リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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フェザーン事情

 四月一〇日。おそらくこんなものが自分の手元に送られてきた遠因は、遠征に先立って皇帝ラインハルトがブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ工部尚書にフェザーンの内政に関する広範な権限を与えことにあるのだろう。フェザーンにおける秘密組織の活動を統括するベルンハルトは自分宛の手紙を読みながら、漠然とそう思った。

 

 元々将来の遷都を見越して皇帝ラインハルトはシルヴァーベルヒを帝国首都建設長官に任じていた。新帝国歴一年八月にフェザーンへの大本営移転と近い将来の遷都がおおやけに発表されたからには、帝国首都建設本部にその使命を遂行させるために必要な措置ではあった。しかしこれのために、フェザーンは現在二重行政に陥っている。フェザーンの統治機構として、既に元帝国駐在弁務官ニコラス・ボルテックを長とするフェザーン代理総督府が存在したからである。

 

 旧帝国暦四八九年末の時点では、ボルテックに“銀河帝国の一部としてのフェザーン統治権”を与えることは、それほど問題のあることではなく、むしろ帝国の政略の上からいって望ましいとすら考えられていたのだ。当時既にラインハルトはフェザーンを帝国政府の直接統治下におく構想をいだいてはいたが、いきなり直接統治なんてすると独立不覊の精神旺盛なフェザーン市民の反感を買うことは必定であることも理解していた。だからこそ、ボルテックを代理総督としてフェザーンを任せ、しばらくは間接統治で様子を見ようとした。そしてもしボルテックに帝国支配に対する不平派をおさえる力量がないようなのであれば、彼はフェザーンの統治権を守るため独立派のみならず不平派の弾圧にも狂奔するしかない。するとフェザーン市民の憎悪と反感はボルテックのほうに集中せざるを得ないし、頃合いをみて暴政からの解放と称して帝国軍を大規模進駐させてボルテックを処罰すれば、フェザーン市民の大半が帝国による直接統治を歓迎することであろう。

 

 そうした思惑で帝国はボルテックにフェザーンを任せたわけなのだが、結果論からいえばこれが誤算だった。そのフェザーン市民に被占領者感情を薄れさせる、もしくはボルテック代理総督が無能ゆえに不平派の怒りを買う時間もないうちに、同盟駐在帝国弁務官レンネンカンプの独断暴発を切欠として同盟政府が極度の混乱状態に陥り、統治能力を霧散させてしまうなど予想外もいいところで、急変した銀河情勢から帝国は早急に自由惑星同盟を征服して併合してしまわなければならなくなったのだ。そしてその点から考えると、旧帝国領であるオリオン腕と同盟領であるサジタリウス腕のちょうど中間に位置するフェザーンの重要性は飛躍的に高まり、フェザーン市民の反帝国感情の成り行きをのんびりと見守っているわけにもいかなくなったのである。ゆえに時期尚早と理解しつつも、皇帝ラインハルトはこのタインミングで遷都を決断したわけであった。

 

 当然、ボルテックからすればおもしろくないどころの騒ぎではない。完全に帝国側のみの事情で、自分のフェザーン統治権が奪われそうになっているなど冗談ではなかった。ボルテックは帝国政府に代理総督府のフェザーン統治権を侵害しないよう主張した。その際、特に強調したのが、自分の代理総督の地位は皇帝ラインハルトから直接賜ったものだということであり、そして帝国支配に不満を抱く不平派を抑えているのは自分であること。ゆえに統治権侵害は、皇帝の威光を損ねるばかりではなく、フェザーン市民の被占領者感情、反帝国感情を増大せしめることになるだけで、百害あって一理なし。フェザーンの立地的条件から考えると妥当なので遷都方針そのものには反対はしないが、中央政府の統治権は宮廷及び官庁街に限定されるべきで、他はすべて変わらず代理総督府が管轄すべきなのである。

 

 ボルテックの主張は正論ではあったに違いないが、帝国政府からするとそんなことに斟酌(しんしゃく)している余裕はなかった。人類社会統一の機運が急速に高まっている時代的情勢が、フェザーンの帝国首都化を切実に要求しているのである。人類社会を統治する銀河の第二王朝として、十全に役目を果たすための強固な土台を築くという歴史的使命の前には、多少強引であってもやらねばならないのであった。皇帝からの勅任官であることを考慮し、ボルテックが解任されることはなかったし代理総督府もそのまま存続したが、軍務尚書オーベルシュタインが謀略をもって代理総督府への公然としない攻撃を開始し、代理総督府が混乱して業務が停滞している隙をついてシルヴァーベルヒがまんまとフェザーン中枢行政区画の実質的統治権を掌中におさめたのである。

 

 これについて工部省は代理総督府が職務過剰になって業務が滞りがちだったための処置であり、内閣の許諾も得ていると説明した。七割方のフェザーン市民はやや怪しく思いつつも工部省発表を受け入れたが、最初から帝国に反発しかない不平派は偏見を持って真実を言い当てていたし、政治的嗅覚の鋭いものたちも真相を推測できていたが、逆に言えばそれくらいではないと深刻な違和感や反発を抱けないほど華麗極まる陰謀劇であった。当事者であるニコラス・ボルテック代理総督としては、なんとか反撃して工部省から奪われた統治権を取り戻したいところであったが、工部省の権限の強大さとその長たるシルヴァーベルヒのつけ入る隙のなさのために手詰まりに陥っており、最近は味方集めに奔走しているという。

 

 そのための方策のひとつが、代理総督府主催のコルネリアス・ルッツ上級大将のフェザーン方面軍司令官就任ならびにアウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将の出征を記念して、フェザーン各地の名士を招いて歓送迎会を執り行うということなのだろう。ベルンハルトが手に持っているのはその歓送迎会の招待状を執務机に置いて、嘆息した。

 

 おそらくはオーベルシュタインを嫌っている軍高官を味方につけて対抗しようとしいう思惑によるものなのであろうが、フェザーン遷都ひいては直接統治は皇帝ラインハルトの意向によるものである。たとえルッツとワーレン両提督と接触し、彼らの好意を勝ち取れたとしても、主君の意向に反する代理総督府の権利を回復するために協力するとは思えず、熱意が空回りしているように感じられた。

 

「やはりそう思うかね」

 

 そうした見解を語ってみせたところ、組合長はやはりそうかというふうな反応をした。ベルンハルトは上層部に秘密組織の構成員をフェザーンに増やす使命を帯びており、秘密組織の構成員を潜り込ませるにしても、現地で新たにスカウトするにしても、表立った地位が必要であった。そこで彼は一年ほど前から独立商人や中小の運送会社に仕事を斡旋し、その仲介料によって利益を得ているケルアン星間輸送組合のひとつであるケルアン組合の組合に就職し、運営委員会委員と情報分析室指導顧問の役職を兼任して組合内で確固たる地位を築いていた。

 

 両職とも高位の役職であり、経験と実績ある古参組合員でなければ普通はなれない地位なのであるが、ベルンハルトが星間輸送組合員になることを望んでいると知ると組合のほうからこの役職を提示した。というのも、ベルンハルトが非常に得難い人材であり、組合が直面している危機もあって、なんとしても掴み取らなくてはいけないと考えられたからだ。

 

 そもそもベルンハルトはフェザーンでかなりの知名度を持っていたフリーランスの帝国通ジャーナリストだったからである。彼が秘密組織の前身であるゲオルグの情報網の一端を担うようになったのも、彼が帝国に取材出張した時に情報源として魅力的だと思ったからであった。ゲオルグも保身があるためさほど重要な情報をあたえたりはしなかったが、得た情報同士を関連づけて真贋を見抜くベルンハルトの情報解析能力は非凡なものであり、それらを編集して読者にわかりすい文章を構築する才能に恵まれていた。そのため、ベルンハルトが新聞や雑誌に寄稿した記事は、切り込みが鋭く、説得力があり、かつわかりやすいと読者から評判だった。ベルンハルトに情報分析室指導顧問の地位を与え、組合長がこうして相談に来ているのもまさにその知名度と実績ゆえである。

 

「でも歓送迎会をひらいてフェザーン中の名士を集める、というのは良いことではあると思いすし、代理総督と直接意思疎通をはかれる場であるというだけで、かなりの価値があると思われます」

「言われてみればたしかに。ではボルテックの主目的はそちらか。両提督と誼を通じるのはあわよくば、というわけか」

「おそらく」

 

 組合長は何度か頷いた後、あたりを警戒する表情を浮かべ、小声で問いかけた。

 

「ボルテックのやつと接触しているところを内国安全保障局に一網打尽にされる、ということはあるまいな」

 

 現在、フェザーン市民は立場の違いで二分、いや、三分されている。親帝国派、不平派、独立派、この三派閥に。良心的報道姿勢で知られるあるメディア会社の調べによると、現在の勢力図は、親帝国派五五、不平派三九、独立派六、といったところであるらしい。

 

 親帝国派は帝国支配肯定派であり、激変する環境の中で活躍して成り上がろうとする者たちだ。不平派はフェザーンが帝国領になることはともかく、帝国人に直接支配されたくないといった代理総督府の主な支持層。独立派は帝国を追い出して自治領を復活させようとしていて、中には反帝国テロを行う過激派も内包している。帝国政府・代理総督府両者にとって独立派は弾圧対象であるのだが、一部の不平派が情緒的に独立派の活動を支援している例が少なくなく、そのため帝国政府は独立派検挙に応じて不平派も切り崩そうとしており、代理総督府は口封じのために独立派弾圧に躍起になっていて、両府に協力関係が生じることはまずない。

 

 なぜこんなことになったかというと、少し長くなるのだが、もともとは帝国軍のフェザーン占領によって、多くのフェザーン企業が大損害を被ったことにある。特に同盟側の会社を中心に大きな取引をしていた企業は破滅的損害を被っていた。もはや敵国である同盟領への民間の通行を禁止したため、対同盟貿易が完全に停止され、フェザーンのあちこちで納品できずに積み上がった大量の商品が眠る倉庫や部品が輸入できずに停止状態の工場などが現れて、企業は大赤字を余儀なくされたのである。バーラトの和約発効後、同盟側への通行が民間にも許可されたが、肝心の取引先の企業が戦争の混乱の中で社員が散り散りになって崩壊しているという嘆かわしい状況に陥っていたので、少なくないフェザーン企業が途方に暮れた。

 

 元凶である帝国政府はというと自国の軍事行動の間接的被害であるとしてフェザーン企業ごとに損害額に応じた戦災支援金を出したが、とても損害を補填できるような金額ではない微々たるものであった。とてもその経済的打撃から立ち直れず、同盟との関係が深かったフェザーン企業は立て続けに倒産していった。それとは対照的に戦争中も取引が行われたためにたいした損失を出さなかった帝国とのみ関係が深いフェザーン企業が躍進したわけであるが、これも昨今、揺らぎつつあるのだった。

 

 名実ともに人類社会の統治機構であることを望む帝国政府の立場からすると、フェザーン企業が宇宙全体の経済を牽引する存在であり続けられると困るのだ。過去の自由惑星同盟とゴールデンバウム王朝がそうだったように、フェザーンの経済力による介入で政治が振り回されたという、近代の悪例からローエングラム王朝は学んで対策を施さなくてはならない。別に帝国政府が人類社会全体の経済活動を統制しようというわけではないが、経済的主導権は帝国が握っておいたほうが健全な政治を行いやすかろう。

 

 そういった考えのもと帝国工部省は国営同業者組合に大規模な資本投下を行い、そのサービス向上に尽力した。結果、フェザーンの独立商人や中小企業はフェザーン古来の私営同業者組合より帝国の同業者組合で仕事を受注するようになっていった。ひとつには帝国軍の侵攻を読めなかった無能な私営同業者組合のために大損をこいて反感を持った者が多数いたこと、帝国の支配圏拡張に伴い国営同業者組合のほうが多種多様な仕事を仲介してくれるためでもあった。とりわけ豪商の横暴に泣いていた中小企業や既存秩序への反発心旺盛な若い世代が、帝国国営同業者組合の有能さもあいまって多大な利益をあげられたので続々と帝国の支持者へと変貌していき、工部省もそれを察して意図的な優遇政策をとってフェザーンの経済活動を吸収する形で帝国の経済界との一体化をはかっていた。

 

 いうまでもなく、この政策のいちばんの被害者はフェザーンの伝統ある私営同業者組合である。中小企業や独立商人の目には遥かに優秀な帝国国営同業者組合と無能ないくつかの私営同業者組合というふうに認識されてしまい、顧客を大量に奪われてしまったのである。ベルンハルトが就職したケルアン組合も似たようなもので、伝統と信頼ゆえに変わらず取引をしてくれる企業も少なくないとはいえ、このままでは組合存続の危機であるという程度には追い込まれていた。だからこそ知名度があるとはいえ、新参者に過ぎないベルンハルトがあっさり運営委員兼情報分析室顧問になれたわけである。

 

 こんな状況であるわけだから、ケルアン組合をはじめとした同業者組合は自分たちの顧客を奪う帝国の政策に反発し、とても複雑な心境ながら売国奴であるボルテックの代理総督府を会社と生活のために支持しており、生き残った豪商たちにしても新規勢力の参入で市場を荒らされるのは困るので同じく代理総督支持という状況にある。当然、帝国からすると、まったくもって好ましくない事態であるので、工部省を筆頭に帝国政府の省庁が、代理総督府の支持層を切り崩さんとさまざまな工作を展開している。その中で特に派手に活動しているのが内国安全保障局であり、彼らはフェザーン独立派と不平派企業にある程度関係がある証拠を発見すると、それを盾にして連座で捜査対象にして拘束したりするのである。それを組合長は警戒しているのだろう。

 

「……可能性がないとは言いませんが、建前がワーレン・ルッツ両上級大将への祝辞なわけですから、とても低いかと」

「そうか、なら、行くべきだな。行政の都合でこれ以上市場を荒らされてはたまらん」

 

 こうしてケルアン組合の重要人物たちは代理総督府主催の歓送迎会の誘いを受けることにした。

 

 歓送迎会は四月一二日の一九時三〇分から高級ホテルを丸ごと借りて開催された。主賓のうち一人、アウグスト・ザムエル・ワーレンの左腕の義手の調子が悪いため、調整のため遅れるということを聞いて、ボルテックが堅苦しい祝いの言葉はご両者が揃ってからにしようと述べ、少々しまらないが流れのままに立食会という感じになった。

 

 参加者の中にオーベルシュタイン軍務尚書や帝国化の時流にのって大儲けした成り上がり大富豪たちといった不平派にとっての敵も確認し、ベルンハルトはボルテックの厚顔さを過小評価していたのだと思い知らされた。なるほど、こういった政敵も公然と招いておけば、本当に両提督を祝うためにフェザーン中の名士を集めただけであって、不平派のみが結集してよからぬ反帝国的謀議にふけるつもりはないという証拠にしようとしているのだろう。

 

 オーベルシュタインがホテル内のロビーで幾人かの軍人で会話しているのを中庭からガラス越しに遠目で確認すると、今度はシルヴァーベルヒが中庭の真ん中を挟んで自分の反対方向で不平派の豪商数名と会話しているのをベルンハルトは確認し、彼らの近くのテーブルの食事をとりにいくようにみせかけた自然な仕草で接近し、会話を聞き取ろうと側耳をたてた。

 

「いやはや、工部尚書閣下の辣腕はたいしたものです。すでに帝国首都化として一部の工事もすでに実施されつつあるというではありませんか。なんとも素早いことです」

「これではこのフェザーンを新帝都に改造するのも一、二年ですませてしまうのでは? さすがに皇帝陛下がお住まいになられる広大な宮廷は、すでにあった都市を改造するのではなくゼロから建設していかなくてはならないわけですから一〇年、いや閣下なら五年で完成させてしまうかもしれませぬな」

「工部尚書閣下が皇帝の御意に迅速にこたえようとしているがゆえに行動力のある若者たちを重用しておられるのでしょうが、それでもちょっと行き過ぎですよ。もう少し、私たちのような歴史ある企業に仕事を任せてもらえないものですかな。……ぶっちゃけますと、最近本当に経営がきついんですよ」

 

 豪商たちの洗練された作法、失礼にならない程度の口調と音量で、いじましい苦情と不満を告げる豪商たち、それに対して、

 

「そうですか、いや、それならありがたい! あまりにも壮大な規模の帝国首都化計画なので、まだまだ人手が欲しくてたまらない状況なんですよ。皆様が私ども工部省の事業に参画してくれるなら、工部省としてはとても嬉しい。もちろん、心配しなくても報酬ははずみますよ? 陛下はたいへん太っ腹な方で、旧王朝時代だとちょっと考えられないほど潤沢な予算を私にあたえてくださりましたからな」

 

 と、シルヴァーベルヒが豪快に微笑みながら提案する。逆撃を受けて豪商たちがいやはや手厳しいですなと苦笑しながらかえしていた。どうやら帝国側もこの歓送迎会を不平派を取り込む説得の場として活用しようとしているようだ。事実、話を聞いた豪商の何人かが一瞬表情を取り繕えていなかった。

 

 もとより、自治領時代からのフェザーンの有力者たちにとっては財界における自分の立ち位置が揺らいできたことから団結しているだけであって、それが許されるなら利己的に自分だけ新体制へと抜け駆けすることもありうる。それはなにも不平派に限らず、親帝国派も同じだ。自分たちに利益がある仕事をやらせてくれる環境を整えてくれるから帝国を支持しているだけであって、帝国がそのための努力を怠るようなのであればあっさりと不平派や独立派に鞍替えすることだろう。同盟人や帝国人と違い、商業主義が色濃い国で育ったフェザーン人は基本的に自分が所属する地域や組織への愛着が薄く、よりやりがいのある仕事がしやすいほうへと流れやすい。

 

 そのあたりの国民性を利用して、売国奴の代理総督は支持を集めようと涙ぐましい努力しているのであろうが、ベルンハルトのみるところ、形勢を逆転するのは容易なことではないだろう。それこそ、帝国自身が大きくフェザーン人の反感を買う失態でもしない限りは……。そう思いつつ、シルヴァーベルヒがどのような文句で不平派豪商を惑わすのかと興味を抱き、それを肴にしてベルンハルトは手に持ったワイングラスを口元に運んだ。

 

「盗み聞きとは感心しませんな」

 

 唐突に声をかけられ、ベルンハルトは驚いてワインを気管に逆流させてしまってむせた。ゲホゲホと咳き込んで息をととのえ、声をかけてきた人物の方を向いた。自信に裏打ちされたようなふてぶてしい面構えをした白髪の青年軍人で、階級は准将。軍務勤務であることを示すワッペンもある。その情報だけで目の前の人物がだれであるか見当がついた。

 

「これはこれはフェルナー准将ですかな? 軍務尚書閣下の腹心ともあろうお方が私ごときに声をかけてくださるとは大変恐縮でありますが、もう少し話しかけるタイミングを考えてもらえませんかな」

「それは失礼。しかし自己紹介をするまでもなくベルンハルト殿は私がだれかわかりましたか」

「ご冗談を。軍務省官房長を務めるあなたの顔がわからないわけがないじゃないですか」

 

 アントン・フェルナー准将は軍務省官房長と調査局長を兼任しており、不平派の間では彼もまた調査局を使って明確な反帝国活動を行なっている独立派の情報を熱心に収集しており、上司のオーベルシュタインを通じて憲兵隊や内国安全保障局を動かしていると専らの噂だった。内国安全保障局ほど目立ってはいないが、彼もまた不平派のフェザーンの自立性強化の動きを警戒し、阻止しようとしている中心人物の一人であると目されている。

 

「私としては、准将閣下が私の名前を知っていたという方が驚きですがね」

「謙遜ですか。あなたの名前は旧王朝の頃の帝国上層部ではそれなりに有名でしたよ。いったいどのようにして情報統制の網の目を抜けて、スキャンダルを掴んで記事にしているのかとね。調査局の一員として情報収集任務にかかわることも多い私としても大いに気になります。その手法を教えてもらえませんか」

「構いませんが、聞いたところでたいして参考になるとは思いませんよ? “口軽ければ耳が遠くなる”という(ことわざ)がありますように、帝国の当局が情報源が特定できないように注意しながら記事にしていただけです。その信頼と実績だけで、常日頃は言論統制のために言いたいことも言えず、鬱憤を中に溜め込んでいた高官どもは口を軽くしてくれたのです。言葉にするのは簡単ですが、難しいどころではないですよ」

「あなたの注意力とコミュニケーション能力の賜物である、と。そのわりには、先ほどのように工部尚書の会話を盗み聞きしていたようですが」

「お恥ずかしいですが、帝国専門ジャーナリストの職業病みたいなものです。背景に紛れてお偉方の会話を盗み聞くという手法も使ってましたからね。ですが、これはちょっと危険がありすぎるので多用はしませんでしたよ。変装とかもしなくていけなくて一々手間ですし、多用しすぎて社会秩序維持局に目をつけられて行方不明になった知り合いの同業者を何人か見たので」

 

 帰らぬ人となった幾人かのジャーナリストの顔を脳裏に浮かべつつ、ベルンハルトは微笑みを浮かべた。

 

「なるほど。しかしそれほど取材力があって、力のある書き手のあるジャーナリストが落ち目のケルマン組合に就職したとは驚きだ。どうしてフリーランスをやめようと?」

「現皇帝陛下のおかげですよ。開明改革で実施された規制や統制の大幅緩和で、おおがかりな秘密のヴェールの内部にメスを入れて記事にする私のような人種には少々やりづらくなりまして。要は物書きだけで生活をやりくりするのが難しくなったのですよ」

「だからといって、ケルマン組合でなくてもいいでしょう。あなたならもっと良い職場に就職できたでしょうに」

「……」

 

 ベルンハルトは無言で目を細めた。突っ込んだ話をずけずけとしてくるので、疑念を抑えられなくなりつつあったのだ。フェルナーは話しかけてきた時と変わらない涼しげな顔のまま平然としているが油断はできない。ただの好奇心、興味から問いかけてきているというのなら、かまわない。だが、なにか疑念があって自分を探りにきているのだとしたら?

 

 探りにきているとして、いったいどういう疑惑で探りにきているのか。自分が秘密組織のフェザーン地域担当の責任者として、不平派拡大工作の指揮をとっていることについて? いや、それはない。そこまで掴んでいるのだとすれば、こんな悠長なおしゃべりではなく、権力行使に訴えて自分を拘束してなければおかしい。となると、秘密組織のことはバレていないはず。となると、自分が一個人として不平派の影響が色濃い裏社会に出入りし、そこで大きな影響力をしばしば行使していることか。それが一番可能性が高いだろう。おそらくなぜ裏社会でそんなに大きい影響力を持っているのか。それを探りにきているのだろう。

 

「いやなに。どうせなら自分が指導部に参画できるような立ち位置につける職場がよかっただけだ。国営組合だとそうはいかな――」

 

 ベルンハルトが言葉に注意しながら返答したが、それは途中で遮られた。ホテルが大爆発して、言葉を続けるどころではなくなったからである。ベルンハルトたちはホテルの中庭あたりに出ていたので無事だったが、ホテル内部には火の手があがり大変なことになっている。スプリンクラーが作動しているので消化はできるだろうが、ホテルの中で社交していた者たちの安否が気がかりな状況であった。

 

 フェルナーは話している場合ではないと口を開けて唖然と立ちすくんでいるベルンハルトを放置し、即座に現場の混乱を抑えようと行動を開始したが、爆発時にホテルの中にいた被害者からの証言でオーベルシュタイン元帥とルッツ提督が中にいて気を失って倒れていたと知らされると、さすがの彼も普段と変わらない自信家としての表情をたもてなくなり、現場の混乱をとどめられるか不安を感じずにはいられなかった。

 

 しかし幸いにも義手の不具合のために遅れていたワーレンが爆発から数分後に到着し、現場をなんとかまとめようと努力していたフェルナーから事情を聞きだすと、救急車や消防隊の出動を手配して、それが終わると混乱のただなかにある人々に安心感をあたえて落ち着かせることに専念した。会場付近で爆発が発生したことを察した瞬間にワーレンがどこでもいいから一個大隊引っ張ってこいと部下に連絡させており、彼らがくれば不安から恐慌状態に陥るまいと考えていたのである。

 

 幸いにも同時刻、ブロンナー大佐率いる新編部隊が近場で訓練中であったこともあって、ワーレンの予想よりも早く現場に駆けつけ、一人一人地道に対応していくという堅実な手法をとって、現場の沈静化に難なく成功した。

 

 このテロによる死傷者は四一名、いずれも帝国で高位の役職にあった者や経済界で主要な地位をしめていた者たちで、受けた損害ははかりしれないものがあった。不幸中の幸いとして、軍務尚書オーベルシュタイン元帥、フェザーン代理総督ボルテック、フェザーン方面軍司令官ルッツ上級大将は入院を余儀なくされたものの、生命に別状はなく経過も良好であり、工部尚書シルヴァーベルヒにいたっては軽傷のみですんだため、帝国の最上位層は全員テロによって歴史の舞台から退場することをまぬがれた。




ボルテック並びに代理総督府の心境を強引に第二次世界大戦後日本にたとえて説明

日本政府「米国の管理下だけど、なんとか自主権は確保できたぞ」
〜それから一年後〜
米国政府「共産圏を滅ぼして米国領に組み込むことにしたんだが、新大陸と旧大陸の中間点に位置して設備も整っている東京に遷都しようと思うんだ。だから関東圏の統治権寄越せ」
日本政府「ファ?!」

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