リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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狐と蛇の化かし合い

 皇帝ラインハルト率いる親征軍がフェザーンに帰還してお祭り騒ぎになっていた数日間も、ゲオルグは新聞記者の取材を装いながら忙しく活動していた。ベルンハルトにはある程度の裁量権をあたえていたから、彼しか知らぬことが多々あるのである。くわえて、帝国政府のお膝元であるからには、テオリアの頃のように秘密組織の活動を文書にして記録するなどという証拠にしかならない真似は極力避けていたため、ベルンハルトから直接聞いた情報と自分の足だけを頼りに秘密組織の指揮系統を掌握し、運営しなくてはならなかったのである。

 

 だが、その作業も親征軍が帰還した一週間後、つまり七月七日には概ね完了し、シュヴァルツァーとブレーメに任せたテオリアの本部と連携をとりつつ、どのような手段を使用していくべきか宿泊しているホテルの部屋で思案するようになっていた。いくつもの案がゲオルグの脳裏に浮かんでは消えていったが、結論が出る前に思案を打ち切った。フロントから想定していなかった連絡がきたからである。

 

「手紙? 私宛にですか?」

 

 室内電話の受話器を耳に当てながら、ゲオルグは訝しげな声でそう確認すると、フロントの職員からも当惑した返事がくる。

 

「ええ、そうです。ラルド・エステルグレーン様宛てのお手紙が郵便で届きまして……。現在、当ホテルに宿泊されているラルド・エステルグレーン様は一人しかいませんので、おそらくお客様宛の手紙ではないかと」

「だれからの手紙なのかわかります?」

「封筒には宛先しか書いておりませんので……中身の手紙に送り主の名前が書いてあるかもしれませんが……」

「……じゃあ、私宛の手紙なのかどうか、確認すべきですね。わかりました。受け取りに行く」

 

 この時一番ありえそうなこととして、ノイエス・テオリア社からの業務に関する書類ではないかと思った。ラルドという会社の社員と入れ替わる形でゲオルグはフェザーンに潜入したため、会社の大部分は自分がラルド・エステルグレーンに粉しているゲオルグ・フォン・リヒテンラーデであるとは知らず、社員のラルド・エステルグレーンがフェザーンに派遣されているというふうに認識しているはずであるから、宿泊先に業務命令の手紙を送ってきても不思議なことではない。

 

 次に考えたのが、秘密組織内に造反者でも現れたかという可能性であった。テオリアと違い、フェザーンでは無理を言ってベルンハルトに組織拡大を命じていたし、フェザーン人は狡猾なものであるという先入観もあって、自分が接触した構成員のだれかが個人的利益を得るためになにかしら脅しをかけてきたのか、と、考えたのである。

 

 一応、テオリアで秘密組織全般の運営を任せた者たちから緊急の指示を乞う手紙の可能性も考えないではなかったが、これはありえないだろうと思っていた。ブレーメにしてもシュヴァルツァーにしてもその才幹を信頼しているし、そんな事態が起こる可能性は低いだろう。万一、そうした事態が起きたとして、秘密組織の活動が露見する可能性は減らすにこしたことはないと彼らは充分に認識しているはずだし、郵便なんて信頼できない連絡手段を取らないだろう。

 

 しかし手紙の送り主はそのどれでもなかった。ゲオルグはフロントで手紙を受け取り、封を切って内容を確認して思わず固まってしまった。送り主がだれなのかはわかった。だが、この展開は予想していなかった。

 

「あの……お客様宛の手紙ではなかったですか?」

 

 気まずそうにそう確認してきたフロントの受付員の声で現実に引き戻された。紳士的な笑みを浮かべて間違いなくこの手紙は自分宛のものであるとゲオルグは言った。受付員は怪訝そうだったが、すぐに気の毒な表情を貼り付けてそれ以上追及しようとはしてこなかった。なにかショッキングな内容の手紙であると勘違いでもしたらしかった。

 

 それを確認すると、ゲオルグは受付員に礼を言って、自室に戻って、手紙を机の上に放り投げ、ソファに座り込み、しばらく途方にくれた。いずれにせよ、唐突にやってきた不可避の事態に対して急いでなにか対策を立てなくてはならないことは理解している。だが、それを理解した上で時間を無駄に浪費することによってえることのできる精神的な安らぎというものが権力者にはあるのだ。もちろんゲオルグは暗愚ではなかったから、それが赦される時間の量を見誤ったことは未だかつて一度もないが。

 

 二、三〇分してゲオルグはようやく建設的思考というものをしはじめた。正直、猛省したい気分である。テオリアに潜伏するようになってから、徹底的に自分の気配を殺すことに専念してきた。秘密組織の勢力拡大のために大事を起こす時は、その度に身代わりを用意し、決して表舞台に立たずに黒子に徹するよう、神経質なまでに気を使ってきた自負がある。

 

 特にジーベック中佐率いる貴族連合残党は想像以上に暴れてくれた。おかげで今やゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという男に対する警戒や存在感は――ロイエンタール元帥の私邸にエルフリーデが匿われていた一件で少しばかり過去の人として現在はやや興味を持たれているようだが――は霧散霧消してしまっていることがクラウゼを筆頭にした帝国政府に潜り込んでいる構成員たちからの情報により把握している。

 

 無論、最上層部にいるオーベルシュタインやケスラーなどがどう思っているのかまではつかめていない。しかし大多数の治安関係者にとってゲオルグ・フォン・リヒテンラーデは過去の人間であり、見つけたら逮捕しなきゃいけないことになっている程度の小物。そんな人畜無害なやつよりルビンスキーなりジーベックなりを捕まえることの方がはるかに重要という認識になっている。これではどれほど上が注意を呼びかけたとて、末端は警戒心をいだきにくいであろう。そう驕って、慢心していたのだ。

 

「黒狐め、抜け目ない……」

 

 黒狐とは、第六代フェザーン自治領主にして、現在地下に潜伏しているアドリアン・ルビンスキーの異名である。その人物が机の上にある手紙の送り主であった。

 

 ゲオルグとて、ルビンスキーが、旧フェザーン自治領主府の残党が接触してくる可能性を想定していなかったわけではない。むしろ、彼らが権力者として返り咲くことを諦めていないのであれば、十中八九接触してくるであろうと考えていた。だが、それはあくまで秘密組織に対してであり、自分のところに直接接触してくるというのは想像していなかった。

 

 なぜ想像していなかったのか。ここルビンスキーは謀略家として高い評価を受けており、フェザーンは彼のホームグラウンドである。可能性のひとつとして、想定できなければおかしいではないか。なぜできなかったか。それはあまりにも帝国政府における自己の存在の希薄化に満足し、慢心して警戒を怠っていたからにちがいない。

 

 いや、自省するのはあとでよろしい。今問題とすべきはそこではない。手紙の内容は自分と取引がしたいと直接会談をのぞんでおり、場所と時間を指定してきている。このルビンスキーの手紙の意図をどう解釈すべきか。こちらを利用するつもりであっても、本当に会談する気があるならばよい。面と向かって会えるのであれば、自分を与しやすい相手であるとルビンスキーに思わせ、逆にやつを利用しようとしてやればよいだけの話。当代随一の謀略家相手にそれをするのは難しいであろうが、それでもまだ挽回の余地はある。

 

 危惧するのは挽回のしようがない可能性。それはルビンスキーがゲオルグを帝国当局に売りとばし、自分の国事犯指定解除を目論んでいるといる場合だ。帝国政府がルビンスキーを国事犯扱いする理由は、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を誘拐したレムシャイド伯爵率いる旧体制残党勢力を支援するなど中立義務への背信行為をしていたため、ということになっている。

 

 これは建前に過ぎないことは銀河のだれもが知っている。初代自治領主ラープの時代よりフェザーン自治領は完全な内政自治権と独自外交権が認められている。帝国に対して負っている法的義務など毎年一定額の税金を納めることくらいで、そのささやかな帝国への義務を自治領主府が怠ったことは歴史上一度もありはしない。だから本来であれば帝国政府が自治領主を政治的な罪で糾弾するなど理屈の上からいえば土台無理な話なのだ。

 

 ルビンスキーが国事犯というのは、帝国軍のフェザーン進駐によって自治権の剥奪が既成事実化され、名実ともに帝国領内の扱いになったという前提あってのこと。いうなれば敵対した国家の指導者であり、地下に潜伏しているから危険視されているのと同じ理屈なのだ。官憲の手にかかって余罪でもなければ(あるいはでっちあげられなければ)不平派・反帝国派を糾合する旗頭にならないよう監視下には置かれるだろうが、それですまされるだろう。そんな扱いなのだ。

 

 だからそれだけに手土産次第では、その貢献をもってルビンスキーが相応の地位で帝国政府にむかえられるということはありえないことでもないだろう。その手土産に自分がされる。それがゲオルグにとっての最悪の展開である。もちろん、ゲオルグとて祖父の大逆罪の連座という微妙な理由での国事犯であり、ゲオルグだけでは話にならず、秘密組織をも含めても難しいだろう。だが、秘密組織がヤツェク・グラズノフと深い関係を築いていることまでルビンスキーが把握しているなら、危うい。

 

 現アルテバラン星系総督グラズノフは、フェザーン回廊を帝国軍が安全に通過するための謀略に積極的に参画したニコラス・ボルテックの共犯者である。そして現在の帝国政府にとって、ボルテックのフェザーン代理総督府の存在が目の上のたん瘤であることは今まで調べてきた情報からして明白。もしグラズノフが秘密組織と関係を持っていることを知られて帝国の裁きの場に立たされれば、盟友ボルテックの政治的信頼性も大きく損なわれることとなり、やや強引ながらそれを理由にして代理総督府を潰してしまうこともできるであろう。

 

 このメリットはルビンスキーという獅子身中の虫を体制内に抱え込むデメリットを上回ると帝国指導部は考えるかもしれない。いや、そう考えなかったとしても、ルビンスキーがそう想定しているのだとすれば、危険極まる。だとすればどう対応すべきか……。

 

「……阿呆が。辻褄があわぬわ」

 

 ゲオルグは自分に言い聞かせるように力強く呟く。内心の恐怖と猜疑から、あらぬ可能性を考えてしまっていると理性が囁いたのだ。だいたい、本当にルビンスキーがそう考えているのだとすれば、こんな手紙を自分に送りつける必要などどこにもない。自分の居所を掴んでいるのだから、気づかれるようなマネなどせずに帝国の当局に通報してしまえばそれでしまいだ。自分はろくな反応もできずにお縄につくことになっただろう。その程度のことがルビンスキーにわからないわけがない。

 

 つまりルビンスキーはボルテック派と自分とのつながりを知らない。よしんば知っていたとしても、それを手土産にして帝国へ仕官しようとはしていない。そう仮定したほうが現状に説明がつく。それを前提にして自分に会談を求ているということは、反帝国勢力同士で協力関係を築きたいというあたりだろうか。

 

 いずれにせよ、会談そのものが罠という可能性は低いように思われる。会談に応じ、フェザーン最後の自治領主の意図をつかむべきであろう。ゲオルグはそう決断し、留守中の秘密組織の運営者を数人に分けて定め、手紙で指定されている都市に向かった。

 

 翌日、中枢街から三〇〇キロほど離れた地点に存在する小都市イェッケニアに向かった。イェッケニアは惑星フェザーンには珍しい温泉郷で、多くの建築物が木造建築であり、帝国で生まれ育ったゲオルグがからするとどうにも違和感を感じる雰囲気を放つ都市である。もっとも、フェザーンは娯楽の多様性を求めるあまり、多文化主義を強力に推進してきたので、都市毎で異国情緒を感じさせるほどに雰囲気が異なるのだが。

 

 会談場所に指定された温泉宿を前にした時、ゲオルグはなんともいえない圧のようなものを宿から感じたが、イェッケニアではごく平凡な中流の宿であったので、それはルビンスキーが中にいるという先入観からくる過剰反応というものであったろう。

 

 温泉宿に入って受付に「狐に会いにきた」と告げると、受付の外向けの笑顔を浮かべていた営業員の顔から表情が刮ぎ落ち、能面になって感情の籠もらぬ平坦な声でついてこいと言って先導し、ひとつの部屋に案内した。ゲオルグは憮然とした表情で扉を開けると、陽気な声が響いた。

 

「よくぞおいでになられたゲオルグ・フォン・リヒテンラーデ殿。いや、ノイエス・テオリア社の特派員ラルド・エステルグレーンだろうか。どちらの名前で呼べばよろしいだろうか?」

 

 温泉から出たばかりのようで、バスローブ一枚だけを身にまとった最後の自治領主が木製のゆったりしたチェアに座り、精悍な笑みを浮かべて待ち構えていた。

 

「ご随意に。私はもはや公的になんらかの地位にあるわけではないのだから、今どう呼ばれようが問題にならぬだろう。いっそゲオルグやラルドと呼び捨てにしてもらってもいっこうにかまわぬよ。しかしそれを言えば、私は卿をなんと呼べば良いのだろうか? 自治領主閣下、というには少々問題があろう」

「こっちもそちらと似たようなものだから、気軽にファースト・ネームで“アドリアン”と呼んでくれてもいいぞ。()()()()()

「……」

 

 軽い牽制のつもりであったが、あっさりと順応してきて子どもを呼ぶような口調でファースト・ネームで呼びかけられ、ゲオルグは唇を思わずへの字に曲げた。実際にそう扱われてもおかしくないくらいの年齢差が二人の間には存在したが、そう扱って良いような相手でないことくらい理解しているだろうに。わかっていたことではあるが、やはり油断ならない相手だ。

 

「おや顔色が悪いですな。そういう時は酒でもお飲みになったらどうか。種類は少ないが、良質のものがここに置いてある。飲みたければ飲んでくれてかまいませんぞ」

「ほう……。いや、遠慮しておこう。中に毒でも入っていたら大変だ」

「これはお噂以上に警戒心が強いようですな。帝国ではどうか知りませぬが、フェザーンには会談時に相手に振る舞う酒に毒を盛るような野蛮でつまらぬ流儀はございませんぞ」

「わかっておる。こちらの気分の問題だ」

 

 アルコールまじりに政治談義に花を咲かせるは貴族の本懐というものであるかもしれないが、この黒狐に対してはそれが致命的な隙を生むことになるかもしれない。ゲオルグは近場の椅子に座り、おもむろに切り出した。

 

「昔日の自治領主も内務次官も、今日では互いに無位無官の身。ゆえにくだらぬ形式的な前置きは抜きにしてさっそく本題に入らせてもらおう。どうやって気づいた? 私がこのフェザーンに来てまだ数日しかたっておらぬというに」

「我がフェザーンの情報網を甘く見ないでいただきたい、といったところですかな」

「なるほど。自治領が崩壊しても、自治領主府が誇っていた情報網はいまだ健在というわけですか。それでいったい私になにを求めておいでかな。私としては卿と友好的関係を構築したいと願っているので、よほどのことでなければやってみせるつもりだが……」

 

 不本意そうにそう語るゲオルグに、ルビンスキーは目を細めた。

 

「取引がしたいと手紙に書いたはずですが、いきなりこちらの注文を聞きに来るとは。失礼ながらいささか弱気にすぎませぬかな」

「白々しいことを言ってくれるな。私の表の顔と所在を掴まれている時点で、卿に私の生命線を握られているも同然ではないか。それで取引などといわれても対等なものになりうるはずがない。それともなにかな? フェザーンには相手の弱点を掴みながらそこに配慮して交渉するような紳士精神でも存在するのかな」

「なるほど、若くして警察機構の頂点を務めていただけのことはある」

 

 捨て鉢にも思えるようなゲオルグの態度は、ルビンスキーの立場がすれば好ましいものであるはずだが、どうにも違和感を感じざるをえない。ゲオルグがただでしてやられるような人間ではないことは、銀河帝国正統政府を利用した計画に巻き込もうとした時に既に立証されている。こちらの思惑が外れてゲオルグは独自性を確保し、フェザーン占領時のドサクサを見逃さず、こちらがからみつけたはずの紐をすべてぶった切って行方を眩ませた男なのだから。

 

 そんなゲオルグが弱味を握られているとはいえ、こうも従順になるものであろうか? あまり無茶を言うようなのであれば自爆覚悟で帝国の治安当局に通報してやる。卿を巻き添えにすれば自分の罪を減じてもらえるかもしれぬからな。そんな牽制をしてくるのは当然であると予想していた。だが、そんな様子が一切ないところに訝しみを覚える。

 

 虎視眈々となにかを狙っているのではないか? そんな疑念を感じ、その態度が嘘偽りでないか見極めるためにも、今少し探りをいれていくべきだ。

 

「とはいえ、“短気は損気”という(ことわざ)がございますように、いきなり要求から始めるのもよろしくないでしょう。現状をどのように認識しているか、まずそのあたりから明らかにしていきませんかな」

「そうなのか。私は“時は金なり”というのがフェザーンの諺だと思っておったのだがな。機を見逃さずに迅速に行動する卿らフェザーンの暗躍に、生前の祖父上がどれほど頭を悩ませておったことか」

「ほめ言葉として受け取っておきましょう」

 

 恐縮したような演技をしながら皮肉を受け流した。

 

「帝国にとって最大の外敵であったというべきヤン・ウェンリーが地球教という不確定要素のために横死した。いまだイゼルローンに立てこもっている共和主義者どももおるが、帝国の支配を揺るがす外患(がいかん)とはなりえまい。皇帝が帰還した以上、いささか混乱しておった内政面の充実をはかって支配体制の盤石化をはかるだろう。あなたがこのフェザーンにやって来たからには、いまだに暗躍をやめるつもりはないとお察しするが、はたしてあなたはどのようにして権力の座に返り咲こうとお考えか」

「……貴族連合残党が帝都で馬鹿騒ぎしてくれたおかげといってはなんだが、旧王朝時代の貴族官僚の公職追放が解除され、翻って開明派の勢力が衰退している。そしてこのフェザーンにおいても帝国支配を歓迎する声ばかりというわけでなし。この二つの流れをなんとか結合させれば、帝国政府にとってはまっこと始末に困る内憂となろう。その調停者という役割でもって自身を帝国政府に売り込み、政界への復帰を試みる。やや迂遠な策であるが、これしかないと考え、そのように行動している。とはいえ、卿に私のことがバレた以上、大幅修正が必要なのかもしれぬがな」

 

 ゲオルグは包み隠さずに自身の展望を打ち明けた。たとえ隠していても自分の正体が通報される危険性を考えれば実行することなど到底できず、抜本的に計画を見つめなおさなくてはならないのが実情である。例外があるとすれば、ルビンスキー自身がこの計画に興味関心を示し、味方になってくれた場合のみ。で、あるならば、目の前の男に対して隠す必要がないと考えてのことである。

 

 帝国政府内に潜り込ませている秘密組織の構成員が、どの部署の、どういうポジションについていて、どの程度までなら怪しまれることなく動くことができるのか。その辺りさえ隠しおおせれば、最悪、テオリアに戻って大粛清を敢行して証拠を隠滅して再びどこぞの辺境に潜伏だ。そしてふたたび時期がくるまで地味で目立たない手法で影響力拡大なんてしなくてはならなくなるので、できれば勘弁してほしい展開であるのだが。

 

 そういったことに気づいているのかいないのか、ルビンスキーは微笑みながら頷いた。

 

「慧眼であられますな。しかしそれだけではいささか弱い。私はそこにもう一つ要素を加えたいところですな」

「もう一つ? となると同盟領、いや既に新領土か。そこで燻っている共和主義者どもか。フェザーンの立場から考えるのであれば、オリオン腕とサジタリウス腕はそれぞれ別勢力がしめていてもらわなくては安全保障上に支障があるものな」

 

 軽く探りをいれたつもりだったが、ルビンスキーは面白い冗談を聞いたと言うように口の端を歪める。

 

「ずいぶんと評価していただけているようで恐縮だが、自治領主としてはあり得べからざることなのだろうが、私はフェザーンの統治にそれほど愛着があるわけではないのだ。だからボルテックの一派と協商関係にあることについて、ゲオルグ殿にとやかく言うつもりはございませんのでご安心を」

「ほう、そこまで掴んでいるということは、私を治安当局に売り渡して地位を得るつもりはないわけか」

「当然でしょう。第一、そのような方法で帝国政府内に場所に作れたとして、さほど実権のある地位につける見込みがない。そして独立派は当然として、不平派が支持している代理総督府を潰した上で私が帝国に迎合するとなれば、彼らの怒りが私に集中する、いや、帝国政府がそうなるように誘導する。そんな不満のはけ口にされる面白味がない未来に興味はないのでね」

 

 そうルビンスキーは意味深に微笑みながら言ったが、その主張をそのまま信じることは困難であった。なにせ自分を売れば帝国は新首都における行政上の大きな問題を解決することができるのだ。ましてやフェザーンの統治そのものにさほど愛着がないというのであれば、地方星系総督くらいの地位は政府との交渉次第で手に入れることも可能なのではないか、と、ゲオルグは思うのである。

 

 そのことに気づいていないというわけではなかろう。では、自分を利用することでそれ以上の地位を手にいれる計算でもあるのか。ゲオルグは警戒しながら表面上は納得したようなふうを装い、質問をつづけた。

 

「なるほど、それで新領土の共和主義者どもでないとすれば、なにを利用するおつもりか」

「――共和主義者ではなく、新領土そのものを皇帝ラインハルトと敵対させるのです」

「……なに?」

 

 ルビンスキーの答えをゲオルグは咄嗟には理解しかねた。新領土にある不穏要素といえば、共和主義者以外にあるまいという認識から抜け出せなかったのである。しかし()()()()()()()という表現から、ルビンスキーの言わんとするところを察し、ゲオルグは困惑した。そしてその感情を自覚的に隠そうともしなかった。

 

「つまり卿は新領土総督のロイエンタール元帥を反逆させようとしているのか」

「さよう」

「……失礼だが、とても非現実的で、実現性がないのではないか? 多少だが、ロイエンタールという男を私は知っている。一度、部下がバカをやらかしたせいで関わり合いになったことがあるのでな。その時に受けた印象から言わせてもらうならば、とても計算高い振る舞いができる男だ。親征がひと段落し、秩序が安定へと向かいつつある現状で、あえて皇帝ラインハルトの天下に挑戦するような無謀なことをするとも思えぬが」

「そうでもないでしょう。あなたの親族をかくまっていた一件でロイエンタール元帥と皇帝ラインハルトの間に亀裂が生じていることを知っておられるはずだ」

「ああ、今年の頭に内国安全保障局が謀反の兆しありとロイエンタールを弾劾した一件のことか。だが、それはロイエンタールが非を認めたことで修復されたのではなかったか。でなくて閣僚に匹敵すると定義された新領土総督の地位など与えるはずもなし。そうではないか」

「なるほど、そういう考えもあるでしょう。しかし一度主君に叛逆を疑われた重臣が、それも有能で向上心も高い重臣が、今まで通りの忠誠を示し続けられますかな? もし皇帝からの信任が薄れているような感覚があり、そこに巨大な好機が到来しようもなら、叛逆の堕天使となる誘惑にたえられるような男なのですか」

「それはそうかもしれぬが……やれる自信があるというのか」

「なければこのようなことは言わないでしょうな」

 

 余裕を持ってそう答えるルビンスキー。ゲオルグは覚悟を決めるように一度瞼を閉じ、決意して真剣な表情を浮かべた。

 

「よかろう、信じてやろう。それでこれが取引というのであれば、ロイエンタールを叛逆させて何を得ようとして、最終的な目標がどこにあるのか、その目標のために私にいったいどういう役割を担ってほしいのか、そして目標が達成された暁には私の貢献にどのように報いるつもりなのか、ざっくばらんに話していただこう。内容次第では、心から協力してやってもよい」

「いいでしょう。お望み通りすべてをざっくばらんに話させてもらいましょう。良い商談になる事、間違いなしですぞ」

 

 ルビンスキーは言葉とは裏腹に隠しているに違いなかったが、推し進めている展望を数十分に渡って披瀝し、ゲオルグは六割方は真実だろうとみて大きくうなずき、協力を確約した。

 

「なるほど、たしかにそういうことであれば得心がいった。とはいえ、あの男、そこまで信頼できるのか。オーベルシュタインなりケスラーなりに察知されればおしまいであるぞ。卿の財力目当てに嘘八百並びたてているというわけではあるまいな」

「私も不安だったので、独自に探って確認している。その点、ぬかりはないと断言致しましょうぞ」

「断言ときたか。よかろう、全面的な協力を確約しよう」

 

 その発言を聞いてルビンスキーが満足そうに微笑むのを、ゲオルグは調子をあわせて気づかれないようにしながら注意深く観察した。この黒狐としては毒蛇は脅すだけでは扱いにくいと考え、脅しだけでなく利も示して取り込もうとしているのだろう。はたして取り込んだと誤認したか、はたまた半信半疑なのか、あるいはこちらの本意と見抜いているのか。その表情から伺わなくてはならない。

 

 魑魅魍魎の蠱毒の巣を生き抜いてきた嗅覚が、目の前の狡猾な狐の言う通りに進めばろくな結果にならないだろうと告げている。少なくとも、万事うまく運んだとしてもルビンスキーが示している地位をくれるのか怪しいものだ。隙があれば狐の喉首に噛み付く蛇の気概でなくては。ただそれをルビンスキーに悟らせるわけにはいかない。ほんの少し扱いの困る道具程度だと思われるように注意して行動しなくては。

 

 思考の海に沈んでいるとふと思い当たった事があり、ゲオルグはやや表情を変えてルビンスキーを見やった。

 

「そういえば、最近起きている帝国軍人を標的にした連続殺人事件の裏側には、独立派活動家とルビンスキーであると(ちまた)の噂になっておったが、なにか心当たりあるか」

「おや、まさか私が裏で糸を引いているとでも思っておられるのか」

「なにも卿の手によるものとは思っておるわけではない。心当たりがあるかどうか、という話であったのだが、まあよいわ」

 

 心当たりはあるが、それを説明する気は無い。ゲオルグはそのように受け取って話を切り上げた。

 




最近、純粋に忙しく、モチベ不足にも悩まされ、更新間隔が伸びていく……

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