リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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亡命政府構想②

「美女に暴力をふるい、銃を突きつけて対等な交渉なんて、よく言えるわね」

 

 苦痛に呻きながら、ベリーニは言い返した。腹部の激痛はすさまじいもので、女性として大切な機能に深刻な障害がのこるのではないかというほどに強力な蹴りをゲオルグはかましたのだ。

 

「言えるとも。だってそうだろう? こちらは自分の情報が体制側に漏れれば、危機に陥る身の上だ。それを考えれば、これくらいやって初めてフェザーンと対等であろう? あなた個人に焦点を置くと、まったく対等ではないかもしれんが。しかし――」

 

 ゲオルグはシニカルに冷笑した。

 

「あなたが美人であることは間違いないが、わざわざそれを主張する意味がどこにあるのだ。もしかしてあなたが私に対する使者に選ばれたのは、美人局的な意味でもあったのかな。だとしたらフェザーンも存外、人を見る目がないことよ」

 

 ゲオルグは一二歳の時に気に入っていた美しいメイドが叔父に買収され、殺されかけたことがあるのである。だから美人だからといって、油断したりなんかしない。男だろうが女だろうが外見の美醜など、記号に過ぎないと思っている。

 

 外見だけなく内面にしても、彼にとっては同じことである。重要なのは自分にとってその人材が有益か否か、自分が扱いこなせるか否かであって、その条件さえ達成しているなら、どれだけ性格が卑劣で醜悪であろうが、あるいは自分に対して悪感情抱いていようが、ゲオルグはその人物を信用して使うことにためらいなどしない。

 

「こんなことをして、ただですむと思っているの? すぐ私の仲間が……」

「どうするというのだ? ローエングラム公に私を売るのか。何の意味もないからといって、フェザーンのことをなにひとつ自白しないほどお人よしではない。洗いざらい白状するぞ。亡命政府構想とか、皇帝陛下救出作戦……いや、はっきりと誘拐と言ったほうがよいかな」

 

 大変だなと笑うゲオルグだが、目が全く笑っていない。視線はこちらを警戒しているので、ベリーニは下手な動きをするわけにはいかなかった。

 

「あなたこそ私をどうするつもり? 邪魔だからといって殺すつもりかしら」

 

 自分を殺すことなんてできるわけがない。そう確信した上での言葉だった。ここは中流階級の人間の一軒家が立ち並ぶ住宅街である。いくら自宅の中であるとはいえ、自分を殺せば死体処理に困るはずだし、周りの目にもつくだろう。そんなことは、指名手配中のゲオルグにできるはずがない。そうタカをくくっていたのであるが、

 

「それも選択肢のひとつだな。感心にもここには、あなた一人でこられたようだし」

 

 その予想に反し、ゲオルグはこともなげに言い切って見せた。

 

「ッ! なにを……」

 

 自分を殺すと何の動揺も見せなかったことに加え、自分が一人でこの住宅街にきたことが見抜かれているのをベリーニは驚き、すぐにとりつくろったが、ゲオルグには無意味すぎた。

 

「誤魔化さなくてもいい。既に調べはついてるんだ」

「私と会ってから、ずっと一緒にいるのに?」

「ずいぶんと疑い深いな。いや、そうでなくては、ここに一人で来ることが上に認められるような優秀な工作員にはなれんか」

 

 称賛するようなことを言いながら、嘲笑の色が露骨に声音にのっていた。

 

「じつは、私の家の前をウロチョロしてるのを、気づいていたんだよ。まさかフェザーンの工作員とは、思ってはいなかったがな」

 

 ブラスターと視線をベリーニに釘付けにしたまま、ゲオルグは距離をとった。そして緊急操作パネルに近づき、火災時消火用の散水機のスイッチを押した。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、実際に放水は開始されなかったが、放水が開始されなくても外の散水機の「放水中」というランプがつく仕様になっていたので、外への合図になるのだった。

 

 その直後、ガチャリという音と共に、物々しい大男が三人、書斎までやってきた。全員、鍛え上げられた肉体の持ち主で、片手にブラスターを持っていた。彼らはゲオルグがシュヴァルツァーに命じて呼び寄せた事情をある程度理解している警備員たちで、散水機を使えない状態にして中に知らせたのも、彼らであった。

 

「オットー少佐」

 

 彼らがベリーニにブラスターを向けていることを確認すると、ブラスターをおさめてリーダー格の男にゲオルグは向き直った。

 

「問題なかったのだな?」

「ああ。この区画を探ってみたが、別に怪しい奴はいなかった」

 

 ゲオルグはひとつ頷くと、ベリーニ向き直った。その表情には優越感がにじみ出ていた。

 

「さて、ご覧の通りだ、フロイライン。あなたの死体ひとつくらい、痕跡も残さず処理できる」

 

 具体的には五体をバラバラにした上で、宇宙船から灼熱の恒星にめがけて放出させる。こうすれば死体など塵ひとつ残らないし、万一、第三者に発見されたところで、宇宙海賊の仕業かなんかだと発見者は思い込むに違いない。それなりの規模を持つ宇宙海賊やマフィアの類がよくやる手法である。

 

「そんなことができるのかしら。いまのあなたに」

「できないと信じて、隠してあるブラスターで一発逆転を狙い勝負するか。ただ、また新しい身分証明書を手に入れるために、あれこれと工作しきゃいけなくならから、個人的には勘弁してほしいのだがね」

 

 自分の偽装身分がフェザーンに掴まれており、ベリーニからの報告が滞れば始末されたとみて、フェザーンはローエングラム公に自分の情報を売るに違いなかったが、ベリーニが始末されたとフェザーン首脳部が判断するまでに、どれだけ早くても一日弱はかかるだろう。それだけの時間があれば、ズーレンタール社の重要記録を抹消できる。自分の家に関しては着替えや高級品だけ取って、放置すればよい。

 

 ただもう“ゲオルグ・ディレル・カッセル”の偽名は使えなくなるから、しばらくは諸惑星を流浪するほかない。新しい正式な身分を手に入れる方法はいくつか考えてはいるから問題はないが、秘密組織の方に多大な打撃を被ることはさけられない。秘密組織がその複雑な構造によって官憲の目を逃れている反面、その欠点として簡単に秘密組織の司令部を変更する便利な性質のものではないのだ。新しい司令部を築き、秘密組織の命令系統を再建にまた時間を割かれることになってしまう。だからゲオルグは可能であれば、そんな手段をとりたくはなかった。

 

「われわれとフェザーンの利益は決定的に対立しているというわけではあるまい。交渉の余地があるように思われるのだが、あなたの考えもそうではないか」

「……」

 

 ベリーニはなにも喋らなかったが、その沈黙が交渉に応じると雄弁に語っていた。

 

「では、私から提案させてもらうが、われわれには帝国の広範囲で活動している秘密組織を保持している。その組織の力を使って帝国内部から、亡命政府を支援することができる。具体的には、帝国領土を奪還しにやってくるであろう同盟軍と亡命政府軍の道案内を行うことができるし、二年前のような焦土作戦が行われないよう工作することだってできる。これは亡命政府においては、実に有益なことだと思うのだが、どうだろうか」

「……まさか、各地の支社の警備部門を視察という理由で、出張中だったのは」

「その通り。組織の拡大拡充のため、そして構成員にある任務を託すためだ。どうも、あなたたちフェザーンは私を民間に溶け込むような不遇な人生を送っている、と解釈していたようだが、舐めてくれるものだな」

 

 やや不機嫌さをにじませて、ゲオルグは凄む。ベリーニは自分が、リヒテンラーデ公の孫が側近のシュヴァルツァーと共にズーレンタール社の警備員として民間人に溶け込み、荒波たたぬよう平凡に暮らしているという情報を信用しきってしまい、現地確認をおなざりな形ですませてしまった迂闊さを呪い、自治領主府情報局中枢の無能に呪詛の声を内心であげた。

 

「それで、その見返りにあなたはなにを望むのかしら」

「そうだな……。ローエングラム体制打倒後に発足する新体制において、内務尚書の椅子を貰おうか。それと宮内尚書にも、こちらの活動の主要人物にする。当然、これらの省庁の人事権はわれわれが行使させてもらう。財務省、国務省の局長級のポストの任命権も二、三貰おうか」

 

 ゲオルグはちらりとオットーの姿を見て、そういや元貴族連合軍や追放された軍人も組織に加えていたなと思い、少し付け加えた。

 

「それと同盟軍の進行に呼応して、国内でテロ――レジスタンス活動を行う。その活動で功績をあげた者を、新帝国軍の要職につけること。これくらいかな」

「ずいぶんと過大な要求ですわね」

「過大? 敵地にとどまり、現地で反ローエングラム活動を行うのだ。これくらいの要求が認められないのでは、こちらの一方的な損というものだ」

「……」

 

 保身と打算、そして自治領主府への弁明になるか否か、ベリーニは必死で頭脳を回転させていたが、それでも平然とした表情をとりつくろうとしたが、さすがに無理があったようで、表情が平然としているにもかかわらず、冷や汗の筋が何本か走っているのを、ゲオルグは確認できた。

 

「まあ、あなたにも色々事情がおありでしょう。レムシャイド伯が私の提案に頷くかどうかもわかりませんし、一度おかえりになられたら、よろしいかと。しかしこのオデッサからは出ないでくださいね。そんなことをすれば、謎の第三者が警察にろくでもない密告をしかねませんよ」

 

 露骨な脅し付きであったが、ひとまず窮地を逃れられると知ってベリーニは内心随喜したが、それでもその感情を表には一切ださず、エリートビジネスウーマンらしい礼節をとった。男尊女卑な文化が根付いている帝国で育ったゲオルグにはどうにも違和感を感じるのだが、同盟やフェザーンでは働く人間など山ほどいるので、わりと普通なことなのかもしれない。

 

 社交辞令もそこそこに、次はズーレンタール社に商談という表向きの理由を受付に言って訪れること。そこでもっと具体的な交渉をしようとゲオルグは告げ、ベリーニはそれを了承する形となった。これからはそこで商談という名の陰謀交渉が行われることとなるだろう。

 

「いよいよ表立って動けるということですかな」

「いささか以上に、早すぎるし、性急にすぎると思うのだがな」

「なぜです? フェザーンと同盟が力を貸してくれるなら、あの生意気な金髪の孺子と互角以上に戦えると思うのですが」

「きみはそれでよいかもしれんが、私が困る」

 

 ラインハルトへの殺意一筋なオットーのやる気満々な態度に、ゲオルグはため息をついた。正直に言って、気になるところが多すぎる。まず第一に、いったいどのようなルートでフェザーンは自分がここに潜伏しているという情報を掴んだのであろうか。最初は、秘密組織の行動から細い糸を手繰り、自分のところまでたどり着いたのだろうかと推測したが、ベリーニは自分が民間人に溶け込んでいると思い込んでいたようである。

 

 わざわざ現地工作員に自分が秘密組織のことを隠す必要性などないだろうから、フェザーンの自治領主府も自分がどれほどの規模の組織を有しているのか知らなかったと考えて、まずまちがいないであろう。しかしそうなると、どうやってフェザーンは自分がこのオデッサにいると知りえたのだろうか。

 

 普通に考えたら、フェザーンに亡命した側近のシュテンネスが、自治領主府の人間と接触し、自分の情報を売った。あるいは自治領主府の人間が、シュテンネスを脅して情報を得たというのが、一番ありえそうな可能性に思えた。なぜならシュテンネスにもいざという時は、惑星オデッサのズーレンタールに身を隠すことを教えていたのだから。しかしそれにゲオルグは違和感を感じたというか、納得できなかった。

 

(シュテンネスがフェザーンに情報を売るのを見逃したというのはまだしも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと?)

 

 フェザーン駐在帝国弁務官事務所に潜り込ませている仲間からの情報では、シュテンネスは亡命してからずっと日暮らしをしているはずであり、今日もシュヴァルツァーからそのことを確認したばかりである。本当にシュテンネスが自分の情報をフェザーンに売ったのであれば、シュテンネスの生活環境が変化していないなど、ありえようか。

 

 シュテンネスは小心者ではあるが、側近として重用していただけあって、彼に対するゲオルグの評価は決して低くはない。交渉・捜査能力には見るべきものがあったし、特に彼の人物鑑定眼は、ゲオルグが自派閥に新たな人材を加える参考として、非常に有益であった。同僚からは讒言を武器に出世したといわれるシュテンネスであるが、その評価基準は人が悪すぎるという欠点を除けば、だいたい間違っていないからである。具体的には彼が言う欠点を一割程度にさっぴき、美点を百倍くらい拡大してやれば、おおよその人物像と能力が把握可能なくらい人をよく見ていた。

 

 だからこそ、ゲオルグは疑問に思うのである。シュテンネスの性格的に、自分の安全と引き換えでなければどんな情報も売らぬだろう。それだけの能力と狡猾さを有しているのだから。逆にフェザーンがシュテンネスから強引な手法で自分の情報を入手したと考えても、シュテンネスがそのままフェザーンでその日暮らしをしているというのは、どうにも不自然を感じる状況である。

 

 となると、可能性は二つ。ひとつめはフェザーンで情報を収集している奴がちゃんとした報告を行っていない可能性。これはこれで問題であるが、原因が明らかであるだけに、対策をたてやすい。だがもうひとつの可能性、すなわちフェザーンがシュテンネス以外から情報を得ていた場合だと対処が面倒だ。つまり、自分が諸惑星で工作していた時に、フェザーンの工作員が自分の変装を見破ったということである。

 

 自分の外見や雰囲気は警視総監時代とは、かなり異なるものなっていると自信を持っていたが、どうも完璧なものではなかったようだ。少しばかり、平然として動き回りすぎたか。しかし妙に意識してしまうと逆に不自然さを醸し出すことになり、かえって怪しく思われるかもしれぬ。まあ、それほど変装看破の達人をフェザーンが擁しているとも考えにくいから、多少、自ら動くのを控えるようにする程度の対処しかしようがないか。そうゲオルグは常識的に判断した。

 

 しかしベリーニが、それなりの裁量権が与えられている工作員で助かった。もし上からの命令を杓子定規に実行することにのみ、生きがいを見出しているような精神的家畜だったら、最悪の手段をとらざるをえないところであった。それを考えると、不幸中の幸いというべきであろう。

 

「それにだ。同盟やフェザーンが、本気でわれわれと手を組むか怪しいものだ。特にフェザーンは、亡命政府を同盟が承認した瞬間、知らぬ存ぜぬを決め込んでローエングラム公に肩入れしだすやもしれぬ」

「なぜそう思う」

「そもそも前提からしておかしいからだ。フェザーンの外交戦略は帝国と同盟を争わせ続け、両勢力の間に存在する中立国として交易を独占することにある。それを踏まえ、さっき提案してきた亡命政府構想によって帝国領土を奪還した時、同盟と帝国の新政府がどのような関係になるか、考えてみよ」

「……なるほど」

 

 少し考え、オットーはそう呟いた。亡命政府は同盟の承認によって成立するのである。その亡命政府が帝国領土の支配圏を回復し、国を指導するちゃんとした政府となった時、帝国は同盟との融和をはからざるをえない。そうなれば必然的に、今まで互いの係争地であったイゼルローン回廊を通って、同盟と帝国の間で直接交易が行われる可能性も飛躍的に高まるわけで、平和的な両国の国境であるフェザーン回廊に位置し、中間交易によって莫大な利益をあげているフェザーンにとっては、百害あって一利もない話だ。

 

 ということは、当然、フェザーンが亡命政府構想を支援しているのはなにか裏があってのことに決まっている。亡命政府が帝国の支配圏を手中にした際、新帝国における経済的権益を独占されてもらうということを協力する理由にあげていたが、成立から約一世紀に渡って三国鼎立政策を追求し続けてきたフェザーンが、それを放棄してまで求めるようなものだろうか。

 

 オットーはそこまでで思考を打ち切ったが、ゲオルグの思考はもう少し先に進んでいた。フェザーンがフェザーンとして成立し、今日に至るまで独立を維持し続けてこられたのは、ひとえに帝国と同盟の戦争状態が延々と続いたことによる。コルネリアス一世の大親征によって発生した同盟軍と帝国軍の総力をあげての全面衝突は甚大な被害を両国にもたらし、コルネリアス一世はその混乱の収拾におわれ、ふたたび同盟との間で大規模な武力衝突がおこるのは、是が非でも避けたいことであった。しかしだからといって同盟との間に停戦条約を結ぶわけにもいかない。“銀河帝国の皇帝は全人類の上に君臨する支配者である”という帝国の建前もあるが、大親征を起こしたのは同盟が臣従を拒否したことに対して懲罰を下すという大義のためであって、それを決断した皇帝が同盟との停戦条約を提案するなど筋が通らないばかりか、皇帝の権威が木っ端微塵に粉砕されかねないからだ。

 

 そんな時に、ある商人集団が同盟と通じるもうひとつの回廊を見つけたという報告を聞いて、コルネリアス一世は恐怖した。イゼルローン方面には防衛のために充分な兵力を配置してあったが、帝国領に通じる道がもうひとつあるとなると、大親征で大打撃を受けた帝国軍には、それを塞ぐための兵力が足りないのである。その恐怖を、回廊を発見した商人集団の主レオポルド・ラープは巧みに利用した。

 

 地球などという辺境の惑星で生まれたとは思えないほど、巨額の富と商才を持つこの男は新たな市場として同盟に魅力を見出していたようで、帝国再建のための莫大な寄付をすると同時に皇帝に提案したのである。フェザーンを自分たちに商人に任せるつもりはございませんか。もし任せてくれるならば、叛徒どもが新しい回廊を通って、帝国領に侵入してこれないようしてごらんにいれましょう。

 

 コルネリアス一世はラープの大言壮語に胡散臭いものを感じたが、帝国再建のために莫大な寄付をしてくれた引け目があるし、多額の資金援助で買収された多くの大貴族がラープの案を支持したため、不快に思いながらもその案を認めた。買収された大貴族のことを情けなく思う気持ちもあったが、大貴族の資金難が自分の大親征によって引き起こされたものであると知っているだけに、大貴族達を責めることを皇帝はできなかったのである。

 

 かくしてフェザーン自治領が成立し、自治領主となったラープは同盟にフェザーンとの外交関係の樹立を打診し、同盟首脳部は即座に外交関係樹立を決定した。コルネリアス一世は同盟が侵攻してきたらと恐怖を抱いていたが、同盟領は両軍の全面衝突の戦場となっただけに戦渦による荒廃が凄まじく、同盟軍も巨大な損害がでていて、とても帝国領に逆侵攻できる状態ではなく、むしろ帝国軍がふたたび大挙して同盟領に侵攻してきたら、同盟の命数は尽きるという一種の諦観さえ漂っている状況だったので、防衛ポイントを減らせるフェザーンの提案は福音に思えたのである。それにフェザーンの政治体制が民主的ではなくても、商人達の合議による共和制的体制を採用していたのも、国内の原理主義者の反対を黙らせるよい材料になった。

 

 こうして帝国・同盟の双方と外交関係を成立せしめ、両国からその存在を公認されたフェザーンであったが、両国から好意の目線で見られていたかというと、必ずしもそうではなかった。それどころか帝国と同盟が互いに対して抱いている嫌悪より、さらに強い嫌悪をフェザーンに向けていたとさえ表現することができるかもしれない。自分たちは血を流して平和を築こうと必死で戦っているのに、どうしてフェザーンだけが平和を謳歌し、戦場で流れた自分たちの血を啜って肥え太っているのか。そういう感情が両国にあり、一時的に戦争状態を棚上げし、フェザーンを潰すべし! そういった意見を持つ集団が帝国にも同盟にも存在し、無視するには少し大きすぎる勢力を築いているほどである。

 

 だから同盟と帝国の間に平和が到来した場合、この両国はフェザーンを共通の敵として強い敵意を向けるであろう。そうすれば、両国の平和体制の維持に便利であるし、内政面に問題が生じた時にフェザーンに圧力をかけて民衆の不満をそらすことだってできる。それをフェザーンの首脳部も弁えているはずである。

 

 弁えているからこそ、約半世紀前、同盟との間に対等な関係を構築せしめ、銀河に平和を齎そうとした第二七代皇帝マンフレート二世を暗殺したのだ。内務省や憲兵隊の捜査は、ルドルフ大帝以来の帝国の伝統を捻じ曲げようとしたマンフレート二世に非好意的な感情を持っていた有力者が大多数だったこともあり徹底せず、暗殺事件の全貌は謎に包まれているが、実際はフェザーンが背後にいたにちがいない。すくなくとも、ゲオルグはそう信じていた。

 

 だからフェザーンにとって、同盟と帝国の戦争が終結することは悪夢なのだ。滅亡までいくかどうかはわからないが、すくなくとも両国のサンドバッグになることは間違いない。だからもし自分がフェザーンの自治領主であり、亡命政府を支援するなら、亡命政府が同盟に承認された時点で亡命政府を見捨て、なに食わぬ顔で三国鼎立政策を堅持する。これでフェザーンの優位は守られるのだから。

 

 しかしそんな小難しい政治的なことを、懇切丁寧に説明してやる必要を感じなかったので、フェザーンを信じるに値しないということさえわかっていれば充分であろうと、ゲオルグは本題を切り出した。

 

「そのおかげと言っていいのかどうかわからぬが、きみの出番が早まるだろう」

「……しばらくは地盤固めに努めるんじゃなかったのか」

「それはそうだが、もはや状況が変わった。不本意だがやるしかない」

 

 今上(きんじょう)の皇帝陛下が同盟に亡命あそばされ、亡命政府を設立し、ローエングラム体制に挑戦する。実質を伴っているかは別として、そういう形が表層に現れた時、旧体制の方が良かったと思っているものたちは必ず行動を起こす。ゴールデンバウムの皇帝を推戴する亡命政府を支持するか、自由惑星同盟を僭称する叛徒の傀儡になったゴールデンバウム王朝を見限って新体制に迎合するか、どのような形にしても旧体制にシンパシーを持つ貴族領や元貴族領は選択を迫られることとなるだろう。

 

 旧体制派と秘密裏に接触し、連合を組み、新体制に圧力をかけることによって復権の道を探る。拙速さより巧遅を優先する長期的な計画を練っていたゲオルグにとっては迷惑でしかない。協力するにせよしないにせよ、当初の計画は大幅な修正を余儀なくされるわけだ。フェザーンとの完全な対立など望んでいないが、亡命政府への協力は後々になって言い逃れできる程度にできないならば、フェザーンへの非協力も選択肢に含むべきだ。現時点でローエングラム体制と和解するという手を完全に潰すのは、もっと望んでいない。

 

 ともかく近いうちに同盟に亡命政府が設置されることを前提にした、新しい復権計画を組み立ててねばならない。それも早急にだ。それ以外にもシュヴァルツァーと話しあわねばならぬことが多すぎる。今すぐにでも会社に戻って話しあうべきだ。多少ご近所さんに不信感を持たれるかもしれないが、部下が問題を起こしたせいだと苦笑しながら語れば、簡単に誤魔化せるだろうからすぐに会社に戻っても不自然さはごまかせる。いや、それよりも先にやるべきことがあるか。

 

 そこまで考えたゲオルグは、肺の中の空気をすべて入れ替えるくらい深く深呼吸し、自宅のTV電話の受話器を取った。スクリーンはオフモードにし、記憶にある番号を打ち込む。

 

「こちらハイエク探偵事務所」

 

 若い女性の声だった。たぶん秘書だろう。

 

「夜分遅くに失礼。ハイエクさんはまだおられるだろうか」

「おられますが、お名前とご用件は?」

「悪いが彼と直接話したいんだ。いいから変わってくれ」

 

 有無を言わせぬゲオルグのもの言いに、受話器からかすかに秘書が息をのむ声がした直後、畏まった様子で「わかりました」と返した。やがてどこか気取った男の声が受話器から聞こえてきた。

 

「はい。ハイエクです」

「ハイエクだな」

「そうですが、どちらさまで?」

「大神オーディンより偉大な神の名は?」

「……グリームニル(オーディンの別名)」

 

 秘密組織の構成員であることを確かめる合言葉を交わしあい、ハイエクは状況を理解した。組織が人伝手ではなく、傍受される危険がある通信を使うということは、よっぽど急ぎの用件があるのだということだ。

 

「今年中にオデッサに来た者のリストを作成してもらいたい。いつまでにできる?」

「三日もあれば」

「よろしい。なら、三日後にきみの上にいる人間にリストを取りに行かせる。リストを確認した点できみの口座に礼金の五万帝国マルクを振り込もう」

「ごっ……っ?!」

「……少なかったか?」

「い、いえ、そんなことは決して」

「そうか。念のために言っておくが、半端な仕事だと承知しないぞ」

 

 そう言い切るとゲオルグは受話器を置いて、オットーに向き直った。

 

「私はこれから会社に戻る。おまえたちもいつもの警備に戻れ」


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