世すべての悪。あらゆるの悪の元凶で、この世界よりも先にあったただ二つの存在の片割れだ。すくなくとも俺はそう信じてる」
「つまり、神だ。それもとびっきりの悪神」
「死と、冷気と、暗闇を支配するもの。俺の仕えてた王様の、その祖先が竜殺しでな。その竜もアングラ・マインユの手によると言われている」
「……それはいつか敗北する、無知にして邪悪なる絶対悪」
「とまあ、こんな感じだな!間違いなくいいもんじゃあない。正直に言えばマスターに……いや、まっとうな人間にはあれに近づいて欲しくない」
それに……とアーラシュがなにか言いかけるが、小さな声だったためかマスターには気づかれなかったようだ。
(あれは
アーラシュには
(
(裏切られた?)
(貶められた?)
(殺された?)
それでも、
この世すべての悪、それはすべての恨みの終着点。
忘れきった頃にかえってくるはじまりの呪詛。
善良だったはずの青年は、彼にとっての世界のすべてから憎悪された。
ただただ平凡なその彼に、あらゆる嫌悪をぶつけた人間たちがいた。
残飯じみた食事と、日々与えられる暴力。
そうして、どこにでもいる男は、悪に
「で、なんでマスターは性懲りもなくオレの隣にいるのかな?カナ?危険だって言われなかった?うっかり食べられちゃかもしれないぜ。あ、もちろん物理的な意味で」
「いや、あまりにもラシュさんの話と君が一致しなくて。あと令呪もあるし」
「はあ。そこふつーは別のやつに話聞きに行かない?なんで特攻してるのやら……さすがのオレでもあきれるっての」
「んで、オレがなんなのか?それと生きてた頃の話?えー。めんどくさいなー」
「ところでここにエミヤん特製のマドレーヌがあります」
「のった」
「えーとじゃあまずは生きてた頃の話から。とてつもなくつまらないし胸糞悪いこと請け合いなんでそれ食べるのはちょい待ちな」
「そこら辺にいる、十把一絡げの村人の話だ。どこにでもある、歴史の海にあっけなく溺れる、そんなくだらない物語未満の行為」
「その村は貧しかった。だから、理不尽に対して怒りをぶつけるモノが必要だった。
「それだけ。簡単だろ?」
「オレは洞窟の中で縛られていた。石をぶつけられたり蹴られたり……直接的な暴力以外のなにかをされたり、な」
「どこにでもある話だ」
「小説の種にもならない、よくあることだ。だからそんな―――」
「……ああうん。アンタはそうだよな。そういう顔するよな」
「けど、同情は要らないゼ」
―――アンタも、その場にしたらきっと同じことをしたよ。
最後の言葉は言葉にされなかった。言っても分からないから?希望を断ちたくないから?理由はアンリマユ自身にも分からない。
分からないが、彼は人に善性があることを知っている。
平然と裏切る彼らの中に、なにかの間違いで美しいものが混ざっていることを知っている。
「で、
「おおむね
「オレは、善を否定しない」
「モチロン、悪も否定しないけどな」
「あとはそうだねえ。しいて言うなら、オレは一度世界を壊した」
「…………え?」
少女は始め、聞き違えたのかと思った。世界を壊した―――滅ぼした?
(うちのサーヴァントは魔王かなにかだったの?……あ、邪神か)
(いや、邪神だったとしても、だ。壊した?過去形?じゃあ、もしそれが本当なら、
「あ、壊したっつってもあれよ?
「じゃあ前の世界はどんなだったの?」
「んー。『未来永劫変わらない理想郷』かね。つまんないとこデスよ」
停滞した時間と空間。終わらない昼。動かない風。それはそれだけで完結していて、他に何も必要としない。アフラ・マズダーはそこで満足していた。スプンタ・マインユも結局のところアフラ・マズダーの分け身に過ぎない以上同じだろう。
けれど、アングラ・マインユはそうではなかった。
それはもしかしたら、ただ
それはもしかしたら、このままでは何も始まらないという確信だったのかもしれない。アフラ・マズダーが創造した他の神々の意味を、ひょっとしたら彼は問いたかったのかもしれない。
それはもしかしたら、変化というものを自分でも施したかったのかもしれない。
「……変わると思ったんだ」
「なにかが、自分の中のなにかが終わってくれると思ったんだよ」
「この憎しみを、停滞した世界諸共殺したかった……のかもしれない」
「でもだめだった」
「世界は終わらない」
「憎悪は途切れない」
「しかも、捨てられたものはそのままだった」
「
それは、誰の言葉なのだろう。
「けど、オレの復讐は終わらない」
この世界から憎悪が消えるまで。この世界から嫌悪が消えるまで。
この世界から人が消えるまでは、少なくとも。
忘れた頃にやってくる復讐者は、忘れるものがいなくなるまで復讐を終えられない。
男が二人、海岸線を眺めている。たった数分の、おそらくはこの特異点最後の休息。男とは言うが、彼らはヒトではない。片方は部分鎧を纏う黒髪の青年。もう片方は見るからに異様な、真黒い影のような少年。
「…………」
「なんか用?アーチャー」
「……いや、さすがにこれは俺一人じゃ無理だなあ、と」
ケラケラケラ、と少年は笑う。
「そりゃあまあ、アンタ、あれだよ。世界は広かったってことだ!」
「しかし、そうかそうか。アムシャ・スプンタの力を借りても?……ああまあ、無理だな。無理だろうな。
「すまない、お前さんには謝らなくちゃならないことがある」
「ハイ?」
「『目』は、閉じれないんだ」
「…………。よく無事だったねえアンタ!?普通の人間だったら廃人コースへ一直線デスヨ?」
目―――つまり彼、アーラシュの持つ千里眼のことだ。それは単純な視力の向上にとどまらず、ごく短期間ではあるものの未来視や、読心すらも可能にする万能スキル。あまり制御できる類いのものでもないのだが。
「あー……まあ読心だけはできるだけ抑えるようにしてるしな」
「俺はお前がよく分からなかった。何せ最大の敵の名前を引っ提げて、あんまり関わりたくない感じの不思議存在があらわれたんだ。まあ、その、有り体に言えば避けてた」
「当たり前じゃね?場合によってはそのまま全力殺し合いコースだろ」
「ああ。だが、少なくともお前は世界を滅ぼしたりはしないだろう」
「へえ?言うねえ。あらゆる死は
「お前は人間そのものが嫌いなわけじゃない。むしろ―――」
「そこまでだ」
「……すまん」
「なんだろーなあ。ふしぎな気分だ」
少年は言う。二人の目は変わらず黒く染まった海を向いている。数時間もすればこの塔を埋める泥の海を、
「
「けど
「魔術王というか……その中身というか……まあそいつ。まあ、あれが何を考えてるのかはわかる。
「……!」
アンリマユ以前。つまり、
「オレはそんな救済はごめんだ」
「俺もだ。アフラ・マズダーは再構築された世界に満足している……少なくとも俺たちはそう思ってるからな」
「……どう反応しろっていうんだよ、ソレ」
「敵対しなくて済んで運がいい、くらいで一つ」
「……はあ」
なぜオレの方が気疲れしているのだろうか、と少年は思う。ともかく。
「オレはそんなくだらない救いはごめんだ」
「一緒くたに捨てられるならまだいい」
「すべて燃え尽きてなくなるのならそれでもいい。……まあ炎より氷漬けの方がもっといいケド」
「けどさすがに終わらない生命と終らない世界なんてものはごめんだからなー」
「オレは最弱だ。ぶっちゃけ人間殺し以外にできることなんてほぼない」
「けどまーあのマスターときたらお人好しで平凡でいつかとんでもないことしでかしそうで、すっごく俺好みに
「たまにはこう、期待にこたえるような真似してもいいかなー、なんて」
「あの獣には通じる……かもしれないとっておきがある。ただまあオレのスペックが変わったわけじゃあないんで?エットデスネ?」
敵はティアマトー、そして魔術王ソロモン。メソポタミアの原初の母とイスラエルの聖人王。
これは異なる神話との戦いだ。世界の終わりを取り合う戦争だ。そうだとしたら、彼ら二人がたどり着くべき終わりは一つだけ、そのはずなのだ。
「よし、じゃあ共同戦線と行くか」