リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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黄昏の衝撃-醜怪影嚮

 首都再開発区域に新設された戦没者墓地の完工式には、もとより憲兵総監ケスラー大将の指揮の下、それなりの警備体制が敷かれる予定であった。そこへ本日の正午頃に首都防衛軍副司令官トゥルナイゼン大将からブラックリスト入りしている貴族連合残党の大物が近辺で目撃された為、注意されたしとの連絡があったとき、ケスラーは暫し悩んだ。

 

 というのも、すでに予定されていた警備の規模でも彼個人としては少々大仰さを感じていたのである。加えて主君たるラインハルトが重厚な警備体制というものを好まないという事情もある。しかしジーベックがどれほどの危険人物であるかは憲兵隊の調査資料をまとめたデータベースにまとめられており、それを考慮して、憲兵達の武装レベルを一段あげ、兵員も僅かばかり増量させることにした。

 

 皇帝だけならまだしも、今回の完工式の式典には、その重要性から国務・軍務・工部の三人もの閣僚を筆頭に、政府と軍の要人も多数出席する。取り越し苦労やもしれぬが、十分以上の警戒をしても良いであろう。何事もなければ自分が主君の不快を招いたことを謝せばよいのだ。そして、叶うならば、その形で終わるのが一番である。

 

しかしそんな願いは叶わなかった。市内に爆発音が響き、その数分後には首都防衛軍司令官たるクラーゼン元帥から移動中の皇帝陛下を狙った暗殺未遂が発生したとの連絡も入った。こうなると、念のために用意していた重武装憲兵部隊が要人警護の上で大変有効活用できているのであった。

 

 一方、この戦没者墓地に埋葬された者の所属部隊の者達や戦友たちからなる三万人の非武装の兵士の群れの中に、ひっそりと肩を落としている兵が一人いた。彼は、ヴェスターラント出身の兵士であった。先のリップシュタット戦役の折、()()()()兵役について故郷を離れていたために、貴族連合軍の虐殺の被害者になることを免れた男であった。

 

 彼は旧帝国の辺境貴族領で暮らす臣民としては模範的かつ普遍的な価値観の所有者であった。極端にいってしまえば、生まれた星で暮らし、働き、骨を埋めることのみを考え、他の星々のことは知識として知ってはいても、さほど興味を持たない。兵役も帝国臣民たる義務であるので、仕方なくという以上でも以下でもない認識しか持たず、帝国軍人としての兵役を終えて早く故郷へ帰ることを望んでいた。

 

 このような価値観の所有者にとって、リップシュタット戦役での貴族連合軍によるヴェスターラントの虐殺は、文字どおり世界が終わったに等しかった。惑星上に点在していた街や村々すべてに、一三日戦争以来人類すべての禁忌であると認識されていた熱核兵器の地上投下が行われて、二〇〇万の居住民はすべて核の劫火で火葬に伏され、建築物は一つ残らず爆風の嵐で壊滅しており、有人惑星ですらなくなってしまったのだ。

 

 そのため、内戦の翌年から帝国政府が毎年発行している地図からはヴェスターラントの文字すら消えた。帝国五〇〇年の歴史を遡っても、惑星規模でここまで徹底的に破壊された有人惑星などは存在しない。再興の余地などとてもあるまいという判断によるものであった。あるいは、禁忌扱いされた核兵器の地上使用で滅んだなど不吉である、という迷信じみた恐怖から触れたくない感情も帝国の文官たちにはあったのかもしれない。

 

 故郷の星を再興することすらできない。彼という人間を構成していた要素のほぼすべてが奪われた後、思ったことは復讐をしなければということであった。まず最初にその復讐対象として最初に思い浮かんだのは貴族連合盟主のブラウンシュヴァイク公、貴族連合軍最高司令官メルカッツ、虐殺実行の責任者であったジーベックなどであったが、ブラウンシュヴァイクは既に敗死し、メルカッツは同盟に逃げ、ジーベックは何処にいるのかわからぬのであった。

 

 そんな折、リップシュタット戦役で当時のローエングラム公はヴェスターラントの虐殺を止めようと思えば止めれたのに、政略的事情から止めなかったのだという噂話を耳に挟んだ。それを聞いて彼は如何なる思考回路によるものか、もしくはこれ以上失うものがないゆえの破滅的思考がとにかく復讐の対象者を欲したのか、ブラウンシュヴァイク公とローエングラム公が共謀して故郷ヴェスターラントを滅ぼしたのだという認識を持つに至り、今やローエングラム公から銀河帝国皇帝になり仰せたラインハルトに復讐するのだと決意した。

 

 だから自分も参列する今回の戦没者墓地の完工式に皇帝ラインハルトが出席すると聞き、またとないチャンスであると考え、彼は金属探知機にひっからないよう毒を塗った竹のナイフやセラミックの青酸スプレーなどを用意し、皇帝暗殺の挙にでようとしていたのである。狂気の沙汰であって、仮に皇帝が予定通りに出席したとしても、親衛隊の警護を突破することをできるわけもなく、成功の確率などゼロに等しい杜撰な暗殺計画であった。

 

 それなのに、道中で貴族連合残党だかの襲撃を受けて、式典じたいがとりやめになるというのだから肩透かしを食らった気分なのであった。しかしその気分が過ぎ去るとシニカルな喜びが彼を満たした。このようなことに長けたものは、この世には幾人もいるし、今回は失敗のようだが、さて、次のおれやだれかの暗殺の手を皇帝は躱し続けることができるだろうか、できはしまいと思ったのである。

 

 そんなことを思っていただろうか、皇帝暗殺未遂が起きたという情報を得て他の将兵は憤激するなり困惑するなり感情をあらわにしていたのに、自分の近くでぶつぶつと小声でなにか呟いていた兵士の声が、彼の視界の中で浮いて見えたので気になり、耳を傾けた。

 

「慈……主、……シードよ。汝は……争う惨禍を嘆かれ、……母なる大地の上に……献身された。……願い、いま……戦禍に……憐れみ、……罪業の炎で己が身を焼き尽くさん……。しかれども、願わくば浄罪の天主たる汝の御力によりて、魂だけでも救済されんことを」

「ーーー!?」

 

 その言葉の意味するところを悟り、皇帝暗殺者志望の彼は瞬時に顔を青ざめさせ、逃げようとした。それは地球教の殉教の聖句であった。帝国中央政府の認可を受けた団体に属する地球教徒以外は、テロリストへの扱いに準じて処置すべしとして、その思想や価値観を研究した資料が帝国軍に配布されており、当然彼もそれを読んで知っていたのである。

 

 しかしその判断は遅かった。既にその地球教徒の兵士が懐に忍ばせていたプラスチック爆弾は信管をつきさしてより一定時間以上経過しており、すぐ近くにいたヴェスターラント出身の兵士は逃げようと思ってすぐに起爆してしまい、地球教徒兵士と同じく彼も爆発の衝撃で即死してしまった。

 

 突然の爆発、それも式典参加のためだけにいた一般兵の列で起きた爆発で周囲は驚き、兵らは混乱して各々無秩序に行動を始めた。フェザーン方面軍司令官ルッツ上級大将は、その状況を見て即座になんらかの陽動であると察し、大声で混乱する兵たちを諌めた。ケスラーも警備兵たちの様子を確認し、動揺が少ないことに安心しつつも周囲に警戒を走らせた。パニックに乗じて何者かが行動を起こすとすれば、今がその時のはずである。

 

 そうした彼らの考えは正しく、とある要人を襲撃しようとして不審な動きを見せた男を即座に憲兵たちは即座に電圧銃で抵抗力を奪い、手錠をかけて両脇を掴んで拘束したが、憲兵達は内心戸惑いを覚えざるをえなかった。まず、その男が、大尉の階級章を身につけた立派な帝国軍士官であったこと。そして所属章はルッツ艦隊所属であることを示すものであった。

 

 そして何より彼らを戸惑わせたのは、その大尉が襲撃しようとした相手が国務尚書フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵であったことであった。もちろん、内閣首席たる国務尚書を務める伯爵は帝国にとっては重要な人物である。しかしマリーンドルフ伯は才幹よりも、良識さや誠実さ故に抜擢された人物であって、黎明期の余人をもって代え難い人材を多く抱えて運営されていたローエングラム王朝の全体図からすると、酷い表現を使うならば“代替が容易”な人材であった。近くにいたシルヴァーベルヒ工部尚書を狙った方が帝国全体にあたえる政治的ダメージは大きかったであろうに。

 

「貴様も門閥貴族の残党の手の者かっ!?」

 

 問いを投げた憲兵将校の立場からすれば、現在入手している情報から推測して一番可能性の高い疑惑であったから、当然の詰問内容であった。しかし問われた方にとっては違った。国務尚書暗殺未遂犯の大尉は一瞬だけ困惑の表情を浮かべ、そして次の瞬間に一切の表情が消えた。そしてすでに電圧銃を撃たれて抵抗力を奪われていたはずであるのに、大尉の両脇を掴んで拘束していた憲兵たちが驚くほどの力で前進しようとした。あくまで電圧銃で筋肉が思うように働かないはずであるにしては、であるが。

 

 憲兵達の拘束を振り解けないことを悟った大尉は、今度は目の前の憲兵将校を目力だけで人を殺せるならば殺せそうなほどに眼光を炯々とさせ、壮絶ささえ見るものに与える迫力ある雰囲気をまとわせながら、叫んだ。

 

「ふざけるなこのクソ憲兵が!! 俺が門閥貴族の残党だと!?? 侮辱にもほどがあるぞ貴様ァ!!」

 

 心外であると怒り心頭な大尉の返答に、問いを投げた憲兵将校は唖然とした。たとえ否定されるにしても、まさかこれほど強烈な否定の言葉が飛び出してくるなど思っていなかったのである。

 

 ギロリ、と大尉は目玉だけを動かしてマリーンドルフ伯をにらんだ。殺意と憎悪に塗りつぶされているかのような大尉の瞳を確認して、マリーンドルフ伯は反射的に恐怖から身を竦めた。その様子を見て更に国務尚書への怒りを募らせ、顔は鮮やかな血の色に染まっているかのように見えた。

 

「そこな臆病者はローエングラム王朝を腐らせる癌だ。俺を拘束している暇があるなら、カイザー・ラインハルト陛下の御為にそいつをさっさと殺さぬか! 役立たずどもが!」

「貴様! 先ほどから何を言っている!?」

 

 まるで意味がわからない発言を繰り返す大尉に、ルッツ上級大将が苛立ちを感じさせながら口を挟むと、大尉はぐるりと首を回転させ、今度はルッツを糾弾した。

 

「ルッツ! コルネリアス・ルッツ!! あの人の部下であった身でありながら、なんという体たらくだ!! あんたがしっかりしていりゃあ、俺がこんなことをせずにすんだんだ!! 恥を知れ、恥を!!」

 

 本当にどういう意味だ。ルッツは決して部下を軽んじるような人物ではなかったが、大尉ともなると一個艦隊には数え切れないほど所属しており、とても全員の顔と名前を把握しきれているはずもなく、目の前の大尉のことをルッツは知らなかった。だから、このようなことを言われる覚えがまったくもってなかった。

 

「あんたたちの怠惰ぶりのおかげで、俺たちがこんなことをしなければならんのだ。マイン・カイザーの築く歴史に歴史ある帝国貴族家など不要! 歴史の表舞台から消し去るべきだ! 一人残らず正義の神(フォルセティ)の裁きを受けさせてやる!」

「そうか、卿は反貴族主義者なのだな?」

 

 やや沈痛さを滲ませながらルッツはそう呟いた。出自にこだわらない公平な実力主義を標榜し、相応の実質を備えているのが今の新帝国ではあるのだが、それでもゴールデンバウム王朝の被害者たちが叫ぶ旧来の貴族階級への憎悪と、それに対する世論の共感にはほとほと手を焼かされていた。

 

 そして同時に目の前の大尉がどうしてマリーンドルフ伯を暗殺しようとしたのかにも理解が及んだ。マリーンドルフ伯爵家は旧王朝時代は主流とは言えない地味な貴族家ではあったとはいえ、それでも帝都に大きな屋敷を構え、宮廷に出入りすることもできないわけではない程度には歴史と伝統ある家柄である。

 

 加えて現在のマリーンドルフ伯は、ラインハルトの改革によって落ちぶれてしまった貴族たちに少なからぬ同情を寄せており、彼らのことを思いやり、彼らの生活がたちいくよう、僅かばかりではあるが事情を斟酌してかつての資産の一部を取り戻してあげたり、私費を投じて生活の支援をしていた。それが反貴族主義者たちの目からは()()()()()()()()()に見えているらしいことは噂として知っていた。

 

 しかし、よもやその噂を信じ込み、現役の国務尚書を暗殺しようとするほどの過激派が生まれていようとは! しかも少なくない兵を爆殺するなどという陽動までして……ルッツはなんとも暗澹さに満ちた怒りと失意を感じざるをえなかった。だが、ルッツは予想だにしていなかった。この大尉が、まだ周囲の者を驚かせるにたる、その身に秘めたる激情を叫ぶなどとは。

 

「あの人は死んでしまった! だからこそ残された者達が陛下を、あの人の分までお支えしてさしあげねばならぬ。たとえ帝国人が総力をあげても到底あの人の分には足りぬというに、あんたは貴族に阿りなにをしていたのだ!」

「? 卿は何を言って――」

「ジークフリード・キルヒアイス!!」

 

  暗殺未遂犯の大尉の口から出た非命に倒れた若者の名前は、その場にいた者達を一瞬凍りつかせるものがあった。大尉は悲痛さを込めて続けた。

 

「ほんの数年前までのあんたの上官だ。内戦の時、快刀乱麻に傲慢な貴族ども叩き痛して辺境の民を救い、リッテンハイムの外道をもキフォイザー星域の会戦で討ち滅ぼして、“辺境聖域の王”と讃えられたあの人のことを、もう覚えていないのか。俺たち平民将校の前で、選民意識に凝り固まった大貴族どもの時代をこの内戦で終わらせると語りかけてくれた、あの人の言葉を! 声を! もう忘れてしまったというのか……」

 

 表面上は鉄面皮を貫いたものの、ルッツは内心気圧されていた。目の前の大尉が何者であるかわかったからである。当人がだれだかわかったわけではない。ただ目の前の大尉は、リップシュタット戦役の際に、自分と同じくキルヒアイスの別働隊に所属していた帝国軍将校であることを察し、あのキルヒアイスの言葉を曲解し、このようなことをしでかす者が現れるなど、救いがないことのように思われた。

 

 だがそれはルッツの視点での考えである。当然ルッツとは異なる考え方が、別の思考があり、救いがないのは今の帝国の世のことである。大尉はそのように、亡きキルヒアイスの遺志が踏みにじられているように感じており、だからこそ、こんな暴挙に及んだのである。

 

 大尉は肩で息をしながら次に何をいうべきか迷っているようであった。ルッツが無言で沈黙しているのを見てとり、ケスラーは大尉を拘束している憲兵たちに命令した。

 

「そこの大尉を憲兵本部に連れて行け。後程、私自ら尋問する。他の者は引き続き周囲の警戒と共犯者がいないか捜索にあたれ」

 

 大尉は唸ったが、言葉としては何も言わず、抵抗もせずに、幾人もの憲兵に周囲を囲われた上、両脇の憲兵に引きずられるようにして式典会場から移動させられた。いや、会場を出る直前に入れ違いになりかけたある二人のために、この劇は、しばしの延長戦がおこなわれることになる。

 

 その二人とは、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタインと大本営幕僚総監のヒルデガルド・フォン・マリーンドリフの二人である。その二人を見咎めた時、大尉は目を見開き、急激な怒りでその目は血走った。大尉の認識では、オーベルシュタインはマリーンドルフ伯と並んで旧体制下での特権貴族階級の復興を目論む君側の奸であり、ヒルダは色香と小賢しい弁舌を弄して父親のために皇帝ラインハルトの判断を誤らせる女という、事実とはかなり異なる認識をしていたからである。

 

 大尉は拘束を力ずくで振りほどき、この二人に鉄拳を叩き込もうとしたが、憲兵の拘束を振りほどくことができなかった。しかしその様子が気になったのか、オーベルシュタインは足をとめ、一番階級が高い憲兵将校に問いかけた。

 

「その大尉はなにをしたのだ?」

「はっ、爆弾テロを起こし、国務尚書閣下を暗殺しようとしたのです」

「お父様を?!」

 

 ヒルダの驚きが、大尉にはひどく気に触ってしまうものであった。

 

「死んで当然だ。キルヒアイス提督の名誉を踏みにじるのがそんなに楽しいか?」

 

 その糾弾に怪訝な表情をヒルダは浮かべた。先ほどのルッツやケスラー同様、何を言っているのかを理解しかねたのである。

 

 大尉は憤怒と憎悪と妄執と偏見に濁りきった瞳をしながら、まるでなにかが零れ落ちて行くようなか細い声でつぶやき始めた。

 

「宇宙艦隊司令長官、統帥本部総長、軍務尚書、帝国元帥……だが、大公位、だあ!!?」

 

 ケッ、とは吐き捨てて、大尉はまたも激した。

 

「あの人は墓前にそんなものを捧げて欲しかったわけじゃねぇだろうが! ましてや大公殿下なんぞに、()()()()()()()()()()なぞ、それもローエングラム王朝の始まりと共になんて、どういう嫌がらせだ! 貴様が陛下を口先三寸で誑かし、こんな悍ましいことをさせたのだろうが! この女が、ふざけやがって、ふざけやがって!!」

「……それは陛下がご自身で判断なされたことよ」

 

 ヒルダはあきれたような声で言った。ラインハルトは旧来の貴族階級の位階制度を進んで廃止しようとしたことはないが、新しく貴族を任じるということを避けていた。にもかかわらず、あえてキルヒアイスに大公号の追贈を行ったのは、周囲の目にもわかるように皇帝がその死を重く見ている形として示す必要があると考えたからだ。

 

 実際、ラインハルト自身が言明していることだが、キルヒアイスがいなければ、帝国の全権を握るどころか、帝国軍の将官になる遥か前に、前途にあった障害や妨害の数々を乗り越えることができず、ラインハルトは破滅していたことだろう。それを思えば、キルヒアイスの献身に報いる意味でも間違った措置ではないはずである。

 

 だが、反貴族の思想に染まっている者からすれば、また別の思考法がある。

 

「ならば帝国元帥や軍三長官で十分だったろう! なぜ貴族の称号なんぞ! それは貴様らが貴族の復権を目論んでるからじゃないのか!?  キルヒアイス提督は貴族が威張りちらすことがない世界を望まれたのだ!」

 

 大尉は視線をヒルダに固定したまま、少しばかり感情を抑えるようにして、続けた。

 

「俺はただの軍人。政治のことなぞなにもわからぬ。だが、旧王朝の貴族どもがまた復権し始めているのがよいわけがない。陛下には陛下の事情があるのかもしれぬ。帝国の頂点に立つ御方として、守られねばならぬ法則というものがあられるのだろう。ならば、俺たちみたいな生命の軽い者が、その生命を賭して、陛下の御為、帝国を蝕む貴様らのような害虫ども駆除してさしあげねば……」

「ほう、たいした自己弁護だな」

 

 その無機質な声に、ヒルダは驚いたように隣を見た。義眼の軍務尚書がいつも通り感情のうかがい知れない鉄面皮をたもっていたが、ここで口を挟んでくるような人であっただろうか。

 

「卿は皇帝(カイザー)への忠誠や故キルヒアイス提督の遺志を口にしているが、およそ陛下の兵を幾人も害し、陛下の国務尚書を自己判断で処そうとする者を忠誠厚き者とも誠実な者とも言わぬ。昨年のオーディンで陛下への忠誠心を利用して叛乱事件を起こした貴族の残党どもとなんら変わらぬのが卿がしたことだ」

「なんだとッ?!」

 

 淡々とした口調で続けられた正論に、大尉は逆上してオーベルシュタインを漆黒色の殺意を込めて睨みつけた。大尉の顔色は怒りで真っ赤になるのを通り越してどす黒くすらなっており、見る者に恐怖感を与えずにはいられないほどであったが、オーベルシュタインは微動だにしなかった。

 

「そういう貴様はどうなんだ!? 爵付きの名門貴族家の当主様の分際で陛下の傍に侍り、必要だなんだと嘯いて秘密警察を復活させたと思えば、今度は人材不足を理由にお仲間の貴族どもを復権させようとする。あの手この手で時代を逆行させようとする狡猾な蛇のようなやつが貴様ではないか。そんなにゴールデンバウムの世が恋しいか。そんな奴に、俺の皇帝(カイザー)への忠誠を云々言われたくないわ! この生まれるべきでもなかったクズがッ!」

「卿の言う皇帝(カイザー)への忠誠は、ただの妄想だ」

 

  やはり聞く者に冷たささえ感じさせる冷静な声で、大尉の言葉の奔流を切って捨てたオーベルシュタインであったが、これ以上の会話の無意味さを悟ったのか、憲兵将校に向けて顎をしゃくった。意を察して憲兵将校が移送を再開するよう憲兵達に命じた。

 

 大尉はまだ憎悪の言葉を吐き足らぬと暴れたが、どうにもならずに両脇の憲兵にひきづられる。憤懣やるかたない大尉は、残されたすべての体力を使い切るくらいの気持ちで、やや見当はずれな呪いの言葉を叫んだ。

 

黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)の御旗を汚す貴族どもが! 貴様らが大手を振って歩ける時代はゴールデンバウム王朝とともに終わったのだ! 待っていろ! 貴様のような輩、ローエングラム王朝が許容し続けるものか! 高位貴族は一人残らず破滅するべきだ! でなくて、あの軍旗の下で戦い、散っていった者達が納得するものか! 覚えていろ、貴様らは確実に破滅するのだ!  貴様らのような不要な存在がいつまでも息をしていられると思うなよ! 旧時代の汚物ども!!!」

「いい加減黙らんかッ!」

 

 忍耐の限界に達した憲兵達から数回鉄拳で殴られて、大尉は口を開けるような状態ではなくなったようで、その後は静かに大尉は移送されていった。

 

 残された沈痛な空気に、ヒルダは若干の気まずさを感じ、どうしたものかと思ったが、何事もなかったかのようにオーベルシュタインは言った。

 

「余計な時間を使った。急ぐとしよう」

「は、はい」

 

 驚くほど動揺していないオーベルシュタインに、ヒルダはやや気圧されながらも同意した。そして軍務尚書の揺るがぬ冷静沈着さに畏怖と警戒を抱いた。あれほどの狂気を前にしても、この男は揺らがぬのか、と。

 

 しかしそれは少々過大評価であったかもしれない。オーベルシュタインは誰にも聞こえないほどの音量で、先の大尉の口に出した言葉をつぶやいていた。

 

「貴様らのような不要な存在がいつまでも息をしていられると思うな、か」

 

 その言葉を咀嚼して、胸中で評価を下した。そこだけはあながち間違った発言ではないのかもしれない。少なくとも、自分に関しては……。オーベルシュタインはそこでくだらない思考を打ち切って、今の事態を乗り切ることへと思考を移した。もっとも、すでに首都防衛軍が動いており、このテロ事件の鎮圧そのものはさして問題にはならないであろう。すぐに少々思惑からズレてしまった現状に対する、事後処理のことを考えなくてはならなくなるであろうが。

 

 




今回のサブタイ「もしもジークフリード・キルヒアイスが生きていたら」にしようかとも思ったが、自重した。

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