【完結】ヤンデレセイバー   作:冬月之雪猫

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第十六話『邪神降臨』

第十六話『邪神降臨』

 

 ――――いつの間にか、そこにいた。

 暖かくて、穏やかな日差しを浴びて、ついつい微睡みそうになる。

 理想郷という言葉が浮かんできた。いつまでもここにいたい。極まった安らぎは心の傷を癒やし、溜まりに溜まった汚泥を取り除いてくれる。

 

「……ねえ、そろそろ起きてくれないかな?」

 

 困ったような声が聞こえた。あまりの気持ちよさに、まさか近くに人がいるとは思わなかった。

 慌てて起き上がると、そこには木の椅子に腰掛ける男がいた。

 ホッとした表情を浮かべて、男は立ち上がる。そそくさと部屋の隅に向かって、カチャカチャと作業を始める。

 

「待っててね。今、お茶を淹れるよ。ここにお客さんを招き入れたのは初めての事だから無作法があったら許して欲しい」

 

 ウキウキとお茶の準備を始める男から視線を逸し、奇妙な事に気付いた。

 この部屋には扉がない。小さな小窓はあっても、人が出入りできる門がどこにも見当たらない。

 

「ここは……」

「ボクの部屋だよ。それ以上でも、それ以下でもない。つまらない事を気にしてないで、そこの椅子に座りなよ」

 

 準備が出来たようだ。琥珀色の液体が入った茶器を机に並べ、飲むように勧めてくる。

 断るのも失礼だと思って口にすると舌先に苦味が走った。おまけに淹れられたばかりの筈なのにすごく冷たい。

 

「うわっ、にがっ」

 

 男が自分で淹れたお茶をペッペと吐き捨てている。

 

「……俺が淹れようか?」

 

 あまりにも悲しそうな表情を浮かべるものだから、ついつい世話を焼きたくなった。

 

「うっ、頼んでもいいかい? 昔はこれでも美味しく淹れられていたのだけど、さすがに数百年単位のブランクは大きいね」

「数百年……?」

 

 変な事を言う男だ。とりあえず、お茶の準備を始めよう。目の前にはポットと葉っぱがある。

 

「あれ? これだけ?」

 

 ポットの中身を見る。そこには丸まった葉っぱが何枚も敷き詰められている。

 これで色だけでも美味しそうに見えた事は奇跡だと思う。

 

「あの……」

「うん? どうしたの?」

「これは一体……」

「その辺に落ちていた葉っぱと土を錬成したポットだけど?」

「……昔は美味しく淹れられてたって嘘だろ」

 

 お茶を淹れる事は諦めた。そもそもの茶葉が無い。雑草の出し汁を美味しく淹れる奇跡の魔法も知らない。

 唇を尖らせて不満をアピールしている男に溜息を零しながら席に戻る。

 

「アンタ、何者だ?」

「ボクかい? ボクは一介の渡し人さ」

「渡し人?」

「仲人さんとも言う」

「……真面目に答える気はないって事か?」

「うん!」

 

 男はニコニコしながら頷いた。

 

「……ここはどこなんだ?」

「ボクの部屋だよ。さっき、言ったじゃないか! おいおい、しっかりしておくれ」

「……質問を変える。俺はどうしてアンタの部屋にいるんだ?」

「ボクが招いたから」

「どうして?」

「キミに会うためさ」

「俺に……?」

「誰にも出来ない事をしたキミ。誰にも出来ない事に挑むキミ。そんなキミに誰にも出来ない事をしてもらう為に呼んだのさ」

 

 意味がわからない。

 

「誰にも出来ない事なんて、俺にも出来ないぞ」

 

 男はフフンと笑う。

 

「出来なくてもやる。キミはそういう人間だ。だからこそ、他の人には真似出来ない事も出来る」

「何の事だ?」

「正義の味方になりたいんだよね?」

 

 まるで、心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚を覚えた。

 

「なんで……」

「キミには正義の味方になってもらうよ」

「……は?」

 

 話の流れを掴めずにいると、男は肩を竦めた。

 

「今は分からなくてもいい。幸いな事に時間はたっぷりある。だから、まずは聞いて欲しい」

「何を?」

「君の知らない事。知らなければいけない事。さあ――――」

 

 男は楽しそうに語り始めた。

 

「まずは、王の話をするとしよう」

 

 ◇

 

 山の上に建てられた寺の境内で、邪神の化身は彼女を待ち構えていた。

 

「――――ああ、いい表情だ」

 

 魔女の演技はもはや無用。アンリ・マユは殺意と狂気に塗れた少女を悪意に満ちた笑みで出迎える。

 

「キャスター。聖杯を寄越せ」

「……欲しければ、奪うがいい」

 

 今なお、己を魔女(キャスター)と呼ぶアルトリアに苦笑を浮かべながら、適当に魔術を放つ。

 当然のように耐魔力で無効化しながら向かってくる少女に囁く。

 

「この期に及んでなお、手の届く真実から目を背けるなんて……、本当におバカさん」

 

 切り裂かれ、キャスターのサーヴァントが消滅する。その瞬間、大地が波打った。

 何事かと地上に視線を向ければ、冬木市全体に真紅の光が走っていた。

 空の上から見れば一目瞭然だった事だろう。その光が描く文様がサーヴァントの召喚陣と瓜二つである事に。

 大地に亀裂が走り、吹き荒れる魔力が大気を狂わせる。

 これほどの異常事態だと言うのに、人々の狂乱の声は聞こえない。

 電力の供給が遮断されたのか、街から光が消えていき、やがて闇に沈んだ。

 

 ――――咆哮が響き渡る。

 

 底の見えない穴の先から金色を湛える瞳が天を見上げた。

 大地の揺れが際限なく激しさを増していく。まるで、噴火する寸前の活火山のように。

 

 ――――それは産まれ落ちた事に対する歓喜。

 

 亀裂が広がっていく。街を呑み込み、川を呑み込み、田畑を呑み込み、山を呑み込み、どこまでも広がっていく。

 それは黄泉路。奈落へ通じる門。

 冬木の上空を漂う無数の怨霊は吸い込まれるように穴へ消えた。

 代わりに、地獄の底からソレは這い出てきた。夥しい死の気配を纏い、60億を超える呪詛の化身が一個の魂として現世に降臨する。

 一見すると神聖にすら感じる。それは龍の姿を模していた。

 嘗て、この地に根を張った旅の僧が地の底に封印した龍神。その身を依代に『この世全ての悪(アンリ・マユ)』は現界した。

 

「……なんだ、これは」

 

 世界を滅ぼす意志と力を持つ邪神の降臨を前に少女はただ、呆然と立ち尽くしていた。

 彼女に分かった事は、己が騙されていた事と、己が取り返しのつかない事態の引き金を引いた事と、奇跡に手を伸ばす手段が失われた事。

 

「シロウ……。シロウ……。シロウ……」

 

 愛する少年の名を呼び続ける少女を一瞥した後、龍神(アンリ・マユ)は地上を見降ろす。

 そこに己を睨みつける身の程知らずな小人が二人。

 ギリシャ神話に名を轟かせる最強の大英雄が巨大な弩を構える。

 英国文学における最古の叙事詩で語られる勇者は二振りの刃を掲げる。

 この二人こそ、此度の聖杯戦争における最強。共にドラゴンを殺した逸話を持つ英雄の中の英雄。

 フィーネ(イリヤスフィール)・フォン・アインツベルンがこの時の為に用意した勝利の布石。

 敵味方に分かれていた二人の英雄は共に天を泳ぐ邪神へ雄叫びを上げた。

 

 ◇

 

 十八の令呪の同時発動によって、一つの都市の住民を丸々飲み込んだ征服王イスカンダルの固有結界内では突然の事にどよめく人々の喧騒で賑わっていた。

 蒼天の下に広がる砂塵の上で、遠坂凛はフィーネを睨む。

 

「本当に、これで大丈夫なんでしょうね?」

 

 曖昧な事ばかり言う少女に凛は苛立っていた。

 

「もちろんよ、リン。布石は十分。人事を尽くして天命を待つってヤツね」

「……私達に出来る事は無いの?」

「何もないわ。所詮、わたし達は脇役だもの。本当の主人公が出てくるまでの前座に過ぎないわ」

「脇役とか、前座とか、アンタの言葉は一々回りくどいのよ!」

「あら、ひどい事を言うのね。これは個性というものよ? 彼も言っていたわ。個性というものはとても大切なモノだって」

「それって、ベルベット師父の事?」

「違うわ。わたしに名前という宝物をくれた人よ」

「だから、師父の事でしょ?」

「何を言っているの?」

 

 フィーネはクスリと笑った。

 

「わたしに名前をくれたのは偉大なる花の魔術師様よ」

「花の魔術師……? それって……」

「さあ、後はここで待つだけよ。此処から先はあの子が好きな女の子の為に頑張る番」

 

 フィーネは微笑み、夢見るような眼差しを空に向ける。

 

「時間との勝負よ。ヘラクレスとバーサーカーが稼げる時間にも限界がある。彼女を愛しているのなら、それまでに辿り着いてみせなさい――――、シロウ」


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