リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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新年あけましておめでとうございます。
ただ新年一発目がこれって悲惨すぎるかなと思ったので事前注意をば。
覚悟して読んでください。


すべては善きことのために

 彼は両親のことをあまり覚えていない。両親のことではっきりと覚えていることと言ったら、物心がついてしばらくした頃に帝国軍との戦闘で母親が戦死し、その葬式でいつも寡黙な父親が声を大にして泣いていたこと。母親の葬式から三年後に父親の戦死の報を聞いたこと。はっきりとしているのはこのふたつだけ。

 

 彼が生まれた家は自由惑星同盟の建国譚、長征一万光年に参加した名家であり、軍人として祖国と自由を守り、いつか帝国に置き去りにしてきた同胞たちを救うことを初代当主が一族が果たすべき使命として掲げ、それを忠実に守ってきた誇り高い軍人家庭だった。両親が存命の頃から軍務で忙しかったため、彼は実家筋の祖父に育てられた。祖父は同盟軍の退役将校で「歳のせいで体がちゃんと動かなくなったから退役させられた。できれば死ぬまで祖国のために戦いたかったのだがな」と嘆き、戦死した娘と娘婿のことを心の底から羨んでいるような筋金入りの愛国的軍人だった。

 

 そんな愛国的祖父によって育てられた彼は、初代当主が掲げた一族の使命のこともあり、当然のように士官学校に入った。彼は自分の家の使命を心の底から成し遂げたいと思っていたから、全力で訓練に取り組み、空いた時間も自主勉強に費やした。そのかいあって、彼は優れた成績を残して首席で士官学校を卒業した。

 

 士官学校を卒業してからも、彼は作戦参謀として効果的な作戦を大量に立案して大活躍した。やがて同盟の名将ロボスに目をかけられ、名将の信頼に応えるべく限界を超えて働きつづけ、多くの功績を残し、出世街道を爆走して二六歳にして准将という地位についた。あのヤン・ウェンリーでさえ、准将になったのは二八歳なので、それ以上のスピードである。

 

 しかし准将に昇進した頃から、栄光しかなかった彼の人生に暗雲がたちこめてきた。人間は限界を超えて働くことはできるかもしれないが、それは大きな負担になっているものだ。だから限界を超えて働き続けることなど不可能である。だが、彼には名家の一族としての使命があった。その使命を貫く覚悟があった。士官学校を首席で卒業したという自負もあった。だから休むことなく働き続けて脳細胞を酷使し、精神を病んで現実と妄想の境界が曖昧になりはじめた。

 

 そしてそれは宇宙暦七九六年に、同盟軍が帝国領遠征の出兵案を作成した時に、最悪の形で現出した。彼は完璧な作戦案を作成したつもりだったが、だれの目から見ても穴だらけの代物であったのだ。同僚や上官が疑問を呈したが、自信満々に「これで大丈夫です」と言い切った。それで納得したわけではなかったが、同僚は上官はそれだけ自信があるのだから、なにか効果的な秘策を考えているのだろうと思い、それ以上追及しなかった。今までの実績による信頼があったのだ。

 

 だが、そんな秘策などなかった。限界を超えて頭脳を酷使し続けた結果、彼の知的能力は急激に衰弱していたのである。しかも彼がそのことを自覚しておらず、どこにも問題がみつけらないから大丈夫だと本気で思い込んでいたのだ。当然、杜撰すぎる作戦はあらゆる箇所で破綻し、同盟軍は崩壊の危機に陥った。それでも彼は頑迷に撤退を認めなかった。それに激怒した第五艦隊司令官ビュコックに糾弾を受けたところで彼の記憶は終わっている。のちに軍医が診断してわかったことだが、彼は知的能力の衰弱の過程で、転換性ヒステリーというわがままな子どもみたいに狭量な性格になるという珍妙な精神病まで患っており、現実を見たくないという強い感情から一時的な失明状態に陥って気絶したのだ。

 

 かくして彼、アンドリュー・フォークは自由惑星同盟が滅亡する直接的な遠因を作ったとして、歴史上の悪名を被ることになった。しかしそれだけで終わらず、悪名が雪だるま式に膨れ上がるような状態に陥っていく。

 

 軍病院で目覚めると、軍医から自分が予備役に編入され、軍からは強制入院を命じられているということを知らされて、フォークは驚愕した。どうしてそんなことになったのか、まったくわからなかった。軍医から精神病を患っているからですと言われても、フォークは納得しない。病気? 病気なら自分の体はこんなに自由に動くわけがないだろう。でたらめを言うなと軍医を怒鳴りつけて暴れ出すほどだった。

 

 フォークがそうした異常な精神状態にあることを聞きつけた軍部独裁を目論む過激派が、統合作戦本部長を暗殺するための捨て駒として、彼を活用することを考えついた。過激派将校は病床の彼にこう囁いた。

 

「君が精神病を患っているなんて嘘っぱちだ。統合作戦本部長クブルスリー大将がロボス元帥と若くして出世している君を疎ましく思っていて、あらぬ言いがかりをつけて強引に予備役編入したのだ」

 

 フォークは驚愕した。ロボスに側近として取り立てる前にクブルスリーの下で参謀をしていた経験があり、そのクブルスリーの誠実な人柄を知っていたのでとても信じられなかった。すると過激派将校が直接確かめてみろと冷笑しながら言った。

 

 過激派将校の計らいで軍病院から抜け出したフォークは、統合作戦本部のビルオフィスに向かい、辛抱強く玄関口で待って、視察を終えて本部に戻ってきたクブルスリーの姿を確認すると礼儀も何もかも無視して現役復帰を願い出た。

 

「それなら医師の診断書と保証書をそえて、国防委員会の人事部に現役復帰願を提出するといい。正式にそれが認められれば、貴官の希望もかなうわけだ」

 

 クブルスリーとしては誠実に手順を説明したのだが、フォークには本音を言わずにはぐらかしているように聞こえた。過激派将校に言われたこともあり、ハッキリとした答えが欲しくてフォークは言い募った。

 

「それでは時間がかかりすぎます。私は明日にでも現役復帰して国家の役に立ちたいのです」

「正式な手続には時間がかかるものだよ。准将」

「ですからそこを閣下のお力で……」

 

 これでは規則破りをしてほしいと願い出ているわけで、昔の、飛びぬけて秀才だった頃のフォークであれば絶対にクブルスリーにはそんなお願いはしなかっただろう。しかし知的に衰弱し、精神病を患い、おまけに焦燥感と猜疑に身を焼かれている今のフォークには気づけなかった。だから温厚なクブルスリーの逆鱗に触れてしまったのである。

 

「フォーク予備役准将。きみはなにか勘違いをしているのではないのかね。私の権限は手順を守らせるためにあるのであって、破らせるためにあるのではない。どうもきみは自分を特別扱いする傾向にあるようだが、私のみたところ、病気が完治したとは言いかねるようだな。そんなことでは復帰しても協調を欠くだけで、きみにとっても周りにとっても、不幸なことになるだけだろう。悪いことは言わんから、出直しなさい」

 

 厳しさの中にも相手へ思いやりを感じさせる、誠実さと道理に富んだ忠告であったのだが、その部分はフォークにとっては大した問題ではなかった。クブルスリーが自分の現役復帰をまったく認めてくれないということが大問題だった。それでフォークは過激派将校の言葉が真実だと確信し、衝動的な憤怒に突き動かされてブラスターを取り出してクブルスリーを銃撃した。

 

 士官学校を首席で卒業した優秀な作戦参謀としてのフォークしか知らなかったクブルスリーにとっては完全に不意打ちであり、ろくな反応もできないうちに右脇腹を光線が貫通し、下手すれば命が危うい重傷を負ってクブルスリーは入院した。暗殺が成功しなかったことに過激派は悔しがったが、本部長を行動不能にするという最低限の目標を達成し、後のクーデターを起こす下地作りには成功したといえた。

 

 国運をかけた大規模な軍事行動を杜撰すぎる作戦で実施したという汚名のみならず、暗殺実行犯という刑法上の罪まで背負ったフォークは、より厳重な警備が敷かれたホイッチア精神病院に幽閉され、現実に置き去りにされてなにもわけがわからなくなってしまうほど症状が悪化して完全な廃人となった。だが、そのまま朽ち果ててしまえれば、まだしも幸せであったかもしれない。だが邪悪なる悪魔が「まだまだ足らぬ」とでも思ったのか、フォークはさらなる悪名を背負わされる羽目になった。過激将校の次は狂信者が彼に利用価値を見出し、精神病院を襲撃して彼の身柄を確保したのである。

 

「フォーク准将、きみこそは民主共和政の真の救い手になれるだろう。ヤン・ウェンリーは専制支配者ラインハルト・フォン・ローエングラムと妥協し、講和して、彼の覇権を容認し、その下で自己の特権と地位を確保しようとしている。ヤン・ウェンリーを殺せ。彼は民主政治の大義を売り渡そうとする醜悪な裏切り者だ。フォーク准将、いや、本来ならきみこそがいまごろは若き元帥となり、同盟全軍を指揮して、宇宙を二分する決戦にのぞんでいたはずなのだ。すべての準備はわれわれが整える。ヤン・ウェンリーを殺して民主共和政治を救い、かつきみの正当なる地位を回復したまえ」

 

 甘い甘い毒のような囁きは、もはやなにもわからぬ廃人と化していたフォークに狂おしいまでの情念を想起させた。戦死した両親の葬式の光景が脳裏に浮かぶ。死ぬまで祖国のために戦いたかったと嘆いていた育て親の祖父の嘆きが蘇る。

 

 アンドリュー・フォークよ。おまえはなにをしている? おまえの体はまだ動く。まだ祖国と自由の敵と戦えるだろう? 自分たちの一族が誇り、いつか帝国にもそれをもたらそうとした崇高な理念を、ヤン・ウェンリーが売り渡そうとしているのなら、この手で殺さずしてどうする? こんなところで休んでいる場合ではない。そうだ。少し自分は休みすぎた。まだ戦争は続いている。ならば、戦いに赴かなければ。先に死んで逝った英霊たちの想いに応えるために。初代家長が掲げた使命を果たすために。たとえ志なかばで死ぬこととなろうとも!!!

 

「敵艦発見、ヤン・ウェンリーの交渉団を乗せた敵軍巡洋鑑と認む!」

 

 地球教団から提供された武装商船の艦長席に座っていたフォークは、同じく地球教団が用意したオペレーターから報告を受けた。

 

「撃て!」

 

 武装商船が巡航艦レダⅡ号に向けて発砲したのは、記録によると五月三一日一時二二分のことである。レダⅡ号にたいした損傷はなく、即座に応戦しようとしたが、武装商船の背後からあらたに帝国軍駆逐艦二隻があらわれたので一瞬躊躇った。その間に駆逐艦二隻が武装商船に集中砲火を浴びせたので、レダⅡ号は反撃の機会を永遠に失った。

 

「何故ダァ!?」

 

 乗艦が爆発四散する寸前、フォークは絶叫した。自分の背後についていた駆逐艦二隻は地球教のものであり、自分の味方ではなかったのか?! 高熱で体が蒸発して霧散し、フォークがその疑問の回答を知ることはもはやない。

 

「予定通り、武装商船を爆破しました」

「うむ。では、レダⅡ号に通信を呼びかけろ」

 

 帝国軍駆逐艦の砲兵長からの報告を受け、駆逐艦長のマーロン中佐は通信士にそう命令した。やがて向こうが回線を開き、通信スクリーンに気の抜けた平凡そうな男の顔が映った。しかしかすかに見える軍服と紀章から、この男がヤン・ウェンリーであるという確信があり、胸中にどす黒い感情が沸き起こる。

 

 この男が殺した人間の数は、既に一千万を優に超えていよう。にもかかわらず、どうしてもこんなのほほんとした面を晒せているのだろうか。おそらくは他人の生命にたいした関心を抱いていないからに違いない。大量殺戮の罪悪に苦しんだことも、きっとないのだろう。自分は“職業軍人”という殻を被らないことにはごまかせないのだからそうに違いない。偏見からくる嫌悪感を表に出さないよう苦労しているのを悟られないよう、敬礼してあらかじめ考えていた言葉の挨拶をはじめた。

 

「こちら帝国軍駆逐艦。テロリストは()()しました。ご安心いただきたい。ついては、われわれが皇帝のもとへ閣下をご案内するにつき、ぜひ直接ごあいさつをさせていただきたいのですが」

「われわれの代表はロムスキー主席だ。主席のご判断にしたがう」

 

 中佐は内心の不安と猜疑が表情を出そうになるのを懸命にこらえた。ラインハルトがヤン・ウェンリーに対して会談を申し込んだというふうに認識していたので、ここでロムスキーを代表と偽るのは何か察して時間稼ぎしているのか、あるいは裏で何か企んでいるのではないかと感じたのである。

 

 しかしそれは過大評価による杞憂に過ぎなかった。元帥に代わって画面に登場した主席は、テロリストから自分たちを守ってくれた帝国軍の誠意に感謝を示し、直接挨拶したいというこちら側の申し出をこちらも感謝を直接言いたいのでと喜んで受け入れたのである。

 

 マーロン中佐はホッとした気分になって回線を切って、ゆっくりと息を吐いて内心の昂ぶりを落ち着かせると、艦内放送をはじめた。

 

「総員、傾注!」

 

 スピーカーから中佐の声が響くと同時に、艦内は厳粛な雰囲気に包まれた。兵卒はサイオキシン麻薬などを用いて洗脳した狂信者たちが多いが、士官・下士官となると偏狭な視野と思考法では演じることは難しいため、地球教が運営していた孤児院出身者が多くの割合を占める。

 

 マーロン中佐もそうであり、血のつながりはないにせよ、信仰を同じくする兄弟として、彼らに対してこれから行う義挙を前に最後の言葉を送っておきたいと考えたのである。

 

「私たちが帝国軍に潜入して、もう随分と長い時がたった。そしてその間、数え切れないほど罪深い戦争屋を見てきた。だが、今回我らが討つべき敵はその中でも極め付けの邪悪さの持ち主である。その明晰な知性を、人類平和のために使わず、ただただ同じ人類を殺戮するためだけに使い、そしてそれを軍国主義の幻想に浸って己を偽るのでもなく、罪悪感に苦しみ反戦活動に勤しむのでもなく、なにも感じていないように()()()()としているような真性の極悪人だ。その点において、かのブルース・アッシュビーやコルネリアスよりはるかに罪深い」

 

 民主主義なる思想を、銀河帝国の支配に反対する思想という程度にしか理解していない中佐にとってはそれが真理であった。エル・ファシルという極小の勢力に頼ってまで、戦争を継続するその姿は、母なる地球の歴史において聖エルデナの諫言に耳を貸さず、狂ったように戦争継続を断行した地球統一政府主流派の姿が重なるばかりである。

 

 地球教が秘密裏に運営する孤児院に戦災孤児として拾われ、地球教の理念に則した教育を受け、敬虔な信仰心を有する立派な信徒として成長したマーロンにとって、戦争に関連するすべては罪深いものであると認識している。これを根絶するためであればどのようなことであれ躊躇なく断固実行すべきという信念を持ち合わせている。ゆえに青年期に地球教の暗部から、宗教理念による人類社会の平和化という計画が存在することを知らされ、地球教のエージェントとなった。

 

 そのために必要とあれば、あえて罪深い軍人になろうとかまうまい。だれからも賞賛されずとも、未来に確かな平和をもたらすことに貢献できるのであれば、それは救世であり、意義深い死である。教祖ジャムシードが実現した地球の静謐の平和、もう二度と自分みたいな戦災孤児が誕生しない世界を築くための礎になれるのだ。なにを躊躇う理由があろうか。

 

 欲を言うのであれば、現在進行形で平和を愛する善良な地球教徒弾圧に狂奔している野蛮な皇帝ラインハルトのほうをこそ暗殺したいという気持ちはあるが……。自分はその役目を担う運命にないと諦めるしかない。全宇宙を動かす超越的意思の前には、個々人のくだらぬ願望など考慮に値しないであろう。

 

「慈悲深きわれらが主、聖ジャムシードよ。汝は兄弟が血を流し争う惨禍を嘆かれ、己が罪に永遠に苛まれること覚悟の上にて、母なる大地の上に久遠の平和のために生涯献身された。われらもまたそうありたいと願い、いまだ永遠の戦禍に苦しむ人類を憐れみ、これを救わんとするために罪業の炎で己が身を焼き尽くさんとするものなり。しかれども、願わくば浄罪の天主たる汝の御力によりて、魂だけでも救済されんことを」

 

 それは殉教の聖句であった。四〇〇年前に地球教内部における神学論争において、他の宗派との対立が先鋭化していった時代。エルデナ派の指導者たちはついに殺人という禁忌を犯して他の宗派を粛清してしまった。それでもエルデナ派の指導者たちは兄弟を殺してしまった罪悪感から自ら死を選んだ。その際、彼らが吟じたとされる辞世の句である。

 

「太陽なき夜には月が、月なき夜には無数の星々が、空より平和の光でこの地を照らす。

ああ洋々たる銀河の流れよ。その源流にて輝く、われらが母なる星よ」

 

 マーロンが地球教の理念を象徴する賛美歌を歌い始めると、全員がそれにあわせて唱和した。

 

「希望が尽きることはない。平和への祈りが絶えることはない。人類の歩みが止まることはない。

久遠(くおん)の昔より忘れられることなく続いてきた人類の悲願は必ずや成就するだろう。

母なる地球の輝きとともに、自由なる民として、平和の中で永遠に暮らすことを!」

 

 感情的な幻想のエネルギーが艦内に充満する。だれもが地球教徒として、必ずかの邪智暴虐の魔術師をこの宇宙から抹消せなばならぬという決意を更に強固なものとし、使命感に陶酔する。人類永遠の恒久平和を実現するために戦う、地球の聖なる戦士という自意識を肥大化させ、それに自己陶酔する。艦内の地球教徒たちがかつてない団結を感じながら、この使命を自己の生命を燃やし尽くしてでも完遂せんと意気込む。

 

 そうして地球教徒が操る二隻駆逐艦の内、一隻がレダⅡ号に一時五〇分に接舷した。同時にマーロン中佐は駆逐艦のセンサーを総動員してレダⅡ号の構造を調査した。概ね、艦種によって内部構造は似通うものであるが、強襲揚陸艦によって艦内に突入され白兵戦になった場合を想定し、すべて同型艦の通路を同じものにしているわけではない。といっても、外からのセンサーによる調査ではおおまかにしかわからず、レダⅡ号の艦橋には詳細な艦内地図があるであろうから、確実に対象を抹殺するためにはまずそこを制圧して艦内の構造を把握し、逃げ場をなくさなくてはならないと中佐たちは考えていた。

 

 五五分、センサーの調査結果による推測地図を片手に、マーロン中佐たちはレダ二号の艦橋を制圧するべく行動を開始した。そして、レダⅡ号との接弦口近くでうつ伏せに倒れているスーツ姿の死体を見かけ、なんとなく中佐はその体を蹴って仰向けにして顔を確認した。顎からブラスターの光線を受けたらしく血だらけでわかりにくかったが、それが独立政府主席ロムスキーのものであるとみて、内心で静かに祈りを捧げた。これは中佐の癖であり、生前どのような人間であったにせよ、死者の魂は救われるべきであるという考えによるものであった。

 

 艦橋を制圧するのは思いの外あっさりとできた。交渉団として人員選出されていたためか、レダⅡにはそれほど軍人を搭乗させていなかったらしい。あまりにも都合がいい幸運に、これは母なる地球の全知全能の意思も今回の義挙を祝福しているようにマーロン中佐たちは感じられた。その幸運に応えるべく、レダⅡの艦内地図を探し出し、部下たちにあらかじめ持たせていた無線機を介して情報を交換し、ヤンをどんどんと追い詰めて行った。もはや目的達成は時間の問題であるように思われた。

 

 その楽観が崩れたのは二時四分である。艦外スクリーンを注視していた同志の一人が叫んだのだ。

 

「未確認艦、急速接近!」

「艦種は?!」

 

 その報告にマーロン中佐は即座に反応した。まったく動揺しているように見えない中佐の姿に、報告をした部下は落ち着き取り戻す。

 

「わかりません。ですが、外装からヤン・ウェンリー軍所属のものと推測。目的も当然、司令官救出のためかと! 映像をメイン・スクリーンに転送します!」

 

 巨大なメイン・スクリーンに映ったのは、グリーンカラーの艦艇であった。その艦艇が周囲を警戒していた地球教徒たちが乗る駆逐艦を砲撃し、撃沈せしめる映像を確認し、マーロン中佐は腹の底から湧き上がってくる憤怒に震え、堪えきれずに咆哮する。

 

「おのれ、狂人どもめが! 何人殺せども飽き足らぬ極悪人どもがッ!」

 

 善悪の観念は所詮、主観的なものに過ぎない。そんなことは帝国軍人として、帝国の正義にあわせて他の軍人と接してきたマーロン中佐も理屈として理解はしている。だが、帝国にしろ同盟にしろ、彼らの主張する正義の中身とはなにか? すべてが戦乱に直結する事柄ばかりではないか。あまりに救いようがない。それがここ数百年の宇宙の歴史である。そんなものを正義と呼ぶのは馬鹿馬鹿しいことだとずっと軽蔑してきた。

 

 どんなに正しい義であろうとも、星の海を征くほど技術力を発展させても、物質的豊かさを誇れても、精神面が石器時代の野蛮さとなにひとつ変わっていないのではただ悲惨なだけ。こんな奴らがいるから地球と違って、宇宙ではいまだ戦争が絶えないのだ。もうまっぴらだ。こんな戦争狂どもとかかわるのは。すべての人類が地球を崇め、平和を愛する健やかな精神が根付く日まで、きっとこのまま延々と愚かしい殺戮劇を繰り返すのであろう。

 

 そんなことはダメだ。なんとしても戦争などという醜悪な劇に永遠の終止符を打たなくては。そのためにはヤンをなんとしても暗殺しなくてはならないだろう。だから敵の目的を果たさせるわけにはいかない。

 

 士官の一人が艦内放送で一気に部下に状況を説明し、敵艦艇からやってくるであろう部隊を撃退する要員をさくように提案したが、マーロン中佐はこれを退けた。そんな方法ではご丁寧にもヤンに希望があることを説明するのと同義であると考えたのである。よって地道に無線機を使って命令を部下に伝達するようにした。

 

 そして万一を考え、ヤンを暗殺するために少しでも多くのリソースを投入すべきだと自分も含めた艦橋制圧要員や通路確保の要員も、ヤン暗殺のために動かすべきだと判断した。本当にヤンの暗殺の情報が伝わっていたのだとしたら、一艦だけということはなく、最低でも一〇〇隻くらいは動員するだろう。だからあの艦はたまたま近くにいた哨戒艦かなにかで、それほど精強な軍人はいないだろうから、数で押すだけで簡単に返り討ちにできると推測したためであった。

 

 だが、その敵艦艇――巡洋艦ユリシーズ――には薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)を中心とする猛者たちによって構成され、ユリアン・ミンツとワルター・フォン・シェーンコップが率いていたのである。彼らは独自の情報源で、ヤン暗殺の陰謀があることを知って、救出に来たのである。一隻だけであった理由は、多数であれば帝国軍の過剰反応を招いてまとめて宇宙の塵にされかねないという危機感から六隻しか動員しておらず、その六隻も広大な宙域を捜索するにあたって一塊で行動していては効率が悪いので、それぞれに担当宙域を決めてバラバラに行動していたからであったからに過ぎない。

 

 その推測の間違いはすぐに証明され、侵入部隊の精強さを伝える報告が無線機から大量に届き、マーロン中佐は通路を移動しながら頭を抱えたくなった。艦内地図があまりにも大きかったので、艦橋に置いてきてしまったのである。変に拙速な対応をせず艦橋で冷静にしていれば、隔壁を操作して通路をややこしくすることができたし、あえて兵力の濃淡を意図的に生み出して、侵入部隊の進路をヤンとは反対方向へと誘導することもできたであろう。軽挙な判断が悔やまれる。

 

 こうなったら純粋な競争でしかない。自分たちが先にヤンを殺すか、向こうの救出部隊がヤンを逃がすか。そしてなんとしても前者の結果をつかみ取らなくてはならない。中佐はそう自分に言い聞かせて後悔を思考の端においやった。余計な雑念は、結果をもぎ取る上で邪魔にしかならない。

 

 艦内では凄惨な戦闘が繰り広げられた。それもそのはずである。ここ一世紀以上続いていた同盟と帝国との戦争においては、一種の紳士協定のようなものがあって、戦争の中でも敵方を尊重する面が多少であれども存在したのに対し、今回はその例にまったくといっていいほど当てはまらないのだから。互いに憎悪と怒りが先行し、敵は例外なく殺してしまえと両陣営が思っていた。さらに地球教側はことごとくが生還帰さずの死兵であったため、技量と統率で遥か上をいくシェーンコップ率いる部隊に執拗に食いつき、かろうじて拮抗してみせた。

 

 三時一九分、「ヤン・ウェンリーを殺した!」と興奮して叫ぶ兵卒がやってきた。マーロン中佐は容易には信じず、死体を確認したいと案内するように告げ、その場所に行って唖然とした。たしかに夥しい血が冷たい床を赤く染めていたが、肝心のヤンの死体が見つからない。おそらくはやってきたヤン・ウェンリー救出部隊が回収したのであろう。

 

 問題は回収されたのは死体かどうかという点である。現場には大量の死体があって、流れ出た血が混ざりあっているから、ヤンが致死量に至るほど血を流していたのかは判別できない。本当に死んでいることを確認したのかと問いかけると、「銃撃したら血を流して倒れたから死んだはずだ」と証言したので、中佐は怒りからその兵士の顔面を思いっきり殴った。それでは死んだのか、重傷なだけで生きているのか、判別できていないではないか!

 

 もしこれでヤンに生き残られでもしたら、犠牲になった信徒たちになんと釈明すればよいのか。機会がつかめなかったというのならまだしも、機会がありながら確認不足で生存させてしまったなどということになれば……。

 

「……全兵力を集中させ、敵の進入路へと向かわせろ。こうなったら虱潰しだ」

 

 敵の救出部隊が撤退する暇を与えずに攻撃をかけ続け、直接この目でヤンが生きているか死んでいるか確認するよりほかにない。敵部隊の精強さを伝える報告の数々を思うと、それを成すのは至難どころではないという現実的感覚があるが、それでも平和への信仰の力は敵を凌駕すると信じたかった。

 

 だが、信仰の力とやらは中佐が信じるほど万能ではなかった。シェーンコップの指揮は的確であり、地球教徒たちの攻勢を巧みに分断させ、撤退の為の時間を捻出し、三時三〇分にヤン・ウェンリー救出部隊は完全撤退した。地球教徒達としては去っていくユリシーズを追いかけて砲撃を加えたかったに違いないが、レダⅡ号と駆逐艦が接弦したままだったので追いかけることはできなかったのである。

 

 三時五〇分になるまで地球教徒達はレダⅡにヤン・ウェンリーの死体が放置されてはいないかと念のために捜索したが、ロムスキーをはじめとする独立政府文民の死体しか確認できず、もはやここにいる意味がないと撤収をマーロン中佐は判断した。帝国軍の完全包囲下にある中で可能なのかどうかわからないが、駆逐艦へと戻り、地球教の拠点のひとつを目指して、サジタリウス方面への逃亡を開始したのである。

 

 艦内の空気はとても気まずいものであった。自分たちは使命を果たせたのか、それとも失敗したのか、それがわからずに不安だけが広がっているような感じである。成功しているならば歓喜に、失敗しているなら悲憤に酔うことができたかもしれないが、結局どうなったのかがわからないという曖昧な事実が、地球教徒達の気を重くさせた。

 

 そんな暗い気分の無謀な逃亡劇は、開始から約二四時間後に終わりを告げた。ビューロー大将麾下の巡航艦グループに捕捉されたのである。彼らは友軍艦であると考え、停船して所属を告げるよう通信を送ってきたが、マーロン中佐が「砲撃で返答しろ。停船する必要はない」と命令した。

 

 逃亡しながら砲撃してきた駆逐艦に、帝国軍は容赦する必要を認めず、巡洋艦グループは照準をあわせての一斉砲撃で反撃した。駆逐艦のオペレーターが「直撃来ます!」と悲鳴のような報告危機、マーロン中佐は指揮椅子から飛び上がるように立ち上がって、両手をあげて叫んだ。

 

「平和万歳! 異教徒に死を!!」

 

 こうしてヤン・ウェンリー暗殺の実行犯たちは一人残らず殉教をとげた。




原作のフォークや地球教暗殺犯の舞台装置感をどうにかしようとしたら、こうなった。ちょっと美化しすぎな気がしますが、自分の想像力ではこれ以外で帝国軍士官に自己の生命を顧みない地球教徒がけっこういる理由づけが他にできなかった。

結局暗殺が成功したかどうか? 原作八巻五章を読めばわかる!(白目)

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