リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

85 / 91
黄昏の衝撃-始まり

「……革命的専制者、あるいは専制的革命家ともいうべきラインハルト・フォン・ローエングラムは、ゴールデンバウム王朝の時代から続いてきた悪しき慣習や伝統をほとんど破壊したが、その彼の剛腕をもってしても、まったく変えることができなかった伝統がある。それは()()()()()()()()()()()()という伝統である」

 

 後世の歴史家がそう記述する黄昏の衝撃(アインシュラグ・デメルング)事件と呼ばれる一連の出来事は、雨上がりの夕陽がよく映える夕暮れ時の短い時間の内に起きた。

 

 皇帝ラインハルトはフェザーンに新設された戦没者墓地の完工式に出席するのが本日の最後の予定されている公務であり、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン、大本営幕僚総監ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ、主席副官のシュトライト中将と次席副官リュッケ少佐、近侍のエミール・フォン・ゼッレ、そして二名の侍医を伴って仮の宮殿とも言うべきホテルの外へと出た。

 

 侍医を随従させているのは、昨今ラインハルトはしばしば発熱を起こすことが多い為であった。人類社会の中でも最高峰レベルの医療技術を持つ侍医たちなのだが、彼らの知識を総動員しても、しばしば起こる皇帝の体調不良と発熱の原因がわからないため、万一のために彼らは軍医として親衛隊の管理下に組み込まれ、軍服を着て交代制で皇帝と共に行動するのはいつものこととなっていた。

 

 皇帝の傍に侍れるのは名誉なことではあったが、彼らにとって皇帝と行動を共にするのは大きな精神的負担であった。それはむろん、もしもの皇帝の容体が急変した場合その生死に重大な責任を負うことになるかもしれないという不安からくるものもあったが、皇帝が何故健康状態を崩しがちであるのか、その原因を何人も説明し得ないことから、皇帝と接する高級軍人や官僚から冷たい目で、時に殺意を込めた視線で見られ、これが非常に大きな精神的負担となるからであった。

 

 もっともこれは本当に万が一のための措置であると、親衛隊長のキスリングは考えていた。たしかに時折体調を崩されるのは心配ではあったが、一度病床より離れると、皇帝は代わり映えのしない他を圧する勤勉さと指導力、輝きに満ちた覇気を周囲に見せつけるからであり、ある侍医が泣き言のように言っていた単に働きすぎで疲労から体調を崩しているだけではという意見も、実は的を射ているのではないか、などとキスリングも思わず得心してしまうからであった。

 

 そんな皇帝は会場に向かうために用意された車列を前にして、怪訝な顔をして口を開いた。

 

「いつもより車の台数が多いようだが」

「首都防衛軍司令部より不穏な情報があり、念のための警備強化であります」

「不穏な情報?」

 

 皇帝の問いかけに親衛隊隊長のギュンター・キスリング准将は背を正して答えた。

 

「例のヴァルプルギス事件の首謀者の一人にして、ヴェスターラントの虐殺の実施責任者であるアドルフ・フォン・ジーベック元中佐の姿を、この首都にて見かけたとのことでありまして」

「なに? それで首都防衛軍は取り逃がしたと言うのか」

「あ、いえ、トゥルナイゼン大将よりの報告によると、実際にジーベックを発見し、それでいて見失ったのは内国安全保障局とのことでありまして、首都防衛軍としては警備強化のみの対応にとどめるとのことであります」

「ジーベックというと、一年前のオーディンでの騒ぎの首謀者の一人だな」

 

 反動貴族たちと近衛師団の不平分子による合作により、当時帝都だったオーディンで起きたクーデター事件はラインハルトにとっては不快な記憶として残っている。なにせ自分が外征の途上にある中で後方の首都で、しかもあろうことか、自分への忠誠を大義名分にされた事件であるのだから、それは当然のことであった。

 

 またさらにやや複雑なことながら、謀略のためモルト中将を死に追いやった負い目を抱いていたラインハルトにとっては、その遺族であるヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルトが、巷に流布していた真実を含む噂を信じ込み、自分への復讐を目的として起こした事件の主犯となっていたことも、態度には出さねど思うところがあったのである。

 

 それでふとラインハルトはモルト中将の息子の親友であり、事件後に主犯格の一人として拘束されて法の裁きを受けた男の存在に思考が及んだ。

 

「そういえばオーベルシュタイン、近衛参謀長だったノイラート以下近衛司令部の者達の処刑は既に執行したのだったか」

「はっ、先日既に執行済みであります。オーディンからの報告によると、最後まで自分たちの責任であり、他の将兵はすべて自分たちが騙して巻き込んだだけ故に彼らには寛大な処置を、と最後まで主張していたそうです」

「叛乱のやり方はともかく、責任の取り方はわかっていたようだな」

 

 もとより実際にジーベックらの貴族連合残党と共謀してクーデターを主導した近衛司令部の者たちを中心的に裁く予定ではあったが、ノイラートが公開裁判の席において潔く自分の責任を全面的に認め、自分たちを裁けと強く主張していたため、色々と帝国としては事後処理的に助かった面があった。

 

 憲兵隊の追求にもかかわらず、貴族連合残党の幹部陣の内、レーデル以外は死亡するか逃亡に成功してしまっているだけに、近衛司令部のノイラートたちには見せしめのためにも重い罰を与えねばならず、公開裁判がスムーズに進み、被告たちが自己弁護を駆使して責任論を拡大させず、マスコミも特に異論を挟まずにその判決を肯定的に報じてくれたのは、統治側としては大変ありがたいことであったのである。

 

「しかし、貴族連合残党の首魁とみられているものがこの近辺をうろついているというだけで、予の警備を強化するというのはいささか大袈裟すぎやしないかキスリング」

 

 冗談のような口調ではあったが、それが混じり気なしの本音であると知っている親衛隊隊長の准将は恐縮して身を正した。自らの主君が厳重な警備というものを嫌い、身辺の簡素さを好む性をこれまでの職務で十分以上に承知していることであった。なにせ隊員の多くが、肉体的疲労以上に精神的疲労から休暇を求めるのが、この時代における親衛隊という組織であったのだから当然である。

 

 だがラインハルトのそうした傾向を理解し、それに配慮して普段は皇帝の視線が届かぬ場所に親衛隊員を配置し、皇帝のすぐ近くに控えるのは必要最低限の要員――多い時であっても二〇名以上の親衛隊員が皇帝に随従しているということはまずない――しか配置させないものだが、今回はその配慮をやめることをキスリングは決意していた。

 

 キスリングは懇々と理を説いた。ラインハルトのように頻繁に民衆の前に姿を現す権力者は、常に高い暗殺のリスクに身をさらしていると言ってよい。特に暗殺者の側に、自らの身の破滅を織り込み済みの上で暗殺に及ぶ覚悟と意思があった場合、これを予防するのは容易なことではない。

 

 五世紀になんなんとするゴールデンバウム朝の前例を見れば、常に厳重な警備体制を敷かせていたにもかかわらず、頻繁に臣民に対して玉体を晒すことを好み、自爆をいとわぬ暗殺者の狂気を前にヴァルハラへの旅路を強制された皇帝とて存在するのだ。帝国の治安組織全体が地球教を強く警戒しているのは、この種の暗殺者の性質を有した人間を多数抱えているに違いないと想定されているからである。

 

 更にフェザーンにおける軍中枢の人間が現在少なくなってるのも、問題といえば問題であった。新領土総督としてサジタリウス腕統治の全責任を負っているロイエンタール元帥がいないのは当然として、ミッターマイヤー元帥、ミュラー上級大将、ビッテンフェルト上級大将、ワーレン上級大将、アイゼナッハ上級大将の軍最高幹部五名は、新帝都防衛の為の軍事拠点を建設する計画を具体化させるため、二週間の予定で視察に赴いているのであった。

 

 これによって帝国軍の能力が一時的にせよ低下しているのであった。ローエングラム朝黎明期の帝国の組織というのは、とかく国家の最上層付近にかかる負担と権限が大きく、彼らの不在はそのまま軍の能力低下に直結してしまうという問題が常につきまとうのであった。ヴァルプルギス事件時の行動から、貴族連合残党がそのことを理解していないとは考え難く、この空白を狙っているのではないかと警戒するのは当然のことである。

 

 キスリングの説明を受けて、ラインハルトは頷いたものの、まだ表情から不満が伺えたため、首席副官のシュトライトが口を開いた。

 

「陛下、お言葉ですが、私もジーベックをあまり軽く見ない方がよろしいかと存じます」

「……そういえば、シュトライト中将はジーベック元中佐と面識があるのでしたね」

「はい」

 

 ヒルダからの助け船をありがたく思いつつ中将は続けた。

 

「以前にも陛下には申し上げたことではありますが、ジーベックはブラウンシュヴァイク公爵への忠誠心が強い男でした。彼がもはや後先考えていないのであれば、その危険度はある意味において地球教徒どもとは比べものにならないものとなりえます」

「それは警備側が、予測すら困難になるからだな」

「左様です」

 

 皇帝の返しに首席副官は自分の発言の意図が正確に伝わったことを察し、軽く頭をさげた。たとえば、地球教がラインハルトの暗殺を企んでいると仮定して、実際に暗殺などを実行するであろう狂信者どもに具体的な展望がないとしても、彼らを道具にしている教団首脳部の方には皇帝を排除した後のことを含めて暗殺計画を立案していることだろう。彼らにとって、皇帝暗殺は目的を達成するための手段であって、目的そのものであるはずがないであろうから、そこから逆算すれば警戒すべきタイミングというのは、自ずと絞られてくるはずであった。

 

 が、そんな長期的な視野など持たず、ただただ主君ブラウンシュヴァイク公爵の仇であるラインハルトを破滅させること以外なにも考えていないようなことになっているのであれば、そうした予測すら立てるのが困難となる。さらに彼の破壊とか謀略とかのその場その場における実務的能力の高さについては、元同僚であるシュトライトやフェルナーも認めていたし、そうでない者も先のオーディンでの騒乱での手腕から警戒に値するものと認めていた。

 

「小官もシュトライト中将の見解に同意します。なにもジーベックをして第二のアンスバッハたらしめる可能性を高くしてやる義理はございますまい。警備を強化したキスリング准将の判断は正しかろうと存じます」

 

 その声はさりげなかったが、その声を聞いた発言主と皇帝以外の者たちは“なんということを言うのだ”と衝撃を受け、自然と発言主に向かって反感の籠った視線を集中させた。発言主である義眼の軍務尚書は、いつも通りの鉄面皮で佇んでいた。

 

 よりにもよってこの人がそれを言うか。リップシュタット戦役終結直後の式典の場で、ブラウンシュヴァイク公の遺臣アンスバッハが主君の仇を討つべく暗殺の挙に出、あわやそれが成功しかけたことに関して、オーベルシュタインは無関係ではなく、いくらか責任がある身の筈。そうであるにもかかわらず、よくも黙々と、あるいは平然とそれを語れるものだ。

 

 ヒルダは顔を動かさず、気取られないようにラインハルトの様子を伺った。ラインハルトと頻繁に接するようになったのは、リップシュタット戦役以後のことであり、キルヒアイスとの面識はないが、それでも死んだ彼がいかに大切な存在であったかは重々承知しており、ラインハルトの反応を気にせざるをえなかったのである。

 

 意外にも、というべきか、ラインハルトは少しだけあきれたような表情を浮かべており、胸のペンダントを右手で弄っていた。そして少しだけ不機嫌そうな声で告げた。

 

「軍務尚書の言う通りだ。キスリングの判断は妥当だ。予が彼の立場でもそうするだろうし、警備を強化したことを咎めたいわけではないのだ」

 

 ただ不愉快というだけだ、とは皇帝は口にしなかった。

 

「あまり皆を待たせるのも悪い。キスリング、式場までの警備を任せたぞ」

「……ははっ!」

 

 少しだけバツが悪そうにそう言い残して車に乗り込んだ主君を見て、少しだけ臣下たちは得心がいかなかったが、皇帝のいうことも尤もであったので彼らも車へと乗り込んだ。キスリングが皇帝の御料車の前の車に乗り、出発の指示を出すと車列は進み出した。

 

 皇帝一行を乗せた車列は中心街を抜けて、新帝都開発区域へと入った。まだ工事中の建築物が多いが、既に完成している建物もあり、車窓から建設中の建物群を眺めながらリュッケが感嘆のため息を漏らした。

 

「いずれ今のフェザーンの首都からこちらに帝国としての首都機能が移る予定であると伺っておりますが、この分だと思ったより早い話になりそうですね。もうここまで手をつけていたとは」

「シルヴァーベルヒ工部尚書が首都建設本部を率いて辣腕をふるっておいでですからね。工部尚書は長年自分が主導する形で、大都市をゼロから計画・建設してみたいという夢があったそうで、その意味でも張り切っているのでしょう」

「ああ、長年の夢が叶って疲れを忘れて働いているわけですか。しかし首都建設にのめり込んで工部省の仕事が滞ってないか、少し心配になりますな」

「そういうこともないらしいですわよ。むしろ工部省の仕事を中心的にやっていて、こちらはその余力でやっていると、以前グルッグ次官が申しておりましたわ」

「そうなのですか」

 

 リュッケはヒルダの説明にやや驚きの感情を込めながら何度か頷いていた。彼は次席副官としてラインハルトの側近の一人として数えられることもある人物であるが、それほど突出して有能なところはない人物であった。士官学校を優秀な成績で卒業した秀才ではあるが、卒業席次はそれほど高かったわけではなく、将来的に将官になれるかどうかというレベルの普通の秀才どまりであった。

 

 また皇帝ラインハルトの次席副官という立場ではあるが、実際にはラインハルトの副官というよりは、首席副官であるシュトライトの副官といったほうが適切な役割にあり、政治的、あるいは軍事的に重要な進言を直接皇帝にするということは一切なかったとは断言できないものの、皇帝が崩御するまでそうした行いが後世の記録資料に残らない振る舞いに終始していたのは間違いないようである。

 

「新しい皇宮になる、獅子の泉(ルーヴェンブルン)、でしたか。それもこちらにできるんですよね」

「まあ、そうなるな」

 

 従卒のエミールの純粋な言葉に、ラインハルトはやや困った顔をした。

 

「予としては一向にホテル暮らしでもかまわなかったのだがな」

「陛下、その点に関して先日グルッグ次官から考慮してほしいと言われたではありませんか」

「わかっている。だから旧フェザーンの迎賓館を仮皇宮を移したのではないか。シルヴァーベルヒから皇宮のことで反論されたのも記憶に新しい。別にことさら彼らの意見に反対したいというわけでもないのでな」

 

 皇帝の権威と権力を巨大な建造物で象徴させる、というのはラインハルトからしてみると旧王朝の不健全な悪癖を再現するようなものではないかという感覚があり、説明を受けて必要とは思っても微かに拒否感というものを覚えずにはいられない。そうした感情からここまで豪奢な宮殿など必要なのかと、少し前に工部尚書に素直に言ってみたところ、激しい反発を受けたのである

 

 曰く、都市計画において獅子の泉(ルーヴェンブルン)は新しく建設される新帝都の象徴にして中心となるようにと考え、そこを基準に芸術性も考慮した上で機能性も兼ね備えた完璧な都市デザインを考案し、こうして模型まで作ったのに、その中核とでもいうべき部分を変更せよと言われるのか。陛下の気質はご立派ではありますが、少しは芸術的文化的価値というものも考慮していただきたい、と、まくしたてられたのである。

 

 その時、ラインハルトはいつにない剣幕のシルヴァーベルヒにやや圧倒されたものである。幼年学校でもなぜか存在した芸術の講義のことを思いださずとも、芸術方面に関する見識など自分にはないと自己認識できているラインハルトであり、もともとなんらかの修正をさせたいからとかではなく、単に自分の気持ちを述べただけで、まさかそこまでの反応をされるとは予想だにしていなかったのである。

 

 若き秀麗な皇帝は小さくため息をついた。どうにも最近、言語化困難な徒労感に襲われている。イゼルローン要塞を中心とする小さな一帯を除く全人類社会の最高指導者として、多忙な日々を過ごしているからではないかと周囲からは言われるが、だとすればこの心の奥底が軋むような()()はなんであろうか。

 

 ふつふつと、まるで雪が降り積もるかのように、ゆっくりと確実にのしかかってくる無力感を、彼は持てあましていた。これは誰にも打ち明けたことはない。いや、そもそもどのように説明すれば、正しく伝えられるというのだろう。全宇宙でもっとも強大な存在であり、歴史に冠絶する征服者であり、あまたの改革を主導して少なくとも銀河の半分には文句なしの善政を敷いている、この世で最大の成功者とされる自分が、そんな感情を抱いているなど、だれに理解できるというのだろうか。

 

 亡き友ならわかってくれるだろうかと、胸元の銀色のペンダントに一瞬触れたが、すぐに手を離した。自問した直後に答えが出たからである。これは友ですら理解してくれないことであろう。おそらく彼が生きて自分の傍に居続けたのならば、こんな()()に苦しむことすらなかったのではないか。そう自然に思えてしまったのである。

 

 今度は苦笑交じりにもう一度ため息をつこうとした寸前、ある種の直観めいたものを感じて視線を車窓に向け、それで事態を把握したわけでもないにも関わらず危機を察知してラインハルトは「運転手! 車を止めろ! 全員外に出ろッ!」と叫んだ直後、皇帝御料車の二台前を通行していた車が突如爆発炎上した。

 

「総員! 襲撃だッ!! パターンDに従って周囲を警戒!!」

 

 通信機からキスリングの怒声が周囲に響き渡ったが、それから数分もせぬうちに地面から突如煙が発生して周囲を白く覆いつくし、親衛隊員たちの視界を遮った。なのでキスリングは「総員持ち場を離れるなッ! 陛下をお守りするのだッ!」と大声で叫び、親衛隊員たちはその命令の意図するところを正確に読み取ってそれぞれの車を中心に防衛陣を敷いた。

 

 それと前後して近場の工事中の幕の中に隠れていた物々しい装いをした人影の群れが、ぞろぞろと皇帝の車列が止まっている大通りにでてきた。

 

「さっきの声を聞いた限りではカイザー・ラインハルトはまだ生きているようだな。車列の順番的に皇帝の車を狙ったはずだが」

「オットー少佐、あのような僭称者を冗談でも皇帝などと呼ぶな。あんなものは金髪の孺子で十分だ」

 

 辛辣な言葉に対してオットーは肩を竦めただけだった。その態度にラーセンは少し苛立った様子であったがそれをすぐに搔き消して続けた。

 

「……まあいい。まだ生きているようなら、」

「言われるまでもない。故郷と家族の仇を討ってやる……!」

 

 オットーの肉体から粘着質な憎悪の毒炎が陽炎のごとく燃え上がるのを幻視したラーセンは自分も彼と一緒に殺しに行きたい気分に少しだけなったが、任務を優先してその欲望をおしとどめた。

 

「では陽動を任す。いや、お前らが金髪の孺子を討ち取ってくれた方が、こちらとしてはありがたいのだが」

 

 爆薬及び煙幕の設置など下準備を手配したのはルビンスキー率いる旧フェザーンの一党であり、ラーセンは彼らの要望を遂行しなければならなかった。別にそんな連中に配慮する必要などないと思わなくもないのだが、連中がエルウィン・ヨーゼフ二世を匿い、かつ、こちらのスポンサーとして協力してくれるからには、彼らの注文を聞いてやる必要があるのであった。

 

 オットーが部隊を率いて皇帝の車列に殴り込みをかけて、親衛隊との戦闘で発生する音を聴きながら、ラーセンは数名の部下と一緒に息を殺しながら周囲に視線を走らせ続けた。

 

 そして煙幕が薄くなり、ぼんやりとだが車列の人影が見え始めたところで、車列の前から三番目の車に少ないが人がいる目当てをつけ、注意深く接近し奇襲をかけた。

 

 皇帝の周囲に群がる敵への銃撃に集中していた不意をつかれた形の親衛隊員たちは簡単に制圧され、ラーセンたちは冷静に制圧した敵たちの階級章を確認して回った。

 

「保安少佐、こいつの階級が一番上です。息と脈も正常です」

「そいつをそこの車の後部座席に放り込めッ!!」

「はっ!」

 

 ラーセンはエンジンがかかったままの親衛隊の車の運転席に飛び乗り、全員の姿を確認すると思いっきりアクセルペダルを踏みこんだ。急発進した車が前方の車にあたらないように巧みなハンドル操作でUターンさせ、そのまま道路を逆走して現場から離れた。目的地まで一直線に道路を爆走した。

 

 しかしその道中で軍用車の車列と遭遇した時は、いくらなんでも早すぎるだろうと、流石に血の気が失せたものである。ラーセンは知る由もないが、それは司令部の方針により念のために警戒レベルをあげていたので、近辺で待機していた首都防衛軍の一部隊であり、親衛隊の襲撃の報と救援要請の無線を受けて、現場に急行している最中だったのである。

 

 が、ここで奇妙な幸運が働いた。ラーセンが運転してたのは、皇帝警護の任を受け持つ親衛隊用の車両であったこと、そして偶然ではあるが、官庁街の方に向けて車を走らせているように見えなくもなかったので、奇妙に思いつつも親衛隊員がなにか別任を受けて急いでいるのだろうと早合点し、無視してしまったのである。

 

 ほっと溜息をついたラーセンは、焦燥にかられながら車を運転して、フェザーンの地下水路につながる建物の前で停車した。そこで待っていた軽く日焼けした肌の男を口を開いた。

 

「目的のものは拉致ってきたんだろうな?」

「ああ、後ろに積んである」

「了解。しかし、これが無駄な苦労になるかもしれんと思うと気が滅入るな」

「減らず口を叩くな。それにここにくる途中、かなりの数の帝国軍とすれ違った。おそらくオットーとジーベックは失敗するから、無駄にはならん」

「なるほど、旗色が悪いか。ただまだ可能性が潰えたってわけじゃないだろう。同志の幸運を大神オーディンと地球教の神様にでも祈っておくとしよう。いや、ラヴァル大主教猊下によると、地球教は神じゃなくて、地球に祈るんだっけか?」

 

 変わらず減らず口を叩き続けながらラーセンの戦果を確認したサダトは、目を細めた。思ったより上等なの拉致ってきたな、こいつら。

 

「おい、さっさと運ぶの手伝ってくれ。あの様子だとすぐに鎮圧される。()()も用意してあるとはいえ、あまり悠長にしている時間はない」

「あいよ、じゃあ、さっさと地下水路からズラかるとしますかね……」

 

 サダトは肩をすくめて観念し、ラーセンの命令に従った。そして彼らは“荷物”を慎重に運びながら、文字どおり地下へと消えて言ったのである。

 

 




今年中にもう1話はあげたいなぁ(願望)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。