リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

76 / 91
急進ゆえの首都問題

 内国安全保障局フェザーン支部――遷都が間近に迫っていることから、局員たちの間ではすでに新本部と呼称が定着し始めていた――では、支部長のシェレンベルクを差し置いて、大本営がフェザーンに移転されてより局長のハイドリッヒ・ラングが長期出張の名目で居座って支部の全指揮をとっている。

 

 旧王朝時代に社会秩序維持局長官を務めていたというラングの過去は、新王朝における彼の政治的立場を不安定なものにするには十分すぎるためであり、自分の立場を保障してくれているオーベルシュタイン軍務尚書のお膝下から離れることは危ういと感じたためというのもあるが、純粋に内国安全保障局の役割に特色をつけたいという考えもあった。

 

 他人からの評価は別として、自身の捜査能力と政界遊泳術にかんしてラングは相応の自負を持っている。内国安全保障局と競合部署であり、現在大きな権勢を握っている憲兵隊のケスラー総監より優れている、と、までは言い切れないが、少なくともそんなに劣っているはずがなく、個人の才幹のみで比較すればそう変わらないと思っている。にもかかわらず、ケスラーの方が優秀とみなされるのは、たんにケスラーのほうが皇帝に信任されており、憲兵隊の規模が内国安全保障局に比して大きいからにすぎないのだと思っている。

 

 そうした認識の上で、憲兵隊と正面から競い合っても組織力の点で内国安全保障局が劣るのは必然であるから、憲兵隊にはない強みを手にいれる必要がある。よって、帝国本土とはまったく文化と価値観を有するフェザーンでの捜査スタイルを内国安全保障局が確立させれば、少なくともフェザーンにおいては憲兵隊の風下にたたされ続けるということは回避できると考えたのだ。

 

 帝国本土と比べると権利意識が桁外れに強く、情報は秘匿するのが当然というフェザーンで秘密警察を機能させるのは並大抵のことではなかった。世間を騒がした泥棒などがTV局のインタビューを受け、警察がその泥棒の情報を提供せよとTV局に要請すると「ふざけんな! 金のタネになる情報を売り渡す馬鹿がこのフェザーンにいるわけねぇだろ!」という返答がくるのがフェザーンの常識なのだ。それでもラングはフェザーンの気風に適合した組織作りに情熱を注ぎ、まずまずの成功をおさめ、独立派系勢力からは恐れられる組織に変貌しつつあった。

 

 これで多くの要人が犠牲になった今年四月のテロ事件の犯人を内国安全保障局の手によって検挙することが叶えば、憲兵隊にはない圧倒的長所を局内外に喧伝することができ、それによって内国安全保障局は新王朝内における最低限の安定性を獲得することができる筈であった。最近、()()()()から有力な情報提供があって実行犯を特定し、フェザーン人も反論できないほどに証拠固めが終われば、いつでも検挙拘束可能だ。その未来は近い。それだけにここ最近のラングはいっそう職務に精励していた。

 

 仕事がひと段落つき、休憩をしているとシェレンベルク保安大佐が訪ねてきた。シェレンベルクはフェザーン支部長であったが、大本営機能のフェザーン移転以来、局長が実質的に支部員を直接指揮しているため、一歩引いて裏方の事務に徹してラングの仕事を献身的に支えていた。

 

「なに? ミッターマイヤー元帥から批判だと?」

 

 背筋が凍るような思いを抱きながら、いったいどうしたことかとラングが詳しい説明を求めた。シェレンベルクの説明によると、ヤン・ウェンリーの死を受けて帝都への帰還の途にある遠征軍から内国安全保障局に通信が入り、ロイエンタール元帥の子がどうなっているか尋ねられ、人員を四月のテロ事件の捜査のために集中させていたために、牢屋の管理がおざなりになっていて、その隙をつかれて拘束していたエルフリーデ・フォン・コールラウシュが赤子を抱いて逃げ出し、以後行方知れずになっていると返答すると、激昂されたのだという。

 

 それを聞いてラングは安堵した。フェザーンで治安活動を行うにあたり、彼なりに占領直後にミッターマイヤーがどのような施政をしていたのか調べたことがあるのだが、荒削りかつ強引な印象を受けるものの、その鋭い着眼点と実行の迅速さには眼を見張るものもがあり、帝国軍三長官のひとつを務めるだけあって、ミッターマイヤーは生粋の軍人で政治性はないという評価と裏腹に政治力もかなり持ち合わせていると認識していた。

 

 そんなミッターマイヤーから批判されたからには、内国安全保障局になにか無視できぬ問題があったかと不安を感じたのだが、そんなことならどうでもいいと安心したというわけである。ラングからいわせれば、ロイエンタールを失脚させる道具として役に立たないとわかった時点で、エルフリーデもその子どもにもなんら利用価値がない。逃げられたところでローエングラム王朝の世を揺るがすようになるとも考えにくく、むしろ逃げ出してくれたおかげで面倒な作業が省略されたというふうに受け止めていたのである。

 

 それにしてもロイエンタールめ! あの男は流刑に処された者と情を通じて匿い、その女との間に子を作り、本当かどうか知らぬが簒奪を示唆することまで言っていたのに、皇帝の信頼ゆえに失脚するどころか新領土総督として人類社会の半分を統治していく大権を与えられたというではないか! ラングはそれが妬ましくてしかたがない。それはラングの私怨もあるが、内国安全保障局が皇帝にほとんど評価されておらず、その信任が自分の側にあったらと考えられずにはいられないからだ。

 

 そしてふと思った。そういえば、あの男がかくまっていた女はリヒテンラーデの系譜に連なる者であった。リヒテンラーデといえば、政官界における対立で共同戦線を張っていたゲオルグはいまなにをしているのであろうか。彼の名も内国安全保障局が逮捕すべき国事犯リストに名があるが、優先順位からすればかなり下の方にあたる。というのも、彼が国事犯たる理由は祖父の大逆罪の連座にすぎないからであり、軍の拘束を逃れて姿をくらましてから完全に行方知れずになっているからである。

 

 自分の認識が間違っていないとすれば、あのゲオルグが国事犯に落ちぶれたことに納得せず、ローエングラム王朝に挑戦するつもりなのであれば、すでに大きな事件の一つや二つを起こしていることだろう。しかしそんなことはなく、彼がなにかやったという噂ひとつ聞かないとなると、知らないうちに人知らず死んでしまったか、もしくは権力回復より自分の生命の安全を優先して名と姿を変えてどこぞの辺境部に引っ込んで第二の人生を歩んでいるかのどちらかであろうか。

 

 それにしてもあの頃を思い出すと、かなり楽観的に自分の未来に夢を見ることできたのにとラングは苦笑せざるをえない。ゲオルグが叔父のハロルドとの家督争いに勝利し、若くして内務次官の地位についたことは、長く内閣の首班を勤めていたクラウス・フォン・リヒテンラーデが家督のみならず政官界における後継者であると正式に認めたのだと周囲は受け取っていた。そうなれば必然、自分もそれに引っ張られるように出世する。一〇年もあればゲオルグも内閣首班となって、自身が前例の少ない平民出身の内務尚書となることも不可能ではないという明るい未来も描くことができたのである。

 

 だが、用意されていたはずの出世への架け橋はラインハルトによるリヒテンラーデ派粛清とそれに続く開明改革推進によって木っ端微塵に粉砕されてしまった。もう少しで手を届く距離にあったはずの閣僚の椅子はいまや遥か彼方にあって目視することすら困難であり、自分の足場を固めることに精励しなくては生き残れるかどうかも怪しい有様。なんたる凋落ぶりか。色々な感情がこみあげてきて泣きたくなってくるが、ラングとしては秘密警察の専門家として新王朝内での立場を築いていくしかないのだった。

 

 リヒテンラーデの一門に連なる女を逃した失態については、当日にオーベルシュタイン元帥に報告して事態を了解してもらっている。ミッターマイヤーに今更蒸し返されても大した問題になるとも思えない。他になにかあるかと尋ねると、シェレンベルクが意外なことを報告した。

 

「オスマイヤー閣下が、近くフェザーンにやってくるとのことです」

「内務尚書閣下が? いったいなぜだ」

「フェザーンにおける警察権の所有について、遷都前に内務省高官の考えを統一しておきたいお考えです。そして工部尚書と代理総督とも会談を行って、それぞれが所有する権利の明文化しておきたいと」

 

 フェザーンにはもとより自治領時代からある警察組織が存在しており、現在は代理総督府の管轄下に置かれている。フェザーン人による民政を認めてきたいままではそれで問題がなかったが、遷都後はフェザーンが帝国首都となるわけであるから、オスマイヤーとしては当然、首都星の警察権は帝国警察が担当することにしたいところであろう。

 

 そうした帝国側の事情からすると自治領警察を帝国警察に統合したいところであるが、フェザーンの現実を考慮するとその実現は非常に困難である。不平派は代理総督府の権限が縮小されるのを好まないし、親帝国派の中にもフェザーンが早急かつ完全に帝国化することに躊躇いを覚えるものも少なからずいる。なにより自治領警察は代理総督府のフェザーン統治権を保証する最大の実力組織であるといっても過言ではなく、代理総督ボルテックはそのカードを絶対に手放そうとしないであろう。あまり無理強いすると、様々な問題はあれども一応は落ち着いているフェザーン情勢が急激に悪化しかねないおそれがある。

 

 だからフェザーンの二重行政状態を終わらせ、帝国政府による完全な直接統治に移行するまで長い時間がかかることは疑いない。国内治安を司る内務省からすれば悪夢もいいところだ。そのために、帝都の治安をどのように確立する方法について、繊細かつ慎重に決定しなくてはならない。オスマイヤーはそのための具体案を策定するために内務省高官による方針会議を開きたいのであろう。

 

「なるほど。ということは他の内務省高官もやってくるのか」

「はい。警察総局長をはじめ、治安専門家たちも多数同行する予定とのこと」

「総局長もか……。議題が議題だけに当然と言えば当然だが、警視総監は旧ハルテンブルク派の人間だ。会議が荒れそうだな……」

 

 ラングは苦々しげな表情を浮かべた。警視総監とは折り合いが悪く、内国安全保障局長官になってから衝突ばかりしているのだ。しかしその反応にシェレンベルクは驚いたように発言した。

 

「現在の警視総監はハインリッヒ・ネーヴェラですよ」

「なに、ネーヴェラ? 彼はリヒテンラーデ派とみなされて辺境に飛ばされたのではなかったか」

「はい、ですが、先の帝都事変で警察の対応の拙さが問題視され、有能な警察官僚として辺境から呼び戻されて今年の初めに警視総監になったのです。ご存知なかったのですか」

 

 ネーヴェラはフランツ・フォン・ダンネマンが重宝していた人物であり、ゲオルグが警視総監の地位にあった時は刑事犯罪部第四課長として辣腕を振るっていた人物である。熱烈な法治主義者で頑迷で融通が利かないが厳格かつ勤勉な警察官僚と評価されており、派閥色はあまりなかったが彼を抜擢したダンネマンがゲオルグの腹心であり、ゲオルグからも何度か表彰を受けていたために、ローエングラム体制後に警察組織を掌握した旧ハルテンブルク派警察官僚たちから疎まれて辺境にとばされていたのである。

 

 だが、旧王朝派によるクーデター時における当時の警察上層部の対応がお粗末過ぎたと糾弾され、旧ハルテンブルク派警察官僚の多くが失脚。旧リヒテンラーデ派ないしはゲオルグ派警察官僚が警察中央に復帰したのである。元警視総監ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデが国事犯として扱われている中、彼が率いた派閥の人間を高い地位につけるのは問題ではないかと危険視する声はあったが、生きているのか死んでいるのかすらわからない人間のために有為の人材を遊ばせておくほど余裕がある状況かという声のほうがはるかに強かったので退けられた。

 

 そしてゲオルグ派警察官僚の中で階級も高く、辺境に飛ばされたあとも真面目に職務を遂行して成果もあげていたネーヴェラが内務省高官たちに支持されて警視総監に就任し、現在は警察の組織改革に辣腕を振るっているのであった。

 

「知らなかったな」

「……閣下はここ最近フェザーンとロイエンタールにのみ目を奪われているように感じられます。多忙なのは承知しておりますが、どうか御自愛なさって、いま少し他の星々の情勢にも関心を持つようにしてもらわなくては」

「う、うむ、そうだな。卿の言う通りだ。このヤマを終えれば褒賞がでることだろうし、休暇をもらって家族旅行にでも行くべきだろうか」

 

 支部長の諫言をラングはやや不快に思いながらも受け入れた。実際、フェザーンにやってきてからひたすら仕事をしている自覚があったのである。

 

 実際、ラングはフェザーンで多忙な毎日を送っている。帝国上層部――オーベルシュタイン軍務尚書個人に限定したほうがより正確かもしれない――がフェザーン統治において内国安全保障局に求めている役割は第一に独立派勢力の摘発、第二に代理総督府及び不平派勢力への圧力を加えることである。しかも決して高圧的にではなく、不平派が納得はできなくても仕方がないと思えるような理屈と証拠を用意していることを当然の前提として、である。

 

 不平派への圧力。これにかんしては内国安全保障局が一番活躍している自負がある。別にラングが望んだわけではない。内国安全保障局のフェザーン運営についてオーベルシュタインに説明しに行った時に、言外にそう示唆されたのである。いったいどういう思惑によるものか薄々わかっている。どちらに転んでもよいと思っているのだ。上手くいけばそれで良し、失敗して不平派の怒りを買おうものならば彼らへの誠意として自分を処断して事態の収拾をはかる。そんなところであろう。

 

 つまり前方にボルテックと権利意識が強すぎるフェザーン民衆、後方で目を光らせているオーベルシュタインという実にストレスの多い環境下で、ラングは膨大な仕事を処理しているのである。それに加えて、私怨からロイエンタールを失脚させるための材料集めも並行しているため、それをこなすのに集中しすぎて余裕がなくなっていると言われてもしかたがないであろう。

 

「……話が逸れたな。内務省をあげて新帝都における治安問題を議論するとなるとそのための資料が必要だ。支部長、用意しておいてくれ」

「わかりました。現在のフェザーンの治安における代理総督府、工部省、憲兵隊、内国安全保障局の相互関係をまとめた資料を作成しておきます。もとより問題になっていたことでありますので一両日中にはまとめられるかと」

「うむ、頼んだ。それとオーディンにいるクラウゼとカウフマンにフェザーンに来るよう命令を出せ。先に局内で具体的な解決案を練っておけば、この問題に関して内務省内における主導権をつかむことができるかもしれん」

「たしかに。手配しておきましょう」

 

 そう言ってシェレンベルクは執務室から出て行った。閉じた扉を見つめながらラングは、休暇をとれるのはまだまだ先の話になりそうだと深いため息をついた。

 

 そう。フェザーンはやがて人類社会を支配する巨大帝国の首都となると決まってこそいるが、帝国にとっては無視することのできない不安要素が、内国安全保障局が相手取るべき敵がわんさかといる。にもかかわらず、敵を潰すのがとても難しい場所なのだ。二〇億という人口それそのものが木を隠す森の役割をなし、個人の秘密を重んじる文化風俗は犯罪者の潜伏を容易なものとする。さらに代理総督府と権利面での対立もある。

 

 さだめしゴールデンバウム王朝時代の宮廷闘争から醜悪さと残酷さを薄め、プレイヤーの数を数万倍にしたかのようなカオス。それがフェザーンであり、その自由さと反骨精神こそが、人類社会最大の経済都市として発展しえた所以である。だが、治安屋の観点からみると、うんざりしたくなるような悪条件が積み重なっている環境であるといわざるをえないであろう。

 

 いくら大局的に考えれば様々な点から見て人類社会全体を統治する上で利便性に優れていたとはいえ、フェザーンだけを近視眼的に観測してならば帝国からすると統治しにくい惑星なのである。なのに同盟を征服した直後からフェザーンへの遷都構想を練り、時期尚早と理解しつつも遷都にうってつけのタイミングを見逃さずに同盟征服後の統治構想に組み込んだラインハルトの決断は多くの歴史家が驚嘆を禁じえないことなのである。

 

 だが、それだけにローエングラム王朝初代皇帝ラインハルトの時代において、帝都フェザーンは常に魑魅魍魎が蠢いていたと評されるのだ。しかもその魑魅魍魎は一塊になっておらず、それぞれルーツが異なり独立した意思を持って、複雑な利害関係を構築しているのだから、一気に一掃することなど土台無理であり、これを解決するには長い時間が必要であるのだった。

 

 そんなフェザーンの中心街の片隅に自治領時代からの帝国系移民として名と経歴を偽り情報蒐集を行なっている者がいる。彼は旧王朝系の反帝国組織に属していて、“死の女神の寵子”という二つ名が治安当局でつけられていた。名をテオドール・ラーセンといい、長い銀髪が特徴的な男であるが、主君エリザベートを連れてラナビアを脱出してから髪の毛を切り、黒色に染め、七三分けをして、メガネもかけて、知っている人間が注意深く見ないとわからないように変装している。

 

 現在、彼は主に情報収集を担当していた。フェザーンとの国境付近で亡命者狩りを社会秩序維持局で担当していたため、他の者たちよりフェザーンの気風を理解していると判断されたためである。実際、亡命を仲介しているフェザーン人の扱いについてはけっこう経験があるし、フェザーン人の気質についてはそれなりに理解しているつもりである。だから自分が情報収集に適任だと判断されたのも当然だとラーセンは思う。

 

 が、それでもラーセンは不満を感じずにはいられない。ジーベックの貴族連合残党の方針を明瞭に示さないからだ。口では王朝再興の機会を伺うためしばらく様子を見ると言っているが、それにしてもあまりに行動が少なすぎるように思われるのだ。機会を伺うにしても、その時のために力を蓄える方策を練る必要があろうに、ただ息を潜めているだけなのではないか。

 

(杞憂かもしれんが、その場合のことも考えておいた方が良いか)

 

 いくらルドルフ大帝の尊き血統がその身に流れているとはいえ、エリザベートは皇帝の地位についておられるというわけではない。皇帝以外の皇族も大切ではあるが、皇帝と王朝に比べれば取るに足りないもの、非常の手段として彼女らを排し、王朝復興のための別の道を探るのも可なり。とはいえ、担ぐべき神輿が見当たらぬ以上、いますこし様子見をするのが賢明かもしれない。一年か二年は注意深く観察し、貴族連合残党の真意を探るのが一番か。

 

 そんなことを考えながら、ラーセンは個人経営のこじんまりとした酒場に入った。すでに何人かの客が酒を飲んでいる。このような店でも防諜設備が整った密談用の個室がいくつか設けられているあたり、フェザーン人の自由への病的なまでのこだわりを感じ取ることができるかもしれない。ラーセンには唾棄すべきこととしか思えないが、フェザーンの価値観を理解してそのように振る舞うことに苦はない。

 

「お客さん、なんにします」

「赤ワインとチキンの盛り合わせで」

「了解。ワインだけ先に出しましょうか」

「いやチキンと一緒に出してくれ。ところでマスター、なにか面白い話はなかったか?」

 

 カウンターバーに座ってラーセンはゴツい顔をした店主にそう問いかけた。個人経営の店を回っては、雑談のように話題を催促する。これがフェザーンでは初歩的な情報収集の仕方であるらしく、店主の方も当然のように雑談に乗ってくる。

 

「面白い話と言われてもな。帝国軍の連中が我が物顔でフェザーンを闊歩するようになって以来、いろいろありすぎてなにを話せばいいかわからんわ。どういう話を聞きたいのか言ってくれるとありがたい」

「そうだなあ……。じゃあ、最近の驚いた話で」

「驚いたか。となると、あれだ。軍人狩りの話」

「軍人狩り? 話題になってからもう一、二ヶ月はたっているだろう。そんな驚くような話か?」

 

 呆れたようにそう言ったら、店主は不愉快に思ったようだが、すぐに得意気な顔になった。言いたくて仕方がないといったかんじである。

 

「それがな。この店先にあったんだよ! 殺された軍人の死体!!」

「……マジ?」

「ああ、マジさ。おかげで憲兵隊にあれこれと聞き込まれてたまったもんじゃない。おかげさまでうちの店先に死体があったと近辺に噂が広まって、客足が少し遠のいちまった。これ、立派な営業妨害だろと代理総督府に憲兵隊の横暴を訴えてるんだが、皇帝の乳母車にのって代理総督になったやつがどこまでやってくれるのか怪しいもんだから、なかば諦めてるんですけどね――」

 

 店主は長々と不満を言い始めた。よっぽど鬱憤が溜まっていたようで、ラーセンが戸惑っている表情を浮かべても、遠慮なしに喋り続けた。無論、器用に調理をしながらではあったが。

 

 軍人狩りとはここ最近立て続けに起きている帝国軍兵士連続殺害事件のことだ。犯行現場に被害者の血で“喪服軍隊を平和の海から追い出せ!”という文字を毎回残していることから、反帝国的テロ活動とみて憲兵隊が捜査にあたっているがいまだに有力な手がかりをつかめずにいる。色々と理由があるが、いちばんの原因はフェザーン市民が捜査に協力的ではないからだ。

 

 ある意味、フェザーン人の行政機構への冷たさは筋金入りである。先の四月の社交界で起きた民間人をも巻き込む無差別テロであるというならともかく、明らかに帝国軍狙いの犯罪にどうして善良な民間人が協力してやらなくてはならないのだ。協力して巻き込まれてはたまったものではないではないか。標的にされるのが独立意識に欠け、政府に寄生しないと生きていけないような無能者だけなら放置していてもかまうまい。むしろ笑い話のネタになるというわけである。一部の親帝国派も、憲兵隊の困惑ぶりに胸がすいたと祝杯をあげているなんて話すらある。

 

 一方で犯人が何者なのかというのも話題になっている。独立派のテロであるということは共通認識だが、それ以上先は様々な推測がある。裏にはルビンスキーがいて、なんらかの謀略を実行しているのだという説もあるが、ラーセンはまったく信じていない。末端の帝国兵を何十人か殺したところで帝国統治にそれほど問題が起きるとも思えない。精々、帝国兵がフェザーン勤務に多少の不気味さを覚えるのが限度であろう。あまりにも先を見た計画性に欠けており、とても組織的活動であるとは思いにくいし、仮に組織的活動だったとしても上層部が承知していない末端の先走りであろうと考えている。

 

 店主の雑談に適当に相槌を打ちつつ、出されたチキンを頬張り、ワインで喉を潤していると、隣の席に座っていた男がこちらに倒れかかってきた。顔を真っ赤にしていたので、かなり酔っぱらっていると判断して、ラーセンは何か愚痴のひとつでも言おうとしたのだが、あることに気づいて思いとどまった。

 

「すいませんね。どうもかなり飲んでしまったようでして……。マスター、勘定をお願いします」

 

 酔っ払いの男はそう言って店主に金を払い店を出ていった。ラーセンはさっきの男が倒れかかってきた時にポケットに突っ込んできた紙片を取り出し、そこに書かれている内容を確認して軽く目を細めたが、すぐに不機嫌そうな態度になった。

 

「なんかシラケちゃったんで、今日はもういいや。代金ここに置いときます」

 

 そう言って、ラーセンは三〇マルクほどカウンターに置いて、足早に店から出て先ほどの酔っ払いがどこにいるか探した。すぐに見つけ出すことができたが、顔から赤さがまったくなくなっていたので、やはり先ほどのは演技であったかと確信し、ラーセンは紙片をその男に向かって突き出した。

 

 その紙片には達筆な帝国語で、三七番目の第一人者について話したいことがある、と記されていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。