リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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怪奇な闘志

 フェザーンにおけるテロの仔細な報告がラインハルトのもとに齎されたのは、四月一九日のことである。オーディンで昨年一二月に旧王朝残党勢力によるクーデターがあったわけで、帝国首都と策源地で無視できぬ政治中枢を狙った攻撃をくわえられたことは、帝国軍上層部に大きな不安をいだかせたが、ラインハルトの征旅の決意は一切揺らがず、遅ばせながらワーレンに麾下艦隊を率いて馳せ参ずるように重ねて命じた。

 

 現地の軍高官たるオーベルシュタインかルッツのどちらかの生命を奪われていたというのなら、さすがにリスクが大きすぎると遠征継続を断念したかもしれないが、両者ともに入院こそ免れなかったようだが、経過は良好で近く退院できるという程度なのであれば、フェザーンの治安は彼らに任せていても大丈夫であろう。政財界の有力者に数十名の犠牲がでていることも心配といえば心配であるが、工部尚書シルヴァーベルヒは健在であり、当人から「私と技術官僚たちがいる限り、フェザーンの統治に憂慮する必要はない」と力強い通信を送ってきており、ラインハルトはその自信を信頼してよいはずである。

 

 大局になんら変化の兆しがないことにテロの首謀者が焦慮して再度の犯行を企図するのであれば、オーベルシュタインらも仕事がやりやすかろう。そんな思惑もラインハルトにはあった。そしていささか倒錯した感情ながら、このような時期に大それたことを計画して尻尾すら掴ませぬような者であれば、高まった警戒の中で再度大胆な犯行をやり遂げてみるがいい。それならテロリスト相手といえども、多少は叩き潰しがいがあるかもしれないという、覇者らしくもありどこか子どもっぽい期待すらしていたのである。そのような考えの下、銀河帝国皇帝率いる軍隊はイゼルローン回廊への侵入を果たしたのである。

 

 一方、エル・ファシル独立政府もそれに呼応して惑星エル・ファシル無防備宣言を出し、政府首脳部はイゼルローン要塞へと避難した。ともすれば民衆を見捨てて政府首脳が自分たちの身の安全を守るためだけに要塞と軍事力をイゼルローンへ集中させたとも解釈されかねない行為であり、ヤン・ウェンリー軍は民主主義的に問題があるのではと懸念をいだいたが、その点について政府主席ロムスキーから民選革命議会の全会一致による支持を得ていると説明された。ヤンはその説明に完全に納得したわけではなかったが、形式的にはそれほど問題があるわけではないと理解したし、政府首脳も要塞内部にいるのであれば膨大な帝国軍を狭い回廊内に誘引する要素を増やせるという効果を戦略家として考えざるをえなかった。

 

 皇帝ラインハルトとヤン・ウェンリー。両者が同時代において互角の宿敵同士であった。どれほど否定的に物事を解釈する者であっても、純軍事的な用兵家としては間違いなくそうであったといい、同時代においても後世においてもそれは変わらない。しかしながら最後の決戦となったこの回廊の戦いは、後世の戦史家から必ずしも高い評価を得ていない。

 

 なぜかというと、全体として帝国軍が兵力にものをいわせてヤン・ウェンリー軍を圧殺しようとし、戦術を軽視しているという面が拭いきれないからである。大軍に細やかな戦術など不要であるとしても、あまりにも拙い戦い方をして、多大な流血を招くという割に合わない消耗戦を敢行したというふうに評価されているのである。総指揮官たるラインハルトが戦闘中に高熱を発し、体調が思わしくなかったというのも、そういう拙い戦い方を選んだ理由ではあったかもしれない。だが、損害を無視した手段を選ばぬ物量作戦は、敵の心理を読んでその間隙をつくタイプの戦術家であるヤンにとっては一番対処に困る戦い方であったことは否定できず、帝国軍は戦術的にはともかく戦略的には至当の行動をしたとも評価できる。

 

 だが、それも五月一六日に終わりを告げた。帝国全軍に一時撤退の大本営から命令がくだったのである。兵士や下級士官は純粋に一息をつけることを喜んだが、二週間近い消耗戦を指揮し、ある程度戦況を把握している高級士官は喜ぶわけにはいかなかった。

 

「撤退!? 撤退だと!! 大本営は何を考えているんだ。ここで兵を引くなぞ、今までに散った者たちの死を無為なものとし、敵に休息と再編の機会を与えるだけではないか! 皇帝(カイザー)は戦いではなく流血をお好みであるかッ!!」

 

 その中の一人であるアルフレット・アロイス・ヴィンクラー少将は撤退命令が届いた時に不敬罪に問われかねないことを叫んだ。彼はカール・ロベルト・シュタインメッツ上級大将の麾下にあった分艦隊司令官として参戦していて、シュタインメッツが戦死してからはビッテンフェルト上級大将の指揮の下、今日に到るまでヤン・ウェンリー軍とずっと激戦の只中にあったのだ。

 

 将官として十分な才覚を有する彼は、皇帝と大本営が意図するところは兵力の圧倒的なまでの数的優越を活かし、休むことなく敵に攻撃をかけつづけて心身共に疲弊させる消耗戦であると認識していた。にもかかわらず、敵を消耗させて撃破する前に回廊の外に撤退? 帝国軍の戦死者はすでに二〇〇万を突破しており、正確な数字を把握してはいなかったが、いまさら引いて戦略を練りなおせるような段階でもあるまいとヴィンクラーは思っていた。さらにいえば、自分の上官であり、戦死により元帥に昇格したシュタインメッツの仇討ちをできる好機を逃すわけにはいかないという感情もあった。

 

「ですが、たしかに無視できぬ損害を生じているのはたしかですので、一旦体勢を立て直そうと考えているのでは。同じ休息の時でも、今まで休む暇がなかった敵軍と異なり、我が軍のほうが回復もはやいでしょう。一時の休息で気が緩んだところで再攻撃、というところなのでは」

 

 そう意見したのは、同盟領の再遠征に際して少将の幕僚となったルムリッヒ・クム少佐である。二年前は中佐で、司令官を暗殺して叛乱勢力ごとブルヴィッツの現地住民を虐殺した辺境独立分艦隊の作戦参謀を務めていた。そのため、統帥本部訓令違反、上官暗殺謀議、命令偽造による民間人虐殺、偽装報告等、全部で九件の容疑で軍法会議にかけられたが、一階級降格と三〇〇帝国マルクの罰金のみで赦されたという曰く付きの軍人である。

 

 軍法会議の被告席でクムは堂々と自説を主張した。

 

「私はクレメント少佐と共同して強硬論を唱えていたから、これは統帥本部の地上戦禁止の訓令に背いているという容疑であるが、上位者の命令を墨守するだけなのであれば作戦参謀など無用の長物である。当時、ブルヴィッツ軍が卑劣に民間人を人質にとっていたことを思い返してもらいたい。そういう事態にあっては地上戦を敢行し、生命の危機に瀕している人質を救出することのほうが、新時代の帝国軍にあっては統帥本部の訓令を墨守することより優越すると考えたのみである。軍規則上、司令官に作戦参謀が提案するのはなんら問題がないどころか、やらねばならない職務であるはずだ。

 次に上官暗殺謀議であるが、私はカムラー中将を暗殺しようとなどまったく考えていなかった。それはクレメント少佐が激発して銃を引き抜いて司令官にむけた時、一番に彼に飛びかかってそれを阻止したことや、副官のウェーバー中尉の暴挙に際して怒鳴りつけたことが証明していると思う。また司令官暗殺について個人的な存念を言わせてもらうなら、謀議などというものはなかったと思う。クレメント少佐にしてもウェーバー中尉にしても独断によるものであったはずだ。だが、司令官暗殺という非常事態で司令部が浮き足立っていたところ、クレメント少佐の司令官命令偽造で地上戦突入すべきという発言に、司令部全体が流されてしまったのは否定できない。ゆえに命令偽造による民間人虐殺の責任を私は少なからず負わなくてはならないのだろう。

 ただ民間人虐殺について語るのでならば、ブルヴィッツ軍は民兵を活用していたため、民間人と民兵の区別をつけがたく、指揮官が部隊保全のために民兵と間違えて民間人を巻き込んでしまったという面があり、虐殺される側にも非があったことは付け加えておきたい。

 また偽装報告の容疑に関しては、私は清廉潔白であると断言できる。私は幾度となく、参謀長並びに司令部幕僚に真実を報告するよう進言したが受け入れられなかったのだ。それを証明する証拠記録も大量にあるだろう。また、事実を隠蔽し続ける司令部多数派にいくら言っても無駄だと悟り、少数派幕僚と実戦部隊の協力の下にクーデターを起こして司令部要員を拘禁し、私の名において真実の報告をしたのも記録に残っているはずである。

 次に──」

 

 しかもクムたちが司令部を乗っ取った後、現地住民に頭を下げて軍の横暴を謝罪してまわり、民間人の慰撫に尽力した結果、彼らからの信頼を勝ち取って大量の助命嘆願が届けられたのである。もしも重い罰をクムに与えた場合、ブルヴィッツの帝国への不信と敵意がさらに高まるおそれがあり、彼の主張におかしいところもなかったので、司令官の死を偽装したという容疑のみ有罪となり、降格と罰金だけで済まされたのである。

 

 そういったエピソードをヴィンクラーは知っていたので、自分の幕僚として配属されたこの問題だらけの参謀を当初こそ好んでいなかったが、重度の前線症候群患者でありながら四〇代になるまで生き抜いてきたクム少佐の戦術眼はとても鋭く、今では深く信頼するようになっていた。

 

 クムの分析は至極もっともであると思えたので、ヴィンクラーは納得して上位司令部の命令に従って撤退命令を指揮下の部隊に通達した。だが、一八日に皇帝ラインハルトが停戦と交渉をヤン・ウェンリーに申し入れたという情報が軍内に流れると、にわかに将兵が殺気立った。今回の戦いで上官を失い、復讐の意志に燃えている旧ファーレンハイト、旧シュタインメッツの部下たちは感情を持て余しつつあった。

 

「いかに皇帝の御意とはいえ、万一停戦交渉がまとまったら、暴れ足りない者たちが暴動を起こしかねません。その危険性を説き、ヤン・ウェンリーとの会談をとりやめてもらうよう一致団結して進言すべきではないか」

 

 同僚である分艦隊幕僚の一人がそう言ったが、あまりにも眼光を烱々とさせていたので、“暴れ足りない者たち”の中に発言者も含まれているようにクムは感じられた。彼らの上官もそう思ったらしい。

 

「しかし大本営より、交渉がそのまま妥協を意味するとは限らないから再戦の準備を怠るなと通告がきている。それに先ほどの艦隊将官会議の席上でビッテンフェルト提督が、共和主義者どもとの交渉など決裂するに決まっている。だが、だとしても共和主義者との会談を陛下の所望されるのであれば、臣下としては諸事自重するしかあるまい、とまで言っている以上、言い募ったところで意味はないだろう」

「あのビッテンフェルト提督がですか……なら、しかたありませんな」

 

 不満を言い募っていた幕僚もそう言って引き下がった、ヴィンクラーは疲れたように指揮席に座りなおし、信頼するクム参謀を手招きした。

 

「この調子で和平などということになれば、一部の将兵が不服と叫び、皇帝陛下に対し奉り、恐れ多くも感情に溺れて弓を引きかねんぞ」

 

 ヴィンクラーの憂いに満ちたつぶやきにクム少佐は頷いて同意したが、上官と同じ気分にはなれなかった。むしろ帝国軍相撃もおもしろそうではないか。リップシュタット戦役でも経験したことではあるが、彼が所属した貴族連合軍でも経験したが、あまりにも上層部が酷すぎて早々に保身に専念しなくてはならなかったので、内戦をいまいち楽しめてなかったのだ。その無念を晴らす場として、どちらかというと暴動が起こってくれと思っていた。

 

 だが、帝国軍同士の戦闘が発生してそれに参加できるのは楽しみではあるが、自分たちがどちらの側につくことになるかという点をクムは考慮せざるをえなかった。万一、自分たちの側が皇帝に弓引く側となり、その後処分を受ける立場にたたされるなんてことになっては、たまったものではない。幸い自分たちの艦隊司令官たるビッテンフェルトは皇帝ラインハルトの熱烈な崇拝者であるから、内心はどうあれ勅命に従うだろう。

 

 上層部は心配ないとなると、戦死したシュタインメッツ提督の敵討ちを叫んでいるこの分艦隊だけどうにかすればよい。司令官のヴィンクラーは信頼してもよいと思うが、幕僚たちの意見に押し切られれば無謀なことをやらかさないとも限らない。そうであるならば、抑えるべきは復讐論を叫ぶ同僚参謀たちか。保安部の連中を取り込めれば、勅命を大義名分に幕僚を拘束することもできる。だが、それはあくまで最終手段だ。そのための準備と並行しつつ、復讐の感情を和らげる努力をする。これが最善だろう。際限がない闘争心と保身の感情をせめぎあわせながら、クム少佐は明晰な頭脳で冷徹な計算をしながら今後に想いを馳せた。

 

 その頃、ヤン・ウェンリーたちは皇帝ラインハルトからの会談申し入れを検討できるような状況ではなかった。なんとなれば、文字どおり不眠不休で戦闘を継続していたからであり、軍高官で元気だったのは要塞で留守番をしていたシェーンコップ中将くらいなものであったからで、皇帝の提案を検討できるような体力が幹部に残っていなかったので、ともかくも睡眠と休息を必要としたからである。

 

 そのため、皇帝の会談の提案に対する討議が軍上層部で開かれたのは二〇日の午後を回った頃であった。とはいえ、もとより皇帝を交渉のテーブルに引きずり込むことを目的としていたし、現実的に考えても自軍の損耗率が四〇%を超えている状態で帝国軍と再戦など自殺行為以外の何物でもなかったため、基本的に受諾する方向で議論がすすみ、提案受諾の意図はその日のうちに帝国軍に通達された。

 

 ここですんなりと会談という運びになればよかったのだが、いかに実用本位重視なローエングラム王朝といえども、対立勢力の首脳部との公式会談となると相応の格式で出迎える準備をしなくてはならず、またヤン・ウェンリーとしてもあくまでエル・ファシルの軍最高司令官に過ぎないため、政治的交渉となると決定権を持つのはロムスキー率いる独立政府首脳部であり、彼らとの意思疎通を図る必要があるので、会談日は六月初頭とのみ決められた。

 

 そのため、なんとなく、イゼルローンは休日のような様相となった。もちろん、交渉決裂となれば絶望的な状況で帝国と再戦するのであるから、軍高官は軍の再編成や要塞の防御力向上の作業で忙しくしていた。だが、そうでない士官や下士官兵らは先行きに大いなる不安と期待がある中での、唐突に訪れた平穏な時間をどのようにして過ごしたものかと戸惑っていた。

 

「……どうして提督は僕を連れていってくださらないんだろうか」

 

 革命予備軍後方勤務部長キャゼルヌ中将の手伝いをしながら、ユリアンはつい内心の思いを呟いた。現在、ヤンの妻であり副官でもあるフレデリカ・グリーンヒル・ヤン少佐はインフルエンザに感染していて同行できるような状態ではない。だから、代わりに自分が同行するのはごく当然の成り行きと無意識下で考えていたのである。だが、ヤンはキャゼルヌの激務を補佐してやってほしいと残留を命じたのであった。

 

 別に会談に同行するメンバーに嫉妬しているわけではない。ただ可能な限りヤン提督のお側にあって力になりたいという、子どもらしい感情を抑えるのに苦労しているだけである。キャゼルヌの仕事量の膨大さは承知しているから、それを助けてやってほしいというヤン提督のお考えも十分に理解できるものではあるが、それでも内心の複雑な思いはなかなか消えないのであった。

 

 広報勤務ぶんの仕事もひと段落ついて休憩の時間となり、ユリアンはヤンのとこへいこうとしたが、生憎独立政府の交渉団と会議中であるとのことだったので、植物園で一休みすることにした。植物園では将兵たちがあちこちで集まり、皇帝との交渉がどうなるかという話題で盛り上がっていた。彼らは交渉になんら影響を及ぼせる立場ではなかったが、その結果が自分たちの運命に直結しているとなると、たくましい想像の翼をひろげているようであった。

 

「皇帝を交渉の席に引きずり出した? それがなんだってんだ。帝国を宗主国と仰ぎ、その保護国となるだけではないのか。それでは自由惑星同盟となんら変わるところがなくなってしまうぞ」

「気持ちはわかるがな。正直いって現状で専制主義に対抗し続けるなど無謀だ。内政自治権を勝ち取ってひとまずは良しとして、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)するしかないだろう」

「臥薪嘗胆ね。だがそれで未来をつかめるのか」

「未来だと?」

「エル・ファシル独立革命は、帝国の保護国に成り下がった同盟と決別し、民主的な自主独立を果たすためのもの。その根本が揺らげば、なんのために革命を起こしたのかがわからなくなるだろうが」

「……それは、そのとおりだが」

「ひとつ断言しておくがな。独立政府の連中が必要以上に妥協し、帝国の旗の下で暮らさなきゃならん羽目になったら、同志を結集して革命の裏切り者どもを血祭りにあげてくれるぞ。独立を蔑ろにするくらいなら、たとえ勝算のない戦いで帝国軍相手に玉砕することになろうとも、武力によって民主主義の精神を屈服させることは叶わなかったと後世に示した方がまだいくらかマシだ!」

 

 近くにいた二人の青年将校の口論が耳に入り、ユリアンは頭に血がのぼるのを感じた。妥協するより玉砕するほうがマシだって? 玉砕なんて所詮自己満足に過ぎないと苦労に苦労を重ねている養父のことを知っているだけに、許せない発言だった。

 

「それはどういう意味だ」

「ああ?」

「答えろ。民主主義の体制を後世に残すことより、何も残らない玉砕のほうがマシだとはどういう意味だ」

 

 年齢も階級も自分より下の士官から険しく睨み付けられながらそう追及され、玉砕を主張していた青年将校は一瞬あっけにとられたようであったが、すぐに反感が込み上げてきて言い返した。

 

「どういう意味かだと? 言葉通りの意味さ。ここにいるのは全員、神聖にして不可侵なる皇帝陛下の臣民になることを嫌がって集まった人たちなのだから、当然だろうが」

「なにが当然なんだ。ここにいるのは民主主義が過去の遺産と化していくのを拒絶して集まった人たちだ。玉砕なんて望んでいない」

「なんだと、この――」

「おい、もうよすんだディッケル少佐。相手はミンツ中尉だ。敬愛する元帥閣下の養子だぞ」

「なに?」

 

 ユリアンの素性に気づいたもう一人の青年将校が、ディッケル少佐に冷水を浴びせるつもりでそう言った。ヤン・ウェンリーの養子とことを構えるなんて冗談ではないという保身の感情からきた忠告の言葉であったが、その忠告は負の方向に作用してしまい、少佐の癪にさわった。

 

「こいつがヤン・ウェンリー元帥閣下の養子だからなんだってんだ。親は親! 子は子! 民主主義ならごく当然の常識だろうが」

 

 ディッケル少佐はそう喝破して忠告した青年将校を黙らせると、きつい目つきでユリアンに向き直る。

 

「おまえもおまえだミンツ中尉。ああ、そうさ。ここにいるのはバーラトの和約で自由惑星同盟が実質的に銀河帝国の支配下になったことを拒絶し、僅かなりとも同盟の遺産を後世に伝えようとする者たちの集まりだ。俺だって玉砕を望んでいるわけではないが、結局同盟と同じように帝国の保護国に独立政府が成り下がるくらいなら、そうしたほうがマシだと言っているだけだ。そのなにが批判に値するというのだ」

「内政自治権を獲得できれば、形式的に帝国の支配下になっても民主主義の実質は守られるだろう」

「自治権だと! 自治権さえあれば帝国支配の(くびき)から自由になれるとでも言いたいのか。フェザーンの自治権を剥奪し、弁務官とかいうのを置いて同盟の内政権を形骸化した前例持ちの帝国に対して、中尉はずいぶんと夢見がちなのだな。名実ともに独立した国家なくして民主主義の存続を守るなど無謀に過ぎる。そのあたり、自由独立党の連中は認識が甘過ぎるのだ。ロムスキー主席らが暴挙を起こさぬよう、救国戦線の先生たちが掣肘してくれることを祈るしかないが……」

 

 なるほど、彼らは救国戦線の支持者なのか……。ユリアンは暗澹たる気分になると同時に納得した。

 

 現在、エル・ファシル革命予備軍には三つの派閥が存在している。ひとつは説明するまでもなく、ユリアンを含む元同盟軍第一三艦隊をルーツとするヤン一党であり、理念以上にヤン個人を慕って民主革命に協力している。諍いや喧嘩はよくあるが、亀裂とか断絶とかは無縁の団結力を誇っていて、無条件の信頼に値する仲間たちである。

 

 ふたつめは民主主義の理念に拘りがあるタイプで、エル・ファシル独立革命に主導的役割を果たしたロムスキー政府主席率いる自由独立党の党員とその支持者たちで、エル・ファシル独立政府の主流派であるが軍内においては絶対的少数派だ。

 

 このふたつは問題ない。後者にはやや不安を感じないでもないが、自由独立党の掲げている理念は「同盟憲章秩序再建。民主主義体制存続」であり、ヤン提督の「皇帝に内政自治権を認めさせ、一星系内でもいいから民主主義体制を存続させ、将来の復活に期待する」というヤン提督の政治戦略とも一致するし、皇帝の専制権力と妥協することにやや思うところがあったらしいがロムスキー主席もその方針を肯定している。

 

 問題はみっつめの派閥。救国戦線とその支持者たち。ここの暴挙を警戒する必要がある。自由独立党と異なり、同盟時代からエル・ファシルに存在した地方政党ではなく、エル・ファシルの独立に軍事面から貢献した者たちをルーツとしている。独立後に彼らは独立政府のポストを要求したが、「文民統制は民主主義の原則であり、軍人は軍務にのみ精励すべきであって、政治参加を望むなら軍服を脱ぐべきでしょう」とロムスキーに紳士的に諭されて、彼らの代弁者たちが結党した政党である。

 

 救国戦線は「反専制主義。主権と独立。祖国救済。再革命」を党是としていることからわかるように、対帝国強硬派であり、“愛国的グループ”である。党首を務めているのが救国軍事会議に加担して収監された経歴の持ち主であることを筆頭に、旧同盟の主戦派政治勢力の者たちによって構成されていて、ヤン一党が合流するまでの革命予備軍の人員の大半がここの支持者であった。エル・ファシルの革命に参加しているのも、現状最強の反帝国勢力であるからだとか、同盟社会の残滓を感じられるとかの理由であって、民主主義の理念をそれほど重んじてはいない。

 

 当然、反骨者が多いヤン一党の者たちは救国戦線派に好ましい感情をいだいてはいないが、民主主義の原則からいって政治思想を理由として排撃することなどできるわけがないし(なにより革命家ロムスキーがそれを認めない)、少なくとも革命予備軍内の支持者たちは規律訓練された優秀な軍人で貴重であったし、ヤン元帥の統帥権を承認して指揮系統に従っているとなると、純軍事的に考えただけでも排除するのは下策である。だが、自称他称問わず愛国者によって辛酸を舐めてきたヤン一党としては、警戒せざるをえない勢力であった。

 

 ユリアンはふと思った。イゼルローン残留を命じられたのは、交渉中に救国戦線派が軽挙妄動しないかとヤン提督が漠然とした不安を感じているからではないだろうか。もしかしたらより直接的に要塞内部の治安に責任を持つキャゼルヌやシェーンコップにはより詳細な懸念を告げているのかもしれない。そして自分にそれを説明しないのは、軍司令官がそんなことを考えるのは少々越権行為であるという自覚があり、問題に発展しないよう知っている人間は最小限でいいと配慮しているからではないだろうか。

 

 そういうふうにユリアンは推測した。だが、その推測があたっていたかどうかは分からずじまいとなった。戦後まで生き延びて証言できた者が少ないというのもあるが、そんなことはどうでもいい()()()であると思えるほどの精神的衝撃がイゼルローン要塞を襲い、その直前の細やかな事情を忘却してしまう事例が多数発生したからである。

 




本人にとってはまったく嬉しくなかったろうけど、ヤンは愛国主戦派勢力からも人気あったと思う
少なくともアムリッツァ以降は憂国騎士団から襲われないし、本部からは「愛国の名将を讃える」というメッセージが届くし、救国軍事会議の面々もヤンに対して「彼なら同志になるだろうさ!」ムーブしてるし、敵対してもやけに敬意払ってるしで、「不敗の魔術師」という虚像ゆえのことだろうけど、色々とやばい。
そりゃあ、原作でトリューニヒトもレベロもヤンを警戒するわけですよ。彼が選挙に出馬決意しただけで自分の支持層を食い荒らされて、速攻で政権が吹っ飛ぶ可能性が極めて高いんですから。

さて、次話は別視点で原作のトラウマに挑んでみようと思う。

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