リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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……最近更新ペースがどんどん落ちている気がする


園遊会

 その日、ゲオルグは新聞記者ラルド・エステルグレーンの偽装を利用して宮内省主催の園遊会に参加していた。マスコミ関係の人間がこうした催しに参加するのはゴールデンバウム王朝の時代からよくあることであった。というのも、このような有力者が集まる場はマスコミにとってはネタの宝庫であるし、公開しては問題のある発言などがでると貴族たちが直接マスコミに口止めすることが可能であり、双方にとって実に都合が良かったからである。もっとも、現在は言論の自由を認めている関係上、口止めされる可能性は限りなく低くなっている。

 

 後世においてローエングラム王朝の世において、園遊会を筆頭に、旧王朝の虚栄の象徴であった舞踏会や狩猟会などはなくなったと一般的に思われがちであるが、こういった催しは程度さえ弁えているのであれば国家体制維持の観点から有益なのだ。いや、そもそも貴族制度そのものも、いくつかの前提条件を満たしているのであれば、専制主義の観点から考えるとそれほど悪い制度でもないのである。

 

 というのも貴族制度というのは、階級による連帯意識を育むものであるから、軍人や官僚が所属部署から見える景色しか見えない視野狭窄と所属部署の利益のみにこだわる傾向、いわゆるセクト主義とか部局割拠主義などと呼ばれる現象を抑え、各部署間の風通しをよくする効果が期待できるのである。なぜなら彼らは何者であるより先に貴族であるのだから、他の部署に所属する身内にさほど抵抗なく相談することができるのだから。

 

 加えて、貴族というのは生まれながらにして相応に出世することが約束されているため、出世のために無茶をする必要がなく、彼らの行動原理は自然と現在の地位と特権を守ること、ひいては現在の国家体制を維持することに繋がる。銀河帝国の開祖ルドルフはこの利点をよく理解しており、自らを支える重臣たちに軍人や官僚である前に貴族であれと説き、そして大いなる成功をおさめていたといえよう。でなくして、ルドルフ没後に発生した共和主義者の大反乱において、帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの下に貴族階級が団結し、これをたやすく鎮圧することは不可能であったろう。

 

 だが、ゴールデンバウム王朝末期において、こうした機能は大きく失われてしまっていた。それはルドルフが作った貴族制度の完成度が素晴らしいものであったが故、もしくは大きな問題が生じていた時に限って名君や有能な忠臣がその問題点を改善して貴族制度を補強することに成功していたため、末期の大貴族たちが貴族制度が存続するための前提条件を忘れ去ってしまっていたからであろう。

 

 貴族制度というのは、皇帝や貴族と臣民との上下関係、“縦の関係”は揺るがぬほどに強固であらねばならないというのが絶対の前提条件なのである。これが達成できていないのであれば、いくら貴族同士の“横の関係”が強くても、部下たちが従わないのだから何の意味もない。この点に関し、貴族制度創始期のルドルフ大帝とその臣下たちは最高度に気を配っており、時に慈悲を施して忠誠心を育み、時に虐殺による恐怖を用いて人類に身分階級の絶対性を叩き込むのに多大な労力を払った。

 

 しかしゴールデンバウム王朝末期の大貴族の大半が、その前提条件を弁えておらず、少なくない平民が皇帝や貴族について密かに陰口を叩くのが常態化してしまっている危険な兆候を見逃していた。“縦の関係”というのは別に気に病まずとも維持されると盲信してしまっていたと言っても良い。その危険な兆候を問題視していた大貴族はリヒテンラーデ公爵など数少ない者たちだけであったことだろう。

 

 現在帝冠を被っている黄金の覇者は、当時からこの問題点を十二分に理解しており、末期貴族階級の弱点をえぐるように平民大衆の支持を獲得してゆき自己の立場を強化していったのである。それでも貴族たちが大同団結した場合の脅威については一応警戒していたが、長い歴史の中で貴族たちの血縁や利害が複雑に絡み合って妥協点を見いだすことが不可能なほどに当時の二大貴族であるブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯は対立してしまっていて、リップシュタット戦役において危険意識から両者が手を組んで貴族連合が成立しても、ちょっとした裏工作でかりそめの団結を簡単に打ち崩すことができるお粗末ぶりを発揮していたため、貴族制度そのものが問題しかないシステムであるという印象を当時と後世に強く残すこととなった。

 

 だが、貴族制度が半ば機能不全を起こしていても、“横の関係”の強化という意義は末期でも一定以上は機能していたため、貴族たちが権力の座から追われた後、独裁的権力を獲得したラインハルトは多忙を極めることになった。帝国改革の青写真を思い描ける人材が少なすぎたのもあるが、ラインハルトの支持者の多くが平民や下級貴族であり、それぞれの部署の専門家であって、“縦の関係”に心配はなくても、“横の関係”は非常に怪しいものであったから、皇帝とその側近は各部署が視野狭窄に陥らぬよう頻繁に指示を出さなくてはならなかった。それこそ、ラインハルトが遠征中ですら国内政治に関して少なくない指示を飛ばさなくてはならないほどに。

 

 ゆえに初期のローエングラム王朝において貴族制度に変わる“横の関係”を構築することは必要不可欠なことであり、各部署の高官を集め、親睦を深めさせるべく、園遊会や舞踏会は少なからず開かれていた。もっとも、旧王朝時代に比べれば非常にささやかな規模のものではあったが。

 

「しかし名目だけでも皇帝主催ということにすべきではないのかな。おかげでまた宮内尚書が悪く言われることだろう」

 

 二十数人ほどの出席者に対して偽装である新聞記者としての取材と情報収集を兼ねた談笑を交えながら、クラウゼをはじめとする秘密組織のメンバーと接触して、後の騒乱に紛れてかつての盟友と再開する手はずを整えたゲオルグは、少し体を休めるために会場脇にあった長椅子に座り思わずそう呟いた。何故なのか知らないが、重大な式典を除いて、日常的なパーティのような催しをラインハルトが主催することはほぼない。大抵の場合、宮内尚書のベルンハイム男爵か国務尚書のマリーンドルフ伯爵が主催者ということになっているのである。

 

 やはりこのような行事は、旧王朝の悪弊であるという平民たちの感情論を鑑み、自身の平民の味方というイメージを守るためであろうか。実際のところはというと、ラインハルトにその手の知識があまりないため、こうしたパーティに関する細やかな知識を有している貴族閣僚に任せているのが実情なのであるが、ゲオルグはそこまでは察することができなかった。これは視点の問題であろう。民衆に紛れている都合上、彼の考える民衆の愚かさを感じる機会が多く、ゲオルグはついそれにあわせて考えてしまっているのだった。もし警視総監としての地位を保っていたのであれば、その実情を正確に察することができたかもしれない。

 

 ゲオルグが最近読んだ流行の大衆小説において、こんな描写があった。貴族たちによる社交パーティ! 男たちはピシャッとした礼服をカッコよく着こなし、女たちは絹のドレスを身にまとい、真珠の髪飾り、サファイアやエメラルドのブローチをつけ、美しく着飾る。そしてクリスタル・シャンデリアで照らされた大広間に彼らは集まり、貴族たちは自分の出で立ちを自慢し、そして様々な歓談をして、各所で人々に気品ある笑みがこぼれる。喉が渇いたら最高級のシャンパンが入ったグラスを傾け、小腹が空いたら一流のパティシエが作った菓子をついばむ。こうしたパーティは貴族たちにとっての日常にして娯楽。こうしたパーティの中で様々な喜劇が催され、ありふれた恋物語や愚かしい馬鹿話が数え切れぬほど生み出された。

 

 一方その頃、パーティ会場からそんなに離れていない市街地で、とある一家の夫婦が慟哭の涙を流していた。息子の名誉の戦死をこの地域の兵役担当役人から知らされたからだ。この夫婦には四人の息子がいたのだが、すでに三人とも徴兵されて戦場で死んでおり、今回戦死したと知らされたのは最後に残った末息子であった。父親は悲憤にかられて目の前の役人の襟元を掴み、殺意を隠そうともせず睨みつけた。自分の息子たちの徴兵を伝え、戦死を告げに来たのはすべて目の前の役人であったから、父親にはその役人が死神か悪魔のように思えたのだ。

 

 しかし当の兵役担当役人はというと、やるせない表情を浮かべ、激情を必死に押し殺したような平坦な声でこう言った。自分がどんな思いであなた方に息子の戦死を告げに来たと思っているのだ。できれば、最後の息子が死んだなんて軍からの情報、あなた方に伝えたくなかったのだ。それでも握りつぶさずに報告をしにきたのだ。そう言われて父親は怒りの向けどころを失い、無力感から人目も憚らずに泣き崩れ、常にない夫の姿に妻は気丈に慰めようとしたが、あまりの涙声で彼女の言葉は聞き取れそうにもなく。そんな老夫婦の様子を見て、役人は虚無感を抱きながら内心呟く。こんな夫婦の光景を見るの、これで何度目だ、と。

 

 そしてその瞬間すら、その場所から数千光年へだてた漆黒の宇宙において、悲劇は量産されていた。自由惑星同盟を僭称する叛乱軍との戦闘において、帝国軍の兵士たちは傷つき倒れ、死の恐怖におののき、そして何割かがヴァルハラへと旅たっていた。彼らも家庭にあっては善き父であり、兄であり、弟であり、善き恋人であったことだろう。しかしそのほとんどが平民であり、貴族は数える程しかいない。貴族たちは特権によって優先的に士官となれたので、兵士になる必要などなく、前線にいても比較的安全な場所にいた。自分たちは貴族だし、指揮官なのだから、平民兵士とは生命の価値が違うのだというのが、比較的安全な場所にいることを正当化させていた。

 

 ゆえに貴族の戦死率は平民に比べて低くなるのは当たり前だった。貴族たちにとって戦争とは、例えるならば、ダイスを五個ほど空中に放り投げ、すべての出目が赤い一の目だったら死んでしまうという、ちょっと危険なギャンブルにすぎなかった。いや、そんな貴族たちでさえ、まだマシな部類であった。本当の大貴族、門閥貴族の高級軍人は前線にすら出ず、絶対安全な後方でワイングラスを片手に戦争計画を立案し、敗北したら現場の無能さを罵り、勝利すれば自分の有能さを自画自賛し、現場の頑張りをほとんど無視した。

 

 そのような貴族軍人たちが、休暇を得て貴族たちのパーティに参加すると、たいてい自分の武勇譚を得意げに語り、こう主張する。不逞な共和主義者たちを倒すために、より一層戦争のために頑張らなくてはならない。もっと兵士たちの数が必要だ。そして兵士たちの頑張りが必要だ。皇帝陛下の御為に、我々はあらゆる努力を尽くす必要がある。そんな男たちの勇ましい主張に、女たちは感激し、貴族たちは一致して戦争を推進した。しかし努力といっても、貴族たちが払う戦争努力というのは、いつも些細なものだった。一番努力と献身を求められたのは常に平民たちであって、本当の戦場の凄惨さを知らない貴族たちは、一回開くだけで並みの惑星行政の予算一年分に匹敵する費用がかかるパーティを呆れることなく開き続ける。

 

 そんな現実離れした“城壁の奥の平和”を謳歌していたのが貴族社会であり、そんなぬるま湯で育った貴族たちが帝国を支配していたのがゴールデンバウム王朝という時代であり、ほんのつい最近まで続いていた滑稽で悲惨な歴史的事実である、などというのが主な内容であった。

 

 ……あえて、全否定はすまい。各所の描写に貴族に対する悪意と偏見があるにしても、大枠において間違ってはいないし、自分を含め多くの貴族が戦争をどこか他人事のように捉える傾向があったのも事実ではある。だが、そうした点を認めた上で、かすかな苛立ちと、その苛立ちをかき消してしまうほどの想像力の貧困さへの嘲笑が、ゲオルグの心中に込み上げてきたものだ。

 

 貴族たちが優先的に士官になれるのは、義務の範疇として士官教育を受られる環境にあるというだけのことであって、別に差別ではあるまい。とはいえ、あくまで知識として理解していても、実践で使えるかというのはまた別の話であるから、士官学校を出ていない貴族士官が無能である確率は高くはあった。自分だって、一応、貴族として軍将校の階級を持ってはいたが、本職の将校と同じくらい活躍できるなどと自惚れた認識はしてない。だが、それでもなんの士官教育も受けていない徴兵された平民に比べれば、まだ士官として役に立つことは確かだろうに。

 

 そしてなによりゲオルグを笑わせてくれたのが、貴族が“城壁の奥の平和”を謳歌していたなどという表現だ。つまり小説の表現を借りるのであれば、ゴールデンバウム王朝時代の平民たちにとっては、慕っていた叔父に謀殺されそうになり、母親が巻き込まれて犠牲となり、臆病な父親から恐怖ゆえに見捨てられ、一〇代にして次期当主の座を巡って謀略合戦を繰り広げる羽目になったとある有力貴族子弟の人生程度、“ぬるま湯”にすぎぬものであるらしい。平民たちは、なんという強靭な精神を持っていたのだろうか。もし本当にそうなのならば、弱肉強食の信念に燃えていたルドルフ大帝も臣民たちの精神的強者ぶりにヴァルハラで満面の笑みを浮かべておられるに違いないし、当時自分がそんな認識を持てていたならば、喜んでその辺の平民と入れ替わりたがったことだろう。

 

 とどのつまり、隣の芝生は青く見えるというだけのことだったのだろうな。それが小説読後の感想だった。ゲオルグは自分の人生が貴族の中では少し極端な例であるとは思っていたが、それでも似たような例は貴族社会にはゴロゴロと転がっていたに違いないと確信していた。あまり世間に流布しなかったのはそれが醜聞に属するものだから、どこの家も必死に隠そうとしたからにすぎないだろう。仮にそうではないのだとすれば、帝国の有力貴族というやつは、ずいぶんとまあ、不自然な“事故死”や“病死”で人生の幕を下ろす輩が多いことよ。

 

 ……もっとも、そこからさらに一歩進んで思考すれば、貴族が特権を守ることそのものが大変な環境になってしまったことこそが、ラインハルトという英雄の台頭してきたこと以上に、ゴールデンバウム王朝が滅んでしまった原因やもしれぬと思いもゲオルグはするのであるが。

 

 目的も果たしたことだし、そろそろお暇しようかと思って長椅子から腰をあげたところで、ある人物が目に入った。今をときめくフェザーン代理総督府高等参事官ヨブ・トリューニヒトである。彼はマスコミ関係のものたちにとっては非常においしい話題の宝庫であるためか、幾人もの記者に話しかけられている。一部の記者から殺気のようなものが滲み出ているように感じるが、決して気のせいではあるまい。

 

 ゲオルグはあの男についてあまりちゃんと分析ができていない。理性的に考えれば、自由惑星同盟の元首をしていた頃はともかくとして、現在は他人の都合のいいように操られているだけの道具であろう。しかし、それだけではすまない、なにかがあるようにゲオルグには感じられていた。なぜかというと、本当にただの道具なのであれば、切り捨てられていてもおかしくはないだろうと思える窮地に何度かこの男は立っているのに、未だに生き残っているからというものに過ぎないのであるのだが……。

 

 少し興味を持って、ゲオルグはトリューニヒトを囲む記者たちの輪に加わった。その時、ちょうどトリューニヒトに質問をしていたのは殺気を滲ませていた女性記者であった。彼女がつけている腕章には“自由の友新聞”と書かれている。たしか、旧同盟の大衆新聞のひとつだったはずだ。どうも、彼女は新領土からきた記者であるらしい。なんの話をしているのだろうかとゲオルグは耳をすませた。

 

「――というニュースがありましたが、そのことについてどう思われていますか?」

「悲しみは狂気を生む、というのが正直な心情ですね。ロムスキー氏とヤン元帥を失った後も、共和政府などというものをでっちあげて、反帝国運動を続けようなどとは。そんなことを続けても、無用な犠牲者を増やすだけで、人類社会に良い影響など与えることはないはずです。彼らなりに亡きロムスキー氏、そしてヤン元帥の遺志を継ごうと思っての行動なのかもしれませんが、二人を失った悲しみから逃避しようとするあまり、現実を直視できていないのではないか、と、思っておりますよ」

 

 その返答はかなり気に入らないものであったのか、女性記者は憎悪もあらわに睨みつけた。しかしトリューニヒトはにこやかな微笑みを浮かべたまま平然としていた。話の流れ的にどうやら先日成立したイゼルローン共和政府のことについて質問していたようだ。

 

「では、皇帝ラインハルトと共に天を戴くべきではないと民衆に主張したあなたが帝国の高官として活躍することこそが、かつての戦争で戦死していった同盟軍将兵たちに報いる道であるとおっしゃる……?」

「帝国のフェザーン占領から続く一連の戦いにおける敗戦の責任については、最高評議会議長を辞職する際に国民に明言した通り、この私にあります。だからこそ、その後に成立した人類統一社会のために微力を尽くすことこそが、その責任を償う道であると考えております。むしろ、他に償いの仕方などありますかね?」

「そうですね、私の素人考えによるものですが、民衆に土下座するなり、政治から完全に引退するなり、自身を恥じて自殺するなり、色々と方法があったと思われますが」

「おやおや、それでは帝国領遠征などという愚行を主導したサンフォード政権時代のレベロ氏、ホアン氏、そして私を除く最高評議会の評議員と同じではありませんか。あの時、私はあらゆる手を尽くしてあの暴挙を止めようとしたものですが、力及ばず遠征は実施されてしまい、結果として二〇〇〇万将兵の生命を無為に散らすこととなってしまいました。遠征失敗後、最高評議会は総辞職しましたが、それで敗北の責任は完全に償ったなどと主張しているコーネリア・ウィンザー女史のように無責任な人間になれと、あなたは私におっしゃるんですかね? だとすれば申し訳ないですが、私の考えはあなたの意見とはかなり異なるようです。私にはウィンザー女史の振る舞いが償いの道とは、とても思えませんでしてね。実際、同盟人の多くは彼女の態度に今も批判的ですし」

 

 役者が違いすぎるなとゲオルグは見物していて思った。女性記者の美麗な顔が怒りで紅潮し、額に青筋を浮かべ、今にも爆発しそうな状態だというのに、トリューニヒトのほうは、まさに余裕綽々といった様子であった。紛いなりにも一国の元首だった男なのだから、マスコミ対応などこなれているのだろう。

 

 いつ感情のままに罵声を飛ばしてもおかしくなさそうな女性記者の様子にまずいと思ったのか、他の記者たちが下がるように助言し、女性記者は我に返って引き下がった。代わって青年男性の記者が質問を行う。腕章にはフェザーンの新聞社名が記されていた。

 

「過日、地球が正式な自治領として成立し、地球教団の再編が行われたという話がありましたが、そのことについてどう思っています? たしか、参事官殿は同盟の政治家時代から地球教と少なからず関係があったと聞きますが」

 

 地球教の陰謀による皇帝弑逆未遂事件、通称キュンメル事件が起きて以来、帝国政府は当初地球教を完全に取り締まり、地球教の信仰をこの宇宙から消滅させてしまう気でいたのであるが、様々な問題に直面したことにより、方針を何度か変更することとなった。

 

 まず最初に地球教本部征伐の任を受けたワーレンからの報告により、地球の民一〇〇〇万人の多くが敬虔な信者であり、閉鎖的であるが概ね穏健な姿勢の者たちが多く、それでいて帝国への猜疑心が強いという情報である。これでは地球人たちが自ら信仰を捨てさせるのは容易なことではなかったし、もし地球教を消そうとしてしまえば一〇〇〇万もの人間を虐殺するより他になく、それはローエングラム王朝にとっては叶うならば採らざるべき悲惨な処置であった。

 

 帝国にとって不幸中の幸いであったのが、住民の多くが土着心が強く、地球どころか故郷から離れたがらないということであったろう。これを踏まえ、帝国政府は――言葉を飾らずに表現すれば――地球そのものを隔離施設にしてしまう計画を立てた。すなわち、地球教徒が地球内で活動することを無制限に認めるが、惑星を超えて移動しようとするならば帝国軍当局の許可が必要で、許可をえても護衛という名の監視をつけるというものである。

 

 そして地球以外に在住している信者に関しては、地球移住か信仰放棄かの二択を迫ることとした。半端な信仰心なのであれば捨てればよかろう。帝国首脳部は軽率にもそう考えたのである。いや軽率というのはいささか公平性を欠くかもしれない。遥か大昔の地球統一政府成立以来、人類は宗教というものをずっと軽視してきたのである。時折、神秘主義やカルトが流行れども、一過性のものであるものが大抵で、そうでないものであっても、権力機構が弾圧を行えば、多少の抵抗はあれども、あっさりと潰れてしまうという意識があったのだ。

 

 これはゴールデンバウム王朝時代の帝国政府が宗教弾圧で多大な成功をおさめた前例が多すぎたためであろう。かつての帝国は宗教に対しては消極的寛容の姿勢をとり、表向きには北欧神話をベースにした大神崇拝のみが肯定され、それ以外の宗教は別に信じてもいいが帝国にとって好ましくないことをしたら徹底的に潰すという姿勢を五世紀に渡って貫き、しかも成功していたのである。だからこそ、数百年に渡る歴史を持ち、時間をかけてじわじわと信徒の数を拡大させ続けてきた宗教の磁場のごとき魅力を、当時の多くの人類全体が理解できなかったのだ。

 

 その重大な過ちに帝国政府が気付かされたのは地球教残党によるヤン元帥暗殺事件である。この事件における直接の関係者は拘束される前に自害していたため、詳細な経緯を掴むことはできなかったが、帝国軍指導部は地球教の残党どもをあぶり出さねばならぬという意識を強く持ち、軍務尚書オーベルシュタイン元帥、憲兵総監ケスラー大将などが指揮をとり、帝国中で隠れた地球教信者の捜索と摘発を実施した。その際、“地球教の信者だった”ということそのものが、拘束の大義名分となった。

 

 そうして取り調べていくうちに、驚くべきことが明らかとなった。拘束した地球教徒のうち、少なくない数が自らの信仰を守るために、ヤン・ウェンリー暗殺を計画した地球教残党の主導する犯罪行為に少なからず加担していたと証言したのである。信仰を捨てたくないし、地球に移住するのも真っ平御免だ。信仰というのはどこでもできるものであって、そのために故郷を捨てるつもりはまったくない。となると、帝国中で信仰が認められるようになると嘯くテロ派の地球教聖職者に協力するのが一番信仰を守る上で良いと考えて。それが信者たちの理由であった。

 

 こうした事実が明らかになり、帝国政府は根本的な履き違えを悟った。おそらく地球教は人類が宇宙に生存圏を広げていった後に数多誕生し、さして人類の歴史に影響を与えることなく消えていった、近来的な意味での宗教とは根底から違うのだ。人類がまだ地球という揺りかごにとどまっていた頃、一三日戦争によって永遠に失われたはずの在り方。いにしえの宗教の在り方と同じであるのではないか。そして現在テロリズムに走っているのは、太古のキリスト教なる宗教が長い歴史の中で時折独善性を肥大化させ、その指導部が魔女狩りや十字軍という愚行に狂奔したことと類似しているのではないか……?

 

 そうした前提意識を持った帝国政府は、後世の歴史家からドラスティックすぎると評される方針の大転換を行った。地球駐屯の帝国軍当局のコントロールの下、地球教団の組織を再編する。そして地球そのものも隔離施設扱いから、自治領へと一気に格上げする。そして地球外にいる一般地球教徒を、帝国製地球教団を挟む形で、間接的に帝国の支配体制に組み込んでしまおうというのである。実に都合のいいことに、最初期から帝国軍による地球統治を時折反発しながらも手助けしているフランシス・シオンなる女性高位聖職者がおり、現地地球人からの人気もあるということなので、彼女をトップに据えてしまえば地球教徒に対する傀儡政権としてうまく機能することだろう。

 

 ゲオルグとしては、理屈はわかるが実行するまでが早すぎるだろうと思わずにはいられない。ローエングラム王朝という新たな人類社会を築いていく政治的組織に対し、同じ感想を一体自分は何度抱かなければならないのか。地球の自治領化の情報を掴んだ時、そう嘆息したくなったものである。

 

「地球教ね。たしかに。彼らの平和主義的宗教教義と好戦派的政治活動の乖離ぶりを理解できたことは一度もありませんでしたが、個人としては善良な者たちが多かったと思います。ですので、彼らが恐れ多くも皇帝ラインハルト陛下に対し奉り、不逞な暗殺を企てていると知った時、私は思わず仰天しましたよ。ですので、帝国公認の地球教団ができたというのは信徒たちにとっては喜ばしいことでしょう。ああしたろくでもない企てを主導したのは一部の聖職者の皮を被ったろくでもないテロリストどもに違いないのだから、かつてこの私を支持してくれた善良な信者たちが、そのような者たちに誑かされることもこれで減るだろうと思うと、私もつい嬉しくなってしまいますね。まっとうな聖職者であり、地球自治領主となられたシオンさんを、私は心から応援しておりますとも」

 

 中々に素晴らしい完成度だ。帝国の地球教に対する公式見解を、うまいこと自分の経歴に落とし込み、見事に主張しているとゲオルグは内心でトリューニヒトの受け答えを評価した。しかもハキハキとして自信満々な声で言っているため、胡散臭さがあまり感じられないのもたいしたものだ。

 

 この機会にゲオルグはテオリアの新聞記者エステルグレーンという身分を利用してトリューニヒトにある質問してみようと思った。なんとなくではあるが、今後の自分が権力の座に返り咲くために暗躍していく上で、この男は無視できぬ存在になりそうな予感がしたこともあり、本心からの言葉が返ってくるとは思えないが、表向きどのような返答をよこすのか興味が湧いたのである。

 

「じゃあ、今度は私が質問してもいいですかね、あなたはルビンスキーという男についてどう思っておいでです? 元国家指導者という共通項があることですし、興味が湧きまして」

「ルビンスキー氏ですか? そうですねぇ、地下に潜伏して自治領としてのフェザーンを復活させようと独立派のフェザーン人を指導しながら暗躍していると風の噂に聞きますが、事実であるなら、フェザーンの黒狐も衰えたというべきですな」

「意外なことを言いますね」

「経験として私はある程度知ってますからね。直接の面識はありませんが、親書などの外交文書や人を介して間接的にやりあっている。その経験から言わせてもらえば、たしかにあの男はフェザーンの黒狐という異名にふさわしい才幹の持ち主でしょう。時に融和的に、時に辛辣な態度で接してきては、フェザーンと自身の利益を獲得していく油断ならない男。にもかかわらずですよ、私がこのフェザーンに来て以来、帝国首都化の勢いに衰える気配はなく、翻って独立派の規模は反比例するように縮小している。あの頃のままのルビンスキー氏が独立派として暗躍しているというのなら、今みたいな状況になってないでしょう。だから衰えたと。いや、あるいはフェザーン占領時のゴタゴタの中で、既に人知れず亡くなっているなんてオチもあるかもしれませんな」

 

 トリューニヒトは肩を竦めてそう評した。既にルビンスキーが死んでいるかもという推測は、フェザーン人にとってはありえそうな話に思えたのか、納得げに頷いているフェザーン記者が何人かいた。ゲオルグは内心で、自分つい先日生きているルビンスキーとお会いしたけどねと釈然とせず呟いたが、表情はそれを誰にも悟らせぬよう他のフェザーン人に合わせて頷く。

 

「では次は私が――」

「ああ、すまないが、これ以上の取材はまた今度にしてもらえないかな。せっかくの園遊会だし、他の参加者の方々に挨拶しておきたいのだよ。でないとボルテック代理総督から、なんのために園遊会に参加したんだと突っ込まれてしまうのでね。なにせ、君たちが話上手すぎて、すっかり時間を使い込んでしまったのでね」

 

 ゲオルグの後に続いて質問しようとした記者に対し、冗談めかしてトリューニヒトは大仰にそう語って断りをいれる。記者たちは失笑しながら話上手なのはお前だろと内心ツッコミを入れながら取材を中断した。もちろん、ゲオルグも含めて、である。


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