リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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展開の都合でもあるが、新年二発目も暗めの話


恒星が失われた惑星群

 ヤン・ウェンリー、地球教徒に暗殺される!

 

 六月四日に革命予備軍司令部がその事実を内部公表した。イゼルローン要塞内部にあっては、数日前から上層部の浮かない雰囲気やヤン提督救出作戦に参加した者たちによって、すでに信憑性の高い噂として広まって将兵たちは動揺状態にあったとはいえ、それもなにかの作戦で、ヤン提督が死んでいるはずがないと信じようとしていた者の数は決して少なくなく、その希望を打ち壊すような司令部発表に絶望し、もとから暗殺を信じていた者たちはどうにもならないと途方にくれ、悲観で埋め尽くされた。

 

 続けて後方部長キャゼルヌ中将の名において、革命予備軍司令官の地位はユリアン・ミンツ中尉に継承されることに決まったという発表がなされると動揺は一層肥大化し、絶望を伴った悲観論が加速した。これはいままでのイゼルローンのことを思うと大変似つかわしくない光景だった。ヤン提督の魔術がある限り、最終的勝利はわれらのものと信じ、どのような窮地にあっても度し難いほどの楽観論を語り合うのが常であったからだ。それは、とりもなさず、いかに彼らの中でヤンの存在が大きかったかという証明であったかもしれない。

 

 その翌日、艦隊参謀長ムライ中将が革命運動からの離脱を表明したという話が流れた。まったくもって当然だという感情を抱いたものはとても多かった。すべてはヤン提督ありき。どれほど敵軍が巨大かつ精強であれど、彼の下にあれば敗北はないと信じ、戦場にあって恐れることなく任務を果たして来た将兵たちにとって、一〇代の子どもがヤン提督の代わりを務められるとはまったく思えない。そしてそれは最高幹部でもそうであるらしいと安堵したのだ。最高幹部がそうなのだから、自分たちがそう思ったのだとしても何も悪くはないという自己正当化の論理も無意識のうちに働いたことであろう。

 

 こうした流れの中で、エル・ファシル独立政府はユリアン・ミンツ革命予備軍司令官代行を呼びつけ、政府を解散させる意向を告げた。

 

 もともと独立政府の文民たちにはある懸念が存在した。ヤン・ウェンリーの軍事的才覚は信頼に値するものであるし、これまでの行動から民主主義的な政府への忠誠心は揺るぎないものであると確信できる。しかしその部下たちはどうか。彼らは理念や正義などより、ヤン個人に忠誠と信頼を向けているのではないか。

 

 長年民主主義者と敵対してきた元帝国軍の宿将メルカッツでさえヤン一党は幹部として扱っているのだ。もし彼らがヤンのコントロールから離れれば、自分たちの忠誠の対象をこそエル・ファシル独立政府の最高指導者にしてしまうために、ロムスキー政権を打倒して自分たちの軍事政権を築こうと独断で動くのではないか。そして一度文民政府が打倒されてしまえば、たとえ不承不承であるにしてもヤンは政権の首班に立たざるを得なくなるだろう。

 

 そうした独立政府の要人たちの猜疑心を宥めたのは、ヤンが万事自重して部下を統制したこともあるが、なんといってもフランチェスク・ロムスキーの人柄と人望によるものなのである。

 

 同時代においては帝国側からはほとんど無視され、ヤン一党の面々からも人柄はともかく能力と現実把握能力に疑念を持たれており、歴史的評価もいまいちなロムスキーであり、事実いかなる解釈をもってしてもその評価を否定するのは難しい。だが、対外的はともかく内向的には優秀な指導者であった。

 

 救国戦線をはじめとする過激分子の手綱を引き、エル・ファシルの民衆と政府を団結させて独立革命の音頭をとれたのは、ヤンの虚像に対する無責任な期待という背景があったとはいえ、ロムスキーの指導力とカリスマ性によるものなのである。ともすれば、彼の紳士的人柄と情熱的行動力は、見るものを楽観主義に安住させてしまう効果があったのかもしれない。

 

 だが、そのロムスキーはヤン・ウェンリーと一緒に暗殺者の手にかかり死んだ。しかもシェーンコップ中将率いる救援部隊はヤン以下軍人の遺体を回収したのに、文民たちの遺体はすべて放置して帰ってきたというではないか。これは彼らが文民政府を軽んじているなによりの証左ではないのか?

 

 実際は自分たちの司令官の死という未曾有の事態に忘我し、ロムスキーらのことをつい失念してしまっただけなのだが、疑心暗鬼の独立政府の文民たち――特に自由独立党に属する者たち――はそのように解釈した。それに軍高官たちが独断でユリアン・ミンツ中尉なる人物を軍指導者に任命したという。形式的なものに過ぎなかったとはいえ、ヤン・ウェンリーをエル・ファシルの軍事指導者に任命したのは独立政府だというのに。

 

 しかも軍内部で新たな最高政治指導者候補まで話し合われているという噂まで流れている! これは軍事独裁化のなによりの兆候なのではないか? 艦隊参謀長のムライ中将が離脱を宣言したのも、軍内部で熾烈な権力闘争が展開されているためではないか? だとすればこの民主主義革命は、軍事独裁政権を支えて帝国の専制主義に対抗するという救いのない茶番劇に変質してしまうのでは? そんなことに付き合うくらいなら、帝国体制内で民主主義の草の根運動でもしたほうが、まだしも有意義というものだろう。

 

 そんなふうに考えだすと、そもそもヤン一党を頼りに民主主義を取り戻すための再革命という無謀なことをする気になってしまったこと自体、ロムスキーのペテンにかかってしまったが故の過ちであったというふうにさえ、思えてくるのであった。その夢想的理想を語ったロムスキー主席も、その夢想を軍事的に庇護しようとしたヤン提督も亡き今、なおロムスキーの政治的独走を支え続ける必要があるのか? そんな疑問が膨れ上がっている時に。ムライ中将が離脱するという話が流れ、自分たちもそうするべきと政府解散の決断をなしたのである。

 

 この時期、ヤン一党の側に独立政府文民の猜疑をあえて招くかのような行動をとりすぎであるというのは、後世、多くの歴史家の指摘するところである。無論、ヤン・ウェンリーが死んだという未曾有の衝撃のためであって、決して意図的なものではなかったのだが、独立政府への配慮を考えて行動できるほど精神的余裕がある軍高官がおらず、いたとしても非常に軽く考えてしまっていたのは疑うべくもない事実である。

 

 大量の離脱者を出すことになったが、なお民主主義のために戦う覚悟のあるものがはっきりとし、六日正午にはイゼルローン要塞は最低限の秩序を回復した。それで対外的対応が軍上層部で議論され、一九時に司令官代行ユリアン・ミンツの名においてヤン・ウェンリーの死とその詳細な経緯が全宇宙に公表された。

 

 この発表に帝国軍は虚をつかれ、大いに驚いた。自分たちをここまで手こずらせた偉大な敵将が第三者の手にかかって不名誉な死を強いられたというのもさることながら、暗殺の実行者たる地球教徒たちが帝国軍人に扮していたというのは見過ごせることではない。すでにイゼルローン回廊の両端は帝国軍によって封鎖されており、扮したというより地球教徒が帝国軍人としてこの場にいたというほうが話が通る。おそらくビューロー大将麾下の巡洋艦が撃沈した不審な駆逐艦を実行犯は利用していたに違いない。

 

 帝国軍上層部は即座にそう思ったが、そこまでだ。不審行動の原因を探るため、ヤン暗殺の話が表沙汰になる前から捜査は行われていたのである。だが、その駆逐艦が所属する艦隊の士官が調査の手が及ぶ前に全員自殺しているとあっては、それ以上調べようがない。ただワーレン暗殺未遂事件などがあったことを考えると、軍内に相当数の地球教徒が紛れ込んでいる可能性が否定できず、高級軍人らはぞっとした気分になって、炙り出しと粛軍の必要性を痛感した。

 

 それにしても、いかに宗教の皮を被ったテロリズムの徒であったとはいえ実行犯が現役の帝国軍人であり、帝国皇帝から会談を申し込まれてその移動中にヤン・ウェンリーが暗殺されたとあっては、きわめて不愉快なことであるが完全に帝国の失態であるし、形の上では帝国上層部による陰謀であると難癖をつけられても反論が容易ではない。あまりにも不名誉なことで、多少敵方に対し無礼であっても、移動中のヤンを護衛するために小艦隊でも先に派遣しておくべきだったかと後悔した帝国軍高官もいたほどだ。

 

 動揺と後悔が終わると、帝国軍の次の行動を如何にすべきかという話に移る。政戦両略の上からいうのであれば、帝国軍は攻勢あるのみである。現状況下で全軍こぞって回廊内に突入して攻勢をかければ、主将を失って動揺しきっているであろうイゼルローン要塞を血と炎の中に瓦解せしめることも容易い。それで反帝国的共和主義勢力の本流を叩き潰せ、旧同盟領内部で不穏な動きをしている者共を牽制することもできる。

 

 だが、さすがにそれはあまりにも非情過ぎて抵抗を覚える者が多かったし、なによりヤン・ウェンリーが存在しないヤン・ウェンリー軍に拘泥する必要にどこにあるのかという声が大きかった。最終的に“喪中の軍を討つはいさぎよくない”という皇帝の意向で、今回は無条件撤兵ということになり、その決定はイゼルローン側に通達され、またミュラー上級大将を中心とした若干名を弔問団として派遣することを打診した。

 

 このようにいささか締まりの悪い形でラインハルトとヤンの最終決戦であった“回廊の戦い”は終結した。この時の帝国軍将兵の心情は実に様々であった。ビッテンフェルト上級大将の「ヤン・ウェンリーめに最後まで勝ち逃げされた」やクム少佐の「不完全燃焼感がすごい」という悔しさをにじませる回顧があれば、「これは騎士道の精華であるのか。それとも陛下の覇気が衰えたのか」というロイエンタール・ミッターマイヤー両元帥の感情を考えさせる記録があり、「あと一撃で亡き上官の仇をとれるのに撤退しなくてはならんのか」とホフマイスター中将やマルクグラーフ少将が歯噛みして悔しがっていたという証言もある。そして多くの兵士の半数くらいは「故郷に凱旋できる!」と喜びをあらわにしていたという。

 

 一方、イゼルローン側は両極端化していた。ヤン・ウェンリーの死とともにすべてを諦め、帝国の旗の下で暮らすことを甘受しようとする一派と、なお民主主義の基本理念を重んじた社会モデルの存続を願い、ユリアン・ミンツを軍事指導者として仰いで革命運動を続けようとする一派に。そして前者の者たちは、後ろめたい気持ちを隠すためか純粋な善意の発露か判然としないが、後者の者たちの無謀を止めようと必死に声をかけているのだった。

 

 そしてその説得の中では、ユリアンがいちばんの批判対象となっているようであった。ヤン・ウェンリー健在時、ユリアンは決して大きな存在ではなかった。彼の養子であり、ヤン一党の幹部から多くの軍事的薫陶を受け、優秀な若手士官ではあったが、組織的序列でいえば司令部の末席にかろうじているだけの存在であった。なのに彼がヤンの後継者として選ばれたのは、たんに彼より階級が高く武勲も多い幹部たちが革命運動の前途が五里霧中にある中で、軍事的責任を押し付けあった結果だろう。ムライ中将があきれて離脱表明するのもむべなるかな。未練がましく革命運動を続けても、生命を粗末にするだけである。

 

 ユリアンに直接「調子にのるんじゃない」と声をかける者たちも少なくなかった。シェーンコップやアッテンボローがそうした跳ねっ返りを黙らせるよう努力していたが、目の届かない場所というものはあるもので、そうしたところ離脱する将兵たちが寄ってたかってユリアンの無謀を批難する。

 

「ヤン・ウェンリー元帥なき今、民主主義の理念のために生命を賭けるなど愚行でしかない。まして、おまえみたいな若造がどのようにして革命運動を率いていけるというんだ。敵の兵力は圧倒的なんだぞ。元帥の悲願を捨てるわけにはいかないと未練がましく意地になったところで、集団自殺以外何になるというんだ。まだ若いんだから、すべてを放棄して、また次の機会を待てばいいじゃないか」

 

 次の機会を待つ? それではアーレ・ハイネセン以来続いてきた民主主義の灯火は途絶えてしまうし、ヤンの死は無意味なものとなってしまう。陰謀やテロリズムなどでは歴史を逆行させることはできないとヤンが信じていた理念を否定してしまうことになるじゃないか。だから諦めるなどありえない。それに離脱していく者たちにどうこう言われたところで、余計な御世話としか思えなかった。とはいえ、彼らの声は理屈としては正しいのかもしれないという感情もどこかにあって、口に出して反論しようとは思えないユリアンだった。

 

 このようにユリアンが受け身であるのでこうした批難は延々と続き、批判者の側が疲れて諦めるか、第三者に見咎められて止められるかのどちらかの終わりしかなかった。そして今回は後者であったが、その第三者がユリアンにとって意外な人物であった。

 

「なにをしている!」

 

 その声に、ユリアンを詰っていた士官たちは何者かと振り向き、そこにいた人物がとても若い青年将校で面倒ごとにならずにすみそうと安堵したが、年齢に見合わず少佐の階級章をつけていたのを確認し、驚いて敬礼した。

 

 その少佐は新たなる自分たちの司令官の姿を視界におさめると、だいたいの状況を察したようで、険しい目つきで年配の士官たちを順番に睨みつけ、いちばん階級が高かった中佐に近寄り、感情がまったくのらない絶対零度の声で問いかけた。

 

「年齢と階級は?」

「は?」

「自分の年齢と階級を言えと言ってるんだ。さっさと言え!」

 

 異様な迫力と剣呑さを醸し出している少佐に圧倒され、中佐は喘ぐように質問に答えた。

 

「四二歳、中佐だ」

「そうかそうか。では、ミンツ中尉より年齢も階級も上だな。当然、中尉より軍事経験も豊富なのだろう。こんなヒヨッコの少年中尉が司令官なんて認めらない。だから俺がやる、と、おまえは言いたいわけだな?」

「い、いや……そういうわけでは……」

「そういうわけでは? では、なんだというんだ。ミンツ中尉の能力への不信任ではないのだとすれば、他に何が言いたいんだ」

「私は、ただ、ヤン元帥亡き今、無謀なことをするのになんの意味があるのかと問いかけているだけで……」

 

 言い訳がましく弁明する中佐に、青年将校の怒気が堰を切ったように体内から流れ出し、可視化されるほど発せられたように思われた。

 

「沈みかけの船から逃げ出す鼠風情が、偉そうにぐだぐだ言うんじゃない! 階級は下、年齢でいえば遥かに下! なのに司令官の重責を背負うと覚悟している者に対し、たとえ虚勢であろうとも俺が代わると言えないばかりか、ネズミのように逃げ出そうとしている自分を棚上げして批判したいというのか! ここにいる連中はどいつもこいつも見下げ果てた腰抜けの恥知らずどもばかりだな! ミンツ中尉を批判する前に、それを言えるだけの資格が自分にあるかどうか、少しは考えてみたらどうだ!!?」

 

 自分たちを全否定するような発言に、士官たちは屈辱と反感を双眸にたゆたわせ、生意気な青年将校を無言で睨みつけたが、根負けしたようにスゴスゴと引き下がった。青年将校の糾弾を受けて羞恥心が刺激されなかったわけではなかったので、これ以上何か反論しても自分が恥ずかしくなるだけだと悟ったようであった。

 

「あの、ありがとうございます。ディッケル少佐」

 

 ほんの数週間前に価値観の差異から、論戦をした青年将校クリストフ・ディッケルであった。非常に嫌われているという認識であったので、そんな人物が自分への誹謗をあんな大見得を切って庇ってくれるとは、目撃した当事者であるというのに少し信じがたいものである。

 

「別に礼を言われる筋合いなんかない。あいつらへの罵倒は、半分くらい自分への自戒として内心唱え続けていることだ。でなきゃ、俺も新司令官殿にやくたいもないことを言ってしまいそうな心境なんでな」

 

 吐き捨てるようにそう言われて、ユリアンは恥ずかしく感じた。ヤン一党の流れから来ている者たちの中でも、自分が司令官をやることについて思うところがある人物がおおくいるのが現状なのである。そんな中、エル・ファシルから合流した一派の人間が肯定的反応をしてくれたのが驚きで、少し嬉しくもあったのだが、とんだ思い上がりだったと思ったからだ。

 

 だが、その様子を見て自分もこの少年司令官に内心不満だらけだが頼らざるを得ない情けない分際で、ずいぶんとおとなげないことを言ってしまったとディッケルはバツの悪さを感じ、なにか話題の転換をする必要を感じた。

 

「そういえば、中尉は中尉のままなのか」

「……どういう意味です」

 

 とっさに質問の意図をつかみかねたユリアンに、もう少し噛み砕いてディッケルは質問した。

 

「いや、シェーンコップ、キャゼルヌ、アッテンボローといった将官方は残留されるのだろう? その上の地位につくわけだから、八階級特進でもして大将にでもなるのか?」

「い、いえ。中尉のままだと思いますけど……」

 

 まだ同盟軍の第一三艦隊であった頃から、ヤン一党にとって軍階級は参考要素程度にしか扱っておらず、実際の上下関係や指揮系統と必ずしも一致していなかった。同盟軍を範として設置されたエル・ファシル革命予備軍にもヤン一党の合流に伴いそうした風潮が現れている。その伝統はエル・ファシル独立政府が解体に伴って新しく構築される軍組織も継承されるであろうから、今回のもそれも伝統の枠内として処理されるのではないか。

 

 ……さすがに中尉が将官の上に君臨するという極端すぎる例は今までになかったし、そもそも論として第一三艦隊にそのような伝統が誕生したのはそうしなくてはならないほど人材不足を補うための応急策であり、それが常態化してしまったという嘆かわしいものなので、ここまで極端なのは今回が最初で最後であると信じたいとユリアンは思った。

 

「なるほど。まったく軍の階級秩序はどうなっているんだ。いや、メルカッツの爺のこともあるし、もとから階級の上下なんてあってないようなものだったか……?」

 

 ゴールデンバウム王朝の軍隊にあっては上級大将の地位にいたメルカッツであるが、帝国内の内戦の結果同盟に亡命してからは、第一三艦隊の客員提督(ゲスト・アドミラル)として同盟軍で中将待遇で扱われていた。恭順した亡命将校は亡命前と同階級か一階級下の階級として扱うというのが同盟軍の慣例であったが、同盟軍に上級大将の階級は存在せず、また当時元帥の地位にあった同盟軍人も存在しなかったので、二階級下の中将待遇ということになったのである。

 

 レムシャイド伯率いる正統政府から軍務尚書に任命された時に、組織としての実態がない正統政府軍の元帥の称号を授与されたが、それまで一貫して帝国軍上級大将の軍服を着たままであった。ヤン一党がエル・ファシルに合流すると、反帝国運動なのだからゴールデンバウム王朝の軍服を着続けるのを認めず、規定の同盟軍式の軍服を着せ、階級も中将にするべきだと救国戦線系の勢力が主張し、それを受けて軍事委員長たるロムスキーはメルカッツにその説得をしようとしたのだが、会話しているうちに紳士同士で波長があったのか老将に深く同情してしまい、逆に救国戦線を説得して革命予備軍に上級大将の地位を創設し、軍事委員会に要請して認められれば規定の軍服以外も着ることが許可される規則まで作ってしまったのである。

 

 ……余談ではあるが、このエピソードを知ったポプラン中佐は、この規則を恣意的解釈を行って一度“()()()()()()()()()()洒落た私服を軍服扱いにしてくれ”と軍事委員会に要請したのだが、「申し訳ないが、さっぱり意味がわかりません」と困惑気味のロムスキーのコメントとともに却下され、悔しがっていたとアッテンボローの回顧録に記されている。

 

「少佐はメルカッツ提督のことが嫌いなのですか」

 

 言葉のニュアンスからそう感じ取ったユリアンはそう問いかけた。地球で会ったヴェッセルやシオンのことを教訓として、所属や価値観の違いで偏見に一方的に見てしまうことを正せる機会があるなら正したいと思っていた。加えて言動から察するに、どうやらディッケルはイゼルローンに残留する決意のようだから、まだ諦めずに民主主義の旗を帝国から守護する同志ということになるのだろうし、たとえ相容れないとしてもその価値観は把握しておきたかった。

 

 ディッケルは驚いた表情を浮かべ、ついで不機嫌そうに顔を歪めたが、胸元についているメダルを一つ取り外してユリアンに渡してきた。それは勲章のようで表面には“Y・H・A”と文字が刻まれている。しかしユリアンはこんな勲章は同盟軍には存在しなかったと記憶している。

 

「……俺は帝国からの亡命者でな。もっとも、亡命したのが幼少の(みぎり)なんで、帝国本土のことなんぞろくに覚えていないが」

 

 そうしてゆっくりとディッケルは身の上話をはじめた。いささか唐突に思えたが、関連がある話なのだろうと思い、ユリアンは黙って耳を傾けた。

 

 身分は平民だったが、ディッケル家は一族の多くが地元で公務員職として働いていて、社会的に信頼もまずまずという、中流層の一員として代々無難な生活を送っていた。だが、クリストフ少年が六歳のときに学校図書室の司書をしていた叔父が女子学生を強姦した容疑で有罪判決を受けたために、それは終わりを告げた。

 

 叔父が本当にそんなことをしたのかどうかはわからない。だが、遺伝子を重視するゴールデンバウム王朝の世において、強姦の罪で刑務所に送られた親族が出たら一族の者もただでは済まない。なんら公的に処罰されたわけではないが、犯罪者の血が流れている一族だと地域社会から疎外され、劣悪遺伝子排除などと称して愚連隊や青年団の嫌がらせを日常的に受けるようになった。警察に訴えても「強姦魔の遺伝子を有しているのが悪い」と冷笑された。賄賂を贈ると対応はしてくれたが、全体的に中途半端なもので差別や迫害をやめさせることはせず、一時しのぎにしかなりえなかった。

 

 差別が始まって数か月後、ささいなミスを理由に解雇された父親は家族と同盟への亡命を決意した。このまま迫害され続けながら帝国内で生活してはいけないというのがその理由だった。断腸の思いで老後のため少しづつ増やしてきた貯蓄に手をつけ、警察や宇宙港職員に金を掴ませ、フェザーンの運び人を手配した。

 

 そして準備を万全に整えて帝国脱出を実行するという時に、フェザーンの運び屋を社会秩序維持局が拘束した。人類社会“唯一の”正統政権であると自負する銀河帝国にとって、叛徒どもの領域に逃げようとする臣民は、危険思想に汚染されてその真理を否定した卑劣な裏切り者であり、帝室と祖国に仇なす叛逆的行為を犯した重大犯罪者であると規定していた。この容疑で社会秩序維持局に拘束されれば、その場で処刑されたり、過酷な環境の矯正区で長い刑期を課されるのである。

 

 社会秩序維持局は父が利用するつもりだった運び屋が、そうした犯罪行為に幾度となく関わっているとみて拘束し、取り調べることにしたのだ。こうなってしまっては運び屋の口から一家の亡命意思が漏れるのも時間の問題と父は考え、適当な定期便のチケットを購入して違う惑星に移動した。恒星間移動をしてしまえば、担当する社会秩序維持局の支部の区域が変わり、まだ自分への容疑が確定していなければ支部同士で連絡をとらない可能性があることに賭けたのである。

 

 父の期待は的中して、移動先の惑星は平穏そのものであり、故郷では当たり前だった自分たちへの差別はまったくなかった。日々の迫害に疲弊しきっていた父はつい楽観してしまい、今日はぐっすり休んで、明日からまた亡命の算段を考えようとホテルに部屋をとって一家は就寝した。これが間違いだった。

 

 翌日の目覚めは最悪だった。現地の社会秩序維持局支部の職員の訪問によって目を覚ましたのである。扉を開けて職員から説明を受けた父は大声で妻の名を叫び、クリストフを連れて逃げるように命じ、自らは少しでも時間を稼ぐ足止めになろうと職員たちにくってかかった。母親に抱かれ、窓から飛び降りる寸前、ダァーンと銃声が室内に響いたのをクリストフは今でも忘れられない。

 

 母は無我夢中で走り続け、走り疲れてなにか立派な建物に隠れて休もうと飛びこみ、通路の端に座り込んでもうだめだと捕まって殺されると震えながら泣いていた。母はまったくわかっていなかったが、幸運にも、たまたまそこはフェザーン自治領の領事館だったので、外交関係を考慮して敷地内まで追うことをせず、社会秩序維持局の追っ手たちは上層部の判断を仰ぐべく、監視役を置いて撤退した。

 

 ひとまずの窮地は脱した母とクリストフだったが、根本的には何も解決していなかった。フェザーン領事館にとって両者は厄介者でしかなかった。優秀な人材であるとか、情報源になり得るような地位にいた者なのであれば、国益のために亡命を仲介することもあるが、そんなことはまったくない凡庸な帝国人一家の亡命の手助けなどするわけがなく、お荷物でしかなかった。せいぜい社会秩序維持局が身柄の引き渡しを求めてきた時に、高い値段で売りつけてやろうと隠すこともなく議論するほどだった。

 

 母は顔面を蒼白にして、慈悲を乞うた。せっかく助かったというのに、結局、社会秩序維持局に身柄を引き渡されようとしているのだ。金銭の類はすべてホテルの部屋に置いてきてしまっているから、金で解決を図ることもできない。何度も何度も頭を下げ、自分は構わないから、せめて息子だけでも亡命させてやってくれないかと頼み込んだ。そのかいあって、領事館はフェザーンまでの足を用意することを約束した。だが、それは決して情にほだされたからではなく、母の必死さに別の価値を見出しただけであった。

 

 領事館が手配した宇宙船の中で、母はたびたび船乗りたちに呼ばれて一緒に個室にこもり、ひどく疲れたような調子で戻ってくるということが続いた。クリストフはまだ少年であったが、いや、少年であったからこそというべきか、母が売られて船乗りどもの相手をさせられていると察せてしまった。それでも母は気づかせてはいけないと健気に優しい笑みを浮かべて自分を安心させようとするので、クリストフは内心の怒りを隠して気づかぬ風を装うことしかできなかった。これ以上、母に心配かけるようなことをしては、死んでしまいそうだと思ったのだ。

 

 フェザーンに着いたら、すぐに同盟の駐在弁務官事務所に駆け込んだ。母は一休みしたがったが、ここは母を商品にするような人非人の巣窟であると思ってクリストフが駄々をこねたので、即座に亡命ということになったのである。亡命申請をすると事務員は鉄面皮で手続きをして、簡単に同盟への亡命と市民権が認められた。

 

 だが、同盟に入国する際の健康診断で母が重い病気を患っていることが判明したので、病院に運び込まれた。万事、入国管理官が担当してくれたことであり、本来であれば感謝すべき相手であるのだが、クリストフは彼のことを思い出すとどうしようもない憎しみがこみ上げてくる。あろうことか、入国管理官は医師にたいしてこう言ってのけたからである。「帝国の売女の面倒を国民の税金で治療するのは業腹でしょうが、仕事だから頼みます」と。

 

 すでに母の症状は末期であったらしく、入院して程なく母は死去した。残されたクリストフ少年は両親の分も生きていこうと誓ったが、学校でほどなくイジメの対象になった。「帝国のスパイ」「女スパイの子」というレッテルがはられたためである。むろん子どもが遊び感覚でやっているだけであり、帝国のように社会的な迫害が加わるようなことはなかったが、かといってイジメを止めようとしてくれる大人は数えるほどしかおらず、ほとんどは放置し黙認していた。

 

 父は社会秩序維持局に殺され、母は亡命時の苦難で病死した。にもかかわらず、帝国出身であることを理由に自分は差別されなくてはならいのか! 差別対象にされたくない、他者から肯定される存在になりたいという思いが強まり、クリストフは優等生たらんと自分を厳しく律し、他人には優しくあろうとし、暇さえあれば勉学に勤しんだ。そうしているうちに、一部のねちっこい連中を除いて、差別は徐々に消えていった。

 

「帝国にも復讐してやると意気込んで軍人を志望し、士官学校ではひたすらに訓練と勉学に明け暮れた。そして首席で卒業し、トリューニヒト議長からその青少年栄誉賞を授与された。俺はとても嬉しかった。勲章が授与されたことがじゃない。今までどれだけ努力して結果を示しても、少なくない人間から歪んだ目で見られてきたのに、国家元首から若い共和国市民と認められ、民衆も多くの者たちが追認してくれた。それがたまらなく嬉しかったんだ」

 

 ユリアンはハッとした。トリューニヒトは最高評議会議長の就任式典において、一〇代の少年少女を招いて彼らを讃え、民衆人気向上に利用していたことを生前にヤンは批判的に論じていた。曰く、「あの四人のやったことと、トリューニヒト氏の政策や識見のあいだに、どういう関係があるんだ?」と。その四人のうちの一人が、目の前にいるディッケルなのだ。

 

「とまあ俺にはそういう過去がある。で、そんな過去のある人間が、自由の国に亡命しておきながら、クソッタレな帝国への郷愁を捨てられない死にぞこないの老害爺に好感を持てるとでも?」

 

 ディッケルは仮面のような微笑みを顔面に張り付けて穏やかな声音でそう言った。それが逆説的にどれほどメルカッツのことを嫌っているかを雄弁に物語っているように、ユリアンには思われた。

 

 事実として、ディッケルは死ねばいいのにと思うくらいにメルカッツを嫌っている。不愉快な現状を黙認してきたのは、メルカッツはヤン元帥の庇護下にあったのもあるが、圧倒的な巨大な帝国の脅威を前にして、紛いなりにも味方である存在を排撃しようとするのは利敵行為であると自重しているだけである。とはいえ、もし過激派がメルカッツ暗殺という挙に及んだ場合、その英雄的行為に拍手喝采し、実行者を称賛しない自信はまったくといってないが。

 

「……メルカッツ提督にはこれからも協力してもらうつもりです。残留するということは場合によってはメルカッツ提督の指示に従ってもらいます。その覚悟はおありですか」

「ああ、帝国に対抗していく上では好悪なんて気にしていられないだろうからな。そっちこそ、どうなんだ?」

「なにがです」

「今後の展望だよ。玉砕を厭わぬ覚悟があるとはいえ、それしか考えていないというのなら、なにもおまえみたいな少年中尉の下につく必要がない。さすがになにか考えているんだろうな?」

 

 虚言を弄せば赦さぬ。言外にそう感じさせるほどの真剣な瞳で、ディッケルはユリアンの真意を見抜こうとしているようであった。だからユリアンは挑発的な笑みを浮かべ、余裕を感じさせるような態度で返答する。

 

「安心してください。少なくとも、帝国軍相手に華々しく玉砕して、武力によって民主主義の精神を屈服させることは叶わなかったと後世に示す、なんて考えはまったくありませんから」

「……はん、以前の問答への当てつけか。ま、そんなことを言えるくらいなら大丈夫か。しっかりやれよ」

 

 皮肉で返してきたユリアンに毒気を抜かれ、それだけの胆力があるなら信頼しても良いだろうとディッケルは素直に思えた。このような悲観的状況において、滅びの美学ではなく希望を語れるのは得難い素質といえる。ヤンの名声ありきとはいえ、亡きロムスキー主席も似たような資質の持ち主であって、だからこそディッケルをはじめ救国戦線派の者達はロムスキーを革命の神輿として担いだのだ。ユリアンがヤン元帥の代わりにはなるとは思えないが、ロムスキーの代わりには充分なるだろう。

 

 一二日、イゼルローン要塞でヤン・ウェンリー元帥の葬儀が執り行われた。その際、弔問に訪れたミュラー上級大将との交渉によって、革命運動の離脱者を帝国が受け入れるという確約が得られ、離脱者は平和的にイゼルローンからいなくなった。だが、これで予期されていたある問題が表面化する。

 

 イゼルローンへの残留者は九四万四〇八七名、うち男性六一万二九〇六名、女性三三万一一八一名。女性の大半は男性の家族であって、単身者は少なく、人口構成の男女比不均衡は、今は大丈夫だとしても、長期的視野で考えればいずれ問題になるだろう。そしてそれ以上に問題なのが、七割近くが軍人ないしは軍属であり、致命的なまでに文民不足であることだ。

 

 純粋問題として勢力内における軍隊の割合が大きすぎる。これは革命勢力を運営していく上で大きな障害となること疑いないし、民主主義的観点からすれば、軍隊そのものが強い政治性を持たざるを得ない現実と文民統制の原則をどのように整合させるかも大きな課題となる。革命勢力の前途は多難であるが、ユリアンはこれを乗り切ってみせるつもりであった。

 




原作読み直したらクリストフ・ディッケルがトリューニヒトに青年栄誉賞を授与されたのは、士官学校首席「入学」の時と書かれて、愕然とした。……いまさら修正もできないので、本作では士官学校首席「卒業」時に授与されたという設定でどうかよろしくお願いします。

ん? 四八八年卒業の士官学校生が四九〇年の同盟降伏までに少佐になるとか出世はやすぎるって?
……そりゃあ、アムリッツァとか救国軍事会議とか色々あったせいで、異例の出世を成し遂げたんです。末期軍隊だと出世しやすいっていうでしょ?

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