リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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閣議②

 最初に議題となったのは軍縮問題であった。これは多くの尚書が議題として提案したものである。長きにわたって政治・軍事の両面で帝国が対立関係にあった自由惑星同盟が滅び、外敵とよべる存在はイゼルローン要塞に籠る共和主義者たちのみになっている。そのイゼルローンにしても、推定される兵力は一〇〇万あるかどうかというところで、大きな脅威となりえそうもない。となると、いまだ領内において地球教を筆頭とした反帝国テロが少なからず発生しているとはいえ、概ね平和の時代に突入したといってよく、そんな時代に総兵力七〇〇〇万を超える軍隊などあっても経済的負担にしかならないであろう。

 

 またこれは各省の懸念が具現化した提案でもあった。文官たちにとって恐るべきことは、平時にあっても軍隊が今の規模で維持されることである。ゴールデンバウム王朝の創始者たるルドルフは、非常に独善的で強引な手法を用いたものであったとはいえ、国家を安定せしめてなお軍事力を削減しようとはしなかった。彼の政治哲学によれば、国家が強大な軍事力を放棄することは不穏分子に対する利敵行為であり、ひいては国家秩序の不安定化につながり、百害あって一利なしの愚策というのである。

 

 が、歴史的事実は、軍事力による国家秩序庇護というルドルフの哲学は少なくとも完全に正しいものではなかったと証明している。ルドルフ存命時はともかくとして、強大な軍事力を維持し続けることそのものが国家経済飛躍を阻む鉄枷となり、少なくない高級軍人は軍の強大な力を背景に国政に容喙(ようかい)し、軍が政府の制御を無視して暴走し、しばしば政治的混乱を起こしたりして、結果的に国家秩序を弱体化せしめるという本末転倒な事態に発展したことが五世紀近い歴史の中で何度もあったのである。

 

 経緯も過程も異なってはいてもローエングラム王朝もゴールデンバウム王朝と同様に、その黎明期においては軍事独裁の色が濃い政治体制であったといってよく、前例と同じ道を進む可能性は否定し難いものがあり、それゆえに帝国官僚たちはいささか時期尚早に思えても、その道を歩むことがないように軍縮を議題にあげたのである。強大な軍事力の維持は、そのまま文官主導の政治体制を構築する上で大きな障害になることはわかりきっているがゆえに。

 

「軍務省としても軍縮の必要性は認める。外征を目的とした軍隊から治安維持を目的とした軍隊への再編とそれに伴う軍縮は、帝国軍三長官会議でも今後の軍方針として一致した結論を出している。だが、まだ軍務省内においていくつか草案があるのみの段階というのが実情だ」

「おや、辣腕で知られる軍務尚書が前々からあがっている案件を片付けていないとは意外ですな」

「重大な案件なのでな。ひとつ処理を間違えれば王朝の安定を揺るがす」

「……はあ、そうなのですか」

 

 そこまで軍の兵士の数を減らすだけで大袈裟すぎないだろうかとヘムプフ学芸尚書は首を傾げたが、他の閣僚たちがそこについては同感であるような態度をとっている様子を見て、理屈は理解できないがそういうことであるらしいことは理解し、気の抜けた言葉を残して黙った。

  

 古来、力によって強大な領域を平定した征服者は、その実現のための手足となって貢献した軍隊を如何に遇するかという問題で悩まされるものである。軍隊に組織的な理由で救い難い面があるとすれば、軍隊としての成功と組織としての利益がほぼ一致しないことである。

 

 軍隊とは基本として、非生産的な組織である。自らは社会の生産に寄与しないという意味では政治家や官僚も似たようなものかもしれないが、彼らは平時にあっても国家を運営して社会を維持・繁栄させるという大切な役割があるのに対し、軍人は平時にあっては有事の際の備えとしてひたすら訓練を積み、周辺諸国の軍事行動の兆候に目を光らせるだけの存在になってしまうし、それだけのためにけっこうな大金が浪費される。

 

 即ち、軍隊と政府という分類がほぼ無意味になるほど一体化しているような、極端な軍事独裁体制でもない限りにおいて、軍の強権は戦争とかの非常時であればこそ、現実として現れるものなのである。平和の世においては問題にしかならないのだから。

 

 だから理屈だけで考えるのであれば、平和の時代になった時点で軍隊から非常時を理由に拡大されていた権限を大幅に縮小し、莫大な軍事予算を削減し、兵員の整理も行いたい。ましてや、イゼルローンという例外を除き、ほぼ全人類社会を統一している現在の銀河帝国からすれば、周辺諸国への警戒など必要性すら疑われる類のものであったから、文官たちの軍縮を望む声は、自然、強いものとならざるを得ない。

 

 しかし、祖国のために生命がけで戦場から戦場へと転戦を重ねた軍人たちの側からすれば我慢ならない話である。彼らは当然の権利として今までの貢献にふさわしい見返りを求めるし、平和の時代を築いた自分たちの軍の名誉と栄光を求める心もあることだろう。そうした心情を無視してそんな突然冷遇じみたこと断行したのでは「今まで戦場で生命がけで尽くした見返りがこれか!」と元軍人たちが怒り、平和の時代を壊し、戦乱の時代が再来するということになりかねないのだから。

 

 そうした事態を避けるため、軍縮は細心の注意をもって事前に綿密に計画した上で実行しなくてはならないというオーベルシュタインの言は至極真っ当なものであるといえた。事実、国内には無力だから泣き寝入りしているがために、そうした戦闘経験豊富な反帝国的人材を欲しがるであろう不穏分子が山ほどいるのだ。だが、それが永遠に軍縮を引き延ばしにするための建前ではないか、という疑いを他の閣僚たちから拭いされるものでもない。

 

「軍務尚書のおっしゃることもよくわかりますが、しかし同盟を併合したこのタイミングで軍縮に手をつけないのであれば、新王朝はそれを理由として軍縮をするつもりはないという間違ったイメージを発信することにはなりませんか。すでにいくつかのフェザーン・メディアがそうした報道を行いつつあります。われわれの方針を明らかにするためにも、宣伝効果のために小規模な兵員削減を早期に実行するということはできませんか」

 

 そう発言したエルスハイマーの顔を、オーベルシュタインは無機質な両眼で見返した。

 

「なるほど、それで、民政尚書はその小規模な軍縮はどの程度が適当であるとお考えか」

「……最低限の数字として、三〇万人ほど削減していただきたい」

 

 その数字に民政尚書の隣席に座っていたオスマイヤーが声をあげた。

 

「数十万人単位の削減では宣伝になるのかね? 最低でも一〇〇万人程度はないとこれから徐々に平時体制に移行するというメッセージ性を付与するのは難しいのではないかと思うのだが」

「……ですが、一度に一〇〇万の人間を民間に戻すとなると、民間復帰のためのケアを考えますと大変なことになりはしませんか。軍務省で具体的な軍縮計画が策定されていない以上は、民間復帰ための面倒を政府が主となってしなくてはならなくなるでしょう。ただでさえ、われわれの仕事量は増えているというのに」

「それは……そうだが……」

 

 エルスハイマーの発言はローエングラム王朝、いや、旧王朝のローエングラム独裁体制時代より続いているある問題点を浮き彫りにしたものであった。ラインハルトは多くの門閥貴族を粛清したが、それは同時に高官ポストが大量に空席になったことを意味している。その高官ポストにつける才幹が備わっている人材の数はポストの数に比べて少数で、結果的に多くの高官が前王朝の高官と比べて強い責任感と使命感以上に、行政上の必要性からやむなく大量の仕事を抱え込むことになってしまっているのだ。

 

 もちろん、皇帝ラインハルトはその問題を正しく認識している。なぜなら当人が、おそらく、というか、ほぼ間違いなくローエングラム王朝において質・量共に一番働いている行政上の最高責任者なのだから。しかしながら、仕事の多さは国家の創業時におけるやむなき現象であると考えていたようである。旧弊に縛られない開明的改革を志向している以上は、旧弊に染まりきってしまっている旧王朝の高位行政官など使いたくても使えないのである。五年、一〇年すれば、旧弊に縛られることがない新たな人材も育ってくるであろうから、それまで辛抱してもらいたいというところであったのだろう。

 

 つまり個人の能力に頼るところがあまりにも大きいわけで、そのような手法で大規模な改革を推し進めるのは非現実的にすら思えるのだが、ラインハルトが確かな人物選定眼と巧みな人事能力を備えていたこと、そしてゴールデンバウム王朝そのものが末期症状で政治が硬直化していたゆえに、柔軟な思考ができる優秀な人物が冷遇されていたために引き抜きやすかった幸運に恵まれたおかげで、安定して開明政策を推し進めながら国家運営ができたのである。それだけに貴族連合残党によるヴァルプルギス作戦で多数の政府高官が殺され、旧王朝時代の高官をいくらか復帰させないことには国家運営は難しくなった時、征旅の途上にあったブリュンヒルトの艦橋で若き黄金の覇者は無念さを禁じ得なかったものであった。

 

「たしかにそれは由々しき問題だ。これ以上、多忙になってはいくら優秀でも過労死するものがでかねないからな。そこで工部省として提案だ。その何割かを民間に戻す前にこちらに融通してもらえないか。こちらが面倒を見る」

「どういうことですか? 詳しく説明してもらいたい」

 

 どういう意図での提案か理解しかねたマリーンドルフ伯爵に促され、無精髭を軽く撫でてからシルヴァーベルヒは説明を始める。

 

「フェザーンを人類社会の中心にふさわしい帝国首都に改造する計画はまだ始まったばかりだ。首都建設長官としての立場から言わせてもらうならば、一人でも人員が欲しい。しかも元軍人ならなおさらだ。規律訓練が行き届いて体力もあるだろうから一月ほど教育すれば使い物になるだろう。兵下士官は工事現場で力仕事を任せられるし、士官たちの管理能力もあてにできる。また、首都建設を進める最中である程度の技術は身につくし、多くの民間企業と面識を持つ機会ができることもあるだろうから、民間復帰の面でも良い方策であると考える」

「それはそうかもしれませんが、どの程度の期間を首都建設計画のために活用するつもりで?」

「計画完了時までと言いたいが、あくまで民間復帰の一プロセスであり、段階的に、かつ継続的に今後も軍縮を実施していくことを考慮するなら、私見だが二、三年といったところではないか? もし実行するのであれば、民間復帰後のことも考え、君の民政省とも議論して計画を具体化していきたいところだが」

「たしかにそうだとは思いますが……」

 

 エルスハイマーはなにか思うところある様子だったが、対案が思い浮かばずに黙り込んだ。それをみて今度はオスマイヤーが発言する。

 

「内務省としては、憲兵隊や情報部で働いていた経歴のある軍人であれば、警察総局や内国安全保障局の要員として相当数採用できる余地があると思われる。もしそれでかまわないのであれば、そうした方向で省内で検討する用意がある」

 

 昨今の国内情勢からして、警察力の強化が重要になっているからな。そうオスマイヤーは言ったが、それとは別に省内部における問題が脳裏にあった。オスマイヤーにとって省内で恐るべきは尚書の椅子を狙っている内務次官と内国安全保障局長を兼任するハイドリッヒ・ラングである。なぜ恐ろしいかというと、彼は軍務尚書オーベルシュタインの側近として内務省の官僚秩序を乱しているからであるが、もうひとつ理由がある。

 

 それは内国安全保障局にほとんどオスマイヤーが知っている人材がいないことである。なぜならラングが内国安全保障局長に任命されてから自らの人望によって集めた人材が中枢をしめているからであり、大半が元社会秩序局員だからである。強いて言えば、次長のクラウゼと帝都の一件で縁ができて親しくはしているが、省内の主導権争いにおいてどちらかといえばラングの側に立っていることが多いので頼りにならない。

 

 なので軍縮の一環であるという大義名分を掲げて内国安全保障局にそうした人材をねじ込めば、ラングの牙城に風穴を開けることも可能なのではないか。また幸いといっていいのかどうかわからないが、先のヴァルプルギス事件での不祥事で憲兵隊の勢いにやや陰りがでたため、省内における反軍感情が弱まっており、比較的軍の人材を取り込みやすい情勢になってきているという事情もあった。

 

 内務尚書に続いて他の尚書も軍の人材確保に意欲的な方向で議論が盛り上がり始めたが、その論調に我慢ならない尚書が一人いた。だれあろう、財務尚書オイゲン・リヒター氏である。

 

「少しいいかな。私は、なにやら論点がいささかズレてきていると思うのだが」

「どこがです。論点は軍縮の際、除隊した軍人の扱いをどうするかについてで、なにもズレてはいないのでは」

 

 怪訝なベルンハイム男爵の問いに、リヒターは軽い怒気を発して応えた。

 

「軍人から公務員へ衣替えさせてどうするのだ?! 遺憾ながら新王朝開闢以来、国庫が安定する兆しが見えず、財務省としてはこのままではよいのかと頭を抱えたくなっているのが現状なのだ。だというのに軍人でなくなったとはいえ、国費で養うことが変わらないのでは話にならないではないか」

「それはおかしいですね。国庫はまだまだ豊かであると聞き及んでおりますが……」

「ああ、たしかに国庫はいまだ豊かだよ学芸尚書。貴族財産の接収と計画的な資本投下による経済再建、くわえて自由化政策による市場の活性化による好景気による税収の増加によって、国庫はフリードリヒ四世の御代の頃とは比べ物にならないほど豊かだとも」

「では安定しているのではありませんか」

「豊かであることと安定していることは同意義ではないだろう! いくら余裕があるからといって、度重なる出兵による臨時出費がどれだけの額になっているとお思いか?! それにこの好景気も大きく変わった情勢によって引き起こされたに過ぎず、それが当然になっても続く保証はどこにもないのだ! このペースで臨時出費が重なれば、いくら国庫が豊かであると言っても、早晩枯渇するのは目に見えているではないかッ!」

 

 リヒターは閣議の机を拳でドン!と叩いた。

 

「いや、それを抜きにしても、だ。いくら平和だからといっても軍隊が遊んでばかりいるわけではあるまい。軍備の更新や整備、訓練をかかすわけにはいかないだろう。それだけでもけっこうな予算がかかる。と、なるとだ。財務省としては、三〇年内に軍人の数を四〇〇〇万ほどまで減らしてもらいたい。これはあくまで最低限の数字であって、可能ならもっと減らしてもらいたい。また他の省の官僚たちも、元軍人を大量に雇い入れられては人件費からしてバカにならないから、通常予算の範囲内でやりくりできる程度で抑えてもらいたい」

「いくら軍縮といっても減らし過ぎではないか」

「そうだ、三〇〇〇万も減らせば、民衆も不安を感じて動揺するだろう」

 

 幾人かの閣僚がそう声をあげた。これらの発言は彼らからすれば常識的なものであったかもしれない。なにせ、この時代の人間は生まれる前より戦争が続いていた時代に生まれ、つい最近までもそうだったのである。彼らにとっての“常識”はすべて戦時下の中で培われたとはいえ、軍縮を望んでも程度というものがあった。国家財政を司る開明派の領袖リヒターは、それにとらわれることなく疲れ切った表情と声で反論した。

 

「……減らしすぎか。ひとつだけ言っておくが、最悪の場合、三〇年後に国庫が寂しくなってしまったがために、軍縮をしようにも元軍人に故郷までの片道切符と一時金だけ渡して、ろくに再就職支援もできずに放り出すことくらいしかできなくなる可能性があることを留意してほしい。国庫が豊かな今だからこそ、潤沢な予算を使って軍人を民間に戻すことができるのだ。そしてその段階でも軍縮をせずに規模を維持するというのならば、ローエングラム王朝も旧王朝と同じように毎年巨額の軍事費によって財政が苦しいという状況が常態化することになるだろう。それを踏まえた上で、より具体性のある対案があるというのなら、聞かせてもらおうじゃないか」

 

 対案を述べようとする者はだれもいなかった。視界の端でエルスハイマーが大きく頷いているのを確認して、リヒターはため息をつきたい気持ちを必死でこらえた。別にエルスハイマーに文句があるわけではない。物事の本質を掴み、多くの部下を取りまとめ、実際的な政策を遂行する能力は十分閣僚としてふさわしいものである。だが、リヒターとしては、亡き盟友を基準としてしまって、エルスハイマーの温厚さに思うところがあるのだった。

 

 彼の盟友、前民政尚書カール・ブラッケは強硬的で原理主義的な開明派官僚であった。己が正しいと信じた道を全力で突っ走る熱い男。旧王朝時代、自分がなんとか他派の官僚たちと折り合いをつけて、民衆のための政策を実現させようとしていたのに、あの男ときたらいつも一切自重せずに開明政策の必要性を説き、相手のメンツをぶっ壊し、頑固すぎるほど己の意見を全面的に押し通そうとしていたのだ。そのために社会秩序維持局などの治安機関に危険分子扱いされ、何度もマールブルク政治犯収容所にぶち込まれ、その煽りを受けてリヒターも大変なことになるというパターンができていたほどだ。

 

 どうしてあいつはもっと穏健な手法をとって、相手の意見と折り合いをつけつつ話をまとめて、現実的な方法で理想を実現させていくということができないのだろう。現実は実に様々な諸要素によって構成されており、すべてが自分の思い通りにいくはずもない。そんな当たり前のことをどうしてブラッケは自分が毎回言葉を尽くさないとわかってくれないのか。そうした不満をリヒターはずっと抱いてきた。

 

 だが、ブラッケが死んでその不満が見当違いだったと思い知らされたのだ。ブラッケとは真逆な方向に頑固なアンチ・ブラッケどもが世の中には想像以上に多かったという事実に気づかされたのである。ブラッケが一切の妥協なく教条主義的に開明派の理屈を語ればこそ、開明派の力を借りたいと考えていた他派の者たちは“ブラッケが相手では話がまとまることはない”と考え、“もう一人の開明派の領袖”との間になんとか落とし所をつけようと接触してくるのが常だった。だからリヒターは他派官僚との意見調整がスムーズに進めることができ、己の意見を曲げようとしないブラッケの説得に一番時間を使わされてきたのである。

 

 しかしそのブラッケはもうおらず、他派官僚たちが開明政策に否定的なブラッケになってしまったのではないかと思えてしまうほどリヒターは他派官僚との意見調整に苦慮することになっていた。ブラッケという強硬な開明政策の旗振り役がいなくなると、どうやら他の者たちはリヒターですら融通がきかない開明派の頑固者という映るようになってきたらしい。あくまでリヒターの所感ではあるが、近頃、開明政策の推進が思うようにいかなくなることが増えているのは、開明派官僚の数が減ったこと以上に、他派との摩擦が増えすぎたことであるように思えるのだった。

 

 はたしてかつての盟友、カール・ブラッケはそのことを意識して、あえて頑固な開明派、頑迷な原理主義者を演じていたのだろうか。いや、演じていたわけがないな、と、リヒターはかすかに苦笑する。意識してようがしてまいが、ブラッケのあの性格と政治姿勢は、絶対に素であったに違いなく、演技であるはずがないと彼にはわかっていたのである。

 

「財務尚書の意見はもっともであると私は考えるが、軍務尚書はどう思われるか?」

 

 リヒターの主張への反論がないことを確認したマリーンドルフ伯爵はそう言って、軍務尚書の見解を問いただす。

 

「先ほどの繰り返しになるが、軍縮は軍務省のみならず、統帥本部、宇宙艦隊司令部も同意している今後の帝国軍の方針である。その方針に従い、省内や統帥本部で検討が続けられているが、まだ確定された軍縮計画は存在していないので応じられない。しかしながら民政尚書が主張したような、これからの方針を内外に知らしめるための数十万単位の即時軍縮であれば、軍務省としても協力できるだろう。現時点ではそれ以上には応じることは不可能だ」

 

 その程度の数であれば、安全な人間を中心に除隊させ、疑わしい人物のみ監視させることで安全を確保できるだろう。オーベルシュタインはそのように考えていたのかもしれない。この時期、軍務省内で軍縮が大きな課題として扱われていたのは確かではあるが、それ以上に重要な問題として考えられていたのが“粛軍”である。

 

 軍縮と何が違うのかという疑問に思うかもしれないが、粛軍は軍内部における危険分子を特定して排除することであると考えるとわかりやすいかもしれない。現役帝国軍人だった地球教徒の一団がヤン・ウェンリーを暗殺した事件以来、帝国軍首脳部は軍内に地球教徒をはじめとした反帝国勢力の手先が紛れ込んでいる疑いを抱いていたのである。

 

 そうした疑いを前提に考えると、帝国軍の大規模軍縮はたとえ除隊後の再就職支援が盤石でも大きな懸念を孕まざるを得ない。たとえ除隊後の待遇がどのようなものであろうと一顧だにせず、少なからぬ数の退役軍人がひとつの思想の下に自発的に結集し、帝国軍で学んだ軍事知識を生かした“新たな軍隊”を構築して帝国に歯向かってくるのではないか。そこまでいかなくても強力なテロ集団になってしまうのではないか。そうした懸念を、である。

 

 それは後世の視点から見れば、いささか地球教に対する過大評価が過ぎるように思われるのだが、軍の統制に相応の自信を持っていた帝国軍首脳にとって、自分たちの知らぬ間に帝国軍部隊の一部が地球教に掌握され、その部隊によるヤン暗殺の策動の気配を事前に察知すらできなかったことは衝撃的であり、その衝撃を元に考えると充分に現実味がある話に思え、慎重な捜査で実態を把握をするまで可能な限りに軍に縛り付けておきたいというのが本音であったろう。

 

 しかしそうした懸念をオーベルシュタインは他の省庁とは共有しようとはしなかった。それは彼の秘密主義によるものもあったろうが、軍首脳の対象に気取られないよう粛軍を秘密裏に進めたいという考えからすると、軍首脳以外と疑いを共有するのは情報漏洩の可能性をも高めるので、危険であるという意識もあったかもしれない。

 

「軍務省による軍縮計画の完成がいつ頃になるか具体的に確約してもらえないだろうか。そうした保障がなければ、財務省としては本当に軍縮をするのかと不安を禁じ得ない」

「まだ草案段階であるため、無責任なことは言えぬ。だが、軍縮が軍全体の一致した方針であることは皇帝陛下も承知しておられる。それが保障にはならぬかな」

「…………なるほど」

 

 皇帝の権威を利用した発言に、リヒターは納得したわけではないにしろ、ひとまずは引き下がった。不安が完全に消え去ったわけではないが、ラインハルトの潔癖さからして、このまま軍縮の実施されるまでの時間がズルズルと長引き、取り返しのつかないところまでいく可能性はごく低いと考えた。そして、万一、その可能性が現実化したのならば、リヒターも己の信じる理念の為に現在の地位を捨てて独自に動かなくてはならぬだろう。ブラッケが最初から危惧していた可能性に備えなくてはならぬわけだ。

 

「では、軍縮について、当面の合意を見たとみてよろしいか」

 

 マリーンドルフ伯爵の問いかけに、閣僚全員が「異議なし」と唱え、ひとまず軍縮にかんする議題は決着をみた。書記官長のマインホフが書類に議論の概要を書き記し終え、それが終わると次の議題にかかわる資料を閣僚に配るように部下に指示した後、発言した。

 

「次の議題は、代理総督府から提案されたフェザーンの統治機構統合案についてです」

 


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